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スクリッティ・ポリッティ

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スクリッティ・ポリッティ
Scritti Politti
スクリッティ・ポリッティ(2006ねん
基本きほん情報じょうほう
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド ヨークシャーしゅうリーズ
ジャンル シンセポップ
ロック
ポストパンク
ニュー・ウェイヴ
活動かつどう期間きかん 1977ねん - 1991ねん1999ねん -
レーベル ラフ・トレード
ヴァージン
ワーナー・ブラザース・レコード
公式こうしきサイト www.scritti.net
メンバー グリーン・ガートサイド
グリーン・ガートサイド

スクリッティ・ポリッティ (Scritti Politti) は、1977ねんイギリス結成けっせいされたグリーン・ガートサイド (en:Green Gartside) を中心ちゅうしんとした音楽おんがくユニット名称めいしょうである。

ユニットめいは「政治せいじてき文書ぶんしょ」を意味いみするイタリアもとになっており、イタリアのマルクス主義まるくすしゅぎ理論りろんアントニオ・グラムシ著作ちょさく『Scritti di Economia Politica』と、リトル・リチャード楽曲がっきょく「トゥッティ・フルッティ」をっかけている[1]

1980年代ねんだいにおける最先端さいせんたんかつ最高峰さいこうほうのデジタル機材きざいぐん全面ぜんめんてき導入どうにゅうし、黒人こくじんてき洗練せんれんされたリズムとUKロックが融合ゆうごうした『キューピッド&サイケ85』を制作せいさくした。制作せいさく当時とうじとしては贅沢ぜいたくきわまりない、最高さいこう機材きざいぐん導入どうにゅう高音こうおんしつ仕上しあがっただけでなく、シーケンサーエフェクターひとし駆使くしして細部さいぶまで徹底てっていして計算けいさんされたつくみがおこなわれた。現在げんざいいたるまで、この作品さくひん実現じつげんされたおと新鮮しんせんさはうしなわれておらず、音楽おんがく関係かんけいしゃあいだではシンセポップ基準きじゅんの1つとしてあつかわれつづけている。

略歴りゃくれき

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1977ねん、ウェールズ出身しゅっしんリーズのアートスクール学生がくせい、グリーン・ガートサイドが、パンクのDIY精神せいしん刺激しげきけ、同級生どうきゅうせいたちとソロ・プロジェクトてきユニットを結成けっせい(Green/vocal, guitar、Tom/drums、Nial/bass、Simon/tape loops )。1982ねん、『ソングス・トゥ・リメンバー』でデビュー。グリーンの中性ちゅうせいてきなファルセットをかしたソウルフルなボーカルで人気にんきはくし、シングル「スウィーテスト・ガール」はスマッシュ・ヒットを記録きろく。アルバム自体じたいぜんえいアルバムチャートで12記録きろくした[2]

1985ねんにセカンド・アルバム『キューピッド&サイケ85』をリリース、ぜんえい5のヒットとなった[2]前作ぜんさくはアコースティック中心ちゅうしんのアレンジだったが、ほんさくではメンバーもわり、デジタル・シンセサイザー(YAMAHA DX7)やゲート・リバーブを多用たようした音楽おんがく制作せいさくした。このアルバム自体じたいのヒットとともに、楽曲がっきょくにおける機材きざい使用しよう方法ほうほう流行りゅうこうし、80年代ねんだい音楽おんがく基盤きばんとなった。どうアルバムからシングル・カットされた「パーフェクト・ウェイ」は、マイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』(1986ねん)でカヴァーされ、それがきっかけで、のシングルきょく「オー・パティ」のレコーディングおよミュージック・ビデオにデイヴィスがゲスト参加さんかした[3]

1988ねんのサード・アルバム『プロヴィジョン』はぜんえい8記録きろく[2]、そのしばらく沈黙ちんもくつづけるが、1991ねんにB.E.F.とんでビートルズのカヴァーきょくシーズ・ア・ウーマン」をシャバ・ランクスとのコラボレーションで発表はっぴょうさらにもう1まいのシングルを発表はっぴょうし、B.E.F.のアルバムに参加さんかするなどの活動かつどうおこない、1999ねんには、前作ぜんさくから11ねんぶりにアルバム『アノミー&ボノミー』をリリースして復活ふっかつ活動かつどうつづける。

2006ねん新作しんさく『ホワイト・ブレッド・ブラック・ビア』をリリース。UKオルタナティヴ・ロックに、ヒップホップR&Bなどのテイストをれ、あらたな方向ほうこうせいす。また同年どうねん日本にっぽん公演こうえんたした。

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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  • 『ソングス・トゥ・リメンバー』 - Songs to Remember (1982ねん)
  • キューピッド&サイケ85』 - Cupid & Psyche 85 (1985ねん)
  • 『プロヴィジョン』 - Provision (1988ねん)
  • 『アノミー&ボノミー』 - Anomie & Bonhomie (1999ねん)
  • 『ホワイト・ブレッド・ブラック・ビア』 - White Bread Black Beer (2006ねん)

コンピレーション・アルバム

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  • 『ザ・ベイシックス』 - The Basics (1983ねん)
  • 『アーリー - シングルス』 - Early (2005ねん)
  • 『アブソルート』 - Absolute (2011ねん)

シングル

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  • "Skank Bloc Bologna" (1978ねん)
  • "2nd Peel Session" (1979ねん)
  • "4 A-Sides" (1979ねん)
  • 「ザ・スウィーテスト・ガール」 - "The "Sweetest Girl"" (1981ねん)
  • "Faithless" ("Triple-Hep-N'Blue") (1982ねん)
  • "Asylums in Jerusalem" / "Jacques Derrida" (1982ねん)
  • 「ウッド・ビーズ」 - "Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin)" (1984ねん)
  • "Absolute" (1984ねん)
  • "Hypnotize" (1984ねん)
  • "The Word Girl" (1985ねん)
  • パーフェクト・ウェイ」 - "Perfect Way" (1985ねん)
  • 「オー・パティ」 - "Oh Patti (Don't Feel Sorry for Loverboy)" (1988ねん)
  • "First Boy in This Town (Lovesick)" (1988ねん)
  • 「ゼア・シー・ウォズ」 - "Boom! There She Was" (1988ねん) ※フィーチャリング・ロジャー・トラウトマン
  • 「シーズ・ア・ウーマン」 - "She's a Woman" (1991ねん) ※フィーチャリング・シャバ・ランクス名義めいぎ
  • わたしをやさしくきしめて」 - "Take Me in Your Arms and Love Me" (1991ねん) ※アンド・スウィーティー・アイリー名義めいぎ
  • "Tinseltown to the Boogiedown" (1999ねん)
  • "The Boom Boom Bap" (2006ねん)
  • "A Day Late and a Dollar Short" (2011ねん)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Irvine, Lindesay (2006ねん1がつ9にち). “Pop legend plays first gig for 26 years”. The Guardian. 2018ねん11月27にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c SCRITTI POLITTI | full Official Chart History | Official Chart Company - 「ALBUMS」をクリックすれば表示ひょうじされる。
  3. ^ Wiser, Carl. “The Last Years of Miles Davis: Song Writing”. Songfacts. 2018ねん11月27にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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