この項目 こうもく では、国家 こっか を象徴 しょうちょう する歌曲 かきょく または器楽 きがく 曲 きょく について説明 せつめい しています。和歌 わか の別名 べつめい としての「国歌 こっか 」については「和歌 わか 」をご覧 らん ください。
国歌 こっか (こっか)は、国家 こっか を象徴 しょうちょう する歌曲 かきょく または器楽 きがく 曲 きょく のこと[1] 。
国歌 こっか (英 えい :national anthem )の源流 げんりゅう の一部 いちぶ は、近代 きんだい 初期 しょき におけるヨーロッパ 諸国 しょこく の王室 おうしつ 歌 か (英 えい :royal anthem )に求 もと めることができる。オランダ の王室 おうしつ 歌 か (および現在 げんざい の国歌 こっか )である「ヴィルヘルムス 」は1572年 ねん 頃 ころ に完成 かんせい したとされ、現在 げんざい 使用 しよう されている国歌 こっか の中 なか では世界 せかい 最古 さいこ の旋律 せんりつ を有 ゆう する。イギリス 王室 おうしつ 歌 か である「国王 こくおう 陛下 へいか 万 まん 歳 さい 」がはじめて演奏 えんそう されたのは1619年 ねん のことであり、その後 ご ジョージ2世 せい の治下 ちか (1745年 ねん )に編曲 へんきょく されたのち、イギリスの国歌 こっか および英 えい 連邦 れんぽう 王国 おうこく 諸国 しょこく の王室 おうしつ 歌 か として現在 げんざい も用 もち いられている。スペイン の王室 おうしつ 歌 か (および現在 げんざい の国歌 こっか )である「国王 こくおう 行進曲 こうしんきょく 」は1770年 ねん に、デンマーク の国歌 こっか および王室 おうしつ 歌 か である「クリスチャン王 おう は高 たか き帆柱 ほばしら の傍 はた に立 た ちて 」は1780年 ねん に、神 かみ 聖 きよし ロ ろ ーマ帝国 まていこく (のちにオーストリア帝国 ていこく およびオーストリア=ハンガリー帝国 ていこく )の「神 かみ よ、皇帝 こうてい フランツを守 まも り給 たま え 」は1797年 ねん にそれぞれ制定 せいてい されている。東 ひがし アジア では、阮朝ベトナム が西洋 せいよう 様式 ようしき の帝室 ていしつ 歌 か 「登壇 とうだん 宮 みや 」を1802年 ねん に制定 せいてい している。
王室 おうしつ 歌 か としてではなく、一 いち 国 こく の国歌 こっか として初 はじ めて公式 こうしき に規定 きてい されたのはフランス 国歌 こっか 「ラ・マルセイエーズ 」で、フランス革命 かくめい 後 ご の国民 こくみん 公会 こうかい (1795年 ねん )において、第 だい 一 いち 共和 きょうわ 政 せい 下 した のフランスの国歌 こっか に定 さだ められた。19世紀 せいき 以降 いこう 、これに範 はん をとる形 かたち で国歌 こっか を制定 せいてい する国 くに は徐々 じょじょ に増 ふ えていった。これはヨーロッパやラテンアメリカ における国民 こくみん 国家 こっか の発生 はっせい と軌を同 おな じくするものであり、国王 こくおう 本人 ほんにん や王室 おうしつ ではなく、国家 こっか そのもの(および国民 こくみん 統合 とうごう )の象徴 しょうちょう を決定 けってい する必要 ひつよう に迫 せま られたためであった。ただし1920年代 ねんだい までに制定 せいてい された国歌 こっか は、新 しん 国家 こっか の独立 どくりつ や新 しん 政府 せいふ の樹立 じゅりつ に伴 ともな うか、またはそれらに引 ひ き続 つづ いて定 さだ められたものが多 おお い。この例 れい としてはアルゼンチン (1813年 ねん )、ペルー (1821年 ねん )、ベルギー (1830年 ねん )、ブラジル (1831年 ねん )、イタリア王国 おうこく (1831年 ねん )、リベリア (1847年 ねん )、ギリシャ王国 おうこく (1865年 ねん )、大日本帝国 だいにっぽんていこく (1888年 ねん )、フィリピン (第 だい 一 いち 共和 きょうわ 国 こく 、1898年 ねん )、ポルトガル (第 だい 一 いち 共和 きょうわ 政 せい 、1911年 ねん )、トルコ (1921年 ねん )、ドイツ (ヴァイマル共和 きょうわ 政 せい 、1922年 ねん )、アイルランド共和 きょうわ 国 こく (1926年 ねん )などがある。