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長恨ちょうこん

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『唐詩三百首』中の長恨歌
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唐詩とうしさんひゃくしゅちゅう長恨ちょうこん

長恨ちょうこん」(ちょうごんか)は、中国ちゅうごくとう詩人しじんしろきょえきによってつくられた長編ちょうへん漢詩かんしである。ちんひろし長恨ちょうこんでんによれば、しろきょえきちんひろしおうただしおっとさんにん仙遊せんゆうてらあつまり、とうだいげんむね皇帝こうてい楊貴妃ようきひのエピソードをかた感嘆かんたんしたさいおうただしおっとが「おっと希代きたいことは、出世しゅっせざいこれ潤色じゅんしょくするに遭ふにずんば、のりけしぼっし、こえず。楽天らくてんふかく、じょうおおものなり。こころみにためこれうたはば、如何いかと。」(「にも奇妙きみょう出来事できごとは、一代いちだい傑出けっしゅつした才人さいじん潤色じゅんしょくされるのでなければ、ときとも消滅しょうめつしてしまって、なかつたわらなくなってしまう。楽天らくてんきみ造詣ぞうけいふかく、じょうゆたかなひとだ。こころみにこの出来事できごとうたつくっててはどうか」という)とわれたことをきっかけに、「長恨ちょうこん」をつくったとかれている[1]。『源氏物語げんじものがたり』をはじめ平安へいあん時代じだい日本にっぽん文学ぶんがくにも多大ただい影響えいきょうあたえた。806ねん元和がんわ元年がんねん)、しろきょえきが35さい盩厔けんじょうであったときさく七言しちごん古詩こしうたぎょうともう)(120)。

あらすじ

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かんおう長年ながねん美女びじょもとめてきたが満足まんぞくしえず、ついに楊家のむすめれた。それ以来いらいおう彼女かのじょにのめりこんで政治せいじわすれたばかりでなく、その縁者えんじゃ次々つぎつぎ高位こういげる。

その有様ありさま反乱はんらん安史やすしらん)がき、おう宮殿きゅうでんす。しかし楊貴妃ようきひをよくおもわないへいうごかず、とうとうおうへいをなだめるために楊貴妃ようきひ殺害さつがい許可きょかする羽目はめになる。

反乱はんらんおさまるとおうもどったが、楊貴妃ようきひなつかしくおもすばかりでうつうつとしてたのしまない。道士どうしじゅつ使つかって楊貴妃ようきひたましいさがもとめ、苦労くろうすえ、ようやく仙界せんかいにて、いまふとししん名乗なの彼女かのじょつけす。

ふとししん道士どうしに、おうとのおもしなとメッセージをことづける。それは「てんにあっては比翼ひよくとり[ちゅう 1]のように」「にあっては連理れんりえだ[ちゅう 2]のように」、かつて永遠えいえんあいちかったおも言葉ことばだった。

