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琵琶びわ

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らく琵琶びわから転送てんそう
琵琶びわ
かく言語げんごでの名称めいしょう
えい Pipa, Biwa
琵琶
中国ちゅうごく明代あきよ琵琶びわ
(16世紀せいき後期こうき-17世紀せいき初期しょき
分類ぶんるい

ばち弦楽器げんがっき

関連かんれん楽器がっき

ダン・ティ・バ

尾張おわり流罪るざいとなった藤原ふじわら師長もろなが琵琶びわくと宮路山みやじさん水神すいじんあらわれたという場面ばめんえがいた『宮路山みやじさんつき』(月岡つきおか芳年よしとしつきひゃく姿すがた』)

琵琶びわ(びわ、英語えいご: pipa, とく日本にっぽんのものは biwa)は、ひがしアジアゆうざお(リュートぞく弦楽器げんがっきひとつ。ゆみ使つかわず、もっぱらつるをはじいておとばち弦楽器げんがっきである。古代こだいにおいてよんげんけいきょくけい琵琶びわ)と五弦ごげんけいちょくけい琵琶びわ)があり、後者こうしゃ伝承でんしょう廃絶はいぜつ使つかわれなくなったが、前者ぜんしゃのち中国ちゅうごくおよ日本にっぽんにおいていくつもの種類しゅるいしょうじて発展はってんし、おおくは現代げんだい演奏えんそうされている。ベトナムにはおそらくあきらだい伝播でんぱしたよんげんじゅうすうはしらのものが伝承でんしょうされ、ダン・ティ・バばれる。なお、広義こうぎには阮咸(げんかん)や月琴げっきんなどのリュートぞく弦楽器げんがっき琵琶びわふくめることもある。

よんげんけいきょくけい琵琶びわは、西にしアジアウードヨーロッパリュート共通きょうつう起源きげんち、かたちもよくている。すなわちたまごたて半分はんぶんったようなかたち共鳴きょうめいどうざおけ、いとくら(ヘッド)がほぼ直角ちょっかくうしろにがった特徴とくちょうてきかたちである。五弦ごげんけい(ちょくけい)琵琶びわインド起源きげんとされ、いとくらがらずっすぐにびている。せいくらいん唯一ゆいいつ現物げんぶつである「螺鈿らでん紫檀したんげん琵琶びわ」(らでんしたんごげんのびわ、参照さんしょう)が保存ほぞんされている。

起源きげん

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実物じつぶつ現存げんそんしないが、サーサーンあさペルシア遺跡いせきから出土しゅつどする工芸こうげいひん浮彫うきぼ装飾そうしょくなどに、琵琶びわ楽器がっきがしばしばられる。いとくらうしろにがり、おおくはばちをもって弾奏だんそうされており、この「バルバット英語えいごばん」とばれる楽器がっきよんげんけい琵琶びわやウード、リュートの祖先そせんとされる。これが中国ちゅうごくつたわったのは前漢ぜんかんころである。現存げんそんする世界せかい最古さいこよんげん琵琶びわは、いまのところせいくらいん保存ほぞんされているすうめん琵琶びわであるとおもわれる。いずれも奈良なら時代じだいのものである。また楽譜がくふせいくらいんおよび敦煌とんこうから発見はっけんされている。

インドの琵琶びわ

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ブッダの生涯しょうがいえがいた2世紀せいき石刻せっこくのヴィーナ。五弦ごげんの「ちょくけい」で、いとくらがらずっすぐびている。

かんやく仏典ぶってんには「琵琶びわ」という楽器がっきがよくてくる。
たとえばばとわけ法華経ほけきょう方便ほうべんひんだいにも「・・・わか使つかいじん作樂さくらげき鼓吹こすいかくかいしょうふえきん箜篌くご琵琶びわ鐃銅鈸、如是にょぜしゅ妙音みょうおんつき供養くよう・・・」云々うんぬんの「妙音みょうおん成仏じょうぶつ」の思想しそうかれており、日本にっぽんふつそう琵琶びわ根拠こんきょとなっている[1]。『法華経ほけきょう』のこのくだりの「琵琶びわ」の原語げんごは「ヴィーナ[注釈ちゅうしゃく 1] である。
おなじヴィーナという名称めいしょう楽器がっきでも、時代じだい地域ちいきごとに形状けいじょうはさまざまであり、琵琶びわのようなリュートがたのものもあれば、竪琴たてごとのようなハープがたのものもあった。きん現代げんだいのインドのヴィーナは、古代こだいのヴィーナとかなりちがうので、要注意ようちゅういである。