この例外 れいがい はロシア帝国 ていこく (1833年 ねん )、清 きよし (1911年 ねん )など比較的 ひかくてき 少数 しょうすう にとどまる。またこの時期 じき に制定 せいてい された国歌 こっか では、君主 くんしゅ 国 こく においてはイギリス国歌 こっか に、共和 きょうわ 国 こく や革命 かくめい 政府 せいふ においてはフランス国歌 こっか に、歌詞 かし の内容 ないよう のみならず曲調 きょくちょう においても少 すく なくない影響 えいきょう を受 う けたものが多 おお い。
1920年 ねん 版 はん のオリンピック憲章 けんしょう により、オリンピック 大会 たいかい における金 きむ メダル 受賞 じゅしょう 者 しゃ に対 たい しての国歌 こっか の演奏 えんそう が規定 きてい された。これ以降 いこう 、国際 こくさい スポーツ大会 たいかい において国歌 こっか が演奏 えんそう される機会 きかい が増加 ぞうか していくこととなり、それまで国歌 こっか を持 も たなかった国々 くにぐに が国歌 こっか を制定 せいてい する大 おお きな動機 どうき づけとなった。1931年 ねん には、1776年 ねん の独立 どくりつ 以来 いらい 公式 こうしき な国歌 こっか を持 も たなかったアメリカ が「星条旗 せいじょうき 」を国歌 こっか として初 はじ めて法的 ほうてき に制定 せいてい した。これに続 つづ いてメキシコ (1943年 ねん )、スイス (1961年 ねん )などの国 くに が国歌 こっか の採用 さいよう もしくは法制 ほうせい 化 か を行 おこ なっている。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 期 き 以降 いこう 、とりわけ1960年代 ねんだい の植民 しょくみん 地 ち 解体 かいたい 期 き 以降 いこう に独立 どくりつ した国 くに においては、独立 どくりつ と同時 どうじ に国歌 こっか を制定 せいてい することが一般 いっぱん 的 てき となった。
国歌 こっか の法的 ほうてき な位置付 いちづ けは国 くに によって大 おお きく異 こと なる。憲法 けんぽう において規定 きてい されている国 くに (フランス、中国 ちゅうごく など)、法律 ほうりつ で規定 きてい されている国 くに (アメリカ、日本 にっぽん 、ロシア、カナダなど)、大統領 だいとうりょう 令 れい や政令 せいれい で規定 きてい されている国 くに (韓国 かんこく など)、慣習 かんしゅう 的 てき に国歌 こっか とされているものの、何 なん らの法的 ほうてき な裏付 うらづ けが存在 そんざい しない国 くに (イギリス、ドイツ、スウェーデンなど)がある。
9割 わり 以上 いじょう の国 くに が長調 ちょうちょう の曲 きょく を採用 さいよう している。その中 なか でももっとも一般 いっぱん 的 てき なのはヘ長調 ちょうちょう であり、変 へん ロ長調 ちょうちょう 、ハ長調 ちょうちょう がこれに次 つ ぐ。比較的 ひかくてき 珍 めずら しいのは嬰ハ長調 ちょうちょう 、変 へん ニ長調 ちょうちょう 、ニ短調 たんちょう などである。
使 つか われている調 しらべ 別 べつ に国 くに を色分 いろわ けした地図 ちず
国歌 こっか のスタイルは行進曲 こうしんきょく 形式 けいしき 、賛美 さんび 歌 か 形式 けいしき のほか、アジア やアフリカ 諸国 しょこく のものでは民族 みんぞく 音楽 おんがく 形式 けいしき のものも多 おお い。ラテンアメリカ 、旧 きゅう ソ連 それん 、一部 いちぶ ヨーロッパ 諸国 しょこく の国歌 こっか は比較的 ひかくてき 長 なが いものが多 おお く、ウルグアイ国歌 こっか は通 とお しで演奏 えんそう すると(演奏 えんそう 速度 そくど により)4分 ふん 半 はん ないし6分 ふん かかる。ギリシャ国歌 こっか (キプロス 国歌 こっか も同 おな じ)は非公式 ひこうしき ながら158番 ばん までの詞 し がつけられている。一方 いっぽう でアジア 、アフリカ 、オセアニア では比較的 ひかくてき 短 みじか いものが多 おお く、日本 にっぽん 国歌 こっか 、ウガンダ国歌 こっか 、ケニア国歌 こっか 、サウジアラビア国歌 こっか などの演奏 えんそう 時間 じかん はいずれも30秒 びょう 程度 ていど である。
