うつくしくあおきドナウ

この記事は良質な記事に選ばれています
出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
うつくしくあおきドナウ』
ドイツ: An der schönen, blauen Donau
ピアノ初版しょはん表紙ひょうし(C.A.シュピーナしゃ出版しゅっぱん
ジャンル ウィンナ・ワルツ
作曲さっきょくしゃ ヨハン・シュトラウス2せい
作品さくひん番号ばんごう op.314
初演しょえん 1867ねん2がつ15にち合唱がっしょうばん
1867ねん3がつ10日とおか管弦楽かんげんがくばん
音楽おんがく音声おんせい外部がいぶリンク
全曲ぜんきょく試聴しちょうする
An der schönen blauen Donau - ズービン・メータ指揮しきウィーン・フィルハーモニー管弦楽かんげんがくだんによる演奏えんそう。「EuroArtsChannel」公式こうしきYouTube。

うつくしくあおきドナウ』(うつくしくあおきドナウ、ドイツ: An der schönen, blauen Donau作品さくひん314は、ヨハン・シュトラウス2せい1867ねん作曲さっきょくした合唱がっしょうようウィンナ・ワルツ

ウィーンのもり物語ものがたり』と『皇帝こうてい円舞曲えんぶきょく』とともにシュトラウス2せいの「さんだいワルツ」にかぞえられ[1]、そのなかでももっと人気にんきたか[注釈ちゅうしゃく 1]作曲さっきょくしゃおよびウィンナ・ワルツの代名詞だいめいしともいわれる作品さくひんである。オーストリアにおいては、正式せいしきなものではないが帝政ていせい時代じだいから現在げんざいいたるまで「だい国歌こっか」とばれている[2]

邦題ほうだい[編集へんしゅう]

うつくあおきドナウ』とも表記ひょうきされ、また「あお」ではなく「あお」という漢字かんじもちいることがある。とう記事きじでは『ヨハン・シュトラウス2せい作品さくひん目録もくろく』(日本にっぽんヨハン・シュトラウス協会きょうかい2006ねん記載きさいの『うつくしくあおきドナウ』にしたがう。オーストリアではたんに『ドナウ・ワルツ』(Donauwalzer[3]、Donau-Walzer[4][注釈ちゅうしゃく 2])とばれることもおお[7]

ちなみに、『うつくしくあおきドナウ』という邦題ほうだいは、原題げんだい「An der schönen, blauen Donau」のうちの「An(英語えいごby相当そうとう)」を無視むししたもので、正確せいかくやくすと『うつくしくあおきドナウのほとりに[8][9]』といっただいになる。原題げんだいことなる邦題ほうだい定着ていちゃくしているのは日本にっぽんだけではなく、たとえば英語えいごけんでは『The Blue Danube(あおきドナウ)』となっている。

作曲さっきょく経緯けいい[編集へんしゅう]

1865ねん初頭しょとう、シュトラウス2せいは、ウィーン男声だんせい合唱がっしょう協会きょうかいドイツばんから協会きょうかいのために特別とくべつ合唱がっしょうきょくつくってくれと依頼いらいされた。このときシュトラウス2せいことわったが、つぎのように約束やくそくした。

いまはできないことのわせを、まだきていればのはなしですが、来年らいねんにはしたいと、ここでお約束やくそくします。尊敬そんけいすべき協会きょうかいのためなら、特製とくせい新曲しんきょく提供ていきょうすることなど、おやすい御用ごようです[10]

約束やくそく1866ねん新曲しんきょく提供ていきょうはされなかったが、シュトラウス2せい合唱がっしょうようのワルツのための主題しゅだいのいくつかをスケッチしはじめた[10]1867ねん、シュトラウス2せいにとってはじめての合唱がっしょうようのワルツが、完成かんせいではあったが協会きょうかいにようやく提供ていきょうされた。シュトラウス2せいはまず伴奏ばんそうよん合唱がっしょうわたしておいたが、そのいそいでいたピアノ伴奏ばんそうつぎのおびの言葉ことばとともにさらにおくった[10]

きたなはしきでおそります。さんふんえないといけなかったものですから。ヨハン・シュトラウス[10]

シュトラウス2せいからピアノ伴奏ばんそう協会きょうかい送付そうふされてきたとき、このきょくにはよっつのしょうワルツがワンセットになっていて、それに序奏じょそうみじかコーダいていた[10]。このよっつのしょうワルツとコーダに歌詞かしけたのは、アマチュアの詩人しじんであるヨーゼフ・ヴァイルドイツばんという協会きょうかい関係かんけいしゃであった[11]歌詞かしける作業さぎょう一筋縄ひとすじなわではいかなかった。ヴァイルがよっつのしょうワルツにすでに歌詞かしせたのちで、シュトラウス2せいがさらに番目ばんめしょうワルツをつくったからである。シュトラウス2せいはヴァイルによん番目ばんめ歌詞かしえと、番目ばんめしょうワルツの歌詞かし、コーダの歌詞かし改訂かいてい要求ようきゅうした[10]

ひろしおう戦争せんそう勝敗しょうはいけっしたケーニヒグレーツのたたか。ここでオーストリア・ザクセン連合れんごうぐんはプロイセンぐん致命ちめいてきだい敗北はいぼくきっした(1866ねん7がつ3にち

普段ふだんのヴァイルは警察官けいさつかんとしてはたら人物じんぶつであり、かれ猥雑わいざつ愉快ゆかいなものとしてられていた[11]前年ぜんねんの1866ねんひろしおう戦争せんそうがあり、わずか7週間しゅうかんプロイセン王国おうこくとのたたかいにやぶれたことによって、当時とうじオーストリア帝国ていこく人々ひとびとはみな意気いき消沈しょうちんしていた。ヴァイルはこうした世相せそうにおいて、プロイセンに敗北はいぼくしたことはもうわすれようとあかるくびかける内容ないよう愉快ゆかい歌詞かしけた[12][13]

(ドイツ歌詞かし
B: Wiener, seid froh …
T: Oho, wieso?
B: No-so bli-ickt nur um -
T: I bitt, warum?
B: Ein Schimmer des Lichts …
T: Wir seh'n noch nichts!
B: Ei, Fasching ist da!
T: Ach so, na ja!
B: Drum trotzet der Zeit …
T:
(kläglich): O Gott, die Zeit …
B: Der Trübseligkeit.
T: Ah! Das wär' g'scheit!
    Was nutzt das Bedauern,
    das Trauern,
    Drum froh und lustig seid!