内容ないよう

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漢文かんぶん おろ 現代げんだいやく
かんすめらぎじゅうしょくおもえ傾国けいこく かんすめらぎしょくおもんじて傾国けいこくけいこくおも かん皇帝こうてい女色じょしょく重視じゅうし絶世ぜっせい美女びじょのぞんでいた
御宇ぎょう多年たねんもとめとく ぎょ多年たねんもとむれども 天下てんか統治とうちあいだ長年ながねんわたもとめていたがられなかった
楊家ゆうおんなはつ長成ちょうせい 楊家ようかおんなむすめはじめて長成ちょうせい 楊家にようやくいち人前にんまえになるむすめがいた
やしなえざいふかねやじん やしなえはれてふかねやしんけいじんいまらず 深窓しんそう令嬢れいじょうとしてそだてられ、だれにもられていない
天生あもう麗質れいしつなん自棄じき 天生あもう麗質れいしつみずかがた まれつきのうつくしさはうずもれることはなく
一朝いっちょうせんざい君王くんのうがわ 一朝いっちょうえらばれて君王くんのうがわかたわら あるえらばれて、おうのそばにがった
迴眸一笑いっしょうひゃくこびせい ひとみひとみめぐらして一笑いっしょうすればひゃくこびひゃくびしょう 視線しせんめぐらせて微笑ほほえめば、そのあでやかさはかぎりない
ろくみや粉黛ふんたい顔色かおいろ ろくみやりくきゅう粉黛ふんたいふんたい顔色かおいろがんしょく 宮中きゅうちゅうおく御殿ごてんにいる女官にょかんたちはいろあせてえた
春寒しゅんかんたまものよくはな清池しょうげ 春寒しゅんかんうしてよくよくたまものはなきよしかせいいけ 彼女かのじょは)はるまださむころはなきよし温泉おんせんたまわった
温泉おんせんすいすべりあらい凝脂ぎょうし 温泉おんせんすいなめらかにして凝脂ぎょうしぎょうしあらい 温泉おんせんみずなめらかで、きめこまかなしろはだあら
さむらい扶起嬌無りょく さむらいしじたすこせばきょうとしてちから 侍女じじょたすこすと、なまめかしくちからがない
はじめしんうけたまわ恩沢おんたく はじめてこれあらたに恩沢おんたくおんたくうけたまわくるとき こうしてはじめて皇帝こうてい寵愛ちょうあいけたのである
くもびんはながおきむあゆみゆら くもびんはながおきむあゆみゆらうんびんかがんきんぽよう くものようにやわらかなかみはなのようなかおあるくとれる黄金おうごん珠玉しゅぎょくつくられたかんざし
芙蓉ふようちょうだん春宵しゅんしょう 芙蓉ふようとばりとばりあたたかにして春宵しゅんしょうしゅんしょうわた 芙蓉ふようはなめた寝台しんだいとばりあたたかく、はるよいごす
春宵しゅんしょうたん日高ひだかおこり 春宵しゅんしょうはなはみじかたかうしておこり はるよいみじかことなやみ、にちたかくなってからがる
したがえ此君おう早朝そうちょう したがえ君王くんのう早朝そうちょうせず このときからおう早朝そうちょう政務せいむをやめてしまった
うけたまわ歓侍えん閑暇かんか 歓をうけたまわえんさむらいして閑暇かんかかんか 皇帝こうていしんにかない、うたげではかたわらにはべひまがない
はるしたがえはるゆうよるせんよる はるはるゆうしたがよるよるせんらにす はるにははるあそびにしたがい、よる皇帝こうていのおそば独占どくせんする
後宮こうきゅう佳麗かれいさんせんにん 後宮こうきゅう佳麗かれいさんせんにん 後宮こうきゅうにはさんせんにん美女びじょがいるが
さんせん寵愛ちょうあいざい一身いっしん さんせん寵愛ちょうあい一身いっしん さんせんにんぶん寵愛ちょうあい一身いっしんけている
金屋かなや粧成嬌侍よる 金屋かなやきんおくよそおってきょうとしてよる 黄金おうごん御殿ごてん化粧けしょうをすまし、なまめかしくよるをともにする
玉楼ぎょくろうえんやめよい和春かずはる 玉楼ぎょくろうえんやめんでうてはる 玉楼ぎょくろうでのうたげがやむと、はるのような気分きぶん
