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エルナーニ

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エルナーニ』(Ernani)は、ジュゼッペ・ヴェルディ作曲さっきょくしたぜん4まくからなるオペラである。ヴィクトル・ユーゴーの、これも有名ゆうめい戯曲ぎきょく『エルナニ』にもとづく。1844ねん初演しょえんされ、ヴェルディにとってだい5さくのオペラであり、初期しょき傑作けっさくひとつにかぞえられる。

作曲さっきょく経緯けいい

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ヴェネツィアとの契約けいやく

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前々まえまえさくナブッコ』(初演しょえん1842ねん)、前作ぜんさく十字軍じゅうじぐんのロンバルディアじん』(どう1843ねん)のミラノスカラ座すからざ初演しょえん成功せいこうヴェルディ新進しんしん気鋭きえいのオペラ作曲さっきょくとしての評価ひょうか急速きゅうそくたかまりつつあった。ロッシーニ作曲さっきょくから引退いんたいベッリーニは1835ねん早世そうせいドニゼッティしゅとしてパリウィーン拠点きょてん活動かつどうしており、ちょうどこのときイタリアはあらたなオペラ作曲さっきょく渇望かつぼうしていたという事情じじょうもある。

ヴェルディはこの好機こうきかしてだい飛躍ひやくくわだてる。これまで4さくすべスカラ座すからざでの初演しょえんであり、おおくは同座どうざ支配人しはいにん興行こうぎょうといったほうがより的確てきかく)、バルトロメオ・メレッリにあたえられた台本だいほん唯々いい諾々だくだくきょくけているだけだった。メレッリはまた、金銭きんせんてきにも作曲さっきょくにとってしぶいことでも有名ゆうめいだった。ヴェルディは、作曲さっきょくめんでも金銭きんせんめんでもより有利ゆうり条件じょうけん追求ついきゅうすべく、今回こんかい歌劇かげきじょうからの委嘱いしょくける決心けっしんだった。

こののがさずヴェルディに接近せっきんしてきたのは、イタリア半島はんとう北部ほくぶにおけるスカラ座すからざ最大さいだいのライヴァル、ヴェネツィアフェニーチェ劇場げきじょう支配人しはいにん、ナンニ・モチェニーゴ侯爵こうしゃくだった。条件じょうけんは、1843ねん-44ねんのカーニヴァル・シーズンに2さく上演じょうえんすること、うち1さくはヴェネツィアにとっての初演しょえん最終さいしゅうてきには『イ・ロンバルディ』を上演じょうえんした)、もう1さく完全かんぜんなる新作しんさくであること、となっていた。ヴェルディは1843ねん6がつごろこの条件じょうけん受諾じゅだくした。

ヴェルディから提示ていじしたおも条件じょうけんは、

  1. 新作しんさく上演じょうえんりょうとしてヴェルディは12,000オーストリア・リラを受領じゅりょうする
  2. その上演じょうえんりょう初演しょえん終了しゅうりょうまでに全額ぜんがく支払しはらわれる
  3. 新作しんさく題材だいざいは、ヴェルディに決定けっていけんがある
  4. 台本だいほん作家さっか人選じんせんはヴェルディに決定けっていけんがあり、またその対価たいか劇場げきじょうでなくヴェルディが支払しはら
  5. 歌手かしゅ人選じんせんについても、フェニーチェ劇場げきじょうどうシーズン契約けいやくした歌手かしゅじんなかからヴェルディが選定せんていする。

というものであり、モチェニーゴはそれらをすべてれた。このうち1.については、前々まえまえさく『ナブッコ』でヴェルディが受領じゅりょうしたのは4,000リラ、『イ・ロンバルディ』で8,000リラ(ともにメレッリのスカラ座すからざより)であることをかんがえれば、その出世しゅっせりがうかがえよう。2.にかんしては若干じゃっかん解説かいせつ必要ひつようである。当時とうじのイタリア・オペラ興行こうぎょうでの慣習かんしゅうでは、新作しんさくオペラの場合ばあい上演じょうえんりょう分割払ぶんかつばらいで、うち相当そうとう程度ていどだい3かい公演こうえん終了しゅうりょう支払しはらわれることになっていた。つまり新作しんさく失敗しっぱいわり、3かい以上いじょう公演こうえん完了かんりょうしなかった場合ばあいには作曲さっきょくしゃ当初とうしょ契約けいやくよりすくない金額きんがくしかることができなかった。ヴェルディは実際じっさいだい失敗しっぱいわり、たった1しか上演じょうえんがなされなかった『いちにちだけの王様おうさま』(1840ねん)でそうしたっている。この条件じょうけん挿入そうにゅうは、ヴェルディの自信じしんあらわれとみることができよう。