中国ちゅうごく大陸たいりく琵琶びわ

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とうだい絵画かいが甘粛かんせいしょうにれりんくつ)、当時とうじ琵琶びわかせていていた

現代げんだい中国語ちゅうごくごではピーパ pípá発音はつおんする。

琵琶びわ」という言葉ことばこうかんおう風俗ふうぞくどおり声音こわねへんえ、また『しゃくめいしゃく楽器がっきによればえびす楽器がっきで、馬上まけ演奏えんそうするものであるとする。琵琶びわがいつ中国ちゅうごく大陸たいりくつたわったかはあきらかでないが、西にしすすむでんげん琵琶びわ」(『初学しょがく』および『つうてん』がく)のつたえる伝説でんせつによると、はたのときに万里ばんり長城ちょうじょうきず労働ろうどうしゃ演奏えんそうしたとも、前漢ぜんかんがらすまご公主こうしゅ馬上まけ演奏えんそうできるようにつくったともいう。しかし、その記述きじゅつからすると当時とうじ琵琶びわ」とんだものはいま琵琶びわことなり、阮咸にあたる楽器がっきだったらしい[2]きたたかし時代じだい敦煌とんこう莫高くつ壁画へきがに5げん琵琶びわえがかれており、現在げんざいにつながる琵琶びわはこのころ中国ちゅうごく大陸たいりくつたわったもののようである。

とう時代じだい琵琶びわ現在げんざい日本にっぽんらく琵琶びわとほぼおながたをしており、音楽おんがく理論りろん整備せいびされるなかで、調しらべつるほう多数たすうさだめられ、様々さまざま合奏がっそうにももちいられ、ほう確立かくりつし、宮廷きゅうてい音楽おんがくから民間みんかん音楽おんがくまで、合奏がっそう独奏どくそう歌唱かしょう伴奏ばんそうひろ愛好あいこうされた。しろきょえき琵琶びわゆき」は有名ゆうめいであり、楊貴妃ようきひもよく琵琶びわ演奏えんそうしたとわれる。きよしだい使用しようされた琵琶びわとうだいまでのものとはことなり、日本にっぽんめくらそう琵琶びわにややちかかたちをしており、つるすうわらないがフレットはずっとえて14そなえていた。ばちではなく、へらじょうかぶと(ピック)で弾奏だんそうする。江戸えど時代じだい文政ぶんせいころ月琴げっきんえびすきんとうとも日本にっぽん伝来でんらい明治めいじ初年しょねんごろまであきらしんらくとして流行りゅうこうした。現在げんざい長崎ながさき伝承でんしょうされ、「から琵琶びわ」とばれている。以後いご中国ちゅうごくではこのかたちのものを使用しようしており、民間みんかん歌謡かよう伴奏ばんそうおもにしていたが、20世紀せいきはいり、りゅうたかしはなえびす琵琶びわ演奏えんそう作曲さっきょく1895ねん1932ねん)らにより独奏どくそうきょくつくられはじめた。さら1950年代ねんだいにこの琵琶びわ改良かいりょうして現在げんざい琵琶びわつくられた。現代げんだい琵琶びわは4ほん金属きんぞくつるち、31個いっこのフレットで半音はんおんかい演奏えんそうできる。ギター奏法そうほうれられ、弾奏だんそうには右手みぎて全部ぜんぶゆび使用しようし、つめよしつめによっておとす。

ふる時代じだい琵琶びわ楽譜がくふとしては敦煌とんこう文書ぶんしょ P.3808 の裏面りめんしるされた10世紀せいき以前いぜん楽譜がくふ(25きょく)と、日本にっぽんのこされた楽譜がくふがある[3]。その琵琶びわ現在げんざいのところUnicodeには収録しゅうろくだが、追加ついか多言たげんめんへの追加ついか提案ていあんされている[4]

