『エルナーニ 』(Ernani )は、ジュゼッペ・ヴェルディ が作曲 さっきょく した全 ぜん 4幕 まく からなるオペラ である。ヴィクトル・ユーゴー の、これも有名 ゆうめい な戯曲 ぎきょく 『エルナニ』に基 もと づく。1844年 ねん に初演 しょえん され、ヴェルディにとって第 だい 5作 さく 目 め のオペラであり、初期 しょき の傑作 けっさく の一 ひと つに数 かぞ えられる。
前々 まえまえ 作 さく 『ナブッコ 』(初演 しょえん 1842年 ねん )、前作 ぜんさく 『十字軍 じゅうじぐん のロンバルディア人 じん 』(同 どう 1843年 ねん )のミラノ ・スカラ座 すからざ 初演 しょえん が成功 せいこう 、ヴェルディ の新進 しんしん 気鋭 きえい のオペラ作曲 さっきょく 家 か としての評価 ひょうか は急速 きゅうそく に高 たか まりつつあった。ロッシーニ は作曲 さっきょく から引退 いんたい 、ベッリーニ は1835年 ねん に早世 そうせい 、ドニゼッティ は主 しゅ としてパリ とウィーン を拠点 きょてん に活動 かつどう しており、ちょうどこの時 とき イタリアは新 あら たなオペラ作曲 さっきょく 家 か を渇望 かつぼう していたという事情 じじょう もある。
ヴェルディはこの好機 こうき を活 い かして大 だい 飛躍 ひやく を企 くわだ てる。これまで4作 さく は全 すべ てスカラ座 すからざ での初演 しょえん であり、多 おお くは同座 どうざ の支配人 しはいにん (興行 こうぎょう 師 し といった方 ほう がより的確 てきかく )、バルトロメオ・メレッリに与 あた えられた台本 だいほん に唯々 いい 諾々 だくだく と曲 きょく を付 つ けているだけだった。メレッリはまた、金銭 きんせん 的 てき にも作曲 さっきょく 家 か にとって渋 しぶ いことでも有名 ゆうめい だった。ヴェルディは、作曲 さっきょく 面 めん でも金銭 きんせん 面 めん でもより有利 ゆうり な条件 じょうけん を追求 ついきゅう すべく、今回 こんかい は他 た の歌劇 かげき 場 じょう からの委嘱 いしょく を受 う ける決心 けっしん だった。
この機 き を逃 のが さずヴェルディに接近 せっきん してきたのは、イタリア半島 はんとう 北部 ほくぶ におけるスカラ座 すからざ の最大 さいだい のライヴァル、ヴェネツィア ・フェニーチェ劇場 げきじょう の支配人 しはいにん 、ナンニ・モチェニーゴ侯爵 こうしゃく だった。条件 じょうけん は、1843年 ねん -44年 ねん のカーニヴァル・シーズンに2作 さく を上演 じょうえん すること、うち1作 さく はヴェネツィアにとっての初演 しょえん (最終 さいしゅう 的 てき には『イ・ロンバルディ』を上演 じょうえん した)、もう1作 さく は完全 かんぜん なる新作 しんさく であること、となっていた。ヴェルディは1843年 ねん 6月 がつ 頃 ごろ この条件 じょうけん を受諾 じゅだく した。
ヴェルディから提示 ていじ した主 おも な条件 じょうけん は、
新作 しんさく の上演 じょうえん 料 りょう としてヴェルディは12,000オーストリア・リラを受領 じゅりょう する
その上演 じょうえん 料 りょう は初演 しょえん 終了 しゅうりょう 時 じ までに全額 ぜんがく 支払 しはら われる
新作 しんさく の題材 だいざい は、ヴェルディに決定 けってい 権 けん がある
台本 だいほん 作家 さっか の人選 じんせん はヴェルディに決定 けってい 権 けん があり、またその対価 たいか は劇場 げきじょう でなくヴェルディが支払 しはら う
歌手 かしゅ の人選 じんせん についても、フェニーチェ劇場 げきじょう と同 どう シーズン契約 けいやく した歌手 かしゅ 陣 じん の中 なか からヴェルディが選定 せんてい する。
