『リゴレット 』(原語 げんご 曲名 きょくめい :Rigoletto )は、ジュゼッペ・ヴェルディ が作曲 さっきょく した全 ぜん 3幕 まく からなるオペラ である。1851年 ねん 、ヴェネツィア ・フェニーチェ座 ざ で初演 しょえん された。ヴェルディ中期 ちゅうき の傑作 けっさく とされる。
ヴェルディ はヴェネツィア のフェニーチェ座 ざ のために新作 しんさく オペラを作曲 さっきょく するという契約 けいやく を1850年 ねん 4月 がつ に同 どう 劇場 げきじょう と結 むす んだ。初演 しょえん は翌年 よくねん 1851年 ねん のカーニヴァル の時季 じき とされたので、残 のこ された期日 きじつ はほぼ10か月 げつ 。当時 とうじ の一般 いっぱん 的 てき なオペラ作曲 さっきょく システムに従 したが い、彼 かれ のパートナーとなるのは依頼 いらい 主 ぬし フェニーチェ座 ざ の座付 ざつき 台本 だいほん 作家 さっか フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ である。
当初 とうしょ 、ヴェルディもピアーヴェも新作 しんさく の題材 だいざい に関 かん して特定 とくてい の目論見 もくろみ があったわけではなく、大 だい デュマ の『キーン』Kean (1836年 ねん )なども候補 こうほ として真剣 しんけん に検討 けんとう がなされたようだが、同月 どうげつ 28日 にち のヴェルディ発 はつ ピアーヴェ宛 あて の書簡 しょかん で、彼 かれ は初 はじ めてヴィクトル・ユーゴー 作 さく 『王 おう は愉 たの しむ(フランス語 ふらんすご 版 ばん 、英語 えいご 版 ばん ) 』Le Roi s'amuse に言及 げんきゅう し、ピアーヴェに即座 そくざ に戯曲 ぎきょく を入手 にゅうしゅ し、同時 どうじ に市 し 当局 とうきょく の有力 ゆうりょく 者 しゃ にオペラ化 か に問題 もんだい がないかどうか打診 だしん するように指令 しれい している。ヴェルディは、同 どう 戯曲 ぎきょく の主人公 しゅじんこう である道化師 どうけし トリブレ(Triboulet)を「全 すべ ての劇場 げきじょう 、全 すべ ての時代 じだい が望 のぞ みうる最高 さいこう の登場 とうじょう 人物 じんぶつ 」とまで高 たか く評価 ひょうか していた。
ヴェルディが『王 おう は愉 たの しむ』に問題 もんだい がないかどうかの感触 かんしょく を探 さぐ れ、とピアーヴェに命令 めいれい したのには理由 りゆう があった。この戯曲 ぎきょく は1832年 ねん 11月22日 にち 、パリ のフランセ座 ざ で初演 しょえん されたのだが、好悪 こうお の評 ひょう が渦巻 うずま く中 なか 、早 はや くも翌日 よくじつ には上演 じょうえん 禁止 きんし となった。フランス国王 こくおう ・フランソワ1世 せい の尽 つ くした享楽 きょうらく と、それに対 たい する貴族 きぞく サン=ヴァリエの呪 まじな い、そしてその呪 のろ いは不具 ふぐ で毒舌 どくぜつ の道化師 どうけし トリブレとその娘 むすめ に降 お りかかる、という内容 ないよう は7月 がつ 王政 おうせい 下 した のフランスにとってあまりに衝撃 しょうげき 的 てき 過 す ぎたのだった(パリでの再演 さいえん は1882年 ねん になりようやく可能 かのう となる)。当時 とうじ フランスでは出版 しゅっぱん の自由 じゆう は保障 ほしょう されていたからユーゴーのこの戯曲 ぎきょく も(上演 じょうえん 禁止 きんし の経緯 けいい と、それに対 たい する抗議 こうぎ 文 ぶん を「前文 ぜんぶん 」として挿入 そうにゅう して)出版 しゅっぱん はなされ、オーストリア帝国 ていこく 統治 とうち 下 か のヴェネツィア でもそれは入手 にゅうしゅ 可能 かのう だったが、現 げん 段階 だんかい で上演 じょうえん 禁止 きんし リストに載 の っている戯曲 ぎきょく がオペラにできるだろうか、とのヴェルディの懸念 けねん はもっともなものだった。
この段階 だんかい ではピアーヴェは有力 ゆうりょく 者 しゃ の誰 だれ かから何 なん らかの好 こう 感触 かんしょく を得 え たものとみえ、1850年 ねん 6月 がつ には2人 ふたり は戯曲 ぎきょく をどのようにオペラ化 か していくかの相談 そうだん を行 おこな っている。ヴェルディの希望 きぼう はユーゴーの原作 げんさく にできるだけ忠実 ちゅうじつ に従 したが うというもので、ピアーヴェはその通 とお りに作業 さぎょう を進 すす めている。ただし彼 かれ らも『王 おう は愉 たの しむ』という刺激 しげき 的 てき な題名 だいめい は許可 きょか されないだろうと考 かんが えていたようで、タイトルは『サン=ヴァリエの呪 のろ い』La Maledizione di Saint-Vallier あるいはもっと単純 たんじゅん に『呪 のろ い』が有力 ゆうりょく 候補 こうほ となり、主人公 しゅじんこう の道化師 どうけし は原作 げんさく でのトリブレのイタリア語 ご トゥリボレット(Triboletto)となっていた。
