(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ナブッコ - Wikipedia コンテンツにスキップ

ナブッコ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
『ナブッコ』序曲じょきょく冒頭ぼうとう総譜そうふ冒頭ぼうとう

ナブッコ』(Nabucco)、原題げんだいナブコドノゾール』(Nabucodonosor)は、ジュゼッペ・ヴェルディ作曲さっきょくしたぜん4まくからなるオペラである。題材だいざい旧約きゅうやく聖書せいしょユダヤきょう聖書せいしょ)の『エレミヤしょ』と『ダニエルしょ』からっている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1842ねんミラノスカラ座すからざ初演しょえんされた。ヴェルディにとって3さくのオペラだが、はじめてだい成功せいこう出世しゅっせさくとしてられ、とくにそのだい3まくでの合唱がっしょうけ、おもいよ、黄金おうごんつばさって(Va, pensiero)」は今日きょうイタリアにおいて国歌こっかみに、あるいはそれ以上いじょう有名ゆうめい旋律せんりつとなった。ナブッコとは、日本にっぽんでは普通ふつうネブカドネザルとしてられるバビロニアおう名前なまえである。

作曲さっきょく初演しょえん経緯けいい[編集へんしゅう]

1842ねん初演しょえん当時とうじ台本だいほん

このオペラの作曲さっきょく経緯けいい意外いがいなほど判明はんめいしていない。通説つうせつでは、だい2さくいちにちだけの王様おうさま』の初演しょえん失敗しっぱいし、私生活しせいかつでは2人ふたり子供こどもつま相次あいついでくし、絶望ぜつぼうのあまり作曲さっきょくふでろうとまでかんがえていたヴェルディにたいして、スカラ座すからざ支配人しはいにんバルトロメオ・メレッリが紹介しょうかいしたテミストークレ・ソレーラ作成さくせい台本だいほん(もともとドイツ出身しゅっしん新進しんしん作曲さっきょくオットー・ニコライにあてがわれたが、ニコライが「作曲さっきょくあたいしない」として返却へんきゃくしたもの)に1841ねんあきごろまでに作曲さっきょくがなされたとされている。

ソレーラの台本だいほんは、旧約きゅうやく聖書せいしょちゅう記述きじゅつ、それを戯曲ぎきょくした1836ねん初演しょえんフランス語ふらんすご舞台劇ぶたいげき、ならびにその戯曲ぎきょくもとづき1838ねんアントニオ・コルテージ作曲さっきょくしたバレエのすべてに依拠いきょしているとかんがえられており、とくにバレエはおなスカラ座すからざでの上演じょうえんでもあり、その舞台ぶたい装置そうち衣装いしょうなどおおくのものがオペラ初演しょえんには流用りゅうようされたともいう。

初演しょえん[編集へんしゅう]

題名だいめいやくナブッコにジョルジョ・ロンコーニ(バリトン)、アビガイッレやくにヴェルディの理解りかいしゃでもあり、後年こうねんその伴侶はんりょともなったジュゼッピーナ・ストレッポーニソプラノ)など実力じつりょく歌手かしゅはいした初演しょえん1842ねん3月9にち挙行きょこうされた。当夜とうやまれだい成功せいこうであり、ヴェルディは一躍いちやくドニゼッティなどに比肩ひけんしうるオペラ作曲さっきょくかい新星しんせいとの評価ひょうかった。

編成へんせい[編集へんしゅう]

初演しょえん当時とうじのナブコドノゾールおう(ナブッコ)衣装いしょうスケッチ

おも登場とうじょう人物じんぶつ[編集へんしゅう]

  • ナブコドノゾールおうバリトン):バビロニアおう史実しじつじょうネブカドネザル2せい歌劇かげきちゅうではナブッコとばれる。
  • イズマエーレ(テノール):エルサレムおうゼデキヤおい
  • ザッカリーア(バス):ヘブライじんだい祭司さいし
  • アビガイッレ(ソプラノ):おそらくナブッコとおんな奴隷どれいあいだまれた。ナブッコは王女おうじょちゅう長女ちょうじょとしてそだてている。
  • フェネーナ(ソプラノ、ただ声域せいいきてきにはメゾソプラノ):ナブッコとその正妻せいさい(の一人ひとり)とのあいだまれた。アビガイッレからみるといもうとぶんとされている。イズマエーレとは恋仲こいなか
  • 合唱がっしょう

