源氏物語げんじものがたり絵巻えまき

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たけかわ はるさんがつ場所ばしょ玉鬘たまかずらてい玉鬘たまかずらむすめ大君おおきみなかきみ姉妹しまい垣間見かいまみ蔵人くろうど少将しょうしょうみぎはし)。姉妹しまい左手ひだりてやしきない)はつぼ前栽せんざい中庭なかにわ)のさくらぶつにしてっている。簀子すのこにいる盛装せいそう女性じょせい女房にょうぼうたち。
東屋あずまやいち 手前てまえ女房にょうぼうかみかせている宇治うじなかきみ後姿うしろすがた)。なかきみみぎ横顔よこがおえるのは女房にょうぼう右近うこんおく浮舟うきふねにおいみや強引ごういんにいいよられて傷心しょうしん浮舟うきふねをなぐさめようと、異母いぼあねなかきみ物語ものがたりす。右近うこん物語ものがたり詞書ことばがき朗読ろうどくし、浮舟うきふねはそれをきながら冊子さっし物語ものがたり見入みいる。このは、当時とうじ物語ものがたり鑑賞かんしょう絵画かいが鑑賞かんしょうのありかた具体ぐたいてきつたえる貴重きちょう資料しりょうである。
柏木かしわぎ 柏木かしわぎは、みなもときみ正妻せいさいおんなさんみやとの密通みっつう事件じけんのちおもやまいせていた。場所ばしょ柏木かしわぎていやまいゆか柏木かしわぎは、見舞みまいによう友達ともだちゆうきり後事こうじたくす。
宿木やどりぎさん 琵琶びわにおいみやなかきみ場所ばしょにおいみやじょういんたいにおいみやろくきみゆうきりむすめ)をきたかたとし、なかきみのいるじょういんには滅多めったかおせない。身重みおもなかきみおもいは複雑ふくざつである。そうしたなかきみ相談そうだん相手あいてになってくれるのはかおるだった。においみや琵琶びわいてなかきみをなぐさめようとするが、なかきみにはかおるうつがし、においみや2人ふたりなかあやしむ。ななめの構図こうず男女だんじょ不安定ふあんていしん象徴しょうちょうする。にわ尾花おばなが、ぶし晩秋ばんしゅうであることをげる。

源氏物語げんじものがたり絵巻えまき(げんじものがたりえまき)は、源氏物語げんじものがたり題材だいざいにした絵巻物えまきものである。源氏物語げんじものがたり題材だいざいとする絵巻物えまきもの複数ふくすう存在そんざいするが、ほんこうでは通称つうしょうりゅうのう源氏げんじ」(たかよしげんじ)とばれている平安へいあん時代じだい末期まっき作品さくひんで、国宝こくほう指定していされている作品さくひんについてべる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

かつて「たかしのう源氏げんじ」とばれてきた『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』は、源氏物語げんじものがたり題材だいざいにして制作せいさくされた絵巻えまきとしては現存げんそん最古さいこのもので、平安へいあん時代じだい末期まっき制作せいさくであるとされている。『ばん大納言だいなごん絵詞えことば』、『信貴山しぎさん縁起えんぎ絵巻えまき』、『鳥獣ちょうじゅう人物じんぶつ戯画ぎが』(いずれも国宝こくほう)とともに日本にっぽんよんだい絵巻えまきしょうされる[1]。なお、日本にっぽんよんだい絵巻えまきには鳥獣ちょうじゅう人物じんぶつ戯画ぎがわりに『粉河寺こかわでら縁起えんぎ絵巻えまき』をあげる見解けんかい存在そんざいする[2]

本来ほんらい源氏物語げんじものがたりの54じょう全体ぜんたいについて作成さくせいされたとかんがえられている。かくじょうより1ないし3場面ばめんえらんで絵画かいがし、その対応たいおうする物語ものがたり本文ほんぶん書写しょしゃした「詞書ことばがき」をかくまええ、「詞書ことばがき」と「」を交互こうごかえ形式けいしきである。全部ぜんぶで10かん程度ていど絵巻えまきであったと推定すいていされる。 引目鉤鼻ひきめかぎはな吹抜ふきぬき屋台やたいといった技法ぎほうもちいてえがかれた。

現存げんそんじょうきょう[編集へんしゅう]