国歌 こっか の中 なか には世界 せかい 的 てき に著名 ちょめい な人物 じんぶつ によって作詞 さくし ・作曲 さっきょく がなされたものがある。例 れい として、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン によって作曲 さっきょく されたドイツ国歌 こっか 、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト によって作曲 さっきょく されたオーストリア国歌 こっか 、アラム・ハチャトゥリアン の作曲 さっきょく によるアルメニア・ソビエト社会 しゃかい 主義 しゅぎ 共和 きょうわ 国 こく の国歌 こっか 、ノーベル文学 ぶんがく 賞 しょう 受賞 じゅしょう 者 しゃ であるラビンドラナート・タゴール により作詞 さくし 作曲 さっきょく されたインドの国歌 こっか 、バングラデシュの国歌 こっか などが挙 あ げられる。しかし国外 こくがい では有名 ゆうめい でない人物 じんぶつ により作詞 さくし ・作曲 さっきょく された国歌 こっか の方 ほう が圧倒的 あっとうてき に多 おお く、また近代 きんだい 以前 いぜん に作 つく られた歌 うた の中 なか には作詞 さくし ・作曲 さっきょく 者 しゃ が不明 ふめい なものも存在 そんざい する。このような例 れい としては、作詞 さくし ・作曲 さっきょく 者 しゃ ともに不明 ふめい なイギリス国歌 こっか 、作曲 さっきょく 者 しゃ が不明 ふめい なスペイン国歌 こっか やオランダ国歌 こっか 、古今 ここん 和歌集 わかしゅう の詠 よ み人 びと 知 し らず の和歌 わか から歌詞 かし を取 と った日本 にっぽん 国歌 こっか 「君 きみ が代 よ 」などがある。また特 とく に20世紀 せいき 以降 いこう に作詞 さくし ・作曲 さっきょく されたものの中 なか には、個人 こじん としての作詞 さくし 作曲 さっきょく 者 しゃ をあえて明示 めいじ せず、「合作 がっさく 」としているものも存在 そんざい する(南 みなみ スーダン国歌 こっか の詞 し 曲 きょく 、トルクメニスタン国歌 こっか の歌詞 かし 、文化 ぶんか 大 だい 革命 かくめい 期 き の中国 ちゅうごく 国歌 こっか の歌詞 かし など)。
国歌 こっか の作詞 さくし 作曲 さっきょく はその国 くに の国民 こくみん によってなされたものが多 おお いが、例外 れいがい も存在 そんざい する。イギリスのジョン・スタフォード・スミス により作曲 さっきょく された「天国 てんごく のアナクレオンへ 」のメロディを流用 りゅうよう したアメリカ国歌 こっか 、フィンランド 人 ひと のフレドリック・パシウスによる作曲 さっきょく のエストニア国歌 こっか などが例 れい としてある。作曲 さっきょく が外国 がいこく 人 じん による場合 ばあい でも作詞 さくし は自 じ 国民 こくみん によるケースがほとんどだが、パラグアイ国歌 こっか はウルグアイ 人 ひと のフランシスコ・アクーニャ・デ・フィゲロア(ウルグアイ国歌 こっか の作詞 さくし 者 しゃ でもある)の作詞 さくし 、イタリア 人 ひと のフランチェスコ・カッサーレの作曲 さっきょく によるものであり、作詞 さくし 作曲 さっきょく の双方 そうほう が外国 がいこく 人 じん によってなされている点 てん で特異 とくい である。
