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せきわたるふとっぺ

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せき弥太やたッぺ』(せきのやたっぺ)は、長谷川はせがわしんによって1929ねん発表はっぴょうされた戯曲ぎきょく同年どうねん8がつ新国劇しんこくげきによって上演じょうえんされた[1]かなえられぬゆめかかえてきるかなしみを独自どくじのリリシズムでえがく。映画えいがやテレビドラマでもたびたび作品さくひんされている。

物語ものがたり[編集へんしゅう]

つねしゅうまれの関本せきもと弥太郎やたろうひとんで「せきわたるふとっぺ」は、わかれたいもうとさがたびははのない少女しょうじょ「お小夜さよ」と出会であう。小夜さよちち和吉かずよし」は盗賊とうぞくであり、かねぬすまれた「箱田はこだもりかい」は和吉かずよしってかねうばっていく。自分じぶんの50りょうもりかいってかれた弥太郎やたろう宿場しゅくばまで小夜さよれて羽目はめになるが、ちちらないむすめいもうと面影おもかげしんうごかす。「…この娑婆しゃばにはつらことかなしいことがたくさんある。だがわすれるこった。わすれてれりゃあ明日あしたになる…ああ、明日あした天気てんきか」とむすめはげまそうとあかるいかおせる弥太郎やたろう

宿場しゅくば沢井さわいいた弥太郎やたろうだが、お小夜さようえについてまったらないため往生おうじょうする(観客かんきゃくはお小夜さよ沢井さわいおんな主人しゅじんまごであるとっているが、この家族かぞくまえには歳月さいげつかべちはだかっている)。はずちち往来おうらいつお小夜さよしんうごかされた弥太郎やたろうは50りょうでお小夜さよあずかってくれるよう強引ごういんたのんで沢井さわいする。もりかい清滝きよたき佐吉さきち一家いっか草鞋わらじいでいた。たずねて弥太郎やたろう気持きもかねかえもりかい意気いきかんじた弥太郎やたろうもりかいに5りょうわたすと、そのあし沢井さわいもどのきうらに45りょういていく。裏庭うらにわ垣根越かきねごしにえる沢井さわい家族かぞくやさしさは小夜さよつつんでいた。「50りょうはなくなったけど、おいら、おほしさまになったような気持きもちだぜ」弥太郎やたろうだれられることもなくってる。

信州しんしゅういもうと行方ゆくえさがてた弥太郎やたろうだったが、そのいもうと半年はんとしまえんでいたとる。おさなかったころ記憶きおくのままにあにである自分じぶんしたっていたとかされた弥太郎やたろうは、墓前ぼぜんなみだする。家族かぞく一緒いっしょらしたいというのぞみのために、やくざの泥水どろみずんでごしてたびは、ここでわった…。

10ねん

きる目的もくてきくしたまま、すけ稼業かぎょういのち弥太郎やたろうは、凄惨せいさん容貌ようぼうわっていた。てきかた恩人おんじんの「ごとざい兵衛ひょうえ」ともりかい弥太郎やたろうは、やとぬし飯岡いいおか裏切うらぎる。旧交きゅうこうあたためる3にん。ここでざい兵衛ひょうえ沢井さわいむすめとしてなに不自由ふじゆうなく、そしてうつくしくそだったお小夜さよが、らぬ恩人おんじん消息しょうそくもとめていると弥太郎やたろうもりかいかたる。ひとさがしをたのまれていたざい兵衛ひょうえはなしからいた旅人たびびと様子ようすから弥太郎やたろうではないかとたずねるが、本人ほんにん人違ひとちがいだと返事へんじをする。飯岡いいおか追及ついきゅうびるなか弥太郎やたろうふたた沢井さわい垣根かきねまえち、成長せいちょうしたお小夜さよるとあたたかい気持きもちとなったままる。

一方いっぽうもりかいざい兵衛ひょうえからかされた“らぬ恩人おんじん”のりをして沢井さわいおとずれる。はじめはかね強請ねだろうとしていたもりかいだったが、やがてお小夜さよ一緒いっしょになりたいというぶんわないゆめはじめてお小夜さよにいいより、沢井さわい人々ひとびとくるしませる。うわさいてけつけた弥太郎やたろうもりかいし、10ねんまえ小夜さよちちったのがもりかい自身じしんであるとおしえるが、もりかいはかえって逆上ぎゃくじょうなみだんで弥太郎やたろうもりかいる。その場所ばしょこそかつてもりかい和吉かずよしったもりなかであった。

