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くらやみさい

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神輿しんよ渡御とぎょ
鳥居とりいをくぐるだい太鼓たいこ

暗闇くらやみまつ(くらやみまつり)は、4がつ30にち5月6にちにかけて東京とうきょう府中ふちゅう大國たいこくたましい神社じんじゃ武蔵むさしこく国府こくふである当地とうち総社そうじゃ)でおこなわれるれい大祭たいさいで、武蔵むさしこくの「国府こくふさい」を起源きげんとしており[1]東京とうきょう指定してい無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざいとなっている。

期間きかんちゅうやく70まんにん人出ひとでにぎわう[2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

ふる武蔵むさしこく国府こくふおこなわれた国府こくふさい由来ゆらいとする、なが伝統でんとう格式かくしきほこ大國たいこくたましい神社じんじゃの「れい大祭たいさい」である。室町むろまち時代ときよ文書ぶんしょには「がつかい」と記録きろくがあり、江戸えどなかから見物人けんぶつにんおおおとずれていた。そのは、地域ちいき住民じゅうみん祭礼さいれいへと発展はってんしていった。

かつてまちかりをした深夜しんや暗闇くらやみなかおこなわれていたため「くらやみさい」とばれるようになった。「江戸えど名所めいしょ図会ずえ」という江戸えど時代じだい観光かんこう案内あんないにおいては、江戸えど近郊きんこう盛大せいだいつづけられているふるまつりとして紹介しょうかいされ「がつにちろくしょみや祭礼さいれい」が掲載けいさいされている。また、幕末ばくまつ来日らいにちしたスイス外交がいこうかんアンベールはくらやみまつりの詳細しょうさい記録きろくのこしており、「LA MATSOURI DE ROKSA-MIA:RETOUR TEMPLE APRES LA PURIFICATION DES LIEUX SACRES」にはまつりのイラストが掲載けいさいされている

府中ふちゅう中心ちゅうしんろくはりものだい太鼓たいこはち神輿しんよまわ壮大そうだいまつりとしてられている。

格式かくしき伝統でんとう[編集へんしゅう]

くらやみまつりは古来こらいからつづ格式かくしき伝統でんとう垣間かいまみることのできる、国府こくふさい起源きげんとするれい大祭たいさいである。大國たいこくたましい神社じんじゃ東京とうきょう都区とくにある主要しゅよう神社じんじゃ仏閣ぶっかくおおくは徳川とくがわ家康いえやす江戸えど開府かいふ建立こんりゅうまたは移築いちくされた)よりはるかにふる歴史れきし格式かくしきち、れい大祭たいさい時代じだい変革へんかくとともに変貌へんぼうげつつも、いま古式こしきのっとった行事ぎょうじ厳粛げんしゅくおこなわれている。

まつりが暗闇くらやみおこなわれる理由りゆうは、とうといものをことゆるされないという古来こらいから存在そんざいする儀礼ぎれい起因きいんし、神聖しんせい御霊みたま神社じんじゃから神輿しんようつ御旅所おたびしょ渡御とぎょするのは人目ひとめれることのない暗闇くらやみでなければならないという神事しんじ伝統でんとうがそのまま現代げんだいまでがれているためである。

徳川とくがわ幕府ばくふ江戸えど時代じだいには現在げんざいよう神幸しんこうかたちになったようで、神輿しんよ渡御とぎょ午後ごご11ごろ開始かいしされ、翌日よくじつ午前ごぜん3〜4ごろ神社じんじゃもどったというが、1959ねん昭和しょうわ34ねん)に午後ごご4渡御とぎょ開始かいし翌日よくじつ午前ごぜん4還御かんぎょ開始かいしあらためられた。その2003ねん平成へいせい15ねん)に午後ごご6渡御とぎょ開始かいしとなるなど、時代じだい背景はいけいおうじて柔軟じゅうなん変化へんかしている。

かつてはれい大祭たいさい期間きかんちゅうにおける東京競馬場とうきょうけいばじょう府中ふちゅう競馬けいばじょう)でのレースについて、JRA警察けいさつなどの要望ようぼうもあり警備けいびじょう重複じゅうふくによる混乱こんらんけて自粛じしゅくしていたが、前述ぜんじゅつのように2003ねんより渡御とぎょ開始かいし午後ごご6変更へんこうとなりレース時間じかんおもならなくなったため、以降いこう開催かいさいされるようになっている[ちゅう 1]

山車だしおこなわれる府中ふちゅう囃子ばやし目黒めぐろりゅう船橋ふなばしりゅう)は、府中ふちゅうの「郷土きょうど芸能げいのう」となっている。またとうまつり2010ねん平成へいせい22ねん)、「武蔵むさし府中ふちゅう(むさしふちゅう)のくらやみさい(まつり)」として東京とうきょう無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい風俗ふうぞく慣習かんしゅう)に指定していされている[3]