ベトナムの琵琶びわ

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ベトナムの琵琶びわであるダン・ティ・バ(ベトナムĐàn tỳ bà / たま琵琶びわ”、“Đàn”(たま)は弦楽器げんがっきであることをあらわす)は、木製もくせいなしがたよんほんのナイロンつる以前いぜん絹糸けんし)をつ。演奏えんそうするさいにはほぼ垂直すいちょくかまえ、左手ひだりてゆび頻繁ひんぱん音色ねいろ変化へんかをつける。かつては宮廷きゅうてい演奏えんそうされ、現在げんざいフエ皇宮こうぐうベトナムの雅楽ががくにおいて演奏えんそうされる。Tỳ bà hành (漢字かんじ: 琵琶びわゆき)はカーチューen:Ca trù(漢字かんじ:うた籌)という合奏がっそう代表だいひょうきょくである。

日本にっぽん琵琶びわ

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日本にっぽん琵琶びわ
たけてい春信はるのぶ

琵琶びわ78世紀せいきころ中国ちゅうごく大陸たいりくから日本にっぽんはいった。せいくらいん宝物ほうもつとして伝来でんらい当時とうじ琵琶びわのこされている。半開はんかいおうぎもしくはイチョウかたちばち(棙)でつる(絃)を弾奏だんそうするのが特徴とくちょう五弦ごげん琵琶びわらく琵琶びわ平家琵琶へいけびわめくらそう琵琶びわから琵琶びわ薩摩琵琶さつまびわ筑前ちくぜん琵琶びわなどの種類しゅるいがある。それぞれの楽器がっき特有とくゆう音楽おんがくち、その世界せかいなかではたんに「琵琶びわ」としょうされる。またこれら異種いしゅ琵琶びわ同士どうし合奏がっそうされることはまずない。また、琵琶びわ主体しゅたいとした音楽おんがくを「琵琶びわたのし」と総称そうしょうする。

五弦ごげん琵琶びわ

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五弦ごげん琵琶びわ奈良なら時代じだいより中国ちゅうごく大陸たいりくから伝来でんらいした。聖武天皇しょうむてんのう献上けんじょうされ、そのせいくらいんおさめられた螺鈿らでん紫檀したん五絃ごげん琵琶びわは、世界せかいのこ唯一ゆいいつ古代こだいげん琵琶びわである。このげん琵琶びわは、みなみインドさん紫檀したん螺鈿らでん細工ざいくをほどこしたもので、インドから中央ちゅうおうアジアのかめくに経由けいゆとうはいり、日本にっぽんにもたらされたとされる。五弦ごげん琵琶びわ見当みあたらない理由りゆうとして、音域おんいきよんげん琵琶びわよりもせまく、演奏えんそうほうむずかしかったからだといわれる。[5]

陽明ようめい文庫ぶんこには、五弦ごげん琵琶びわ楽譜がくふのこされている。そのつぎとおり。

五弦ごげん琵琶びわ
絃\はしら 開放かいほうつる だいいちはしら だいはしら だいさんはしら だいよんはしら
だいいち いち [注釈ちゅうしゃく 2]
だい L[注釈ちゅうしゃく 3] じゅう おつ[注釈ちゅうしゃく 4]
だい三絃さんげん [注釈ちゅうしゃく 2] なな [注釈ちゅうしゃく 4] [注釈ちゅうしゃく 2]
だいよん はち
だい五絃ごげん きゅう なか/くち[注釈ちゅうしゃく 5] よん

このほかに「しょう」というあらわれているが、これはだいよん絃第はしら「丨」のべつたいというせつ、あるいはだいよん開放かいほうつる「丄」とだいよん絃第いちはしらはち」のあいだちいさなはしらあらわというせつがある。

らく琵琶びわ

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らく琵琶びわ
琵琶びわかなでるにおいみや(『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき 宿木やどりぎ平安へいあん後期こうきごろ)
らく琵琶びわ筑前ちくぜん琵琶びわ平家琵琶へいけびわめくらそう琵琶びわ薩摩琵琶さつまびわ比較ひかく

らく琵琶びわ雅楽ががくりょう絃とばれるもののうちのひとつ(もうひとつはらくそう)で、管絃かんげん、催馬らく(さいばら)にもちいる琵琶びわである(舞楽ぶがくでは通常つうじょうもちいられない)。標準ひょうじゅんてきなものとしては日本にっぽん琵琶びわなかもっとおおきく、奈良なら時代じだいつたえられたとうだい琵琶びわかたちをほとんどそのまま現代げんだいつたえている。ばちぎゃくもっとちいさい。現在げんざい合奏がっそうなか分散ぶんさん和音わおんそうしながらリズムてきささえる役目やくめをしている。

