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伊勢いせ音頭おんど

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
「いせおんど さくらふすま」 伊勢いせ古市ふるいち備前屋びぜん名物めいぶつ伊勢いせ音頭おんど」のそうおどり。1847–52ねんごろ、歌川うたがわ貞秀さだひで

伊勢いせ音頭おんど(いせおんど)とは、江戸えど時代じだい伊勢いせこくうたわれ全国ぜんこくひろまった民謡みんようのこと。ただしふるくは、伊勢いせ古市ふるいち遊廓ゆうかく遊女ゆうじょうたおどるために使つか音曲おんぎょくのこともしょうした。

解説かいせつ

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江戸えど時代じだい伊勢いせおこった「伊勢いせ音頭おんど」とばれるものは2種類しゅるいある。それは伊勢参いせまいにおける名所めいしょのひとつ、伊勢いせ古市ふるいち遊郭ゆうかく遊女ゆうじょうたわせた音曲おんぎょくと、もうひとつは現在げんざい伊勢いせでもつ、伊勢いせでもつ、尾張おわり名古屋なごやしろでもつ」という歌詞かしられうたわれる民謡みんようのことである。

古市ふるいち伊勢いせ音頭おんど

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かみさかい秘事ひめごとだん』(度会わたらいさだ)によればとおるのころ、伊勢いせ吹上ふきあげまち奥山おくやまももくもという人物じんぶつ従来じゅうらいからの盆踊ぼんおどりをもと音頭おんどつくろうとかんがえ、川崎かわさきまち伊藤いとう又市またいち(俳名うめ)というもの作詞さくしたのみ、鍛冶屋かじやちょうみぎ衛門えもんくさというものきょくつくらせ、これを「川崎かわさき音頭おんど」としょうした。とおる17ねん(1732ねん)、古市ふるいち遊郭ゆうかくすうけんから名古屋なごや西小路さいこうじ出店しゅってんひらくことになったが、そのとき人寄ひとよせとしてこの「川崎かわさき音頭おんど」を座敷ざしきした。[1]当初とうしょなぞかけとして「伊勢いせ神宮じんぐう)は川崎かわさきみなと)でもつ、伊勢いせでもつ、尾張おわり名古屋なごやは、みや熱田あつた神宮じんぐうみなと)でもつ」という歌詞かしうたわれたが、そのゆうしょゆるした徳川とくがわ宗春むねはる称揚しょうようする意味いみめて「しろでもつ」と変化へんかしたとするせつ[2]がある。この名古屋なごや遊郭ゆうかくもとぶん3ねん(1738ねん)に停止ていしとなったので、古市ふるいち出店しゅってん地元じもともどったが、名古屋なごや評判ひょうばんった「川崎かわさき音頭おんど」を古市ふるいちでもすようになり、いよいよ有名ゆうめいになったという。江戸えど時代じだい古市ふるいち伊勢参いせまいりの旅人たびびとんだ遊郭ゆうかくおおならんでおり、これら伊勢参いせまいりの旅人たびびとたちによって、伊勢いせ古市ふるいちにおける「川崎かわさき音頭おんど」(伊勢いせ音頭おんど)のわたった。当時とうじ伊勢参いせまいりは信心しんじん目的もくてきばかりではなく、いまでいう観光かんこうたび目的もくてきとなっていたのである。

伊勢いせ参宮さんぐう名所めいしょ図会ずえまきよんより「古市ふるいち」。さけきゃくたちをまえに、おんなたちが三味線しゃみせんあわになっておどる。

寛政かんせい9ねん(1797ねん刊行かんこうの『伊勢いせ参宮さんぐう名所めいしょ図会ずえ』の「古市ふるいち」のには、「川崎かわさき音頭おんど流行りゅうこうしてこれ伊勢いせ音頭おんどしょうし、都鄙とひともにはなちまたのうたひぶつとはりたれども、此の調しらべ普通ふつうえたり…」との説明せつめいぶんがあり、遊女ゆうじょたちが三味線しゃみせんわせになっておど様子ようすえがかれている。また寛政かんせい8ねん7がつだいさか初演しょえんされた『伊勢いせ音頭おんどこい寝刃ねたば』のさんまく油屋あぶらや」にも、「伊勢いせ音頭おんど座敷ざしきおどり」とある。古市ふるいち遊郭ゆうかくは「伊勢いせ音頭おんど」にわせ、遊女ゆうじょたちに座敷ざしきおどらせることられていた。

