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かんざし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
年代ねんだい不明ふめい真鍮しんちゅうかねめっきがほどこされている。おなながさのものいちついとややちいさいものけい3ほんいちぞろいとなっている。

かんざし(かんざし、釵)は、結髪けっぱつたばねたかみして髪型かみがた保持ほじしたりかみかざもちいる日本にっぽん伝統でんとうてき装身具そうしんぐである[1]

英語えいごではえい: hair slideHair stickやくされるが、日本にっぽん伝統でんとうてき装飾そうしょくであるためえい: Kanzashiでも通用つうようする。

概要がいよう[編集へんしゅう]

現代げんだいのつまみかんざし羽二重はぶたえ金属きんぞく針金はりがね針金はりがね

日本にっぽんでは江戸えど時代じだい中期ちゅうき以降いこう多彩たさい髪形かみがたまれ、かんざしかみかざりとして発達はったつした[1]

かんざし原材料げんざいりょうにはうるしったつげきりホオノキさくらなど)、かねぎんめっきした金属きんぞく近代きんだいでは強度きょうどめんなどから真鍮しんちゅうせい一般いっぱんてき)、鼈甲べっこうべっこう象牙ぞうげぞうげきぬのような広範囲こうはんいにわたる材料ざいりょうから、最近さいきんプラスチック(プラスチックにも様々さまざま種類しゅるいがある)ももちいられる。かざ部分ぶぶんにはサンゴメノウヒスイ水晶すいしょうなどももちいられた。めずらしいものとしては縁起えんぎかついでかづるほね製作せいさくしたとされるものまである。金工きんこう、べっこうなど素材そざいによって職人しょくにん守備しゅび範囲はんいことなる[2]

江戸えど時代じだい初期しょきかんざし現存げんそんしているものが品質ひんしつ材質ざいしつども貴重きちょうなものであるため、希少きしょう価値かちのあるコレクターズ・アイテムともなっている。なかでも、明治めいじ初期しょきベークライトでできたかんざしきわめて珍重ちんちょうされている骨董こっとうひんである。

装着そうちゃくほうにはおおくの種類しゅるい様式ようしき存在そんざいする。 たとえば芸者げいしゃがどのようなかんざしをどのようにけるかで、「つうつう」や「粋人すいじんすいじん」など精通せいつうしたあそきゃくには彼女かのじょらの地位ちい判別はんべつできる。

とくに花柳かりゅうかい女性じょせいあいだでは日本髪にほんがみかたかんざし装着そうちゃくする位置いちそうしゃ地位ちい立場たちばじゅんじる。 舞妓まいこは、先輩せんぱいである芸妓げいぎくらべてがりのついた華美かびかんざし着用ちゃくようするが、階級かいきゅうがるにつれ立場たちばおうじた髪型かみがたかんざしへと段階だんかいてきわっていく。

くしかんざし[編集へんしゅう]

くしのうち挿櫛さしぐしさしぐしったかみみだれをととのえる役割やくわりのほかかみかざりとしてももちいられる[1]

なおくしは「くし」とび「」とも解釈かいしゃくされることからおくものとするさいには目録もくろくじょうかんざし、もしくはかみかざりと建前たてまえめずらしくなかった。

笄とかんざし[編集へんしゅう]

くし

こうがいはもともとはかみげてまげ形作かたちづく結髪けっぱつ用具ようぐである[1]。しかし次第しだい結髪けっぱつかみかざるものに変化へんかした[1]江戸えど時代じだい中期ちゅうきごろには笄とかんざし区別くべつがつきにくくどういちされていたこともある[1]。そのかんざしにはみみかきくなどの形状けいじょう変化へんかくわわって笄とはべつかみかざりとして発展はってんした[1]