というものであり、モチェニーゴはそれらをすべて受 う け入 い れた。このうち1.については、前々 まえまえ 作 さく 『ナブッコ』でヴェルディが受領 じゅりょう したのは4,000リラ、『イ・ロンバルディ』で8,000リラ(ともにメレッリのスカラ座 すからざ より)であることを考 かんが えれば、その出世 しゅっせ 振 ぶ りがうかがえよう。2.に関 かん しては若干 じゃっかん の解説 かいせつ が必要 ひつよう である。当時 とうじ のイタリア・オペラ興行 こうぎょう での慣習 かんしゅう では、新作 しんさく オペラの場合 ばあい 上演 じょうえん 料 りょう は分割払 ぶんかつばら いで、うち相当 そうとう 程度 ていど は第 だい 3回 かい 公演 こうえん 終了 しゅうりょう 後 ご に支払 しはら われることになっていた。つまり新作 しんさく が失敗 しっぱい に終 お わり、3回 かい 以上 いじょう の公演 こうえん が完了 かんりょう しなかった場合 ばあい には作曲 さっきょく 者 しゃ は当初 とうしょ 契約 けいやく より少 すく ない金額 きんがく しか受 う け取 と ることができなかった。ヴェルディは実際 じっさい 、大 だい 失敗 しっぱい に終 お わり、たった1夜 や しか上演 じょうえん がなされなかった『一 いち 日 にち だけの王様 おうさま 』(1840年 ねん )でそうした憂 う き目 め に遭 あ っている。この条件 じょうけん の挿入 そうにゅう は、ヴェルディの自信 じしん の現 あらわ れとみることができよう。
ヴェルディ自身 じしん が考 かんが えていた題材 だいざい は、主 おも にイギリス の作家 さっか の作品 さくひん 、例 たと えばシェイクスピア の『リア王 おう 』、リットン の『リエンツィ』、あとバイロン の諸 しょ 作品 さくひん などであったらしい。
うち『リア王 おう 』はヴェルディが生涯 しょうがい を通 つう じてオペラ化 か を企 くわだて て、様々 さまざま の理由 りゆう で断念 だんねん 、結局 けっきょく 作品 さくひん 化 か できなかった曰 いわ くつきの題材 だいざい である。この時 とき の検討 けんとう はそのうち最初 さいしょ の試 こころ みにあたるのだが、リア王 おう を演 えん じ歌 うた うべきはバス 歌手 かしゅ と考 かんが えていたヴェルディは、フェニーチェ劇場 げきじょう がこのシーズンに優 すぐ れたバスを確保 かくほ できないらしいと知 し って断念 だんねん した。
また『リエンツィ』は1835年 ねん 初版 しょはん の小説 しょうせつ であり、既 すで に1842年 ねん にはヴェルディ後年 こうねん のライヴァル、リヒャルト・ワーグナー がオペラ化 か 、ドレスデン で初演 しょえん している。ヴェルディがワーグナー作品 さくひん の存在 そんざい を知 し っていたかどうかは定 さだ かではないものの、仮 かり にヴェルディがこれをオペラ化 か していたならば、両 りょう 大家 たいか 唯一 ゆいいつ の競作 きょうさく 作品 さくひん となったはずであった。この時 とき は、ヴェネツィアでの検閲 けんえつ 通過 つうか の困難 こんなん さを考 かんが えて計画 けいかく が放棄 ほうき されたと考 かんが えられている。
題材 だいざい 検討 けんとう を続 つづ けるヴェルディに接近 せっきん してきたのがフランチェスコ・マリア・ピアーヴェ であった。ピアーヴェはヴェルディより3歳 さい 年長 ねんちょう であるが、台本 だいほん 作家 さっか としてのキャリアを1842年 ねん にスタートさせたばかりで、この頃 ころ はフェニーチェ劇場 げきじょう の上演 じょうえん 監督 かんとく の地位 ちい にあった。彼 かれ はウォルター・スコットの小説 しょうせつ 「ウッドストック」に基 もと づいて独自 どくじ に起 お こした台本 だいほん 『アラン・キャメロン』Allan Cameron をヴェルディに提案 ていあん した。これは、清教徒 せいきょうと 革命 かくめい に題材 だいざい をとり、ウスターの戦 たたか い 以降 いこう のチャールズ2世 せい とオリバー・クロムウェル らの抗 こう 争 そう を描 えが いたもの(なお、ピアーヴェはユーゴー の『クロムウェル』を台本 だいほん 化 か した、と記述 きじゅつ している書籍 しょせき もあるが、これは誤 あやま り)。