ところが8月 がつ になり、ちょうどヴェルディがピアーヴェをブッセート の自宅 じたく に招 まね いて集中 しゅうちゅう 作業 さぎょう を行 おこな っている頃 ころ に前途 ぜんと に暗雲 あんうん が垂 だ れ込 こ めてきた。フェニーチェ座 ざ の支配人 しはいにん マルザーリが、『呪 のろ い』に関 かん する懸念 けねん を知 し らせてきたのだ。この時 とき ヴェルディはピアーヴェをすぐにヴェネツィアに返 かえ し、政治 せいじ 工作 こうさく を続 つづ けるよう指示 しじ している。11月にはいよいよ市 し の公安 こうあん 当局 とうきょく が、台本 だいほん のコピーを提出 ていしゅつ すべし、との公式 こうしき 要請 ようせい を行 おこな ってきた。10月にほぼ完成 かんせい していた台本 だいほん のコピーはすぐに当局 とうきょく に送付 そうふ されたが、上演 じょうえん 許可 きょか 証 しょう は発行 はっこう されなかった。それどころか12月にはヴェネツィア総督 そうとく は公式 こうしき の上演 じょうえん 禁止 きんし 通達 つうたつ を発行 はっこう 、『呪 のろ い』のこのままの形 かたち での上演 じょうえん の可能 かのう 性 せい は完全 かんぜん に潰 つい えた。
ピアーヴェは、国王 こくおう フランソワ1世 せい をその時代 じだい の単 たん なる一 いち 貴族 きぞく に変更 へんこう する、トゥリボレットを不具 ふぐ 者 しゃ としない、などいくつかの改変 かいへん を施 ほどこ した別 べつ 稿 こう 『ヴァンドーム公爵 こうしゃく 』Il Duca di Vendome を作成 さくせい 、それがヴェネツィアの検閲 けんえつ 当局 とうきょく を満足 まんぞく させることを確認 かくにん の上 うえ ブッセートのヴェルディに送付 そうふ した。しかし今度 こんど はヴェルディが納得 なっとく しなかった。彼 かれ は、好色 こうしょく な君主 くんしゅ が放恣 ほうし の限 かぎ りを尽 つ くすこと、道化師 どうけし に醜悪 しゅうあく な外見 がいけん と誇 ほこ り高 たか い内面 ないめん の二 に 面 めん 性 せい があること、に価値 かち を見出 みいだ していたからである。ヴェルディの返答 へんとう を受 う けて、ピアーヴェ、マルザーリらは改 あらた めて精力 せいりょく 的 てき に当局 とうきょく と折衝 せっしょう し、「物語 ものがたり の場所 ばしょ と時代 じだい を変更 へんこう すること」を唯一 ゆいいつ の許可 きょか 条件 じょうけん とするまでの譲歩 じょうほ を引 ひ き出 だ した。
このようにして、1850年 ねん 12月30日 にち 、ヴェルディ、ピアーヴェとフェニーチェ座 ざ は「改変 かいへん についての覚書 おぼえがき 」に署名 しょめい した。その内容 ないよう は以下 いか の6項目 こうもく である;
物語 ものがたり の設定 せってい は、王政 おうせい 下 か のフランスでなく、独立 どくりつ 領主 りょうしゅ 支配 しはい 下 か のブルゴーニュあるいはノルマンディー、さもなければイタリアの適切 てきせつ な独立 どくりつ 領主 りょうしゅ の小国 しょうこく とすること
ユーゴー原作 げんさく 『王 おう は愉 たの しむ』の主要 しゅよう 登場 とうじょう 人物 じんぶつ の外見 がいけん と性格 せいかく は維持 いじ されるが、名前 なまえ は変更 へんこう する
貞操 ていそう を守 まも ろうと部屋 へや に逃 に げ込 こ んだ娘 むすめ ブランシュを追 お うフランソワ王 おう が、部屋 へや の合鍵 あいかぎ をポケットから取 と り出 だ して笑 わら う、という場面 ばめん は削除 さくじょ する
王 おう (ないしは、1で改変 かいへん された場所 ばしょ 次第 しだい では領主 りょうしゅ )は、娼婦 しょうふ の誘 さそ いに応 おう じて居酒屋 いざかや に入 はい るのではなく、おびき出 だ されるとする
殺 ころ し屋 や から袋 ふくろ 詰 づ め死体 したい を受 う け取 と る場面 ばめん はそのまま用 もち いてよろしい
これらの改変 かいへん に日時 にちじ を要 よう することを考慮 こうりょ して、作品 さくひん 初演 しょえん は1851年 ねん 2月 がつ 28日 にち 以降 いこう に延期 えんき する
ヴェルディはこの覚書 おぼえがき の条件 じょうけん に従 したが って必要 ひつよう な改変 かいへん を進 すす めた。作曲 さっきょく がかなり進捗 しんちょく していたこともあり、主人公 しゅじんこう トゥリボレットは、それとよく似 に た語感 ごかん のリゴレット (Rigoletto)に変更 へんこう された(この名前 なまえ の初出 しょしゅつ は1851年 ねん 1月 がつ 14日 にち のヴェルディの書簡 しょかん である)。