姉妹しまいおとうとけいみなれつ 姉妹しまいおとうとけいしまいていけいみなれつつら 姉妹しまい兄弟きょうだいはみな諸侯しょこうとなり
可憐かれん光彩こうさいせい門戸もんこ あわれ光彩こうさい門戸もんこしょうずるを うらやましくも、一門いちもんうつくしくかがや
とげれい天下てんか父母ちちははこころ つい天下てんか父母ちちははしんをして ついには天下てんかおやたちのしん
重生しぎょうおとこ重生しぎょうおんな おとこむをおもんぜずおんなむをおもんぜしむ 男児だんじより女児じょじ誕生たんじょうよろこぶようになった
驪宮だかしょにゅう青雲せいうん 驪宮りきゅうたか青雲せいうんはい 驪山はな清宮きよみやくもかくれるほどたか
せんらくふう飄処しょ せんらくせんがくふうひるがえりてしょしょ々にこゆ このものともおもえぬうつくしい音楽おんがくふうに飄りあちこちからこえる
なるうた慢舞しこり糸竹いとたけ なるうた慢舞かんかまんぶ糸竹いとたけしちくしこりらし のどやかな調しらべ、ゆるやかなまい姿すがた楽器がっき音色ねいろうつくしく
尽日じんじつ君王くんのう不足ふそく 尽日じんじつじんじつ君王くんのうれどもらず 皇帝こうてい終日しゅうじつてもきることがないそのときに
りょう鼓動こどうらい りょうぎょよう鞞鼓へいこうごかしてたり りょう進軍しんぐん太鼓たいこるがしてせま
おどろきやぶ霓裳羽衣はごろもきょく おどろきやぶきょうは霓裳羽衣はごろもげいしょうういきょく 霓裳羽衣はごろもきょくたのしむ日々ひびおどろかす
九重城闕煙塵生 九重ここのえきゅうちょうしろじょうけつけむりちりしょう 宮殿きゅうでんもんにはけむり粉塵ふんじんのぼ
せんじょうまん西南せいなんぎょう せんじょうまん西南せいなん へいしゃ兵馬へいば大軍たいぐん西南せいなん目指めざ
みどりはなゆらゆらぎょうふくどめ みどりはなすいかゆら々としてきてふくまり カワセミのはねかざった皇帝こうていはたは、ゆらゆらとすすんではまる
西出にしでもんひゃくあまりさと 西にしのかたもんずることひゃくあまりさと もん西にしひゃくあまりさと
ろくぐん不発ふはつ奈何いかん ろくぐんはつせず奈何いかんいかんともする 軍隊ぐんたいすすまず、どうにもできない
あててん蛾眉がびまえ あててんたる蛾眉がびがびうままえ うつくしいまゆ美女びじょは、うままえいのちうしなった
はな鈿委無人むじんおさむ はなかでんくわしてひとおさむむる 螺鈿らでん細工ざいくのかんざしは地面じめんちたままで、ひろげるひとはいない
みどり翹金すずめだま搔頭 みどりすいぎょうきむすずめきんじゃくたま搔頭ぎょくそうとう カワセミはねかみかざりも、孔雀くじゃくかたちをした黄金おうごんのかんざしも、ちたまま
君王くんのう掩面すくいとく 君王くんのうめんおほひてすくい 君王くんのうかおおおうばかりで、すくうこともできない
迴看血涙けつるいしょうりゅう かえ血涙けつるいしょうしてながれ かえっては、なみだながした
ほこり散漫さんまんふうしょうさく ほこりこうあい散漫さんまんさんまんふうかぜしょうさくしょうさく 土埃つちぼこりい、ふう物寂ものさびしくつけ
くも桟縈紆登けんかく くも桟縈紆うんさんえいうけんかくけんかくのぼ くもかかほどたかはしは、うね々とまがうねり、けんかくやまのぼっていく
峨眉山がびさんしょうひとぎょう 峨眉山がびさんがびさんげひとくことすくなまれ 峨眉山がびさんのふもとは、道行みちゆひとすくない
旌旗せいきひかりしょくうす 旌旗せいきせいきひかりいろうす 皇帝こうてい所在しょざいしめ旌旗せいきかがやきをうしない、にちひかり弱々よわよわしい
しょくすいあおしょくさんあお しょくしょくこうみずあおみどりにしてしょくさんしょくざんあお しょくみずふか緑色みどりいろち、しょくやま青々あおあおしげるも