ヴェルディとピアーヴェはこの『アラン・キャメロン』をオペラ化 か すべくしばし努力 どりょく する。ヴェルディはその内容 ないよう について「イベントに乏 とぼ しい」などいくつかの不満 ふまん をもっていたし、ピアーヴェがまだ駆出 かけだ し同然 どうぜん の経験 けいけん 不足 ふそく であるのも不安 ふあん だった。しかしピアーヴェの韻文 いんぶん の美 うつく しさには見 み るべきものがあったし、また彼 かれ がよく気 け が利 き く、温和 おんわ な性格 せいかく だったこともヴェルディは気 き に入 い ったようだ。1843年 ねん の9月 がつ には『アラン・キャメロン』はほぼ放棄 ほうき 状態 じょうたい となってしまったが、ヴェルディはそのままピアーヴェを用 もち いて、支配人 しはいにん モチェニーゴの提起 ていき した代案 だいあん をオペラ化 か することに同意 どうい した。それが、ヴィクトル・ユーゴー 原作 げんさく の『エルナニ、またはカスティーリャの名誉 めいよ 』Hernani, ou l'Honneur Castillan だった。
「エルナニ事件 じけん 」
ユーゴー作 さく の戯曲 ぎきょく 『エルナニ』は1830年 ねん にパリ ・コメディ・フランセーズ 劇場 げきじょう で上演 じょうえん された。「三 さん 一致 いっち の法則 ほうそく (règle des trois unités)」「句 く またぎ(enjambement)の禁忌 きんき 」など古典 こてん 派 は 演劇 えんげき の大 だい 原則 げんそく を逸脱 いつだつ し、「フランス・ロマン派 は 演劇 えんげき の創始 そうし 」とされるこの作品 さくひん の初演 しょえん は古典 こてん 派 は の野次 やじ 、ロマン派 は 支持 しじ 者 しゃ の喝采 かっさい の激 はげ しい衝突 しょうとつ を呼 よ び、その際 さい の騒動 そうどう が「エルナニ事件 じけん (戦争 せんそう )」La bataille d'Hernani として知 し られているほどの話題 わだい 作 さく だった。ヴィンチェンツォ・ベッリーニ は初演 しょえん 直後 ちょくご の1830年 ねん から31年 ねん にかけて作曲 さっきょく を試 こころ みているが、検閲 けんえつ に引 ひ っ掛 か かり、序曲 じょきょく と一幕 ひとまく のスケッチのみで作曲 さっきょく を中断 ちゅうだん してしまう(w:Vincenzo Bellini#Attempts to create Ernani を参照 さんしょう )。この草稿 そうこう は21世紀 せいき に入 はい ってCD化 か されている。
ヴェルディが題材 だいざい 選定 せんてい を行 おこな っていた1843年 ねん においてはその興奮 こうふん は醒 さ めていたものの、『エルナニ』あるいは原作 げんさく 者 しゃ ヴィクトル・ユーゴーの名 な は検閲 けんえつ 官 かん にとってはいまだに危険 きけん な響 ひび きをもつ存在 そんざい のはずであり、モチェニーゴがなぜそういった問題 もんだい 作 さく をヴェルディに提案 ていあん したのか、はっきりとはわかっていない。戯曲 ぎきょく 『エルナニ』の革新 かくしん 性 せい は演劇 えんげき の内容 ないよう よりもその表現 ひょうげん 方法 ほうほう に存 そん するため、オペラ化 か しても安全 あんぜん であると踏 ふ んでいた可能 かのう 性 せい もあるし、この後 のち ヴェネツィアの検閲 けんえつ 当局 とうきょく との会談 かいだん で同 どう 作 さく のオペラ化 か が案外 あんがい すんなりと認 みと められたことからみて、モチェニーゴあるいはピアーヴェは何 なん らかのルートで事前 じぜん に検閲 けんえつ 動向 どうこう を知 し っていたとも想像 そうぞう される(検閲 けんえつ 官 かん の意向 いこう を探 さぐ るのは当時 とうじ 台本 だいほん 作家 さっか の重要 じゅうよう な職責 しょくせき の一 ひと つであり、ピアーヴェは生涯 しょうがい を通 つう じてその点 てん では有能 ゆうのう ぶりを発揮 はっき している)。