ヴェルディは1851年 ねん 2月 がつ 19日 にち 、ブッセートの自宅 じたく からヴェネツィアに到着 とうちゃく 、稽古 けいこ の合間 あいま を縫 ぬ っていくつかのオーケストレーションの仕上 しあ げがなされ、3月11日 にち の初演 しょえん を迎 むか えた。そしてそれは、少 すく なくとも20回 かい の再演 さいえん を伴 ともな う大 だい 成功 せいこう だった。
全 ぜん 3幕 まく 。演出 えんしゅつ によっては場所 ばしょ が異 こと なる2場 じょう に分 わ かれている第 だい 1幕 まく をそれぞれ独立 どくりつ した幕 まく に分 わ け、4幕 まく 仕立 した てで上演 じょうえん される場合 ばあい もある。アルトゥーロ・トスカニーニ などのライヴ盤 ばん で『歌劇 かげき 「リゴレット」第 だい 4幕 まく 』などと表記 ひょうき してあるのは、それに由来 ゆらい する表記 ひょうき であり、本来 ほんらい は3幕 まく 仕立 した てのオペラとはいえ間違 まちが いとは言 い い切 き れない。
前奏 ぜんそう 曲 きょく
第 だい 1幕 まく
第 だい 1場 じょう マントヴァ公爵 こうしゃく 邸 てい の大広間 おおひろま
第 だい 2場 じょう 街 がい 外 はず れの物寂 ものさび しい一角 いっかく
第 だい 2幕 まく 公爵 こうしゃく 邸 てい の広間 ひろま
第 だい 3幕 まく ミンチョ河畔 かはん
エンリコ・カルーソー が扮 ふん するマントヴァ公爵 こうしゃく
マントヴァ公爵 こうしゃく (テノール ) - Mantovaの綴 つづ りは、イタリアの都市 とし マントヴァ に同 おな じ。(後述 こうじゅつ 「#備考 びこう 」欄 らん 参照 さんしょう )
リゴレット - 公爵 こうしゃく に仕 つか えるせむしの道化師 どうけし (バリトン )。Rigolettoは「輪 わ になった踊 おど り」、「群衆 ぐんしゅう の輪 わ 」などの意味 いみ [1] 。
ジルダ - リゴレットの娘 むすめ 、16歳 さい (ソプラノ )。Gildaの綴 つづ りはギルド (Gilda )に同 おな じ。人名 じんめい としてはHermenegild (女性 じょせい 形 がた :Hermenegila)や[2] 、古高 ふるたか ドイツ語 ご gelt に起源 きげん がある[3] 。
スパラフチーレ - ブルゴーニュ生 う まれの殺 ころ し屋 や (バス )。その名前 なまえ Sparafucileの意味 いみ は、「銃 じゅう を撃 う て」(Spara = 動詞 どうし 「撃 う つ / 撃 う て」、fucile = 名詞 めいし 「銃 じゅう 」)[注 ちゅう 1] 。
マッダレーナ - スパラフチーレの妹 いもうと (メゾソプラノ / アルト )。Maddalenaは、マグダラのマリア と同 おな じくMagdala(マグダラ)の語形 ごけい 変化 へんか 。売春 ばいしゅん 婦 ふ を装 よそお い[4] 、兄 あに による公爵 こうしゃく 殺 ごろ しの手助 てだす けに加 くわ わり公爵 こうしゃく を罠 わな にはめる[5] 。
チェプラーノ伯爵 はくしゃく (バリトン)
チェプラーノ伯爵 はくしゃく 夫人 ふじん (メゾソプラノ)
モンテローネ伯爵 はくしゃく (バス)
マルッロ、公爵 こうしゃく の廷臣 ていしん (バリトン)
マッテオ・ボルサ、公爵 こうしゃく の廷臣 ていしん (テノール)
マントヴァ公爵 こうしゃく 夫人 ふじん の小姓 こしょう (メゾソプラノ)
合唱 がっしょう
時 とき と場所 ばしょ 16世紀 せいき 、マントヴァ 。
音楽 おんがく ・音声 おんせい 外部 がいぶ リンク
前奏 ぜんそう 曲 きょく のみ試聴 しちょう する
G.Verdi - Rigoletto, Preludio - Leonardo Catalanotto指揮 しき ORCHESTRA, CORO E TECNICI DEL TEATRO MASSIMO BELLINIによる演奏 えんそう 。当該 とうがい 指揮 しき 者 しゃ 自身 じしん の公式 こうしき YouTube。
2分 ふん 程度 ていど の短 みじか い曲 きょく だが、冒頭 ぼうとう の調 しら べは減 げん 七 なな の和音 わおん と共 とも に執拗 しつよう に繰 く り返 かえ される。オペラが進行 しんこう するにつれ、このモティーフはモンテローネ伯爵 はくしゃく の呪 のろ いを表 あらわ すことが明 あき らかになってくる。