天平てんぴょう琵琶びわ奈良なら時代じだい 天平てんぴょう10ねんごろ 西暦せいれき738ねんごろせいくらいんぞう

かつては独奏どくそうきょくもあり、琵琶びわさんだい秘曲ひきょくとして「楊真みさお」、「啄木たくぼく」、「ながれいずみ」などがられたが、現在げんざいつたえられていない。また様々さまざま技法ぎほう存在そんざいしたようである。しかし、これらのきょく楽譜がくふ現存げんそんしており、宮内庁くないちょうらく楽長がくちょうちゅう麿まろによってふくきょくこころみられ、演奏えんそう録音ろくおんもおこなわれた。

ふるくからあいされた楽器がっきで、文芸ぶんげい作品さくひんにもしばしば登場とうじょうする。吉備真備きびのまきびせみまる平経正たいらのつねまさなど名人めいじん名手めいしゅといわれたひとおおく、またおおくの名器めいきつたえられている。おおらかでゆたかな音色ねいろち、後世こうせいしょ琵琶びわとのおおきなちがいは、楽器がっきとの合奏がっそうもちいられること、調しらべごとに調しらべつるほうわること、「さわり」(サワリ)の機構きこうがないこと、左手ひだりての押弦が、はしら(フレット)のあいだで絃をさえる張力ちょうりょく変化へんかさせて音程おんていえる奏法そうほうがないこと、また小指こゆびまで使用しようすること、などである。

らく琵琶びわとしては、つぎのものをもちいる。これはしょうどうみなもととされている。

らく琵琶びわ
絃\はしら 開放かいほうつる だいいちはしら だいはしら だいさんはしら だいよんはしら
だいいち いち(いち) こう(く) [注釈ちゅうしゃく 6](ぼ) フ(しゅ) (と)
だい 乚(おつ) した(げ) じゅう(じゅう) おつ(び) コ(こ)
だい三絃さんげん ク(ぎょう) なな(しち) ヒ(ひ) 〻(ごん) これ[注釈ちゅうしゃく 7](し)
だいよん 丄(じょう) はち(はち) 丨(ぼく) ム(せん) 也(や)

平家琵琶へいけびわ

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平家琵琶へいけびわらく琵琶びわから派生はせいしたもので、楽器がっきらく琵琶びわとほぼおなじつくりだが、小型こがたものこのまれる。ばちぎゃくにややおおきく、先端せんたんひらきがおおきい。平家ひらか物語ものがたりをかたるときの伴奏ばんそうもちいる。平家琵琶へいけびわもちいた平家ひらか物語ものがたりかたもの音楽おんがくを「平曲へいきょく」とぶ(薩摩琵琶さつまびわ筑前ちくぜん琵琶びわにも平家ひらか物語ものがたり題材だいざいとするきょく多数たすうあるが、これらは近世きんせい以降いこうつくられたものであり、音楽おんがくてきには平曲へいきょくとはまったくちがうものである)。伝承でんしょうによれば、鎌倉かまくら時代ときよのはじめごろなまふつ(しょうぶつ)という盲人もうじん音楽家おんがくかがはじめたとされ、曲節きょくせつには仏教ぶっきょう音楽おんがくである声明せいめい(しょうみょう)の影響えいきょうがみられる。のち、南北なんぼくあさ時代じだい盲人もうじん音楽家おんがくか如一とその弟子でし明石あかし検校けんぎょう覚一かくいち1299ねん - 1371ねん)が改変かいへん整理せいりし、一方いっぽう(いちかた)りゅう創始そうしした。いっぽうじょうげん創始そうしした八坂やさかりゅうまれる。室町むろまち時代ときよには能楽のうがくならひろ愛好あいこうされ、中世ちゅうせい日本にっぽん音楽おんがく代表だいひょうてき存在そんざいとしてならしょうされる。江戸えど時代じだい初期しょきには前田まえだ検校けんぎょうにより前田まえだりゅうが、波多野はたの検校けんぎょうにより波多野はたのりゅうまれ、前者ぜんしゃ江戸えど中心ちゅうしんに、後者こうしゃ京都きょうと中心ちゅうしんおこなわれた。演奏えんそうとうみちぞくする盲人もうじん音楽家おんがくかにより占有せんゆうされていたが、江戸えど時代じだいには晴眼せいがん奏者そうしゃもあらわれた。しかし地歌じうた浄瑠璃じょうるりなどの三味線しゃみせん音楽おんがく箏曲そうきょく発展はってんとも次第しだい下火したびとなり、波多野はたのりゅう断絶だんぜつ前田まえだりゅう江戸えど時代じだい中期ちゅうき名古屋なごや荻野おぎの検校けんぎょうによって中興ちゅうこうし、この流派りゅうはのみがこんにちまで名古屋なごや仙台せんだいつたえられている。演奏えんそうしゃ非常ひじょうすくないが、まれに「すずき」「竹生島ちくぶしままい」「那須与一なすのよいち」などを機会きかいがある。雅楽ががく平曲へいきょく絶対ぜったいおとだか音楽おんがくであるため、らく琵琶びわ平家琵琶へいけびわ絶対ぜったいおと楽器がっきであり、相対そうたいおんだか音楽おんがくである近世きんせい以降いこう琵琶びわらくことなる。

