かず太鼓たいこ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
しめ太鼓たいこから転送てんそう
かず太鼓たいこ演奏えんそう

かず太鼓たいこ(わだいこ)は、打楽器だがっきのひとつ。日本にっぽん伝統でんとうてき太鼓たいこ総称そうしょうでできたどうかわり、それを振動しんどうさせておとすものである。

古代こだいから祭礼さいれい神社じんじゃ仏閣ぶっかくにおける儀式ぎしきとう使用しようされてきた。芸能げいのう分野ぶんやでは田楽でんがく猿楽さるがく神楽かぐら民俗みんぞく芸能げいのう、さらに中世ちゅうせい以降いこう雅楽ががく能楽のうがく歌舞伎かぶき念仏ねんぶつおどなどの楽器がっきとしてもちいられてきた[1]。また、天智天皇てんぢてんのうつくらせたとつたわる「太鼓たいこ」やぜんきゅうねんやく絵巻えまきにみられる陣太鼓じんだいこのようにふるくから信号しんごうとしてももちいられてきた[1]

(ばち)でたたくものを太鼓たいこび、たたくものは(つづみ)とばれる。

おおきさによって、おおまかにだい太鼓たいこちゅう太鼓たいこ小太鼓こだいこけられる[2][3]

太鼓たいこ構造こうぞう[編集へんしゅう]

代表だいひょうてき太鼓たいこ構造こうぞうは、くりぬきどうか、がた側板そくばんたが(たが)でめたゆいおけ構造こうぞうである[3]

どうざい[編集へんしゅう]

しめ太鼓たいこどう

輪切わぎりにした木材もくざい内部ないぶをくりいてどうにするちょうどう太鼓たいこ原木げんぼくにはケヤキクスノキなどの広葉樹こうようじゅもちいる[1]。ただし、国産こくさん原料げんりょう不足ふそくのためシオジセン主流しゅりゅう、また海外かいがいからはカリンナラなどのかた木材もくざいもちいる。

かわめん[編集へんしゅう]

ちょうどう太鼓たいこにはめすうしかわもちいることがおお[1]

うしかわ(メスはきぬ、オスまたはホルスタイン木綿こわたたとえる)をびょうひもターンバックル金具かなぐとうりとめてつくられ、(ばち)とばれるぼうかわたたいて演奏えんそうされる。かわには基本きほんてきすうかい出産しゅっさん雌牛めうし最良さいりょうとされるが、おおきなものでは、うしかわ利用りようされることもある。

太鼓たいこ形式けいしき[編集へんしゅう]

ちょうどう太鼓たいこみや太鼓たいこ
一木いちきづくりで原木げんぼく輪切わぎりにして内部ないぶをくりぬいたどう太鼓たいこ[1]かわどうびょうもちいてめられている(びょう太鼓たいこ)ことがおおい。めんともええがいたものもある[1]おな形式けいしき太鼓たいこそうにあり、これが日本にっぽん伝来でんらいして江戸えど時代じだい普及ふきゅうした[1]太鼓たいこ演奏えんそうでは中心ちゅうしんてき楽器がっきとなるほか、相撲すもうのふれ太鼓だいこ歌舞伎かぶき下座げざ音楽おんがくまつり囃子ばやしもちいる[1]
江戸えど中心ちゅうしんとした関東かんとうでは、より小型こがた囃子はやし太鼓たいこおおもちいられた[4]関東かんとうではお囃子はやし太鼓たいこ1つにしめ太鼓たいこ2つとかね1つをわせたものをすわって形式けいしきのものをもちいることがおお[1]
また、ちょうどう太鼓たいこ素材そざい構造こうぞうおなじものにひら太鼓たいこがある[1]どうの3かしょてつたまきけて方形ほうけいわくげた構造こうぞうで、銅鑼どらていることから銅鑼どら太鼓たいこともばれる[1]おも演芸えんげいじょうなどで下座げざものとしてもちいられてきた全長ぜんちょうみじか扁平へんぺい太鼓たいこは「たいらひとし太鼓たいこ」ということがある[5]
おけどう太鼓たいこ
たてられたいたせて円形えんけいにしてどうをつくったもの。低音ていおん音響おんきょうだいひのきサワラなどでどうつくられ、比較的ひかくてきかるいのが特徴とくちょうである。ひもめのものが主流しゅりゅうである(ページ上部じょうぶ写真しゃしんおくめんえている太鼓たいこ右側みぎがわがこれにあたる)。
しめ太鼓たいこ
能楽のうがく長唄ながうたもちいるしめ太鼓たいこ起源きげんとする太鼓たいこ[1]ちょうどう太鼓たいこよりもかわあつりもつよ[1]鉄輪てつりんかわけてロープやボルトけた構造こうぞうで、具合ぐあいつよいほど高音こうおんとなる[1]歌舞伎かぶき民謡みんよう三味線しゃみせんとうもちいられたり、リズムをるために利用りようされることがおおい。
雅楽ががく太鼓たいこらく太鼓たいこ
雅楽ががくもちいる中央ちゅうおうふくらんだびょう太鼓たいこで、だいというたいづけわくけられている[1]
団扇太鼓うちわだいこ
円形えんけいわくに1まいまくった太鼓たいこである。法華宗ほっけしゅう日蓮宗にちれんしゅう唱題するときにもちいる。