第 だい 1場 じょう 、幕 まく が開 ひら くと公爵 こうしゃく 邸 てい の大広間 おおひろま 。舞踏 ぶとう 会 かい が催 もよお され、舞台裏 ぶたいうら のバンドが賑 にぎ やかに音楽 おんがく を奏 かな でている。マントヴァ公爵 こうしゃく は最近 さいきん 日曜日 にちようび の度 たび に教会 きょうかい で見 み かける美 うつく しく若 わか い娘 むすめ のことが気 き になっているが、まずはチェプラーノ伯爵 はくしゃく 夫人 ふじん を今夜 こんや の獲物 えもの と定 さだ め、次 つぎ から次 つぎ へと女性 じょせい を手玉 てだま に取 と る愉 たの しみを軽快 けいかい なバッラータ『あれかこれか』Questa o quella に歌 うた う。やがて伯爵 はくしゃく 夫人 ふじん が現 あらわ れ、公爵 こうしゃく は言葉 ことば 巧 たく みに口説 くど き落 お とし別室 べっしつ へと連 つ れて行 い く。夫人 ふじん の行方 ゆくえ を捜 さが し歩 ある くチェプラーノ伯爵 はくしゃく はリゴレットによって笑 わら いものにされる。一方 いっぽう 、リゴレットの娘 むすめ ジルダの存在 そんざい を嗅 か ぎ付 つ け、それがせむし男 おとこ リゴレットの情婦 じょうふ だと勘違 かんちが いした廷臣 ていしん たちは噂 うわさ 話 ばなし を続 つづ けている。そこへ老人 ろうじん モンテローネ伯爵 はくしゃく が娘 むすめ の名誉 めいよ が傷 きず つけられたとして抗議 こうぎ に現 あらわ れる。リゴレットは彼 かれ もまた嘲笑 ちょうしょう の的 まと にしようとするが、モンテローネは公爵 こうしゃく とリゴレットに痛烈 つうれつ な呪 のろ いの言葉 ことば をかけ、リゴレットは内心 ないしん 恐怖 きょうふ に打 う ち震 ふる える。
第 だい 2場 じょう 、家路 いえじ へ急 いそ ぐリゴレットだが、モンテローネの呪 のろ いはその念頭 ねんとう を去 さ らない。殺 ころ し屋 や スパラフチーレが現 あらわ れ、「美 うつく しい妹 いもうと が相手 あいて を誘 さそ い出 だ し、自分 じぶん が刺 さ し殺 ころ す。半分 はんぶん は前金 まえきん で頂 いただ き、残金 ざんきん は殺 ころ してから」と自分 じぶん の殺 ころ し屋 や 稼業 かぎょう を説明 せつめい するが、リゴレットは「今 いま は用 よう はない」と彼 かれ を立 た ち去 さ らせる。リゴレットは「俺 おれ はこの舌 した で人 ひと を殺 ころ し、奴 やつ は短剣 たんけん で殺 ころ す」と、モノローグ『二人 ふたり は同 おな じ』Pari siamo を歌 うた う。帰宅 きたく したリゴレットを美 うつく しい娘 むすめ ジルダが迎 むか える。彼女 かのじょ は父親 ちちおや の素性 すじょう 、亡 な くなったと聞 き かされている母親 ははおや はどんな女性 じょせい だったか、などを矢継 やつ ぎ早 ばや にリゴレットに尋 たず ねるが、ジルダにだけは世間 せけん の醜 みにく さを見 み せたくないと考 かんが えるリゴレットは、教会 きょうかい に行 い く以外 いがい は外出 がいしゅつ するなと厳命 げんめい して去 さ る。リゴレットと入 い れ替 か わりに公爵 こうしゃく が現 あらわ れる。教会 きょうかい で見 み かけた娘 むすめ はこのジルダだったのだ。彼 かれ は「自分 じぶん は貧 まず しい学生 がくせい 」と名乗 なの り熱烈 ねつれつ な愛情 あいじょう を告白 こくはく する。初 はじ めは驚 おどろ くジルダだったが、うぶな彼女 かのじょ は百戦錬磨 ひゃくせんれんま の公爵 こうしゃく の術策 じゅっさく の前 まえ には無力 むりょく 、生 う まれて初 はじ めての恋愛 れんあい 感情 かんじょう に陶然 とうぜん とする。愛情 あいじょう を確 たし かめ合 あ う2重唱 じゅうしょう の後 のち 公爵 こうしゃく は去 さ る。独 ひと り残 のこ るジルダは公爵 こうしゃく のこしらえた偽名 ぎめい 「グヮルティエル・マルデ」をいとおしみ、アリア『慕 した わしき御名 ぎょめい 』Caro nome を歌 うた う。この時 とき リゴレット宅 たく の周 まわ りには廷臣 ていしん たちが集結 しゅうけつ していた。彼 かれ らはジルダをリゴレットの情婦 じょうふ と思 おも い込 こ んでおり、彼女 かのじょ を誘拐 ゆうかい して公爵 こうしゃく に献呈 けんてい すればリゴレットに恰好 かっこう の復讐 ふくしゅう になると考 かんが えていた。リゴレットもそこに戻 もど ってくるが、廷臣 ていしん たちは「今 いま からチェプラーノ伯爵 はくしゃく 夫人 ふじん を誘拐 ゆうかい する」とリゴレットを騙 だま し、言葉 ことば 巧 たく みにリゴレットに目隠 めかく しをしてしまう。彼 かれ が目隠 めかく しをとったときは既 すで に遅 おそ く、ジルダは誘拐 ゆうかい されてしまう。リゴレットは、自分 じぶん にモンテローネの呪 のろ いが降 ふ りかかった、と恐 おそ れおののく。
