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デヴィッド・ペイチ

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デヴィッド・ペイチ
David Paich
デヴィッド・ペイチ
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい David Frank Paich
生誕せいたん (1954-06-25) 1954ねん6月25にち(70さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくカリフォルニアしゅう
ジャンル AOR
ジャズ
ハードロック
フュージョン
職業しょくぎょう セッション・ミュージシャン
作曲さっきょく
プロデューサー
編曲へんきょく
担当たんとう楽器がっき ボーカル
ピアノ
キーボード
シンセサイザー
活動かつどう期間きかん 1975ねん -
共同きょうどう作業さぎょうしゃ TOTO
公式こうしきサイト Official website
著名ちょめい使用しよう楽器がっき
コルグ・トライトン
ヤマハ・モチーフ
ヤマハ・SY77

デヴィッド・ペイチDavid Paich1954ねん6月25にち - )は、アメリカミュージシャンキーボーディスト歌手かしゅ作曲さっきょく編曲へんきょく

来歴らいれき[編集へんしゅう]

ジャズピアニスト/編曲へんきょくマーティ・ペイチ息子むすことして、ロサンゼルスまれた[1]。1970年代ねんだい前半ぜんはんよりスタジオ・ミュージシャンとして活動かつどうし、初期しょき仕事しごととしてはジャクソン・ブラウンフォー・エヴリマン』(1973ねん)などの作品さくひんへの参加さんかられる。

ペイチは、ボズ・スキャッグスのアルバム『シルク・ディグリーズ』(1976ねん)でキーボード演奏えんそう作曲さっきょく貢献こうけんし、ペイチとスキャッグスがきょうさくした「ロウダウン」でグラミーしょう受賞じゅしょうした[2]。そして、『シルク・ディグリーズ』で共演きょうえんしたスタジオ・ミュージシャンを中心ちゅうしんTOTO結成けっせいし、1978ねんにデビュー。

TOTOでは、作曲さっきょくやキーボード演奏えんそうだけでなく、一部いちぶ楽曲がっきょくでリード・ボーカルも担当たんとうした。また、TOTOの活動かつどう並行へいこうしてセッション・ミュージシャンとしての活動かつどう継続けいぞくし、マイケル・ジャクソンスリラー』(1982ねん)をふくむ、おおくのアルバム/ツアーに参加さんかした。さらに、ペイチは1989ねん映画えいがたびするおんな シャーリー・バレンタイン』の主題歌しゅだいか「The Girl Who Used to Be Me」の編曲へんきょく担当たんとう[3]どうきょくアカデミー歌曲かきょくしょうにノミネートされた。

2003ねんなかばより、TOTOのツアーには参加さんかしなくなったが、レコーディング・メンバーとしては2008ねんにTOTOが解散かいさんするまでせきき、2008ねん3がつにボズ・スキャッグスとのジョイントでおこなわれた日本にっぽん公演こうえんには参加さんかした[4]

2003ねんのペイチのツアー活動かつどう休止きゅうしさいスティーヴ・ルカサーが、いつものわるふざけで「デヴィッドは性別せいべつ適合てきごう手術しゅじゅつけるため、このなつのツアーには参加さんか出来できないんだ。女性じょせいになるという、本当ほんとう自分じぶんになるというかれゆめ実現じつげんさせるためには必要ひつようなことなんだ。このあきにDavida(Davidの女性じょせいがためい)を紹介しょうかい出来できるのは非常ひじょううれしい。一刻いっこくはや回復かいふくいのるよ」などと冗談じょうだんまじりの声明せいめい発表はっぴょうした[5]。しかし、公式こうしきサイトでの声明せいめいであったために、世界中せかいじゅうにメディアが事実じじつとして報道ほうどうしてしまった。ルカサーは4にちに「まさかしんじるとはおもっていなかったし、メディアが報道ほうどうするとはおもっていなかったんだ。もうわけない」と謝罪しゃざいし、ペイチが手術しゅじゅつけないことと、ツアー不参加ふさんか本当ほんとう理由りゆうあきらかにした[6]

