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シモン・ボッカネグラ

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シモン・ボッカネグラ』(Simon Boccanegra)は、ジュゼッペ・ヴェルディ作曲さっきょくしたオペラ。1857ねん初演しょえんされ、24ねんの1881ねん改訂かいていされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

原作げんさくアントニオ・ガルシア・グティエレス戯曲ぎきょく『シモン・ボッカネグラ』(1843ねん)であり、史実しじつ人物じんぶつ題材だいざいとしている。これをもとにフランチェスコ・マリア・ピアーヴェ台本だいほんき、ヴェルディが1856ねんから1857ねんにかけて作曲さっきょくした。1881ねん改訂かいていされ、改訂かいていばん台本だいほんアッリーゴ・ボーイトによる。現在げんざいではもっぱら改訂かいていばん上演じょうえんされる。

ヴェルディの活動かつどう中期ちゅうき作品さくひんたるが、晩年ばんねん改訂かいていによって、ドラマのながれと歌手かしゅアリアがより緊密きんみつむすびつけられている。また、オペラ全編ぜんぺんつうじて3にんバリトンおよバス歌手かしゅ活躍かつやくし、低音ていおん魅力みりょくかせるのが特徴とくちょうとなっている。

舞台ぶたいは14世紀せいきなかば(1339ねんから1364ねん)のイタリアジェノヴァとその周辺しゅうへん。プロローグぜん3まく構成こうせいをとり、演奏えんそう時間じかんやく2あいだ10ふん(プロローグ25ふんだい1まく50ふんだい2まく30ふんだい3まく25ふん以上いじょう改訂かいていばんもとづく)[1]

初演しょえん
1857ねん3がつ12にち、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場げきじょう
改訂かいていばん初演しょえん
1881ねん3がつ21にちミラノスカラ座すからざ

作曲さっきょく経緯けいい[編集へんしゅう]

フェニーチェ劇場げきじょうでの初演しょえんまで[編集へんしゅう]

ヴェルディは、『椿つばきひめ』(ラ・トラヴィアータ)ののちパリ万国博覧会ばんこくはくらんかいでの上演じょうえんけ、フランス語ふらんすごによるオペラ『シチリアとうゆうべのいの』(1855ねん)を作曲さっきょくする。その、フェニーチェ劇場げきじょう支配人しはいにん約束やくそくしていたあたらしいオペラとしてとりかかったのが『シモン・ボッカネグラ』である。

イル・トロヴァトーレ』の原作げんさくしゃでもあるグティエレスの『シモン・ボッカネグラ』をんだヴェルディは、これを新作しんさくオペラとすべく、台本だいほん作家さっかのピアーヴェにおくった。フェニーチェ劇場げきじょうとの契約けいやくは1856ねん5がつであり、同年どうねん6がつまつから滞在たいざいさきパリ作曲さっきょくにとりかかった。

台本だいほん完成かんせいよく1857ねん2がつである。同月どうげつ中旬ちゅうじゅんにはヴェルディはだい1まく完成かんせいさせ、だい2まくだい3まくオーケストレーションのこすのみとなっていた。フェニーチェ劇場げきじょうのあるヴェネツィアに到着とうちゃくしたヴェルディは、現地げんち最後さいご仕上しあげにかかり、3月12にち初演しょえんのぞんだ。しかし、この初演しょえんだい失敗しっぱいわる。ヴェルディ43さいのときである。ヴェルディは友人ゆうじんへの手紙てがみつぎのようにいている。

素晴すばらしい出来できだとしんじていたのですが、『トラヴィアータ』以上いじょう失敗しっぱいでした。しかし、この失敗しっぱいわたしのせいというより、歌手かしゅ原因げんいんがあるかもしれません。」[2]

改訂かいていスカラ座すからざ初演しょえん[編集へんしゅう]