日本語にほんごやく[12][13][14]
ウィーンっよ、陽気ようきにやろうぜ!
おう、どうして?
見回みまわしてみろよ!
だから、どうして?
ほら、ほのかなひかり
そんなもの、えないぜ!
ほら、謝肉祭しゃにくさいさ!
ああ、そうだった!
時世じせいなんてにするな…
こんな、時世じせいなんざ!
かなしんだって、どうしようもないさ
そうだな、そのとおりよ!
しんだって、なやんだって、
なんやくにもちゃしない
だから、たのしく愉快ゆかいにいこうぜ!

曲名きょくめい決定けってい[編集へんしゅう]

カール・イシドール・ベックドイツばん
オーストリア=ハンガリー帝国ていこく時代じだいドナウがわ1890ねんから1905ねんあいだ撮影さつえい

協会きょうかい記録きろく議事ぎじろく、パートのセットや1867ねん2がつ15にち以前いぜん新聞しんぶんには、『うつくしくあおきドナウ』という曲名きょくめい一切いっさいておらず[15]初演しょえん直前ちょくぜんになって曲名きょくめいめられたようである[10]最終さいしゅうてきハンガリー詩人しじんカール・イシドール・ベックドイツばん作品さくひんAn der Donau』の一節いっせつ曲名きょくめいとして拝借はいしゃくすることになったが、だれがこの曲名きょくめいめたのかはあきらかでない[15]

An der Donau
Und ich sah Dich reich an Schmerzen
Und ich sah Dich jung und hold
Wo die Treue wächst im Herzen
Wie im Schacht das edle Gold,
An der Donau,
An der schönen, blauen Donau
.

日本語にほんごやく[16][17][9][18]
うれいにちたきみえる。
わかうつくしいきみえる。
わらぬおもいがしんなかおおきくなっていく、
高貴こうきなる黄金おうごんのごとく。
ドナウがわのほとりで、
うつくしくあおきドナウのほとりで。

ウィーンからながめるドナウがわいろは、にごった茶色ちゃいろかせいぜいふか緑色みどりいろといったところであり、『うつくしくあおきドナウ』という曲名きょくめいのイメージには程遠ほどとお[17]。ドナウがわうつくしい青色あおいろえるのはハンガリー平原へいげんはいってからといわれ[17]、ベックがハンガリーじんであることからも推測すいそくできるが、このはそもそもハンガリー(おそらく国土こくど南部なんぶ[18])をながれるドナウがわのほとりを舞台ぶたいにしたこいだとかんがえられている[17][9][注釈ちゅうしゃく 3]。(もともとはウィーンからても綺麗きれいかわだったが、皇帝こうていフランツ・ヨーゼフ1せい治世ちせい治水ちすい工事こうじおこなわれた結果けっか景観けいかんがすっかりわってしまったとするせつもある[19]

シュトラウス2せいちちヨハン・シュトラウス1せいのワルツ『ドナウがわうた』(作品さくひん127)の旋律せんりつが、このワルツにて「ソ・ド・ミ・ソ・ソ」ではじまることも、ドナウがわかんする曲名きょくめいまった理由りゆうひとつだと指摘してきされる[20]。おそらく、『ドナウがわうた』のおかげでまずドナウの題名だいめいとすることがまり、そしてベックの一節いっせつから『うつくしくあおきドナウ』にまったのであろう。いずれにせよ、歌詞かし先行せんこうしてけられ、最後さいご土壇場どたんば歌詞かしとはまったく無関係むかんけい曲名きょくめいけられたということはうたがいようがない。なぜならば、初演しょえん直前ちょくぜんまで『うつくしくあおきドナウ』という曲名きょくめいてこないのにくわえて、ヴァイルの歌詞かしには「ドナウ」という文字もじいちたりともてこない[15][17][14]からである。

初演しょえん[編集へんしゅう]

初演しょえんのプログラム。「宮廷きゅうてい舞踏ぶとうかい音楽おんがく監督かんとくヨハン・シュトラウスによる合唱がっしょうとオーケストラのためのワルツ。ウィーン男声だんせい合唱がっしょう協会きょうかいドイツばん献呈けんてい新曲しんきょく[15]

初演しょえん直前ちょくぜんきょくオーケストラ伴奏ばんそうけることがまり、シュトラウス2せいきゅうピッチで作曲さっきょくふですすめた[10]。ドナウがわをイメージしたとつたえられる序奏じょそう部分ぶぶんも、初演しょえん直前ちょくぜんいそいでされたものである[17]

そして1867ねん2がつ15にち、ウィーンの「ディアナザール」で初演しょえんされた。当日とうじつよる、シュトラウス2せいとシュトラウス楽団がくだん宮廷きゅうてい演奏えんそうしていたため、合唱がっしょう指揮しきしゃルドルフ・ワインヴルムドイツばん指揮しきのもと、当時とうじウィーンに暫定ざんていてき駐留ちゅうりゅうしていたハノーファーおう歩兵ほへい連隊れんたい管弦楽かんげんがくだん演奏えんそう初演しょえんされた[15][注釈ちゅうしゃく 4]。この合唱がっしょうには、当時とうじ11さいだったヨーゼフ・ヘルメスベルガー2せい参加さんかしている[21]

