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ブギ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブギ
様式ようしきてき起源きげん ラグタイムブルースワーク・ソングジャグ・バンド黒人こくじん霊歌れいか
文化ぶんかてき起源きげん 20世紀せいき初頭しょとう
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
使用しよう楽器がっき ピアノギター、サックス、トロンボーン、トランペット、ウッド・ベース、ベースドラムなど
融合ゆうごうジャンル
ロカビリー
関連かんれん項目こうもく
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ブギboogie)とはスウィングまたはシャッフルのリズムによる反復はんぷくフレーズでありブルーススウィング・ジャズロックンロールなどの音楽おんがくもちいられる。ブギーとも表記ひょうきされる。「8ビート最高さいこう芸術げいじゅつ」ともわれ、ビートに習慣しゅうかんせいがありへきになるてんもよく指摘してきされる。

元々もともとピアノで演奏えんそうされたブギウギboogie-woogie英語えいごばん[1] スタイルのリズムをギターダブルベースなどの楽器がっき適用てきようしたもの。アルバート・アモンズ、ミード・ルクス・ルイス、ピート・ジョンソンの "ブギウギ・トリオ"[2] は、ピアノ・トリオとしてられている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

1900年代ねんだい黎明れいめい[編集へんしゅう]

20世紀せいき初頭しょとうテキサスルイジアナオクラホマミズーリ各州かくしゅうのブルース・ピアニストたちのブギ・ウギを特徴とくちょうづける1小節しょうせつ8はくのベース・パターンを演奏えんそうしていた。かれらは1きょくとおしてブギ・ビートをくことはなく、ジャズでうダブル・タイム[注釈ちゅうしゃく 1] のように4はくと8はく使用しようした。当時とうじこの技法ぎほうには確固かっこたる名称めいしょうもなかった[3]。ピアニストは堤防ていぼう工事こうじテレピン採取さいしゅ材木ざいもく伐採ばっさいなどの飯場はんばにあるバレル・ハウス(やす酒場さかば)・サーキットをまわった。製材せいざいぎょう労働ろうどう環境かんきょう劣悪れつあくで、黒人こくじん就労しゅうろうしゃめられていた[4]もっと初期しょき証言しょうげんとしてW.C.ハンディはベニー・フレンチー、ソニー・バック、セイモア・アバーナシーらのげ「エイト・ビートのブギウギのはしり」とひょうしている。ジェリー・ロール・モートンテネシーしゅうメンフィス「モナーク・サルーン」でベニー・フレンチーの演奏えんそういている。「フレンチーが演奏えんそうすると、娼婦しょうふたちがかべまでまっしぐらにかけていって、小走こばしりのステップをみながらたたいて、右足みぎあしをうしろのほうりあげる。それから『ああ、いて、ベニー、いて』ってうんだ」[4][注釈ちゅうしゃく 2] 世界せかい情勢じょうせいでは、1914ねんだいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつしている。

1920年代ねんだい - 30年代ねんだい、シカゴでの隆盛りゅうせい[編集へんしゅう]

1917ねん、シカゴ・ディフェンダー主筆しゅひつロバート・S・アボットが南部なんぶ黒人こくじんたちに北部ほくぶへの移住いじゅうびかける。「北部ほくぶ自由じゆうじんとしてこごえてねる権利けんりがあるというのに、なぜ南部なんぶ奴隷どれいとして凍死とうししなければならないのか」[注釈ちゅうしゃく 3]。1900ねんに3せんにんだったシカゴ黒人こくじん総数そうすうは1920ねんには10まん9せんにんまで増加ぞうか、その90%はしゅうからの移住いじゅうしゃだった。人々ひとびとあつまりピアノがいてあるところならどこへでもく、そんなピアノきがシカゴにあつまった[4]

1927ねん、ミード・ルクス・ルイス、「ホンキー・トンク・トレイン・ブルース」録音ろくおん[注釈ちゅうしゃく 4]。1905ねんイリノイしゅうシカゴまれ。「ルクス」はルクセンブルク公爵こうしゃく由来ゆらいするあだ少年しょうねん時代じだい線路せんろわきんでいた体験たいけんもとかれた「ホンキー・トンク・トレイン・ブルース」をパラマウントに[5]