みみかきがけられるようになった理由りゆうについては様々さまざませつがある。

  • 江戸えど時代じだいには贅沢ぜいたく禁止きんししたおれがたびたび発令はつれいされていた(武家ぶけ町人ちょうにん対象たいしょうにした「女中じょちゅう衣類いるいちょく段之だんしじょう」は寛文ひろふみ3ねん発令はつれい)。そのため、かんざしにみみかきをけることで実用じつようひんとすることで贅沢ぜいたくひん取締とりしまりからのがれる理由りゆうとしたというせつ[2][3]
  • 貞享ていきょうころ高橋たかはしはじめつねという人物じんぶつがある商人しょうにんかんざし耳掻みみかきをつければ流行りゅうこうするであろうと助言じょげんし、商人しょうにんためしにつくってみたものが流行りゅうこうしたというせつ[3]

現代げんだい和装わそう花嫁はなよめかんざし先端せんたん耳掻みみかきのようにがっている[3]

歴史れきし[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおけるかんざしのはじまりは、縄文じょうもん時代じだいごろまでさかのぼることができる。そのころ古代こだい日本にっぽんでは、一本いっぽんさきとがったほそぼう呪力じゅりょく宿やどるとしんじられており、それをかみすことではらうことができるとかんがえていたようである。またさらにそれをたばねたくし原型げんけいともいえる出土しゅつどひんもある。

その奈良なら時代じだいはい中国ちゅうごくから様々さまざま文化ぶんかとともにかみかざりもつたわってきた。当初とうしょ日本にっぽん伝来でんらいしたものの、その垂髪たれがみ主流しゅりゅうである平安へいあん時代じだい国風くにぶり様式ようしきされてすたれてしまう。そのためこのころ「かんざし」とべばかみかざ一般いっぱん名称めいしょうであった。奈良なら時代じだいから平安へいあん時代じだいには釵子さいしという金属きんぞくぼう折曲おりまげたほんあし道具どうぐもちいられた[3]

鎌倉かまくら時代ときよから室町むろまち時代ときよ女性じょせいようかみかざりとして発展はってん[3]

安土あづち桃山ももやま時代じだいごろ「垂髪たれがみたれかみ」とばれる真直まっすぐながかみから「日本髪にほんがみにほんがみ」とばれる様々さまざま髪形かみがたへと髪型かみがた変遷へんせんするさいに、かみかざりとしてはまずかんざしもちいられた。江戸えど時代じだいはいるとより幅広はばひろ用途ようともちいられるようになり、緊急きんきゅうには防御ぼうぎょのためにもちいられたともつたえられる。

江戸えど時代じだい中期ちゅうき以降いこう髪形かみがた複雑ふくざつ大型おおがたするにつれてくしや笄とともに女子じょし必需ひつじゅひんとなっていったが、宮中きゅうちゅう行事ぎょうじなどをのぞいて男子だんし衣装いしょう風俗ふうぞくからはえた。ただしこのころにおいても琉球りゅうきゅう王国おうこくでは金属きんぞくせいかんざし「ジーファー」を男女だんじょともに着用ちゃくようしており、身分みぶんによって材質ざいしつにも規定きていがあった。

江戸えど時代じだい末期まっき最大さいだい隆盛りゅうせいせ、かみかざせんもんかざしょくじん技術ぎじゅついきらした平打ひらうちかんざしたまかんざし花簪はなかんざし、びらびらかんざしなどさまざまな種類しゅるいかんざしがある。

近代きんだいでは洋髪ようはつ流行りゅうこうとともにややおとろえ、神前かみまえ結婚けっこんでの花嫁はなよめ芸者げいしゃ芸妓げいぎなどの女性じょせい日本髪にほんがみ場合ばあい使用しようされるが、わか日本にっぽん女性じょせいあいだふたた脚光きゃっこうびつつもある。

語源ごげん[編集へんしゅう]

かんざし[編集へんしゅう]