三味線しゃみせんがた日本にっぽん伝来でんらいしたとき、これをはじめてあつか現在げんざいちか楽器がっき改良かいりょうしたのが平家琵琶へいけびわ演奏えんそうたちであった。そのため、琵琶びわおなじように三味線しゃみせんばちくようになった。ただし琵琶びわ三味線しゃみせんではばち形状けいじょうかたちがいがある。また三味線しゃみせん楽器がっきのみがつたわり楽曲がっきょくともなわなかったため、かれらにより新曲しんきょく次々つぎつぎつくされたが、そのさいにも平曲へいきょく音楽おんがくてき要素ようそ色々いろいろ反映はんえいされている。

めくらそう琵琶びわ

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めくらそう琵琶びわ仏教ぶっきょう儀式ぎしきもちいられたもので、盲人もうじん僧侶そうりょが『法華経ほけきょう方便ほうべんひんだいの「妙音みょうおん成仏じょうぶつ」の思想しそう根拠こんきょ[6]琵琶びわ伴奏ばんそう経文きょうもんとなえたとされるが、娯楽ごらくてき音楽おんがくもある。その起源きげん奈良なら時代じだいもとめられ、はやくからめくらそう組織そしきつくられていた。せみまるもその一人ひとりといわれる。大別たいべつして薩摩さつまめくらそう筑前ちくぜんめくらそうとがあり、室町むろまち時代ときよから江戸えど時代じだいにかけ、平曲へいきょく座頭ざがしら組織そしきであるとうみち対立たいりつした。 薩摩さつまめくらそう琵琶びわから薩摩琵琶さつまびわ派生はせいし、また薩摩琵琶さつまびわおよび三味線しゃみせん音楽おんがく影響えいきょうのもと明治めいじ20年代ねんだい筑前ちくぜんめくらそう琵琶びわから筑前ちくぜん琵琶びわ派生はせいした。

めくらそう琵琶びわには一定いっていしたせいがなく、色々いろいろなかたちがみられるが、らく琵琶びわ系統けいとうとはややことなり、近世きんせい中国ちゅうごく琵琶びわているものがおおい。細身ほそみのものがおおく、とくほそいものをささ見立みたてて「ささ琵琶びわ」とぶ。 筑前ちくぜん琵琶びわではげん薩摩琵琶さつまびわではよんまたはげん琵琶びわ使つかわれていたが、薩摩さつまけい常楽じょうらくいんりゅう伝書でんしょ琵琶びわ由来ゆらい』によれば、めくらそう琵琶びわはしらふるくはろくげんろくはしらだったものをよんげんよんはしらあらためたとあり、常楽じょうらくいんにはろくはしら琵琶びわ保存ほぞんされている。6には六波羅蜜ろくはらみつ六観音ろくかんのんなど仏教ぶっきょう命数めいすうとしての意味いみがあり、ろくはしら琵琶びわ仏具ぶつぐとしてすべてのめくらそう琵琶びわ使つかわれていたとられている[7]