初演しょえん不評ふひょうわったとわれることがおおいが、実際じっさいのところ当時とうじのウィーンの新聞しんぶんおおくはこの初演しょえん成功せいこうほうじている。

おぼえやすいリズムをったかわいいワルツは、多作たさく舞曲ぶきょく作曲さっきょく作品さくひんのなかでも一番いちばん人気にんきたかいものにじきになるにちがいない[15] — 『ディー・プレッセドイツばん、1867ねん2がつ17にちづけ
宮廷きゅうてい舞踏ぶとうかい音楽おんがく監督かんとくシュトラウスはかれのワルツ『うつくしきあおきドナウ(ママ)』で価値かちある勝利しょうりおさめた[15] — 『ディー・デバッデ・ウント・ロイトドイツばん、1867ねん2がつ17にちづけ
ワルツはほんとにすばらしかった。(中略ちゅうりゃく)このきょくだい喝采かっさいけ、あらしのようなアンコール要求ようきゅうのため、もう一度いちど演奏えんそうしなければならなかった[15] — 『フレムデンブラットドイツばん、1867ねん2がつ17にちづけ

けっして不評ふひょうというわけではなかったが、しかしアンコールがわずか1かいだけだったことは作曲さっきょくしゃにとって期待きたいはずれだった。イグナーツ・シュニッツァードイツばん[注釈ちゅうしゃく 5]ててシュトラウス2せいはこういている。

ワルツは迫力はくりょく不十分ふじゅうぶんだったかもしれない。しかし合唱がっしょうきょくつくろうとして、その声楽せいがくパートをかんがえるとき、ダンスのことばかり念頭ねんとうくわけにもいかない。聴衆ちょうしゅうわたしからなにかちがったものを期待きたいしていたとしたら、このワルツはそうそうきゃく満足まんぞくさせてやれないよ[22]

男声だんせい合唱がっしょう協会きょうかいがこのワルツをうたったのは、そのの23年間ねんかんでわずか7かいだけであった[23]敗戦はいせんけてけられた風刺ふうしてき歌詞かしは、ときってウィーン市民しみん敗戦はいせんのショックからなおるにつれて時代じだいわなくなったのである[23]。2月15にち初演しょえん失敗しっぱいではなかったものの、だい成功せいこうおさめたとは到底とうていいえなかった。シュトラウス2せいはとりあえず合唱がっしょうばんからながいコーダをはぶき、3がつ10日とおかフォルクスガルテンドイツばんでオーケストラのみのはん初演しょえんした[22]

だい国歌こっか」へ[編集へんしゅう]

ヨハン・シュトラウス2せい1867ねんパリにおいて撮影さつえい

1867ねん4がつパリ万博ばんぱく開催かいさいされると、シュトラウス2せいおとうとヨーゼフエドゥアルトにウィーンをまかせて単身たんしんパリにかった[24]。そして万博ばんぱく会場かいじょうにおいてしばらくとおざかっていた『うつくしくあおきドナウ』を演奏えんそうすると、今度こんど期待きたい以上いじょうたか評価ひょうかけた[25]。5月28にち、パリのオーストリア大使館たいしかんでのイベントでは、臨席りんせきしたフランス皇帝こうていナポレオン3せいからも賞賛しょうさんけたという[24]ジュール・バルビエフランス語ふらんすごばんによってフランス語ふらんすごあたらしい歌詞かしおくられ、やがて人々ひとびとはこの歌詞かしくちずさむほどになった[25]。このパリでのだい成功せいこうのち、8がつ上旬じょうじゅんにシュトラウス2せいロンドンわたったが、こちらでもパリと同様どうよう絶賛ぜっさんされた[24]。また、こうした評判ひょうばんがウィーンにもとどくとウィーンでも演奏えんそうされるようになり、たちまち世界せかい各地かくち演奏えんそうされるようになった。

各国かっこくごとに大量たいりょう楽譜がくふ印刷いんさつされ、そのいずれもが好調こうちょうげを記録きろくした[26]当時とうじシュトラウス一家かずや楽譜がくふ出版しゅっぱんいちになっていたC.A.シュピーナしゃは、いちまん印刷いんさつ可能かのう銅板どうばんを『うつくしくあおきドナウ』のために100まい必要ひつようとしたという[27]。これはラジオ誕生たんじょう以前いぜん楽譜がくふきとしては最高さいこう数字すうじであった[27]。シュトラウス2せい演奏えんそう旅行りょこうさいにはかならずこのきょく披露ひろうするようになった[26]1872ねん6月17にちにシュトラウス2せいまねいてアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくボストンもよおされた「世界せかい平和へいわ記念きねん国際こくさい音楽おんがくさい英語えいごばん」では、2まんにんもの歌手かしゅ、1000にんのオーケストラ、さらに1000にん軍楽隊ぐんがくたいによって、10まんにん聴衆ちょうしゅうまえでこのワルツも演奏えんそうされた[28]

日増ひましにたかまる名声めいせいけて、初演しょえんから7ねん1874ねんか)、エドゥアルト・ハンスリックはこう論評ろんぴょうしている。

皇帝こうてい王室おうしついわったパパ・ハイドンの国歌こっかならんで、わが国土こくど国民こくみんうたったもうひとつの国歌こっか、シュトラウスの『うつくしきあおきドナウ(ママ)』ができたわけだ[22]
新版しんぱんのピアノ譜表ふひょう右側みぎがわフランツ・フォン・ゲルネルトドイツばん名前なまえがあるため、1890ねん以後いご出版しゅっぱんである

このハンスリックの論評ろんぴょうは、歌詞かし内容ないようをまったく考慮こうりょしていない、曲名きょくめいとメロディーだけを評価ひょうかしたものであったが、やがて「国歌こっか」にふさわしい歌詞かしともなうようになる。1890ねんフランツ・フォン・ゲルネルトドイツばんによる現行げんこう歌詞かし改訂かいていされたのである[22][29]。ゲルネルトもやはりヴァイルと同様どうようにウィーン男声だんせい合唱がっしょう協会きょうかい会員かいいんで、かれ作曲さっきょく詩作しさくをたしなむ裁判所さいばんしょ判事はんじであった[18]あらたにけられた歌詞かしは、かつてヴァイルがけたものとはまったくことなる荘厳そうごん抒情詩じょじょうしであった[30]

(ドイツ
Donau so blau,
so schön und blau
durch Tal und Au
wogst ruhig du hin,
dich grüßt unser Wien,
dein silbernes Band
knüpft Land an Land,
und fröhliche Herzen schlagen
an deinem schönen Strand.