ジルダが行方 ゆくえ 不明 ふめい になったとの報 ほう は公爵 こうしゃく にも伝 つた わり、いつもは単 たん に好色 こうしょく な彼 かれ も、珍 めずら しく殊勝 しゅしょう にもその身 み を案 あん じるアリア『あの娘 むすめ の涙 なみだ が見 み えるようだ』Parmi veder le lagrime を歌 うた う。しかし廷臣 ていしん たちが、若 わか い娘 むすめ を誘拐 ゆうかい し、殿下 でんか の寝室 しんしつ に待 ま たせております、と自慢 じまん 話 ばなし を始 はじ めると、それがジルダであると悟 さと り浮 う き浮 う きと寝室 しんしつ に去 さ る。入 い れ替 か わりにリゴレット登場 とうじょう 、道化 どうけ 話 ばなし で態度 たいど を取 と り繕 つくろ いながら娘 むすめ の所在 しょざい を探 さが し回 まわ る。公爵 こうしゃく 夫人 ふじん の小姓 こしょう と廷臣 ていしん たちの会話 かいわ を小耳 こみみ にはさみ、ジルダが公爵 こうしゃく と共 とも に寝室 しんしつ にいると確信 かくしん したリゴレットは、娘 むすめ の返還 へんかん を訴 うった える劇的 げきてき なアリア『悪魔 あくま め、鬼 おに め』Cortigiani, vil razza dannata を歌 うた う。ジルダが寝室 しんしつ を飛 と び出 だ してきてリゴレットと再会 さいかい する。彼女 かのじょ は、貧 まず しい学生 がくせい と名乗 なの る男 おとこ には教会 きょうかい で初 はじ めて出会 であ ったこと、裏切 うらぎ られたと知 し った今 いま でも、彼 かれ への愛情 あいじょう は変 か わらないことを父親 ちちおや に切々 せつせつ と訴 うった える。一方 いっぽう リゴレットは、モンテローネに替 か わって自分 じぶん こそが公爵 こうしゃく に復讐 ふくしゅう するのだと天 てん に誓 ちか う。
ミンチョ河畔 かはん のいかがわしい居酒屋 いざかや 兼 けん 旅 たび 荘 そう 。中 なか にはスパラフチーレと、騎兵 きへい 士官 しかん の身 み なりをした公爵 こうしゃく 、外 そと にはリゴレットとジルダ。公爵 こうしゃく に対 たい する未練 みれん を捨 す て切 き れないジルダに、リゴレットは「では真実 しんじつ を見 み るのだ」と壁 かべ 穴 あな から中 なか を覗 のぞ かせる。公爵 こうしゃく は、女 おんな はみな気 き まぐれ、と、有名 ゆうめい なカンツォーネ『女 おんな は気 き まぐれ(女心 おんなごころ の歌 うた )』La donna è mobile を歌 うた う。スパラフチーレの妹 いもうと マッダレーナが現 あらわ れ、公爵 こうしゃく の気 き を惹 ひ く。マッダレーナを口説 くど く公爵 こうしゃく 、色目 いろめ を遣 や ってその気 き にさせるマッダレーナ、外 そと から覗 のぞ いて嘆 なげ き悲 かな しむジルダ、娘 むすめ の名誉 めいよ のため改 あらた めて復讐 ふくしゅう を誓 ちか うリゴレットの4人 にん が、これも有名 ゆうめい な4重唱 じゅうしょう 『美 うつく しい愛 あい らしい娘 むすめ よ』Bella figlia dell'amore を繰 く り広 ひろ げる。リゴレットは娘 むすめ に、この街 まち を去 さ りヴェローナに向 む けて出発 しゅっぱつ せよと命令 めいれい する。
残 のこ ったリゴレットはスパラフチーレに、公爵 こうしゃく を殺 ころ し死体 したい を自分 じぶん に渡 わた すことを依頼 いらい し、前金 まえきん の金貨 きんか 10枚 まい を渡 わた し去 さ る。酔 よ った公爵 こうしゃく は鼻歌 はなうた を歌 うた いつつ居酒屋 いざかや の2階 かい で寝込 ねこ んでしまう。外 そと は嵐 あらし 。公爵 こうしゃく に惚 ほ れたマッダレーナは兄 あに に命 いのち だけは助 たす けてやってくれと願 ねが う。それは殺 ころ し屋 や の商 しょう 道徳 どうとく に反 はん すると反対 はんたい していた兄 あに も妹 いもうと の願 ねが いに不承不承 ふしょうぶしょう 従 したが い、真夜中 まよなか の鐘 かね が鳴 な るまでに他人 たにん がこの居酒屋 いざかや を訪 おとず れたら、その者 もの を身代 みが わりに殺 ころ すことに決定 けってい する。ヴェローナ行 い きの旅装 りょそう に身 み を包 つつ んだジルダは公爵 こうしゃく を諦 あきら め切 き れず再 ふたた び登場 とうじょう 、2人 ふたり の会話 かいわ を聞 き き、自分 じぶん がその身代 みが わりとなることを決断 けつだん する。嵐 あらし が一段 いちだん と激 はげ しくなる中 なか 、ジルダは遂 つい に意 い を決 けっ して居酒屋 いざかや のドアを叩 はた き、中 なか に招 まね き入 い れられる。