神事しんじ行事ぎょうじ内容ないよう[編集へんしゅう]

4がつ30にち[編集へんしゅう]

品川しながわ海上かいじょう禊祓みそぎはらいしき
午後ごご1 神職しんしょくおよところやくしおもり講中こうじゅう世話せわにより、荏原えばら神社じんじゃ(東京とうきょう品川しながわ)から品川しながわみなと(現在げんざい品川しながわおき)におもむしゅくち海水かいすいきよめ、海水かいすいたるにいれてかえる。大祭たいさい期間きかんちゅう朝夕ちょうせき潔斎けっさいにこの海水かいすい使用しようする(汐汲しおくみ・おはまり)。このさいふるくから品川しながわみち利用りようする[4]

5月1にち[編集へんしゅう]

いのりはれさい
午前ごぜん9 大祭たいさい期間きかんちゅう晴天せいてん安全あんぜん祈願きがんする。

5月2にち[編集へんしゅう]

御鏡おかがみすりしき
午後ごご7時半じはん 拝殿はいでんじたのち神輿しんよにとりつけるかがみ野口のぐち堀江ほりえりょうが、海水かいすいもちいてしおみがいてきよめる。※現在げんざいはこのかがみ神輿しんよにはけず本殿ほんでんおさめる。

5月3にち[編集へんしゅう]

神輿しんよふとしつづみ準備じゅんび
午前ごぜん8ごろ 宝物殿ほうもつでんより、輿こし本殿ほんでんぜん所定しょていのお仮屋かりやおさめ、ふとしつづみかく町内ちょうないはこばれる。
府中ふちゅう囃子ばやし競演きょうえんかい
午後ごご6午後ごご8 馬場ばば大門おおもんけやき並木なみきかくまち山車だしならび、はやしてる。
競馬けいばしきこまくらべ)
午後ごご8 6とううまが、きゅう甲州こうしゅう街道かいどうを3往復おうふくする。騎手きしゅ烏帽子えぼし直垂ひたたれ姿すがた騎乗きじょう。そのむかし武蔵むさし国府こくふ周辺しゅうへんでは良質りょうしつ牧場ぼくじょうおおくあり、駿馬しゅんめりょう生産せいさんするようになった。武蔵むさし国府こくふ国司こくし朝廷ちょうていとき幕府ばくふ献上けんじょうするために、りょう府中ふちゅうあつ馬場ばばはしらせ検閲けんえつうえ選定せんていしていた。その行事ぎょうじ現在げんざい競馬けいばしきこまくらべ)とし、やくせんねん以上いじょうつづけられている古式こしきとされる。※6とうては2007ねん平成へいせい19ねん)からで、それまでは4とうよんまちよりかく1とう)であった。

5月4にち[編集へんしゅう]

つなさい
午前ごぜん9 神輿しんよ御霊みたまうつ準備じゅんびとして、神輿しんよささ海水かいすいもちいておはらいをし、かざつなける。
まんとう大会たいかい
午後ごご12時半じはん 市内しないかくまち青年せいねん制作せいさくしたはなまんとううつくしさをきそう。
子供こども御輿みこしはら
午後ごご1時半じはん 市内しないかく町内ちょうない子供こども御輿みこし拝殿はいでんまえあつまり、おはらいをける。
山車だし行列ぎょうれつ
午後ごご6午後ごご9 市内しないかくまち山車だし大鳥居おおとりい中心ちゅうしんきゅう甲州こうしゅう街道かいどう東西とうざい巡行じゅんこうする。

5月5にちれい大祭たいさい[編集へんしゅう]