題材だいざい検討けんとう

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ヴェルディ自身じしんかんがえていた題材だいざいは、おもイギリス作家さっか作品さくひんたとえばシェイクスピアの『リアおう』、リットンの『リエンツィ』、あとバイロンしょ作品さくひんなどであったらしい。

うち『リアおう』はヴェルディが生涯しょうがいつうじてオペラくわだてて、様々さまざま理由りゆう断念だんねん結局けっきょく作品さくひんできなかったいわくつきの題材だいざいである。このとき検討けんとうはそのうち最初さいしょこころみにあたるのだが、リアおうえんうたうべきはバス歌手かしゅかんがえていたヴェルディは、フェニーチェ劇場げきじょうがこのシーズンにすぐれたバスを確保かくほできないらしいとって断念だんねんした。

また『リエンツィ』は1835ねん初版しょはん小説しょうせつであり、すでに1842ねんにはヴェルディ後年こうねんのライヴァル、リヒャルト・ワーグナーがオペラドレスデン初演しょえんしている。ヴェルディがワーグナー作品さくひん存在そんざいっていたかどうかはさだかではないものの、かりにヴェルディがこれをオペラしていたならば、りょう大家たいか唯一ゆいいつ競作きょうさく作品さくひんとなったはずであった。このときは、ヴェネツィアでの検閲けんえつ通過つうか困難こんなんさをかんがえて計画けいかく放棄ほうきされたとかんがえられている。

台本だいほん作家さっかピアーヴェ

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題材だいざい検討けんとうつづけるヴェルディに接近せっきんしてきたのがフランチェスコ・マリア・ピアーヴェであった。ピアーヴェはヴェルディより3さい年長ねんちょうであるが、台本だいほん作家さっかとしてのキャリアを1842ねんにスタートさせたばかりで、このころはフェニーチェ劇場げきじょう上演じょうえん監督かんとく地位ちいにあった。かれはウォルター・スコットの小説しょうせつ「ウッドストック」にもとづいて独自どくじこした台本だいほん『アラン・キャメロン』Allan Cameronをヴェルディに提案ていあんした。これは、清教徒せいきょうと革命かくめい題材だいざいをとり、ウスターのたたか以降いこうチャールズ2せいオリバー・クロムウェルらのこうそうえがいたもの(なお、ピアーヴェはユーゴーの『クロムウェル』を台本だいほんした、と記述きじゅつしている書籍しょせきもあるが、これはあやまり)。

ヴェルディとピアーヴェはこの『アラン・キャメロン』をオペラすべくしばし努力どりょくする。ヴェルディはその内容ないようについて「イベントにとぼしい」などいくつかの不満ふまんをもっていたし、ピアーヴェがまだ駆出かけだ同然どうぜん経験けいけん不足ふそくであるのも不安ふあんだった。しかしピアーヴェの韻文いんぶんうつくしさにはるべきものがあったし、またかれがよくく、温和おんわ性格せいかくだったこともヴェルディはったようだ。1843ねんの9がつには『アラン・キャメロン』はほぼ放棄ほうき状態じょうたいとなってしまったが、ヴェルディはそのままピアーヴェをもちいて、支配人しはいにんモチェニーゴの提起ていきした代案だいあんをオペラすることに同意どういした。それが、ヴィクトル・ユーゴー原作げんさくの『エルナニ、またはカスティーリャの名誉めいよHernani, ou l'Honneur Castillanだった。

