だんふみ

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だん ふみ
だん ふみ
本名ほんみょう おな
生年月日せいねんがっぴ (1954-06-05) 1954ねん6月5にち(69さい
出生しゅっしょう 東京とうきょう練馬ねりま
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
身長しんちょう 170 cm
血液けつえきがた Aがた
職業しょくぎょう 女優じょゆう司会しかいしゃエッセイスト
ジャンル テレビドラマ映画えいが
活動かつどう期間きかん 1973ねん -
配偶はいぐうしゃ なし
著名ちょめい家族かぞく だん一雄かずおちち
高岩たかいわあわ叔父おじ
かさたい叔母おば
だん太郎たろうあに
だん一平いっぺいふとしおい
おも作品さくひん
テレビドラマ
日本にっぽん面影おもかげ
はなもえ
はじめてこいをしたはなし
セミオトコ
映画えいが
青春せいしゅん蹉跌さてつ
あいつとわたし
おとこはつらいよ 寅次郎とらじろう純情じゅんじょう詩集ししゅう
火宅かたくひと
クイズ・教養きょうよう番組ばんぐみ
連想れんそうゲーム
日曜にちよう美術館びじゅつかん
 
受賞じゅしょう
日本にっぽんアカデミーしょう
助演じょえん女優じょゆうしょう
1994ねんわがあいたき廉太郎れんたろう物語ものがたり
そのしょう
芸術げいじゅつ選奨せんしょう新人しんじんしょう(1979ねん
講談社こうだんしゃエッセイしょう
1999ねん『ああえばこうう』
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だん ふみ(だん ふみ、1954ねん6月5にち - )は、日本にっぽん女優じょゆう司会しかいしゃエッセイスト

東京とうきょう練馬ねりま出身しゅっしん身長しんちょう168cm(1975ねん3がつ[1]、170㎝(2024ねん2がつ[2]血液けつえきがたAがた

ちち小説しょうせつだん一雄かずおあにはエッセイストのだん太郎たろう父方ちちかた叔父おじ東映とうえい代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう会長かいちょうつとめた高岩たかいわあわがいる。

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

東京とうきょう練馬ねりま出身しゅっしん練馬ねりま区立くりつ光和こうわ小学校しょうがっこう[3]東京学芸大学とうきょうがくげいだいがく附属ふぞく大泉おおいずみ中学校ちゅうがっこう卒業そつぎょう。1973ねん3がつ東京教育大学とうきょうきょういくだいがく附属ふぞく高校こうこうげん筑波大学つくばだいがく附属ふぞく高校こうこう卒業そつぎょう駿台予備学校すんだいよびがっこうかよう。一浪いちろうの1974ねん[4]慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく経済学部けいざいがくぶ経済けいざい学科がっか入学にゅうがく。6ねんかかって卒業そつぎょうした。

映画えいがかいりのけは1970ねん高校こうこう1ねんのとき[5]あにだん太郎たろう夫妻ふさい大阪おおさか万博ばんぱく見物けんぶつしたかえりに、東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょちょう代理だいりをしていた叔父おじ高岩たかいわあわいにったさい、たまたま撮影さつえいしょにいたしゅんふじひろししげるにスカウトされた[5][6]。しかし、当時とうじちちだん一雄かずおポルトガル長期ちょうき旅行りょこうちゅう[5]、「おれが帰国きこくするまでて」といわれ、交渉こうしょう一時いちじおあずけになった[5]