れい大祭たいさい
午前ごぜん10午後ごご12 拝殿はいでんおこなわれる、もっと重要じゅうよう祭儀さいぎ
みちきよ
午後ごご1時半じはん参道さんどうから御旅所おたびしょまで、神輿しんよ太鼓たいことおみちをササラをにした行列ぎょうれつ交互こうご地面じめんはたきながらおはらいしてすすむ。
みや乃咩神社じんじゃ奉幣ほうへい
午後ごご2 境内けいだい摂社せっしゃみや乃咩神社じんじゃにて奉幣ほうへい
かく神輿しんよ
午後ごご2時半じはん午後ごご3仮屋かりやかれたかく神輿しんよ動座どうざさいけて本殿ほんでんまえならべる。
かく太鼓たいこおく
午後ごご2時半じはん午後ごご3 6はりだい太鼓たいこ太鼓たいこ講中こうじゅう町内ちょうない神社じんじゃまでおくむ。
かく太鼓たいこ
午後ごご3時半じはん 動座どうざさい御霊みたま遷のまえふとしつづみらすのをめ、静寂しじまむ。
催促さいそく
午後ごご3時半じはん 細谷ほそや浦野うらの両氏りょうしにより神前しんぜんへのそなもの調理ちょうり催促さいそくする儀式ぎしき過去かこ催促さいそくを75かいかえしたが、のちに3かいへと変更へんこうとなった。
しおもりこうおく
午後ごご3時半じはん 品川しながわ海上かいじょう禊祓みそぎはらいしきげた海水かいすいったしおもりこう行列ぎょうれつ拝殿はいでんまえ到着とうちゃく
動座どうざさい
午後ごご3時半じはん午後ごご5時半じはん 本殿ほんでんから御霊みたま神輿しんようつすため神前しんぜん報告ほうこくする儀式ぎしき
神馬しんめおく
午後ごご4 社務しゃむしょぜん到着とうちゃく
煙火えんか講中こうじゅう(花火はなびやく)おく
午後ごご410ふん 社務しゃむしょぜん到着とうちゃく
長持ながもおく
午後ごご420ふん 社務しゃむしょぜん到着とうちゃく
神幸しんこう威儀いぎぶつ授与じゅよ
午後ごご520ふん 渡御とぎょさい神輿しんよ露払つゆはらいをするたてまつしゃかたなゆみわたされる。
御霊みたま遷の
午後ごご520ふん かく神輿しんよ本殿ほんでんから御霊みたまうつ神事しんじ
神輿しんよ発御はつぎょ
午後ごご6 (ごうほう3はつ)はち神輿しんよ本殿ほんでんぜん白州しらすから御旅所おたびしょ渡御とぎょする。はちのうち一之宮いちのみやからろくこれみや本社ほんしゃなな神輿しんよ参道さんどうからきゅう甲州こうしゅう街道かいどうへ、御霊みたまみや神輿しんよ西にし鳥居とりいからろくしょこう府中ふちゅう街道かいどうて、それぞれ御旅所おたびしょかう。(おいで)
つぼみや奉幣ほうへい
午後ごご8時半じはん さかいがい末社まっしゃつぼみやにて奉幣ほうへい
神輿しんよ御旅所おたびしょ
午後ごご915ふん 最後さいごはつとなる御霊みたまみや神幸しんこう行列ぎょうれつ御旅所おたびしょぎょする。さえで先拂さきばらいやく御霊みたまみや太鼓たいこ東門ひがしもんから御旅所おたびしょはいる。
野口のぐち仮屋かりや
午後ごご1010ふん 大国たいこくぬし大神おおがみ府中ふちゅう降臨こうりんしたさい野口のぐち一夜いちや宿やどもとめた故事こじもとづいた神事しんじ
やぶさめしき
午後ごご1030ふん 野口のぐち仮屋かりやのち宮司ぐうじうまる。(終了しゅうりょうごうほう3はつ

5月6にち[編集へんしゅう]

神輿しんよ御旅所おたびしょ発御はつぎょ
午前ごぜん4 御旅所おたびしょ神輿しんよかく分担ぶんたん町内ちょうないまわったのち神社じんじゃかえる。(還御かんぎょ・おかえり)
午前ごぜん7ごろ かく神輿しんよ神社じんじゃ大鳥居おおとりいない還御かんぎょ
鎮座ちんざさい
午前ごぜん9 かえってきた神輿しんよから、御霊みたま本殿ほんでんおさめ、事大じだいさい終了しゅうりょうしたことを報告ほうこくする。(ごうほう3はつ

ふとしつづみ[編集へんしゅう]

  • 先拂さきばらいふとしつづみ 口径こうけい: 2m00cm 1985(昭和しょうわ60)ねん製作せいさく材質ざいしつ:ブビンガー
  • 本社ほんしゃ一之宮御太皷 うた口径こうけい: 1m29cm 1954(昭和しょうわ27)ねん製作せいさく材質ざいしつ:けやき
  • 二之宮にのみやふとしつづみ 口径こうけい: 1m85cm 1977(昭和しょうわ52)ねん製作せいさく材質ざいしつ:ブビンガー)
  • 三之宮さんのみやふとしつづみ 口径こうけい: 1m81cm 1990(平成へいせい2)ねん製作せいさく材質ざいしつ:ブビンガー)
  • 五六之宮御太皷 うた口径こうけい: 1m87cm 1994(平成へいせい6)ねん製作せいさく材質ざいしつ:ブビンガー)
  • 御霊みたまみや先拂さきばらいふとしつづみ 口径こうけい: 1m56cm 1934(昭和しょうわ9)ねん製作せいさく材質ざいしつ:ミネバリ