しかしこの古市ふるいちの「伊勢いせ音頭おんど」は、とおるからすうじゅうねんつと内容ないよう変化へんかしていた。江戸えど戯作げさくしゃ曲亭馬琴きょくていばきんとおる2ねん(1802ねん)、東海道とうかいどう経由けいゆ京都きょうとだいさかなど近畿きんき地方ちほうたびしており、このとき見聞みききしたことを『羇旅きりょ漫録』という著作ちょさくにまとめている。『羇旅きりょ漫録』によれば馬琴ばきんたび途中とちゅう伊勢神宮いせじんぐう参詣さんけいし、古市ふるいちにもって遊郭ゆうかくがったが、古市ふるいちの「伊勢いせ音頭おんど」についてつぎのようにしるす。

古市ふるいちもいまは伊勢いせおんどだいにおとろへて、大坂おおさかあるい江戸えどのめりやす、潮来いたこぶし、なるものをうたふ。けいてふをとこごえたへに、おんどをうたひかせたり。はかへりてこれにおよばず…」

これによれば、馬琴ばきん古市ふるいち遊郭ゆうかくいたきょくは「大坂おおさかあるい江戸えどのめりやす」などになっており、「伊勢いせ音頭おんど」をおぼつたえているはずの遊女ゆうじょたちでまともにうたえるものがいなかったということである。「けい」とはこの馬琴ばきん友人ゆうじんである山原やまはらなな左衛門さえもんという人物じんぶつで、本来ほんらいの「伊勢いせ音頭おんど」(川崎かわさき音頭おんど)がすでにとおるころ古市ふるいちにおいて好事こうじなどがきょくつたえているという状態じょうたいだったことがうかがえる。なお馬琴ばきんがった遊郭ゆうかくでは遊女ゆうじょたちが三味線しゃみせんあわせていっせいにうたうのみで、おどりはしなかったようである。

この古市ふるいちの「伊勢いせ音頭おんど」の歌詞かしあつめた『二見ふたみ真砂まさご』という音曲おんぎょくしゅうすうしゅ刊行かんこうされており、いずれも刊行かんこうねん不明ふめいだがあわせて80あまりのきょくつたえている。そのふしには一中節いっちゅうぶし義太夫ぎだゆうぶし謡曲ようきょくなど当時とうじすでにあった色々いろいろ音曲おんぎょくふし使つかっているという。時代じだいうつるにつれ馬琴ばきんが「なるもの」とった音曲おんぎょくが、本来ほんらいの「伊勢いせ音頭おんど」(川崎かわさき音頭おんど)にわって「伊勢いせ音頭おんど」としょうされ、古市ふるいち遊女ゆうじょたちがうたい、またそれにあわせておどっていたとられる。

古市ふるいち遊女ゆうじょたちによる「伊勢いせ音頭おんど」のおどりは、座敷ざしきさんぽう廊下ろうかのようなほそ舞台ぶたいをコのがたもうけ、多数たすう遊女ゆうじょたちがそのうえならんで一斉いっせいおどった(うえ掲、貞秀さだひで浮世絵うきよえ参照さんしょう)。古市ふるいち規模きぼおおきな遊郭ゆうかくだった備前屋びぜん別名べつめい牛車うしぐるまろう)は文化ぶんか15ねん(1818ねん)3がつ式亭しきてい三馬さんばさく歌川うたがわ国直くになおによる『伊勢いせ名物めいぶつどおり神風かみかぜ』という草双紙くさぞうし刊行かんこうしており、そのなか備前屋びぜんの「伊勢いせ音頭おんど」について、