はつのソロアルバム『Forgotten Toys』を2022ねん8がつ19にち日本にっぽんは8がつ24にち)に発売はつばいした。アルバムのプロデュースをペイチとジョセフ・ウィリアムズ(ボーカルとしても参加さんか)が共同きょうどうつとめるほか、スティーヴ・ルカサー、ブライアン・イーノレイ・パーカーJr.ドン・フェルダーマイケル・マクドナルドスティーヴ・ジョーダンらがゲストミュージシャンとして参加さんかしている[7]

TOTOでの活動かつどう[編集へんしゅう]

スタジオ・ミュージシャンとして著名ちょめいなペイチだが、TOTOのメンバーとしてよりられている。とくにTOTOは「ジェフ・ポーカロとデヴィッド・ペイチを中心ちゅうしん結成けっせい」と表現ひょうげんされることがおおいなど、事実じじつうえジェフととも中心ちゅうしん人物じんぶつとして活動かつどうしてきた。実際じっさい初期しょきから中期ちゅうきにかけての代表だいひょうきょく、ヒットきょくおおくはかれ単独たんどく作曲さっきょくあるいは中心ちゅうしんとなって作曲さっきょくされたきょくである。また、自身じしんがメインボーカルをつとめた「アフリカ」は全米ぜんべい1という快挙かいきょげており、現在げんざいでももっともよくられる楽曲がっきょくひとつである。

初期しょきのTOTOにはペイチ以外いがいにもう1人ひとり、ジェフ・ポーカロのおとうとであるスティーヴ・ポーカロがキーボディストとして在籍ざいせきしており、かれはペイチとはことなりおもに煌びやかなシンセサイザーサウンドを多用たようし、スペーシーとばれる派手はでなサウンドで、オーソドックスなペイチのピアノやオルガンプレイと差別さべつはかり、うまく共存きょうぞんしていた。アルバム『ファーレンハイト』を最後さいごにスティーヴが脱退だったいすると、以後いごはステージじょうでスティーヴの役割やくわりたしているが、実際じっさいのところレコーディングではスティーヴはそのもほぼレギュラーのサポートメンバーとしてアルバムに全面ぜんめん参加さんかしたり、場合ばあいによってはツアーにも参加さんかしているので、とく役割やくわりわっていないともえる。 ツアーではペイチ1人ひとり2人ふたりぶんのプレイをするのはむずかしいため、ジョン・ジョッセルやジェフ・バブコもとメンバーであるスティーヴ・ポーカロがサポートとして参加さんかすることもおおかった。

来歴らいれきにもあるように、後期こうきのツアーにはほとんど参加さんかせず、代役だいやくグレッグ・フィリンゲインズ指名しめいした。そのグレッグは、ペイチのつよ推薦すいせん正式せいしきメンバーとなるが、自身じしん脱退だったいせずレコーディング現場げんばでは作曲さっきょく演奏えんそう歌唱かしょうのすべてにこれまでとお参加さんか。アルバム『フォーリング・イン・ビトゥイーン』では、普段ふだんステージじょうではおもにペイチの代役だいやく状態じょうたいであったグレッグと、しん意味いみ並存へいそんする正式せいしきメンバー同士どうしとして共演きょうえんした。

ペイチのツアー離脱りだつについては、来歴らいれきにもあるように家族かぞく病気びょうき発表はっぴょうされていた。ルカサーの近年きんねん[いつ?]のインタビューでは本人ほんにん健康けんこう状態じょうたい関係かんけいしていること、ルカサーとペイチの不仲ふなかほのめかす発言はつげんがあった。しかし不仲ふなかせつのち公式こうしき否定ひてい、ソウルブラザーとびあうほどのなかであることをかたっている。

2008ねん3がつのジャパン・ツアーでひさしぶりにステージに復帰ふっき。ツインキーボードとしてグレッグと共演きょうえんたした。また、TOTOとしてはスティーヴ脱退だったい以降いこう20ねん以上いじょうぶりの正式せいしきメンバーによるツインキーボード・ステージとなった。

共演きょうえんしたアーティスト[編集へんしゅう]

ペイチは、TOTO以外いがいにもおおくのアーティストのレコーディングに演奏えんそうまたは編曲へんきょく参加さんかしており、下記かきはその一覧いちらんせいまたはバンドめい五十音ごじゅうおんじゅん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]