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幇間ほうかん

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幇間ほうかんげいいちれいあしおどり。
19世紀せいき前半ぜんはんのころの江戸えど幇間ほうかんまげまめ本田ほんだにしていた[1]豆本まめほんともい、ちいさいまげ本多ほんだがた本多ほんだ武士ぶしまげ)にったもの[2]

幇間ほうかん(ほうかん)は、宴席えんせきやお座敷ざしきなどの酒席しゅせきにおいておもきゃく機嫌きげんをとり、みずかげいせ、さらに芸者げいしゃ舞妓まいこたすけてげる職業しょくぎょう歴史れきしてきには男性だんせい職業しょくぎょうである。幇間ほうかん別名べつめい太鼓持たいこもたいこもち」、「おとこ芸者げいしゃ」などとい、また敬意けいいって「太夫たゆうしゅたゆうしゅう」ともばれた。

解説かいせつ

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歴史れきしふる太閤たいこう豊臣とよとみ秀吉ひでよし御伽おとぎしゅつとめたとわれるりょ新左衛門しんざえもんという非常ひじょう機知きちんだ武士ぶしとするとつたえられている。秀吉ひでよし機嫌きげんわるそうなときは、「太閤たいこう、いかがで、太閤たいこう、いかがで」と、秀吉ひでよしげて機嫌きげんりをしていたため、機嫌きげんりが上手じょうずひとを「太閤たいこうち」から「太鼓持たいこもち」とうようになったとわれている。ただしりょとぎ新左衛門しんざえもん実在じつざいしたかどうかもふくめてなぞおお人物じんぶつなので、たんなる伝承でんしょうである可能かのうせいたかい。ものである太鼓たいこたたいておどることからそうばれるようになったとするせつなどがある。

また、太鼓持たいこもちは俗称ぞくしょうで、幇間ほうかん正式せいしき名称めいしょうである。「幇」はたすけるという意味いみで、「あいだ」はひとひとあいだ、すなわち人間にんげん関係かんけいをあらわす。このふたつの言葉ことばわさって、人間にんげん関係かんけいたすけるという意味いみとなる。宴会えんかいせき接待せったいするがわとされるがわあいだきゃく同士どうしきゃく芸者げいしゃあいだ雰囲気ふんいき途切とぎれたときたのしくげるためにつないでいくあそびのすけやくが、幇間ほうかんすなわち太鼓持たいこもちである、ともされる。

専業せんぎょう幇間ほうかん元禄げんろくころ(1688ねん - 1704ねん)にはじまり、揚代あげだい職業しょくぎょうてき確立かくりつするのはたかられき(1751ねん - 1764ねん)のころとされる。江戸えど時代じだいでは吉原よしはら幇間ほうかん一流いちりゅうとしていたとつたえられる。

現在げんざいでは東京とうきょうすうめい岐阜ぎふに1めいしかおらず絶滅ぜつめつ寸前すんぜん職業しょくぎょうとまでわれ、後継こうけいしゃ減少げんしょうから伝承でんしょうされてきた「お座敷ざしきげい」がしつでんされつつある。古典こてん落語らくごでは江戸えど上方かみがたわずおおくのはなし登場とうじょうし、その雰囲気ふんいきをうかがいることができる。台東たいとう浅草あさくさにある浅草寺せんそうじほんぼう伝法でんぼういんには1963ねん建立こんりゅうされた幇間ほうかんづかがある。幇間ほうかん第一人者だいいちにんしゃとしてはゆうげんていだまかいげられる。男性だんせい職業しょくぎょうとして「らしくない仕事しごと」の代名詞だいめいしとされた時代じだいもあった。

正式せいしきな「たいこ」は師匠ししょうについて、芸名げいめいもらい、みで、師匠ししょうまわりの世話せわ雑用ざつようをこなしながらげいみがく。通常つうじょうは5 - 6ねん修業しゅうぎょうつとめ、おれい奉公ほうこういちねんで、正式せいしき幇間ほうかんとなる。師匠ししょう芸者げいしゃ置屋おきやなどを経営けいえいしていることがおおいが、芸者げいしゃとの恋愛れんあい厳禁げんきんである。もっとも、披露ひろうわり、いち人前にんまえ幇間ほうかんみとめられれば、芸者げいしゃ所帯じょたいつこともゆるされた。

芸者げいしゃおなじように、芸者げいしゃ置屋おきや所属しょぞくしている。服装ふくそうは、見栄みえ商売しょうばいであるから、着流きながしのきぬやわらかものに、真夏まなつでも羽織はおりて、しろ足袋たび雪駄せった扇子せんすをぱちぱちらしながら、旦那だんないた。

一方いっぽう正式せいしき師匠ししょうかず、放蕩ほうとうてに、ようまねの素人しろうとげいで、身過みす世過よすぎをおこなっていたものを「だいこ」という。これは正式せいしき芸人げいにんではないが、「師匠ししょう」とばれることもおおかった。

なお、上方かみがたでは江戸えどでいう幇間ほうかん芸者げいしゃばれ、たいして女性じょせい芸妓げいぎ芸子げいこんでいたが、明治めいじ以降いこう芸者げいしゃ女性じょせいすようになった。

幇間ほうかん題材だいざいとした作品さくひん

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落語らくご題材だいざいとしては、「愛宕山あたごやま」、「うなぎ幇間ほうかん」、「富久ふく」、「幇間ほうかんはら」、「王子おうじ幇間ほうかん」など幇間ほうかん悲哀ひあい図々ずうずうしさをテーマにした古典こてん名品めいひん多数たすうある。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ "The nightless city, or, the History of the Yoshiwara Yūkwaku" p107J.S.de Becker, 1899
  2. ^ 浮世うきよ風呂ふろ』p337式亭しきてい三馬さんば 有朋ありともどう書店しょてん, 1913

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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