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ウエストコースト・ジャズ

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ウエストコースト・ジャズ
West Coast Jazz
様式ようしきてき起源きげん ビバップスウィング・ジャズクラシック音楽おんがく
文化ぶんかてき起源きげん 1940年代ねんだい -
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ローカルシーン
ロサンゼルスサンフランシスコ
関連かんれん項目こうもく
クール・ジャズ
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ウエストコースト・ジャズ(West Coast Jazz)は、1950年代ねんだいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくロサンゼルス中心ちゅうしんとする、アメリカ西海岸にしかいがん一帯いったい演奏えんそうされていたジャズ総称そうしょうロックにもウエストコースト・ロックという地域ちいきジャンルがある。

概要がいよう

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のジャズ分野ぶんや南部なんぶ発祥はっしょう北部ほくぶ東部とうぶ移動いどうし、ニューヨーク中心ちゅうしん東海岸ひがしかいがんでの音楽おんがくせいちがいで分類ぶんるいされたのにたいし、西海岸にしかいがんジャズは、地域ちいきによって分類ぶんるいされたものである。西海岸にしかいがんのジャズメンの中心ちゅうしんは、がいして正統せいとうてき音楽おんがく教育きょういくけた白人はくじん演奏えんそうであり、クール・ジャズ[ちゅう 1]発展はってんさせたようなスタイルが比較的ひかくてきおおい。とくに1940年代ねんだいから1950年代ねんだいにかけて白人はくじんビッグバンドのスタン・ケントン楽団がくだんウディ・ハーマン楽団がくだん活動かつどうし、その独立どくりつしたミュージシャンがおおふくまれる。デイヴ・ブルーベック[1]はウエストコースト・ジャズのなかでも、とく有名ゆうめいなジャズマンだった。ブルーベックの「テイク・ファイヴ」[2]は、ジャズだけでなく、ポップ・チャートにもクロスオーバーした。どうきょくは21世紀せいきはいってからも、ラジオ、テレビなどでオンエアされている。

当時とうじ西海岸にしかいがん本拠地ほんきょちとするジャズメンのなかには、モード・ジャズ[3]クール・ジャズ伝統でんとうむもの、アフロアメリカンのジャズメンを中心ちゅうしんにしたソウル・ジャズフリー・ジャズてきなものなど、様々さまざまなスタイルが混在こんざいしていた。

代表だいひょうてきなアーティスト

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ クール・ジャズは白人はくじん中心ちゅうしんとしたムーブメントだったが、初期しょきれいマイルス・デイヴィスである。
  2. ^ 1952ねんにカリフォルニアへ移住いじゅう
  3. ^ TOTOのメンバー、デヴィッド・ペイチ父親ちちおや

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • Frank Tirro『ジャズの歴史れきし その誕生たんじょうからフリー・ジャズまで』音楽之友社おんがくのともしゃ、1993ねん、320-323ぺーじISBN 4276232511 
  • 細川ほそかわ周平しゅうへい後藤ごとう雅洋まさひろ村井むらい康司こうじ寺島てらしまやすしこく小川おがわ隆夫たかお加藤かとうそうおっと柳沢やなぎさわてつや、北里きたさと義之よしゆき大村おおむら幸則ゆきのり瀧口たきぐち秀之ひでゆき西島にししま多恵子たえこ山下やました泰司やすじ黒田くろだ京子きょうこ桜井さくらい圭介けいすけ上野うえの俊哉としや米田よねださかえ田辺たなべ秀樹ひでき高橋たかはし順一じゅんいち川竹かわたけ英克ひでかつ田村たむらかず紀夫のりお大宅おおたくいとぐち高見たかみ一樹かずき島原しまばら裕司ゆうじしば俊一しゅんいち新版しんぱん ジャズをはなつ』よういずみしゃ、1997ねん、22ぺーじISBN 4896912500 
  • ジャズ批評ひひょう編集へんしゅうへん へん『ウエスト・コースト・ジャズ―WEST COAST JAZZ 1950~1961‐AN ANTHOLOGY OF CALIFORNIA MODERN JAZZ』松坂まつさか〈ジャズ批評ひひょうブックス〉、2004ねんISBN 4915557200 
  • 中山なかやまやすしじゅ『LA・ジャズ・ノワール うしなわれたジャズ真実しんじつ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2012ねんISBN 4309273033 

関連かんれん項目こうもく

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