1928ねん、カウ・カウ・ダヴェンポート、「カウ・カウ・ブルース」録音ろくおん[注釈ちゅうしゃく 5]。1894ねんアラバマしゅうアニストンまれ。独学どくがくでピアノをまな旅回たびまわりの一座いちざはい鉱山こうざんキャンプなどを巡業じゅんぎょう。テキサスでいた「ザ・カウズ」(めすうしたち)というきょくをアレンジし「カウ・カウ・ブルース」を作曲さっきょく、ドーラ・カーとコンビを自分じぶん一座いちざ結成けっせいデトロイトやシカゴなど北部ほくぶのプレイヤーに影響えいきょうあたえる[4]。1928ねん7がつ16にち、シカゴで録音ろくおんされた「カウ・カウ・ブルース」ではダヴェンポート自身じしん自分じぶん発明はつめいした」と主張しゅちょうするウォーキング・ベース[注釈ちゅうしゃく 6]かれる。1955ねんぼつ[5]

1928ねん、パイントップ・スミス、「パイントップス・ブギ・ウギ」録音ろくおん[注釈ちゅうしゃく 7]。1904ねんアラバマしゅうトロイまれ。赤毛あかげのためパイントップとばれる。1927ねん、ピッツバーグのスター劇場げきじょう出演しゅつえんちゅう、カウ・カウ・ダヴェンポートにはげまされる。「おい、おまえさんなんともいやらしくブギウギしてるじゃないか」スミスはシカゴに部屋へやりる。偶然ぐうぜんそこにはミード・ルクス・ルイスとアルバート・アモンズが居住きょじゅうしていた[4][注釈ちゅうしゃく 8]。1928ねん12月29にち、シカゴで録音ろくおんされた「パイントップス・ブギウギ」は音楽おんがく史上しじょう最初さいしょのブギウギ・レコード(タイトルに「ブギウギ」の語句ごく使用しようされた最初さいしょのレコードの)となる[5]。1929ねん3がつ、パーティできた喧嘩けんか口論こうろんによる発砲はっぽう事件じけんまれ死亡しぼう[4]

ピート・ジョンソンは、1904ねんミズーリしゅうカンサス・シティでまれた。1920年代ねんだいからしょう編成へんせいのバンドをちKCのクラブで活動かつどう。「サンセット・クラブ」のバーテンダーけん歌手かしゅビッグ・ジョー・ターナーとのコンビが人気にんきはく[6]。「ピート・ジョンソンはブギにすぐれていましたが、けっしてブギだけをいているひとではありませんでした。ただカンサス・シティまれのテナー・マンのベン・ウェブスターのようなひとが『おれさぶれ、みんなをさぶれ。ピート、みんなをジャンプさせるんだ』とわめいたときだけわたしたちのためにブギをいてくれるのでした。」(メリー・ルー・ウィリアムス)[注釈ちゅうしゃく 9][7]1938ねん12月、「ライブラリー・オブ・コングレス」のために最初さいしょ録音ろくおんおこな[6]。 1929ねん世界せかい恐慌きょうこうで、だい不況ふきょう時代じだいになっていく。

1938ねん9がつトミー・ドーシー楽団がくだん「ブギ・ウギ」全米ぜんべい3のヒット[注釈ちゅうしゃく 10]。ディーン・キンケイドが「パイントップス・ブギウギ」をビッグバンドよう編曲へんきょくしたこのきょくをドーシー楽団がくだんはその1943ねん(5)、1945ねん(4)と都合つごう3かいヒットさせている[8]

1938ねん12月、ニューヨークカーネギー・ホールで「フロム・スピリチュアル・トゥ・スィング」開催かいさい主催しゅさいしゃジョン・ハモンド奔走ほんそうによりアルバート・アモンズ、ミード・ルクス・ルイス、ピート・ジョンソンの出演しゅつえん実現じつげんする。大変たいへん評判ひょうばんとなりよく39ねんには「ブギウギ・トリオ」としてシカゴの「シャーマン・ホテル」に出演しゅつえん、これをNBC放送ほうそう中継ちゅうけいした[3]