[編集へんしゅう]

下座げざ音楽おんがくではばち表記ひょうきする。桴の材質ざいしつは、かたい桴にはかしけやき使つかわれ、やわらかい桴にはひのきすぎもみ使つかわれる[6]太鼓たいこおどのような民俗みんぞく芸能げいのうでは、たけやなぎちょう桴を使つかうこともある。

桴はたん太鼓たいこかわたたくための太鼓たいこ付属ふぞくひんではなく、太鼓たいこえんや桴同士どうしはたわせておとす、一種いっしゅ打楽器だがっきである[6]

奏法そうほう[編集へんしゅう]

支持しじ方法ほうほう[編集へんしゅう]

かず太鼓たいこ支持しじ方法ほうほうには、補助ほじょ器具きぐもちいないちょくおけがたまたは手持てもちがたたいなどに固定こていする設置せっちがたつりがたがある[7]

移動いどう可能かのう太鼓たいこ場合ばあい片手かたて携帯けいたいがた身体しんたいひも固定こていがたぼうかつがた台車だいしゃせる曳太鼓たいこがた山車だし屋台やたい固定こていして移動いどうする曳山ひきやまがただい人数にんずうかついで移動いどうする舁山がた(かきやまがた)がある[7]

発音はつおん方法ほうほう[編集へんしゅう]

かず太鼓たいこ発音はつおん方法ほうほうには、直接ちょくせつ手打てうち片手かたて一本いっぽんバチ、両手りょうてほんバチがある[7]

演奏えんそう姿勢しせい[編集へんしゅう]

かず太鼓たいこめん角度かくど水平すいへい垂直すいちょくななめ(きゅうまたはなる)にけられる[7]

  • 小型こがた太鼓たいこ場合ばあい、あぐらがた正座せいざがたたてそうがたなどがある[7]
  • 中型ちゅうがた太鼓たいこ場合ばあいはさがたひらきあし低位ていいがたひらき脚立きゃたつそうがたたてそうがたなどがある[7]
  • 大型おおがた太鼓たいこ場合ばあいひらき脚立きゃたつそうがた腰掛こしかけがたなどがある[7]

移動いどう可能かのう太鼓たいこ場合ばあい片手かたて携帯けいたいがた身体しんたいひも固定こていがたぼうかつがた台車だいしゃせる曳太鼓たいこがた山車だし屋台やたい固定こていして移動いどうする曳山ひきやまがただい人数にんずうかついで移動いどうする舁山がた(かきやまがた)がある[7]

奏者そうしゃ太鼓たいこかずによる分類ぶんるい[編集へんしゅう]