ほん絵巻えまき現存げんそんするのは絵巻えまき全体ぜんたい一部分いちぶぶんのみである。

名古屋なごや徳川とくがわ美術館びじゅつかん15めん28めん蓬生よもぎう関屋せきや絵合えあわせのみ)、柏木かしわぎ横笛よこぶえたけかわはしひめ早蕨さわらび宿木やどりぎ東屋あずまやかくじょう)、東京とうきょう世田谷せたがや五島ごしま美術館びじゅつかん4めん9めん鈴虫すずむしゆうきり御法みのりかくじょう)が所蔵しょぞうされ、それぞれ国宝こくほう指定していされている。徳川とくがわ美術館びじゅつかん所蔵しょぞうされている3かんきょうはもと尾張おわり徳川とくがわにあったものである。一方いっぽう五島ごしま美術館びじゅつかんにある1かんじゃくはもと阿波あわ蜂須賀はちすかにあったものが明治めいじ20ねんごろ美術びじゅつひんなどと一括いっかつして美術びじゅつしょう柏木かしわぎさがせいにしえ売却ばいきゃくされ[3]、その実業じつぎょう茶人ちゃじん益田ますだたかしどんおきな)の所蔵しょぞうとなり、さらに戦後せんごになって東京とうきょうコカ・コーラボトリング創業そうぎょうしゃ高梨たかなし仁三郎じんざぶろう所有しょゆうとなり、東急とうきゅうグループの総帥そうすい五島ごしま慶太けいた同人どうじん直前ちょくぜんったものである。

徳川とくがわほん五島ごしまほんとも1932ねん昭和しょうわねん)、保存ほぞんじょう配慮はいりょから田中たなかちかしによって詞書ことばがきはなし、巻物まきもの状態じょうたいからきりばこせいがくそうあらためたものの、徳川とくがわほんかんしては、2018ねん平成へいせい30ねん)、台紙だいしったり、かみ亀裂きれつたりしたという、保存ほぞんじょう理由りゆうから、ふたた巻子本かんすぼん表装ひょうそうなおされた[4]。 このほか、東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん若紫わかむらさきまき断簡だんかんがあり、しょげい文化ぶんかいん春敬はるよし記念きねん書道しょどう文庫ぶんこ飯島いいじま春敬はるよし収集しゅうしゅうした末摘花すえつむはな松風まつかぜ常夏とこなつ柏木かしわぎ詞書ことばがき断簡だんかんが、その数箇所すうかしょ若紫わかむらさきうすくも少女しょうじょぼたる柏木かしわぎ詞書ことばがき断簡だんかん所蔵しょぞうされている。ただ個人こじんくらとされているもののなかには現在げんざい所在しょざい不明ふめいになっているものもあるとされている[5]。2015ねん11月13にち徳川とくがわ美術館びじゅつかんにより源氏物語げんじものがたり絵巻えまき修理しゅうり過程かていけい3めんから構図こうずことなる下絵したえつかったと発表はっぴょうされた[6]

伝来でんらい[編集へんしゅう]

徳川とくがわほん五島ごしまほんが、それぞれ尾張おわり徳川とくがわ蜂須賀はちすかはい以前いぜん伝来でんらいは、徳川とくがわ義親よしちかによる駿河するがゆずるほんせつもあった[7]。ところが、徳川とくがわ美術館びじゅつかん学芸がくげい部長ぶちょう四辻よつつじ秀紀ひできは、徳川とくがわ五島ごしまほん源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』の来歴らいれきについて、幕末ばくまつ鷹司たかつかさから尾張おわり徳川とくがわ蜂須賀はちすか子女しじょとついでいることから、このせつ否定ひていし、鷹司たかつかさ家子いえこおんな嫁入よめいほんとして絵巻えまきおくられた可能かのうせいを、以下いかのようにべている[8]