一方 いっぽう 、ピアーヴェの台本 だいほん 作家 さっか としての経験 けいけん 不足 ふそく に不安 ふあん を覚 おぼ えたらしいヴェルディは、当時 とうじ 在住 ざいじゅう のミラノ から数 すう 度 ど にわたり詳細 しょうさい な指示 しじ を行 おこな っている。原 はら 戯曲 ぎきょく は全 ぜん 5幕 まく にも及 およ ぶ長大 ちょうだい なものだったが、ピアーヴェは指示 しじ に沿 そ ってこのうち第 だい 1-3幕 まく を思 おも い切 き って短縮 たんしゅく 、単一 たんいつ の第 だい 1幕 まく とした。この結果 けっか 、原作 げんさく で主人公 しゅじんこう エルナニがもっとも活躍 かつやく する第 だい 2幕 まく は割愛 かつあい されてしまった。
また注目 ちゅうもく されるのは「最後 さいご の2幕 まく 分 ぶん についてだが、できるだけユーゴーに忠実 ちゅうじつ に沿 そ った方 ほう が効果 こうか 的 てき というものだろう。(中略 ちゅうりゃく )原作 げんさく の素晴 すば らしい語句 ごく を落 お とさないようにしてもらいたい」(ピアーヴェ宛 あて 1843年 ねん 10月 がつ 2日 にち 付 づけ 書簡 しょかん )など、カットしない箇所 かしょ に関 かん しては逆 ぎゃく に原 げん 戯曲 ぎきょく に対 たい する忠実 ちゅうじつ 性 せい をヴェルディが要求 ようきゅう していることである(ただし、原作 げんさく では3人 にん とも死 し ぬ、というラストシーンを改変 かいへん している)。19世紀 せいき 前半 ぜんはん におけるイタリア・オペラでは、仮 かり に「原作 げんさく 」などがあろうとも登場 とうじょう 人物 じんぶつ の性格 せいかく 付 づ けだけを継承 けいしょう して、筋書 すじがき は勝手 かって に再 さい 構成 こうせい 、歌詞 かし 表現 ひょうげん は音楽 おんがく の都合 つごう 次第 しだい で改変 かいへん する、というのが(ロッシーニやドニゼッティといった大家 たいか も例外 れいがい でなく)常識 じょうしき だっただけに、ヴェルディのこの作曲 さっきょく 態度 たいど はまったく新 あたら しい時代 じだい を象徴 しょうちょう するものだった。
ヴェルディはまた、支配人 しはいにん モチェニーゴから「カロリーナ・ヴィエッティなるコントラルト 歌手 かしゅ を配役 はいやく に加 くわ えてもらえないか」との懇請 こんせい を受 う け、検討 けんとう している。彼女 かのじょ はヴェネツィアでは大人気 だいにんき 歌手 かしゅ であった。仮 かり にこの依頼 いらい を受諾 じゅだく するとなると、主要 しゅよう 登場 とうじょう 人物 じんぶつ の声域 せいいき はエルナーニ(コントラルト)、ドン・カルロ(テノール)、シルヴァ(バリトン)、エルヴィーラ(ソプラノ)となるはずであった。
主人公 しゅじんこう の男性 だんせい 役 やく を女声 じょせい が担当 たんとう するというのはもちろん18世紀 せいき には当 あ たり前 まえ (例 たと えばヘンデル 『セルセ 』)で、19世紀 せいき 初 はじ めにもあり得 え た方式 ほうしき であるが(未完 みかん のベッリーニ版 ばん ではジュディッタ・パスタ を想定 そうてい していたとされる)、既 すで にこの1840年代 ねんだい には時代遅 じだいおく れとみなされる傾 かたむ きがあった。ピアーヴェがヴィエッティ起用 きよう 案 あん に強 つよ く反対 はんたい し、モチェニーゴを説得 せっとく してくれた上 うえ 、最終 さいしゅう 的 てき には契約 けいやく 条件 じょうけん 中 ちゅう の「歌手 かしゅ の人選 じんせん はヴェルディ」のおかげで、配役 はいやく は青年 せいねん エルナーニ(テノール )、壮年 そうねん カルロ(バリトン )、老年 ろうねん シルヴァ(バス )、若 わか き美女 びじょ エルヴィーラ(ソプラノ )、という単純 たんじゅん ながら声 こえ のバランスの良 よ いものとなった。