せいあるじあさ朝暮ちょうぼ暮情ぼじょう せいあるじせいしゅあさちょうくれ々のじょう 皇帝こうていあさ日暮ひぐれも(彼女かのじょを)おもつづける
行宮あんぐうつき傷心しょうしんしょく 行宮あんぐうあんぐうつきれば傷心しょうしんいろ かり宮殿きゅうでんつきればしんいた
よるあめ聞鈴ちょうだんごえ よるあめやうすずけばちょうだんちょうだんこえ あめよるすずおとけば断腸だんちょうおも
てん旋日てん迴竜馭 てんめぐにちてんじてりゅうりゅうぎょめぐらし 天下てんか情勢じょうせいおおきくわり、皇帝こうていくるまへとかう
いた躊躇ちゅうちょ不能ふのう 此にいたりて躊躇ちゅうちょちゅうちょしてのうあたはず ここにいたって、しんいたることができない
うま嵬坡泥土でいどちゅう うま嵬坡ばかいはか泥土でいどでいどなかうち うま土手どてしたどろなか
だまがおそら死処しにどころ たまがおそらむなしくせるしょところ たまのようなうつくしいかおることはない むなしくんだところ
君臣くんしんしょう顧尽霑衣 君臣くんしんそうあいかえりみてつきことごところもころもうるほす 君臣くんしんたがいに見合みあい、たびころもなみだ湿しめらす
あずま望都もとかどしん ひがしのかたもんのぞしんまかせてかえ ひがしもんのぞみながら、うままかせてかえっていく
帰来きらいえんみなきゅう かえたればいけえんちえんみなきゅう かえってると、いけにわみなもとのまま
ふとしえき芙蓉ふよう未央柳びようやなぎ ふとしえきたいえき芙蓉ふよう未央みおびおうやなぎ ふとしえき芙蓉ふよう未央みおみややなぎ
芙蓉ふよう如面やなぎ如眉 芙蓉ふようめんごとやなぎまゆごと 芙蓉ふようは(彼女かのじょの)かおのよう、やなぎまゆのよう
たい此如なんなみだたれ 此にたいして如何いかいかんなみだれざらん これをて、どうしてなみだをながさずにおられようか
春風しゅんぷう桃李とうりはなひらけよる 春風しゅんぷう桃李とうり花開はなひらよる はるふうももはなひらよる
秋雨あきさめ梧桐あおぎり落時 秋雨あきさめ梧桐あおぎりごどうつるとき あきあめ梧桐あおぎり(あおぎり)のちるとき
西宮にしのみやみなみえん秋草あきくさ 西宮にしのみやみなみえん秋草あきくさしゅうそうおお 西にし宮殿きゅうでんみなみ庭園ていえんには、秋草あきくさしげ
みやようまんかいべに みやようかいちてべにはらはず 落葉らくようかいあかめてもひとはいない
梨園りえん弟子でし白髪はくはつしん 梨園りえん弟子でしていし白髪はくはつあらたに 梨園りえんげんむね養成ようせいした歌舞かぶだん)の弟子でしたちも、白髪はくはつ目立めだ
はじかみぼうおもねかんあお娥老 はじかみぼうしょうぼうおもねかんあかんあおせいがいたり はじかみぼう皇后こうごう居室きょしつ)のおもねかんみやおんなまる女官にょかん)も、そのうつくしい容貌ようぼういてしまった
ゆう殿どのぼたるおもえ悄然しょうぜん ゆう殿どのぼたるんでおも悄然しょうぜんしょうぜん 夕方ゆうがた宮殿きゅうでんぼたるんで、物思ものおもいはかなしく
孤灯ことう挑尽未成みせいねむ 孤灯ことうかかくすもいまねむりをさず ひとつのかりをともしくしてもまだねむれない
遅遅ちち鐘鼓しょうこはつ長夜ちょうや 遅々ちちたる鐘鼓しょうこしょうこはじめてながよる どきげるかね太鼓たいこくにつけ、よるぎるのがはじめてながかんじられる
耿耿ぼしかわよくあけぼのてん こう々たるほしかわあけぼのけんとほっするのてん そらかわかがやきはかすかとなり、そらけようとしている
鴛鴦えんおうかわらひやしもはなしげる 鴛鴦えんおうえんおうかわらややかにしてしもはなそうかおも 鴛鴦えんおうかわらややかで、しもかさなり
翡翠かわせみふすまさむだれあずかとも 翡翠かわせみひすいふすまふすまさむくしてだれあずかともともにせん 翡翠かわせみふすま寒々さむざむしく、いっしょにひとはいない