明治維新めいじいしんさいして蜂須賀はちすかはなれた五島ごしまほんは、その古川ふるかわ躬行きゅうこう蜷川にながわしきたね柏木かしわぎ貨一ろう所蔵しょぞうしゃ転々てんてんとし、明治めいじまつねんには益田ますだたかしどんおきないちはちよんはちいちきゅうさんはち)が入手にゅうしゅ徳川とくがわほんさんかん額面がくめん仕立したてへの改装かいそうじゅんじて田中たなかちかし額面がくめんあらためさせている。戦後せんごいた益田ますだはなれた五島ごしまほんは、瀬津せづ伊之助いのすけ高梨たかなし仁三郎じんざぶろう、さらに五島ごしま慶太けいたいちはちはちいちきゅうきゅう)のゆうとなり、昭和しょうわさんじゅうねんいちきゅうろく〇)五島ごしま美術館びじゅつかん設立せつりつともなってこれに寄付きふされ、今日きょういたっている。…これらの絵巻えまきが、大坂おおさかなつじん豊臣とよとみ滅亡めつぼうさいして徳川とくがわ家康いえやす蜂須賀はちすかとともにその倉庫そうこしのり、略奪りゃくだつした財宝ざいほうるいなかふくまれていたとする俗説ぞくせつ戦前せんぜんされた。…鷹司たかつかさにとって大切たいせつ絵巻えまき春日かすが権現ごんげんけん)の一部いちぶ模本もほん何故なぜ尾張おわり徳川とくがわ阿波あわ蜂須賀はちすかにもたらされたのであろうか。天保てんぽうななねんいちはちさんろく鷹司たかつかさまさしひろしむすめ定子さだこ近衛このえはじめまえ養女ようじょとなり尾張おわり徳川とくがわじゅういちだい斉温なりはるにゅう輿こし一方いっぽう鷹司たかつかさまさしひろしむすめ幷子が蜂須賀はちすかじゅうだいひとしあきら夫人ふじんに、鷹司たかつかさまさしどおりむすめしるべ蜂須賀はちすかじゅうさんだいひとし裕子ゆうこ夫人ふじんとなるなど、それぞれにふか婚姻こんいん関係かんけいにあり、そのなかいえたからともうべき重宝ちょうほう贈答ぞうとうされたとかんがえられる。国宝こくほう源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』もまた、『春日かすが権現ごんげんけん』と同様どうよう五摂家ごせっけひと鷹司たかつかさからそれぞれの大名だいみょうにもたらされた可能かのうせい視野しやふくかんがえてもよいようにおもわれる。(四辻よつつじ2010、p.207)

詞書ことばがき本文ほんぶん[編集へんしゅう]

横笛よこぶえ 詞書ことばがき

絵巻えまき詞書ことばがき(ことばがき)として対応たいおうする源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん抄出しょうしゅつしてかれている。この本文ほんぶん内容ないようあお表紙ひょうしほん河内かわうちほんといった現在げんざい一般いっぱんてきられている源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん大筋おおすじどうじながら部分ぶぶんてきにかなりことなる本文ほんぶんふくんでおり、なかには陽明ようめい文庫本ぶんこぼんなどのべつほんとされる本文ほんぶんちかいものをおおふくんでいるとの指摘してきもある[9]。これがもともとことなる本文ほんぶん写本しゃほんもとにしたためにことなるのか、それとも絵巻物えまきもの詞書ことばがきという性質せいしつじょうもともとの本文ほんぶん要約ようやくするなどの改変かいへんくわえたためなのかが不明ふめいであり、そのまま『源氏物語げんじものがたり』のつてほんとみなすことはできない。しかし、現在げんざいのこっている源氏物語げんじものがたり本文ほんぶんとしてもっとふるいもので、平安朝へいあんちょう本文ほんぶん今日きょうつたえてくれる現存げんそん唯一ゆいいつ重要じゅうようなものである[10]。また絵詞えことば本文ほんぶん伝来でんらいについては、この絵詞えことば本文ほんぶん作成さくせいさい参照さんしょうしたしょほん(かきほん)がくにふゆほん系統けいとうであり、『かわうみしょうしょ引のしたがえいち麗子れいこほん一致いっちするところがあることから、これらの本文ほんぶん系譜けいふ一本いっぽん遡及そきゅうされるとするせつとなえられている[11]近時きんじりょうさとる光源氏ひかるげんじ物語ものがたりほんこと」にえる摂関せっかん伝来でんらい源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん記事きじと、「柏木かしわぎまき詞書ことばがき本文ほんぶん特性とくせいべつほん保坂ほさかほんくにふゆほん近接きんせつするという調査ちょうさ結果けっかとを勘案かんあんして、この詞書ことばがき本文ほんぶんを「摂関せっかん家伝かでんりょうほんぐん本文ほんぶん措定そていし、この本文ほんぶん系譜けいふほんに「紫式部むらさきしきぶ日記にっき」にえる紫式部むらさきしきぶの「みなもと物語ものがたりくさ稿本こうほん想定そうていするろん提出ていしゅつされた[12]