戯曲ぎきょく『エルナニ』とそのオペラ

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「エルナニ事件じけん

ユーゴーさく戯曲ぎきょく『エルナニ』は1830ねんパリコメディ・フランセーズ劇場げきじょう上演じょうえんされた。「さん一致いっち法則ほうそく(règle des trois unités)」「またぎ(enjambement)の禁忌きんき」など古典こてん演劇えんげきだい原則げんそく逸脱いつだつし、「フランス・ロマン演劇えんげき創始そうし」とされるこの作品さくひん初演しょえん古典こてん野次やじ、ロマン支持しじしゃ喝采かっさいはげしい衝突しょうとつび、そのさい騒動そうどうが「エルナニ事件じけん戦争せんそう)」La bataille d'Hernaniとしてられているほどの話題わだいさくだった。ヴィンチェンツォ・ベッリーニ初演しょえん直後ちょくごの1830ねんから31ねんにかけて作曲さっきょくこころみているが、検閲けんえつかり、序曲じょきょく一幕ひとまくのスケッチのみで作曲さっきょく中断ちゅうだんしてしまう(w:Vincenzo Bellini#Attempts to create Ernani参照さんしょう)。この草稿そうこうは21世紀せいきはいってCDされている。

ヴェルディが題材だいざい選定せんていおこなっていた1843ねんにおいてはその興奮こうふんめていたものの、『エルナニ』あるいは原作げんさくしゃヴィクトル・ユーゴーの検閲けんえつかんにとってはいまだに危険きけんひびきをもつ存在そんざいのはずであり、モチェニーゴがなぜそういった問題もんだいさくをヴェルディに提案ていあんしたのか、はっきりとはわかっていない。戯曲ぎきょく『エルナニ』の革新かくしんせい演劇えんげき内容ないようよりもその表現ひょうげん方法ほうほうそんするため、オペラしても安全あんぜんであるとんでいた可能かのうせいもあるし、こののちヴェネツィアの検閲けんえつ当局とうきょくとの会談かいだんどうさくのオペラ案外あんがいすんなりとみとめられたことからみて、モチェニーゴあるいはピアーヴェはなんらかのルートで事前じぜん検閲けんえつ動向どうこうっていたとも想像そうぞうされる(検閲けんえつかん意向いこうさぐるのは当時とうじ台本だいほん作家さっか重要じゅうよう職責しょくせきひとつであり、ピアーヴェは生涯しょうがいつうじてそのてんでは有能ゆうのうぶりを発揮はっきしている)。

一方いっぽう、ピアーヴェの台本だいほん作家さっかとしての経験けいけん不足ふそく不安ふあんおぼえたらしいヴェルディは、当時とうじ在住ざいじゅうミラノからすうにわたり詳細しょうさい指示しじおこなっている。はら戯曲ぎきょくぜん5まくにもおよ長大ちょうだいなものだったが、ピアーヴェは指示しじ沿ってこのうちだい1-3まくおもって短縮たんしゅく単一たんいつだい1まくとした。この結果けっか原作げんさく主人公しゅじんこうエルナニがもっとも活躍かつやくするだい2まく割愛かつあいされてしまった。

また注目ちゅうもくされるのは「最後さいごの2まくぶんについてだが、できるだけユーゴーに忠実ちゅうじつ沿ったほう効果こうかてきというものだろう。(中略ちゅうりゃく原作げんさく素晴すばらしい語句ごくとさないようにしてもらいたい」(ピアーヴェあて1843ねん10がつ2にちづけ書簡しょかん)など、カットしない箇所かしょかんしてはぎゃくげん戯曲ぎきょくたいする忠実ちゅうじつせいをヴェルディが要求ようきゅうしていることである(ただし、原作げんさくでは3にんともぬ、というラストシーンを改変かいへんしている)。19世紀せいき前半ぜんはんにおけるイタリア・オペラでは、かりに「原作げんさく」などがあろうとも登場とうじょう人物じんぶつ性格せいかくけだけを継承けいしょうして、筋書すじがき勝手かってさい構成こうせい歌詞かし表現ひょうげん音楽おんがく都合つごう次第しだい改変かいへんする、というのが(ロッシーニやドニゼッティといった大家たいか例外れいがいでなく)常識じょうしきだっただけに、ヴェルディのこの作曲さっきょく態度たいどはまったくあたらしい時代じだい象徴しょうちょうするものだった。