自国 じこく の自然 しぜん 風土 ふうど を賛美 さんび するもの、国家 こっか の安寧 あんねい を祈願 きがん するものは国家 こっか の政体 せいたい を問 と わず普遍 ふへん 的 てき である。その他 た 、君主 くんしゅ 国 こく においては君主 くんしゅ への賛美 さんび 、忠誠 ちゅうせい などを表現 ひょうげん したものが多 おお い。フランスおよびその影響 えいきょう を受 う けたラテンアメリカ、アフリカ諸国 しょこく では、自由 じゆう の価値 かち を讃 たた えるものや外敵 がいてき との抗 こう 争 そう を歌 うた ったものが多 おお い。中東 ちゅうとう 諸国 しょこく においてはイスラム教 いすらむきょう およびアラー を讃 たた える国歌 こっか が一般 いっぱん 的 てき である。一方 いっぽう 、キリスト教 きりすときょう の神 かみ に言及 げんきゅう する国歌 こっか はイギリスおよびその旧 きゅう 植民 しょくみん 地 ち 諸国 しょこく に多 おお く、それ以外 いがい では少 すく ない。
スペイン やボスニア・ヘルツェゴビナ などの国 くに においては、主 しゅ として歴史 れきし 的 てき ・民族 みんぞく 的 てき 要因 よういん により、国歌 こっか に公式 こうしき な歌詞 かし が存在 そんざい しない(器楽 きがく 曲 きょく )。
公用 こうよう 語 ご が複数 ふくすう ある国家 こっか では、国歌 こっか の歌詞 かし も各 かく 言語 げんご のものがすべて正式 せいしき なものとして認 みと められている場合 ばあい が多 おお い。例 れい としてスイス国歌 こっか は公用 こうよう 語 ご である4 よっ つの言語 げんご (ドイツ語 ご 、フランス語 ふらんすご 、イタリア語 ご 、ロマンシュ語 ご )すべてで歌詞 かし が作 つく られている。一方 いっぽう でシンガポール国歌 こっか のように、人口 じんこう 的 てき には少数 しょうすう 派 は の言語 げんご であるマレー語 ご での歌唱 かしょう が義務付 ぎむづ けられているものも存在 そんざい する[2] 。複数 ふくすう 言語 げんご でそれぞれ独立 どくりつ した歌詞 かし が存在 そんざい するものの、それらを部分 ぶぶん 的 てき に織 お り交 ま ぜて歌唱 かしょう することが通例 つうれい となっているもの(カナダ国歌 こっか 、ニュージーランド国歌 こっか など)、さらには公式 こうしき の歌詞 かし そのものが複数 ふくすう 言語 げんご で書 か かれ、常 つね に多言 たげん 語 ご で歌 うた われるもの(南 みなみ アフリカ国歌 こっか )もある。
国歌 こっか の使用 しよう 機会 きかい [ 編集 へんしゅう ]
国歌 こっか は、国内 こくない 向 む けには愛国心 あいこくしん の涵養 かんよう および表現 ひょうげん のため、また国外 こくがい 向 む けには国旗 こっき などと同様 どうよう に、国家 こっか の象徴 しょうちょう として他国 たこく との区別 くべつ を行 おこな うために用 もち いられる。
国旗 こっき 掲揚 けいよう 式 しき では、国旗 こっき の掲揚 けいよう と降下 こうか 時 じ に国歌 こっか が演奏 えんそう されることが多 おお い。多 おお くの国 くに では学校 がっこう で教育 きょういく の一環 いっかん として国歌 こっか の演奏 えんそう ・歌唱 かしょう が行 おこな われるほか、毎日 まいにち 始業 しぎょう 時 じ などに国歌 こっか 斉唱 せいしょう を行 おこな う国 くに もある(タンザニア など)。ほとんどの国営 こくえい テレビ局 てれびきょく やラジオ局 きょく は、放送 ほうそう 開始 かいし 前 まえ の早朝 そうちょう と放送 ほうそう 終了 しゅうりょう 後 ご の夜間 やかん に国歌 こっか を流 なが している。外交 がいこう の場 ば では、歓迎 かんげい 式典 しきてん でホスト国 こく とゲスト国 こく 双方 そうほう の国歌 こっか が演奏 えんそう されることが多 おお い。
国歌 こっか 斉唱 せいしょう や演奏 えんそう の際 さい には、国 くに により、またシチュエーションにより、敬礼 けいれい 、起立 きりつ 、脱帽 だつぼう など、特定 とくてい の礼儀 れいぎ 作法 さほう が求 もと められることがある。