薩摩琵琶さつまびわ

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薩摩琵琶さつまびわ裏側うらがわ

薩摩琵琶さつまびわは16世紀せいき活躍かつやくした薩摩さつまめくらそうふちわきりょうおおやけとき領主りょうしゅ島津しまつ忠良ただよしされ、いのちけて、武士ぶし士気しき向上こうじょうのため、あらたに教育きょういくてき歌詞かし琵琶びわ作曲さっきょくし、楽器がっき改良かいりょうしたのがはじまりとわれる。これまでのめくらそう琵琶びわ改造かいぞうし、武士ぶし倫理りんり戦記せんき合戦かっせんものうたげる勇猛ゆうもう豪壮ごうそう演奏えんそういた構造こうぞうにしたものである。めくらそう琵琶びわではやわらかなざい使つかうことがおおかったどうかたくわせいもどし、ばちたたける打楽器だがっきてき奏法そうほう可能かのうにした。ばち大型おおがたし、杓文字しゃもじがたから扇子せんすがたへと形態けいたい変化へんかした。これにより、楽器がっきててかかえ、よこはらかたちばちあつかうことができるようになった。江戸えど時代じだいには「木崎きざきげん合戦かっせん」などの合戦かっせんじょしたきょくつくられて次第しだいさかんになり、やがて武士ぶしだけでなく町民ちょうみんにもひろまった。こうして剛健ごうけんな「士風しふう琵琶びわ」と優美ゆうびな「町人ちょうにん琵琶びわ」の2つのながれが成立せいりつする。江戸えど時代じだい末期まっき池田いけだ甚兵衛じんべえ両派りょうは美点びてんひとつにわせ、一流いちりゅうし、以降いこう、これが薩摩琵琶さつまびわとして現在げんざいまでつづいている。

薩摩さつま出身しゅっしんしゃちからっていた明治めいじ時代じだいには富国強兵ふこくきょうへい政策せいさくともあいまって各地かくちひろまり、吉村よしむらたけしじょうつじやすしつよし西にし幸吉こうきち吉水よしみずにしきおうなどの名手めいしゅ輩出はいしゅつした。また明治天皇めいじてんのう終生しゅうせい愛好あいこうし、明治めいじ14ねん5がつに、もと薩摩さつま藩主はんしゅ島津しまつ忠義ただよしやしきにて西にし幸吉こうきち御前ごぜん演奏えんそうをしたことから、社会しゃかいてき評価ひょうかがさらにあがり、やがて「筑前ちくぜん琵琶びわ」とともに「宗家そうけ琵琶びわぶし」は皇室こうしつけにしか演奏えんそうしない「げい」となった。また、永田ながたにしきこころて、洗練せんれんされた都会とかいてきつやうらら芸風げいふう特徴とくちょうとするにしきしんりゅうて、これが評判ひょうばんとなり全国ぜんこく普及ふきゅうした。さらに昭和しょうわはいるとみずふじにしきみのる筑前ちくぜん琵琶びわ音楽おんがく要素ようそれた「にしき琵琶びわ」を創始そうしした。楽器がっき筑前ちくぜん琵琶びわげんはしらつよう改良かいりょうされた。そのみずふじにしきみのるおなじくにしきしんりゅうから鶴田つるたにしきげんはしらをさらに改良かいりょうするとともに、音楽おんがくてきにもあたらしい分野ぶんや飛躍ひやくさせた。それまでかたりの伴奏ばんそうとしてもちいられてきた琵琶びわ器楽きがくてき要素ようそおおきくれ、かたりをともなわない琵琶びわ演奏えんそう西洋せいよう楽器がっきやこれまで協奏きょうそうすることのかったほか和楽わらくとの合奏がっそう、またにしきしんりゅう基礎きそとした琵琶びわ改良かいりょう、など斬新ざんしんなアプローチをおこなった。鶴田つるたにしきながれを一派いっぱを「鶴田つるたりゅう」あるいは「鶴田つるた」とび、近年きんねん発展はってんしている。