漢語かんごかんざし」は中国ちゅうごく使用しようされたかみめをす(もともとかんむりめるための道具どうぐ本来ほんらい男性だんせいようのものとするせつもある[2]。)。なお漢字かんじの「かんざし」は、おとあらわす「朁」と意味いみしめす「たけ」からなる形声けいせい文字もじである(また、『せつぶんかい』は「兂」というをかんざしをえがいた象形しょうけい文字もじ解釈かいしゃくしているが、その実例じつれいはない)。

男女だんじょともにかみばす習慣しゅうかんのあった中国ちゅうごくでは、男性だんせい地位ちい職種しょくしゅあらわかんむりかみめるための重要じゅうよう実用じつようひんでもあった。貴族きぞく象牙ぞうげ庶民しょみん木製もくせいのものを使つかう。女性じょせいもちいたかみかざりは「かんざし」ではなく、「釵」(かみ部分ぶぶん二股ふたまたかれたかみかざり)「鈿」(金属きんぞくひらたくばしてした細工ざいくぶつ前額ぜんがくなどにした)とった。また、「釵」のわり頻繁ひんぱん女子じょしの「かんざし」にてられていたようだが、天保てんぽう年間ねんかんごろには「釵」はほとんど駆逐くちくされたものとおもわれる。

かんざし[編集へんしゅう]

和語わごの「かんざし」はそもそも「かみし」に由来ゆらいするといわれている[2]はなかざったことからはなす=はなかざし変化へんかしたものというせつもある。上古じょうこ人々ひとびと生花せいかかみ挿頭かざしはなかざし由来ゆらいするというせつもある[3]。『源氏物語げんじものがたり』「紅葉こうよう」で光源氏ひかるげんじ白菊しらぎくかんむりかざった場面ばめんで、当時とうじの「かんざし」(挿頭かざし)の様子ようすることができる。この習俗しゅうぞく現代げんだいでも葵祭あおいまつりの「あおいのかざし」にのこる。

材質ざいしつ[編集へんしゅう]

本体ほんたい部分ぶぶん金属きんぞくではぎんすず真鍮しんちゅう明治めいじごろにはプラチナも)など、希少きしょうひんであったガラス鼈甲べっこう伽羅きゃら白檀びゃくだんのような香木こうぼくなつようのものとして水晶すいしょうもちいられたこともある(もろく実用じつようにはえないため遺品いひんすくない)庶民しょみん鼈甲べっこう代用だいようとしてうしうまのひづめなどを使つかったが、現在げんざいはプラスチック(アクリル樹脂じゅし、セルロースアセテート樹脂じゅし、カゼインけい樹脂じゅしなど)が主流しゅりゅう鼈甲べっこうでは斑点はんてんのないものがもっと高価こうかで、斑点はんてんのない部分ぶぶんだけのものをとくしろまたは白甲はっこう(しろこう)とぶ。

装飾そうしょく部分ぶぶんには貴金属ききんぞく貴石たかいしじゅん貴石たかいし琥珀こはく、サンゴなどが使つかわれるほかセルロイドなどが使つかわれたこともあった。ほかにもガラスや明石あかしたまという硝石しょうせきこな顔料がんりょう卵白らんぱくかためた模造もぞう珊瑚さんごなどもある。

日本にっぽんかんざし[編集へんしゅう]

時代じだい変化へんか髪形かみがたによって、様々さまざまなかんざしがつくられてきた。 ぶしごとのはな事物じぶつ取合とりあわせのみならず、伝統でんとうもとづく複雑ふくざつ約束事やくそくごと存在そんざいする。舞妓まいこ半玉はんぎょくつきごとにけるじゅうげつのつまみかんざし花簪はなかんざし)はその顕著けんちょれいである。詳細しょうさいはこのつぎこうで。