1972ねん2がつだん一雄かずおがポルトガルから1ねん4ヶ月かげつぶりに帰国きこく交渉こうしょう再開さいかいされ、高岩たかいわは「たかぎるし、美人びじんでもないから女優じょゆうにはムリじゃないか」と反対はんたいしたが[5]しゅんふじが「これからの女優じょゆう小柄こがらじゃいかん」と熱心ねっしん口説くどいた[5]。2ねんって東映とうえい状況じょうきょうわり、しゅんふじむすめふじ純子じゅんこが1972ねん3がつをもって結婚けっこん引退いんたいし、これをしゅんふじ岡田おかだしげる東映とうえい社長しゃちょうつたえるさい女優じょゆう引退いんたい強硬きょうこう反対はんたいする岡田おかだに「かなら純子じゅんこのアナをめてみせるから、どうかたのむ。あきらめてくれ」とおとこ約束やくそくをしていたため[5][7]遮二無二しゃにむにふじ純子じゅんこ後釜あとがまさが必要ひつようがあった[1][5][7]だん一雄かずおはふみを作家さっかにしたくて、海外かいがい留学りゅうがくをさせようとかんがえていたが、作家さっか仲間なかまからはさけいきおいもあり「いいじゃないか、女優じょゆうにさせろ」とあふられ、あに太郎たろう女優じょゆうになることを賛成さんせいし、ふみからは「おとうさんがめて」とわれこまてた[5]結局けっきょく、ふみの意思いし尊重そんちょうし、東映とうえいむすめ一切いっさいあづけることをめた[5]吉報きっぽうだいよろこびの岡田おかだ社長しゃちょうしゅんふじは「かなら東映とうえいだいスターにそだてます。2代目だいめふじ純子じゅんこ襲名しゅうめいさせます」とだん一雄かずおつたえた[5][6]

1972ねん4がつだんふみは女優じょゆうとして東映とうえい契約けいやくしたわけではないが[6]東映とうえい作品さくひん出演しゅつえんするというかる気持きもちでけた[6]東映とうえい入社にゅうしゃしたとかれた文献ぶんけんもあるが[1]、1975ねん1がつデイリースポーツに「専属せんぞく契約けいやくむすぶと自由じゆう仕事しごとができないからと各社かくしゃさそいにもくびをタテにらない。マネージャーも知人ちじん女性じょせいデザイナーにたのんでいる」とかれていることから、フリーで仕事しごとをしていたものとられる[8]。しかし東映とうえい幹部かんぶが"ポストふじ純子じゅんこ"と過度かど期待きたいすることに困惑こんわくし、大学だいがく受験じゅけんちかづき気持きもちがれた[6]獣医じゅういになりたくて農学部のうがくぶすすみたいという希望きぼうがあった[6]。「ポストふじ純子じゅんこオーディション」でえらばれたのは中村なかむら英子えいこであったが、1973ねん東映とうえいカレンダーは中村なかむらが7がつよんにんコミにたいしてまゆみ千葉ちば真一しんいち二人ふたりで4がつ期待きたい歴然れきぜん[6]映画えいがはあまりきでなかったが、撮影さつえいしょ見学けんがくだまされ撮影さつえいしょれてかれるとそれが衣裳いしょうあわせで、主演しゅえんする高倉たかくらけんい、その格好かっこうさにかれて出演しゅつえんすることにしたというのが、映画えいがデビューのきっかけであった[9]

大学だいがく在学ざいがくちゅう、1学年がくねんじょう遠藤えんどう龍之介りゅうのすけ遠藤えんどう周作しゅうさく一人ひとり息子むすこげんフジテレビ代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょうCOO)に、しゅうさくへの葉書はがき追伸ついしんとして「もしおひまでほんとによろしかったら、おこえをかけてくれれば、どこへでもついていきます」とおくったが、龍之介りゅうのすけからはなん返事へんじもなかったという[10]はつ芸能げいのう活動かつどうは18さいのとき、カナダへ1かげつあいだ高校生こうこうせいレポーターとしてであった[1]

NHK総合そうごうテレビクイズ番組ばんぐみ連想れんそうゲーム』でべにぐみレギュラー解答かいとうしゃ抜擢ばってきされると、カンのさとかざのないお色気いろけちゃ人気にんきをさらった[4]。スカウトした東映とうえい実録じつろく路線ろせん傾斜けいしゃしたため、あまり出番でばんはなかったが、清純せいじゅん女優じょゆうとして人気にんきはくし、テレビや映画えいがりだこになった。