1940年代ねんだい[編集へんしゅう]

1941ねん日本にっぽん真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきをきっかけに、アメリカは太平洋戦争たいへいようせんそうだい世界せかい大戦たいせん参戦さんせんした。1940年代ねんだい以降いこうブギウギは従来じゅうらいのピアノ演奏えんそういち形態けいたいから、よりポピュラーな音楽おんがくとして様々さまざまなジャンルの楽器がっき演奏えんそうしゃ歌手かしゅ幅広はばひろ解釈かいしゃくをもってれられる。

スィングとポピュラー

  1. 1940ねん、ウィル・ブラッドリー楽団がくだん「スクラブ・ミー・ママ・ウィズ・ア・ブギー・ビート」(2
  2. 1941ねんアンドリューズ・シスターズ「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」
  3. 1942ねん、フレディ・スラック楽団がくだん「カウ・カウ・ブギ」(9
  4. 1944ねん、インク・スポッツ&エラ・フィッツジェラルド「カウ・カウ・ブギ」(10
  5. 1944ねんライオネル・ハンプトン楽団がくだん「ハンプス・ブギ・ウギ」(18
  6. 1946ねんカウント・ベイシー「ザ・マッド・ブギ」(10
  7. 1946ねん、フレディ・マーティン楽団がくだん「バンブル・ブギ」(7
  8. 1946ねんジーン・クルーパ楽団がくだん「ブギ・ブルース」(9
  9. 1947ねん、カウント・ベイシー「ワン・オクロック・ブギ」(8[9]

カントリー&ウェスタン

「ギター・ブギ」サンプル音源おんげん

1944ねん9がつ、アーサー・スミス「ギター・ブギー」録音ろくおん。ジャズ・ギタリストのスミスはトミー・ドーシー「ブギウギ」をもとにこのきょくき、1944ねんスーパーディスク・レコードから発売はつばい、1949ねんおなじマスターを使用しようしたMGMばんがヒットした[10]どうきょくレス・ポール・トリオ(1946)、チャック・ベリー(1958)、フレディ・キング(1960)、スティーヴィー・レイ・ヴォーントミー・エマニュエルなどジャンルをおおくのギタリストに演奏えんそう録音ろくおんされる[11]

戦後せんご、ブギウギ・リズムを基調きちょうとしたカントリー音楽おんがく流行りゅうこう。ヒルビリー・バップとばれ、1950年代ねんだい中期ちゅうきロックンロールロカビリー基礎きそとなる。デルモア・ブラザース「フレイト・トレイン・ブギ」(1946)、テネシー・アーニー・フォード「ショットガン・ブギー」(1951 C&W1)、ロイ・ホール「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン」(1956)、などおおくのカントリー・ミュージシャンがブギーをレパートリーにした[12]

ブルースとロック

5 6(7)のボトム・リフ サンプル音源おんげん
ハダ・ブルックス

ハダ・ブルックスは1916ねんロサンゼルスまれ。 幼少ようしょうからクラシック・ピアノをまなぶ。1940年代ねんだい中頃なかごろレコードてん演奏えんそうしているときにジュークボックス修理工しゅうりこうからこえをかけられる。「きみ最初さいしょ録音ろくおんに800ドルの投資とうしをしたい。ただし2週間しゅうかんでブギがはじけるようになるなら。」モダン・レコードを設立せつりつする直前ちょくぜんのジュール・バイハリだった。1945ねんモダンからリリースした「Swingin' the Boogie」がヒット、「ブギの女王じょおう」とばれる。1947ねん、「アウト・オブ・ザ・ブルー」(Out of the Blue) に歌手かしゅとして出演しゅつえん、1951ねん黒人こくじん女性じょせいとして最初さいしょのTV番組ばんぐみ「ハダ・ブルックス・ショー」をつ。2002ねん死去しきょ[13]