配役はいやく問題もんだい

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ヴェルディはまた、支配人しはいにんモチェニーゴから「カロリーナ・ヴィエッティなるコントラルト歌手かしゅ配役はいやくくわえてもらえないか」との懇請こんせいけ、検討けんとうしている。彼女かのじょはヴェネツィアでは大人気だいにんき歌手かしゅであった。かりにこの依頼いらい受諾じゅだくするとなると、主要しゅよう登場とうじょう人物じんぶつ声域せいいきはエルナーニ(コントラルト)、ドン・カルロ(テノール)、シルヴァ(バリトン)、エルヴィーラ(ソプラノ)となるはずであった。

主人公しゅじんこう男性だんせいやく女声じょせい担当たんとうするというのはもちろん18世紀せいきにはたりまえたとえばヘンデルセルセ』)で、19世紀せいきはじめにもあり方式ほうしきであるが(未完みかんのベッリーニばんではジュディッタ・パスタ想定そうていしていたとされる)、すでにこの1840年代ねんだいには時代遅じだいおくれとみなされるかたむきがあった。ピアーヴェがヴィエッティ起用きようあんつよ反対はんたいし、モチェニーゴを説得せっとくしてくれたうえ最終さいしゅうてきには契約けいやく条件じょうけんちゅうの「歌手かしゅ人選じんせんはヴェルディ」のおかげで、配役はいやく青年せいねんエルナーニ(テノール)、壮年そうねんカルロ(バリトン)、老年ろうねんシルヴァ(バス)、わか美女びじょエルヴィーラ(ソプラノ)、という単純たんじゅんながらこえのバランスのいものとなった。

完成かんせい初演しょえん

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オペラは1844ねん年初ねんしょごろには完成かんせい、リハーサルと平行へいこうしてのオーケストレーションをて、3月9にちにフェニーチェ劇場げきじょう初演しょえんされた。主役しゅやくテノール歌手かしゅカルロ・グアスコののど不調ふちょう主役しゅやくソプラノ、ソフィア・レーヴェのけたような歌唱かしょう舞台ぶたい装置そうち一部いちぶ完成かんせい等々とうとう障害しょうがいにもかかわらず、この『エルナーニ』はだい成功せいこうであった。どうオペラは、ヴェルディの初期しょきのオペラとしては世界せかい初演しょえんからイタリア半島はんとうがいかく都市としでの初演しょえんまでの間隔かんかくもっとみじか部類ぶるいぞくしている。オペラ作曲さっきょくヴェルディがたんなるイタリア半島はんとう新進しんしんという位置いちづけから、ヨーロッパ全体ぜんたいにおける有望ゆうぼう新人しんじんへと飛躍ひやくしたのはこの作品さくひんからだった。

編成へんせい

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おも登場とうじょう人物じんぶつ

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  • エルナーニ (テノール): 山賊さんぞく頭目とうもく断絶だんぜつした貴族きぞくいえ出身しゅっしんで、ドン・フアン(ジョヴァンニ)がしん
  • ドン・カルロ (バリトン): 実在じつざい神聖しんせいローマ皇帝こうていカール5せいスペインおうとしてはカルロス1せい)のこと。ただ史実しじつじょうかれは19さい皇帝こうてい選出せんしゅつされているが、オペラではそれほどわかいわけでもない。
  • ドン・ルイ・ゴメス・デ・シルヴァ (バス): スペインのほこたか貴族きぞく老人ろうじん
  • ドンナ・エルヴィーラ (ソプラノ): シルヴァのめい。エルナーニと相思相愛そうしそうあいだが、伯父おじシルヴァと無理むりやり結婚けっこんさせられようとしている。原作げんさくでは「ドニャ・デ・ソル・シルヴァ」。
  • ジョヴァンナ (ソプラノ): エルヴィーラの乳母うば
  • ドン・リッカルド (テノール): カルロの従者じゅうしゃ
  • ヤーゴ (バス): シルヴァの従者じゅうしゃ
  • 合唱がっしょう

舞台ぶたい構成こうせい

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ぜん4まく

  • 前奏ぜんそうきょく
  • だい1まく 「山賊さんぞく」:
    • だい1じょう アラゴンさびしい山中さんちゅう
    • だい2じょう シルヴァの居城きょじょうにあるエルヴィーラの部屋へやなか
  • だい2まく 「客人きゃくじん」: シルヴァの居城きょじょう大広間おおひろま
  • だい3まく 「慈悲じひ」: アクィスグラーナ(げんドイツアーヘン)、アーヘンだい聖堂せいどうなか
  • だい4まく 「仮面かめん」: サラゴサにある、ドン・ジョヴァンニ(エルナーニ)のかん