悠悠ゆうゆう生死せいしべつ経年けいねん ゆうゆう々たる生死せいしわかれてとしたり 楊貴妃ようきひと)生死せいしかっていく年月としつき
魂魄こんぱく曾来にゅうゆめ 魂魄こんぱくこんぱくかつたりてゆめにもはいらず 楊貴妃ようきひの)たましいゆめにもない
臨邛道士どうしおおとりきゃく 臨邛りんきょう道士どうしおおとりこうときゃく (このとき)臨邛道士どうし長安ながやすおとずれていた
のう以精まこと魂魄こんぱく のうせいまこともっ魂魄こんぱくこんぱくいた 真心まごころめた念力ねんりきで、たましいまねせられるという
ためかん君王くんのうてんうたておもえ 君王くんのうてんてんおもひにかんずるがため ねむれなくなん寝返ねがえりをつほどの君王くんのう思慕しぼじょうおも
とげきょうかたいんつとむ ついかたをしていんつとむいんぎんもときょう かたに(楊貴妃ようきひを)ねんごろにさがもとめさせた
はいそら馭気奔如でん そらはいぎょしてはしることでんいなづまごと 大空おおぞらけ、大気たいきり、かみなりのごとくはしりめぐる
昇天しょうてん入地いりじもとめあまね てんのぼはいりてこれもとむることあまねあまね てんのぼり、はいって、くまなくさがもとめる
うえきゅう碧落へきらく黄泉よみ うえ碧落へきらくへきらくきわしたしも黄泉よみこうせん うえ青空あおぞらきわめ、したそこまでさがしたが
りょうしょ茫茫ぼうぼうみな りょうしょぼう々としてみなへず どちらも広々ひろびろとしているだけで、姿すがたあたらない
ゆるがせ聞海じょうゆう仙山せんのやま ゆるがせたちま海上かいじょう仙山せんのやまりと にわかいたところによると、海上かいじょう仙山せんのやまがあるという
やまざい虚無きょむ縹緲ひょうびょうあいだ やま虚無きょむ縹緲ひょうびょうきょむひょうびょうあいだ そのやまなにぶつ存在そんざいしないとおかすかなあたりにあった
楼閣ろうかく玲瓏れいろうくもおこり 楼閣ろうかく玲瓏れいろうろうかくれいろうとしてくもこり 楼閣ろうかくとおるようにうつくしく、五色ごしきくもがっている
其中綽約仙子せんこ なかうち綽約しゃくやくとして仙子せんこおお そのなかわかうつくしい仙女せんにょがたくさんいた
中有ちゅうういちにんふとししん なか一人ひとりあざなふとししんたいしん 其内の一人ひとりに、ふとししんという女性じょせいがいた
ゆきはだはな貌参 ゆきはだはなせっぷかぼう参差しんししんしとしてれなり ゆきのようなはだはなのような容貌ようぼう楊貴妃ようきひほとんどそっくりである
きむ闕西ひさし叩玉扃 きむきんけつ西にしひさしせいしょうたまぎょくけいはた 黄金おうごんづくりの御殿ごてん西側にしがわ建物たてものおとずれ、たまかざられたとびらはた
うたてきょう小玉こだまほうそうなり てんじて小玉こだまをしてそうなりほうきょう 小玉こだまたのんで(楊貴妃ようきひ腰元こしもとである)そうなりに(自分じぶんたことを)つたえてもらう
聞道きくならくかん天子てんし使 みちならかん天子てんし使つかいひなりと けば、かん天子てんし使つかいであるという
九華帳裏夢魂驚 九華きゅうかきゅうかとばりうらちょうりゆめたましいむこんおどろ 華麗かれい刺繍ししゅうとばりなかで、ゆめているたましいおどろ目覚めざめる
攬衣推枕おこり徘徊はいかい ころもまくらしておこりちて徘徊はいかいはいかい 衣装いしょうまとい、まくらしやって、してさまよいある
たまはくぎんへい邐迤ひらく たまはくしゅはくぎんへいぎんぺい邐迤りいとしてひら 真珠しんじゅすだれぎん屏風びょうぶが、次々つぎつぎひらかれていく
くもびんはんへんしんねむさとし くもびんうんびんなかかたよりてあらたにねむねむりより くものようなびんはなかばかたよって、目覚めざめたばかりの様子ようす
花冠かかん不整ふせいどうらい 花冠かかんせいへずどうくだたる はなかんむりととのえないまま、どうりて