スポーツ イベントの試合 しあい 前 まえ にも国歌 こっか 演奏 えんそう ・歌唱 かしょう が行 おこな われることがある。サッカー やラグビー など、スポーツの主要 しゅよう な国際 こくさい 大会 たいかい では試合 しあい を行 おこな う両国 りょうこく の国歌 こっか が演奏 えんそう され、開催 かいさい 国 こく の国歌 こっか が後 のち に演奏 えんそう される。オリンピック や世界 せかい 選手権 せんしゅけん の表彰 ひょうしょう 式 しき でメダルが授与 じゅよ される際 さい には、金 きん メダルを獲得 かくとく した選手 せんしゅ の国歌 こっか が演奏 えんそう される。アメリカのメジャーリーグベースボール や日本 にっぽん のプロ野球 やきゅう をはじめ、国内 こくない のチーム同士 どうし の対戦 たいせん の際 さい にも国歌 こっか の歌唱 かしょう が行 おこな われる場合 ばあい がある。
一方 いっぽう で、ある国 くに の国歌 こっか が国外 こくがい で演奏 えんそう されるかどうかは、その国 くに の置 お かれている政治 せいじ 的 てき 立場 たちば 、および国際 こくさい 的 てき 承認 しょうにん の有無 うむ に左右 さゆう される。例 たと えば、中華民国 ちゅうかみんこく (台湾 たいわん )は1979年 ねん 以降 いこう 、国際 こくさい オリンピック委員 いいん 会 かい から独立 どくりつ した国家 こっか として認 みと められておらず、チャイニーズタイペイ (中華 ちゅうか 台北 たいぺい または中国 ちゅうごく 台北 たいぺい )として競技 きょうぎ に参加 さんか しなければならないため、国歌 こっか の代 か わりに「中華民国 ちゅうかみんこく 国旗 こっき 歌 か 」が使用 しよう される。なお台湾 たいわん 国内 こくない では国旗 こっき 掲揚 けいよう と国旗 こっき 降 くだ 納 おさめ が行 おこな われる前 まえ に国歌 こっか が歌 うた われ、掲揚 けいよう および降 くだ 納 おさめ 中 ちゅう は国旗 こっき 歌 か が歌 うた われる。2018年 ねん の平 たいら 昌 あきら オリンピック 、2021年 ねん に行 おこな われた東京 とうきょう オリンピック においては、ロシア はドーピング 問題 もんだい のために国 くに 単位 たんい での参加 さんか を認 みと められず、個人 こじん 資格 しかく 等 とう で出場 しゅつじょう した選手 せんしゅ についても表彰 ひょうしょう 式 しき での国歌 こっか 演奏 えんそう が許可 きょか されなかった。このため平 たいら 昌 あきら においてはオリンピック賛歌 さんか 、東京 とうきょう ではピョートル・チャイコフスキー の「ピアノ協奏曲 きょうそうきょく 第 だい 1番 ばん 」の一部 いちぶ が国歌 こっか の代 か わりとして利用 りよう された[3] 。大韓民国 だいかんみんこく と朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく は、1991年 ねん に千葉 ちば 県 けん ・幕張 まくはり メッセ で開催 かいさい された第 だい 41回 かい 世界 せかい 卓球 たっきゅう 選手権 せんしゅけん 以降 いこう 、たびたび統一 とういつ チーム を組 く んで国際 こくさい 大会 たいかい に参加 さんか しているが、この場合 ばあい には民族 みんぞく 音楽 おんがく である「アリラン 」が国歌 こっか の代 か わりに用 もち いられるのが慣例 かんれい となっている[4] [5] 。
国歌 こっか の改変 かいへん ・改訂 かいてい [ 編集 へんしゅう ]
政体 せいたい および政権 せいけん の変更 へんこう 、または社会 しゃかい 思想 しそう の変化 へんか にともない、国歌 こっか が改変 かいへん 、改訂 かいてい 、変更 へんこう されることがある。