平打ひらうちかんざし
ひらたいえんじょうかざりに、1ほんまたは2ほんあしがついたもの。のちみみかきがつけられた。武家ぶけ女性じょせいがよくにつけた銀製ぎんせい、あるいは金属きんぞくぎん鍍金めっきしたものはとくぎんひらたぎんひらともばれる。かつてはひらたくばした金属きんぞくからしていた。武家ぶけ女性じょせいなら自家じか家紋かもんれていたが、江戸えど後期こうき芸者げいしゃあいだには自分じぶんもんではなく、貞節ていせつちかおもじん家紋かもんれるのが流行りゅうこうしたという。木製もくせい鼈甲べっこうせい現代げんだいではプラスチックせいなど様々さまざま素材そざい製作せいさくされている。
たまかんざし
たまかんざし
もっともポピュラーなかんざしで、みみかきのついたかんざしにたまを1つしてあるだけのものをいう。当初とうしょ実用じつようであったみみかきは、そのデザインとしてのこされている。かざだまには様々さまざまなものがもちいられた。サンゴ、メノウ、ヒスイ、鼈甲べっこう象牙ぞうげ幕末ばくまつころにはギヤマン(硝子がらす)、大正たいしょうごろにはセルロイドなども登場とうじょうしている。かんざしのあしも1ほんあしと2ほんあしのものがある。京都きょうと花柳かりゅうかいでは普段ふだん珊瑚さんごだまし、翡翠かわせみだまなつもちいるしきたりがある。たまおおきいものほど若向わかむき。
チリカン
芸者げいしゃしゅなどがまえとしてもちいる金属きんぞくせいかんざしの1つ。あたまかざ部分ぶぶんがバネ(スプリング)でささえられているので、ゆらゆらとれるのが特徴とくちょうかざりがれてい、ちりちりとおとてることからこの名称めいしょうがある。かざりのしたがわには細長ほそながいたじょうのビラががっている。
ビラカン
ビラカン
おうぎ」(おうぎ)、「ひめがた」ともばれる金属きんぞくせいかんざしあたま部分ぶぶん扇子せんすのような形状けいじょうをしているものや、まるかたちのものがあり、家紋かもんされている。あたまひらたい部分ぶぶんまわりに、ぐるりと細長ほそながいたじょうのビラががっている。みみかきのない平打ひらうちに、ビラをつけたような形状けいじょう現代げんだい舞妓まいこもこれをもちい(芸妓げいぎになったら使用しようしない)、まえしにする。その場合ばあいみぎのこめかみあたりにビラカン、ひだりにはつまみかんざしをす。
松葉まつばかんざし
おも鼈甲べっこうなどを使つかったシンプルなかんざしで、全体ぜんたいのフォルムがまつのようになっているもの。関東かんとう吉原よしはら)の太夫たゆうようのかんざしセットのなかにもふくまれる。
よしちょう
「よしちょう」とむ。いわゆるみみかきだけの細長ほそながいかんざし。名称めいしょう由来ゆらい日本橋にほんばしよしまち現在げんざい人形にんぎょうまち一部いちぶ)の芸者げいしゃしゅ使つかったからともいわれるが不明ふめい素材そざい金属きんぞくせい鼈甲べっこう主流しゅりゅうであった。現在げんざいでは金属きんぞくやプラスチックせいのものがおおい。既婚きこん女性じょせいなどはひだりのこめかみあたりに1ほん、シンプルにしたようである。芸者げいしゃが2ほん以上いじょう着用ちゃくようゆるされなかったのにたいし、遊女ゆうじょおおくのきちひのとかみ装着そうちゃくしていたことで見分みわけることができる。表面ひょうめんりをほどこしたものやかざりのついたものも数多かずおおくあるが、当初とうしょ実用じつようであったみみかきはそのデザインとしてのこされている。ちなみにそのみみかきの形状けいじょうについて、関東かんとうではまるがた関西かんさいではかくがたのものを使つかったとされる。
びらびらかんざし
江戸えど時代じだい寛政かんせい年間ねんかん)に登場とうじょうした未婚みこん女性じょせいけのかんざし本体ほんたいからくさりなんほんがっていて、そのさきちょうとりなどのかざものがっている派手はでなもの。裕福ゆうふく商人しょうにんむすめなどが使つかったもので、既婚きこんしゃ婚約こんやくませたものはけない。天保てんぽうねんからさんねんごろには、京阪けいはん裕福ゆうふく家庭かていわか子女しじょあいだで、くさりななきゅうすじらしたさき硝子がらすかざものげた豪勢ごうせいなタイプが人気にんきはくしていたと記録きろくされている。本格ほんかくてき普及ふきゅうしたのは明治めいじ以降いこうである。ひだりのこめかみあたりに用途ようとのものとする。
つまみかんざし
つまみかんざし
ちいさくカットした四角しかくぬのりたたみ、ピンセットでつまんでのりをつけ、土台どだいにつけていき、幾重いくえにもかさねたりなどしてはな表現ひょうげんする。これをまとめてかんざしにしたものをつまみかんざしという。おおくははなをモチーフにしているので「花簪はなかんざし」ともいう。ぬの正絹しょうけん基本きほんで、かつては職人しょくにん自分じぶんめから手掛てがけていた。布製ぬのせいのためむかしのものはのこりにくい。そのあたりもはならしいといえる。現代げんだいでは舞妓まいこたちが使つかうほか、ななさん成人せいじんしきかみかざりとして使つかわれることがおおい。現在げんざいでは職人しょくにん減少げんしょう東京とうきょう伝統でんとう工芸こうげい江戸えどつまみかんざしとして登録とうろくされている。
