(Translated by https://www.hiragana.jp/)
マイルス・デイヴィス - Wikipedia コンテンツにスキップ

マイルス・デイヴィス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
マイルス・デイヴィス
Miles Davis
ニューヨークの自宅じたくにて(1955~1956ねん
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい Miles Dewey Davis III
生誕せいたん 1926ねん5月26にち
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
イリノイしゅうオールトン
死没しぼつ (1991-09-28) 1991ねん9月28にち(65さいぼつ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
カリフォルニアしゅうサンタモニカ
ジャンル ジャズビバップクール・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、クロスオーバー、フュージョン
職業しょくぎょう ジャズ・ミュージシャン、作曲さっきょく編曲へんきょく
担当たんとう楽器がっき トランペットフリューゲルホーンオルガン
活動かつどう期間きかん 1944ねん - 1991ねん
レーベル プレスティッジ・レコード
コロムビア・レコード
ワーナー・ブラザースげんワーナー・ミュージック・グループ
公式こうしきサイト https://www.milesdavis.com/

マイルス・デイヴィス英語えいご: Miles Davis本名ほんみょう:マイルス・デューイ・デイヴィス3せい英語えいご: Miles Dewey Davis III)、1926ねん5月26にち - 1991ねん9月28にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく出身しゅっしんジャズトランペット奏者そうしゃ作曲さっきょく編曲へんきょく。アルバム『ウォーキン』『カインド・オブ・ブルー』『ビッチェズ・ブリュー』などおおくの作品さくひんられている。日本にっぽんにはかれを「モダン・ジャズの帝王ていおう[1][2][3][4][5]ぶジャズ・ファンやジャズ評論ひょうろんもいる。いわゆるジャズのきょじん[注釈ちゅうしゃく 1]一人ひとりクール・ジャズハード・バップモード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、クロスオーバー、ヒップホップ・ジャズなど、時代じだいおうじて様々さまざま音楽おんがくせいせ、ジャズかい牽引けんいんした。

来歴らいれき

[編集へんしゅう]

出生しゅっしょう - 1940年代ねんだい

[編集へんしゅう]
1947ねん (中央ちゅうおう)

イリノイしゅうオールトンまれ。翌年よくねんイーストセントルイス転居てんきょ祖父そふはアーカンソーしゅうひろ土地とちち(マイルスのちちによると「複式ふくしき簿記ぼきではアーカンソーでみぎものはいないといわれたひとで、白人はくじんたちが帳簿ちょうぼなおしてもらいに夜陰やいんじょうじてやってきた[6]」という)、ちち音楽家おんがくか志望しぼうしていた[注釈ちゅうしゃく 2]ほど音楽おんがく造詣ぞうけいふか歯科しかははピアノヴァイオリンをマスターし、教会きょうかいオルガン教師きょうしをしたこともあり、あねいえでピアノをくという裕福ゆうふくかつ音楽おんがく身近みぢか環境かんきょうそだった[注釈ちゅうしゃく 3][7]。13さい誕生たんじょう父親ちちおやからトランペットをプレゼントされ、演奏えんそうはじめる。高校こうこう在学ざいがくちゅうの15さいのときにユニオン・カードをれ、セントルイスのクラブに出演しゅつえんするようになる。当時とうじのセントルイスにはアフリカけいアメリカじん労働ろうどうしゃ居住きょじゅうおおく、ジャズライブが定期ていきてきおこなわれていた。そのためマイルスは多数たすうのジャズプレイヤーをまなんでいた。

ははにプロのミュージシャンになるのに反対はんたいされていたが、16さいのころ、アイリーン・バースという少女しょうじょ妊娠にんしんさせ、マイルスにとって最初さいしょ結婚けっこんをし、その生活せいかつかせ名目めいもく音楽おんがく活動かつどうをある程度ていどゆるされるようになった。

18さいのころ、マイルスは、セントルイスにビリー・エクスタインのバンドがたとき、病気びょうきやすんだだい3トラッペッターの代役だいやくつとめ、チャーリー・パーカーディジー・ガレスピー[注釈ちゅうしゃく 4]との共演きょうえんたした。このときのことをマイルスは「バードとディズの演奏えんそういててもなになんだかさっぱりわからなかった」とかたっている。かれはそのぐにニューヨークジュリアード音楽おんがくいん入学にゅうがく(その中退ちゅうたい)。あいだもなくパーカーをさがて、1年間ねんかんおな部屋へやらしながら演奏えんそうともにする。

1945ねんライオネル・ハンプトンのバンドに所属しょぞくしていたハービー・フィールズの録音ろくおん参加さんか公式こうしきはつレコーディングである。1947ねんには、パーカーやマックス・ローチのサポートをて、はつのリーダー・セッションをおこなう。

パーカーのもとでのビバップからキャリアははじまったが、マイルスはあらたな可能かのうせいもとめ、1948ねん編曲へんきょくギル・エヴァンスジェリー・マリガンらと出会であう。ギルの協力きょうりょくて、のウェスト・コースト・ジャズのきょうもり多大ただい影響えいきょうあたえた『クールの誕生たんじょう』を制作せいさく。スイング時代じだい意欲いよくてき活動かつどうひろげたピアニストけんバンドリーダーのクロード・ソーンヒル音楽おんがくからけた影響えいきょう発展はってんさせたものだった[8]。そのもギルとは度々どど共同きょうどう制作せいさくおこなう。

1950年代ねんだい

[編集へんしゅう]

1950年代ねんだいはいると、J・J・ジョンソンソニー・ロリンズホレス・シルヴァージョン・ルイスアート・ブレイキーなどと共演きょうえんするが、麻薬まやく問題もんだい一時いちじ演奏えんそう活動かつどうからとおざかる。しかしマイルスはなおり、1954ねんプレスティッジ・レコードから発表はっぴょうした『ウォーキン』はたか評価ひょうかされ、ハード・バップのトップ・アーティストとしての地位ちいかためる。1954ねん12月24にちにはアルバム『マイルス・ディヴィス アンド モダン・ジャズ・ジャイアンツ』でセロニアス・モンク共演きょうえんする。両者りょうしゃ音楽おんがくたいするかんがかた相容あいいれなかったとされ、この共演きょうえんぞくに「喧嘩けんかセッション」とばれていた。しかし実際じっさいところ、このセッションは演出えんしゅつじょうマイルスがくときにはモンクに演奏えんそうしないよう、マイルスが指示しじしたというだけである。