舞台ぶたい構成こうせい[編集へんしゅう]

音楽おんがく音声おんせい外部がいぶリンク
序曲じょきょくのみ試聴しちょうする
G.Verdi:Nabucco (obertura) - Pietro Rizzo指揮しきガリシア交響こうきょう楽団がくだんユース・オーケストラ(Orquesta Joven de la Sinfónica de Galicia)による演奏えんそう。ガリシア交響こうきょう楽団がくだん公式こうしきYouTube。
Giuseppe Verdi - overture Nabucco
Vladimir Lande指揮しきSiberian State Symphony Orchestraによる演奏えんそう当該とうがい指揮しきしゃ自身じしん公式こうしきYouTube。
Giuseppe Verdi - Nabucco Overture - Zygmunt Nitkiewicz指揮しきSymphony Orchestra Of The Józef Marcin Żebrowski Music School in Częstochowaによる演奏えんそう。Akademia Filmu i Telewizji《映像えいぞう制作せいさくしゃ公式こうしきYouTube。

ぜん4まく

はら台本だいほんでは「まく」(atto)でなく「」(parte)で区切くぎられているため、厳密げんみつには「ぜん4構成こうせい」のオペラとしょうするべきだが、ここではより一般いっぱんてきな「まく表記ひょうきもちいる。

  • 序曲じょきょく
  • だい1まく「エルサレム」(Gerusalemme):ソロモン神殿しんでん内部ないぶ
  • だい2まく不信心ふしんじんしゃ」(L'Empio
    • だい1じょう バビロンの宮殿きゅうでん一室いっしつ
    • だい2じょう 宮殿きゅうでん大広間おおひろま
  • だい3まく予言よげん」(La Profezia
    • だい1じょう バビロンの空中くうちゅう庭園ていえん
    • だい2じょう ユーフラテス河畔かはん
  • だい4まくこわれた偶像ぐうぞう」(L'Idolo Infranto
    • だい1じょう 宮殿きゅうでん一室いっしつ
    • だい2じょう 空中くうちゅう庭園ていえん

あらすじ[編集へんしゅう]

とき場所ばしょ紀元前きげんぜん587ねんエルサレムおよびバビロン 

序曲じょきょく[編集へんしゅう]

演奏えんそう時間じかん7ふん少々しょうしょう。はじめヴェルディは本格ほんかくてき序曲じょきょくくべきかどうかまよっていたが、義兄ぎけい亡妻ぼうさいあに)ジョヴァンニ・バレッツィのすすめもあってこの序曲じょきょくをまとめたとつたえられる。内容ないようてきにはオペラきょくちゅうもちいられるかくテーマを要約ようやくしたもの。

だい1まく[編集へんしゅう]

だい1まく舞台ぶたい情景じょうけい(1958ねん

バビロニア国王こくおうナブッコと、勇猛ゆうもうなその王女おうじょアビガイッレにひきいられたバビロニアの軍勢ぐんぜいがエルサレムをそう攻撃こうげきしようとしている。ヘブライじんたちは周章しゅうしょう狼狽ろうばいたいだが、だい祭司さいしザッカリーアは「当方とうほうはナブッコのむすめフェネーナを人質ひとじちとしているので安心あんしん」と人々ひとびとしずめる。

そのフェネーナとエルサレムおうおい、イズマエーレは相思相愛そうしそうあいなかであるが、アビガイッレもまたイズマエーレにおもいをせている。アビガイッレは神殿しんでん制圧せいあつし、イズマエーレに「自分じぶんあいれれば民衆みんしゅうけよう」と取引とりひき提案ていあんするが、イズマエーレはそれを拒絶きょぜつする。

やがてナブッコも神殿しんでんあらわれる。ザッカリーアは人質ひとじちフェネーナにけんきつけて軍勢ぐんぜい退去たいきょうながすが、イズマエーレがフェネーナをすくおうとしたためそのこころみは失敗しっぱいする。ヘブライの民衆みんしゅうはイズマエーレの裏切うらぎりを非難ひなん勝利しょうりおさめたナブッコはまち神殿しんでん完全かんぜん破壊はかいめいずる。