あらすじ

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時代じだい: 1519ねん、カール5せい即位そくい直前ちょくぜん

前奏ぜんそうきょく

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3ふん少々しょうしょうみじかいもの。だい2まく終盤しゅうばんの「角笛つのぶえ場面ばめん」でもちいられるテーマが主題しゅだいとなる。

だい1まく

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だい1じょう

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山賊さんぞくたちの巣窟そうくつ夕暮ゆうぐ配下はいかものたちがみかつうたっているなかで、頭目とうもくのエルナーニはなやんでいる。明日あしたになればかれ恋人こいびとドンナ・エルヴィーラはその伯父おじであるシルヴァ老人ろうじん結婚けっこんさせられてしまう。部下ぶか山賊さんぞくたちはかれはげまし、総員そういんでエルヴィーラを居城きょじょうから誘拐ゆうかいすることに決定けっていする。

だい2じょう

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同夜どうや、エルヴィーラの居室きょしつ彼女かのじょもエルナーニが自分じぶん救出きゅうしゅつしてくれるとしんじている。ドン・カルロ(スペインおう)がおしのびで登場とうじょうする。かれはエルヴィーラに自分じぶん熱愛ねつあいげ、彼女かのじょ強引ごういんそうとする。そこへエルナーニが登場とうじょうかれはカルロを国王こくおうであると見抜みぬき、国王こくおうによって家名かめい断絶だんぜつしたとかんがえていることから敵愾心てきがいしんをよりやす。カルロのほうは、山賊さんぞくエルナーニの素性すじょうまではらない。2人ふたりあらそいがエルヴィーラの仲裁ちゅうさいおさまった刹那せつな老人ろうじんシルヴァもあらわれる。シルヴァは、エルヴィーラの居室きょしつ2人ふたりまでもわか男性だんせいがいることにおどろき、城内きうち部下ぶかあつめ2にんちにしようとするが、そこにあらわれた従者じゅうしゃドン・リッカルドがカルロおう素性すじょうかし、(エルナーニ、エルヴィーラ以外いがいの)一同いちどう驚愕きょうがくする。カルロはるシルヴァを赦免しゃめんしてやり、またエルナーニを自分じぶん従者じゅうしゃ一人ひとりであるかのごとくシルヴァにって、エルナーニのいのちすくってやる。

だい2まく

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シルヴァとエルヴィーラの婚礼こんれい修道しゅうどう変装へんそうしたエルナーニがたずねてくる。シルヴァはこの見知みしらぬきゃく寛大かんだいむかえてやる。シルヴァがせきはずしているあいだにエルヴィーラは、いまでもエルナーニだけをあいしていること、このまま婚礼こんれいとなれば自分じぶんしんゆかのどいて覚悟かくごであることをけ、2人ふたり抱擁ほうようする。そこへもどってきたシルヴァは自分じぶん侮辱ぶじょくされたことを激怒げきど今度こんどこそエルナーニをちにしようとするが、そこへカルロが軍勢ぐんぜいひきいてしろはいってくる。カルロは山賊さんぞくエルナーニをってたのだ。シルヴァは(自分じぶんではエルナーニをとうとしたものの)しろ乱入らんにゅうした軍勢ぐんぜいしろ客人きゃくじんわたすことは貴族きぞくとしてのほこりがゆるさない、としてエルナーニを秘密ひみつしょう部屋へやかくまってしまう。おこったカルロはエルヴィーラを人質ひとじちとしてかえる。のこされたシルヴァとエルナーニは、まずたおすべき共通きょうつうてき国王こくおうであると協同きょうどうちかう。エルナーニは、身柄みがらかくまってくれたことをシルヴァに感謝かんしゃし、自分じぶん角笛つのぶえいのちあづけた証拠しょうことしてわたす。「この角笛つのぶえるとき、エルナーニはたちどころにぬであろう」と約束やくそくして。