フランス の国歌 こっか 「ラ・マルセイエーズ 」は1792年 ねん 、ストラスブール市 し で工兵 こうへい 大尉 たいい ルージェ・ド・リール によって「ライン軍歌 ぐんか 」として作詞 さくし 作曲 さっきょく され、それをマルセイユ からの義勇 ぎゆう 兵 へい がパリ で広 ひろ めたものである。1795年 ねん に国歌 こっか として制定 せいてい されたが、ナポレオン・ボナパルト の第 だい 一 いち 帝政 ていせい のときに「門出 かどで の歌 うた 」に変更 へんこう され、1814年 ねん の復古 ふっこ 王政 おうせい によって演奏 えんそう 中止 ちゅうし となった。「ラ・マルセイエーズ」は七 なな 月 がつ 革命 かくめい 後 のち に復活 ふっかつ したが、1852年 ねん から1870年 ねん のあいだは公共 こうきょう の場 ば での歌唱 かしょう が禁止 きんし された。1879年 ねん に国歌 こっか であることを再 さい 確認 かくにん されたが、その交戦 こうせん 的 てき で血 ち 生臭 なまぐさ い歌詞 かし のため、たびたび歌詞 かし 改変 かいへん 運動 うんどう が起 お こっている。
ドイツ の国歌 こっか 「ドイツの歌 うた 」はヴァイマル共和 きょうわ 国 こく 時代 じだい に正式 せいしき な国歌 こっか となったが、1番 ばん の歌詞 かし に拡大 かくだい 主義 しゅぎ 的 てき な内容 ないよう を含 ふく んでいたため、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん で敗北 はいぼく した後 のち 、一時 いちじ 演奏 えんそう 禁止 きんし となった。1949年 ねん のドイツ連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく (旧 きゅう 西 にし ドイツ )成立 せいりつ 時 じ に、統一 とういつ と権利 けんり と自由 じゆう を謳 うた う3番 ばん のみを公式 こうしき なものとして復活 ふっかつ させ、東西 とうざい 統一 とういつ 後 ご のドイツでもこれが受 う け継 つ がれている。
中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の「義勇軍 ぎゆうぐん 進行 しんこう 曲 きょく 」は、1949年 ねん の建国 けんこく 時 じ に国歌 こっか として採用 さいよう された。その後 ご 、1966年 ねん から始 はじ まった文化 ぶんか 大 だい 革命 かくめい の時期 じき に、作詞 さくし 者 しゃ の田 た 漢 かん が「漢奸 かんかん 」とされてからは歌 うた われる機会 きかい が減少 げんしょう し、1975年 ねん に田 た 漢 かん が中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう 籍 せき を永久 えいきゅう 剥奪 はくだつ されて以降 いこう は曲 きょく のみが公式 こうしき に演奏 えんそう されるようになった。文革 ぶんかく 終結 しゅうけつ 直後 ちょくご の1978年 ねん には毛沢東 もうたくとう 思想 しそう を賛美 さんび する歌詞 かし が新 あら たに作 つく られ、元 もと の曲 きょく に合 あ わせて歌唱 かしょう されるようになった。その後 ご 1982年 ねん 12月の第 だい 五 ご 期 き 全国 ぜんこく 人民 じんみん 代表 だいひょう 大会 たいかい 第 だい 五 ご 回 かい 会議 かいぎ で、田 た 漢 かん の作詞 さくし による元 もと の歌詞 かし に戻 もど された。
トルクメニスタン の「独立 どくりつ 、中立 ちゅうりつ 、トルクメニスタンの国歌 こっか 」は1997年 ねん に国歌 こっか として採用 さいよう された。当時 とうじ の同国 どうこく は独裁 どくさい 者 しゃ として知 し られたサパルムラト・ニヤゾフ (テュルクメンバシュ)大統領 だいとうりょう の統治 とうち 下 か であり、国歌 こっか の歌 うた い出 だ しも「Türkmenbaşyň guran beýik binasy (テュルクメンバシュの作 つく った偉大 いだい な建造 けんぞう 物 ぶつ )」と、ニヤゾフ個人 こじん を称 たた えるものであった。2006年 ねん にニヤゾフが死去 しきょ した後 のち 、後任 こうにん の大統領 だいとうりょう であるグルバングル・ベルディムハメドフ により、脱 だつ ニヤゾフ政策 せいさく の一環 いっかん として2008年 ねん に歌詞 かし の変更 へんこう がなされ、当該 とうがい 箇所 かしょ は「Halkyň guran baky beýik binasy (人々 ひとびと の作 つく った永遠 えいえん に偉大 いだい な建造 けんぞう 物 ぶつ )」と改 あらた められた。
