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ほうひびき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ほうひびき
各種かくしゅ表記ひょうき
繁体字はんたいじ ほうひびき
簡体字かんたいじ ほう
拼音 fāngxiǎng
発音はつおん ファンシアン
日本語にほんごみ: ほうきょう
テンプレートを表示ひょうじ

ほうひびき(ほうきょう)は、中国ちゅうごく伝統でんとうてきからだ楽器がっきである。へんかおる同様どうようだいおとだかことなる複数ふくすう長方形ちょうほうけい鉄板てっぱんべてぶらさげ、バチたたくことによって旋律せんりつかなでることができる。はちおとでは「かね」にぞくする。現代げんだい中国ちゅうごくではほとんど使つかわれていない。韓国かんこく伝播でんぱした。日本にっぽんにも伝播でんぱしたがほろんだ。

歴史れきし

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韓国かんこくほうひびき国立こくりつこくらく博物館はくぶつかん

ほうひびききたあまね時代じだい(6世紀せいき後半こうはん)に存在そんざいし、16まい鉄板てっぱんからっていたという[1]。また、南朝なんちょうりょうの「どうかおる」という楽器がっきかたひびき一種いっしゅであったかもしれないともいう[2]

とう燕楽えんらくでもほうひびきもちいられた[3]日本にっぽんでは吉備真備きびのまきびが735ねんとうからかえって聖武天皇しょうむてんのう献上けんじょうした楽器がっきなかかたひびきがある[4]せいくらいんにはてつかたひびき(てつのほうきょう)としょうするほうひびき使つかわれた鉄板てっぱん9まい現存げんそんし、1875ねん明治めいじ8ねん)につくられた模造もぞう復元ふくげんしな東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん所蔵しょぞうする[5]

そうもとでも燕楽えんらく使つかわれた[6][7]雅楽ががくでは使つかわれなかったが、きよし雅楽ががく一種いっしゅである陛楽ではかたひびき使つかわれている[8]

現在げんざい日本にっぽんでは、せいくらいん復元ふくげん楽器がっきとしてのほうひびき前述ぜんじゅつの1875ねん明治めいじ8ねん)につくられたものをはじめ複数ふくすう存在そんざいするが、ほうひびき伝承でんしょうきょく現存げんそんしていないため、西洋せいよう音楽おんがくけい楽曲がっきょく編曲へんきょく現代げんだい音楽おんがくとう利用りようされている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ちん暘『らくしょまき125・ぽうひびきhttps://archive.org/stream/06048606.cn#page/n108/mode/2up。「『大周たいしゅうせいらく西にしすずしきよたのしかたひびきいちじゅうろくまい鍾・大呂おおろひとしごえ。」 
  2. ^ きゅうとうしょ音楽おんがくこころざしりょうゆうどうかおるぶた今方いまがたひびきこれるいかたひびき、以鉄為之ためゆきおさむはちすんこうすんえん上方かみがた如磬而不しつらえぎょう、倚於じょう以代しょうかおる人間にんげん所用しょようしゃさんよんすん。」
  3. ^ 楊(1980) pp.254-255
  4. ^ ぞく日本にっぽん天平てんぴょうななねんなつよんがつからし入唐にっとう留学生りゅうがくせいしたがえ八位下下道朝臣真備献(中略ちゅうりゃくてつ如方ひびきうつしりつかんごえじゅうじょう。」
  5. ^ 西川にしかわ明彦あきひこ正倉院宝物しょうそういんほうもつ関連かんれん資料しりょう紹介しょうかい東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん所蔵しょぞう金工きんこう刀剣とうけん模造もぞうひん」『せいくらいん紀要きようだい33ごう、39ぺーじ、2011ねんhttps://shosoin.kunaicho.go.jp/api/bulletins/33/pdf/0333030062 
  6. ^ 楊(1980) p.414
  7. ^ 楊(1981) p.725
  8. ^ 楊(1981) p.1006

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 楊蔭りゅう中国ちゅうごく古代こだい音楽おんがく稿こうじょうさつ人民じんみん音楽おんがく出版しゅっぱんしゃ、1980ねん 
  • 楊蔭りゅう中国ちゅうごく古代こだい音楽おんがく稿こうしもさつ人民じんみん音楽おんがく出版しゅっぱんしゃ、1981ねん 

関連かんれん項目こうもく

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