だい3まく

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アーヘンのだい聖堂せいどうない、カール大帝たいてい(シャルルマーニュ)のはかしつのある地下ちかしつ。カルロは皇帝こうてい選挙せんきょ結果けっかちわびているが、謀反むほんくわだてがあるとみずからカール大帝たいていはかしつひそめ、謀反むほんじんたちを一網打尽いちもうだじんにするつもりである。予想よそうとおり陰謀いんぼうしゃたちがはいって、そのなかにはエルナーニとシルヴァもいる。だい聖堂せいどうそとからカルロが皇帝こうてい選出せんしゅつされたことをらせる3はつ砲声ほうせいとどろく。同時どうじにカール大帝たいていはかしつだいとびらひらき、人影ひとかげあらわれるので反乱はんらんしゃ一味いちみは「カール大帝たいていかえったか」とおどろく。人影ひとかげ、すなわちカルロは「反乱はんらんしゃよ、自分じぶんこそカルロ5せいである」と名乗なのる。カルロの皇帝こうてい選出せんしゅつ祝賀しゅくがする一団いちだん聖堂せいどうない入場にゅうじょう、カルロは反乱はんらんしゃたちを逮捕たいほし、公爵こうしゃくから伯爵はくしゃくまでは斬首ざんしゅを、それ以下いかもの監獄かんごくおくりをめいじる。エルナーニは、自分じぶんもアラゴンのもと貴族きぞく出身しゅっしんのドン・ジョヴァンニであると身分みぶんかし、仲間なかまとともにたまわりたいとねがう。カルロもそれをききいれる。エルヴィーラがカルロにりエルナーニの赦免しゃめん嘆願たんがんしたとき、カルロは、この墓所はかしょねむるカール大帝たいてい遺徳いとく、すなわち慈悲じひしん自分じぶんぐのだとかんがなおし、陰謀いんぼうしゃ一同いちどう即座そくざ放免ほうめん、エルナーニには貴族きぞくとしての家名かめい復活ふっかつとエルヴィーラとの結婚けっこんみとめる。一同いちどうはカルロしん皇帝こうてい慈悲じひ賞賛しょうさんするが、カルロへの反乱はんらんついえ、結婚けっこんするはずのエルヴィーラもうしなったシルヴァだけはひとり苦汁くじゅうめる。

だい4まく

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いまや貴族きぞく復帰ふっき、「アラゴンのドン・ジョヴァンニ」としょうせられるようになったエルナーニとエルヴィーラの婚礼こんれい人々ひとびと祝宴しゅくえんうたおどっている。とおくから角笛つのぶえおとひびき、エルナーニだけがその意味いみ気付きづあおざめる。シルヴァが登場とうじょう約束やくそくたしてもらおうとる。エルヴィーラはシルヴァに助命じょめい懇願こんがんするが、復讐ふくしゅうおにしたかれみみをもたない。ついにエルナーニは自刃じじんし、エルヴィーラに自分じぶんとのあいおぼえていてしい、と遺言ゆいごんしててる。

各国かっこくでの初演しょえん

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『エルナーニ』はヴェルディの初期しょきさくとしてはめずらしく、はやくからイタリアがいでの上演じょうえんおこなわれたオペラである。

原作げんさくしゃユーゴーの抗議こうぎ

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戯曲ぎきょく原作げんさくしゃヴィクトル・ユーゴーはこのオペラを「下手へた模倣もほうひん」とってはげしく抗議こうぎ初演しょえん2ねんパリ初演しょえん(イタリア)ではタイトル、舞台ぶたい設定せっていおよび登場とうじょう人物じんぶつめい変更へんこう要求ようきゅうした。結局けっきょくパリでは、題名だいめいを『追放ついほうしゃIl proscritto舞台ぶたいヴェネツィア役名やくめいもエルナーニが「オルドラード」、カルロは「アンドレア・グリッティ」等々とうとうとする変更へんこうがなされた。なお1840-50年代ねんだいにあってはイタリアのしょ都市としでも、検閲けんえつかん原作げんさくしゃユーゴー、あるいは原作げんさく戯曲ぎきょく『エルナニ』が刺激しげきてきぎるとかんがえた場合ばあい、この『追放ついほうしゃ』あるいは『アラゴンのエルヴィーラ』Elvira d'Aragona、『カスティリアの名誉めいよL'onore castiglianoなどべつだいでの上演じょうえんがしばしばおこなわれた。