  • 単式たんしき単打たんだほう: 1人ひとり奏者そうしゃ1個いっこ太鼓たいこ演奏えんそうする。
  • 単式たんしきふくほう: 1人ひとり奏者そうしゃ複数ふくすう太鼓たいこ演奏えんそうする。大小だいしょう太鼓たいこしめ太鼓たいこなどを使つかけることにより、音色ねいろ変化へんか表現ひょうげんできる。
  • 複式ふくしき単打たんだほう: 複数ふくすう奏者そうしゃ1個いっこ太鼓たいこ演奏えんそうする。太鼓たいこ両面りょうめん、または大型おおがた太鼓たいこもちいられる。
  • 複式ふくしきふくほう: 複数ふくすう奏者そうしゃ複数ふくすう太鼓たいこ演奏えんそうする。複数ふくすうことなる太鼓たいこ複数ふくすう奏者そうしゃ使つかけられることにより、集団しゅうだん大胆だいたん音色ねいろ変化へんか表現ひょうげんできる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

打楽器だがっき歴史れきしふるく、日本にっぽんでの太鼓たいこ歴史れきし紀元前きげんぜん500ねんごろさかのぼ[1]

日本にっぽん神話しんわ天岩戸あまのいわと場面ばめんでもおけせておとらしたとつたえられている。長野ながのけん茅野ちのにあるとんがいし遺跡いせきでは、かわって太鼓たいことして使用しようされていたのではないかと推定すいていされる土器どき(ゆうあなつばづけ土器どき)も出土しゅつどしている。群馬ぐんまけん佐波さばぐんさかいまち前橋まえばし天神山てんじんやま古墳こふんから「太鼓たいこ人物じんぶつ埴輪はにわぞう出土しゅつどし、古墳こふん時代じだい(3世紀せいきまつから6世紀せいき)には日本にっぽん太鼓たいこ存在そんざいしていたことがわかっている[8][9][1]

中世ちゅうせいはいると、田楽でんがくなどの発達はったつなどによってお囃子はやし太鼓たいこ隆盛りゅうせいした。戦国せんごく時代じだいになると、戦国せんごく大名だいみょういたる自軍じぐん統率とうそつをとるために太鼓たいこ利用りようした陣太鼓じんだいこ[10]武田たけだ信玄しんげん諏訪すわ太鼓たいこ21にんしゅとう)がおこる。

江戸えど時代じだいには祭礼さいれい行事ぎょうじ伴奏ばんそうとしての太鼓たいこ演奏えんそうのほかに、太鼓たいこきがあつまって太鼓たいこつ「のらち」などもおこなわれ、昭和しょうわ初期しょき(1930年代ねんだい)には太鼓たいこ技術ぎじゅつげいきそ太鼓たいこ競技きょうぎかいなどもあらわれた[11]。1943ねんには小倉こくら祇園ぎおん太鼓たいこ登場とうじょうする映画えいが無法むほうまつ一生いっしょう』がヒットし、クライマックスの太鼓たいこちシーンが人々ひとびとつよ印象いんしょうのこし、そのなんもリメイクされるほど人気にんきはくした。また、温泉おんせんなどで観光かんこうきゃくけに地元じもと太鼓たいこ披露ひろうするようにもなった[11]だい大戦たいせんの1951ねんに、明治めいじ時代じだい途絶とだえていた諏訪すわ太鼓たいこ小口おぐち大八だいはちによって復元ふくげんされたさいに、多数たすう太鼓たいこだけで演奏えんそうするくみ太鼓たいこスタイルが考案こうあんされ、1970年代ねんだい以降いこう創作そうさく太鼓たいこおに太鼓たいこつづみわらわといったプロのくみ太鼓たいこ集団しゅうだん出現しゅつげん流行りゅうこうをきっかけとして、各地かくちにアマチュアの太鼓たいこグループが無数むすう誕生たんじょうし、バブルふるさとそうせいいちおくえん事業じぎょうたからくじ助成じょせいきんなどの経済けいざいてき支援しえん背景はいけいに、まちおこしや青少年せいしょうねん育成いくせいなどに太鼓たいこもちいられる一方いっぽうかず太鼓たいこ集団しゅうだん海外かいがい公演こうえんつうじて欧米おうべいをはじめとする世界中せかいじゅうられるにいたった[9][11]

