(Translated by https://www.hiragana.jp/)
滝誠一郎 - Wikipedia コンテンツにスキップ

たき誠一郎せいいちろう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 たき 誠一郎せいいちろう はちだん
名前なまえ たき 誠一郎せいいちろう
生年月日せいねんがっぴ (1948-12-03) 1948ねん12月3にち(75さい
プロ年月日ねんがっぴ 1968ねん10がつ1にち(19さい
引退いんたい年月日ねんがっぴ 2013ねん8がつ6にち(64さい
棋士きし番号ばんごう 101
出身しゅっしん 大阪おおさか大阪おおさか
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう 南口みなみぐち繁一しげかずきゅうだん
弟子でし 阿久津あくつ主税ちから高群たかむれ佐知子さちこ
段位だんい はちだん
棋士きしDB たき 誠一郎せいいちろう
戦績せんせき
通算つうさん成績せいせき 486しょう643はい(0.4305)
竜王りゅうおうせん最高さいこうクラス 4くみ
順位じゅんいせん最高さいこうクラス Bきゅう2くみ
2016ねん10がつ23にち現在げんざい
テンプレートを表示ひょうじ

たき 誠一郎せいいちろう(たき せいいちろう、1948ねん12月3にち - )は、将棋しょうぎ棋士きしはちだん棋士きし番号ばんごう101。大阪おおさか大阪おおさか出身しゅっしん南口みなみぐち繁一しげかず門下もんか


棋歴[編集へんしゅう]

若手わかて時代じだいから中堅ちゅうけん時代じだいにわたり、おも順位じゅんいせんにおいて活躍かつやくした。Cきゅう2くみ在籍ざいせき4むかえただい27(1972年度ねんど)では、8しょう2はい成績せいせき(17にんちゅう1)でCきゅう1くみ昇級しょうきゅう、Cきゅう1くみ在位ざいい14むかえただい46(1987年度ねんど)では、9しょう1はい成績せいせき(24にんちゅう1)でBきゅう2くみ昇級しょうきゅう以後いご8にわたりBきゅう2くみ在籍ざいせきした。

だい56(1997年度ねんど)のCきゅう1くみ順位じゅんいせんで2くだきゅうてんきっしたのを最後さいごフリークラス転出てんしゅつ。65さい定年ていねんむかえる2013年度ねんど最終さいしゅう対局たいきょく(2014ねん3がつ31にち時点じてんのこっている対局たいきょくすべ消化しょうかした)まで現役げんえき棋士きしつづける権利けんりがあったものの、たき本人ほんにんが1ねんはや引退いんたいする意思いししめしたことが、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい公式こうしきサイトにおいて公表こうひょうされた[1]。2013ねん8がつ16にち出場しゅつじょうけんのこしていただい26竜王りゅうおうせん昇級しょうきゅうしゃ決定けっていせん3回戦かいせん阿部あべひかりせんやぶ引退いんたいとなった[2]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

  • おい弟子でし自身じしん弟弟子おとうとでしもり信雄のぶお弟子でし)の村山むらやまきよし順位じゅんいせんAきゅう昇進しょうしん東京とうきょう一人暮ひとりぐらしをしていた時期じき(1995ねんごろ)には村山むらやま面倒めんどうをよくていたという。囲碁いご将棋しょうぎチャンネル村山むらやまきよしぼつ10ねん特別とくべつ番組ばんぐみ「まっすぐにきて」によると、村山むらやま洒落しゃれいちじるしく欠如けつじょしていることにごうやし、派手はでなデザインのアロハシャツ無理むりやり購入こうにゅうさせたことがあるという。
  • 口癖くちぐせは「元気げんきはあっても現金げんきんがないです」。
  • 1980年代ねんだいなが新進しんしん棋士きし奨励しょうれいかい幹事かんじつとめており、当時とうじ奨励しょうれい会員かいいん兄貴あにきぶんとして将棋しょうぎからプライベートまで幅広はばひろ面倒めんどうていた。とく先崎まっさきがくとはとも麻雀まーじゃんをすることがおおかった模様もよう先崎まっさきのエッセイになんとなく登場とうじょうする)。
  • 2013ねん引退いんたい仲間なかまないひらかれた慰労いろうかいには、幹事かんじ時代じだい奨励しょうれい会員かいいんだった羽生はぶ善治よしはる佐藤さとう康光やすみつ森内もりうち俊之としゆき郷田ごうだしんたかしらがかおそろえた[3]

エピソード[編集へんしゅう]

  • 東京とうきょう12チャンネル - テレビ東京てれびとうきょうなが放送ほうそうされた『テレビ将棋しょうぎ対局たいきょく』の放送ほうそうだいいちかい対局たいきょくしゃである(対局たいきょく相手あいてもり雞二ろくだん=当時とうじ[4]
  • 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい専務せんむ理事りじつとめていた2002ねん1がつだい28女流じょりゅう名人めいじんせんだいきょく対局たいきょくにおいて不適切ふてきせつ発言はつげんをしたとして、厳重げんじゅう注意ちゅういおよ減俸げんぽう2わり1ヶ月かげつ処分しょぶんけた。なおとうけんかんしてはどう時期じき理事りじつとめていた大野おおの八一やいちゆう関係かんけいしゃへの謝罪しゃざいわれたうえに、理事りじしょく辞任じにん余儀よぎなくされたとされる。
  • 2008ねん6がつ2にち棋聖きせいせんいち予選よせん2回戦かいせん中田なかたいさおとの対局たいきょくにおける昼食ちゅうしょく休憩きゅうけいさいおな棋王きおうせん本戦ほんせん1回戦かいせん北浜きたはま健介けんすけ相手あいて対局たいきょくしていた中川なかがわ大輔だいすけ昼食ちゅうしょく注文ちゅうもんした五目ごもくきそばの大盛おおもを、自身じしん注文ちゅうもんした五目ごもくきそばのなみざか間違まちがえてべてしまうハプニングをこしたという。
  • 小学しょうがく5年生ねんせいでアマよんだんだった羽生はぶ善治よしはるまいちでやぶったことがある(本来ほんらい、アマよんだんならプロ相手あいてにも飛車ひしゃちが適正てきせいなハンデである。)。それからもなく羽生はぶ奨励しょうれいかい入会にゅうかいしたが、そのとき奨励しょうれいかい幹事かんじたきであった。