ヴェルディの『エルナーニ』は戯曲ぎきょく『エルナニ』のはつオペラではない。以前いぜんにもガブッシ(1834ねん)、マズッカート(1844ねん)、またこれ以降いこうもラウダーモ(1849ねん)なる作曲さっきょくのオペラがあるが、ユーゴーはそのどれにたいしても問題もんだいしなかった。これ以前いぜんドニゼッティ作曲さっきょく成功せいこうさく『ルクレツィア・ボルジア』で、またこののちもヴェルディの『リゴレット』で原作げんさくしゃユーゴーはパリでの上演じょうえん禁止きんし、または改作かいさく改題かいだいなどを要求ようきゅうしており、オペラがだい成功せいこうした場合ばあい抗議こうぎせざるをなかったようである。

『エルナーニ』の位置付いちづ

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『エルナーニ』はドラマてきにはまったく現実げんじつてきなオペラである。スペインからフランス横断おうだんしはるばるアーヘンまで、発見はっけんもされずに移動いどうする反乱はんらんしゃ一味いちみ前触まえぶれもなく突如とつじょ変心へんしん慈悲じひれるカルロ、自分じぶん結婚けっこん祝宴しゅくえん角笛つのぶえったからといって自害じがいするエルナーニ、年甲斐としがいもない嫉妬しっとくる老人ろうじんシルヴァ。これらにすこしでも現実味げんじつみあたえようと、現代げんだい演出えんしゅつはいずれも苦労くろうしている。くちさがないオペラ愛好あいこうしゃは『エルナーニ』をヴェルディの「さんだい荒唐無稽こうとうむけいオペラ」のひとつと揶揄やゆしたりもする(の2つは、『イル・トロヴァトーレ』と『運命うんめいちから』で、3さくともスペインを舞台ぶたいとしているのが興味深きょうみぶかい)。もっとも、これら3さく荒唐無稽こうとうむけいさはヴェルディのとがめというより、原作げんさく戯曲ぎきょくのそれに起因きいんするところがおおきい。

一方いっぽう、この『エルナーニ』は、興行こうぎょうにあてがわれた台本だいほんにただきょくけるのではなく、ヴェルディみずからが題材だいざい選定せんてい関与かんよたはじめてのオペラであった。ピアーヴェ台本だいほん作家さっかとしては経験けいけん不足ふそくであり、かつ温和おんわ従順じゅうじゅん性格せいかくだったこともここではさいわいして、ヴェルディはその力強ちからづよいが長大ちょうだい戯曲ぎきょくに、ある部分ぶぶん大胆だいたんなカットをおこない、またある部分ぶぶん忠実ちゅうじつしたがい、のままの作曲さっきょくおこなうことができた。ドラマ全体ぜんたいつらぬ独特どくとく力強ちからづよさ、リズムかん、ないしあじはそこからまれた。この『エルナーニ』の成功せいこうのち、ヴェルディはオペラ作曲さっきょくにおいてみずか題材だいざい台本だいほん作家さっかえらぶことに固執こしつしているのも当然とうぜんだろう。

構成こうせいめんでは、ヴェルディがこの作品さくひんいたって主役しゅやく声域せいいき配置はいち――すなわちヒーローとしてのテノール、そのライヴァルであるバリトン、その両者りょうしゃおもわれるヒロインのソプラノという組合くみあわせ――に一定いっていのパターンを確立かくりつした、ということも特筆とくひつされるべきだろう。このパターンはの『レニャーノのたたか』、『イル・トロヴァトーレ』、『仮面かめん舞踏ぶとうかい』そして『運命うんめいちから』にいたるまでのおおくのオペラで踏襲とうしゅうされることになる。とくに、主人公しゅじんこうエルナーニはヴェルディのいたはじめてのドラマティック・テノールけのやくであるし、またここでのドン・カルロはバリトンとしてはテッシトゥーラ(作品さくひんないでの音域おんいき)がややこうの、いわゆる「ヴェルディ・バリトン」のキャラクターをヴェルディがはじめて確立かくりつしたものとみることができるてん注目ちゅうもくあたいする。

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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