芸能げいのう音楽おんがくとしての太鼓たいこ[編集へんしゅう]

文化ぶんか交流こうりゅう一環いっかんとして、外国がいこくぐんまえ太鼓たいこ演奏えんそう披露ひろうする陸上りくじょう自衛じえいかん
舞楽ぶがく「抜頭」の演奏えんそうひだりおくらく太鼓たいこられる

雅楽ががく[編集へんしゅう]

雅楽ががくでは管弦かんげんもちいるらく太鼓たいこと、舞楽ぶがくもちいるだい太鼓たいこ(だだいこ)とがある[12]舞台ぶたい正面しょうめんかまえられる。楽節がくせつわりごとに太鼓たいこいちげきはいり、楽曲がっきょく全体ぜんたい統率とうそつする重要じゅうよう要素ようそである。また支柱しちゅううるしりをはじめ本体ほんたいにもいろとりどりの装飾そうしょくほどこされている。外側そとがわ朱色しゅいろ火炎かえんいていることから、火焔かえん太鼓たいこともばれる。

神道しんとうではふるくから太鼓たいこおおもちいられた。神楽かぐら囃子はやし)などにその一端いったんられる。単体たんたいでの演奏えんそうほか篠笛しのぶえなどとわせる演奏えんそうおおられる。仏教ぶっきょうでは、法華宗ほっけしゅう日蓮宗にちれんしゅう団扇太鼓うちわだいこ以外いがいでは、真言宗しんごんしゅうなどで、護摩ごまきのとき般若心経はんにゃしんぎょうなどの読経どきょう太鼓たいこ使つかう(法楽ほうらく太鼓たいこは、もっぱら木魚もくぎょ法華宗ほっけしゅう日蓮宗にちれんしゅうではまさき)とすず使つかわれるが、だい規模きぼ行事ぎょうじには銅鑼どら鉦鼓しょうこなどと一緒いっしょ太鼓たいこもちいられる。

このほか仏教ぶっきょう神道しんとう境界きょうかい曖昧あいまいである農村のうそん信仰しんこうとして、田楽でんがくイタコ口寄くちよせ(交霊こうれい)にも太鼓たいこ使つかわれることがおおい。

歌舞伎かぶき[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだい歌舞伎かぶき隆盛りゅうせいすると、下座げざ音楽おんがく使つかわれ、効果こうかおんとしてれられた。下座げざ音楽おんがくにおける太鼓たいこ使用しよう方法ほうほうは、かたによって表現ひょうげんする情景じょうけい高度こうど体系たいけいされている。たとえばほそめの桴でこまかくたたくとあめおとぬのいた桴でよわやわらかいおとひくひびかせるとゆきおと、それらの合間あいまべつの桴を水平すいへいて、めんふるえをひろってビリビリというおとをたてるとかみなり雪崩なだれおと表現ひょうげんするといった具合ぐあいである。また幽霊ゆうれい出現しゅつげんなど、本来ほんらいありえない音響おんきょう抽象ちゅうしょうてき表現ひょうげんする場合ばあいにももちいられる。

くみ太鼓たいこ[編集へんしゅう]

戦後せんごになってから、長野ながのけん諏訪すわ太鼓たいこジャズドラム参考さんこうにして、大小だいしょう太鼓たいこドラムセットのようにわせた「くみ太鼓たいこ形式けいしき開発かいはつした[13]音程おんていがある楽器がっき基本きほんてき使つかわない複式ふくしきふくほうくみ太鼓たいこ誕生たんじょうした。

あたらしい太鼓たいこ時代じだい到来とうらいまつ太鼓たいこから舞台ぶたい演奏えんそうへ)[編集へんしゅう]

創作そうさく太鼓たいこ隆盛りゅうせい時代じだい[編集へんしゅう]

舞台ぶたい興行こうぎょう太鼓たいこ誕生たんじょう[編集へんしゅう]