日本語にほんごやく[30][29][7]
いともあおきドナウよ、
なんとうつくしくあおいことか
たにをつらぬき、
おだやかにながれゆき、
われらがウィーンに挨拶あいさつおくる、
なんじ銀色ぎんいろおびは、
くにくにとをむすびつけ、
わがむね歓喜かんき高鳴たかなりて、
なんじうつくしき岸辺きしべにたたずむ。

改訂かいてい新版しんぱんはじめてうたわれたのは1890ねん7がつ2にち[18]、こののちひろく「ハプスブルク帝国ていこくだい国歌こっか」とばれるようになった[26]。ウィーンをながれるドナウがわをヨーロッパの国々くにぐにつながる一本いっぽんおび見立みたてた、国土こくどうた立派りっぱ歌詞かしけられたことで、このワルツはハプスブルク帝国ていこくおよびその帝都ていとウィーンを象徴しょうちょうするきょくまれわったのである。合唱がっしょうだんはいずれもこのあたらしい歌詞かしのほうをこのみ、ヴァイルによる歌詞かしうたわれなくなった[26][7]現行げんこう歌詞かしは、ウィーン少年しょうねん合唱がっしょうだんによる歌唱かしょうでも有名ゆうめいである。


オーストリアでは帝政ていせい廃止はいしされたのち、ハイドンによる皇帝こうてい讃歌さんかかみよ、皇帝こうていフランツをまもたまえ』からべつ国歌こっか変更へんこうされ、さらに紆余曲折うよきょくせつ1946ねんには(かなりうたがわしいが)モーツァルト作品さくひんとされる『山岳さんがくくに大河たいがくに』に変更へんこうされた。その一方いっぽうで『うつくしくあおきドナウ』は、オーストリア=ハンガリー帝国ていこく時代じだいわらず「だい国歌こっか」としての位置いち維持いじした。1945ねん4がつにオーストリアはナチス・ドイツ支配しはいから解放かいほうされたが、独立どくりつ国歌こっか未定みていだったことから、オーストリア議会ぎかいはとりあえず正式せいしき国歌こっかまるまでのわりとして『うつくしくあおきドナウ』を推奨すいしょうした。

戦後せんご20ねんほどが経過けいかした1964ねんウィーン・フィルハーモニー管弦楽かんげんがくだんとともにテアトロ・コロン客演きゃくえん旅行りょこうカール・ベームは、最後さいご演奏えんそうかいで「ここで我々われわれ感謝かんしゃのためにさらにオーストリア国歌こっか演奏えんそういたします」とべて、国歌こっかいて反射はんしゃてき起立きりつした聴衆ちょうしゅうまえで『うつくしくあおきドナウ』を演奏えんそうした[31]。ベームはこのきょくのことをのちに出版しゅっぱんした回想かいそうろくのなかでも「三拍子さんびょうしのオーストリア国歌こっか」と表現ひょうげんしている。現在げんざいのオーストリアでも、このワルツは依然いぜんとして「だい国歌こっか」とばれつづけている。

逸話いつわ[編集へんしゅう]

シュトラウス2せいブラームス1894ねん撮影さつえい

シュトラウス2せい親友しんゆうであったブラームスは、このワルツのさんしゃだったことでられる。シュトラウス2せいつぎむすめアリーチェ[注釈ちゅうしゃく 6]から彼女かのじょ扇子せんすにサインをもとめられたさい、ブラームスはこの『うつくしくあおきドナウ』の冒頭ぼうとうすう小節しょうせつ[32][33]、そのしたにこうえた。

残念ざんねんながら、ヨハネス・ブラームスの作品さくひんにあらず[32][33]

うえのブラームスの言葉ことば非常ひじょう有名ゆうめいなものであるが、そのにもこのワルツをたたえるブラームスの言動げんどうがいくつかつたわっている。ブラームスはシュトラウス2せい夫人ふじんアデーレに写真しゃしんおくったさい写真しゃしんうら自分じぶんの『交響こうきょうきょくだい4ばん』の最初さいしょすう小節しょうせつき、さらに対位法たいいほうで『うつくしくあおきドナウ』の冒頭ぼうとうわせてき、自分じぶんとシュトラウス2せい芸術げいじゅつむすびつきをしめしたという逸話いつわがある[32]

1892ねんプラーター公園こうえんにおいて「ウィーン国際こくさい音楽おんがく演劇えんげき博覧はくらんかい」が開催かいさいされることとなり、ブラームスは開催かいさい委員いいんかいから祝祭しゅくさいカンタータ作曲さっきょくちかけられた。このときかれは「イベント関係かんけいにはかかわりたくない」という理由りゆうで、自分じぶんではなくブルックナー推薦すいせんした[34][注釈ちゅうしゃく 7]。ブルックナーを推薦すいせんした一方いっぽうで、ブラームスはこの祝祭しゅくさいカンタータについてだい真面目まじめにこう提案ていあんしたという。

うつくしくあおきドナウ≫にうつくしい文学ぶんがくてきをつけて混声こんせい合唱がっしょうよう編曲へんきょくする。どうだいだろう[34]

ブラームスのほかワーグナーもこのワルツがだいのおりであった[35]。ワーグナーもシュトラウス2せいのワルツをこのんだもの一人ひとりで、かれもっときだったのはこの『うつくしくあおきドナウ』、いできだったのは『さけおんなうた』(作品さくひん333)だったとつたわる[35]。また、『高雅こうが感傷かんしょうてきなワルツ』や『ラ・ヴァルス』などでられるラヴェルも、このような言葉ことばのこしている。