この作品さくひん愛着あいちゃくっていたヴェルディは改訂かいてい上演じょうえん機会きかいねらっていたが、すぐにはたせなかった。

1871ねんの『アイーダ初演しょえん新作しんさくオペラのないヴェルディに、楽譜がくふ出版しゅっぱんしゃであるリコルディしゃは1879ねんシェイクスピアの『オセロ』にもとづくオペラ提案ていあんした。台本だいほんについては、作曲さっきょく台本だいほん作家さっかアッリーゴ・ボーイト同社どうしゃから依頼いらいけており、『オセロ』のオペラは、もともとボーイトの構想こうそうでもあった。しかし、ヴェルディとボーイトは以前いぜんから反目はんもくしあっていたこともあって、ヴェルディは慎重しんちょう姿勢しせいくずさなかった。このため、リコルディしゃは『オセロ』のまえにひとまずほんさく改訂かいていちかけつつ、ヴェルディとボーイトの関係かんけいをとりなしたのである。

改訂かいていばん初演しょえんおこなわれたスカラ座すからざ

ボーイトは、悪役あくやくパオロの登場とうじょう場面ばめんやすことによって、主人公しゅじんこうシモンの悲劇ひげきせいきたせた[3]台本だいほん改訂かいていにより、登場とうじょう人物じんぶつ人間にんげんせいがより鮮明せんめいになり、わかりにくかったドラマ展開てんかい整理せいりされた。

音楽おんがくてきには、プロローグのほぼ全部ぜんぶ改訂かいていされ、当初とうしょなが前奏ぜんそうきょくはごくみじか導入どうにゅうえられた。だい1まく導入どうにゅうとフィナーレ(会議かいぎ場面ばめん)も改訂かいていされ、個々ここアリア二重唱にじゅうしょうにもれられた。ヴェルディは、従来じゅうらい様式ようしきてきカヴァティーナカバレッタ方式ほうしきから、アリアをドラマのながれの一環いっかんとしてとらえるようにあらためている。だい3まくのフィナーレでは「婚礼こんれい合唱がっしょう」が追加ついかされた。

改訂かいていばんは1881ねん3がつミラノスカラ座すからざ初演しょえんされ、今度こんどだい喝采かっさいむかえられた。フェニーチェ劇場げきじょう初演しょえんから24ねん、ヴェルディは68さいとなっていた。ほんさく改訂かいてい作業さぎょうつうじてきずかれた信頼しんらい関係かんけいのもと、ヴェルディとボーイトの共同きょうどう作業さぎょうによって、以降いこう、『オテロ』(1887ねん)、『ファルスタッフ』(1893ねん)と、ヴェルディ晩年ばんねん傑作けっさくされることになる[4]

おも登場とうじょう人物じんぶつ[編集へんしゅう]

  • シモン・ボッカネグラバリトン) もとは後世こうせいでいうわたしかすめせん船長せんちょうだが、平民へいみん後押あとおしによりジェノヴァ共和きょうわこく初代しょだい総督そうとくになる。
  • マリア・ボッカネグラソプラノ) シモンのむすめ本編ほんぺんではアメーリア・グリマルディと名乗なのっている。
  • ヤーコポ・フィエスコバス) もとジェノヴァ貴族きぞくでシモンの政敵せいてき本編ほんぺんではアンドレーア・グリマルディと名乗なのり、アメーリアを養育よういくする。
  • ガブリエーレ・アドルノテノール) 貴族きぞく幹部かんぶでアメーリア(マリア)の恋人こいびと
  • パオロ・アルビアーニ (バス) 平民へいみんのもと金糸きんし職工しょっこうで、のちジェノヴァ共和きょうわこく廷臣ていしん。シモンの腹心ふくしん部下ぶか
  • ピエトロ (バリトン) 平民へいみん。パオロとともに共和きょうわこく廷臣ていしんとなる。
  • 射手しゃしゅ隊長たいちょう (テノール)
  • 侍女じじょメゾソプラノ