鹿とめ
手絡てがらまげおさえたりかざるためのぬの鹿子絞こしぼりをほどこした縮緬ちりめん使つかわれる)をめるために使つかわれるみじかかんざし一般いっぱんてきかんざしとはぎゃくに、かざ部分ぶぶんたいしてかみ部分ぶぶん垂直すいちょくいている。舞妓まいこもちいるもので、こまかい細工ざいく銀製ぎんせいかプラチナせいだいにヒスイやコハクなどの宝石ほうせきをあしらったり、七宝しっぽうほどこすなどした非常ひじょう高価こうか芸術げいじゅつひんである。舞妓まいこ自分じぶん購入こうにゅうするものとうよりひいききゃくおくものである場合ばあいおおいが、どちらにせよ、彼女かのじょらの人気にんき客筋きゃくすじたしかさなどをあらわすバロメーターとなされる。舞妓まいこでも年少ねんしょうもの髪型かみがたれしのぶ」でもちいられ、2箇所かしょ本体ほんたい突起とっきまげまげささえる構造こうぞうとなっている。「れしのぶ」のまげ中心ちゅうしん装着そうちゃくする。
位置いちとめ
はし」とばれるヘアピースを固定こていするためのごくみじかかんざし
薬玉くすだま(くすだま)
つまみかんざしの一種いっしゅで、ぬのせい本来ほんらい正絹しょうけん)の花弁はなびらつくった薬玉くすだまのようなまるかたちかざりがいたかんざしじゅうだい少女しょうじょ使つかう。
だて
びんびん部分ぶぶんたてかんざしはりながい。団扇うちわしたなつよう団扇うちわかんざしなどが有名ゆうめいびんすようになった江戸えど中期ちゅうき以降いこうのもの。
りょうてんかんざし
かんざし本体ほんたいりょうはしたいになるかざりがついたかたちのもの。かざりは家紋かもんはななどがほとんどで、かなり裕福ゆうふく家庭かていわか女性じょせい少女しょうじょおももちいた。
銀製ぎんせいあおいかんざし
天保てんぽうななねんはちねんごろ江戸えど流行りゅうこうしたかんざしぎんたいらちでちいさなようあおいしたシンプルながらあいらしいデザインで、未婚みこんわか女性じょせいからわか遊女ゆうじょまでにもちいられた。
武蔵野むさしのかんざし
天保てんぽうじゅういちねんからじゅうねんのごくみじかあいだ流行りゅうこうした珍奇ちんきかんざし本体ほんたいたけせいとりはねかざりにもちいた。使用しようしゃ未婚みこんわか女性じょせいからわか遊女ゆうじょまでにおよぶが、おもな材質ざいしつたけとりはねだけというなさからか、一般いっぱんてき愛用あいようされた銀製ぎんせいかんざしのようにはかず、ちょっとしたイベントなどでじゃれですものであった。「武蔵野むさしの」の名称めいしょう由来ゆらい不明ふめいだが、とりはねすすき見立みたてたものだろうか。
江戸えどぎんかんざし
江戸えど時代じだい中期ちゅうき後半こうはんから明治めいじまで江戸えど東京とうきょう)でひろ愛用あいようされた銀製ぎんせいよんすん前後ぜんこうみじかめのかんざし初期しょきのタイプはながめですんからろくすんであったが、江戸えど後期こうきはいるとみじかめのものが主流しゅりゅうとなった。おおくはたまかんざしかざりには珊瑚さんご砂金さきんせきたま瓢箪ひょうたんなどをかざるのがおおい。また、かざかんざしともばれる平打ひらうちかんざしおな技法ぎほうでモチーフに趣向しゅこうらしたものもあり、優雅ゆうが花鳥風月かちょうふうげつにとどまらず、たわら団扇うちわなど身近みぢかにある器物きぶつ野菜やさいしょう動物どうぶつなどもモチーフになる。かざりのつかないものもふくまれる。本体ほんたいぎん無垢むく普通ふつうだが、江戸えど時代じだい後期こうきには上方かみがたふうきんメッキをほどこしたものも登場とうじょうした半分はんぶんぎんえる部分ぶぶんには赤銅しゃくどうかね象嵌ぞうがんほどこした華麗かれいなものもあった。ぎんかんざしというものの、真鍮しんちゅうてつのような卑金属ひきんぞくもちいたものもふくまれるが、ぎんほど一般いっぱんてきではない。かつてはそれなりにひろもちいられていた真鍮しんちゅうせいのもの江戸えど時代じだい後期こうきともなると野暮やぼきらわれ、江戸えどまいであればまずしい家庭かてい婦女ふじょといえどもにつけなかったといわれる。真鍮しんちゅうかんざしは、おも田舎いなかから出稼でかせぎにたばかりのわかまずしい女性じょせいたちが使つかっていた。ぎゃくてつかんざしは、一流いちりゅう職人しょくにんになる細工ざいくったものであれば、かえってぎんよりもいたかがやきがいきとされていきこのみの芸者げいしゃにもてはやされた。