1955ねんジョン・コルトレーンレッド・ガーランドポール・チェンバースフィリー・ジョー・ジョーンズのメンバーで、だい1クインテットを結成けっせい同年どうねんニューポート・ジャズフェスティバルにおいて、チャーリー・パーカー追悼ついとうのために結成けっせいされたオールスター・バンドに参加さんか。このときの演奏えんそうがきっかけとなりコロムビア・レコード契約けいやく。1956ねん移籍いせきだい1さくラウンド・アバウト・ミッドナイト発表はっぴょう[9]。その一方いっぽうで、プレスティッジとのあいだのこされた契約けいやくませるために、アルバム4まいぶんのレコーディングをたった2日間にちかんおこなった。24きょく、すべてワンテイクであったといわれる。ぞくに「マラソン・セッション」とばれるが、連続れんぞくした2日間にちかんではなく、2かいのセッションのあいだにはやく5かげつのブランクがある。これらの演奏えんそうは『ワーキン』『スティーミン』『リラクシン』『クッキン』の4まいのアルバムに収録しゅうろくされ、プレスティッジはこの4まい毎年まいとし1まいずつ4ねんかけて発売はつばいした。また、1957ねんにはパリにまねかれ、ルイ・マル監督かんとく映画えいが死刑しけいだいのエレベーター』の音楽おんがく制作せいさくした。映画えいがのラッシュ・フィルムをながら即興そっきょう演奏えんそう録音ろくおんしたというのが伝説でんせつになっている[10][11]

1958ねんにはキャノンボール・アダレイ[注釈ちゅうしゃく 5]くわえて、バンドはセクステット(6にん編成へんせい)になる。同年どうねんにはキャノンボールの『サムシン・エルス』に参加さんか。また、レッド・ガーランド退団たいだんしたため、ピアノビル・エヴァンスむかえる。ビルはバンドにクラシック音楽おんがくとくラヴェルラフマニノフ)の要素ようそみマイルスに影響えいきょうあたえたが、7かげつあまりで脱退だったいウィントン・ケリーわって参加さんかした。

1959ねん代表だいひょうさくひとつ『カインド・オブ・ブルー』を制作せいさく。そのさいにはビルを特別とくべつもどした。この作品さくひんでマイルスは、これまでのコード進行しんこうたよ楽曲がっきょくではなくスケール(おとれつ)を指標しひょうとした手法しゅほう、いわゆるモード・ジャズ方法ほうほうろんしめした。この作品さくひん革新かくしんてきである以上いじょう演奏えんそう完成かんせい非常ひじょうたかい。

1960年代ねんだい

[編集へんしゅう]
1963ねん

1960ねんにジョン・コルトレーンがグループを脱退だったいのメンバーも随時ずいじ交替こうたいする。ここからしばらくメンバーは固定こていされず(この時期じきソニー・スティット、ソニー・ロリンズ、J・J・ジョンソンらとふたた共演きょうえんしている)、作品さくひんてきにも目立めだったものはすくなく、ライブレコーディングが中心ちゅうしんとなっていく。1963ねんジョージ・コールマンハービー・ハンコックロン・カータートニー・ウィリアムスがグループに参加さんか。ほどなくサックスのコールマンがサム・リヴァースにわる。

1964ねん7がつ10日とおかから16にちにかけて、東京とうきょう大阪おおさか京都きょうと名古屋なごや札幌さっぽろで「だい1かい世界せかいジャズ・フェスティヴァル」が開催かいさい。マイルスはどうフェスティヴァルに出演しゅつえんするためはつ来日らいにちした[12][13]同年どうねんあきにはウェイン・ショーターむかえ、マイルス、ウェイン、ハービー、ロン、トニーというだい2クインテットが確立かくりつ。1968ねん前半ぜんはんまでこのメンバーで活動かつどうした。途中とちゅうマイルスが健康けんこう状態じょうたい悪化あっか活動かつどう休止きゅうし余儀よぎなくされる時期じきもあり、録音ろくおんされた作品さくひんはあまりおおくはかったが『E.S.P.』『マイルス・スマイルズ』『ソーサラー』『ネフェルティティ』などすぐれたスタジオ・アルバムとすうまいのライブ・アルバムを発表はっぴょうした。とく前述ぜんじゅつの4作品さくひんは60年代ねんだい4さくばれ、50年代ねんだいのマラソンセッション4さくならんで人気にんきたかい。演奏えんそうめんでも作曲さっきょくめんでも4ビートスタイルのジャズとしては最高さいこう水準すいじゅんまでのぼりつめた5にんは、「黄金おうごんクインテット」とばれる。マイルス自身じしんもこのクインテットを「偉大いだいなバンド」とひょうしており、4にんからまなんだこともおおかったとかたっている。

1968ねん8ビートのリズムとエレクトリック楽器がっき導入どうにゅうした、『マイルス・イン・ザ・スカイ』を発表はっぴょう。このとし後半こうはんには、リズム・セクションがチック・コリアデイヴ・ホランドジャック・ディジョネット交替こうたい。このメンバーによる録音ろくおんながらく公式こうしきには発表はっぴょうされなかったため、ファンのあいだでは「まぼろしのクインテット」「ロスト・クインテット」とばれていたが、マイルスの死後しご1993ねんになってようやくライブばん『1969マイルス』が発表はっぴょうされ、黄金おうごんクインテットにおとらない高水準こうすいじゅん演奏えんそうがようやくることになった。