から琵琶びわ

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1894年刊ねんかんあきらしんらくしおり』より

から琵琶びわは、しんだい民間みんかん流行りゅうこうした琵琶びわで、その楽曲がっきょくきよたのし)や月琴げっきんとう多数たすう楽器がっきとも文政ぶんせい年間ねんかんごろ日本にっぽんつたわったものである。から琵琶びわとは日本にっぽんでので、とうだい琵琶びわとはおおきくことなるので注意ちゅうい必要ひつようである。細身ほそみどうふねざい表面ひょうめんにまでわくとなり、そこにおもていたをはめかたちをとっている。これはめくらそう琵琶びわおおくや筑前ちくぜん琵琶びわ共通きょうつうしている。つるよんほん、フレットは14あり、ばちではなくへらじょうかぶともちいて弾奏だんそうする。おもきよしだい民間みんかん楽曲がっきょくきよしらく)を楽器がっき合奏がっそうする。著名ちょめいきょくとしては「きゅう連環れんかん」「茉莉花まりか」「水仙すいせんはな」などがある。きよしらく以前いぜんつたわっていたあかりたのしわせてあきらしんらくばれ、幕末ばくまつから明治めいじ初期しょきにかけて流行りゅうこうしたが、にちしん戦争せんそうころ急速きゅうそく下火したびとなり、現在げんざいではわずかに長崎ながさきつたえられている。

筑前ちくぜん琵琶びわ

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五絃ごげんはしら筑前ちくぜん琵琶びわ柴田しばたみどり

筑前ちくぜん琵琶びわ明治めいじ時代じだい中期ちゅうきたちばなさとしじょう(たちばなちてい)が薩摩さつま薩摩琵琶さつまびわ研究けんきゅうしてかえり、筑前ちくぜんめくらそう琵琶びわ改良かいりょうあたらしい琵琶びわ音楽おんがくつくした。琵琶びわ奏者そうしゃ鶴崎つるさきけんじょう(つるさきけんじょう)や吉田よしだ竹子たけこがこのあたらしい琵琶びわ音楽おんがくひろめるのに一役ひとやくった。明治めいじ29ねんたちばなさとしじょう東京とうきょう進出しんしゅつし、演奏えんそう活動かつどう開始かいしして注目ちゅうもくびた。そして雅号がごうあさひおきなごうし、筑前ちくぜん琵琶びわ たちばなりゅう創始そうし明治天皇めいじてんのう御前ごぜん演奏えんそうをするなど急速きゅうそく全国ぜんこくひろまった。たちばなりゅう創始そうししゃである初代しょだいあさひおう没後ぼつご、「たちばなかい」と「あさひかい」のかれ現在げんざいいたる。また吉田よしだ竹子たけこ門下もんかから高峰たかみね筑風高峰たかみね三枝子みえこちち)が一世いっせい風靡ふうびしたが、後継こうけいしゃがなくその芸風げいふう途絶とだえた。筑前ちくぜん琵琶びわ音楽おんがく薩摩琵琶さつまびわくらきょくふうがおだやかであり、楽器がっきばちともやや小柄こがらである。どうおもていたきりわり、音色ねいろ薩摩琵琶さつまびわくらやわらかい。調しらべ絃も三味線しゃみせんじゅんずるようになった。女性じょせい奏者そうしゃ人気にんきむすめ琵琶びわとしても流行りゅうこうした。また一時期いちじき花柳かりゅうかいにも「琵琶びわ芸者げいしゃ」なるものが存在そんざいした。薩摩琵琶さつまびわではうたかたり)と楽器がっき交互こうごそうされるが、筑前ちくぜん琵琶びわ音楽おんがくには三味線しゃみせん音楽おんがく要素ようそれられており、うたいながら琵琶びわ伴奏ばんそうれる部分ぶぶんがある。著名ちょめいきょくとしては「湖水こすいわたり」「道灌どうかん」「義士ぎし本懐ほんかい」「敦盛あつもり」「本能寺ほんのうじ」「石堂いしどうまる」などがある。筑前ちくぜん琵琶びわ種類しゅるいよん絃と、よん絃より音域おんいきをよりゆたかにするため初代しょだい あさひおきなとその実子じっしであるたちばなあさひそう 一世かずよによって考案こうあんされた五絃ごげんがあり、五絃ごげんほう全体ぜんたいにややおおきい。ばち五絃ごげんようのもののほうがややひらきのはばひろく、いくらか薩摩さつまのものにちかい。はしらはいずれもはしらよんはしら五絃ごげんはしら)。このほか高音こうおんようの「しょう絃」、低音ていおんようの「だい絃」もつくられたが、一般いっぱんてき普及ふきゅうはしていない。