1974ねん6がつ公開こうかいの『青春せいしゅん蹉跌さてつ』でショーケン相手あいてやく起用きようされると人気にんき急上昇きゅうじょうしょうした[4]。1975ねん9がつ小作おざくえきちかくの多摩川たまがわでロケがおこなわれた『のあたる坂道さかみち』では、相手あいてやく三浦みうら友和ともかずとのはじめての本格ほんかくてきキスシーンに緊張きんちょうのあまり、撮影さつえいOKのち放心ほうしん状態じょうたいとなり号泣ごうきゅうした[11]。スタッフも「マジメというか、いまどきめずらしいタイプのだね」とおどろいた[11]。『おとこはつらいよ 寅次郎とらじろう純情じゅんじょう詩集ししゅう』などにも出演しゅつえんし、1994ねん『わがあいたき廉太郎れんたろう物語ものがたり』でだい17かい日本にっぽんアカデミーしょう助演じょえん女優じょゆうしょう受賞じゅしょう本人ほんにんもっとり、代表だいひょうさくともわれるのは『日本にっぽん面影おもかげ』の小泉こいずみセツやくである。

連想れんそうゲーム』ではべにぐみレギュラーのめい解答かいとうしゃとして、15年間ねんかん長期ちょうきにわたってしたしまれた。1996ねんから2002ねんまで『Nひびきアワー』で池辺いけべ晋一郎しんいちろう解説かいせつサポートをつとめる。おりの作曲さっきょくチャイコフスキーで「チャイさま」とんでいた。

ちち影響えいきょうで、みずからも料理りょうり食事しょくじかんするエッセイを執筆しっぴつしており、1999ねんには大学だいがく先輩せんぱい作家さっかむすめというつながりがある親友しんゆう阿川あがわ佐和子さわことの共著きょうちょ『ああえばこうう』で、だい15かい講談社こうだんしゃエッセイしょう受賞じゅしょうしている。

晩年ばんねんちち代表だいひょうさく火宅かたくひと』は口述こうじゅつ筆記ひっきされたものであり、その姿すがたNHK特集とくしゅう作家さっかだん一雄かずお最期さいご』やドキュメンタリー『むかしおとこありけり』 (1984ねんRKB毎日放送まいにちほうそう) に収録しゅうろくされているが、ちち最期さいご姿すがたおもすのがからくて、結末けつまつなんねんまなかった。はじめてんだのは、おなじくNHKのたび番組ばんぐみちち足跡あしあと辿たどって、ポルトガルを訪問ほうもんしたよる、ホテルの一室いっしつであった。1986ねん制作せいさくされた映画えいがばん火宅かたくひと』では、主人公しゅじんこうであるかつら一雄かずお母親ははおややく特別とくべつ出演しゅつえんえんじている(まゆみ本人ほんにんにとっては祖母そぼたるやく)。

自称じしょう野坂のさかあきらまもかい」の会長かいちょう[12]。また「年齢ねんれい表記ひょうき廃絶はいぜつするかい」の会長かいちょう自任じにんしている。

竹下たけした景子けいこの「ぎんなみ きんふう」の作詞さくし手掛てがけている。

出演しゅつえん作品さくひん[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

テレビアニメ[編集へんしゅう]

劇場げきじょうアニメ[編集へんしゅう]

バラエティ[編集へんしゅう]

  • 連想れんそうゲーム(1973ねん - 1988ねん、NHK)- レギュラー解答かいとうしゃ
  • 素敵すてきなあのひと(1982ねん - 1983ねんテレビ東京てれびとうきょう) - 司会しかい
  • ビートたけしのTVタックル(EX)
  • だんふみ・阿川あがわ佐和子さわこ ああえばこうゆう 美食びしょく!みなみフランス紀行きこう(TBS、2003ねん3がつ23にち・2004ねん5がつ1にち
  • 阿川あがわ佐和子さわこ&だんふみのああえば…(TBS、2005ねん1がつ3にち・2006ねん1がつ3にち
  • 大人おとな自由じゆう時間じかんだい②ニッポンこく独立どくりつ宣言せんげん〜(BS11、2007ねん12月3にち - 2009ねん4がつ2にち) - ママ(MC)隔週かくしゅう出演しゅつえん
  • だんふみ、英国えいこくく〜映画えいがプライドと偏見へんけん」の世界せかい〜(テレビ東京てれびとうきょう、2006ねん1がつ9にち
  • 阿川あがわ佐和子さわこだんふみのしゃべりびと(TBS、2009ねん3がつ31にち
  • 阿川あがわ佐和子さわこだんふみの京都きょうと1はく2にちなつかしレトロたびテレビ朝日てれびあさひ、2014ねん7がつ20日はつか)- 旅人たびびと
  • 阿川あがわ佐和子さわこだんふみのお勉強べんきょうになりました(テレビ朝日てれびあさひ、2020ねん3がつ1にち

