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関根せきね紀代子きよこ

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 関根せきね紀代子きよこ 女流じょりゅうろくだん
名前なまえ 関根せきね紀代子きよこ
旧姓きゅうせい 吉田よしだ
生年月日せいねんがっぴ (1940-12-15) 1940ねん12月15にち(83さい
プロ年月日ねんがっぴ 1974ねん10がつ31にち(33さい
引退いんたい年月日ねんがっぴ 2011ねん8がつ31にち(70さい
女流じょりゅう棋士きし番号ばんごう 1
出身しゅっしん 群馬ぐんまけん前橋まえばし
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう 関根せきねしげる
段位だんい 女流じょりゅうろくだん
女流じょりゅう棋士きしDB 関根せきね紀代子きよこ
戦績せんせき
通算つうさん成績せいせき 260しょう277はい 0.484
2017ねん3がつ1にち現在げんざい
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関根せきね 紀代子きよこ(せきね きよこ、1940ねん12月15にち[1] - )は日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい所属しょぞく女流じょりゅう棋士きし女流じょりゅう棋士きし番号ばんごうは1[1](2011ねん3がつ31にちまでは2)。群馬ぐんまけん前橋まえばし出身しゅっしん[1]関根せきねしげるきゅうだん門下もんか[1]関根せきねしげるおっとでもある。旧姓きゅうせい吉田よしだ[注釈ちゅうしゃく 1]

女流じょりゅう棋士きしいち期生きせい6にんのうちの一人ひとりで、引退いんたいには現役げんえき最年長さいねんちょう女流じょりゅう棋士きしであった。1974ねん女流じょりゅう棋士きし制度せいど発足ほっそくするさいに、アマチュアから直接ちょくせつ女流じょりゅうだんになったため、プロ当初とうしょ師匠ししょうがいなかった[2]

1968ねんだい1かい女流じょりゅうアマ名人めいじんせん優勝ゆうしょう当時とうじ旧姓きゅうせい吉田よしだ[3]いま女流じょりゅう棋士きし制度せいど存在そんざいしなかった時期じき蛸島たこしま彰子あきこのライバルかくとして注目ちゅうもくされた。

1974ねん女流じょりゅう棋士きし制度せいどさだめられ、はつ女流じょりゅう棋戦きせんとして女流じょりゅう名人めいじんせんげん女流じょりゅう名人めいじんせん)が開始かいしされたときに、女流じょりゅうだん女流じょりゅう棋士きしとなった。

1989ねん村山むらやま幸子さちこ引退いんたいし、現役げんえき女流じょりゅう棋士きし最年長さいねんちょうしゃとなる。

わか世代せだい台頭たいとうするなかで2000ねんだい14かいレディースオープントーナメントでは決勝けっしょう進出しんしゅついてもなお実力じつりょくせつけた。還暦かんれきでのばん勝負しょうぶ進出しんしゅつ女流じょりゅう棋士きしでは最年長さいねんちょうである(棋士きしふくめると大山おおやま康晴やすはるの66さい)。

2007ねん4がつより、蛸島たこしま後任こうにんとして女流じょりゅう育成いくせいかい幹事かんじ就任しゅうにん

2009ねん3がつ18にちだい17倉敷くらしき藤花ふじはなせん1回戦かいせん長沢ながさわ千和子ちわこ勝利しょうりし、20ねんあまりをかけて「女流じょりゅうよんだん昇段しょうだん150しょう」の昇段しょうだん規定きていたし、女流じょりゅうだん昇段しょうだんした[4]

2009ねん3がつ31にち女流じょりゅう育成いくせいかい廃止はいし研修けんしゅうかい合併がっぺい)にともな幹事かんじ退任たいにん

2010ねん4がつ女流じょりゅう棋士きしかい役員やくいん制度せいど復活ふっかつにより、女流じょりゅう棋士きしかい会長かいちょう就任しゅうにん

2011ねん4がつ1にち日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい正会員せいかいいんとなる。女流じょりゅう棋士きし正会員せいかいいんになっただいいちごうの9にんのうちの1めい日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい公益社こうえきしゃだん法人ほうじん移行いこうし、その時点じてん在籍ざいせきする女流じょりゅう棋士きし女流じょりゅう棋士きし番号ばんごうがふりなおされ、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい女流じょりゅう棋士きし番号ばんごう1ばんとなる。

2011ねん8がつ31にち日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい役員やくいんかい引退いんたいとどけ提出ていしゅつし、受理じゅりされる[5]普及ふきゅう多大ただいなる功績こうせきがあったのをみとめられ、9月8にちけで女流じょりゅうろくだんとなる[6]関根せきね引退いんたいともない、女流じょりゅう棋士きし現役げんえき最年長さいねんちょうしゃ蛸島たこしま彰子あきことなった。

2013ねん4がつ女流じょりゅう棋士きしかい会長かいちょう退任たいにん名誉めいよ会長かいちょうとなる[7]

人物じんぶつ

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反則はんそく

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昇段しょうだん履歴りれき

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  • 1974ねん10がつ31にち - 女流じょりゅうだん
  • 1980ねん02がつ08にち - 女流じょりゅうさんだん
  • 1988ねん11月17にち - 女流じょりゅうよんだん
  • 2009ねん03月18にち - 女流じょりゅうだんかちすう規定きてい = 女流じょりゅうよんだん昇段しょうだん150しょう
  • 2011ねん08がつ31にち - 引退いんたい
  • 2011ねん09月08にち - 女流じょりゅうろくだん日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい理事りじかい審議しんぎによる)

おも成績せいせき

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通算つうさん成績せいせき 537せん260しょう277はい[5]

タイトル挑戦ちょうせん

表彰ひょうしょう

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  • 1999年度ねんど 東京とうきょう将棋しょうぎ記者きしゃかいしょう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ プロりの時点じてんすで関根せきねしげる結婚けっこんしており、戸籍こせきじょう氏名しめい関根せきね紀代子きよこ」でプロりした。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d 関根せきね紀代子きよこ棋士きしデータベース”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2020ねん4がつ2にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 古川ふるかわ徹雄てつお引退いんたい関根せきね紀代子きよこ女流じょりゅうろくだん "女流じょりゅう棋士きしだい1期生きせい" 将棋しょうぎともあゆんできた人生じんせい」、『将棋しょうぎ世界せかい』(2011ねん11がつごう)、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい pp. 114-117
  3. ^ 女流じょりゅうアマ名人めいじんせん 歴代れきだい優勝ゆうしょうしゃ一覧いちらん”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2018ねん3がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん3がつ6にち閲覧えつらん
  4. ^ 関根せきね紀代子きよこ女流じょりゅうよんだん女流じょりゅうだん昇段しょうだん」『日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい』2009ねん3がつ19にちオリジナルの2018ねん7がつ16にち時点じてんにおけるアーカイブ。2018ねん7がつ16にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 関根せきね紀代子きよこ女流じょりゅうだん引退いんたい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい (2011ねん9がつ1にち). 2018ねん3がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん3がつ6にち閲覧えつらん
  6. ^ 関根せきね紀代子きよこ女流じょりゅうだん女流じょりゅうろくだん昇段しょうだん”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい (2011ねん9がつ8にち). 2011ねん9がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん1がつ20日はつか閲覧えつらん
  7. ^ 女流じょりゅう棋士きしかいしん役員やくいんのおらせ”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい (2013ねん4がつ2にち). 2018ねん3がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん3がつ6にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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