嵐 あらし が次第 しだい に静 しず まる頃 ころ リゴレットが戻 もど ってきて、残金 ざんきん と引換 ひきか えに死体 したい 入 い りの布袋 ほてい を受 う け取 と る。ミンチョ川 がわ に投 な げ入 い れようとするとき、マッダレーナとの愉 たの しい一夜 いちや を終 お えた公爵 こうしゃく が(舞台裏 ぶたいうら で)あの『女 おんな は気 き まぐれ(女心 おんなごころ の歌 うた )』を歌 うた いながら去 さ るのを聞 き きリゴレットは驚 おどろ く。慌 あわ てて袋 ふくろ を開 あ けるとそこには虫 むし の息 いき のジルダ。彼女 かのじょ は、父 ちち の言 い いつけに背 そむ いたことを詫 わ びつつ、愛 あい する男 おとこ の身代 みが わりになり天 てん に召 め される幸福 こうふく を歌 うた って息 いき 絶 た える。残 のこ されたリゴレットは「ああ、あの呪 のろ いだ!」と叫 さけ んで、幕 まく 。
『あれかこれか』Questa o quella 、マントヴァ公爵 こうしゃく のバッラータ(第 だい 1幕 まく 第 だい 1場 じょう )
『二人 ふたり は同 おな じ』Pari siamo 、リゴレットのモノローグ(第 だい 1幕 まく 第 だい 2場 じょう )
2重唱 じゅうしょう 『それは心 しん の太陽 たいよう 』È il sol dell'anima 、マントヴァ公爵 こうしゃく ・ジルダ(第 だい 1幕 まく 第 だい 2場 じょう )
『慕 した わしき御名 ぎょめい 』Caro nome 、ジルダのアリア(第 だい 1幕 まく 第 だい 2場 じょう )
『あの娘 むすめ の涙 なみだ が見 み えるようだ』Parmi veder le lagrime 、マントヴァ公爵 こうしゃく のシェーナとアリア(第 だい 2幕 まく )
『悪魔 あくま め、鬼 おに め』Cortigiani, vil razza dannata 、リゴレットのアリア(第 だい 2幕 まく )
『女 おんな は気 き まぐれ(女心 おんなごころ の歌 うた )』La donna è mobile 、マントヴァ公爵 こうしゃく のカンツォーネ(第 だい 3幕 まく )
4重唱 じゅうしょう 『美 うつく しい愛 あい らしい娘 むすめ よ』Bella figlia dell'amore 、マントヴァ公爵 こうしゃく ・マッダレーナ・リゴレット・ジルダ(第 だい 3幕 まく )
La donna è mobile
La donna è mobile
Qual piuma al vento,
Muta d'accento - e di pensiero.
Sempre un amabile,
Leggiadro viso,
In pianto o in riso, - è menzognero.
È sempre misero
Chi a lei s'affida,
Chi le confida - mal cauto il core!
Pur mai non sentesi
Felice appieno
Chi su quel seno - non liba amore!
女 おんな は気 き まぐれ
女 おんな は気 き まぐれ
まるで羽根 はね 風 ふう の中 なか の
声色 こわいろ が変 か わる そして心 しん も
いつも愛 あい らしい
可憐 かれん なお顔 かお
泣 な いたり笑 わら ったり 嘘 うそ で出来 でき てる
いつも哀 あわ れだ
女 おんな を信 しん じたり
打 う ち明 あ けたり 不注意 ふちゅうい 不用心 ぶようじん !
なのに気 き づかない
しあわせいっぱいを
あのお乳 ちち の 愛 あい に乾杯 かんぱい せねば!
Bella figlia dell'amore
DUCA a Maddalena:
Bella figlia dell'amore,
Schiavo son dei vezzi tuoi;
Con un detto sol tu puoi
Le mie pene consolar.
Vieni e senti del mio core
Il frequente palpitar.
MADDALENA rispondendo al duca:
Ah! ah! rido ben di core,
Che tai baie costan poco
Quanto valga il vostro gioco,
Mel credete, so apprezzar.
Son avvezza, bel signore,
Ad un simile scherzar.
GILDA a sé stessa:
Ah, così parlar d'amore
A me pur l'infame ho udito!
Infelice cor tradito,
Per angoscia non scoppiar.
RIGOLETTO a Gilda:
Taci, il piangere non vale...
Ch'ei mentiva sei sicura.
Taci, e mia sarà la cura
La vendetta d'affrettar.
Sì, pronta fia, sarà fatale,
Io saprollo fulminar.