オペラは1844年 ねん 年初 ねんしょ 頃 ごろ には完成 かんせい 、リハーサルと平行 へいこう してのオーケストレーションを経 へ て、3月9日 にち にフェニーチェ劇場 げきじょう で初演 しょえん された。主役 しゅやく テノール歌手 かしゅ カルロ・グアスコの喉 のど の不調 ふちょう 、主役 しゅやく ソプラノ、ソフィア・レーヴェの気 き の抜 ぬ けたような歌唱 かしょう 、舞台 ぶたい 装置 そうち の一部 いちぶ が未 み 完成 かんせい 等々 とうとう の障害 しょうがい にもかかわらず、この『エルナーニ』は大 だい 成功 せいこう であった。同 どう オペラは、ヴェルディの初期 しょき のオペラとしては世界 せかい 初演 しょえん からイタリア半島 はんとう 外 がい 各 かく 都市 とし での初演 しょえん までの間隔 かんかく が最 もっと も短 みじか い部類 ぶるい に属 ぞく している。オペラ作曲 さっきょく 家 か ヴェルディが単 たん なるイタリア半島 はんとう の新進 しんしん という位置 いち づけから、ヨーロッパ全体 ぜんたい における有望 ゆうぼう 新人 しんじん へと飛躍 ひやく したのはこの作品 さくひん からだった。
エルナーニ (テノール ): 山賊 さんぞく の頭目 とうもく 。断絶 だんぜつ した貴族 きぞく の家 いえ の出身 しゅっしん で、ドン・フアン(ジョヴァンニ)が真 しん の名 な 。
ドン・カルロ (バリトン ): 実在 じつざい の神聖 しんせい ローマ皇帝 こうてい ・カール5世 せい (スペイン 王 おう としてはカルロス1世 せい )のこと。但 ただ し史実 しじつ 上 じょう は彼 かれ は19歳 さい で皇帝 こうてい に選出 せんしゅつ されているが、オペラではそれほど若 わか いわけでもない。
ドン・ルイ・ゴメス・デ・シルヴァ (バス ): スペインの誇 ほこ り高 たか い貴族 きぞく 、老人 ろうじん 。
ドンナ・エルヴィーラ (ソプラノ ): シルヴァの姪 めい 。エルナーニと相思相愛 そうしそうあい だが、伯父 おじ シルヴァと無理 むり やり結婚 けっこん させられようとしている。原作 げんさく では「ドニャ・デ・ソル・シルヴァ」。
ジョヴァンナ (ソプラノ): エルヴィーラの乳母 うば
ドン・リッカルド (テノール): カルロの従者 じゅうしゃ
ヤーゴ (バス): シルヴァの従者 じゅうしゃ
全 ぜん 4幕 まく
前奏 ぜんそう 曲 きょく
第 だい 1幕 まく 「山賊 さんぞく 」:
第 だい 1場 じょう アラゴン の寂 さび しい山中 さんちゅう
第 だい 2場 じょう シルヴァの居城 きょじょう にあるエルヴィーラの部屋 へや の中 なか
第 だい 2幕 まく 「客人 きゃくじん 」: シルヴァの居城 きょじょう 。大広間 おおひろま
第 だい 3幕 まく 「慈悲 じひ 」: アクィスグラーナ(現 げん ドイツ ・アーヘン )、アーヘン大 だい 聖堂 せいどう の中 なか
第 だい 4幕 まく 「仮面 かめん 」: サラゴサ にある、ドン・ジョヴァンニ(エルナーニ)の館 かん
時代 じだい : 1519年 ねん 、カール5世 せい 即位 そくい 直前 ちょくぜん
3分 ふん 少々 しょうしょう の短 みじか いもの。第 だい 2幕 まく 終盤 しゅうばん の「角笛 つのぶえ の場面 ばめん 」で用 もち いられるテーマが主題 しゅだい となる。
山賊 さんぞく たちの巣窟 そうくつ 、夕暮 ゆうぐ れ時 じ 。配下 はいか の者 もの たちが飲 の みかつ歌 うた っている中 なか で、頭目 とうもく のエルナーニは悩 なや んでいる。明日 あした になれば彼 かれ の恋人 こいびと ドンナ・エルヴィーラはその伯父 おじ であるシルヴァ老人 ろうじん と結婚 けっこん させられてしまう。部下 ぶか の山賊 さんぞく たちは彼 かれ を励 はげ まし、総員 そういん でエルヴィーラを居城 きょじょう から誘拐 ゆうかい することに決定 けってい する。
同夜 どうや 、エルヴィーラの居室 きょしつ 。彼女 かのじょ もエルナーニが自分 じぶん を救出 きゅうしゅつ してくれると信 しん じている。ドン・カルロ(スペイン王 おう )がお忍 しの びで登場 とうじょう する。彼 かれ はエルヴィーラに自分 じぶん の熱愛 ねつあい を告 つ げ、彼女 かのじょ を強引 ごういん に連 つ れ出 だ そうとする。そこへエルナーニが登場 とうじょう 、彼 かれ はカルロを国王 こくおう であると見抜 みぬ き、国王 こくおう によって家名 かめい 断絶 だんぜつ したと考 かんが えていることから敵愾心 てきがいしん をより燃 も やす。