1950ねん昭和しょうわ25ねん)、日本にっぽんはじめて舞台ぶたい興行こうぎょう目的もくてきとした「福井ふくい豊年とよとし太鼓たいこみどりかい」(福井ふくいけん福井ふくい勝見かつみ地区ちく)がまれた。太鼓たいこのみならず、芸能げいのうてき要素ようそ多分たぶんそなえ、2009ねん7がつ現在げんざい発足ほっそくのメンバーが福井ふくい市内しないに2めい斉藤さいとう茂雄しげお岡口おかぐちいち健在けんざいで、いま現役げんえき太鼓たいこ奏者そうしゃである。(関連かんれん人物じんぶつ高山たかやま正行まさゆき

プロ太鼓たいこ集団しゅうだん誕生たんじょう[編集へんしゅう]

活動かつどう期間きかんが9かげつあいだという短期間たんきかん解散かいさんしてしまった「王将おうしょう太鼓たいこ」が日本にっぽんはつのプロ太鼓たいこ集団しゅうだん。「王将おうしょう太鼓たいこ」は、1966ねん昭和しょうわ41ねん)2がつ22にち大阪おおさか浪速なにわしん世界せかいで、高山たかやま正行まさゆき中心ちゅうしんとして誕生たんじょうした。太鼓たいこかいはじめて大手おおて芸能げいのうプロダクションが運営うんえいたずさわった。しかし、同年どうねん11がつ解散かいさん、9かげつあいだ活動かつどうというまぼろし太鼓たいこチームでわった。その、1968ねん昭和しょうわ43ねん)に東京とうきょうで「じょろく太鼓たいこ」が結成けっせいされ、2016ねん現在げんざいつづいている。

1971ねん昭和しょうわ46ねん)、高山たかやま正行まさゆき指導しどうのもと、田耕たすきが「おに太鼓たいこ」(おんでこざ)を創設そうせつ長距離ちょうきょりはしをトレーニングにれることを特色とくしょくとしたこの団体だんたいは、ボストンマラソン完走かんそうしてそのまま舞台ぶたいがり演奏えんそうするというデビューをかざり、注目ちゅうもくあつめた。おりからの日本にっぽん現代げんだい音楽おんがくにおける邦楽ほうがくブーム(1960年代ねんだい後半こうはんから1970年代ねんだい前半ぜんはん)もあり、おに太鼓たいこのためにかれた石井いしい眞木まき作曲さっきょくの『モノクローム』『モノプリズム』をはじ現代げんだい音楽おんがく積極せっきょくてきかかわる。しかし座長ざちょう田耕たすき団員だんいんとの分裂ぶんれつにより、おに太鼓たいこたもとけたしん団体だんたいつづみわらわ」が1981ねん発足ほっそくした。りょう団体だんたいは2016ねん現在げんざい並立へいりつして現存げんそんしている。

太鼓たいこ関連かんれんする慣用かんよう[編集へんしゅう]

くらべて太鼓たいこ馴染なじみのふか打楽器だがっきであり、太鼓たいこというかたり打楽器だがっき代名詞だいめいしとしても使用しようされる。

太鼓たいこ
今川いまがわ呼称こしょうのひとつで、そのかたちからばれるようになったもの。
太鼓腹たいこばら
中年ちゅうねんふとはら太鼓たいこふくらんだどう見立みたてた呼称こしょう