教養きょうよう番組ばんぐみ[編集へんしゅう]

ドキュメンタリー[編集へんしゅう]

ラジオ[編集へんしゅう]

CM[編集へんしゅう]

朗読ろうどく[編集へんしゅう]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

たんちょ[編集へんしゅう]

  • 『まだふみもみず』 幻冬舎げんとうしゃ、2000ねん6がつ
  • 文庫ぶんこ : 幻冬舎げんとうしゃ幻冬舎げんとうしゃ文庫ぶんこ〉、2003ねん8がつ
  • まゆみりゅうきものみち』 世界文化社せかいぶんかしゃ、2001ねん9がつ
  • 『どうもいたしません』 幻冬舎げんとうしゃ、2004ねん8がつ
  • 文庫ぶんこ : 幻冬舎げんとうしゃ幻冬舎げんとうしゃ文庫ぶんこ〉、2007ねん8がつ
  • だんふみのちゃはじめ』 アシェット婦人画報社ふじんがほうしゃ、2008ねん11月。
  • まゆみりゅうきもの巡礼じゅんれい(たび) : まもりたい日本にっぽん手仕事てしごと』(杵島きしまたかし/写真しゃしん世界文化社せかいぶんかしゃ、2012ねん11月。

共著きょうちょ[編集へんしゅう]

阿川あがわ佐和子さわことの共著きょうちょ[編集へんしゅう]

  • 『ああえばこうよめく : 往復おうふくエッセイ』 集英社しゅうえいしゃ、2000ねん9がつ
  • 文庫ぶんこ : 『ああえばこう[×よめ]く』 集英社しゅうえいしゃ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ〉、2003ねん5がつ
  • 『アガワとダンのしあわせになるためのワイン修業しゅうぎょう : カジュアルワインへん幻冬舎げんとうしゃ、2005ねん9がつ
  • 『アガワとダンのしあわせになるためのワイン修業しゅうぎょう : ゴージャスワインへん幻冬舎げんとうしゃ、2005ねん9がつ

その共著きょうちょ[編集へんしゅう]