つまみかんざし花簪はなかんざし[編集へんしゅう]

十一月じゅういちがつ紅葉こうよう花簪はなかんざし
十二月じゅうにがつのまねきかんざし

やや特殊とくしゅかんざしとしては、京都きょうと舞妓まいこ東京とうきょう半玉はんぎょくにつけるつまみかんざし花簪はなかんざし)がある。 はなきぬ羽二重はぶたえ水引みずひき細工ざいくつくられたいろあざやかなもので、舞妓まいこける花簪はなかんざしつきごとにまっており、四季しきうつわりを表現ひょうげんし、その舞妓まいこ芸歴げいれき趣味しゅみ反映はんえいさせる。 舞妓まいこになっていちねん未満みまんはなひとひとつがちいさく、かんざししたがる「ぶら」がいているが、ねん以降いこうはぶらがれる。年長ねんちょうになるほどはな大振おおぶりのものになっていく傾向けいこうがある。 現在げんざい舞妓まいこようかんざしは、京都きょうと八坂神社やさかじんじゃちかくの「金竹かねたけどうとうすうてんがけている。

顔見世かおみせ公演こうえんさい楽屋がくやたずねひいきの役者やくしゃかんざしの「まねき」に名前なまえれてもらうというならわしがある。

また、大相撲おおずもう観戦かんせんに「軍配ぐんばいがた」のかんざしすこともある。これも「まねき」同様どうようたて行司ぎょうじ名前なまえなどをいてもらう。

かみ各部かくぶかんざし名称めいしょう[編集へんしゅう]