カルロの方 ほう は、山賊 さんぞく エルナーニの素性 すじょう までは知 し らない。2人 ふたり の争 あらそ いがエルヴィーラの仲裁 ちゅうさい で収 おさ まった刹那 せつな 、老人 ろうじん シルヴァも現 あらわ れる。シルヴァは、エルヴィーラの居室 きょしつ に2人 ふたり までも若 わか い男性 だんせい がいることに驚 おどろ き、城内 きうち の部下 ぶか を集 あつ め2人 にん を手 て 討 う ちにしようとするが、そこに現 あらわ れた従者 じゅうしゃ ドン・リッカルドがカルロ王 おう の素性 すじょう を明 あ かし、(エルナーニ、エルヴィーラ以外 いがい の)一同 いちどう は驚愕 きょうがく する。カルロは恥 は じ入 い るシルヴァを赦免 しゃめん してやり、またエルナーニを自分 じぶん の従者 じゅうしゃ の一人 ひとり であるかの如 ごと くシルヴァに言 い って、エルナーニの命 いのち も救 すく ってやる。
シルヴァとエルヴィーラの婚礼 こんれい の日 ひ 。修道 しゅうどう 士 し に変装 へんそう したエルナーニが訪 たず ねてくる。シルヴァはこの見知 みし らぬ客 きゃく も寛大 かんだい に迎 むか えてやる。シルヴァが席 せき を外 はず している間 あいだ にエルヴィーラは、今 いま でもエルナーニだけを愛 あい していること、このまま婚礼 こんれい となれば自分 じぶん は新 しん 床 ゆか で喉 のど を突 つ いて死 し ぬ覚悟 かくご であることを打 う ち明 あ け、2人 ふたり は抱擁 ほうよう する。そこへ戻 もど ってきたシルヴァは自分 じぶん が侮辱 ぶじょく されたことを知 し り激怒 げきど 、今度 こんど こそエルナーニを手 て 討 う ちにしようとするが、そこへカルロが軍勢 ぐんぜい を率 ひき いて城 しろ へ攻 せ め入 はい ってくる。カルロは山賊 さんぞく エルナーニを追 お って来 き たのだ。シルヴァは(自分 じぶん ではエルナーニを討 う とうとしたものの)城 しろ に乱入 らんにゅう した軍勢 ぐんぜい に城 しろ の客人 きゃくじん を引 ひ き渡 わた すことは貴族 きぞく としての誇 ほこ りが許 ゆる さない、としてエルナーニを秘密 ひみつ の小 しょう 部屋 へや に匿 かくま ってしまう。怒 おこ ったカルロはエルヴィーラを人質 ひとじち として連 つ れ帰 かえ る。残 のこ されたシルヴァとエルナーニは、まず倒 たお すべき共通 きょうつう の敵 てき は国王 こくおう であると協同 きょうどう を誓 ちか う。エルナーニは、身柄 みがら を匿 かくま ってくれたことをシルヴァに感謝 かんしゃ し、自分 じぶん の角笛 つのぶえ を命 いのち を預 あづ けた証拠 しょうこ として渡 わた す。「この角笛 つのぶえ が鳴 な るとき、エルナーニはたちどころに死 し ぬであろう」と約束 やくそく して。
アーヘンの大 だい 聖堂 せいどう 内 ない 、カール大帝 たいてい (シャルルマーニュ)の墓 はか 室 しつ のある地下 ちか 室 しつ 。カルロは皇帝 こうてい 選挙 せんきょ の結果 けっか を待 ま ちわびているが、謀反 むほん の企 くわだ てがあると知 し り自 みずか らカール大帝 たいてい の墓 はか 室 しつ に身 み を潜 ひそ め、謀反 むほん 人 じん たちを一網打尽 いちもうだじん にする積 つも りである。予想 よそう とおり陰謀 いんぼう 者 しゃ たちが入 はい って来 き 、その中 なか にはエルナーニとシルヴァもいる。大 だい 聖堂 せいどう の外 そと からカルロが皇帝 こうてい が選出 せんしゅつ されたことを知 し らせる3発 はつ の砲声 ほうせい が轟 とどろ く。同時 どうじ にカール大帝 たいてい の墓 はか 室 しつ の大 だい 扉 とびら が開 ひら き、人影 ひとかげ が現 あらわ れるので反乱 はんらん 者 しゃ 一味 いちみ は「カール大帝 たいてい が生 い き返 かえ ったか」と驚 おどろ く。人影 ひとかげ 、すなわちカルロは「反乱 はんらん 者 しゃ よ、自分 じぶん こそカルロ5世 せい である」と名乗 なの る。