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けんまつ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
梵天ぼんてん渡御とぎょ年中ねんじゅう行事ぎょうじ画帖がじょう 1928ねん

けんまつ(あがたまつり)は、毎年まいとし6月5にちからよく6にちにかけておこなわれる京都きょうと宇治うじまつり灯火ともしびしたくらやみのなかでおこなわれる暗闇くらやみさいのひとつ。

概要がいよう

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宇治うじ平等院びょうどういんみなみもんから100mくらいのところにあるけん(あがた)神社じんじゃ祭礼さいれいで、6月5にち深夜しんやかりのない暗闇くらやみなかで、梵天ぼんてん(ぼんてん)渡御とぎょばれる儀式ぎしきがあり、町内ちょうないおとこしゅうが、梵天ぼんてんばれる神輿しんよかつぐ。この神輿しんよ通過つうかするあいだは、家々いえいえかりをとして、それをむかえるため「暗闇くらやみさい」とばれている[1]東京とうきょう府中ふちゅう大國たいこくたましい神社じんじゃ例祭れいさいなどとともに暗闇くらやみまつりとして名高なだかい。6月5にち午後ごご10ごろまで夜店よみせる。

かつては旧暦きゅうれき5月15にちにおこなわれ、沿道えんどういえでは男女だんじょ雑魚寝ざこねしておわたりをつので性的せいてき行事ぎょうじまつりとして名高なだかく「たねもらさい」ともいった[1]

分裂ぶんれつ開催かいさい

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奉賛ほうさんかいによる梵天ぼんてん渡御とぎょ(2012ねん

梵天ぼんてん渡御とぎょ本来ほんらい宇治うじ神社じんじゃ御旅所おたびしょけん神社じんじゃかみうつし)→宇治うじ神社じんじゃ渡御とぎょけん神社じんじゃ還幸かんこうさい)のルートでおこなわれていたが、2003ねん還幸かんこうさいおこなわれなかったことで御輿みこしかつしゅである「けんさい奉賛ほうさんかい」とけん神社じんじゃ関係かんけいがこじれ、2004ねんから神社じんじゃがわ独自どくじ梵天ぼんてん渡御とぎょおこなうなど分裂ぶんれつ状態じょうたいとなった。2014ねん奉賛ほうさんかいがわ自粛じしゅくするかたち神社じんじゃがわのみの梵天ぼんてん渡御とぎょおこなったが、その関係かんけい改善かいぜんされず、2015ねんからふたた分裂ぶんれつ開催かいさいとなった[2]

これには以前いぜんよりあった宇治うじ神社じんじゃけん神社じんじゃ対立たいりつ関係かんけいしているという。関西学院大学かんせいがくいんだいがく調査ちょうさによると、りょう神社じんじゃ対立たいりつは1965ねん顕在けんざいし、1968ねんには裁判さいばんにまで発展はってん、その和解わかい対立たいりつかえされていた[3]対立たいりつ両者りょうしゃ祭神さいじんかんちがいにあり、花咲はなさき耶姫いのち祭神さいじんとした独立どくりつした神社じんじゃであるとかんがえるけん神社じんじゃたいし、宇治うじ神社じんじゃがわは、けん神社じんじゃ宇治うじ神社じんじゃ祭神さいじんうさぎどうやや郎子いらつこははしんにあたるみやぬしかわえだうりいのち(みやぬしやかわえひめ、みやしゅたくひめみやぬしやかひめ)をまつ末社まっしゃであるとする[3]。この認識にんしきちがいにくわえ、まつり主導しゅどうけんあらそいや金銭きんせんてき問題もんだいもあったとられている[3]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 年中ねんじゅう行事ぎょうじ事典じてん」p6 1958ねん昭和しょうわ33ねん)5がつ23にち初版しょはん発行はっこう 西にし角井かくいただしけいへん 東京とうきょうどう出版しゅっぱん
  2. ^ 暗夜あんやさい」5にちけんさい 京都きょうと宇治うじふたたび“分裂ぶんれつ渡御とぎょ”に”. 京都きょうと新聞しんぶん (2015ねん6がつ4にち). 2015ねん6がつ5にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c まつりをめぐるふたつの祭神さいじんかん京都きょうと宇治うじけんさい事例じれいから加藤かとうゆうたか関西学院大学かんせいがくいんだいがく社会学部しゃかいがくぶ 島村しまむらきょうのりゼミ卒業そつぎょう論文ろんぶん要旨ようししゅう、2013-01-13

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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