名高なだかさくらあいだだいをどりといふは、きゅうあいだろくあいだだいしきをぐるりとおやま遊女ゆうじょにてとりまき、いせおんどにあわせて、あまたの美女びじょ三方みかたらうか廊下ろうかをめぐりながら、手拍子てびょうしそろへてをどるなり…」
明治めいじ時代じだい伊勢いせ音頭おんど

しるしている。備前屋びぜんでは「伊勢いせ音頭おんど」をさくらあいだ(「くるまあいだ」とも)というだい座敷ざしきおどり、舞台ぶたい遊女ゆうじょおどときせりがるさこ仕掛しかけがほどこされた。この舞台ぶたい演出えんしゅつ考案こうあんしたのは備前屋びぜん最初さいしょといわれ、舞台ぶたいのせりげも備前屋びぜん寛政かんせい6ねんはじめたものだという。こうした「伊勢いせ音頭おんど」のそうおどりが古市ふるいちおおくのろうさかんにおこなわれた[3]すくなくとも昭和しょうわ初期しょきまでは、備前屋びぜん杉本すぎもとのこっていた模様もようである[4]志賀しが直哉なおや小説しょうせつ暗夜あんや行路こうろへんにおいて、備前屋びぜんのものとられる「伊勢いせ音頭おんど」のそうおどりについてげている。また京都きょうと祇園ぎおんをどりは、その振付ふりつけ担当たんとうした片山かたやま春子はるこさんせい井上いのうえ八千代やちよ)がこの古市ふるいちの「伊勢いせ音頭おんど」を参考さんこうにしてつくったとつたわる[5]

伊勢いせ街道かいどう音頭おんど

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古市ふるいちの「伊勢いせ音頭おんど」とはべつに、「伊勢いせ音頭おんど」としょうするものが江戸えど時代じだいあらわれている。西沢にしざわいちおおとりの『すめらぎ午睡ごすいはつ編上あみあげまきよしみひさし3ねん〈1850ねん成立せいりつ)には「伊勢いせ音頭おんど」とだいして以下いかぶんせる。

伊勢いせ街道かいどう音頭おんどといへば、大坂おおさかてからはや玉造たまつくりかさかいなら深江ふかえ名所めいしょ奈良ならよりあおえつ山田やまだ松坂まつさか椋本むくもと窪田くぼたせきより大津おおつまで宿やどえき音頭おんどあれども、ゆだねく諷ふしゃなし。よふよふ伊勢いせゆたか久野くのぜにかかまつよ(下略げりゃく)、さかはてるてる鈴鹿すずかくもる(下略げりゃく)など、人口じんこうに唱へり」

また『まもりさだ謾稿』の「伊勢いせ音頭おんど」のこうには、古市ふるいちの「伊勢いせ音頭おんど」について解説かいせつしたのち、「…またきょうざかとうより参宮さんぐう道中どうちゅううた小唄こうたあり、をも音頭おんどうん歟非歟、こうこうすべし」とあり、その「小唄こうた」のれいとして「大坂おおさかはなれてはやたまづくり、かさをかうなら深江ふかえ名所めいしょ、ヤアトコセーヨウイヤナ、アリャリャ、コリャリャ、ソリャナンデモセー」のほか、「伊勢いせなな熊野くまのさん」と「伊勢いせでもつ」のうたをあげている。

この『すめらぎ午睡ごすいはつへんと『まもりさだ謾稿』にてくる「伊勢いせ街道かいどう音頭おんど」および「小唄こうた」が、現在げんざい民謡みんようとしてうたわれる「伊勢いせ音頭おんど」の源流げんりゅうられ、民謡みんよう伊勢いせ音頭おんど」も同様どうよう歌詞かし形式けいしきで「やとこせ、よいやな、あらら、これはいせ、よいとこいせ」というあいはい[6]。「伊勢いせ街道かいどう音頭おんど」がいつのころよりこったものかあきらかではないが、文政ぶんせい5ねん(1822ねん)の序文じょぶんがある俗謡ぞくようしゅう『浮れくさ』には「国々くにぐに田舎いなかうた」のなかに、「いきおいしゅう川崎かわさきぶし」としょうして「大坂おおさかはなれてはやたまづくり かさかいなら深江ふかえ名所めいしょ ヤアトコセイヨイヤナ アリヤヽコノなんでもせへ」といううたおさめており、すくなくともこれ以前いぜんられうたわれていたのはたしかである。