楽器がっき編成へんせい[編集へんしゅう]

ピッコロフルート2、オーボエ2、クラリネット2、バス・クラリネットファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チンバッソティンパニだい太鼓たいこシンバルタンブリンかねハープつる5

バンダ:トランペット4、トロンボーン4、小太鼓こだいこ2、

構成こうせい[編集へんしゅう]

プロローグきのぜん3まくだい1まくは2じょうかれる。

プロローグ[編集へんしゅう]

サン・ロレンツォ教会きょうかい広場ひろばとフィエスコのかんまえ

平民へいみんのパオロとピエトロは、わたしかすめせん船長せんちょうのシモンをジェノヴァ総督そうとくかつそうと相談そうだんする。されたシモンには政治せいじてき野心やしんはなく、パオロたちのもういて躊躇ちゅうちょする。しかし、シモンの恋人こいびとであるマリアは政敵せいてきフィエスコのむすめであり、マリアはフィエスコによってかん幽閉ゆうへいされていた。自分じぶん総督そうとくになれば、フィエスコもマリアとの結婚けっこんゆるすかもしれないとかんがえたシモンは、総督そうとく選挙せんきょへの出馬しゅつば決意けついする。

かんからうちひしがれた姿すがたのフィエスコがあらわれる(アリア「あわれな父親ちちおや苦悩くのうするしんは」)。シモンはフィエスコのかんたずね、和解わかいとマリアとの結婚けっこんゆるしをう。フィエスコとシモンの二重唱にじゅうしょう。しかし、フィエスコはシモンとマリアのむすめ自分じぶんによこせとせまる。むすめ行方ゆくえれずであることをシモンがかたると、フィエスコは、自分じぶんまごもどるまで和解わかいしないといってる。いつもはじられているかんとびらひらいており、シモンはマリアにいたい一心いっしんかんなかはいるが、そこで病死びょうししたマリアをいだす。愕然がくぜんとして広場ひろばてくるシモンを、民衆みんしゅうが「シモンまんさい!」と歓呼かんここえむかえる。

だい1まく[編集へんしゅう]

だい1じょう[編集へんしゅう]

プロローグから25ねん。ジェノヴァ近郊きんこうのグリマルディ伯爵はくしゃくてい

アメーリアが登場とうじょう(ロマンツァ「あかつきほしうみ微笑ほほえみ」)。彼女かのじょのもとへ恋人こいびとのガブリエーレがやってくる。アメーリアとガブリエーレの二重唱にじゅうしょう。アメーリアはシモンとマリアの行方ゆくえれずになっていたむすめで、グリマルディひろわれていた。このことをらないフィエスコは、アンドレーアと名乗なのってアメーリアを養育よういくしていた。シモンはジェノヴァ総督そうとくとなり、腹心ふくしんのパオロとアメーリアとの結婚けっこんばなしすすめるために、グリマルディおとずれようとしていた。これをったガブリエーレとアメーリアはすぐに結婚けっこんしようとあいちかう。アンドレーアがあらわれ、アメーリアが孤児こじであることをガブリエーレにかたるが、ガブリエーレはそれでもアメーリアをつまにしたいという。アメーリア、ガブリエーレ、アンドレーアの三重唱さんじゅうしょう

シモンの到着とうちゃくげられ、アンドレーアとガブリエーレはそのる。シモンはアメーリアに、パオロと結婚けっこんすれば、追放ついほうされたグリマルディの一族いちぞく赦免しゃめんするという。アメーリアは、自分じぶんにはしんめた相手あいてがいること、財産ざいさん目当めあてのパオロとは結婚けっこんしないと拒絶きょぜつし、そもそも自分じぶんはグリマルディむすめではないとうえかす。はなしくうちに、シモンはアメーリアが自分じぶんむすめであることにづく。二人ふたりい、25ねんぶりの再会さいかいよろこぶ。シモンとアメーリアの二重唱にじゅうしょう