花簪はなかんざしおんな山川やまかわ秀峰しゅうほうふで女性じょせい花簪はなかんざしが「ひめし」よこらしたかみが「愛嬌あいきょう」)
まえ
前髪まえがみりょうわき左右さゆうのこめかみあたり)にかんざしをこうぶ。びらかんざしぶりな花簪はなかんざしなど趣味しゅみてき小型こがたかんざし使用しようするが、実際じっさいすのは少女しょうじょ舞妓まいこなどがほとんど。れしのぶおふくまげなど少女しょうじょきのまげによくられる。関西かんさいなど一部いちぶ地域ちいきでは、これをよこしとび、まげまえくし位置いちかざ横長よこながかんざしまえしとぶ。
だて
びんまど(びんまど:びん上部じょうぶ)にてて装着そうちゃくするもの。
まげ
まげ前面ぜんめん根元ねもとかんざし平打ひらうちかんざしたまかんざしひめし、かざかんざしなどを使用しようしもっとも一般いっぱんてきかんざしかざ位置いち。ほとんどすべての日本髪にほんがみられる。笄をここにとおすときはちゅうぶ。
位置いちとめ
まげうえ装着そうちゃくする「はし」(細長ほそながいヘアピース)をめるもの。
まげ後方こうほう根元ねもとかんざし。笄や平打ひらうちかんざしなどを使用しよう現在げんざいもっと機会きかいがない位置いち銀杏返いちょうがえさきなどにられる。

きん現代げんだいかんざし[編集へんしゅう]

明治めいじ以降いこう洋髪ようはつ流行りゅうこうからかんざし西洋せいようかたちのものがあらわれた。

大正たいしょう初期しょきには束髪そくはつ流行りゅうこう洋風ようふう束髪そくはつようかんざしひろもちいられた[1]

現代げんだいでは和風わふうでありながら洋服ようふくなどにもうようなデザインがおおい。バラようランなどのようはな造花ぞうかがついたもの、プラスチックせいのジュエルパーツ(硝子がらすやプラスチックせい宝石ほうせきのイミテーション)などをあしらったものなどしん趣向しゅこう商品しょうひんくわえて、むかしながらのトンボだまなどの人気にんきたかい。

風俗ふうぞく文学ぶんがくじょうかんざし[編集へんしゅう]

平安へいあん時代じだいの『源氏物語げんじものがたり』には「かざし」「かんざし」と言葉ことばなん登場とうじょうするが、これは「挿頭かざし」(儀式ぎしきなどのさい参加さんかしゃかみにかざす植物しょくぶつのこと)「かみざし」(かみ様子ようす)のこと、またかみかざりの「かみし」はかみげのなどで前額ぜんがくくししているので混同こんどうしてはいけない。「かんざし」はかんむりはばこじ根元ねもとかられてかんむりめるもので当然とうぜん男性だんせいよう

つま謙遜けんそんして言葉ことば荊妻けいさい」はまずしくてかんざしがえずイバラえだかみをまとめるようなみすぼらしいつまという意味いみ中国ちゅうごくよんだい美女びじょ一人ひとり西にしほどこせ元々もともとたきぎりのむすめで、木製もくせいのかんざしと粗末そまつなスカートという姿すがたかわ洗濯せんたくをしていたところ見出みいだされたとされる。たとえまずしくともかみをまとめるかんざしは女性じょせいにとって最低限さいていげん必需ひつじゅひんであった。

中国ちゅうごく本来ほんらいの「かんざし」はもりはじめ白頭はくとうけばさらみじかく、渾べてかんざしかちえざらんとほっ詩句しくられるように男性だんせいかんじんかんむりめるために使つかったもので、しろきょえきの「長恨ちょうこん」のラストシーンで登場とうじょうする楊貴妃ようきひかねの「かんざし」は「釵」である。またふくむことからかるようにはりほんあり、れいとなった楊貴妃ようきひおもかみかざりをぷたつにして、現世げんせいのこされた皇帝こうていおく永遠えいえんあいちかう。