その[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d 日高ひだかしん也 (1975ねん3がつ10日とおか). “スターふたつのかお だんふみ 虚像きょぞう実像じつぞう未知みち演技えんぎじらうおんな "断絶だんぜつ"らぬ 女優じょゆうわたしはあと2ねん…』”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ): p. 13 
  2. ^ だんふみ、フランスじん男性だんせいから『ボルドーのようだ』とわれ「うれしかった」 阿川あがわ佐和子さわことワインイベント出席しゅっせき”. 中日ちゅうにちスポーツ. (2024ねん2がつ15にち) 
  3. ^ だんふみ - 人物じんぶつ情報じょうほう関連かんれん映画えいが - 映画えいがDB
  4. ^ a b c “スタせんにん女性じょせいインタビュアー だんふみ登場とうじょう”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ): p. 11. (1975ねん1がつ28にち) 
  5. ^ a b c d e f g h i j k ふじ純子じゅんこ代目だいめねらわれた作家さっか令嬢れいじょう 高校こうこうさん年生ねんせい美少女びしょうじょだんふみさん」『週刊しゅうかん明星みょうじょう』、集英社しゅうえいしゃ、1972ねん4がつ23にちごう、47-40ぺーじ 
  6. ^ a b c d e f g 「"じゅんせい"とざされたまゆみ(ふみ)の困惑こんわく」『週刊文春しゅうかんぶんしゅん』、文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1972ねん11月6にちごう、26ぺーじ 
  7. ^ a b 尾上おがみ菊之助きくのすけふじ純子じゅんこ華麗かれいなるだい結婚式けっこんしき純子じゅんこをいじめないでください』と岡田おかだ東映とうえい社長しゃちょう断腸だんちょうスピーチ」『週刊しゅうかん明星みょうじょう』、集英社しゅうえいしゃ、1974ねん4がつ16にちごう、39-40ぺーじ 
  8. ^ だん ふみ "故郷こきょうあじ"で勝負しょうぶ”. デイリースポーツ (デイリースポーツしゃ): p. 4. (1975ねん1がつ5にち) 
  9. ^ 追悼ついとう高倉たかくらけん美学びがくつらぬいただいスターさよならけんさん背中せなかかたった"きざま"」『週刊しゅうかん朝日あさひ』2014ねん12月5にちごう朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、18ぺーじ 
  10. ^ きた杜夫もりおマンボウぱじゃま対談たいだん 美女びじょかいぼうへん』p.38(集英社しゅうえいしゃ、1978ねん
  11. ^ a b 中山なかやま純子じゅんこ (1975ねん9がつ28にち). “三浦みうら友和ともかずくちびるうばわれた… 周囲しゅういもビックリ マジメふみちゃん だんふみなみだポロポロ OK放心ほうしん状態じょうたい”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ): p. 13 
  12. ^ だんふみさんのわたしの1さつ火垂ほたるのはか野坂のさかあきら”. わたしの1さつ 日本にっぽんの100さつ. NHK (2009ねん3がつ16にち). 2009ねん5がつ4にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん3がつ16にち閲覧えつらん
  13. ^ だんふみ>井上いのうえ真央まおと20ねんぶり共演きょうえんよろこぶ「いい女優じょゆうになった」”. まんたんウェブ (2014ねん7がつ12にち). 2014ねん7がつ12にち閲覧えつらん
  14. ^ BS日曜にちようドラマ ぞう”. NHK. 2021ねん3がつ21にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  15. ^ 『ととねえちゃん』しんキャストに唐沢からさわ寿明としあき及川おいかわ光博みつひろ発表はっぴょう かたりはだんふみ”. ORICON STYLE (2016ねん2がつ15にち). 2016ねん2がつ16にち閲覧えつらん
  16. ^ "【特集とくしゅうドラマ】広重ひろしげぶるう". NHK. 2024ねん4がつ27にち. 2024ねん5がつ5にち時点じてんのオリジナルよりアーカイブ。2024ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  17. ^ “「太陽たいようとボレロ」田口たぐち浩正ひろまさ田中たなかかなめ追加ついかキャスト9めい解禁かいきん水谷みずたにゆたか指揮しきしゃやく. 映画えいがナタリー (ナターシャ). (2022ねん2がつ28にち). https://natalie.mu/eiga/news/467320 2022ねん2がつ28にち閲覧えつらん 
  18. ^ まつたか沢田さわだ研二けんじ恋人こいびとやく、「らうじゅうヵ月かげつ追加ついかキャスト発表はっぴょう. 映画えいがナタリー (ナターシャ). (2022ねん2がつ17にち). https://natalie.mu/eiga/news/465948 2022ねん2がつ17にち閲覧えつらん 
  19. ^ "特集とくしゅう池辺いけべ晋一郎しんいちろう80さい!かえってきたNひびきアワー". NHK. 2023ねん11月5にち. 2023ねん11月12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん11月12にち閲覧えつらん
  20. ^ Nひびき ザ・レジェンド”. NHK. 2021ねん3がつ21にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  21. ^ 太宰だざいおさむ作品さくひんしゅう ―― 文芸ぶんげいカセット〈日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがくシリーズ〉 ――”. 岩波書店いわなみしょてん. 2015ねん4がつ2にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん7がつ9にち閲覧えつらん
  22. ^ 朗読ろうどくたび 金子かねこみすゞの世界せかい 紺野こんの 美沙子みさこ(ナレーション)”. KING RECORDS OFFICIAL SITE. 2015ねん4がつ2にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  23. ^ 坪田つぼた譲治じょうじ原作げんさくだんふみ/朗読ろうどく日本にっぽんむかしばなししゅう”. 新潮社しんちょうしゃ. 2021ねん3がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん3がつ6にち閲覧えつらん
  24. ^ だん一雄かずおだんふみ/朗読ろうどくむすめわたし だん一雄かずおエッセイしゅう”. 新潮社しんちょうしゃ. 2020ねん7がつ9にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]