だい2まく[編集へんしゅう]

だい1じょう[編集へんしゅう]

アビガイッレは自分じぶん出自しゅつじ秘密ひみつしるした文書ぶんしょ発見はっけん、ナブッコおう王女おうじょフェネーナに王位おういゆずるつもりであることをはげしく嫉妬しっとする。バビロニアの神官しんかんたちは「フェネーナはヘブライじん囚人しゅうじんたちを解放かいほうしようとしている。自分じぶんたちはナブッコおう死亡しぼうしたとの虚報きょほう流布るふするので、このすき王位おういうばってほしい」とアビガイッレをきつける。

だい2じょう[編集へんしゅう]

ザッカリーアは破壊はかいされた神殿しんでん祖国そこく、そして人々ひとびとしんなか信仰しんこうしん復活ふっかついのる。ヘブライじんたちはイズマエーレの裏切うらぎりを問責もんせきするが、ザッカリーアは人々ひとびとに「いまやフェネーナもユダヤきょう改宗かいしゅうした」とげ、わか二人ふたりをかばう。

アビガイッレとバビロニアの神官しんかんたちがあらわれ、フェネーナから王冠おうかんうばおうとする。そこにんだはずのナブッコおう登場とうじょう、「自分じぶんはただのおうではない。いまかみだ」とほこる。その驕慢きょうまんかみいかりにれ、ナブッコの頭上ずじょう落雷らくらいかれ精神せいしん錯乱さくらん状態じょうたいとなり、ちからうしなう。こうして王冠おうかんはアビガイッレがれる。

だい3まく[編集へんしゅう]

だい1じょう[編集へんしゅう]

アビガイッレはいま玉座ぎょくざすわっている。彼女かのじょ異教徒いきょうとたちを死刑しけいとする命令めいれい作成さくせいちからうしなったナブッコにたま璽をすようにいる。押印おういんしたナブッコは、改宗かいしゅうしたむすめフェネーナも死刑しけいとなることをりアビガイッレにしを懇願こんがんするが、彼女かのじょかない。

だい2じょう[編集へんしゅう]

ユーフラテス河畔かはんで、ヘブライじんたちが祖国そこくへのおもいをうたう。ここでうたわれるのが有名ゆうめい合唱がっしょうきょくけ、おもいよ、黄金おうごんつばさってVa, pensiero, sull'ali dorateである。ザッカリーアは祖国そこく最終さいしゅうてき勝利しょうりとバビロニアの滅亡めつぼう予言よげん人々ひとびと勇気付ゆうきづけようとする。

だい4まく[編集へんしゅう]

だい1じょう[編集へんしゅう]

監禁かんきんされているナブッコはエホバのかみゆるしをう。つい忠臣ちゅうしんたちがかれ解放かいほうする。ナブッコはフェネーナをすくい、王位おうい回復かいふくすることをちかう。

だい2じょう[編集へんしゅう]

ヘブライじんたちがまさに処刑しょけいされようとする刹那せつな、ナブッコが登場とうじょうかれはバビロニアのかみ々をまつった祭壇さいだん偶像ぐうぞう破壊はかいめいずる。偶像ぐうぞうはひとりでに崩壊ほうかいする。ナブッコはこれを奇蹟きせきであるとし、エホバのかみたたえ、ヘブライじんたちの釈放しゃくほう祖国そこくへの帰還きかん宣言せんげんする。群衆ぐんしゅうはエホバしん賛美さんび唱和しょうわする。形勢けいせい不利ふりであるとさとったアビガイッレは服毒ふくどくし、ナブッコとフェネーナにゆるしをいつつ絶命ぜつめい、ザッカリーアはナブッコを「おうなかおう」とたたえて、まく

上演じょうえん小史しょうし[編集へんしゅう]

イタリア各地かくちでの再演さいえん[編集へんしゅう]

初演しょえんおこなわれた1842ねん3月9にちスカラ座すからざ同年どうねんのシーズン終了しゅうりょう直前ちょくぜんであったが、どうオペラはそこからシーズン終了しゅうりょうまでに7かい再演さいえんがなされた。また1842ねんなつ-ふゆには臨時りんじのシーズンがもたれ、『ナブコドノゾール』はそこで記録きろくやぶりの57かい再演さいえんがなされている。ミラノがいでは1843ねんはるヴェネツィアフェニーチェ劇場げきじょうかわせつ各地かくちでの上演じょうえんがもたれている。