ろくみや御神輿おみこし[編集へんしゅう]

  • 一之宮いちのみや 小野おの神社じんじゃ 東京とうきょう多摩たま鎮座ちんざ延喜えんぎ式内しきないろんしゃきゅう郷社ごうしゃ
  • 二之宮にのみや 二宮にのみや神社じんじゃ小河おがわ神社じんじゃ東京とうきょうあきる鎮座ちんざきゅう郷社ごうしゃ
  • 三之宮さんのみや 氷川神社ひかわじんじゃ 埼玉さいたまけんさいたま大宮おおみや鎮座ちんざ延喜えんぎ式内しきない 名神めいしん大社たいしゃきゅうかんぬさ大社たいしゃ
  • 四之宮しのみや 秩父ちちぶ神社じんじゃ 埼玉さいたまけん秩父ちちぶ鎮座ちんざ延喜えんぎ式内しきないしゃきゅうくにぬさ小社しょうしゃ
  • みや きむ鑽神しゃ 埼玉さいたまけん児玉こだまぐん神川かみかわまち鎮座ちんざ延喜えんぎ式内しきない 名神めいしん大社たいしゃきゅうかんぬさ中社なかやしろ
  • ろくみや 杉山すぎやま神社じんじゃ 神奈川かながわけん横浜よこはま鎮座ちんざ延喜えんぎ式内しきないろんしゃきゅう郷社ごうしゃ
  • 本社ほんしゃ 大國たいこくたましい神社じんじゃ 東京とうきょう府中ふちゅう鎮座ちんざ延喜えんぎ式内しきないろんしゃきゅうかんぬさ小社しょうしゃ
  • 御霊みたまみや 大國たいこくたましい神社じんじゃ 東京とうきょう府中ふちゅう鎮座ちんざ延喜えんぎ式内しきないろんしゃきゅうかんぬさ小社しょうしゃ

山車だし[編集へんしゅう]

西山にしやましゃ : 府中ふちゅう囃子ばやし目黒めぐろりゅう

  • 本町ほんまち府中ふちゅうさんまちのちよんまちひとつ)
  • 番場ばんば府中ふちゅうさんまちのちよんまちひとつ)
  • 片町かたまち
  • 本宿もとじゅく
  • けやきわかれん
  • 南町みなみまち
  • 矢崎やさき
  • 屋敷やしきぶん
  • 中河原なかがわら
  • 武蔵台むさしだい
  • 寿ことぶきまち

東山ひがしやましゃ : 府中ふちゅう囃子ばやし船橋ふなばしりゅう

事件じけん[編集へんしゅう]

  • 2013ねん5月6にち、「くらやみまつり」の開催かいさいちゅう指定してい暴力団ぼうりょくだん極東きょくとうかいけいぐみ幹部かんぶら3にんが、男性だんせい会社かいしゃいん(31)にたいかおなどをなぐって全治ぜんち10にち怪我けがをさせたひとしとして、府中ふちゅう警察けいさつしょ逮捕たいほされた[5]

関連かんれん事項じこう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ この影響えいきょう2002ねんNHKマイルカップは、中央ちゅうおう競馬けいばGIでは異例いれい土曜日どようび開催かいさいとなった。(2002ねん5がつ4にち開催かいさい

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 大國たいこくたましい神社じんじゃれい大祭たいさいくらやみさい Archived 2014ねん7がつ14にち, at the Wayback Machine.(ほっと府中ふちゅう
  2. ^ 府中ふちゅう 観光かんこう入込はいりこめ客数きゃくすう
  3. ^ 東京とうきょう教育きょういく委員いいんかいホームページ. “教育庁きょういくちょうほう No.561<東京とうきょう指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい指定していとうについて>”. 2010ねん5がつ1にち閲覧えつらん
  4. ^ 品川しながわ観光かんこう協会きょうかい大國たいこくたましい神社じんじゃ大祭たいさい先立さきだっておこなわれる「はまくだり(ハマオリ)」の行事ぎょうじにはこのみち利用りようされる」
  5. ^ 読売新聞よみうりしんぶん2013ねん5がつ6にち記事きじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 桜井さくらい信夫しのぶちょ 大國たいこくたましい神社じんじゃ監修かんしゅう大國たいこくたましい神社じんじゃ歳時記さいじき』ネット武蔵野むさしの 2002 ISBN 978-4944237081
  • 司馬しばりょう太郎たろうえよけんうえ〉』(あらため新潮しんちょう文庫ぶんこ、2007ねん1がつISBN 978-4101152080  初版しょはんは1972ねん5がつ

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]