伊勢いせ街道かいどう音頭おんど」は、願人坊主がんにんぼうず大道芸だいどうげいであった住吉すみよしおどにも使つかわれている。『まもりさだ謾稿』には住吉すみよしおどりについて、「其唱おおくは参宮さんぐう道中どうちゅうにてきょうざかじんうたしょ章句しょうくもちいひ…」とあり、また文政ぶんせい11ねん(1828ねん)11月、江戸えど市村いちむら上演じょうえんされた顔見世かおみせ狂言きょうげんじゅうとしはな源氏げんじがおきょう』(かわらぬはなげんじのかおみせ)のうちの一幕ひとまく栄華えいがゆめ全盛ぜんせいゆう」に住吉すみよしおどりがあり、

たかいなァやまからたにそこれば、ヤトセイヤトセイ、ふり茄子なすびの、やんれ花盛はなざかり。ヤアトコセ、ヨンヤナ、アリャリャ、コレワイナ、このなんでもせ」

という歌詞かしおど[7]。これにより文政ぶんせいころまでには、住吉すみよしおどりに「伊勢いせ街道かいどう音頭おんど」を使つかうようになっていたことがられる。現在げんざい上演じょうえんされる天保てんぽう2ねん(1831ねん)3がつ江戸えど中村なかむら初演しょえんの『六歌仙ろっかせんよういろどり』の「せん」にも、以下いか歌詞かし住吉すみよしおどりをおどるところがある。

難波江なばえかたあしむすぼれかかりアレハサ、コレハサ、とけてほぐれて逢ふごともまつにかひあるヤンレなつあめ、ヤアとこせ、よいやな、ありゃりゃ、これわいな、このなんでもせ」

伊勢いせ音頭おんどは「荷物にもつにならない伊勢いせ土産みやげ」ともいわれ、各地かくちつたわりつくえられ普及ふきゅうしたうたおどりがある。おもいわとしてまつりなどの伝統でんとう行事ぎょうじ通過つうか儀礼ぎれいせきうたわれることおおい。なお伊勢いせにはほかに「伊勢いせ道中どうちゅううた」といううたがある。「明日あしたはおちか、お名残惜なごりおしや…」とはじまるもので、「伊勢いせ街道かいどう音頭おんど」より歌詞かしなが形式けいしきことなる。歌詞かしなかの「ろくけん茶屋ちゃや」とは松坂まつさかにあった茶屋ちゃやのことである。