美 うつく しい愛 あい らしい娘 むすめ よ
公爵 こうしゃく からマッダレーナ:
べっぴんな 愛 あい の乙女 おとめ
素敵 すてき な 貴君 きくん の とりこに
ただ貴君 きくん の たった一言 ひとこと が
僕 ぼく の落 お ちこんだ心 しん を癒 いや すんだ
近 ちか くへ寄 よ り 触 ふ れてみよ心 しん へ
胸 むね 震 ふる え狂 くる いて 春 はる 来 き た
マッダレーナから公爵 こうしゃく への返答 へんとう :
は!は! 本当 ほんとう 可笑 おか しい人 ひと ね
からかいは簡単 かんたん なこと
おいくらかしら あなたの劣情 れつじょう
心 しん を込 こ めてさ お礼 れい をしたら
もう慣 な れたの 色男 いろおとこ ね
ありふれた言葉 ことば ね
ジルダの独白 どくはく :
ああ、このように愛 あい に埋 うず もれ
私 わたし にも言 い った 最低 さいてい な人 ひと !
裏切 うらぎ りに 不 ふ しあわせよ
平安 へいあん を失 うしな い 胸 むね 張 は りやるなかれ
リゴレットからジルダ:
黙 だま れ 泣 な いても仕方 しかた がないね・・・
欺瞞 ぎまん 男 おとこ だ お前 まえ に分 わ かるな
黙 だま れ で、ワシがやることは、
だ、 とっとと かたき討 う ちだ
そうだ 用意 ようい は いいな さあ当 あ たれ
威力 いりょく は 電撃 でんげき 的 てき だ
マントヴァ公爵 こうしゃく の役名 やくめい はイタリア語 ご 台本 だいほん でもIl Duca di Mantovaとのみ記 しる されているが、この時代 じだい 設定 せってい からすると、作曲 さっきょく 家 か モンテヴェルディ や画家 がか ルーベンス などの庇護 ひご 者 しゃ として知 し られたヴィンチェンツォ1世 せい ・ゴンザーガ のはずである。当初 とうしょ はその本名 ほんみょう に言及 げんきゅう する台本 だいほん が作成 さくせい されていたが、最終 さいしゅう 的 てき には1851年 ねん 2月 がつ 24日 にち 前後 ぜんこう の検閲 けんえつ で単 たん に「マントヴァ公爵 こうしゃく 」とさせられた。もっとも台本 だいほん 作家 さっか ピアーヴェによれば「これは大 たい したことではない。この時代 じだい 誰 だれ がマントヴァを統治 とうち していたかは皆 みな 知 し っているのだから」。確 たし かにヴィンチェンツォに金銭 きんせん 的 てき には浪費 ろうひ 家 か の一 いち 面 めん はあったが、ヴェネツィア検閲 けんえつ 当局 とうきょく によって彼 かれ は不当 ふとう にも好色 こうしょく 家 か ・放蕩 ほうとう 家 か の汚名 おめい をも着 き せられることとなった。
第 だい 3幕 まく の公爵 こうしゃく のカンツォーネ『女 おんな は気 き まぐれ(女心 おんなごころ の歌 うた )』はヴェルディ自身 じしん も自信 じしん 作 さく と考 かんが えていたらしく、その秘匿 ひとく に努 つと めた。リハーサルへの一般人 いっぱんじん の出入 でい りや盗 ぬす み聴 き きを禁 きん じたとも、初演 しょえん の公爵 こうしゃく 役 やく テノール、ラファエッレ・ミラーテに個人 こじん レッスンでのみこの曲 きょく を教 おし えたとも、あるいはオーケストラ演奏 えんそう 者 しゃ や共演 きょうえん 声楽 せいがく 家 か には初演 しょえん の数時間 すうじかん 前 まえ になって初 はじ めて公開 こうかい したなどとも伝 つた えられ、諸説 しょせつ 紛々 ふんぷん としている。また、こういった秘匿 ひとく の努力 どりょく にもかかわらず初演 しょえん 終演 しゅうえん 後 ご にはヴェネツィア の街 まち の通行人 つうこうにん 、ゴンドラ の漕 こ ぎ手 しゅ の大 だい 多数 たすう がこの歌 うた を口 くち ずさんでいた、ともいう。これらイタリア人 じん にありがちな大 おお げさな逸話 いつわ の真偽 しんぎ はさておき、『女 おんな は気 き まぐれ(女心 おんなごころ の歌 うた )』は現在 げんざい でもテノール 歌手 かしゅ 中 ちゅう 最 もっと も有名 ゆうめい なショー・ピースの一 ひと つであることは疑 うたが いようがない。
このオペラ中 ちゅう 、リサイタルでたびたび演奏 えんそう されるアリアは上記 じょうき のように殊 こと 欠 けっ かないが、その魅力 みりょく はむしろ次々 つぎつぎ と紡 つむ ぎ出 だ される重唱 じゅうしょう の数々 かずかず にあると考 かんが えられている。大 だい 規模 きぼ な合唱 がっしょう 場面 ばめん を欠 か いている点 てん でヴェルディの他 た 作 さく と大 おお きな対照 たいしょう をなしているのも興味深 きょうみぶか い。ヴェルディ自身 じしん は、ジルダのためにもう一 いち 曲 きょく 魅力 みりょく 的 てき なアリアを補作 ほさく してほしいという要請 ようせい を断 ことわ る書簡 しょかん (1852年 ねん )において、作曲 さっきょく 者 しゃ の意図 いと では『リゴレット』は途切 とぎ れることのない一連 いちれん の2重唱 じゅうしょう であるべきで、アリアは仕方 しかた なくそこに置 お かれているに過 す ぎず、これ以上 いじょう 何 なに も加 くわ えようはない、という旨 むね の考 かんが えを述 の べている。