海外かいがいにおける太鼓たいこ[編集へんしゅう]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは日系にっけいじんおお西海岸にしかいがん中心ちゅうしんに1960年代ねんだいまつ日系にっけいコミュニティのまつりなどで演奏えんそうされるようになった[14]人種じんしゅ差別さべつだい大戦たいせんなか強制きょうせい収容しゅうようなどによって民族みんぞくてきほこりをきずつけられ、心理しんりてき苦難くなんみちあゆんでいた日系にっけいじん若者わかものにとってかず太鼓たいこはプライドや自己じこ表現ひょうげんのツールとなったほか、「しずかで従順じゅうじゅん」といった北米ほくべいにおけるアジアけい女性じょせいのステレオタイプにたいする対抗たいこうてき言説げんせつや、はん人種じんしゅ差別さべつはん同性愛どうせいあい差別さべつなどの政治せいじてきメッセージをふくむこともあった[14]北米ほくべいにおける太鼓たいこ普及ふきゅう貢献こうけんしたパイオニアとしては、1967ねん渡米とべいした戦後せんご移民いみん田中たなか誠一せいいち諏訪すわ太鼓たいこ大江戸おおえどすけろく太鼓たいこわせてはじめた「サンフランシスコ太鼓たいこ道場どうじょう」、ロサンゼルス洗心せんしんてらぼん太鼓たいこをもとにはじめた日系にっけいアメリカじんによる最初さいしょ太鼓たいこチーム「緊那(きんなら)太鼓たいこ」、仏教ぶっきょう青年せいねんかい日系にっけいさんせい中心ちゅうしん様々さまざま音楽おんがくてき伝統でんとう加味かみしてはじめた「サンノゼ太鼓たいこ」があり、いずれも1970ねん前後ぜんこう結成けっせいされ、それぞれことなった特色とくしょくあじとした[14]。サンフランシスコ太鼓たいこ田中たなか日本人にっぽんじんがいおどりだけのしずかなまつり物足ものたりなくおもい、ようまねで太鼓たいこ披露ひろうしたところ日系にっけいいちせい老人ろうじんたちが非常ひじょうよろこんだことに感激かんげきし、日米にちべいして太鼓たいこならい、太鼓たいこむなどして太鼓たいこ普及ふきゅう尽力じんりょくした[15]。1975ねんにはおに太鼓たいこボストン・マラソン完走かんそうゴールでだい太鼓たいこつというパフォーマンスで一躍いちやく有名ゆうめいになり、1981ねん結成けっせいされたつづみわらわとともに海外かいがい人気にんきあつめ、北米ほくべい太鼓たいこシーンに影響えいきょうあたえた[14]

1990年代ねんだい以降いこう太鼓たいこ人気にんき北米ほくべい各地かくちひろがり、グループのかず急激きゅうげきえるにつれて日系にっけいじんコミュニティとは直接ちょくせつかかわりをたないグループもおおくなり、1997ねんにはロサンゼルスでだいいちかいの「北米ほくべい太鼓たいこコンファレンス」が開催かいさいされた[14]どうかいはその隔年かくねんイベントとして続行ぞっこうし、2005ねんにはロサンゼルス全米ぜんべい日系にっけいじん博物館はくぶつかん太鼓たいこかんする展覧てんらんかい開催かいさいされた[14]おおくの大学だいがく太鼓たいこチームが結成けっせいされはじめ、2007ねんからは大学だいがく太鼓たいこチームの交流こうりゅう大会たいかいIntercollegiate Taiko Invitationalも開催かいさいされており、2011ねん北米ほくべい太鼓たいこチームは300をえるとわれる[16]