むすめんだシモンはパオロとの結婚けっこんばなし破談はだんにする。しかし、この通告つうこくけたパオロは逆上ぎゃくじょうしてシモンをうらみ、ピエトロとんでアメーリアの略奪りゃくだつたくらむ。

だい2じょう[編集へんしゅう]

ジェノヴァ共和きょうわこく議会ぎかいじょう

議会ぎかいでシモンがヴェネツィア共和きょうわこくとの和平わへい重要じゅうようせいいていると、突然とつぜんそと争乱そうらんこる。民衆みんしゅうわれたガブリエーレとフィエスコが議会ぎかいじょうんでくる。シモンは民衆みんしゅう制止せいしするが、ガブリエーレは、アメーリアが誘拐ゆうかいされ、その首謀しゅぼうしゃこそシモンだと糾弾きゅうだんしてりかかる。たすされたアメーリアが2人ふたりあいだってはいり、黒幕くろまくべつにいることをげる。貴族きぞく平民へいみんたがいにののしうが、シモンは同胞どうほう同士どうしのいさかいをめるようく。シモンは騒動そうどう原因げんいんとなったガブリエーレとフィエスコをろうれると、パオロにたいし、この部屋へや卑劣ひれつ裏切うらぎものがいること、自分じぶんはそれがだれなのかっていること、パオロを証人しょうにんとしてそのならずもののろえ、とせまる。パオロはあおざめ、ふるえながら自分じぶん自分じぶんのろう。

だい2まく[編集へんしゅう]

ジェノヴァ総督そうとくていとして使つかわれたサン・ジョルジョ宮殿きゅうでん

総督そうとく部屋へや

シモンをふかうらんだパオロは、シモンの水差みずさしにどくる。さらに、らえられていたアンドレーアとガブリエーレをろうから条件じょうけんとして、2人ふたりにシモンの暗殺あんさつちかける。フィエスコは拒絶きょぜつしてふたたろうもどされるが、ガブリエーレはシモンがアメーリアとおたのしみちゅうだとパオロからまれ、激怒げきどする(アリア「わがしんほのおえる」)。面会めんかいにやってきたアメーリアにガブリエーレはいかりをぶちまける。そこへシモンがやってきたため、ガブリエーレはバルコニーの物陰ものかげかくれる。アメーリアはガブリエーレの赦免しゃめん嘆願たんがんし、シモンは寛大かんだい措置そち約束やくそくする。

つかれたシモンは水差みずさしのみずみ、眠気ねむけもよおす。ガブリエーレがシモンをころそうとしてちかづき、けんく。もどってきたアメーリアがそれをつけてめる。シモンはまし、自分じぶんがアメーリアの父親ちちおやであることをかす。ガブリエーレはシモンに謝罪しゃざいする(シモン、アメーリア、ガブリエーレによるさん重唱じゅうしょう「あなたは彼女かのじょ父上ちちうえ!」)。そのときふたたがいさわぎがこり、ガブリエーレはシモンのために、争乱そうらん沈静ちんせいさせようとく。

だい3まく[編集へんしゅう]

総督そうとく部屋へや

争乱そうらん鎮圧ちんあつされ、フィエスコが釈放しゃくほうされる。反逆はんぎゃくざいらえられたパオロは、処刑しょけいじょうてられながら、シモンのからだどくまわっていることをフィエスコにげる。とお教会きょうかいからアメーリアとガブリエーレの婚礼こんれい合唱がっしょう総督そうとく部屋へやまでひびいてくる。