1969ねん7がつジョー・ザヴィヌルジョン・マクラフリン参加さんかて、『イン・ア・サイレント・ウェイ』を発表はっぴょう

1970年代ねんだい

[編集へんしゅう]
1971ねん

1970ねん3がつ、LP2まいぐみ大作たいさくビッチェズ・ブリュー』を発表はっぴょうした(録音ろくおんは1969ねん8がつ)。3にんのキーボード、ギター、ツイン・ドラムとパーカッション、というだい編成へんせいバンドでの演奏えんそうで、重厚じゅうこうなリズムとサウンドは70年代ねんだいのジャズの方向ほうこうせい決定けっていづけた。この時期じき、マイルスはジェームス・ブラウンスライ・ストーンジミ・ヘンドリックスなどのアルバムをこのんでいていたとつたえられており、そのファンクやロックの要素ようそ大胆だいたんにジャズにれたかたちとなった。

1970年代ねんだいはいるとマイルスはファンクいろつよい、よりリズムを強調きょうちょうしたスタイルへと発展はってんさせ、ジャズかいでブームとなりつつあったクロスオーバーとは一線いっせんかくする、ハードな音楽おんがく展開てんかいする。マイルスのエレクトリックとは、この時期じきすことがおおい。マイルスは、次々つぎつぎにスタイルをえながらスタジオ録音ろくおんライブ積極せっきょくてきったが、公式こうしき発表はっぴょうされた音源おんげんかならずしもおおくはなく、のち発表はっぴょう音源おんげん収録しゅうろくした編集へんしゅうばんおお発売はつばいされることになる。1972ねん公式こうしき発表はっぴょうした『オン・ザ・コーナー』は、ファンクをれたことが話題わだいとなる問題もんだいさくであった。しかし、クロスオーバー・ブームで、かつてのメンバーのハービー・ハンコックやチック・コリアなどがヒットさく一方いっぽうで、こういったマイルスの音楽おんがくはセールスてきには成功せいこうとはいえなかった。

1973ねんと1975ねん来日らいにち。このころから健康けんこう状態じょうたい悪化あっか、1975ねん大阪おおさかでのライブアルバム『アガルタ』と『パンゲア』を最後さいごに、以降いこうなが休息きゅうそく期間きかんとなる。

1980年代ねんだい

[編集へんしゅう]
1987ねん

1980ねん活動かつどう再開さいかい。ドラムのアル・フォスター以外いがいビル・エヴァンス(サックス)、マイク・スターンマーカス・ミラーなど、当時とうじそれほど有名ゆうめいではなかったフュージョンけい若手わかてがメンバーとなった。1981ねん復帰ふっきさく『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』制作せいさく。10月には新宿しんじゅく西口にしぐち広場ひろば現在げんざい東京とうきょう都庁とちょう)で来日らいにち公演こうえんおこなった。この模様もようは、後日ごじつNHKテレビで放映ほうえいされ、ライブばん『ウィ・ウォント・マイルス』にはその一部いちぶ収録しゅうろくされている。以降いこう、1983ねん、1985ねん、1987ねん、1988ねん、1990ねん度々たびたび来日らいにちした。

1980年代ねんだいはフュージョン、ポップ・ジャズしょくつよめ、1981ねんの『マン・ウィズ・ザ・ホーン』はフュージョンしょくかった。1985ねん制作せいさくされた『ユア・アンダー・アレスト』ではマイケル・ジャクソンの「ヒューマン・ネイチャー」やシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」などをげた。

1986ねん長年ながねん在籍ざいせきしたコロンビアからワーナー・ミュージック移籍いせき同年どうねん発表はっぴょうの『TUTU』は、マーカス・ミラーのプロデュース(1きょくのみジョージ・デュークのプロデュース)で、バンドをしたがえずあらかじめ出来上できあがったトラックのうえにトランペットをかぶせるポップス・ミュージシャンのような制作せいさくスタイルをれた。また、プリンスなどにも接近せっきんし、いくつかのセッションや録音ろくおんをしたほか、ペイズリーパークでのプリンスのライブにゲスト出演しゅつえんしている。また、コーポレート・ロックのTOTOによるアルバム『ファーレンハイト』にも、ゲストとして参加さんか以降いこうも、チャカ・カーンスクリッティ・ポリッティなど、ジャズ以外いがいのジャンルの作品さくひんにもおおくゲスト参加さんかした。

1990年代ねんだい

[編集へんしゅう]
NYブロンクスウッドローン墓地ぼちにあるマイルスのはか

1990ねんには東京とうきょうドームにておこなわれたジョン・レノン追悼ついとうコンサートに出演しゅつえんし、ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」をカバーした。さらにヒップホップのミュージシャンであるイージー・モー・ビーをゲストにむかえたしんアルバムの制作せいさく開始かいし

1991ねん9がつ28にち午前ごぜん1040ふん肺炎はいえん呼吸こきゅう不全ふぜんなどの合併症がっぺいしょうのため、カリフォルニアしゅうサンタモニカ病院びょういん死去しきょ。65さいぼつ

そのため、このしんアルバムはイージー・モー・ビーによりおおきくくわえられ、『ドゥー・バップ』(1991ねん)としてリリースされることとなる。ヒップホップ・ジャズともえるほんさくは、黒人こくじんラジオでオンエアされるなどリスナーの評価ひょうかはよかったが、完成かんせいということもあり当時とうじ評論ひょうろん批判ひはんてきだった。

なお、マイルスあと様々さまざま音楽おんがく評論ひょうろん出版しゅっぱんぶつなどで引用いんよう評価ひょうかされ、様々さまざましょう受賞じゅしょうつづけている。

音楽おんがくせい

[編集へんしゅう]

マイルスのトランペット・プレイは、ミュートを(1940年代ねんだい後半こうはん〜1950ねん前半ぜんはん使用しようしたミュートは「カップ・ミュート」が中心ちゅうしんで、「ハーマン・ミュート」を頻繁ひんぱん使用しようするのは1950年代ねんだい中頃なかごろから)使用しよう[14]自身じしん特性とくせい考慮こうりょし、ヴィブラートをあまりかけず、跳躍ちょうやくはげしい演奏えんそうなどといったテクニックにはあまりたよらないめんげられる。また、ディジー・ガレスピーのようなハイトーンをけ、ちゅう音域おんいきがトランペットにおいてもっとうつくしいおとる、として多用たようし、おとからおと移動いどうする場合ばあい半音はんおんかいもちいている。なお、これらの奏法そうほうが「リリシズム」にたとえられることがある。