カルロの皇帝 こうてい 選出 せんしゅつ を祝賀 しゅくが する一団 いちだん が聖堂 せいどう 内 ない に入場 にゅうじょう 、カルロは反乱 はんらん 者 しゃ たちを逮捕 たいほ し、公爵 こうしゃく から伯爵 はくしゃく までは斬首 ざんしゅ を、それ以下 いか の者 もの は監獄 かんごく 送 おく りを命 めい じる。エルナーニは、自分 じぶん もアラゴンの元 もと 貴族 きぞく 家 か 出身 しゅっしん のドン・ジョヴァンニであると身分 みぶん を明 あ かし、仲間 なかま とともに死 し を賜 たまわ りたいと願 ねが う。カルロもそれをき入 きい れる。エルヴィーラがカルロに駆 か け寄 よ りエルナーニの赦免 しゃめん を嘆願 たんがん したとき、カルロは、この墓所 はかしょ に眠 ねむ るカール大帝 たいてい の遺徳 いとく 、すなわち慈悲 じひ の心 しん を自分 じぶん も受 う け継 つ ぐのだと考 かんが え直 なお し、陰謀 いんぼう 者 しゃ 一同 いちどう を即座 そくざ に放免 ほうめん 、エルナーニには貴族 きぞく としての家名 かめい 復活 ふっかつ とエルヴィーラとの結婚 けっこん を認 みと める。一同 いちどう はカルロ新 しん 皇帝 こうてい の慈悲 じひ を賞賛 しょうさん するが、カルロへの反乱 はんらん も潰 つい え、結婚 けっこん するはずのエルヴィーラも失 うしな ったシルヴァだけはひとり苦汁 くじゅう を嘗 な める。
いまや貴族 きぞく に復帰 ふっき 、「アラゴンのドン・ジョヴァンニ」と称 しょう せられるようになったエルナーニとエルヴィーラの婚礼 こんれい の日 ひ 、人々 ひとびと は祝宴 しゅくえん で歌 うた い踊 おど っている。遠 とお くから角笛 つのぶえ の音 おと が響 ひび き、エルナーニだけがその意味 いみ に気付 きづ き青 あお ざめる。シルヴァが登場 とうじょう 、死 し の約束 やくそく を果 は たしてもらおうと詰 つ め寄 よ る。エルヴィーラはシルヴァに助命 じょめい を懇願 こんがん するが、復讐 ふくしゅう の鬼 おに と化 か した彼 かれ は聞 き く耳 みみ をもたない。遂 つい にエルナーニは自刃 じじん し、エルヴィーラに自分 じぶん との愛 あい を覚 おぼ えていて欲 ほ しい、と遺言 ゆいごん して果 は てる。
『エルナーニ』はヴェルディの初期 しょき 作 さく としては珍 めずら しく、早 はや くからイタリア外 がい での上演 じょうえん が行 おこな われたオペラである。
戯曲 ぎきょく の原作 げんさく 者 しゃ ヴィクトル・ユーゴー はこのオペラを「下手 へた な模倣 もほう 品 ひん 」と言 い って激 はげ しく抗議 こうぎ 、初演 しょえん 2年 ねん 後 ご のパリ 初演 しょえん (イタリア座 ざ )ではタイトル、舞台 ぶたい 設定 せってい および登場 とうじょう 人物 じんぶつ 名 めい の変更 へんこう を要求 ようきゅう した。結局 けっきょく パリでは、題名 だいめい を『追放 ついほう 者 しゃ 』Il proscritto 、舞台 ぶたい はヴェネツィア 、役名 やくめい もエルナーニが「オルドラード」、カルロは「アンドレア・グリッティ」等々 とうとう とする変更 へんこう がなされた。なお1840-50年代 ねんだい にあってはイタリアの諸 しょ 都市 とし でも、検閲 けんえつ 官 かん が原作 げんさく 者 しゃ ユーゴー、あるいは原作 げんさく 戯曲 ぎきょく 『エルナニ』が刺激 しげき 的 てき 過 す ぎると考 かんが えた場合 ばあい 、この『追放 ついほう 者 しゃ 』あるいは『アラゴンのエルヴィーラ』Elvira d'Aragona 、『カスティリアの名誉 めいよ 』L'onore castigliano など別 べつ 題 だい での上演 じょうえん がしばしば行 おこな われた。
ヴェルディの『エルナーニ』は戯曲 ぎきょく 『エルナニ』の初 はつ オペラ化 か ではない。以前 いぜん にもガブッシ(1834年 ねん )、マズッカート(1844年 ねん )、またこれ以降 いこう もラウダーモ(1849年 ねん )なる作曲 さっきょく 家 か のオペラがあるが、ユーゴーはそのどれに対 たい しても問題 もんだい 視 し しなかった。これ以前 いぜん はドニゼッティ 作曲 さっきょく の成功 せいこう 作 さく 『ルクレツィア・ボルジア』で、またこの後 のち もヴェルディの『リゴレット 』で原作 げんさく 者 しゃ ユーゴーはパリでの上演 じょうえん 禁止 きんし 、または改作 かいさく 、改題 かいだい などを要求 ようきゅう しており、オペラが大 だい 成功 せいこう した場合 ばあい は抗議 こうぎ せざるを得 え なかったようである。