ワルツは、あらゆる作曲さっきょく誘惑ゆうわくする形式けいしきだ。だが成功せいこうしたのはほんのいちにぎりの作曲さっきょくだけだ。モーツァルトはレントラー作曲さっきょくしたが、これはもうウィーンふうのワルツ。ベートーヴェン作曲さっきょくしたのはドイツ舞曲ぶきょくだ。そしてもちろんシューベルトシューマン、ブラームス、シャブリエドビュッシー作曲さっきょくした。だがほんとうに成功せいこうしたのはだれだろう。それはヨハン・シュトラウスただひとりだ。かれ奇跡きせきてきに、みながきたいとおもったワルツを作曲さっきょくたのだ。≪うつくしくあおきドナウ≫だよ[36]

後年こうねんには「シュトラウス」といえば『うつくしくあおきドナウ』というほどにワルツおう代表だいひょうさくとして定着ていちゃくしていた。シュトラウス2せい死去しきょした1899ねん6月3にち午後ごご、ウィーンのフォルクスガルテンにおいて野外やがいコンサートがもよおされていた[37]。シュトラウス2せい訃報ふほうとどくと、指揮しきしゃエドゥアルト・クレムザードイツばんは、大勢おおぜい聴衆ちょうしゅうにこのことを手短てみじか報告ほうこくしたのちしずかにこのワルツを演奏えんそうはじめた[37]。また、交響こうきょうツァラトゥストラはかくかたりき』などでられる同姓どうせい作曲さっきょくリヒャルト・シュトラウスは、さい晩年ばんねんロンドン公演こうえんのためにイギリスおとずれたさいに「あなたがあの『うつくしくあおきドナウ』の作曲さっきょくしゃですか?」となんたずねられたという。

楽曲がっきょく構成こうせい[編集へんしゅう]

序奏じょそう[編集へんしゅう]

序奏じょそう部分ぶぶんのピアノ

アンダンティーノイ長調いちょうちょう、8ぶんの6拍子ひょうし
トレモロせて、のちに登場とうじょうする「ド・ミ・ソ・ソ」というワルツのしゅ旋律せんりつがゆるやかにしめされる[16]長調ちょうちょう、4ぶんの3拍子ひょうしの「テンポ・ディ・ヴァルス」にうつり、「ワルツ」部分ぶぶん準備じゅんびされる[16]。ドナウがわおだやかなながれをおもわせるこの序奏じょそうのメロディーはとく有名ゆうめい部分ぶぶんであり、オーストリアの人々ひとびと挨拶あいさつ(グリュースゴット[注釈ちゅうしゃく 8])のわりにもなったほどである[38][19]

だい1ワルツ[編集へんしゅう]

序奏じょそうつづきとだい1ワルツ
だい1ワルツの最初さいしょすう小節しょうせつ作曲さっきょくしゃ自筆じひつ署名しょめいり)

長調ちょうちょう形式けいしき(A・A’||:B:||)

Aの中心ちゅうしんとなるのはつぎ楽譜がくふ部分ぶぶんである。「ド・ミ・ソ・ソ」というメロディーからはじまるこのだい1ワルツは、きょく全体ぜんたいのなかでもとくによくられる部分ぶぶんである。

Aパート

 \relative b' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key b \minor \time 3/4
    \tempo \markup { 
     \column {
      \line {  }
 }
   }
    d,( fis a) a r4 \slashedGrace a8 <fis' a>4 <fis a> r4 \slashedGrace a,8 <d fis>4 <d fis> r4 d, d( fis a) <a g> r4 \slashedGrace a8 <g' a>4 <g a> r4 \slashedGrace a,8 <cis g'>4 <cis g'> r4 cis, cis( e b') b r4 \slashedGrace cis8 <g' b>4 <g b> r4 \slashedGrace cis,8 <cis g'>4 <cis g'> r4 cis, cis( e b') b r4 \slashedGrace d8 <d fis b>4 <d fis b> r \slashedGrace d8 <d fis>4 <d fis> r
   }
   \new Dynamics {
    s\p
    }
   \new Staff { \key b \minor \time 3/4 \clef bass
    R1*3/4 d,,4\p <a' d fis> <a d fis> d, <a' d fis> <a d fis> d, <fis a d> <fis a> d <a' d> <a d fis> e <a cis g'> <a cis g'> e <a cis g'> <a cis g'> e <g a cis> <g a> e <g a cis> <g a cis> a, <a' cis g'> <a cis g'> a, <a' cis g'> <a cis g'> a, <g' a cis> <g a> a, <g' a cis> <g a cis> d4 <a' d fis> <a d fis> d,4 <a' d fis> <a d fis> d, <fis a d>
   }
  >>
 }

つづくBではイ長調いちょうちょううつり、つぎ部分ぶぶん中心ちゅうしんとなる。

Bパート

 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key fis \minor \time 3/4
    \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56
     \partial 2
      <fis' d'>8 r <e cis'> r <e cis'> r <d b'> r <d b'> r r4 <d b'>8 r <cis ais'> r <cis ais'> r <d b'> r <d b'> r r4 e8\f r e r fis2( e4) r e8 r e r <b b'>2( <a a'>4)
   }
   \new Staff { \key fis \minor \time 3/4 \clef bass \partial 2
      r2 e,4\p <gis d' e> <gis d' e> e <gis d' e> <g cis e> e <gis d' e> <gis d' e> e <gis d' e> <gis d' e> a, <a' cis e> <a cis e> a, <a' cis e> <a cis e> a, <a' cis e> <a cis e>
   }
  >>
 }

だい2ワルツ[編集へんしゅう]

だい1ワルツのつづきとだい2ワルツ

長調ちょうちょうさん形式けいしき(||:A:||B・A||)