現代げんだい琵琶びわ

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古典こてんてき楽曲がっきょくだけではなく、独奏どくそう合奏がっそうともに様々さまざま作曲さっきょくこころみられている。古典こてんのスタイルにのっとった新作しんさくもあるが、とく打楽器だがっきてき効果こうかつよ薩摩琵琶さつまびわは、しばしば現代げんだい音楽おんがくにももちいられる。武満たけみつとおるの「ノヴェンバー・ステップス」、「エクリプス」などが有名ゆうめい。このほか和楽わらくオーケストラのなか薩摩琵琶さつまびわ筑前ちくぜん琵琶びわが1~2パートをつこともすくなくない。またらく琵琶びわでは、新作しんさく雅楽ががくきょくのパートとしての演奏えんそうのほか、奈良なら時代じだい楽曲がっきょく復元ふくげん演奏えんそうなどもこころみられている。

日本にっぽん琵琶びわのいくつかに共通きょうつう事項じこう

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めくらそう琵琶びわ薩摩琵琶さつまびわ筑前ちくぜん琵琶びわたかフレット(「はしら」としょうする)をつ。それだけつるむことができ、張力ちょうりょく変化へんかさせることにより音程おんてい調節ちょうせつできる範囲はんいひろい(はしらによってはちょうさんまで)。中国ちゅうごく琵琶びわがフレットをやして、楽器がっきとしての機能きのう向上こうじょうによって表現ひょうげんりょくたかめたのとはぎゃくに、日本にっぽん琵琶びわはフレットをやさず(場合ばあいによってはらし)、そのぶん演奏えんそうしゃ技倆ぎりょうをできるだけかして微妙びみょう演奏えんそうおこなうことをこのんだ。また中国ちゅうごく琵琶びわ金属きんぞくつるれているのにたいし、日本にっぽん琵琶びわ絹糸けんし繊細せんさい音色ねいろ大切たいせつにしている。いっぽうリュートがばちて、指頭しとうくことからおとせい発達はったつさせ、つるすうえていったのにくらべ、日本にっぽん琵琶びわぎゃくばち大型おおがたしていちおとにすべてをめ、また打楽器だがっきてき効果こうかたせた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 植木うえき雅俊まさとしやく『梵漢和かんわ対照たいしょう現代げんだいやく 法華経ほけきょう』(岩波書店いわなみしょてん、2008ねん)上巻じょうかんp.119では「ヴィーナー」と表記ひょうき
  2. ^ a b c 文字もじ代用だいようしているので多少たしょうことなる。
  3. ^ 文字もじ代用だいようしている。実際じっさいにはもっと横長よこなが字形じけい
  4. ^ a b 実際じっさいげん琵琶びわ楽譜がくふには用例ようれいなし。
  5. ^ この2文字もじべつたい関係かんけいにあるという。
  6. ^ 「凢母」(ごう)ともく。
  7. ^ 実際じっさいにはうえてんがない字形じけい

出典しゅってん

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  1. ^ 天台宗てんだいしゅう公式こうしきサイト「法話ほうわしゅうNo.138琵琶びわおと」( http://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=162 )2021ねん3がつ14にち閲覧えつらん
  2. ^ 杨荫浏『中国ちゅうごく古代こだいおん乐史稿こうじょうさつ人民じんみんおん出版しゅっぱんしゃ、1980ねん、129-131ぺーじ 
  3. ^ はやし謙三けんぞう琵琶びわしんこう とくにそのほう奏法そうほう変遷へんせんについて」『奈良なら学芸がくげい大学だいがく紀要きよう 人文じんぶん社会しゃかい科学かがくだい12かん、1964ねん、70–85。 
  4. ^ Proposal to encode old Chinese lute notation” (PDF). unicode.org (2017ねん9がつ7にち). 2019ねん5がつ17にち閲覧えつらん
  5. ^ 河添こうぞえ房江ふさえ唐物とうぶつ文化ぶんか : 舶来はくらいひんからみた日本にっぽん』11ぺーじ
  6. ^ 天台宗てんだいしゅう公式こうしきサイト「法話ほうわしゅう No.138琵琶びわおとhttps://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=162 閲覧えつらん2022ねん2がつ22にち
  7. ^ 兵藤ひょうどう裕巳ひろみ琵琶びわ法師ほうし:<ことかい>をかたひとびと』岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ〉、2009ねんISBN 978-4-00-431184-3  pp.26–30.

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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  1. ^ 語源ごげん由来ゆらい辞典じてん (2007ねん7がつ1にち). “ビワ/枇杷びわ/びわ”. 語源ごげん由来ゆらい辞典じてん. 2023ねん11月20にち閲覧えつらん