風吹ふぶきせんたもと飄颻きょ ふうせんたもとせんべいを吹ひて飄颻ひょうようとしてがり ふうき、仙女せんにょたもとはひろひらとがる
なお霓裳羽衣はごろもまい なお霓裳げいしょう羽衣はごろもまいたり まるで霓裳羽衣はごろもまいのよう
たまよう寂寞せきばくなみだたけなわ たまよう寂寞せきばくぎょくようせきばくとしてなみだたけなわらんかん たまのような容貌ようぼうはさびしげで、なみだがはらはらとこぼれる
梨花りか一枝いちえだ春帯はるおび 梨花りか一枝かずえりかいっし春雨はるさめはるあめおび 一枝いちえだなしはなはるあめたれるよう
含情しこり睇謝君王くんのう じょうふくひとみらして君王くんのうしゃ おもいをめてじっとつめ、君王くんのう謝辞しゃじべる
いちべつ音容おんようりょう渺茫びょうぼう いちべついちべつ音容おんようおんようりょうふたつながら渺茫びょうぼうびょうぼうたり わか以来いらいこえ姿すがたもともにはるかにとおざかり
あきらよう殿どのうら恩愛おんあいぜっ あきらよう殿どのうらしょうようでんり恩愛おんあいおんあいぜっ あきらよう殿どのでの寵愛ちょうあい
よもぎ萊宮中日ちゅうにちがつちょう よもぎほうらい宮中きゅうちゅう日月じつげつじつげつなが よもぎ萊宮のなかごした月日つきひながくなった
迴頭もちじん寰処 あたまこうべめぐらしてしたしもひとじんかんしょところのぞめば あたまをめぐらせ、はるか人間にんげんかいのぞめば
見長みなが安見やすみちりきり 長安ながやすずしてちりきりじんむ 長安ながやすえず、ちりきりひろがっている
ただはた旧物きゅうぶつひょうふかじょう ただ旧物きゅうぶつはたもっふかじょうあらわさんと おもしなで、ただふかじょうしめしたいと
鈿合きん釵寄はた 鈿合きんでんごうきんさいはたらしむ 螺鈿らでん細工ざいくしょうはこ黄金おうごんかんざしを、あづってかせる
釵留いちまた合一ごういつおうぎ さいいちまたいっことめとどごうごういちおうぎいっせん かんざし片方かたがたあしと、しょうはこの(ぶた本体ほんたいの)一方いっぽうのこ
釵擘黄金おうごんごうぶん 釵は黄金おうごんあいは鈿をかつ かんざしは黄金おうごんき、しょうはこ螺鈿らでんかつ
ただしれいしんきん鈿堅 ただししんをしてきむ鈿のかたきにれい かね螺鈿らでんのようにしんかたくさせれば
天上てんじょう人間にんげんかいしょう 天上てんじょう人間にんげんてんじょうじんかんかいかならあいまみえんと 天上てんじょう人間にんげんかいわかれたふたりも、かならうことができるでしょう
臨別いんつとむじゅうよせ わかれにのぞんでいんつとむいんぎんかさねてことばよせ わかれにあたっては、丁寧ていねいかさねて言葉ことばおく
中有ちゅううちかいりょうしん ちゅうしちゅうちかいりょうしんのみ 言葉ことばなかにふたり(皇帝こうてい楊貴妃ようきひ)だけにかる言葉ことばがあった
なながつななにち長生ながお殿どの なながつななにち長生ながお殿どのちょうせいでん なながつななにち長生ながお殿どの
夜半やはん無人むじん私語しご 夜半やはんやはんひと私語しごとき だれもいない夜中よなかしたしくかたったとき(の言葉ことばである)
在天ざいてんねがいさく比翼ひよくとり てんりてはねがいはくは比翼ひよくひよくとりさく てんにあっては、ねがわくは比翼ひよくとりとなり
在地ざいちねがいため連理れんりえだ りてはねがいはくは連理れんりれんりえだためらんと にあっては、ねがわくは連理れんりえだとなりたい
天長地久てんちょうちきゅうゆうつき てんながひさしきもときりてことごとくとも 天地てんちはいつまでもわらないが、いつかはきるときがある
此恨綿綿めんめんぜっ 此のうら綿めんめん々としてぜっゆるのときからん しかしこのかなしみは綿々めんめんと、いつまでもえることがないだろう