作曲さっきょくとしては、1950年代ねんだい中頃なかごろより「楽曲がっきょく全体ぜんたい構成こうせい」を重視じゅうしした作品さくひんおおくなり、テーマのがたにも趣向しゅこうらしたものがおおくなった。またときアドリブとはおもえないような、せき空間くうかん)を大胆だいたんたせ丁寧ていねいメロディーラインをゆうしたソロ演奏えんそう見受みうけられた。キャノンボール・アダレイのアルバム『サムシン・エルス』のなかいちきょく枯葉かれは」における演奏えんそうは、これらの特徴とくちょう顕著けんちょあらわれている。またこういった特徴とくちょう先述せんじゅつのミュート奏法そうほうから、1950 - 1960年代ねんだいのバラードやスローテンポナンバーはそうじて評価ひょうかたかい。「楽曲がっきょく全体ぜんたい構成こうせい」におもきをかれ音楽おんがくせいは、無駄むだおとさないという「空間くうかんせい」にもつながっていき、とくにそれは後年こうねんになると音楽おんがくプロデューサーてき役割やくわりとなってかれ音楽おんがくせいつよあらわれていった。

楽曲がっきょくじょうおも特徴とくちょうは、初期しょきにおいては、テーマののち、それぞれがじゅんにソロ演奏えんそうおこない、そのあいだバックアップとして呼応こおうしたりあおることはあっても、アドリブ演奏えんそう同時どうじに2つ以上いじょうぶつけることはせず、そのふたたびテーマにもどってわるといった、ジャズでの典型てんけいてきなスタイルである。1960年代ねんだい以降いこうは、テーマにもどらずに終了しゅうりょうする作品さくひんられる。また、1970年代ねんだい以降いこうのステージでは、トランペットのほか電気でんきオルガンやシンセサイザーといったキーボードを演奏えんそうすることもあった。

クラシックなどのアレンジも研究けんきゅうし、クール・ジャズや完全かんぜんにアレンジされたジャズにおいて、その成果せいか発揮はっきされた。とくに、マイルスが導入どうにゅうしたスタイルにモード (旋法せんぽう)・ジャズ(Modal Jazz)[15]がある。これらは、チャーリー・パーカーらが創出そうしゅつしたビバップ限界げんかいかんじ、コードが導入どうにゅうされる以前いぜんふる教会きょうかい旋法せんぽう積極せっきょくてきりいれたアルバム『カインド・オブ・ブルー』で、モード・ジャズの発端ほったんひらいた。

ほかにも、ブルースロック、はたまたヒップホップなどもれ、ジャズをえた、様々さまざまなジャンルの音楽おんがく注目ちゅうもくしていた。1960年代ねんだい後半こうはんは、マイルス自身じしんロックなど電気でんき楽器がっきれた音楽おんがくにもつよ関心かんしんっていた(70年代ねんだいのキャリアにけるマイルスのトランペットにもエレクトリック・サウンドへ対応たいおうするための改造かいぞうほどこされ、ワウ・ワウ・ペダルを駆使くしした唯一ゆいいつ無二むにのサウンド・スタイルを確立かくりつさせたのは有名ゆうめいである)。ジェームス・ブラウン、スライ・ストーン、ジミ・ヘンドリックス音楽おんがく評価ひょうかし、ジミとは共同きょうどう録音ろくおんする計画けいかくまであった[16]。ただ、ジミとの共演きょうえん非公式ひこうしきなセッションだけでわった。プリンス作曲さっきょくの「ジェイルバイト」の音源おんげんは、発表はっぴょうのままとなっている。ただし、ブートというかたちでプリンスと共演きょうえんしたもうひとつの作品さくひん「キャン・アイ・プレイ・ウィズ・ユウ」は出回でまわっている。このきょく元々もともと、アルバム『TUTU』にはい予定よていであったが、曲調きょくちょう収録しゅうろくきょくわないためはずれた。また、『ユア・アンダー・アレスト』では、スティングがナレーションでゲスト参加さんかし、マイケル・ジャクソンシンディ・ローパー(「タイム・アフター・タイム」)のカバーも収録しゅうろくしている。

音楽おんがくてきには柔軟じゅうなん先進せんしんてき姿勢しせいつらぬいたマイルスも、フリー・ジャズ演奏えんそうせず、オーネット・コールマン批判ひはんしたこともあった[17]

人物じんぶつ

[編集へんしゅう]
最初さいしょつまフランシス・テイラーとともに(1964ねん7がつ日本にっぽん
3番目ばんめつまシシリー・タイソンとともに(1982ねん4がつ、アムステルダム)

マイルスは、アメリカにおける人種じんしゅ差別さべつ問題もんだいにはつね批判ひはんてきであった。「白人はくじんによるアメリカ」を嫌悪けんおしており「カストロはアメリカを批判ひはんするのに3にちかるとったが、おれなら2週間しゅうかんかる」と喧伝けんでんしていた[よう出典しゅってん]。マイルス自身じしんも、人種じんしゅ差別さべつ被害ひがいにあった経験けいけんがあった。

また、「こんきている人間にんげんもっと大切たいせつひとを5にんげてくれないか」とインタビューでかれ、「おれ自身じしん弁護士べんごしのハロルド・ロベット、ギル・エヴァンスつまのフランセス。あとの一人ひとりは50さいをこえたアメリカン・ニグロならだれでもいい。みんな白人はくじんにひどいわされたのに我慢がまんしたからさ」とこたえている[よう出典しゅってん]

しかし、音楽おんがくせい追求ついきゅうのためには人種じんしゅ関係かんけいないというスタンスをつらぬとおした。マイルスが一番いちばん親友しんゆうしょうしているアレンジャー、ギル・エヴァンスには生涯しょうがいわたってつよ影響えいきょうけていたほか初期しょき名作めいさく『クールの誕生たんじょう』にはリー・コニッツジェリー・マリガンといった白人はくじんミュージシャンを起用きようした。リー・コニッツをやとったさい当時とうじおもなマイルス音楽おんがくのリスナーだったアフリカけいアメリカじんそうからは批判ひはんされたが、マイルスは「いいプレイをするやつなら、はだいろ緑色みどりいろでもやと[18]」と発言はつげんしたとつたえられている。

