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軍国ぐんこく歌謡かよう

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軍国ぐんこく歌謡かよう(ぐんこくかよう)とは、レコード会社かいしゃが、軍国ぐんこく主義しゅぎ戦時せんじ体制たいせい便乗びんじょうして[1]歌謡かようきょく一種いっしゅとして[2]商業しょうぎょうよう[1]営業えいぎょうじょうつくりだしたもので[2]しゅとして、民間みんかん作曲さっきょく作品さくひんのことをし、軍歌ぐんかその官製かんせい作品さくひんはとくに「軍歌ぐんか」とよんで区別くべつした[3]加太かだこうじによると「軍国ぐんこく歌謡かようという名称めいしょうはあとでけられたもので、昭和しょうわじゅうねんまつごろからの、軍国ぐんこく調ちょうのレコード会社かいしゃせいうたは、たん流行りゅうこうというレッテルでられていた。歌謡かようきょくという名称めいしょうもそのころはなかった。映画えいが主題歌しゅだいかとか流行りゅうこうという名称めいしょうで、レコード会社かいしゃせいうた日本にっぽん歌曲かきょく童謡どうようなどと区別くべつされていた。のちに、戦争せんそう進展しんてんとも文化ぶんか統制とうせいつよめられるなかで、流行りゅうこうでは軽薄けいはくだとされて歌謡かようきょくあらためられた」という[2]。『日本にっぽん流行りゅうこう』によると「"軍国ぐんこく"のかんすることによって歌謡かよう軟弱なんじゃくさをカムフラージュしていた」という[4]

軍国ぐんこく歌謡かよう」のだい部分ぶぶん戦時せんじしょくあらわした歌詞かしをもっており、にちしんにち戦争せんそう以来いらい行進曲こうしんきょくリズムをもっていたが、曲調きょくちょうほう従来じゅうらい質実しつじつ剛健ごうけんさをもっている長音階ちょうおんかいではなくて、晋平しんぺいぶし以来いらい一般いっぱん民衆みんしゅう定着ていちゃくしはじめていた五音ごいん短音階たんおんかいと、ぶし音階おんかいをミックスした歌謡かよう曲調きょくちょうであった[4]

作品さくひん

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にちちゅう戦争せんそう

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大正たいしょう末期まっきから『まんしゅうぶし』『朝鮮ちょうせん国境こっきょう警備けいびうた』などの流行りゅうこうしており、1929ねんには『まんしゅう前衛ぜんえいうた』が発表はっぴょうされていた。1931ねんまんしゅう中村なかむら大尉たいい殺害さつがいされる事件じけんきると時事じじ小唄こうた『噫中村なかむら大尉たいい』が発売はつばいされてヒットし、まんしゅう事変じへん勃発ぼっぱつにはNHKの「ラジオ体操たいそう時間じかん」で『独立どくりつ守備しゅびたいうた』をながしたところ、それ以降いこうてよ国民こくみん』『まもれよまんしゅう』といった、国民こくみん士気しきたかめるような時局じきょくレコード発売はつばいされ流行りゅうこうはじめる。

1932ねんには朝日新聞あさひしんぶん社員しゃいんつくった『まんしゅう行進曲こうしんきょく』、そしてだいいち上海しゃんはい事変じへんでの肉弾にくだんさん勇士ゆうしたたえるうた朝日新聞あさひしんぶん毎日新聞まいにちしんぶん募集ぼしゅうし、毎日まいにちの『ばくだんさん勇士ゆうしうた』には与謝野よさのひろしえらばれ、朝日あさひの『肉弾にくだんさん勇士ゆうしうた』、国民こくみん新聞しんぶん推薦すいせんの『びょうぎょう鎮決たいうた』、報知ほうち新聞しんぶん委嘱いしょくの『肉弾にくだんさん勇士ゆうし』、浪花節なにわぶしの『嗚呼ああ軍神ぐんしん肉弾にくだんさん勇士ゆうし』など各社かくしゃ宣伝せんでんひろげた。当時とうじ下火したびになりかけていたエロ・グロ・ナンセンスのブームにわってレコード会社かいしゃちかられ、まんしゅう題材だいざいにした『軍事ぐんじ探偵たんていうた』やまき逸馬いつま作詞さくしの『あゝまんしゅう』、また『おに将軍しょうぐん多聞たもん閣下かっか』『噫軍しん古賀こが連隊れんたいちょう』『軍神ぐんしんはち勇士ゆうしうた』など軍神ぐんしん将官しょうかん題材だいざいにしたきょくやレコードドラマが多数たすう発売はつばいされ、紀平きひら正美まさみ雑誌ざっしひとうわさ』1932ねん5がつごうのアンケートで「エロもグロもばくだんさん勇士ゆうしとともにんだ」とひょうした。[5]