1948ねん9がつジョン・リー・フッカーは「ブギー・チレン」をんだ。当時とうじブルースは一人ひとりうたいギターをくスタイルは過去かこのものとなりバンド・アンサンブルが主流しゅりゅうとなっていた。しかしプロデューサー、バーナード・ベスマンはフッカーにはがたりのスタイルがうと確信かくしん。フッカーのフットストンプおん足踏あしぶみ)を強調きょうちょうするよう足元あしもといた用意ようい、エコー効果こうかすために便器べんき設置せっちしたスピーカーのおとひろった。「サリー・メイ」いちきょくに3あいだついやすなど録音ろくおん難航なんこうしたがベスマンはみずからブギ・ピアノをいてかせ、それをフッカーなりの解釈かいしゃく演奏えんそうした「ブギー・チレン」が完成かんせい。1948ねん11月3にち、モダン・レーベルから発売はつばい、R&B部門ぶもん獲得かくとくする[14]。フッカーは1961ねんには「ブーン・ブーン」を発表はっぴょうした[15]

ジャンプ・ブルースのルイ・ジョーダンも、ブギー・リズムのヒットきょくっている。1959ねんにはフランキー・フォードが「シー・クルーズ」のヒットをはなった。1970年代ねんだい前半ぜんはんには英国えいこくのグラム・ロックでも、Tレックスやスージー・クアトロ、ゲイリー・グイッターらによって、さかんにブギーのリズムが使用しようされた。70年代ねんだい後半こうはん以降いこうは、ブギー・リズムが使つかわれることは減少げんしょうし、カントリーやブルースの分野ぶんやなどで、使用しようられる程度ていどになっている。

日本にっぽんにおけるブギ[編集へんしゅう]

笠置かさぎシヅ子しづこ 1950

1947ねん作曲さっきょく服部はっとり良一りょういち終戦しゅうせん直後ちょくごいちめん焼野原やけのはらとなった銀座ぎんざで「ほしながれに[注釈ちゅうしゃく 11]みみにし、ブルースをイメージする。「『あとのブルース』はどうだろう。」 意見いけんもとめられたジャズ評論ひょうろん野川のがわかおりぶんは「いまはブルースではない、あかるいリズムでくべき。」と助言じょげん服部はっとり戦時せんじちゅう楽譜がくふ入手にゅうしゅしていたアンドリューズ・シスターズの「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」をおもす。1948ねん1がつ鈴木すずきまさる作詞さくし服部はっとり良一りょういち作曲さっきょく笠置かさぎシヅ子しづこ歌唱かしょうによる「東京とうきょうブギウギ」発売はつばいあかるく開放かいほうてきなこのうたおおきな反響はんきょうび、その一連いちれんのブギウギ作品さくひんとも一世いっせい風靡ふうびする[16]

1948ねん服部はっとり当時とうじ専属せんぞくだったビクターから「市丸いちまるにブギをいてしい」と依頼いらいされる。市丸いちまる浅草あさくさ人気にんき芸者げいしゃから1931ねんビクターり、小唄こうた勝太郎かつたろうともに「うぐいす歌手かしゅ」として活躍かつやくするスター歌手かしゅだった。丸髷まるまげ姿すがたじゅん日本にっぽん調ちょうきょくうたうためくびうごかすことすらめられていたが、「東京とうきょうブギウギ」を派手はでなアクションでうた笠置かさぎシヅ子しづこ刺激しげきける。「わたしもこんなふううごいてみたい」、彼女かのじょのそんなおもいからの作曲さっきょく依頼いらいだった。1949ねん、「三味線しゃみせんブギウギ」発売はつばいすそおどりながらうた市丸いちまる世間せけんはアッとおどろいた。服部はっとり良一りょういち回想かいそう。「市丸いちまるさんはきれいだしリズムにつよいから、モダン芸者げいしゃとしてたるだろうと自信じしんってつくったんです。なにもかもはじめてづくしなのに市丸いちまるさんは頑張がんばりましたよ。予想よそうどおりヒットしましたが、あとで中山なかやま晋平しんぺい先生せんせいが『時代じだい時代じだいだからといって、市丸いちまるにあんなうたうたわせることはないじゃないか』とおこっていたそうです。」[17]

