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滝 誠一郎(たき せいいちろう、1948年12月3日 - )は、将棋棋士、八段。棋士番号101。大阪府大阪市出身。南口繁一門下。
若手時代から中堅時代にわたり、主に順位戦において活躍した。C級2組在籍4期目で迎えた第27期(1972年度)では、8勝2敗の成績(17人中1位)でC級1組に昇級、C級1組在位14期目で迎えた第46期(1987年度)では、9勝1敗の成績(24人中1位)でB級2組に昇級、以後8期にわたりB級2組に在籍した。
第56期(1997年度)のC級1組順位戦で2個目の降級点を喫したのを最後にフリークラスに転出。65歳の定年を迎える2013年度の最終対局日(2014年3月31日時点で勝ち残っている対局を全て消化した日)まで現役棋士を続ける権利があったものの、滝本人が1年早く引退する意思を示したことが、日本将棋連盟の公式サイトにおいて公表された[1]。2013年8月16日、出場権を残していた第26期竜王戦昇級者決定戦3回戦・阿部光瑠戦で敗れ引退となった[2]。
- 甥弟子(自身の弟弟子・森信雄の弟子)の村山聖が順位戦A級に昇進し東京で一人暮らしをしていた時期(1995年頃)には村山の面倒をよく見ていたという。囲碁将棋チャンネル・村山聖没後10年特別番組「まっすぐに生きて」によると、村山に洒落っ気が著しく欠如していることに業を煮やし、派手なデザインのアロハシャツを無理やり購入させたことがあるという。
- 口癖は「元気はあっても現金がないです」。
- 1980年代に長く新進棋士奨励会幹事を務めており、当時は奨励会員の兄貴分として将棋からプライベートまで幅広く面倒を見ていた。特に先崎学とは共に麻雀をすることが多かった模様(先崎のエッセイに何度となく登場する)。
- 2013年の引退時に仲間内で開かれた慰労会には、幹事時代に奨励会員だった羽生善治・佐藤康光・森内俊之・郷田真隆らが顔を揃えた[3]。
- 東京12チャンネル - テレビ東京で長く放送された『テレビ将棋対局』の放送第一回目の対局者である(対局相手は森雞二六段=当時)[4]。
- 日本将棋連盟専務理事を務めていた2002年1月の第28期女流名人位戦第二局の対局後において不適切な発言をしたとして、厳重注意及び減俸2割1ヶ月の処分を受けた。尚、当件に関しては同時期に理事を務めていた大野八一雄も関係者への謝罪に追われた上に、理事職辞任を余儀なくされたとされる。
- 2008年6月2日の棋聖戦一次予選2回戦・中田功との対局における昼食休憩の際、同じ日に棋王戦本戦1回戦で北浜健介を相手に対局していた中川大輔が昼食に注文した五目焼きそばの大盛りを、自身が注文した五目焼きそばの並盛りと間違えて食べてしまうハプニングを起こしたという。
- 小学5年生でアマ四段だった羽生善治を二枚落ちで破ったことがある(本来、アマ四段ならプロ相手にも飛車落ちが適正なハンデである。)。それから間もなく羽生は奨励会に入会したが、その時の奨励会の幹事も滝であった。
名前 |
四段昇段日 |
段位、主な活躍
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阿久津主税 |
1999年10月1日
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八段、一般棋戦優勝2回、A級在籍2期
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(2014年2月13日現在)
女流棋士となった弟子[編集]
名前 |
女流プロ入り日 |
段位、主な活躍
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高群佐知子 |
1986年3月1日
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女流四段
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昇段規定は、将棋の段級 を参照。
- 1963年 6級 = 奨励会入会
- 1965年 初段
- 1968年10月1日 四段 = プロ入り(東西決戦優勝)
- 1973年4月1日 五段(順位戦規定:C級1組昇級)
- 1981年11月17日 六段(贈六段:将棋の日表彰)
- 1991年11月22日 七段(勝数規定)
- 2013年4月1日 八段(フリークラス規定)[5]
- 2013年8月16日 引退
486勝643敗(0.430)
棋戦本戦出場[編集]
将棋大賞[編集]
- 第41回(2013年度) 東京将棋記者会賞[7]
- 1993年 現役勤続25年
- 2008年 現役勤続40年
- ^ “引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月25日閲覧。
- ^ “滝誠一郎八段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月25日閲覧。
- ^ 兄弟子の引退慰労会 7.14 - 森信雄の日々あれこれ日記・2013年7月14日
- ^ “「森雞二九段のプロ棋士五十周年を祝う会」に参加する”. 将棋ペンクラブログ. 2020年6月6日閲覧。
- ^ “2013年4月1日付昇級・昇段者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月25日閲覧。
- ^ 当時(1976年度)の王座戦は一般棋戦であった。
- ^ “第41回将棋大賞が決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月25日閲覧。
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第8回(1982年)より創設 |