陸軍りくぐん制定せいてい軍歌ぐんか討匪とうひぎょう』は、作曲さっきょくがけたテノール歌手かしゅ藤原ふじわら義江よしえうたってだいヒットした。1933ねんになると東京とうきょう人口じんこうが500まんにんたっした記念きねん行事ぎょうじとして、読売新聞よみうりしんぶん募集ぼしゅうした流行りゅうこう小唄こうた東京とうきょうさい』(門田かどたゆたか古賀こが政男まさお)、時事新報じじしんぽうで『まるうち音頭おんど』の歌詞かし手直てなおしした『東京とうきょう音頭おんど』、レコード会社かいしゃ競作きょうさくの『さくら音頭おんど』などを使つか盆踊ぼんおど大会たいかいおこなわれ、政府せいふ思想しそう善導ぜんどう観点かんてんからこれを後押あとおしし、1935ねんごろまでつづいた。

また1933ねんから内務省ないむしょうによるレコードの検閲けんえつおこなわれるようになり、かつら孤月こげつうたう『製糸せいし情話じょうわ』や、すぎきょう『のぞかれた花嫁はなよめ』、渡辺わたなべはまわすれちゃいやヨ』、二村にむら定一さだいち『とこイットだね』などが発売はつばい禁止きんし処分しょぶんけた。1940ねんには『湖畔こはん宿やど』(佐藤さとう惣之助そうのすけ服部はっとり良一りょういち)の時局じきょくてきでないという理由りゆう発売はつばい禁止きんしとなる。

1936ねんにNHKで放送ほうそうされた『国民こくみん歌謡かよう』も、有馬ありま通男みちおせいけよますらを』(土岐とき善麿ぜんまろ堀内ほりうち敬三けいぞう)、渡辺わたなべはま愛国あいこくはな』(福田ふくだ正夫まさお古関こせきひろし)、東海林しょうじ太郎たろう戦勝せんしょううた』(大江おおえ素夫もとお大村おおむらのうあきら)といった愛国あいこくてきうた放送ほうそうされた。1937ねんささえ事変じへん勃発ぼっぱつからは、内閣ないかく情報じょうほうきょく懸賞けんしょう募集ぼしゅうした『愛国あいこく行進曲こうしんきょく』のほか、『うみかば』『露営ろえいうた』『まる行進曲こうしんきょく』といったうたが、新聞しんぶんぐんによって国民こくみんとして制定せいていされてうたわれ、講談社こうだんしゃ制定せいていした『出征しゅっせい兵士へいしおくうた』は陸軍りくぐん献納けんのうされた。

1937ねん9がつ発売はつばいされた『軍国ぐんこく子守こもりうた』(作詞さくし山口やまぐち義孝よしたか作曲さっきょく佐和さわあきら)もヒットし、これをうたったしおまさる翌年よくねんに『母子ぼし船頭せんどううた』、テイチクへ移籍いせきしたのちの『きゅうだんはは』のだいヒットで、軍国ぐんこく歌謡かよう人気にんき歌手かしゅとなった。1940ねんには映画えいが主題歌しゅだいかの『あかつきいの』『もえゆる大空おおぞら』や『国民こくみん歌謡かよう』で放送ほうそうされた『隣組となりぐみ』が人気にんきんだ。

またこの時期じき大衆たいしゅう歌謡かようとしてアジアや南方なんぽう題材だいざいにした、『国境こっきょうまち』『上海しゃんはいだより』『広東かんとんはなむすめ』『蘇州そしゅう夜曲やきょく』『まんしゅうむすめ』といった、「大陸たいりくもの」「上海しゃんはいもの」「南京なんきんもの」などともばれたうたがあり、歌詞かしやメロディーに地域ちいきせいんでいる特徴とくちょうがあった。日本にっぽん占領せんりょう朝鮮ちょうせんでは、『白頭山はくとうさんぶし』(植田うえだ国境こっきょう)、『かもみどりこうたかし』などの日本にっぽん民謡みんよう調ちょうのメロディーのうたうたわれていた。また1940ねん発売はつばいの『だれ故郷こきょうおもわざる』(西條さいじょう八十やそ古賀こが政男まさお)は、とく外地がいち兵士へいしたちからあいされてヒットした。

