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暗夜あんや行路こうろ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

暗夜あんや行路こうろ』(あんやこうろ)は、志賀しが直哉なおや小説しょうせつである。雑誌ざっし改造かいぞう』に1921ねん大正たいしょう10ねん)1がつごうから8がつごうまで前編ぜんぺん1922ねん大正たいしょう11ねん)1がつごうから1937ねん昭和しょうわ12ねん)4がつごうまで断続だんぞくてき後編こうへん発表はっぴょうした。志賀しが唯一ただいち長編ちょうへん小説しょうせつで、晩年ばんねんおだやかな心境しんきょう小説しょうせつ頂点ちょうてん位置いちづけられる作品さくひんである。4構成こうせい

当初とうしょ1914ねん大正たいしょう3ねん)に『時任ときとう謙作けんさく』というだいで『東京とうきょう朝日新聞あさひしんぶん』に連載れんさいされる予定よていだったが挫折ざせつ完結かんけつまでに26年間ねんかんときようした。近代きんだい日本にっぽん文学ぶんがく代表だいひょうさくひとつで、小説しょうせつ大岡おおおか昇平しょうへいは「近代きんだい文学ぶんがく最高峰さいこうほうである」とたたえている[よう出典しゅってん]

あらすじ

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まえへん

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主人公しゅじんこう時任ときとう謙作けんさく(ときとうけんさく)は、両親りょうしんあいされた記憶きおくをほとんどたず、6さいとき祖父そふられる。ながじて、小説しょうせつとなった謙作けんさくは、幼馴染おさななじみ愛子いとしご求婚きゅうこんするが、それまで謙作けんさく好意こういてきおもわれた愛子あいこははあにきゅうべつえん談話だんわをまとめて、愛子いとしごよめにやってしまう。それ以来いらい謙作けんさく女性じょせい本気ほんきになれず、かつての祖父そふわらわ年上としうえのおさかえというおんな家事かじをまかせ、放蕩ほうとう日々ひびおくっていた。だが謙作けんさくはふとたびて、尾道おのみちうつみ、生活せいかつなおし、小説しょうせつ執筆しっぴつ専念せんねんする。尾道おのみちかれは、おさかえ結婚けっこんしたいとのぞむようになり、あに信行のぶゆき手紙てがみす。信行のぶゆきからの返信へんしんで、じつ謙作けんさく祖父そふはは不義ふぎであったことをくるしむ。くるしみをばねにして真面目まじめきようと決意けついする謙作けんさくだったが、次第しだい自堕落じだらく生活せいかつもどっていく。

こうへん

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京都きょうとうつった謙作けんさくは、直子なおこという女性じょせい見初みそめる。直子なおこ親族しんぞくみずからの出生しゅっしょう秘密ひみつけ、直子なおこ求婚きゅうこんしたところ、直子なおこ親族しんぞく謙作けんさく秘密ひみつれる。感激かんげきした謙作けんさく直子なおこ結婚けっこんし、二人ふたりおだやかな日々ひびごす。やがて、天津てんしんわたったおさかえ一文いちぶんしになり、きょうしろにいることをった謙作けんさくはおさかえるためたびるが、留守るすちゅう直子なおこ従兄じゅうけいあやまちをおかしたことでふたた苦悩くのう背負せおう。謙作けんさく直子なおこゆるすが、夫婦ふうふなかはぎくしゃくするようになり、謙作けんさく気分きぶん一新いっしんするため、鳥取とっとり大山おおやまはちすきよしいんはなれをりて別居べっきょする。大山おおやま登山とざんした謙作けんさくは、がた光景こうけいつよ感動かんどうし、すべてをゆるそうという気持きもちになるが、はちすきよしいんもどった途端とたん高熱こうねつたおれる。けた直子なおこは「たすかるにしろ、たすからぬにしろ、うさぎかく自分じぶんはこのひとはなれず、なんしょまでもこのひとしたがいてくのだ」としきりにおもうのだった。

執筆しっぴつ経緯けいい

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この小説しょうせつ志賀しが直哉なおや尾道おのみち居住きょじゅう時代じだい着手ちゃくしゅした『時任ときとう謙作けんさく』を前身ぜんしんとしている。執筆しっぴつ当初とうしょ武者小路むしゃのこうじ実篤さねあつかいして夏目なつめ漱石そうせきから東京とうきょう朝日新聞あさひしんぶん小説しょうせつ連載れんさいするよう依頼いらいされたことから、直哉なおや漱石そうせきの『こゝろ』の連載れんさい終了しゅうりょう同紙どうしにこの『時任ときとう謙作けんさく』を掲載けいさいするつもりで執筆しっぴつすすめていた。しかし、一回いっかいごとにさんなぞたせるという、連載れんさい小説しょうせつ特有とくゆうかた苦労くろうする[1]結局けっきょく直哉なおやは1914ねん大正たいしょう3ねん)のなつ[2]松江まつえから東京とうきょう漱石そうせきたく訪問ほうもんし、漱石そうせき直接ちょくせつびをれ、連載れんさい辞退じたいもうれた。