このオペラでは検閲 けんえつ による変更 へんこう を余儀 よぎ なくされた地名 ちめい 、固有名詞 こゆうめいし などを除 のぞ けばかなりの程度 ていど ヴィクトル・ユーゴー の原作 げんさく 戯曲 ぎきょく を忠実 ちゅうじつ にイタリア語 ご 化 か している。それにもかかわらず、ユーゴーには著作 ちょさく 権 けん 料 りょう に相当 そうとう する金銭 きんせん の受取 うけとり が一切 いっさい なかったため彼 かれ は立腹 りっぷく 、フランス で訴訟 そしょう まで提起 ていき した(結果 けっか は敗訴 はいそ )。このため同 どう オペラのパリ 初演 しょえん は他 た の世界 せかい 諸 しょ 都市 とし に大 おお きく遅 おく れて1857年 ねん 1月 がつ 19日 にち (イタリア座 ざ )、世界 せかい 初演 しょえん のほぼ6年 ねん 後 ご であった。
ヴィクトル・ユーゴー自身 じしん 、ヴェルディの効果 こうか 的 てき な重唱 じゅうしょう の用 もち い方 かた には驚嘆 きょうたん せざるを得 え なかった。同 どう オペラのパリ初演 しょえん に観客 かんきゃく として(不承 ふしょう 不承 ぶしょう )招 まね かれたユーゴーは第 だい 3幕 まく の4重唱 じゅうしょう を聴 き いて「4人 にん に同時 どうじ に舞台 ぶたい で台詞 せりふ を言 い わせて、個々 ここ の台詞 せりふ の意味 いみ を観客 かんきゃく に理解 りかい させるのは芝居 しばい では不可能 ふかのう だ」と述 の べたと伝 つた えられている。
^ イタリアの芸術 げいじゅつ 作品 さくひん ではフェリーニ の映画 えいが 『道 みち 』(1954年 ねん )においても fucile はストーリーのポイントである。『道 みち 』の主 しゅ たる登場 とうじょう 人物 じんぶつ である道化師 どうけし ザンパノは喜劇 きげき でそれを ciufile というふうに言 い い間違 まちが えて観客 かんきゃく を笑 わら わせる。彼 かれ は同業 どうぎょう の道化師 どうけし から ciufile をあだ名 な にされ、のちにこの同 どう 業者 ぎょうしゃ を殺 ころ す。
^ 公爵 こうしゃく の台詞 せりふ le mie pene は la mia pena (私 わたし の痛 いた み)の複数 ふくすう 形 がた であり、公爵 こうしゃく の生殖 せいしょく 器 き (私 わたし の生殖 せいしょく 器 き il mio pene )ではない。モーツァルト のアリア『Cara, se le mie pene いとしい人 ひと 、もしも私 わたし の痛 いた みが』(1769年 ねん )と同様 どうよう である。Le mie pene が男性 だんせい 器 き を意味 いみ する場合 ばあい は、例 たと えばある特定 とくてい の男性 だんせい の生殖 せいしょく 器 き の写真 しゃしん が複 ふく 数 すう 枚 まい あるような状態 じょうたい である。
^ マッダレーナと公爵 こうしゃく の絡 がら みは上演 じょうえん 団体 だんたい によって演出 えんしゅつ は様々 さまざま であり、性的 せいてき に過激 かげき な場合 ばあい もある。
^ マントヴァ公爵 こうしゃく とマッダレーナの性的 せいてき な描写 びょうしゃ の流 なが れの中 なか でジルダは scoppiar という言葉 ことば を発 はっ するが、これは胸 むね が張 は り裂 さ けるという意味合 いみあ いである。音 おと が類似 るいじ する scopare (性交 せいこう を意味 いみ する俗語 ぞくご )と誤認 ごにん しないように区別 くべつ する必要 ひつよう がある。
^ リゴレットの台詞 せりふ mentiva とは、「彼 かれ (Mantova公爵 こうしゃく )は嘘 うそ をついた」 という意味 いみ の動詞 どうし 。
^ “rigoletto 伊和 いわ 中 ちゅう 辞典 じてん 2版 はん の解説 かいせつ ”. コトバンク
^ Josep M. Albaigès i Olivart, Diccionario de nombres de personas , Edicions Universitat Barcelona, 1993, pp. 126, 268.
^ “The meaning, origin and history of the given name Gilda ”. Behind the Name
^ “Oxford Reference: Sparafucile ”. オックスフォ おっくすふぉ ード大学 どだいがく 出版 しゅっぱん 局 きょく . 参照 さんしょう 元 もと : Joyce Bourne, A Dictionary of Opera Characters (2 ed.) , Oxford University Press, 2008
^ “Oxford Reference: Maddalena ”. オックスフォ おっくすふぉ ード大学 どだいがく 出版 しゅっぱん 局 きょく . 参照 さんしょう 元 もと : Joyce Bourne, A Dictionary of Opera Characters (2 ed.) , Oxford University Press, 2008
^ “Bella figlia dell'amore, Op.61 (Krüger, Wilhelm) ”. IMSLP