だい1クインテット時代じだいに、一時いちじてきビル・エヴァンスをバンド・メンバーにむかれ、ビルは音楽おんがくてきには貢献こうけんをしたものの、きゃくによる白人はくじんバッシングにえきれず、わずか1ねん程度ていど脱退だったいした。1960年代ねんだいまつのエレクトリック導入どうにゅうには、ジョー・ザヴィヌルジョン・マクラフリン存在そんざいきにはかんがえられないほどかれらの才能さいのう評価ひょうかしていたし、そのチック・コリアキース・ジャレットデイヴ・リーブマンなどおおくの白人はくじんメンバーが在席ざいせきした。唯一ゆいいつのアジアけい人種じんしゅとして、ピアニストのケイ赤城あかぎ1989ねんから2年間ねんかんレギュラー・メンバーとして活躍かつやくした。70年代ねんだい後半こうはん休養きゅうようにも、日本人にっぽんじんピアニスト菊地きくち雅章まさあき発表はっぴょうセッションに参加さんかしていた。

はやいものをこのつねフェラーリなどのスポーツカーをまわしていた。またかれいわ最速さいそくのスポーツであることから、ボクシングをたしなんでいた。このスポーツカーへのこだわりは飛行機ひこうき移動いどうすれば1あいだのところを、クルマにることに固執こしつし、3時間じかんかかってしまったことにもあらわれている。1980ねん復帰ふっき以降いこうは、えがくことに没頭ぼっとうし、『スター・ピープル』のジャケットは自分じぶんえがいている。

バンドメンバーおよびレコーディングメンバー、ライブゲストの変遷へんせん

[編集へんしゅう]

1955ねん - 1958ねん

[編集へんしゅう]

1958ねん - 1963ねん

[編集へんしゅう]

1963ねん - 1968ねん

[編集へんしゅう]

1968ねん - 1970ねん

[編集へんしゅう]

1970ねん

[編集へんしゅう]

1970ねん - 1971ねん

[編集へんしゅう]
  • アルバム『ライヴ・イヴル』
    • ゲイリー・バーツ(サックス)
    • ジョン・マクラフリン(エレクトリックギター)(不定期ふていき
    • キース・ジャレット(キーボード)
    • マイケル・ヘンダーソン(エレクトリックベース)
    • ジャック・ディジョネット(ドラム)(-1970ねん前期ぜんき
    • レオン・ンドゥグ・チャンクラー(ドラム)(1970ねん後期こうき-)
    • ジム・ライリー(パーカッション)(-1970ねん初期しょき
    • アイアート・モレイラ(パーカッション)(-1970ねん前期ぜんき
    • ジェームズ・エムトゥーメ(パーカッション)(1970ねん後期こうき-)
    • ドン・アライアス(パーカッション)(1970ねん後期こうき-)

1972ねん - 1973ねん

[編集へんしゅう]

1973ねん - 1976ねん

[編集へんしゅう]
  • 一時いちじ引退いんたい直前ちょくぜん

1976ねん - 1980ねん

[編集へんしゅう]

1980ねん - 1984ねん

[編集へんしゅう]

1984ねん - 1986ねん

[編集へんしゅう]

1987ねん - 1991ねん

[編集へんしゅう]

1991ねん

[編集へんしゅう]

ディスコグラフィ

[編集へんしゅう]
  • 『クールの誕生たんじょう』 - Birth of the Cool(1949ねん-1950ねん録音ろくおん。12インチ (30cm) LPとしての発売はつばい1957ねんころ
  • 『ディグ』 - Dig (1951ねん)
  • 『ブルー・ヘイズ』 - Blue Haze (1954ねん)
  • ウォーキン』 - Walkin' (1954ねん)
  • バグス・グルーブ』 - Bags Groove (1954ねん)
  • 『マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』 - Miles Davis and the Modern Jazz Giants (1954ねん)
  • 『マイルス〜ザ・ニュー・マイルス・デイヴィス・クインテット』 - Miles (1955ねん)
  • 『ザ・ミュージングス・オブ・マイルス』 - The Musings of Miles (1955ねん)
  • 『ブルー・ムーズ』 - Blue Moods (1955ねん)
  • 『クインテット / セクステット』 - Quintet / Sextet (1955ねん)
  • クッキン』 - Cookin' (1956ねん)
  • リラクシン』 - Relaxin' (1956ねん)
  • スティーミン』 - Steamin' (1956ねん)
  • ワーキン』 - Workin' (1956ねん)
  • 『マイルス・デイビス・アンド・ホーンズ』 - Miles Davis and Horns (1951ねん-1953ねん)
  • 『コレクターズアイテム』 - Collector's Item (1953ねん-1955ねん)
  • ラウンド・アバウト・ミッドナイト』 - Round About Midnight (1955ねん-1956ねん)
  • 『マイルス・アヘッド』 - Miles Ahead (1957ねん)
  • マイルストーンズ』 - Milestones (1958ねん)
  • 1958マイルス』 - 1958Miles日本にっぽん編集へんしゅうばん)(1958ねん)
  • 『ポーギー&ベス』 - Porgy And Bess (1958ねん)
  • 『マイルス・デイヴィス・アット・ニューポート』 - Miles Davis at Newport (1958ねん)
  • 『ジャズ・アット・ザ・プラザ』 - Jazz at the Plaza Vol.1 (1958ねん)
  • カインド・オブ・ブルー』 - Kind of Blue (1959ねん)
  • スケッチ・オブ・スペイン』 - Sketches of Spain (1959ねん)
  • 『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』 - Someday My Prince Will Come (1961ねん)
  • 『ブラックホークのマイルス・デイビス』 - At the Blackhawk (1961ねん)
  • 『マイルス・デイヴィス・アット・カーネギーホール』 - Miles Davis at Carnegie Hall (1962ねん)
  • 『クワイエット・ナイト』 - Quiet Nights (1963ねん)
  • セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』 - Seven Steps to Heaven (1963ねん)
  • 『マイルス・デイヴィス・イン・ヨーロッパ』 - Miles Davis in Europe (1963ねん)
  • 『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』 - My Funny Valentine (1964ねん)
  • 『フォア&モア』 - Four & More (1964ねん)
  • マイルス・イン・トーキョー』 - Miles in Tokyo (1964ねん)(1969ねん発売はつばい
  • 『マイルス・イン・ベルリン』 - Miles in Berlin (1964ねん)
  • 『E.S.P.』 - E.S.P. (1965ねん)
  • 『ライヴ・アット・ザ・プラグド・ニッケル』 - Live at the Plugged Nickel (1965ねん)
  • マイルス・スマイルズMiles Smiles (1966ねん)(1967ねん発売はつばい
  • 『ソーサラー』 - Sorcerer (1967ねん)
  • ネフェルティティ』 - Nefertiti (1967ねん)
  • マイルス・イン・ザ・スカイ』 - Miles in the Sky (1968ねん)
  • 『キリマンジャロのむすめ』 - Filles De Kilimanjaro (1968ねん)
  • イン・ア・サイレント・ウェイ』 - In a Silent Way (1969ねん)
  • 『1969マイルス』 - 1969Miles (1969ねん)(1993ねん発売はつばい
  • ビッチェズ・ブリュー』 - Bitches Brew (1969ねん)
  • 『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト』 - Live at the Fillmore East : It's About That Time (1970ねん)(2001ねん発売はつばい
  • 『ブラック・ビューティ』 - Black Beauty日本にっぽん編集へんしゅうばん)(1970ねん)
  • 『マイルス・アット・フィルモア』 - Miles Davis at Fillmore (1970ねん)
  • ライヴ・イヴル』 - Live=Evil (1970ねん-1971ねん)
  • オン・ザ・コーナー』 - On the Corner (1972ねん)
  • 『イン・コンサート』 - Miles Davis in Concert (1972ねん)
  • 『ゲット・アップ・ウィズ・イット』 - Get Up With It (1970ねん-1974ねん)
  • 『ダーク・メイガス』 - Dark Magus (1974ねん)
  • アガルタ』 - Agharta (1975ねん)
  • パンゲア』 - Pangaea (1975ねん)