ちちとの「和解わかい、それを題材だいざいにした『和解わかい』『あるおとこ、其姉の』を発表はっぴょうしたことで、直哉なおやちちとの不和ふわ題材だいざいの『時任ときとう謙作けんさく』を執筆しっぴつする必要ひつようせい疑問ぎもんかんじ、執筆しっぴつ意欲いよくうしなう。しかし、主人公しゅじんこうじつ祖父そふであったという設定せっていと、そのことからしょうじる主人公しゅじんこう苦悩くのうというあらたな題材だいざいおもいつき、この長編ちょうへん執筆しっぴつする意欲いよくもどした[1]。そして1918ねん大正たいしょう7ねん)からよく1919ねん大正たいしょう8ねん)ごろ、『時任ときとう謙作けんさく』は『暗夜あんや行路こうろ』とあらためられたうえで、菊池きくちひろし通俗つうぞく小説しょうせつ真珠しんじゅ夫人ふじん』につづ連載れんさい作品さくひんとして大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん掲載けいさいされることが一旦いったん約束やくそくされた。ところが、直哉なおや途中とちゅうまで執筆しっぴつしたとき、同紙どうしから「なるべく調子ちょうしげ、読者どくしゃよろこばすようにいてほしい」という注文ちゅうもんてしまう。通俗つうぞく小説しょうせつのなかった直哉なおやはその注文ちゅうもんおうじることが出来できず、結局けっきょく掲載けいさい約束やくそく破棄はきされた[3][4]。その芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ一緒いっしょ活動かつどう写真しゃしんていた雑誌ざっし改造かいぞう』の記者きしゃ瀧井たきい孝作こうさく浅草あさくさ偶然ぐうぜんった直哉なおや瀧井たきいに『暗夜あんや行路こうろ連載れんさい意向いこうつたえた。これが承諾しょうだくされると、『暗夜あんや行路こうろ』は雑誌ざっし改造かいぞう』の1921ねん大正たいしょう10ねん新年しんねんごう掲載けいさいされた[5]よく1922ねん大正たいしょう11ねん)の7がつ、その「まえへん」が新潮社しんちょうしゃから出版しゅっぱんされた。「まえへん」の出版しゅっぱん、「へん」はすでに『改造かいぞう誌上しじょう連載れんさい開始かいしされていたが、直哉なおやはその執筆しっぴつ難航なんこうし、断続だんぞくてき発表はっぴょうて、1928ねん昭和しょうわ3ねん)の掲載けいさい最後さいご未完みかんのまま執筆しっぴつ中断ちゅうだんする。

我孫子あびこ志賀しが直哉なおやていあとのこ書斎しょさい。『暗夜あんや行路こうろ』の前編ぜんぺん後編こうへん大半たいはんはここで執筆しっぴつされた。

1937ねん昭和しょうわ12ねん)、改造かいぞうしゃから『志賀しが直哉なおや全集ぜんしゅう』が発行はっこうされることをきっかけに、直哉なおや中断ちゅうだんしていた『暗夜あんや行路こうろ』を完結かんけつさせることをしんめる。そして同年どうねん4がつ、『暗夜あんや行路こうろ』は『改造かいぞう誌上しじょう完結かんけつし、その「へん」が『志賀しが直哉なおや全集ぜんしゅう』のだい8かん収録しゅうろくされるかたち出版しゅっぱんされた。『時任ときとう謙作けんさく』の執筆しっぴつ開始かいしから26ねん、『改造かいぞう誌上しじょうにおける『暗夜あんや行路こうろ』の連載れんさい開始かいしから17ねんであった。

有名ゆうめいなシーン

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  • 前編ぜんぺん最後さいごには、おんな乳房ちぶささわりながら「豊年ほうねんだ!豊年ほうねんだ!」と謙作けんさくさけぶところがある。
  • 謙作けんさく大山おおやまったときのだい自然しぜん描写びょうしゃは、志賀しががこの作品さくひんすうじゅうねんまえ大山おおやまおとずれたとき記憶きおくだけでいたとわれる、日本にっぽん文学ぶんがく史上しじょう白眉はくびとされるものである。

映画えいが

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1959ねん9がつ20日はつか公開こうかい東京とうきょう映画えいが製作せいさく東宝とうほう配給はいきゅう併映へいえいは『サラリーマン十戒じっかい』(原作げんさく源氏げんじ鶏太けいた監督かんとく岩城いわき英二えいじ主演しゅえん小林こばやし桂樹けいじゅ)。

スタッフ

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キャスト

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b ぞく創作そうさく余談よだん」(改造かいぞう 1938ねん6がつ1にち)。『志賀しが直哉なおや随筆ずいひつしゅう』(岩波いわなみ文庫ぶんこ、1995ねん)に所収しょしゅう
  2. ^ 阿川あがわ弘之ひろゆき解説かいせつ」、『暗夜あんや行路こうろ こうへん』p.336、岩波いわなみ文庫ぶんこ、2004ねん
  3. ^ 阿川あがわ弘之ひろゆき解説かいせつ」、『暗夜あんや行路こうろ こうへん』p.337、岩波いわなみ文庫ぶんこ、2004ねん
  4. ^ 貴田きだしょう志賀しが直哉なおや映画えいがく―エジソンから小津おつやすろうまでおとこ』pp.218-219、朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん朝日あさひ選書せんしょ〉、2015ねん
  5. ^ 阿川あがわ弘之ひろゆき解説かいせつ」、『暗夜あんや行路こうろ こうへん』p.338、岩波いわなみ文庫ぶんこ、2004ねん