イタリア半島はんとうがい[編集へんしゅう]

『ナブコドノゾール』はイタリア半島はんとうがいでもはやくから上演じょうえんがなされたオペラのひとつである(もっともだい5さくエルナーニ』のほう初演しょえん流布るふ急速きゅうそくだった)。1843ねん4がつウィーンでの上演じょうえんがイタリア半島はんとうがいでの初演しょえんであり、同年どうねんあきにはリスボン1844ねんにはバルセロナベルリンシュトゥットガルトコルフ今日きょうギリシャりょう)、1845ねんにはパリハンブルク1846ねんにはコペンハーゲンロンドン1848ねんにはニューヨークでの上演じょうえんがなされた。

なおこのうち1844ねん、コルフでの上演じょうえん題名だいめいを『ナブッコ』に短縮たんしゅくしておこなわれた最初さいしょのものであり、以後いごイタリア半島はんとう内外ないがいでこの短縮たんしゅく題名だいめい慣例かんれいして今日きょういたっている。

1846ねん3がつ3にち、ロンドン、ハー・マジェスティーズ劇場げきじょうでの英国えいこく初演しょえんでは、旧約きゅうやく聖書せいしょ内容ないよう舞台ぶたいすることへの反対はんたいろん配慮はいりょして、題名だいめいを『ニーノ』Ninoとするなどの変更へんこうくわえられている。

日本にっぽん[編集へんしゅう]

日本にっぽんでの初演しょえんは「こえせんオペラ研究けんきゅうかい」による1971ねん6月25にち演奏えんそうかい形式けいしきによる公演こうえん訳詞やくし上演じょうえん?)で、指揮しきほしいずるゆたか管弦楽かんげんがく新星しんせい日本にっぽん交響こうきょう楽団がくだん[1]

け、おもいよ」[編集へんしゅう]

だい3まくだい2じょううたわれる合唱がっしょうけ、おもいよ、金色きんいろつばさって」は、このオペラ『ナブッコ』でもっと有名ゆうめいなナンバーで、『旧約きゅうやく聖書せいしょ』(ユダヤきょう聖書せいしょ)の詩篇しへん』137「バビロンのながれのほとりにすわり、シオンをおもって、わたしたちはいた。」に題材だいざいったうたである。

歌詞かしとそのためしやく[編集へんしゅう]

Va, pensiero, sull'ali dorate;
Va, ti posa sui clivi, sui colli,
Ove olezzano tepide e molli
L'aure dolci del suolo natal!

Del Giordano le rive saluta,
Di Sïonne le torri atterrate...
Oh, mia patria sì bella e perduta!
Oh, membranza sì cara e fatal!

Arpa d'or dei fatidici vati,
Perché muta dal salice pendi?
Le memorie nel petto raccendi,
Ci favella del tempo che fu!

O simile di Solima ai fati
Traggi un suono di crudo lamento,
O t'ispiri il Signore un concento
Che ne infonda al patire virtù!

け、おもいよ、金色きんいろつばさって
け、斜面しゃめんに、おかいこいつつ
そこではかおっている。あたたかくやわらかい
故国ここくあまいそよかぜが!

ヨルダンの河岸かわぎし挨拶あいさつを、
そして破壊はかいされたシオンのとうにも…
おお、あんなにもうつくしく、そしてうしなわれた故郷こきょう
おお、あんなにもなつかしく、そしてひどおも

運命うんめい予言よげんする預言よげんしゃ金色きんいろ竪琴たてごとよ、
何故なぜだまっている、やなぎけられたまま?
むねなかおもふたたけてくれ
ったときかたってくれ!

あるいはエルサレムの運命うんめいおな
つら悲嘆ひたんひびきをもった悲劇ひげきかた
あるいはあるじによってうつくしいひびきがこされ
それが苦痛くつうえる勇気ゆうき我々われわれますように!