カムバック

  • 『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』 - The Man With the Horn (1981ねん)
  • 『ウィ・ウォント・マイルス』 - We Want Miles (1981ねん)
  • 『マイルス!マイルス!マイルス!~マイルス・デイビス・ライヴ・イン・ジャパン'81』 - Miles! Miles! Miles!: Live in Japan '81 (1981ねん)
  • スター・ピープル』 - Star People (1983ねん)
  • デコイ』 - Decoy (1984ねん)
  • ユア・アンダー・アレスト』 - You're Under Arrest (1985ねん)
  • 『オーラ』 - Aura (1985ねん)

Warner Bros.

[編集へんしゅう]
  • TUTU』 - TUTU (1986ねん)
  • 『アマンドラ』 - Amandla (1988ねん-1989ねん)
  • 『ライヴ・アット・モントルー』 - Miles & Quincy Live at Montreux (1991ねん)
  • 『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』 - Live Around the World (1987ねん-1991ねん)(1996ねん発売はつばい
  • ドゥー・バップ』 - Doo-Bop (1991ねん)

映画えいが音楽おんがく

[編集へんしゅう]
  • 死刑しけいだいのエレベーター』 - Ascenseur Pour L'Echafaud (Lift to the Scaffold) (1958ねん)
  • 『ジャック・ジョンソン』 - A Tribute to Jack Johnson (1970ねん)
  • シェスタ』 - Music From Siesta (1987ねん)
  • 『ディンゴ』 - Dingo (1990ねん)
  • 『コラテラル』 - Collateral (2004ねん)

編集へんしゅうばん

[編集へんしゅう]
  • 『サークル・イン・ザ・ラウンド』 - Circle in the Round (1955ねん-1970ねん)(1979ねん発売はつばい
  • 『ディレクションズ』 - Directions (1960ねん-1970ねん)(1980ねん発売はつばい
  • 『ウォーター・ベイビーズ』 - Water Babies (1967ねん-1968ねん)(1976ねん発売はつばい
  • ビッグ・ファン』 - Big Fun (1969ねん-1972ねん)(1974ねん発売はつばい

ボックスセット

[編集へんしゅう]
  • 『マイルス・デイヴィス 1955-1985』 - The Columbia Years 1955-1985 (1955ねん-1985ねん)(1988ねん発売はつばい
  • 『ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス&ギル・エヴァンス』 - Miles Davis and Gil Evans: The Complete Columbia Studio Recordings (1957ねん-1968ねん)(1996ねん発売はつばい
  • 『ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス&ジョン・コルトレーン 1955-1961』 - The Complete Columbia Recordings: Miles Davis & John Coltrane (1955ねん-1961ねん)(2000ねん発売はつばい
  • 『コンプリート・ブラックホーク』 - In Person Friday and Saturday Nights at the Blackhawk, Complete (1961ねん)(2003ねん発売はつばい
  • 『セブン・ステップス:ザ・コンプリート・マイルス・デイビス 1963-1964』 - Seven Steps: The Complete Columbia Recordings 1963-1964(1963ねん-1964ねん)(2004ねん発売はつばい
  • 『コンプリート・ライヴ・アット・プラグド・ニッケル1965』 - The Complete Live at the Plugged Nickel 1965(1995ねん発売はつばい
  • 『ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・クインテット 1965-1968』 - The Complete Columbia Studio Recordings 1965-1968 (1965ねん-1968ねん)(1998ねん発売はつばい
  • 『ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』 - The Complete in a Silent Way Sessions (1968ねん-1969ねん)(2001ねん発売はつばい
  • 『ザ・コンプリート・ビッチェズ・ブリュー・セッションズ』 - The Complete Bitches Brew Sessions (1969ねん-1970ねん)(1998ねん発売はつばい
  • 『ザ・コンプリート・ジャック・ジョンソン・セッションズ』 - The Complete Jack Johnson Sessions (1970ねん)(2003ねん発売はつばい
  • 『ザ・セラー・ドア・セッションズ1970』 - The Cellar Door Sessions 1970 (1970ねん)(2005ねん発売はつばい
  • ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』 - The Complete on the Corner Sessions (1972ねん-1975ねん)(2007ねん発売はつばい
  • 『ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー1973-1991』 - The Complete Miles Davis at Montreux 1973-1991 (1973ねん-1991ねん)(2002ねん発売はつばい