ごうふかさにくるしむ弥太郎やたろうまえちはだかる飯岡いいおか一家かずや。「ふたたび」と約束やくそくしてわかれた弥太郎やたろうは、かさこうむったままあの垣根かきねえると沢井さわい人々ひとびとに、もりかいたびたとつたえる。10ねんぶりに対面たいめんした弥太郎やたろうとお小夜さよだが、弥太郎やたろうむかし面影おもかげはなく、お小夜さよ沢井さわい人々ひとびとかれが10ねんまえ恩人おんじんだとはかない。かえろうとする弥太郎やたろうをお小夜さよめる。ちちははもとめた少女しょうじょのままのお小夜さよがそこにはいた。

このままここにいてしいというお小夜さよ弥太郎やたろうやさしくつぶやく。「…おじょうさん。この娑婆しゃばにはつらことかなしいことがたくさんある。だがわすれるこった。わすれてれりゃあ明日あしたになる。…ああ、明日あした天気てんきか」。すべてをさとったお小夜さよ弥太郎やたろういかけるが、弥太郎やたろう土手どてしたかくし、自分じぶんさがしてけてくお小夜さよ背中せなか見送みおくるのだった。

つのかねるなか、飯岡いいおかしゅうけるむらはずれへのみち弥太郎やたろうあるいてった…。

映画えいが[編集へんしゅう]

1935ねん日活にっかつ京都きょうとばん[編集へんしゅう]

1935ねん日活にっかつ京都きょうと撮影さつえいしょ制作せいさく劇場げきじょう公開こうかい映画えいが主演しゅえん大河内おおこうち傳次郎でんじろう監督かんとく稲垣いながきひろし山中やまなか貞雄さだお。フィルムは現存げんそんしない。

1953ねん大映だいえいばん[編集へんしゅう]

1953ねん大映だいえい主演しゅえん黒川くろかわ弥太郎やたろう監督かんとく田坂たさか勝彦かつひこ

1955ねん新東しんとうたからばん[編集へんしゅう]

1955ねんしん東宝とうほう主演しゅえん島田しまだ正吾しょうご監督かんとく渡辺わたなべ邦男くにお

1959ねん大映だいえいばん[編集へんしゅう]

1959ねん大映だいえい主演しゅえん長谷川はせがわ一夫かずお監督かんとく加戸かどさとし

1963ねん東映とうえいばん[編集へんしゅう]

1963ねん東映とうえい主演しゅえん中村なかむら錦之助きんのすけ監督かんとく山下やました耕作こうさく上映じょうえい時間じかん89ふん

ドラマばん[編集へんしゅう]

1959ねん[編集へんしゅう]

1959ねん5月26にちから同年どうねん6がつ16にちまで、『鶴田つるた浩二こうじシリーズ』(フジテレビ火曜かよう19:30 - 20:00)で4かいにわたって放送ほうそうされた。

キャスト[編集へんしゅう]

1960ねん[編集へんしゅう]

1960ねん1がつ7にちから同年どうねん同月どうげつ28にちまで、『新国劇しんこくげきアワー』(KRテレビ木曜もくよう22:00 - 22:30)で4かいにわたって放送ほうそうされた。

キャスト[編集へんしゅう]

1972ねん[編集へんしゅう]

長谷川はせがわしん作品さくひんをドラマした『長谷川はせがわしんシリーズ』(NET)で前後ぜんごへんにわたって放送ほうそうされた。

スタッフ[編集へんしゅう]

キャスト[編集へんしゅう]

フジテレビ 鶴田つるた浩二こうじシリーズ
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
せきわたるふとっぺ
(1959年版ねんばん
KRT 新国劇しんこくげきアワー
せきわたるふとっぺ
(1960年版ねんばん
NET 長谷川はせがわしんシリーズ
せきわたるふとっぺ
(1972年版ねんばん

漫画まんが[編集へんしゅう]

劇画げきが長谷川はせがわしんシリーズのひとつとして、漫画まんが小林こばやしまことにより、講談社こうだんしゃ2009ねんイブニング』3ごうより連載れんさいされた。ぜん12かい単行本たんこうぼんぜん1かん。ラスト部分ぶぶん原作げんさくとはちがい、独自どくじのアレンジがなされている。なお、タイトルは「せき弥太やたッぺ」(「っ」→「ッ」)に変更へんこうされている。また、登場とうじょう人物じんぶつ小林こばやし過去かこ作品さくひんのキャラクターで構成こうせいされており、単行本たんこうぼん表紙ひょうし昭和しょうわ時代じだい邦画ほうが演劇えんげきのポスターのように、そのキャラクターたち名前なまえ演者えんじゃとしてならべられている。

歌謡かようきょく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ "せきわたるふとっぺ". 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんだいはん. コトバンクより2023ねん7がつ3にち閲覧えつらん