名称めいしょう[編集へんしゅう]

ほんこう解説かいせつする「源氏物語げんじものがたり絵巻えまき」は絵師えし藤原ふじわらたかしのうつたえることから一般いっぱんに「たかしのう源氏げんじ」とばれていた。源氏物語げんじものがたり題材だいざいにした絵巻物えまきもの数多かずおおくあるなか国宝こくほう指定していされているものはこれだけであることから「国宝こくほう源氏物語げんじものがたり絵巻えまき」とばれることもある。この呼称こしょう所蔵しょぞうさき五島ごしま美術館びじゅつかん徳川とくがわ美術館びじゅつかんのオフィシャルサイトやパンフレットなどにおいてしばしば使用しようされている。また所蔵しょぞうさき名前なまえかんするかたちで「徳川とくがわほん源氏物語げんじものがたり絵巻えまき」「五島ごしまほん源氏物語げんじものがたり絵巻えまきとうばれることもある。

源氏物語げんじものがたり題材だいざいにした絵巻物えまきもの数多かずおお存在そんざいし、「源氏物語げんじものがたり絵巻えまき」という名称めいしょうばれる絵巻物えまきものもいくつか存在そんざいする。国宝こくほうほん以外いがい著名ちょめいな「源氏物語げんじものがたり絵巻えまき」としては狩野かの尚信なおのぶによるもの[13]久隅くすみ守景もりかげによるもの[14]狩野かのさかえがわによるもの[15]ひとしがある。しかしながら現存げんそんしている源氏物語げんじものがたり題材だいざいにした絵巻物えまきものなかでは、「たかしのう源氏げんじ」がもっとふるく、もっと著名ちょめいであることから、たんに「源氏物語げんじものがたり絵巻えまき」と場合ばあいには「たかしのう源氏げんじ」をすことがおおい。

画風がふう[編集へんしゅう]

鈴虫すずむし みなもときみ冷泉れいせんいんから月見つきみうたげまねかれる。はしらすわるのが源氏げんじ、これにたいするのが冷泉れいせんいん源氏げんじおとうと冷泉れいせんいんは、じつ源氏げんじふじつぼとの密通みっつうによってまれた不義ふぎであった。画面がめんみぎふえわか貴公子きこうしみなもとゆうきりとみられ、みなもと不義ふぎはさまれてしている。

かつてこの「源氏物語げんじものがたり絵巻えまき」は平安へいあん時代じだい末期まっき名高なだか絵師えしとして活躍かつやくした藤原ふじわらたかしのう1人ひとりでこれをえがげたとかんがえられていたために一般いっぱんてきに「たかしのう源氏げんじ」といったばれかたをされていた。しかしながらこの絵巻えまき藤原ふじわらたかしのうさくであるとすることについてはとく確証かくしょうはなく、江戸えど時代じだい鑑定かんてい住吉すみよし広行ひろゆき1755ねんたかられき5ねん)-1811ねん文化ぶんか8ねん))が『やまとにしき』においてはじめたことであり[16]、「たかしのう源氏げんじ」なるかたひろまったのは明治めいじ時代じだい以後いごのことである[17]とされている。

近年きんねん研究けんきゅう進展しんてんともなって、現存げんそんする部分ぶぶんだけでも、かおえがくときの筆致ひっち画風がふうちがいなどから

  • Aるい 柏木かしわぎ横笛よこぶえ鈴虫すずむしゆうきり御法みのりかくじょう
  • Bるい 蓬生よもぎう関屋せきやかくじょう
  • Cるい 若菜わかな早蕨さわらび宿木やどりぎ東屋あずまやかくじょう
  • Dるい ちくかわはしひめかくじょう