受賞じゅしょうれき

[編集へんしゅう]

グラミーしょうは、通算つうさん8かい受賞じゅしょう、32かいノミネートされている。またアルバム11まいグラミーの殿堂でんどうりをたし、本人ほんにんには生涯しょうがい功労賞こうろうしょう授与じゅよされている[19]。そのハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(1998ねん)、死後しご15ねんった2006ねんロックの殿堂でんどうりをたし、授賞じゅしょうしきでのプレゼンターは、マイルスとグループをともにしていたハービー・ハンコックつとめた。

ジャズ部門ぶもん (グラミーしょう)

[編集へんしゅう]
  • 最優秀さいゆうしゅうオリジナル・ジャズ作曲さっきょくしょう - Best Original Jazz Composition
    • 1960ねん 『スケッチ・オブ・スペイン 』- Sketches of Spain
  • 最優秀さいゆうしゅうだい規模きぼジャズ・アンサンブル・アルバムしょう - Best Large Jazz Ensemble Album
    • 1970ねん 『ビッチェズ・ブリュー』- Bitches Brew
    • 1989ねん 『オーラ』- Aura
    • 1993ねん 『ライヴ・アット・モントルー』- Miles & Quincy Live at Montreux
  • 最優秀さいゆうしゅうジャズ・インストゥルメンタル・ソロしょう - Best Improvised Jazz Solo
    • 1982ねん 『ウィ・ウォント・マイルス』- We Want Miles
    • 1986ねん 『TUTU』- TUTU
    • 1989ねん 『オーラ』- Aura

R&B部門ぶもん (グラミーしょう)

[編集へんしゅう]
  • 最優秀さいゆうしゅうR&B・インストゥルメンタル・パフォーマンスしょう - Best R&B Instrumental Performance
    • 1992ねん 『ドゥー・バップ』- Doo-Bop

特別とくべつしょう (グラミーしょう)

[編集へんしゅう]
  • グラミーの殿堂でんどう
    • 1982ねん 『クールの誕生たんじょう』- Birth of the Cool
    • 1992ねん 『カインド・オブ・ブルー』- Kind of Blue
    • 1994ねん 『マイルス・アヘッド』- Miles Ahead
    • 1999ねん 『ビッチェズ・ブリュー』- Bitches Brew
    • 1997ねん 『スケッチ・オブ・スペイン』- Sketches of Spain
    • 2000ねん 『ポーギー・アンド・ベス』- Porgy And Bess
    • 2001ねん 『イン・ア・サイレント・ウェイ』 - In a Silent Way
    • 2004ねんマイルストーンズ』- Milestones
    • 2014ねんリラクシン』- Relaxin'
    • 2016ねん 『マイルス・スマイルズ』- Miles Smiles
    • 2019ねん 『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』- Round About Midnight
  • 生涯しょうがい功労賞こうろうしょう - Lifetime Achievement Award
    • 1990ねん 受賞じゅしょう

レオニー・ソニング音楽おんがくしょう

[編集へんしゅう]

デンマークによって、音楽おんがくてきいちじるしい成果せいかげた人物じんぶつたいしておくられるしょうである。おもにクラシック奏者そうしゃ受賞じゅしょうするため、マイルスの受賞じゅしょう異例いれいであった。

  • 1984ねん 受賞じゅしょう  

オーストラリア映画えいがテレビ芸術げいじゅつアカデミーしょう

[編集へんしゅう]
  • 作曲さっきょくしょう
    • 1991ねん 『ディンゴ』- Dingo

フィルモグラフィ

[編集へんしゅう]

映画えいが

[編集へんしゅう]
  • 3にんのゴースト』 (1988ねん) ※ストリート・ミュージシャンやくカメオ出演しゅつえん
  • 『ディンゴ』 (1990ねん) ※ビリー・クロスやく出演しゅつえん
  • 『MILES AHEAD』 (2016ねん) ※1970年代ねんだい後半こうはんのマイルス・デイヴィスをえがいた作品さくひん[20]
  • 特捜とくそう刑事けいじマイアミ・バイス」シーズン2の1エピソードにゲスト出演しゅつえん (1986ねん)
  • 巨匠きょしょうたちのあお時代じだい Miles Davis 帝王ていおうへのとびらけたサウンド』 (2011ねん12月33にち、NHK BSプレミアム)[21]