Aは歯切はぎれのよいつぎ楽譜がくふはじまる。

Aパート

 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key b \minor \time 3/4
    \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56
     \partial 4
      <a' a'> <g g'> r <a a'> <g g'> r <a a'> <fis' fis'>2.~ <fis fis'>4 <e e'>( <a, a'>) fis' r <a a,> fis r <a a,> <e e'>2.~ <e e'>4 <d d'>( <a a'>)
   }
   \new Dynamics {
    s\p
      }
   \new Staff { \key b \minor \time 3/4 \clef bass \partial 4
      r4 e,\p <a cis g'> <a cis g'> a, <a' cis g'> <a cis g'> a <cis g'> <cis g'> a, <a' cis g'> <a cis g'> d, <a' d fis> <a d fis> a, <a' d fis> <a d fis> d, <a' d fis> <a d fis> a, <a' d fis> <a d fis>
   }
  >>
 }

Bはいきなりさん転調てんちょうをおこなってへん長調ちょうちょう移行いこうし、ながれるようなメロディーがかなでられる[39]

Bパート

 \relative b' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key g \minor \time 3/4
    \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56
   <d d'>2.~ <d d'>4 <ees ees'>( <d d'>) <c c'>( <bes bes'> <a a'>) <g g'>2. \slashedGrace g'8 <c, c'> r r4 <c c'>~ <c c'>8 f( \slashedGrace a8 g4. f8) 
<<
{f4( <bes, d> <d f>) ~ f s}
\\
{s2. <c ees>4( <bes d>)}
>>

   }
   \new Dynamics {
    
    }
   \new Staff { \key g \minor \time 3/4 \clef bass
   bes,,4 <bes' d f> <bes d f> bes,4 <bes' d f> <bes d f> ees, <g c ees> <g c ees> ees <g c ees> <g c ees> a <c ees f> <c ees f> f, <a ees' f> <a ees' f> bes <d f> <d f> f, f'
   }
  >>
 }

だい3ワルツ[編集へんしゅう]

だい3ワルツ

ト長調とちょうちょう形式けいしき(||:A:||:B:||)

Aはつぎ楽譜がくふはじまる。

Aパート

 \relative b' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key e \minor \time 3/4 
    \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56
    \partial 4 d,\p (\bar "||" <g b>) r <g b>~ <g b> <b d>4.->( <a c>8) <g b>4\mordent( <d b>) <d b> <d b>2 <d b>4( <g b>) r <g b>~ <g b> <c e>4.->( <b d>8) <c a>4\mordent( <d, fis>8) r8 <d fis>4 <d fis>2. <a' c>4 r <a c>~ <a c> <d fis>4.( <c e>8) \slashedGrace <c e> <e g>4-> <g, b>8 r <g b>4 <g b>2 <g b>4 <e a>-.\p( r <e a>-.) <e ais>-.( r <e ais>-.) <fis dis b'>2.~ <fis dis b'>4 r
   }
   \new Staff { \key e \minor \time 3/4 \clef bass
    r4 g,,\p <g' b d> <g b d> g, <g' b d> <g b d> g, g' g g, g' g g, <g' b d> <g b d> g, <g' b d> <g b d> a, <d fis c'> <d fis c'> a <d fis c'> <d fis c'> d <c' d fis> <c d fis> d, <c' d fis> <c d fis> g <b d> <b d> g, <g' b d> <g b d> <c, c'>-.( r <c c'>-.) <c c'>-.( r <c c'>-.) <b b'> dis fis b, r
   }
  >>
 }

Bは転調てんちょうすることなく、速度そくどヴィヴァーチェはやめる[39]

Bパート

 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key e \minor \time 3/4 \partial 4.
    \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56    
      b'8\p(^\markup {\bold {Vivace.(Lebhaft.)} } c b) b( a gis a b a) a( g fis g d'4)->~ d8[ c] <c fis,>8-^ r <c fis,>8-^ r <c fis,>8-^ r <b g>8-^ r <b g>8-^ r
   }
   \new Staff { \key e \minor \time 3/4 \clef bass \partial 4.
      R1*3/8 c,,4\p <a' c e> <a c e> d, <b' d> <b d> d, <a' c d> <a c d> g <b d> <b d>
   }
  >>
 }

だい4ワルツ[編集へんしゅう]

だい4ワルツ

長調ちょうちょう形式けいしき(||:A:||:B:||A)

転調てんちょうのために4小節しょうせつからなる経過けいかはさまれ、それにつづいてAのしゅ旋律せんりつかなでられる[39]

経過けいか、Aパート

 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key d \minor \time 3/4
    \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56    
      <bes d g>2.^\markup {\bold Eingang.} <bes des g>2. <bes c g'>4 c8 c c4 r r \tempo "" 2. = 48  c\p \bar "||" c8(^\markup {\bold Walzer.} f a c) f4(~ f <c e> <bes d>) <a cis>\<( <bes d> <c e>)\! <c e>2. <a cis>4\<( <bes d> <c e>)\! <c e>2. <gis b>4( <a c> <bes d>8) r <a c>2. c,8( f a c) <f a>4~( <f a> <e g> <d f>) <cis e>\<( <d f> <e g>8)\! r <e g>2.
   }
   \new Dynamics {
    s\f
      }
   \new Staff { \key d \minor \time 3/4 \clef bass
      <g,, g,>2. <f f,>2. <e e,>4 r r r r2 f4\p <a c f> <a c f> f <a c f> <a c f> g <bes c e> <bes c e> c, <bes' c e> <bes c e> g <bes c e> <bes c e> c, <bes' c e> <bes c e> f <a c f> <a c f> f <a c f> <a c f> f <a c f> <a c f> f <a c f> <a c f> bes, <bes' d g> <bes d g> bes, <bes' d g> <bes d g>
   }
  >>
 }