おも楽曲がっきょく[編集へんしゅう]

おもなアーティスト[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 拍子ひょうしを2ばいきざむことを指示しじする用語ようご。ダブル・テンポ、ばいテンポ(ばいテン)ともぶ。
  2. ^ 二人ふたり目撃もくげき日時にちじ不明ふめい。「モナーク・サルーン」は1909ねんごろオープン。ハンディは1909ねんにメンフィスに移住いじゅうしており、そのころ体験たいけんおもわれる。
  3. ^ アメリカの奴隷どれい制度せいどは1865ねん廃止はいし同年どうねん南部なんぶ制定せいていされた「ブラック・コード」により黒人こくじん労働ろうどう投票とうひょうけん法廷ほうていでの証言しょうげん財産ざいさん所有しょゆうけんなどがきびしく制限せいげんされた
  4. ^ Honky Tonk Train Blues [Paramount 12896-A]
  5. ^ Cow Cow Blues/State Street Vocalion 1198
  6. ^ ここではベース楽器がっきではなくピアノ低音ていおんのリフ・パターンを
  7. ^ Pine Top Blues/Pine Top's Boogie Woogie Vocalion 1245
  8. ^ シカゴ プレイリーがい4435
  9. ^ 1910ねん5がつ8にちジョージアしゅうアトランタまれ、10代にしてDuke Ellington 、Louis Armstrongらと共演きょうえん女性じょせいジャズプレイヤーのパイオニア
  10. ^ Boogie Woogie/Weary Blues [Victor 26054]
  11. ^ 1947ねん昭和しょうわ22ねん)10がつにテイチクから発売はつばいされた歌謡かようきょく作詞さくし清水しみずみのる、作曲さっきょく利根とね一郎いちろううた菊池きくち章子あきこ

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ http://www.allmusic.com/subgenre/boogie-woogie-ma0000002471
  2. ^ https://www.discogs.com/ja/Albert-Ammons-Meade-Lux-Lewis-Pete-Johnson-Boogie-Woogie-Trio-Vol-3/release/5004142
  3. ^ a b 「BOOGIE WOOGIE TRIO」STORYVILLE原盤げんばん 油井ゆい正一しょういち 解説かいせつ テイチクLP
  4. ^ a b c d e f ポール・オリヴァー ちょ米口こめぐちえびす やく『ブルースの歴史れきし昌文まさふみしゃ、1978ねんISBN 4794951760 
  5. ^ a b c 「BOOGIE WOOGIE PIANOS」MCA原盤げんばん 油井ゆい正一しょういち 解説かいせつ ビクターLP
  6. ^ a b 「PETE JOHNSON AND HADDA BROKS」クラウン・レコード原盤げんばん 日暮ひぐらし泰文やすふみ 解説かいせつ ビクターLP
  7. ^ へントフ/シャピル ちょしんおさめ武正たけまさ やくわたしはなしいてくれ』筑摩書房ちくましょぼう 
  8. ^ Tommy Dorsey and His Orchestra Top Songs
  9. ^ Music VF .com
  10. ^ Joop's Musical Flowers
  11. ^ 英語えいごばんGuitar Boogie」より引用いんよう 2017ねん10がつ7にち閲覧えつらん
  12. ^ 鈴木すずきカツ『ロカビリービート』シンコーミュージック、1993ねんISBN 440161416X 
  13. ^ THE VOCAL GROUP HARMONY WEB SITE
  14. ^ Bernard Besman Biography by Richie Unterberger
  15. ^ 2009 Hall of Fame Inductees: Boom Boom – John Lee Hooker (Vee-Jay, 1961)”. The Blues Foundation. 2022ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  16. ^ Tap the Pop
  17. ^ 市丸いちまる[このうたに-三味線しゃみせんブギウギ その1]