派生はせいした各地かくちうた

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  • 津軽つがる願人がんにんぶし - 青森あおもりけん
  • 南部なんぶたわらうた - 岩手いわてけん
  • 秋田あきた大黒おおくろまい - 秋田あきたけん
  • 三吉みよしたかし - 秋田あきたけん
  • 山形やまがた大黒おおくろまい - 山形やまがたけん
  • 花笠はながさおどうた - 山形やまがたけん
  • 鎌倉かまくら天王てんのううた - 神奈川かながわけん
  • 帆柱ほばしらおこ音頭おんど - 富山とやまけん
  • まだらぶし - 石川いしかわけん
  • しゅう音頭おんど滋賀しがけん
  • 河内かわうち音頭おんど大阪おおさか
  • 郡上ぐじょうたかし - 岐阜ぎふけん
  • 三河みかわ万歳ばんざい - 愛知あいちけん
  • 桑名くわな殿様とのさま - 三重みえけん
  • 尾鷲おわせたかし - 三重みえけん
  • 広島ひろしま木遣きや音頭おんど - 広島ひろしまけん
  • 香川かがわ伊勢いせ道中どうちゅううた - 香川かがわけん
  • まんさい - 愛媛えひめけん
  • 今治いまばり大黒おおくろまい - 愛媛えひめけん
  • 博多はかたいわうた - 福岡ふくおかけん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 名古屋なごやゆうしょ隆盛りゅうせいつたえる遊女ゆうじょやすしょほんには「川茂かわもささ川崎かわさき音頭おんど」としるされる。
  2. ^ 大野おおのけん西小路さいこうじ富士見ふじみばら競合きょうごう伊勢いせ音頭おんど成立せいりつ」〈『郷土きょうど文化ぶんか通巻つうかん233ごう名古屋なごや郷土きょうど文化ぶんかかい、2020ねん
  3. ^ 伊勢いせ音頭おんど古市ふるいち 全国ぜんこく伊勢いせ音頭おんど連絡れんらく協議きょうぎかい
  4. ^ 伊勢いせ音頭おんど 『伊勢いせ参宮さんぐう案内あんない』 日本旅行にほんりょこう協会きょうかい昭和しょうわ5ねん
  5. ^ 井上いのうえりゅうかんする文献ぶんけんなどでは、片山かたやま春子はるこ古市ふるいちの「かめおど」を参考さんこうにしたといわれており、また田中たなかみどりべにも『きょう舞踊ぶよう』(『みどりくれない叢書そうしょだいよんじゅうよん輯)で古市ふるいちの「伊勢いせ音頭おんど」のそうおどりを、「またおやまおどりかめおどりなどといます」とべているが、これら以外いがい古市ふるいちの「伊勢いせ音頭おんど」について「かめおどり」としょうしたれい見当みあたらず、「かめおどり」という言葉ことばがどこからてきたのかあきらかではない。岡田おかだ万里子まりこ京舞きょうまい井上いのうえりゅう近代きんだい日本にっぽん舞踊ぶよう夜明よあけ ―だいいちかいをどりの舞台ぶたいとその作用さよう―」(『楽劇がくげきがくだいじゅうきゅうごう 楽劇がくげき学会がっかい、2012ねん参照さんしょう
  6. ^ ちなみに伊勢いせ木遣きやり囃子はやしにも同様どうようあいはいる。
  7. ^ 舞踊ぶようげきしゅう』(『日本にっぽん戯曲ぎきょく全集ぜんしゅうだいじゅうななかん 春陽しゅんようどう、1928ねん)より。ほかに「信濃しなのなァ信濃しなのしん蕎麦そばよりも、ヨイヨイ、わたしゃおまえの、やんれがわがよい…」ともある。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 『浮れくさ』 ※文政ぶんせい5ねんうるう正月しょうがつじょ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション本文ほんぶんあり。「いきおいしゅう川崎かわさきぶし」は79コマえる。
  • 喜多川きたがわまもるさだ 『類聚るいじゅう近世きんせい風俗ふうぞくこころざし』(原名げんめいもりさだ漫稿) 更生こうせいかく書店しょてん、1934ねん ※国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション本文ほんぶんあり。119コマ住吉すみよしおどり)、425コマ伊勢いせ音頭おんど)。
  • 高野たかの辰之たつゆきへん 『日本にっぽん歌謡かよう集成しゅうせい』(まきなな) 東京とうきょうどう、1942ねん ※『二見ふたみ真砂まさご所収しょしゅう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション本文ほんぶんあり。
  • 西沢にしざわいちおおとり 『すめらぎ午睡ごすい』〈『しんぐんしょ類従るいじゅうだいいち演劇えんげき其一〉 国書刊行会こくしょかんこうかい、1976ねん復刻ふっこくばん
  • 中川なかがわ竫梵 『伊勢いせ古市ふるいち文学ぶんがく歴史れきし』 古川ふるかわ書店しょてん、1981ねん
  • 町田まちだ嘉章よしあき浅野あさのけんへん 『日本にっぽん民謡みんようしゅう』〈『ワイドばん岩波いわなみ文庫ぶんこ』245〉 岩波書店いわなみしょてん、2004ねん 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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