史実しじつとの相違そうい

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  • ちゅうではげんむね楊貴妃ようきひ直接ちょくせつ叙述じょじゅつするのではなく、かんたけみかど夫人ふじん物語ものがたりえている。これはげん王朝おうちょう遠慮えんりょしてのこととする見解けんかいがある[ちゅう 3]
  • 楊貴妃ようきひはそもそもはげんむね一人ひとり寿ことぶきおうであった。『しんとうしょげんそうおさむによれば、げんむね息子むすこつま自分じぶんのものとするため、いったん彼女かのじょおんな道士どうしにして、息子むすことのえんったのち後宮こうきゅうむかえている。ふとししん楊貴妃ようきひ道士どうし時代じだいである。

楊貴妃ようきひよし

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  • 温泉おんせんすいすべりあらい凝脂ぎょうし」「ゆきはだ」 - 温泉おんせんみずがなめらかに凝脂ぎょうしあらう、と表現ひょうげんされるように、むっちりとしたしろはだぬしだった。
  • くもびんはながお」「はな貌」「芙蓉ふよう如面やなぎ如眉」 - ふんわりとしたかみぎわ芙蓉ふようはなのようなかおだち、やなぎのようなほっそりとしたまゆ、などかおのパーツも重要じゅうようであったようだ。
  • さむらい扶起嬌無りょく」「きむあゆみゆら」 - 侍女じじょたすこされてもぐったり、あるくにれてかんざしがしゃらしゃらとれる、といったかんじで、きたそうごろから流行りゅうこうしだした纏足てんそくという習慣しゅうかんにもられるように、いかにもなよなよとしたたよりなげな様子ようす女性じょせいらしいしぐさとしてあいされたらしい。

日本にっぽん文学ぶんがくへの影響えいきょう

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長恨ちょうこん主題しゅだい

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長恨ちょうこん主題しゅだい長年ながねんわたって議論ぎろんされつづけており、おもみだれをふせぐための「諷諭ふうゆ」、げんむね楊貴妃ようきひへのあい中心ちゅうしんとした「愛情あいじょう」のどちらかが主題しゅだいではないかとわれている。『長恨ちょうこん』を伝記でんき仕立したてたというちんひろしの『長恨ちょうこんでん』では、「しゃただしことかんずるのみならず、尤物ゆうぶつらし、らんかいふさぎ、將來しょうらいたれらんとほっするならん」(おもうに長恨ちょうこんは、げんむね皇帝こうてい楊貴妃ようきひ事柄ことがら感動かんどうしただけではなく、わざわいいをおよぼしかねない絶世ぜっせい美女びじょらしめ、なかみだれを未然みぜん防止ぼうしし、将来しょうらいけていましめをしめそうという意図いともあったという[1]と『長恨ちょうこん』を「諷諭ふうゆ」としてんでいる。

日本にっぽんでは、「愛情あいじょう」を主題しゅだいとするのが、共通きょうつう理解りかいとなっている。中国ちゅうごくでは政治せいじ基準きじゅんにして、文芸ぶんげい作品さくひん価値かちかんがえる伝統でんとうから「諷諭ふうゆせつ」がかなり根強ねづよかったが、最近さいきんでは「愛情あいじょう」をうたったものだというせつ優勢ゆうせいになりつつあるという[3]

注解ちゅうかい

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 比翼ひよくとり」とは、雌雄しゆう2からだ片方かたがたずつがくっついて、1になったとりである。おたがいのわせないとぶこともできない。「連理れんりえだ同様どうようなかのよい様子ようすたとえに使つかわれる。
  2. ^ 連理れんりえだ」とは、地上ちじょうからえた2ほんえだが、1つにくっついている様子ようすあらわす。「比翼ひよくとり同様どうようなかのよい様子ようすたとえに使つかわれる。
  3. ^ 中国ちゅうごく文学ぶんがくしゃ川合かわい康三やすぞうは、著書ちょしょ白楽はくらくたかしかんかくれのはざまで』(岩波いわなみ新書しんしょ2010ねん)において、しろきょえき同時どうじつくられたちんひろし伝奇でんきしょ長恨ちょうこんでん[2]が、冒頭ぼうとうで「げんむね」と直接ちょくせつしるしてあることから、この見解けんかいあきらかなあやまりであると持論じろん展開てんかいしている。しかし、当時とうじしろきょえきちんひろし政治せいじてき立場たちばかんがかたちがうため、“この見解けんかいあきらかなあやまり”とまではえないとの指摘してきもある。

出典しゅってん

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  1. ^ a b はく文集ぶんしゅう明治めいじ書院しょいん新釈しんしゃく漢文かんぶん大系たいけい〉、2007ねんISBN 9784625673139 
  2. ^ 長恨ちょうこんでん - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション
  3. ^ しも定雅ていがひろし長恨ちょうこん 楊貴妃ようきひ魅力みりょく魔力まりょくつとむまこと出版しゅっぱん、2011ねんISBN 9784585290117 

関連かんれん項目こうもく

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