の4つのグループに、また詞書ことばがき書風しょふう

  • 1るい 柏木かしわぎ横笛よこぶえ鈴虫すずむしゆうきり御法みのりかくじょう
  • 2るい 蓬生よもぎう関屋せきや絵合えあわせ松風まつかぜかくじょう
  • 3るい 若菜わかな末摘花すえつむはな早蕨さわらび宿木やどりぎ東屋あずまやかくじょう
  • 4るい ちくかわはしひめかくじょう
  • 5るい うすくも乙女おとめぼたる常夏とこなつかくじょう

の5つのグループにかれ、これらはそれぞれべつ制作せいさくグループによるものとかんがえられるようになった。したがって、現在げんざいでは(ふる時代じだい文献ぶんけん引用いんようする場合ばあいや、「かつてたかしのう源氏げんじばれていた」といった表現ひょうげんをされる場合ばあい[18]のぞいて)「たかしのう源氏げんじ」とばれることは基本きほんてきい。ただし、藤原ふじわらたかしのうほん絵巻物えまきもの製作せいさくしたグループのどれかのなかにいた可能かのうせいはある。ないしはたかいとかんがえられている。

昭和しょうわ復元ふくげん模写もしゃ[編集へんしゅう]

源氏物語げんじものがたり絵巻えまき(昭和しょうわ復元ふくげん模写もしゃ)とは、櫻井さくらい清香きよかにより徳川とくがわ美術館びじゅつかん保存ほぞんされている原本げんぽん複製ふくせいしたもの最新さいしん科学かがく技術ぎじゅつ使つかって原本げんぽん精確せいかく複写ふくしゃした平成へいせい復元ふくげん模写もしゃちがい、櫻井さくらい清香きよか自身じしん個性こせい反映はんえいされているため、原本げんぽんとはまたちがった絵画かいが作品さくひんとなっているとされる。