弟子でし[編集へんしゅう]

棋士きしとなった弟子でし[編集へんしゅう]

名前なまえ よんだん昇段しょうだん 段位だんいおも活躍かつやく
阿久津あくつ主税ちから 1999ねん10がつ1にち はちだん一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう2かい、Aきゅう在籍ざいせき2

(2014ねん2がつ13にち現在げんざい

女流じょりゅう棋士きしとなった弟子でし[編集へんしゅう]

名前なまえ 女流じょりゅうプロ 段位だんいおも活躍かつやく
高群たかむれ佐知子さちこ 1986ねん3がつ1にち 女流じょりゅうよんだん

昇段しょうだん履歴りれき[編集へんしゅう]

昇段しょうだん規定きていは、将棋しょうぎだんきゅう参照さんしょう

  • 1963ねん 6きゅう = 奨励しょうれいかい入会にゅうかい
  • 1965ねん 初段しょだん
  • 1968ねん10がつ1にち よんだん = プロり(東西とうざい決戦けっせん優勝ゆうしょう
  • 1973ねん4がつ1にち だん順位じゅんいせん規定きてい:Cきゅう1くみ昇級しょうきゅう
  • 1981ねん11月17にち ろくだんおくろくだん将棋しょうぎ表彰ひょうしょう
  • 1991ねん11月22にち ななだんかちすう規定きてい
  • 2013ねん4がつ1にち はちだん(フリークラス規定きてい[5]
  • 2013ねん8がつ16にち 引退いんたい

おも成績せいせき[編集へんしゅう]

通算つうさん成績せいせき[編集へんしゅう]

486しょう643はい(0.430)

在籍ざいせきクラス[編集へんしゅう]

順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん (出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1969 24 C212
1970 25 C216
1971 26 C204
1972 27 C206
1973 28 C114
1974 29 C111
1975 30 C102
1976 主催しゅさいしゃ移行いこう問題もんだいにより中止ちゅうし
1977 36 C114
1978 37 C112
1979 38 C110
1980 39 C101
1981 40 C110
1982 41 C112
1983 42 C115
1984 43 C105
1985 44 C106
1986 45 C117
1987 46 C111 1 4くみ --
1988 47 B220 2 4くみ --
1989 48 B211 3 4くみ --
1990 49 B215 4 4くみ --
1991 50 B207 5 4くみ --
1992 51 B214 6 4くみ --
1993 52 B212 7 4くみ --
1994 53 B221 8 4くみ --
1995 54 B215 9 5くみ --
1996 55 C101 10 6くみ --
1997 56 C123 11 6くみ --
1998 57 Fせん 12 6くみ --
1999 58 Fせん 13 6くみ --
2000 59 Fせん 14 6くみ --
2001 60 Fせん 15 6くみ --
2002 61 Fせん 16 6くみ --
2003 62 Fせん 17 6くみ --
2004 63 Fせん 18 6くみ --
2005 64 Fせん 19 6くみ --
2006 65 Fせん 20 6くみ --
2007 66 Fせん 21 6くみ --
2008 67 Fせん 22 6くみ --
2009 68 Fせん 23 6くみ --
2010 69 Fせん 24 6くみ --
2011 70 Fせん 25 6くみ --
2012 71 Fせん 26 6くみ --
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

棋戦きせん本戦ほんせん出場しゅつじょう[編集へんしゅう]

将棋しょうぎ大賞たいしょう[編集へんしゅう]

  • だい41かい(2013年度ねんど) 東京とうきょう将棋しょうぎ記者きしゃかいしょう[7]

表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

  • 1993ねん 現役げんえき勤続きんぞく25ねん
  • 2008ねん 現役げんえき勤続きんぞく40ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 引退いんたい棋士きしのおらせ|将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん8がつ25にち閲覧えつらん
  2. ^ たき誠一郎せいいちろうはちだん引退いんたい将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん8がつ25にち閲覧えつらん
  3. ^ 兄弟子あにでし引退いんたい慰労いろうかい 7.14 - もり信雄のぶお日々ひびあれこれ日記にっき・2013ねん7がつ14にち
  4. ^ もりきゅうだんのプロ棋士きしじゅう周年しゅうねんいわかい」に参加さんかする”. 将棋しょうぎペンクラブログ. 2020ねん6がつ6にち閲覧えつらん
  5. ^ 2013ねん4がつ1にちづけ昇級しょうきゅう昇段しょうだんしゃ将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん8がつ25にち閲覧えつらん
  6. ^ 当時とうじ(1976年度ねんど)の王座おうざせん一般いっぱん棋戦きせんであった。
  7. ^ だい41かい将棋しょうぎ大賞たいしょうまる!|将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん8がつ25にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]