Bはフルートもちいて演奏えんそうされる[39]つぎ楽譜がくふ中心ちゅうしんとなっている。

Bパート

 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key d \minor \time 3/4
    \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56
      r \slashedGrace d''8\f c4. b8 <c c,>2.~ <c c,>4 \slashedGrace d8 c4.( b8) <c c,>2.~ <c c,>4 <f f,>( a,) bes4.( <d d,>8 e,4) r8 <g g,>8 <g g,>4 <a a,> <bes bes,>4.( <d d,>8 e,4) r
      }
   \new Staff { \key d \minor \time 3/4 \clef bass
      <g,,, bes c e>8\fz r r4 r f' <c' f a> <c f a> c, <c' f a> <c f a> f, <c' f a> <c f a> c, <c' f a> <c f> g <bes c e> <bes c e> c, <bes' c e> <bes c e> g <bes c e> <bes c e> c,
   }
  >>
 }

だい5ワルツ[編集へんしゅう]

だい5ワルツ

イ長調いちょうちょう形式けいしき(A||:B・B’:||)

経過けいか

 \relative b' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key fis \minor \time 3/4
    \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56
    <a c>2.\f^\markup {\bold Eingang.} <a d>2 <a dis>4 <a cis e> cis8 e a cis <e e,>8 r <d d,> r <cis cis,> r <cis cis,>4 \slashedGrace d8 cis8( bis cis d) <cis cis,> r <b b,> r <a a,> r <b, cis eis gis>8\f[ <b cis eis gis>] <b cis eis gis> r <b cis eis a>8 r <a cis fis>4 r r \slashedGrace eis''8( fis)\p r r4 r \slashedGrace eis8( fis) r r4 r 
   }
   \new Staff { \key fis \minor \time 3/4 \clef bass
    <f,,,, f'>2. <f f'>2 <f f'>4 <e e'>4 r4 r1 <eis' gis b>2.\p <fis a>4 r r <cis, cis'>4 <eis eis'> <cis cis'> <fis fis'> r r \clef treble \slashedGrace eis'''8( fis) r r4 r \slashedGrace eis8( fis) r r4 r 
   }
  >>
 }

長調ちょうちょうから経過けいかとおって、イ長調いちょうちょう移行いこうし、Aにはい[39]

Aパート

 \relative b' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key fis \minor \time 3/4 \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56
    <<
   {
     a4( b cis) d( fis,4. a8) d4( fis,4. a8) d2.~( d4 cis b) cis( e,4. a8) cis4( e,4. a8)
   }
    \\
   {
     a4( gis g) fis s4. s8 s4 s4. s8 r4 a g fis e d cis 
   }
    >>
   }
   \new Dynamics {
    s4\p
   }
   \new Staff { \key fis \minor \time 3/4 \clef bass
     r4 r2 d,4 <fis a d> <fis a d> d4 <fis a d> <fis a d> d4 <fis a d> <fis a d> d4 <fis a> <fis a> e4 <a cis> <a cis> e4 <a cis> <a cis>
   }
  >>
 }

Bはつぎ楽譜がくふ中心ちゅうしんとした、活発かっぱつ部分ぶぶんである。

Bパート

 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key fis \minor \time 3/4
    \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56
      <cis' cis'>4 r r <cis cis'>4 r r <cis cis'>2.~ <cis cis'>4 e8 gis a b <cis cis,>4 r r <cis cis,>4 r r <d d,>2.~ <d d,>4 fis,8 ais b cis <d, b' d>4 r r <d b' d> r r
   }
   \new Dynamics {
    s\f
      }
   \new Staff { \key fis \minor \time 3/4 \clef bass
      a,4 <cis e> <cis e> a <cis e> <cis e> a <cis e> <e, a cis e> a <cis e> <cis e> a <cis e> <cis e> fis, <ais e' fis> <ais e' fis> b <d fis> <fis, b d fis> b <d fis> <d fis> b, <b' d fis> <b d fis> b, <b' d fis> <b d fis>
   }
  >>
 }

こうそう[編集へんしゅう]

一般いっぱんてきには、「だい3ワルツ」のAのおとがたみちびかれて「だい2ワルツ」のAがニ長調ちょうちょうしめされ、つづいて「だい4ワルツ」のAがヘ長調ちょうちょうかなでられ、最後さいごに「だい1ワルツ」のしゅ旋律せんりつがニ長調ちょうちょうあらわれて、変化へんかはげしいむすびのうつって力強ちからづよわる[39]

合唱がっしょうばんでは、「だい5ワルツ」のBからいきなり力強ちからづよむすびにはいり、すぐにわる[39]

ニューイヤーコンサート[編集へんしゅう]

ニューイヤーコンサート2012の『うつくしくあおきドナウ』バレエ(画像がぞうはリハーサルのもの)

大晦日おおみそかから新年しんねんわるとき、公共こうきょう放送ほうそうきょくであるオーストリア放送ほうそう協会きょうかいは、シュテファンだい聖堂せいどうかねおとつづいてこのワルツを放映ほうえいするのが慣例かんれいとなっている[2]。それにつづいて元日がんじつ正午しょうごからはじまるウィーン・フィルハーモニー管弦楽かんげんがくだんニューイヤーコンサートでは、3つのアンコールわくのうちの2番目ばんめとしてこのワルツを演奏えんそうするのが通例つうれいである[2][注釈ちゅうしゃく 9]。つまりオーストリアでは毎年まいとし元日がんじつすくなくとも2かいは『うつくしくあおきドナウ』が公共こうきょう放送ほうそうからながれてくるのをくことができる。ニューイヤーコンサートでは、序奏じょそうすこしだけ演奏えんそうしたのち聴衆ちょうしゅう拍手はくしゅによって一旦いったんり、指揮しきしゃ団員だんいん新年しんねん挨拶あいさつつづくという習慣しゅうかんとなっている[2]