北米ほくべい以外いがいでも、かず太鼓たいこ南米なんべい、ヨーロッパ、アジアのほか国々くにぐになど、世界せかい複数ふくすう地域ちいき人気にんきはくはじめ、かく地域ちいき結成けっせいされる太鼓たいこグループがえつつある[14]フランスでは1975ねんおに太鼓たいこピエール・カルダン劇場げきじょうはつ公演こうえんしたさい観客かんきゃく衝撃しょうげきあたえるためにカルダンの助言じょげんはだかまつふんどし姿すがただい太鼓たいこつことになり、伝統でんとうてきにはふんどし姿すがた太鼓たいこ習慣しゅうかんはなかったが、このパリ公演こうえん反響はんきょうおおきかったことから舞台ぶたい衣装いしょうとしてふんどし着用ちゃくようされるようになった[17]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 日本にっぽん太鼓たいこ世界せかいのドラム 展示てんじひん解説かいせつしょ”. あいそう町立ちょうりつ歴史れきし文化ぶんか博物館はくぶつかん. 2023ねん10がつ3にち閲覧えつらん
  2. ^ 松本まつもと晴子はるこ地域ちいき芸能げいのうとしての創作そうさく太鼓たいこ―《みやぎ龍神りゅうじん太鼓たいこ》を事例じれいとして―」『宮城學院女子大學みやぎがくいんじょしだいがく研究けんきゅうろん文集ぶんしゅうだい120かん宮城学院女子大学みやぎがくいんじょしだいがく紀要きよう編集へんしゅう委員いいんかい、2015ねん6がつ30にち、1-15ぺーじdoi:10.20641/00000159 
  3. ^ a b 鈴木すずき伸英のぶひで宮内みやうちあきら綴子つづりこ神社じんじゃ綴子つづりこだい太鼓たいこまつり」と太鼓たいこ考察こうさつ」『日本にっぽんデザイン学会がっかい研究けんきゅう発表はっぴょう大会たいかい概要がいようしゅうだい45かん日本にっぽんデザイン学会がっかい、1998ねん、12-13ぺーじdoi:10.11247/jssd.45.0_12 
  4. ^ 「たいころじい」編集へんしゅう 1995, p. 19.
  5. ^ 「たいころじい」編集へんしゅう 1995, p. 17.
  6. ^ a b 「たいころじい」編集へんしゅう 1995, p. 41.
  7. ^ a b c d e f g h 鈴木すずき伸英のぶひで宮内みやうちあきら太鼓たいこ演奏えんそう形式けいしき体系たいけい」『日本にっぽんデザイン学会がっかい研究けんきゅう発表はっぴょう大会たいかい概要がいようしゅうだい45かん日本にっぽんデザイン学会がっかい、1999ねん、80-81ぺーじdoi:10.11247/jssd.46.0_80 
  8. ^ 埴輪はにわ 太鼓たいこをたたく男子だんし東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん
  9. ^ a b 濱口はまぐちひかりふとし, 「小学校しょうがっこうにおける太鼓たいこ学習がくしゅう (PDF)皇學館大学こうがくかんだいがく平成へいせい19ねん
  10. ^ "陣太鼓じんだいこ". デジタル大辞泉だいじせん. コトバンクより。
  11. ^ a b c 西島にししま千尋ちひろだい2 フィールドワークから」『金沢かなざわ大学だいがくちゅう無形むけい文化ぶんか遺産いさんプロジェクト報告ほうこくしょだい15かん、2011ねん3がつ、33-164ぺーじhdl:2297/28209ISSN 1882-6180 
  12. ^ 打楽器だがっき種類しゅるい”. 独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん日本にっぽん芸術げいじゅつ文化ぶんか振興しんこうかい. 2016ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  13. ^ 「たいころじい」編集へんしゅう 1995, p. 15.
  14. ^ a b c d e f g 和泉いずみ真澄ますみ「アメリカにおける太鼓たいこ起源きげん発展はってん : 「日本にっぽん文化ぶんか移植いしょくみっつの類型るいけい」『言語げんご文化ぶんかだい11かんだい2ごう同志社大学どうししゃだいがく言語げんご文化ぶんか学会がっかい、2008ねん12月、139-168[含 英語えいごぶん要旨ようし]、doi:10.14988/pa.2017.0000011522ISSN 13441418NAID 110007027471 
  15. ^ インタビュー 田中たなか誠一せいいち ディスカバー・ニッケイ、2005ねん1がつ27にち
  16. ^ 神谷かみやひろしおっと北米ほくべいベイエリアの太鼓たいこ」『人文じんぶん地理ちり学会がっかい大会たいかい 研究けんきゅう発表はっぴょう要旨ようし』2009ねん 人文じんぶん地理ちり学会がっかい大会たいかいセッションID: 509、人文じんぶん地理ちり学会がっかい、2009ねん、67-67ぺーじdoi:10.11518/hgeog.2009.0.67.0NAID 130004596717 
  17. ^ Bender, Shawn Morgan (2012). “The European Gaze and the Japanese fundoshi”. Taiko Boom: Japanese Drumming in Place and Motion. University of California Press. p. 91. https://books.google.co.jp/books?id=-ne8y-7kzYYC&pg=PA91 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 「たいころじい」編集へんしゅう太鼓たいこがわかるほんじゅうがつしゃ、1995ねんISBN 4915665429 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]