どくによって衰弱すいじゃくしたシモンは、うみなつかしむ(モノローグ「なぐさめてくれ、うみのそよかぜよ!」)。フィエスコがシモンのまえあらわれる。シモンはフィエスコに、アメーリアこそが自分じぶんむすめであり、フィエスコのまごだとげ、ついににん和解わかいする。シモンとフィエスコの重唱じゅうしょう「わしは、かみこえなみだながす」。そこへ結婚式けっこんしきえたアメーリアとガブリエーレが登場とうじょう、シモンはフィエスコがアメーリアの祖父そふであることをかす。シモン、フィエスコ、アメーリア、ガブリエーレによるよん重唱じゅうしょう偉大いだいなるかみよ」。シモンはのこされたものたちの平和へいわいのり、ガブリエーレをつぎ総督そうとく任命にんめいしていきえる。

歴史れきしじょうのシモン・ボッカネグラ[編集へんしゅう]

サン・ジョルジョ宮殿きゅうでん壁画へきがえがかれたシモンぞう(ジェノヴァ)

表題ひょうだいやくとなったシモン・ボッカネグラは実在じつざい人物じんぶつ(? - 1363ねん)である。14世紀せいきジェノヴァ当時とうじジェノヴァ共和きょうわこく)では、4つの有力ゆうりょく貴族きぞく教皇きょうこう皇帝こうていかれてあらそっていた。フィエスキグリマルディのグェルフとう教皇きょうこう)とスピノーラ、ドーリアのギベリンとう皇帝こうてい)である。この対立たいりつに、商人しょうにん平民へいみんによる平民へいみんとの対立たいりつくわわった。こうしたなかで、シモンは1339ねん初代しょだいジェノヴァ総督そうとく就任しゅうにんした。1344ねん貴族きぞく陰謀いんぼうによりいったん失脚しっきゃくするが、1356ねん総督そうとく復帰ふっきする。1363ねん宴会えんかいせきたおれてぼっした。ワインにどくられたのが死因しいんであるという[5]

また、『シモン・ボッカネグラ』は、リヒャルト・ワーグナー歌劇かげきリエンツィ』の物語ものがたりどう時代じだいであり、『リエンツィ』の主人公しゅじんこうニコラ・ディ・リエンツォローマころされたのは1354ねんである。ほんさくだい1まくフィナーレでのシモンの演説えんぜつには、この史実しじつけて「リエンツィとおな栄光えいこう予言よげんこえが、いまやジェノヴァ一帯いったいにもひびわたっている。ここにペトラルカ手紙てがみがある。」という一節いっせつがある。

配役はいやくについて[編集へんしゅう]

題名だいめいやくのシモンは、ちちとしての情愛じょうあい政治せいじとしての器量きりょう船乗ふなのりとしての豪快ごうかいさの3つの個性こせい必要ひつようとされる。

これらをそなえたバリトン歌手かしゅとして、音楽之友社おんがくのともしゃへん『スタンダード・オペラ鑑賞かんしょうブック』では、ピエロ・カプッチルリを「当代とうだいきってのシモンうたい」としている。カプッチルリがシモンをうたった録音ろくおんなかでも、とくにクラウディオ・アバド指揮しきミラノ・スカラ座すからざ管弦楽かんげんがくだんとの演奏えんそう(1977ねん)は、ニコライ・ギャウロフ(フィエスコ)、ミレッラ・フレーニ(アメーリア)、ホセ・カレーラス(ガブリエーレ)、ジョゼ・ヴァン・ダム(パオロ)らとの共演きょうえんであり、「おそらくかんがえられるかぎ最強さいきょうのメンバーによる決定けっていばん」とする[6]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ スタンダード・オペラ鑑賞かんしょうブック p.109
  2. ^ スタンダード・オペラ鑑賞かんしょうブック p.118
  3. ^ このことは、のちの『オテロ』での悪役あくやくヤーゴの存在そんざいかんにつながっている。
  4. ^ スタンダード・オペラ鑑賞かんしょうブック p.119およびpp.223-224
  5. ^ スタンダード・オペラ鑑賞かんしょうブック pp.120-123
  6. ^ スタンダード・オペラ鑑賞かんしょうブック pp.125-126

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]