ちちシュトラウス1せいの『ラデツキー行進曲こうしんきょく』もどうコンサートをめくくる定番ていばんきょくであるが、こちらも国家こっかてき行事ぎょうじ式典しきてんでたびたび演奏えんそうされるきょくである。これらふたつのきょくどうコンサートにきまってげられるのは、ただ人気にんきたかいからというだけの理由りゆうではなく、オーストリアを象徴しょうちょうするきょくだということもおおきな理由りゆうなのである。ちなみに、カラヤンとケンペはステレオ初期しょきにウィーン・フィルを指揮しきして録音ろくおんした「シュトラウス・アルバム」に、このきょくふくめていない。

日本にっぽんにおいては、京都きょうと交響こうきょう楽団がくだんなどがニューイヤーコンサートで演奏えんそうすることおおい。近年きんねんとく京都きょうと少年しょうねん合唱がっしょうだんとの共演きょうえんおこなっていることすくなくない。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 管弦楽かんげんがくほうについては後期こうき作品さくひんほどの巧緻こうちさはなく、日本にっぽんでも吉田よしだ秀和ひでかず宇野うのいさおよしらがその単純たんじゅんさを指摘してきする一文いちぶんいているが、このきょくはそもそもが合唱がっしょうきょくだったのである。また、録音ろくおんのこさなかったフルトヴェングラーのほか、クレンペラー、シューリヒト、クナッパーツブッシュがこのきょくはずしたウインナワルツしゅう録音ろくおんしており、カラヤンも一度いちどウィーンフィルと同様どうようこころみをおこなっている。
  2. ^ Dudenさだめる正書法せいしょほうによれば、地名ちめいふく合成ごうせいではハイフンれないのが通則つうそくだが、場合ばあいによってはハイフンでつないでもよい[5][6]
  3. ^ ただし、ベックはハンガリーでまれウィーンでぼっしている[14]
  4. ^ ひろしおう戦争せんそうでオーストリアがわについたことによってハノーファーは1866ねん9がつにプロイセンに併合へいごうされ、ハノーファー国王こくおうゲオルク5せいとその家族かぞく臣下しんかはみなオーストリアにのがれていた。
  5. ^ のちにオペレッタ『ジプシー男爵だんしゃく』の台本だいほんいた人物じんぶつである。
  6. ^ アリスとも。のちに画家がかフランツ・フォン・バイロスつまとなる。
  7. ^ ブルックナーはこの嘱託しょくたくけて『詩篇しへんだい150ばん』を作曲さっきょくした[34]
  8. ^ かみがあなたに挨拶あいさつしますように」のカトリック教会きょうかいへの信仰しんこう根強ねづよいオーストリアやバイエルンなどのみなみドイツ地方ちほうでは、「こんにちは」のことを「グーテンターク」ではなくこうう。
  9. ^ はじまったばかりのころには演奏えんそうされないとしもあった。具体ぐたいてきには、1939ねん、1941ねん、1942ねん、1943ねん、1944ねん、1947ねん、1956ねんの7かい。1957ねんからは毎年まいとしかさず演奏えんそうされている。(2016ねん現在げんざい

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ CD『クラシック名曲めいきょくだい全集ぜんしゅう解説かいせつしょ p.130「52 ウィーンの休日きゅうじつ
  2. ^ a b c d 河野こうの(2009) p.73
  3. ^ Wiener Institut für Strauss-Forschung Donauwalzer
  4. ^ Peter W. Schulze Strategien »kultureller Kannibalisierung«: Postkoloniale Repräsentationen vom brasilianischen Modernismo zum Cinema Novo (2015) p.186
  5. ^ Duden | Sprachwissen | Rechtschreibregeln | Namen | Regel 143
  6. ^ Die amtliche Regelung der deutschen Rechtschreibung - Duden
  7. ^ a b c 河野こうの(2009) p.76
  8. ^ 堀内ほりうち敬三けいぞう野村のむら良雄よしお音楽おんがく辞典じてん 人名じんめいへん』(昭和しょうわ30ねん2がつ15にち音楽之友社おんがくのともしゃ)p.242
  9. ^ a b c 加藤かとう(2003) p.146
  10. ^ a b c d e f g h ケンプ(1987) p.104
  11. ^ a b 小宮こみや(2000) p.124
  12. ^ a b 小宮こみや(2000) p.125
  13. ^ a b 加藤かとう(2003) p.147
  14. ^ a b c 河野こうの(2009) p.74
  15. ^ a b c d e f g h ケンプ(1987) p.105
  16. ^ a b c 名曲めいきょく解説かいせつ全集ぜんしゅう だいさんかん 管弦楽かんげんがくきょく(うえ)』 p.327
  17. ^ a b c d e f 小宮こみや(2000) p.127
  18. ^ a b c d 河野こうの(2009) p.75
  19. ^ a b 倉田くらた(2006) p.180
  20. ^ 小宮こみや(2000) p.126
  21. ^ 若宮わかみや 2013, p. 170.
  22. ^ a b c d ケンプ(1987) p.106
  23. ^ a b 加藤かとう(2003) p.148
  24. ^ a b c 若宮わかみや 2014, p. 79.
  25. ^ a b 加藤かとう(2003) p.154
  26. ^ a b c d 小宮こみや(2000) p.130
  27. ^ a b 加藤かとう(2003) p.155
  28. ^ シュヴァープ(1986) p.140
  29. ^ a b 加藤かとう(2003) p.149
  30. ^ a b 小宮こみや(2000) p.129
  31. ^ ベーム(1970) p.184
  32. ^ a b c 門馬もんま(1965) p.120
  33. ^ a b ディートリヒ(2004) p.225
  34. ^ a b c ホイベルガー(2004) p.80
  35. ^ a b 増田ますだ(2003) p.156
  36. ^ ロザンタール(1998) p.194・195
  37. ^ a b ケンプ(1987) p.230
  38. ^ 倉田くらた(1994) p.151
  39. ^ a b c d e f g 名曲めいきょく解説かいせつ全集ぜんしゅう だいさんかん 管弦楽かんげんがくきょく(うえ)』 p.328

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]