け、おもいよ」合唱がっしょう部分ぶぶん冒頭ぼうとう簡易かんい表記ひょうき
|
音楽おんがく音声おんせい外部がいぶリンク
け、おもいよ、金色きんいろつばさって』
試聴しちょうする
Va,_pensiero,_sull'ali_dorate - アンドレア・バッティストーニ指揮しきベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽かんげんがくだん合唱がっしょうだんによる演奏えんそう。ベルリン・ドイツ・オペラ公式こうしきYouTube。
Và_pensiero_(Nabucco) - ジェームズ・コンロン指揮しきフェニーチェ歌劇かげきじょう管弦楽かんげんがくだん合唱がっしょうだんによる演奏えんそう。フェニーチェ歌劇かげきじょう公式こうしきYouTube。
歌詞かしはGarzantiしゃばん"Tutti i libretti di Verdi" ISBN 88-11-41061-4 より引用いんようためしやく引用いんようしゃによる)

初演しょえん評判ひょうばん――伝説でんせつとその検証けんしょう[編集へんしゅう]

この合唱がっしょうきょくかんしては有名ゆうめい伝説でんせつがある。すなわち;

初演しょえんのミラノ・スカラ座すからざ聴衆ちょうしゅうはこのナンバー、とりわけ"Oh, mia patria sì bella e perduta!"(おお、あんなにもうつくしく、そしてうしなわれた故郷こきょう!)の部分ぶぶんに、オーストリア支配しはいされたみずからの運命うんめいイタリア独立どくりつ戦争せんそう)をかさわせた。突発とっぱつてき発生はっせいしたこのきょくへの共感きょうかん熱烈ねつれつなアンコールの要求ようきゅうとなった。劇場げきじょう居合いあわせたオーストリア官憲かんけんもこの歌詞かし意味いみするところを理解りかいしていたが、聴衆ちょうしゅう暴動ぼうどうおそれアンコールは許可きょかされた。やがて、このオペラはイタリア半島はんとう全土ぜんど再演さいえんされ、そこではつねに、「け、おもいよ」への熱烈ねつれつ反応はんのう再現さいげんされた。

この伝説でんせつは、ヴェルディの伝記でんきにはかならずといっていいほど批判ひはんてき採用さいようされ(たとえばフランコ・アッビアーティちょの1959年刊ねんかん伝記でんき、あるいはジュリアン・バッデンちょしも掲書)、ヴェルディを「リソルジメント代表だいひょうてきなオペラ作曲さっきょく」と位置付いちづける根拠こんきょとしてもちいられてきた。1938ねん、あるいは1953ねんにイタリアで撮影さつえいされたヴェルディの伝記でんき映画えいがでもこのエピソードはヴェルディ初期しょき著名ちょめい出来事できごととしてドラマティックにえがかれている。

しかし、近年きんねん研究けんきゅうはこういった伝説でんせつたいして疑問ぎもんげかけている。ロジャー・パーカーは『ナブッコ』の1842ねん初演しょえんより1848ねんいたるまでのイタリアでの演奏えんそうひょう詳細しょうさい調査ちょうさしたが、結論けつろんとして、

  1. スカラ座すからざでの初演しょえん聴衆ちょうしゅうがアンコールをもとめた合唱がっしょうきょくはこの「け、おもいよ」ではなく、だい4まくだい2じょうの「偉大いだいなるエホバ」Immenso Jeovhaであった
  2. そのスカラ座すからざでの再演さいえん、イタリア半島はんとう各地かくちでの再演さいえんにも「け、おもいよ」を賞賛しょうさんする記事きじ皆無かいむである
  3. イタリア各地かくち(そしてヨーロッパ各地かくち)で革命かくめい運動うんどう活発かっぱつした1848ねんになると、『ナブッコ』を(『十字軍じゅうじぐんのロンバルディアじん』のようなイタリアじんそのものずばりを題材だいざいとしたオペラと対比たいひして)、「異国いこくとお過去かこのドラマであり、イタリアじんにとって縁遠えんどおいもの」と、むしろ酷評こくひょうするものもみられる

としており(しも掲書参照さんしょう)、この伝説でんせつはもっと後世こうせい産物さんぶつ、つまりヴェルディの大家たいかとしての地位ちい確立かくりつし、一方いっぽうイタリアの統一とういつ完成かんせいした1870年代ねんだい以降いこう形成けいせいされたのではないか、との考察こうさつおこなっている。