関連かんれん文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 菊地きくちしげるあな大谷おおや能生のう『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII研究けんきゅう』(エスクアイア・マガジン・ジャパン、2008ねん3がつISBN 978-4872951141
  • 菊地きくちしげるあな大谷おおや能生のう『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII研究けんきゅうじょうした河出かわで文庫ぶんこ 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2011ねん8がつ5にちISBN 978-4309410968 ISBN 978-4309411064
  • マイルス・デイヴィス、クインシー・トループ 『マイルス・デイビス自叙伝じじょでん』1・2(中山なかやまやすしじゅわけ宝島社たからじましゃ、1999ねん12がつISBN 978-4796616829 ISBN 978-4796616836
  • マイルス・デイヴィス、クインシー・トループ 『マイルス・デイビス自叙伝じじょでん』(中山なかやまやすしやくシンコーミュージック、2015ねん3がつ30にちISBN 978-4401641192
  • 『マイルスをけ! Version8』(双葉社ふたばしゃ、2008ねんISBN 978-4-575-71350-3
  • 中山なかやまやすしじゅしんマイルスをけ!アコースティック1945-1967』双葉社ふたばしゃ双葉ふたば文庫ぶんこ〉、2011ねんISBN 4575713805 
  • フランク・アルカイヤー『マイルス・デイヴィス・リーダー ダウンビートのこされたぜん記録きろく』(上西かみにしえんまことやくシンコーミュージック・エンタテイメント 2009ねん3がつISBN 978-4401632688
  • ジョン・スウェッド『マイルス・デイヴィスの生涯しょうがい』(丸山まるやま京子きょうこやく、シンコーミュージック・エンタテイメント 2004ねん10がつISBN 978-4401618897
  • 小川おがわ隆夫たかお『マイルス・デイヴィスの真実しんじつ』(平凡社へいぼんしゃ、2002ねん10がつISBN 978-4582831276
  • 小川おがわ隆夫たかお『マイルス・デイヴィスコンプリート・ディスク・ガイド』(東京とうきょうキララしゃ、2002ねん12がつISBN 978-4575291612
  • 『マイルス・デイヴィスとはだれか 「ジャズの帝王ていおう」をめぐる21にん
    小川おがわ隆夫たかお平野ひらの啓一郎けいいちろう共著きょうちょ平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ、2007ねん9がつ ISBN 978-4582853926
  • 中山なかやまやすしじゅ『マイルス・デイヴィス ジャズをえて』講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ、2000ねん2がつ ISBN 4-06-149490-2
  • 中山なかやまやすしじゅ『マイルス・デイヴィス 奇跡きせきのラスト・イヤーズ』小学しょうがくかん小学館しょうがくかん101新書しんしょ〉、2010ねんISBN 4098250942 
  • ポール・メイハー、マイケル・ドーア『マイルス・オン・マイルス マイルス・デイヴィス インタヴュー選集せんしゅう宝島社たからじましゃ、2011ねんISBN 4796676724 
  • アシュリー・カーン『マイルス・デイヴィス「カインド・オブ・ブルー」創作そうさくじゅつ モード・ジャズの原点げんてんさぐる』(川嶋かわしま文丸ぶんまるやくDU BOOKS、2014ねんISBN 9784907583224
  • ジャズ批評ひひょう編集へんしゅう へん定本ていほんマイルス・デイヴィス』松坂まつさか〈ジャズ批評ひひょうブックス〉、1999ねんISBN 4915557022 
  • ジャズ批評ひひょう編集へんしゅう へん『JAZZトランペット』松坂まつさか〈ジャズ批評ひひょうブックス〉、2001ねん、80-81ぺーじISBN 491555709X 
  • ジャズ批評ひひょう編集へんしゅう へん決定けっていばんブルーノート・ブック 〜史上しじょう最強さいきょうのジャズ・レーベルのすべて〜』松坂まつさか〈ジャズ批評ひひょうブックス〉、1999ねん、65,69,77,99ぺーじISBN 4915557014 

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ マイルス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、オーネット・コールマンらは、しばしば「ジャズの巨人きょじん」として名前なまえをあげられる
  2. ^ その当時とうじ黒人こくじん音楽家おんがくかをするなら、旅芸人たびげいにん売春ばいしゅん宿やど演奏えんそうするかしかなく、どちらもデイヴィス家風かふうからゆるされなかった。
  3. ^ 当時とうじのジャズやブルースの黒人こくじん音楽家おんがくかで、中流ちゅうりゅう家庭かてい出身しゅっしんしゃ非常ひじょうめずらしい。
  4. ^ バードとディズはビバップの創始そうししゃである
  5. ^ ソウル・ジャズの代表だいひょうてきジャズマンで「マーシーマーシーマーシー」が有名ゆうめい

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ ETV特集とくしゅう 6がつ24にち
  2. ^ これまでの放送ほうそうNHKアーカイブス(番組ばんぐみ
  3. ^ マイルス・デイヴィス (Miles Davis)”. EMI Music Japan. 2013ねん5がつ1にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  4. ^ モダン・ジャズの帝王ていおう、マイルス・デイヴィスの伝記でんき映画えいが制作せいさく本格ほんかくてき始動しどう!シネマトゥデイ 2011ねん11月11にち
  5. ^ マイルス・デイビスの伝記でんき映画えいが製作せいさく映画えいが.com 映画えいがニュース 2011ねん11月11にち
  6. ^ イアン・カー しる小山こやまさち やく『マイルス・デイビス物語ものがたり』スイングジャーナルしゃ、1982ねん、8ぺーじ 
  7. ^ 小川おがわ隆夫たかお『マイルス・デイヴィスの真実しんじつ平凡社へいぼんしゃ、2002ねん10がつ1にち 
  8. ^ Owarinaki yami : Chietto beikā no subete. Gavin, James., Suzuki, Reiko., 鈴木すずき, 玲子れいこ, 翻訳ほんやく. Tōkyō: Kawade Shobō Shinsha. (2006). ISBN 4-309-26868-4. OCLC 675035125. https://www.worldcat.org/oclc/675035125 
  9. ^ http://rateyourmusic.com/.../round-about-midnight-3/lists/
  10. ^ スタッフ/キャスト死刑しけいだいのエレベーター
  11. ^ 映画えいが死刑しけいだいのエレベーター』シネマトゥデイ
  12. ^ 池上いけがみ信次しんじ (2021ねん8がつ10日とおか). “「TOKYO1964」のジャズ・フェスティヴァル”. サライ. 2024ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  13. ^ スイングジャーナル』1965ねん1がつごう、スイング・ジャーナルしゃ、26-38ぺーじ
  14. ^ http://www.quora.com/What-type-of-mute-did-Miles-Davis-use
  15. ^ http://www.jazzstandards.com/theory/modal-jazz.htm
  16. ^ http://www.rollingstone.com/.../jimi-hendrix-sought-paul-mccartney...
  17. ^ http://www-cs.canisius.edu/~bucheger/OrnetteReview.html
  18. ^ http://ilovejazz.tripod.com/jazz/milesdavis.html Miles Davis Biography
  19. ^ GRAMMY AWARDS - Miles Davis
  20. ^ MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白くうはくの5年間ねんかん
  21. ^ 巨匠きょしょうたちのあお時代じだい 帝王ていおうへのとびらけたサウンド”. NHK (2021ねん4がつ9にち). 2021ねん4がつ15にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん4がつ15にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]