『エルナーニ』はドラマ的 てき にはまったく非 ひ 現実 げんじつ 的 てき なオペラである。スペイン からフランス の地 ち を横断 おうだん しはるばるアーヘン まで、発見 はっけん もされずに移動 いどう する反乱 はんらん 者 しゃ 一味 いちみ 、前触 まえぶ れもなく突如 とつじょ 変心 へんしん し慈悲 じひ を垂 た れるカルロ、自分 じぶん の結婚 けっこん の祝宴 しゅくえん で角笛 つのぶえ が鳴 な ったからといって自害 じがい するエルナーニ、年甲斐 としがい もない嫉妬 しっと に狂 くる う老人 ろうじん シルヴァ。これらに少 すこ しでも現実味 げんじつみ を与 あた えようと、現代 げんだい の演出 えんしゅつ 家 か はいずれも苦労 くろう している。口 くち さがないオペラ愛好 あいこう 者 しゃ は『エルナーニ』をヴェルディの「三 さん 大 だい 荒唐無稽 こうとうむけい オペラ 」の一 ひと つと揶揄 やゆ したりもする(他 た の2つは、『イル・トロヴァトーレ 』と『運命 うんめい の力 ちから 』で、3作 さく ともスペインを舞台 ぶたい としているのが興味深 きょうみぶか い)。もっとも、これら3作 さく の荒唐無稽 こうとうむけい さはヴェルディの咎 とがめ というより、原作 げんさく 戯曲 ぎきょく のそれに起因 きいん するところが大 おお きい。
一方 いっぽう 、この『エルナーニ』は、興行 こうぎょう 師 し にあてがわれた台本 だいほん にただ曲 きょく を付 つ けるのではなく、ヴェルディ自 みずか らが題材 だいざい 選定 せんてい に関与 かんよ し得 え たはじめてのオペラであった。ピアーヴェ が台本 だいほん 作家 さっか としては経験 けいけん 不足 ふそく であり、かつ温和 おんわ 従順 じゅうじゅん な性格 せいかく だったこともここでは幸 さいわ いして、ヴェルディはその力強 ちからづよ いが長大 ちょうだい な戯曲 ぎきょく に、ある部分 ぶぶん は大胆 だいたん なカットを行 おこな い、またある部分 ぶぶん は忠実 ちゅうじつ に従 したが い、意 い のままの作曲 さっきょく を行 おこな うことができた。ドラマ全体 ぜんたい を貫 つらぬ く独特 どくとく の力強 ちからづよ さ、リズム感 かん 、ないし切 き れ味 あじ はそこから生 う まれた。この『エルナーニ』の成功 せいこう の後 のち 、ヴェルディはオペラ作曲 さっきょく において自 みずか ら題材 だいざい と台本 だいほん 作家 さっか を選 えら ぶことに固執 こしつ しているのも当然 とうぜん だろう。
構成 こうせい の面 めん では、ヴェルディがこの作品 さくひん に至 いた って主役 しゅやく 声域 せいいき の配置 はいち ――すなわちヒーローとしてのテノール 、そのライヴァルであるバリトン 、その両者 りょうしゃ に想 おも われるヒロインのソプラノ という組合 くみあわ せ――に一定 いってい のパターンを確立 かくりつ した、ということも特筆 とくひつ されるべきだろう。このパターンは後 ご の『レニャーノの戦 たたか い 』、『イル・トロヴァトーレ 』、『仮面 かめん 舞踏 ぶとう 会 かい 』そして『運命 うんめい の力 ちから 』に至 いた るまでの多 おお くのオペラで踏襲 とうしゅう されることになる。特 とく に、主人公 しゅじんこう エルナーニはヴェルディの書 か いた初 はじ めてのドラマティック・テノール向 む けの役 やく であるし、またここでのドン・カルロはバリトンとしてはテッシトゥーラ(作品 さくひん 内 ない での音域 おんいき )がやや高 こう 目 め の、いわゆる「ヴェルディ・バリトン」のキャラクターをヴェルディがはじめて確立 かくりつ したものとみることができる点 てん で注目 ちゅうもく に値 あたい する。