だい国歌こっか[編集へんしゅう]

以上いじょうのような疑問ぎもんのこるものの、この「け、おもいよ」は今日きょうのイタリア国民こくみんにとって「だい国歌こっかてき位置付いちづけにあるのは間違まちがいない。実際じっさい正規せいき国歌こっかとする提案ていあんすうにわたっておこなわれたともいう。なおイタリアでは、正統せいとう国歌こっかはイタリア政体せいたい変遷へんせんともない「王室おうしつ行進曲こうしんきょく」から「マメーリの賛歌さんか」にうつり、そのあいだファシストとうとうジョヴィネッツァ」が国歌こっか同然どうぜん位置付いちづけでうたわれる時代じだいもあった。

1901ねん1がつ27にちヴェルディが87さい長逝ちょうせいしたさいかれ遺志いしにより葬儀そうぎでは一切いっさい音楽おんがく演奏えんそうきんじられたが、それでもそのかんはこばれる早朝そうちょうミラノ沿道えんどう参集さんしゅうした群衆ぐんしゅう自然しぜんとこの「け、おもいよ」をうたったという。その1かげつかれつまジュゼッピーナの遺骸いがいかれらのてた音楽家おんがくかのための養老ようろういんいこいのいえ」Casa di Riposoに改葬かいそうされるさいには、800にん合唱がっしょうたいおよび30まんにんにもおよ群衆ぐんしゅうあらためて「け、おもいよ」をうたってこの偉大いだい作曲さっきょく夫妻ふさいしのんだ(一般いっぱん群衆ぐんしゅうの25,000にんあるいは30,000にん唱和しょうわしたともいうが、イタリアにおけるこのたね伝説でんせつつねいてかんがえる必要ひつようがある)。指揮しきをとったのはわかアルトゥーロ・トスカニーニであった。

だい世界せかい大戦たいせんなかの、ドイツぐん事実じじつじょう占領せんりょうにあったミラノにたいする連合れんごう国軍こくぐんによる空襲くうしゅうによる破壊はかい(1943ねん)から再建さいけんなったスカラ座すからざ再開さいかい記念きねんコンサートが1946ねん5月11にち、やはりトスカニーニのタクトで挙行きょこうされたとき、「け、おもいよ」は当然とうぜんのようにそのプログラムのなかにあった。

北部ほくぶイタリアの分離ぶんり独立どくりつ党是とうぜとする右派うは政党せいとう北部ほくぶ同盟どうめい(レガ・ノルド)はこの合唱がっしょうきょくとうのようにあつかっており、とう行事ぎょうじでは参加さんかしゃによる斉唱せいしょうがなされるという。

ナナ・ムスクーリうたう、Je chante avec toi liberte, Song for liberty, Libertad, が、1980年代ねんだいフランスのヒットチャートでながくトップをかざった。

近年きんねんでは2006ねん2がつ26にちトリノオリンピック閉会へいかいしきでもこの合唱がっしょうもちいられていた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Scott L. Balthazar(Ed.), "The Cambridge Companion to Verdi", Cambridge Univ. Press (ISBN 0-521-63535-7)
  • Julian Budden, "The Operas of Verdi (Volume 1)", Cassell, (ISBN 0-304-31058-1)
  • Charles Osbone, "The Complete Operas of Verdi", Indigo, (ISBN 0-575-40118-4)
  • Roger Parker, "Leonora's Last Act", Princeton, (ISBN 0-691-01557-0)
  • Pierluigi Petrobelli, Roger Parker(Tr.), "Music in the Theater", Princeton, (ISBN 0-691-02710-2)
  • Teatro alla Scala, "Verdi e la Scala", Rizzoli, (ISBN 88-17-86622-9)
  • えいちく由幸よしゆき「ヴェルディのオペラ――ぜん作品さくひん魅力みりょくさぐる」 音楽之友社おんがくのともしゃ (ISBN 4-2762-1046-1)
  • 日本にっぽんオペラ振興しんこうかいへん)「日本にっぽんのオペラ」 しんやましゃ (1986年刊ねんかん書籍しょせき情報じょうほうコードなし)

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]