江戸えど時代じだい将軍しょうぐん大名だいみょう寝所ねどこでは女性じょせい普通ふつうかみろしている。べつ古風こふうのっとっているわけではなくて暗殺あんさつ防止ぼうしのための方策ほうさくであった。かんざし立派りっぱ武器ぶきであり、当然とうぜんにつけたまま寝所ねどこはいることはゆるされない。

武器ぶきとしてのかんざしは、琉球りゅうきゅう武術ぶじゅつ使用しようされているジーファーとばれるかんざしである。琉球りゅうきゅうではおとこおんなかんざしをしており、女性じょせい唯一ゆいいつ使つかうことのできる武器ぶきである。使つかかたとしては、おそわれたときにジーファーを相手あいてして、相手あいてがひるんだすきすというものがほとんどであるが、えにくいので暗殺あんさつようとしても使つかわれた。本土ほんどでも、江戸えど時代じだい初期しょきにおいて上方かみがたでは真鍮しんちゅうなどで製作せいさくされていたかんざしが、江戸えど武家ぶけ階級かいきゅうではよりかた金属きんぞくにとってわったのも、護身ごしん武器ぶきとしての効果こうかねらったためである。川柳せんりゅういわく:「かんざしも逆手さかててばおそろしい」

江戸えど時代じだい後期こうきになると、せんもなく太平たいへいながつづいていた。自然しぜん商業しょうぎょう中心ちゅうしんなかになり、商家しょうか財力ざいりょくおおきく、庶民しょみんでも様々さまざま娯楽ごらくひんれるようになる。その結果けっかくしやかんざしをかみかざ女性じょせいえていった。そのような一般人いっぱんじんとのちがいをせつけるためか、さい高級こうきゅう遊女ゆうじょである太夫たゆうクラスでは、くしは3まいかんざし、笄をあわせて20ほんもの鼈甲べっこうせいかみかざりをつけるにまでなった。絢爛けんらん豪華ごうかかみかざりは「くびからうえ価値かちいえいちけん」とわれ、ひいききゃくからのおくものであった。鼈甲べっこうでもはん透明とうめい黄色おうしょく斑点はんてんのないものがもっと高価こうかで、その部分ぶぶんのものをとくしろまたは白甲はっこうしろこうぶ。

ちなみに太夫たゆうようぞろいは、江戸えど吉原よしわらふうならばくし3まいたまかんざしと松葉まつばかく2ほんずつ、笄(ぼう)1ほんよしひのとを12ほんとなる(これ以外いがいまげうしろにつけるひもかざりなどがある)。京都きょうと島原しまばらふうならくし3まい、笄(ぼう)1ほん平打ひらうちを6 - 12ほんなががりのついたびらびらかんざしを2ほん花簪はなかんざし1ほん勝山かつやま(つまみかんざしおおきいもの)などとなる(これ以外いがいまげまわりにつけるかのなどがある)。

余談よだんだが、江戸えど力士りきしなかには話題わだいせいねらって遊女ゆうじょのようにまいくしにつけていたかわだねもいたという。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h 沼津ぬまづ歴史れきし民俗みんぞく資料しりょうかん資料しりょうかんだより vol.36 No.4 (PDF) 沼津ぬまづ歴史れきし民俗みんぞく資料しりょうかん、2019ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d 日本にっぽんわざ文化ぶんか見聞けんぶんじゅく (PDF) 日本にっぽん職人しょくにん名工めいこうかい、2019ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f 冠婚葬祭かんこんそうさいまめ知識ちしき 花嫁はなよめ (PDF) 一般いっぱん財団ざいだん法人ほうじん東海とうかい冠婚葬祭かんこんそうさい産業さんぎょう振興しんこうセンター、2019ねん10がつ1にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]