ギャラリー[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 佐野さのみどり「じっくりたい『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』」p. 4
  2. ^ 世界せかいの「ふしぎ雑学ざつがく研究けんきゅうかい日本にっぽんよんだい絵巻えまき」『図解ずかい 日本にっぽんの「さんだい」なんでも事典じてん』(三笠みかさ書房しょぼう 王様おうさま文庫ぶんこ2007ねん平成へいせい19ねん3がつ)。 ISBN 978-4837964179 pp..86-87
  3. ^ 山岸やまぎし徳平とくひら源氏物語げんじものがたりしょほん山岸やまぎし徳平とくひらおか一男かずお監修かんしゅう源氏物語げんじものがたり講座こうざ だい8かん有精ゆうせいどう出版しゅっぱん1972ねん昭和しょうわ47ねん)、pp.. 1-68。
  4. ^ 中日新聞ちゅうにちしんぶん、2018ねん11月3にちwebばんhttps://web.archive.org/web/20181103003507/http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20181103/CK2018110302000053.html
  5. ^ 「『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき現存げんそん一覧いちらんひょう中野なかの幸一こういちへん常用じょうよう 源氏物語げんじものがたり要覧ようらん武蔵野むさしの書院しょいん、1997ねん、pp.. 160-162。 ISBN 4-8386-0383-5
  6. ^ 読売新聞よみうりしんぶん 2015ねん11月14にち 39めん掲載けいさい
  7. ^ 徳川とくがわ義親よしちか国宝こくほう源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』をる」『最後さいご殿様とのさま徳川とくがわ義親よしちか自伝じでん講談社こうだんしゃ1973ねん昭和しょうわ48ねん
  8. ^ 四辻よつつじ秀紀ひでき国宝こくほう源氏物語げんじものがたり絵巻えまきについて」『国宝こくほう源氏物語げんじものがたり絵巻えまき五島ごしま美術館びじゅつかん、2010ねん pp..202-212。
  9. ^ 源氏物語げんじものがたりべつほん集成しゅうせい刊行かんこうかい「はじめに」『源氏物語げんじものがたりべつほん集成しゅうせい だい1かん』おうふう、1989ねん平成へいせい元年がんねん)3がつ
  10. ^ 木谷きたに真理子まりこ源氏物語げんじものがたりしょほん 絵巻えまきについて」『国文学こくぶんがく解釈かいしゃく鑑賞かんしょう 別冊べっさつ 源氏物語げんじものがたり鑑賞かんしょう基礎きそ知識ちしき 29 はなさと』(至文しぶんどう2003ねん平成へいせい15ねん)7がつ8にち) pp.. 242-250。
  11. ^ 中村なかむら義雄よしお源氏物語げんじものがたり絵巻えまき詞書ことばがき本文ほんぶん基礎きそてき考察こうさつ今西いまにし祐一郎ゆういちろう室伏むろふし信助しんすけ監修かんしゅう上原うえはらさくじん英則ひでのり編集へんしゅう『テーマで源氏物語げんじものがたりろん2 本文ほんぶん史学しがく展開てんかい 言葉ことばをめぐる精査せいさつとむまこと出版しゅっぱん2008ねん平成へいせい20ねん)6がつ12にち、 pp.. 65-114 ISBN 978-4-585-03187-1初出しょしゅつ源氏物語げんじものがたり絵巻えまき詞書ことばがき性格せいかく」『日本にっぽん絵巻物えまきもの全集ぜんしゅうだい1かん源氏物語げんじものがたり絵巻えまき角川書店かどかわしょてん1958ねん昭和しょうわ33ねん) ASIN: B000JB3A5W
  12. ^ 上原うえはらさく「「廿にじゅうまきほん源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』」詞書ことばがき本文ほんぶん-〈摂関せっかん家伝かでんりょうほんぐんべつほんさん分類ぶんるいあん鼎立ていりつのために」東京大学とうきょうだいがく国語こくご国文こくぶん学会がっかいへん国語こくご国文学こくぶんがくだい86かんだい5ごうつうごうだい1026ごう特集とくしゅう王朝おうちょう物語ものがたり研究けんきゅう)、ぎょうせい、2009ねん平成へいせい21ねん)5がつ1にち、pp.. 82-95 ISSN 0387-3110 のちにうえ原作げんさく光源氏ひかるげんじ物語ものがたり傳來でんらい武蔵野むさしの書院しょいん、2011ねん(平成へいせい23ねん)11月、pp…46‐74。ISBN 978-4-838-60256-8 所収しょしゅう
  13. ^ 源氏物語げんじものがたり絵巻えまき狩野かの尚信なおのぶ)」伊井いい春樹はるきへん源氏物語げんじものがたり 注釈ちゅうしゃくしょ享受きょうじゅ事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん2001ねん平成へいせい13ねん9月15にち、pp. 228-229。 ISBN 4-490-10591-6
  14. ^ 源氏物語げんじものがたり絵巻えまき久隅くすみ守景もりかげ)」伊井いい春樹はるきへん源氏物語げんじものがたり 注釈ちゅうしゃくしょ享受きょうじゅ事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん2001ねん平成へいせい13ねん9月15にち、p. 229。 ISBN 4-490-10591-6
  15. ^ 源氏物語げんじものがたり絵巻えまき狩野かのさかえかわ)」伊井いい春樹はるきへん源氏物語げんじものがたり 注釈ちゅうしゃくしょ享受きょうじゅ事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん2001ねん平成へいせい13ねん9月15にち、pp. 230-232。 ISBN 4-490-10591-6
  16. ^ 白畑しらはたよしへん日本にっぽん美術びじゅつ 49 物語ものがたり絵巻えまき至文しぶんどう1970ねん昭和しょうわ45ねん)、p. 26。
  17. ^ 秋山あきやま光和みつかずへん日本にっぽん美術びじゅつ 119 みなもと至文しぶんどう1976ねん昭和しょうわ51ねん)、p. 33。
  18. ^ 杉浦すぎうら佐知さち源氏げんじ世界せかい絵画かいがからみる『源氏物語げんじものがたり』―」國學院大學栃木短期大学こくがくいんだいがくとちぎたんきだいがくへん源氏物語げんじものがたり魅力みりょくしゅう叢書そうしょ2、おうふう、2010ねん平成へいせい22ねん)7がつ、pp.. 123-148。 ISBN 978-4-2730-3613-3
  19. ^ 現存げんそんする国宝こくほう絵巻えまきなかで、大観たいかんてき風景ふうけいなか人物じんぶつえがくのはこののみである。
  20. ^ 当時とうじ結婚けっこん形式けいしきでは、男性だんせい女性じょせいのもとにさんばんつづけてとおったのち露顕ろけん(ところあらわし、「ところあらわ」とも)という儀式ぎしきて、はじめて正式せいしき夫婦ふうふみとめられた。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

小説しょうせつ[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]