太平洋戦争たいへいようせんそう

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1941ねん太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんにNHKでは「ニュース歌謡かよう」を放送ほうそうし、『宣戦せんせん布告ふこく』(野村のむら俊夫としお古関こせきひろし而)、『皇軍こうぐん戦果せんかかがやく』(どう)、『タイこく進駐しんちゅう』(島田しまだかおる山田やまだ榮一えいいち)などを放送ほうそうし、『英国えいこく東洋とうよう艦隊かんたい潰滅かいめつ』(高橋たかはし掬太郎きくたろう古関こせきひろし而)は、のちにサトウハチローあらたなけて、『だんじてつぞ』としてもレコードされた。また内閣ないかく情報じょうほうきょくは「敵性てきせい音楽おんがく」の排除はいじょ目指めざし、1943ねんには政府せいふ広報こうほう週報しゅうほう』で曲名きょくめいのリストをかかげ、鼻声はなごえでもうたってはならぬなどと通知つうちした。また1943ねんには大政たいせい翼賛よくさんかいにより「国民こくみんしんあかるくのびのびとさせるような運動うんどう」としてを国民こくみんみなうた運動うんどう展開てんかいされ、各地かくち運動うんどうでは『うみゆかば』、『この決意けつい』(大政たいせい翼賛よくさんかい標語ひょうご片山かたやま頴太ろう)を必唄歌曲かきょくとされ、愛国あいこくひゃくにんいちしゅうみけんやしなえおか麿まろ山本やまもと芳樹よしききょくけた『みたみわれ』も指定してい歌曲かきょくとされた。これらのうたは『週報しゅうほう』にも掲載けいさいされる。

一方いっぽうで、出征しゅっせい兵士へいしおもわせる小唄こうた勝太郎かつたろう明日あしたはおちか』(佐伯さえき孝夫たかお佐々木ささき俊一しゅんいち)もヒットする。終戦しゅうせんちかい1945ねんには、『南洋なんよう航路こうろ』(1940ねん)の歌詞かしえた『ラバウル小唄こうた』が、とく南方なんぽうから撤退てったいする兵士へいしたちにひろこのまれ、その地域ちいきごとに土地とち名前なまええたうたうたわれた。

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ a b ざつのどじゅん「●愛国あいこくはな海外かいがいにもひろまった軍国ぐんこく歌謡かよう」『昭和しょうわのことば—キーワードでたどるわたしたちの現代げんだい—』朝日あさひソノラマ昭和しょうわ63ねん9がつ30にち 初版しょはん発行はっこうISBN 4-257-03255-3、134~135ぺーじ
  2. ^ a b c 加太かだこうじうた昭和しょうわ時事通信社じじつうしんしゃ昭和しょうわ50ねん9がつ20日はつか 発行はっこう、82ぺーじ
  3. ^ 園部そのべ三郎さぶろう解説かいせつ」『日本にっぽん詩歌しか 別巻べっかん 日本にっぽん歌謡かようしゅう中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ昭和しょうわ43ねん11月15にち初版しょはん発行はっこう、326ぺーじ
  4. ^ a b 茂田しげた信男のぶお島田しまだ芳文よしふみ矢沢やざわひろし横沢よこざわ千秋ちあきへん新版しんぱん 日本にっぽん流行りゅうこう: うえ 1868-1937』社会しゃかい思想しそうしゃ、1994ねん9にち30にち 初版しょはんだいさつ発行はっこうISBN 4-390-50194-1、126ぺーじ
  5. ^ 毛利もうり眞人まさと『ニッポン エロ・グロ・ナンセンス 昭和しょうわモダン歌謡かようひかりかげ講談社こうだんしゃ 2016ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 新井あらい恵美子えみこあいしいたち 戦争せんそううた記憶きおく』マガジンハウス 1999ねん
  • 倉田くらた喜弘よしひろ近代きんだい歌謡かよう軌跡きせき山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ 2002ねん
  • 五木いつき寛之ひろゆき『わが人生じんせいうたがたり 昭和しょうわ哀歓あいかん角川書店かどかわしょてん 2007ねん
  • しも達也たつや『「国民こくみん」を唱和しょうわした時代じだい 昭和しょうわ大衆たいしゅう歌謡かよう吉川弘文館よしかわこうぶんかん 2010ねん

関連かんれん項目こうもく

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