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かく

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かく(かどざ)は、もと道頓堀どうとんぼり江戸えど時代じだい初期しょきからあった由緒ゆいしょある芝居しばい小屋こや劇場げきじょう演芸えんげいじょう映画えいがかんかく名称めいしょうは、現在げんざい道頓堀どうとんぼり以外いがいでも松竹しょうちく芸能げいのう運営うんえいする劇場げきじょうにつけられている。

沿革えんかく

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江戸えど時代じだいは「かく芝居しばい」ともばれ、おも歌舞伎かぶき芝居しばい小屋こやだった。1652ねん慶安けいあん5ねん大坂おおさかふとし左衛門さえもん芝居しばいとして幕府ばくふ公認こうにんる。道頓堀どうとんぼりがわにかかるふと左衛門さえもんきょうわたったかくにあるのでかく芝居しばいかくばれるようになった。道頓堀どうとんぼり幕府ばくふ公認こうにん芝居しばい小屋こや全国ぜんこくもっと集中しゅうちゅうするまちで戎橋えびすばしがわから、竹本たけもと(筑後ちくご芝居しばい大西おおにし芝居しばい)中座ちゅうざかくすみまるゆたかちく竹田たけだを「むっ(むつやぐら)」とい(幕府ばくふ公認こうにん劇場げきじょうあかし)、それらを収容しゅうよう人数にんずうだい芝居しばい(おおしばい)、ちゅう芝居しばい(ちゅうしばい)、はま芝居しばい(はましばい)と大別たいべつされるうち、かくだい芝居しばいであった。大西おおにし芝居しばい歌舞伎かぶきたれなくなっても、中座ちゅうざかく道頓堀どうとんぼり代表だいひょうする歌舞伎かぶき劇場げきじょうとして君臨くんりんした。明治めいじ以降いこうは、浪花なにわ中座ちゅうざかく朝日あさひ弁天べんてんの5つの芝居しばい小屋こやを「道頓堀どうとんぼりまたは「浪花なみはな」とび「江戸えどさん」とならしょうした。

1758ねんたかられき8ねん並木なみき正三しょうさんにより、古来こらい歌舞伎かぶき上演じょうえん使つかわれてきたのう舞台ぶたいふう芝居しばい小屋こやから、破風はふ大臣だいじんばしらなどがはらわれるとともに、奈落ならく歌舞伎かぶき舞台ぶたい転換てんかん不可欠ふかけつであるまわ舞台ぶたい世界せかいはじめて採用さいようされた。

1826ねん文政ぶんせい9ねんシーボルトがオランダ公使こうし随行ずいこういんとして江戸えど参府さんぷ帰途きとり、歌舞伎かぶき妹背山しはいやま婦女ふじょ庭訓ていきん」を観覧かんらん城内きうち様子ようすこまかく記録きろくしたほん本国ほんごく出版しゅっぱん

かくかんした劇場げきじょう演芸えんげいじょう

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かくかんした映画えいがかん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ しんライブスペース「DAIHATSU 心斎橋しんさいばしかく」 オープンのおらせ 松竹しょうちく芸能げいのう株式会社かぶしきがいしゃ、2018ねん11月19にち