その他 た 、カナダ国歌 こっか の「True patriot love in all thy sons command (汝 なんじ の息子 むすこ たちすべての中 なか に流 なが れる真 しん の愛国心 あいこくしん )」という歌詞 かし は男女 だんじょ 同権 どうけん の観点 かんてん から長年 ながねん 問題 もんだい 視 し されており、2018年 ねん に「in all thy sons command (汝 なんじ の息子 むすこ たちすべての中 なか に)」が「in all of us command (私 わたし たちすべての中 なか に)」に改 あらた められた。
オーストラリア国歌 こっか に存在 そんざい していた「For we are young and free (我 われ らは若 わか くて自由 じゆう )」という歌詞 かし は、イギリスによる植民 しょくみん 地 ち 化 か 以前 いぜん からオーストラリア大陸 たいりく に居住 きょじゅう していたアボリジニ に配慮 はいりょ する形 かたち で、2021年 ねん に「For we are one and free (我 われ らは一 ひと つで自由 じゆう )」と改定 かいてい された。
国歌 こっか に準 じゅん ずる曲 きょく [ 編集 へんしゅう ]
国歌 こっか に次 つ いでその国 くに を象徴 しょうちょう するような歌 うた (曲 きょく )が「第 だい 二 に の国歌 こっか 」と呼 よ ばれることがある。ほとんどの場合 ばあい 、法的 ほうてき に定 さだ められたものではない。
「第 だい 二 に の国歌 こっか 」として知 し られる曲 きょく 。
前述 ぜんじゅつ の通 とお り王室 おうしつ 歌 か は国家 こっか の源流 げんりゅう のひとつであり、国内 こくない 的 てき には国歌 こっか に準 じゅん じた扱 あつか いを受 う ける場合 ばあい が多 おお い。イギリスやオランダなど国歌 こっか と王室 おうしつ 歌 か が同一 どういつ の国 くに 、タイやスウェーデンなど両者 りょうしゃ が異 こと なる国 くに がある。
大 おお きな統一 とういつ 体 たい の場合 ばあい 、欧州 おうしゅう 連合 れんごう (EU) の歌 うた として、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン の「歓喜 かんき の歌 うた 」をもつ。東南 とうなん アジア諸国 しょこく 連合 れんごう は「The ASEAN Way 」を2008年 ねん に公式 こうしき の歌 うた と定 さだ めている。国際 こくさい 連合 れんごう とアフリカ連合 れんごう も非公式 ひこうしき な歌 うた を持 も つ。
州 しゅう や地域 ちいき 、旧 きゅう ソ連 それん ・ロシア の共和 きょうわ 国 こく など、地方 ちほう 政府 せいふ も国歌 こっか に相当 そうとう するアンセム (州 しゅう 歌 か など)を持 も つ場合 ばあい が多 おお い。特 とく に連邦 れんぽう 制 せい の国 くに においては州 しゅう も一 いち 国 こく 同等 どうとう なので[7] 、国歌 こっか に準 じゅん ずる扱 あつか いを受 う けることがある。
音楽家 おんがくか による評価 ひょうか [ 編集 へんしゅう ]
作曲 さっきょく 家 か の團 だん 伊玖磨 いくま は晩年 ばんねん に、国歌 こっか の必要 ひつよう 条件 じょうけん として、「短 みじか い事 こと 、エスニックである事 こと 、好戦 こうせん 的 てき でない事 こと の3条件 じょうけん 」を挙 あ げ、「イギリス国歌 こっか 、ドイツ国歌 こっか 、君 きみ が代 よ の3つが白眉 はくび である」と評 ひょう した。
なお、君 きみ が代 よ については同時 どうじ に、「音楽 おんがく として歌曲 かきょく としては変 へん な曲 きょく だが、国歌 こっか としては最適 さいてき な曲 きょく である。」と書 か いていた[8] 。
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