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弘安ひろやす源氏げんじ論議ろんぎ

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弘安ひろやす源氏げんじ論議ろんぎ』(こうあんげんじろんぎ)は、1280ねん弘安ひろやす3ねん)にみなもとあらわによってあらわされた『源氏物語げんじものがたり』の注釈ちゅうしゃくしょである。たんに『源氏げんじ論議ろんぎ』とばれることもある[1]

概要がいよう

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本書ほんしょ弘安ひろやす3ねん10がつ5にち1280ねん10月29にちよる東宮とうぐう伏見天皇ふしみてんのう)のまえおこなわれた『源氏物語げんじものがたり』の難儀なんぎじゅうろくだい論議ろんぎ問答もんどう記録きろくというかたちっている討論とうろん形態けいたい注釈ちゅうしゃくしょであり、討論とうろん形態けいたい注釈ちゅうしゃくしょなかでは最古さいこのものであるとされている。この論議ろんぎ問答もんどうには、ひだりかた飛鳥井あすかい雅有まさあり高倉たかくらはんふじ持明院じみょういんちょうしょうみなもとあらわ)およびみぎかた藤原ふじわらやすしのう楊梅やまもも兼行けんこう藤原ふじわらじょうなり藤原ふじわらためかた)にかれてけい8めい参加さんかし、1人ひとり2だいずつの論題ろんだいあつかったとされている。実際じっさいにこのような論議ろんぎ問答もんどうがこのときおこなわれたのか、またおこなわれたとして実際じっさい議論ぎろん内容ないようがどの程度ていど本書ほんしょ反映はんえいされているのかは不明ふめいである。

論議ろんぎ

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もともと「論議ろんぎ」とは、きょうせつ問答もんどうあるいは論説ろんせつ意味いみするサンスクリット由来ゆらいする言葉ことば[2]仏教ぶっきょうにおいては仏典ぶってん解釈かいしゃくのためにおこなわれる議論ぎろんのことを意味いみし、じゅうけいひとつとして、仏陀ぶっだあるいは仏弟子ぶつでしたちがおしえについて論議ろんぎ問答もんどうによってあきらかにしたものをしたり、経典きょうてん註釈ちゅうしゃくしょ標題ひょうだいとしてももちいられる。本書ほんしょもそのような仏典ぶってん解釈かいしゃくのためにおこなわれた議論ぎろんしたかたちで、『源氏物語げんじものがたり』の解釈かいしゃくについての議論ぎろんおこなうものになっている。

内容ないよう

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有職故実ゆうそくこじつ準拠じゅんきょ引歌ひきうたなどを内容ないようとしているものがおおく、出典しゅってん先例せんれい重視じゅうしした当時とうじ鎌倉かまくら時代ときよ)の学問がくもん傾向けいこう反映はんえいしているとられる。

などの記述きじゅつがある。前半ぜんはんいたって忠実ちゅうじつ論議ろんぎ記録きろくになっているが、後半こうはんにいくほどパロディてき要素ようそおおふくまれているおどけぶんになっている。

本文ほんぶん

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もともと東宮とうぐう伏見天皇ふしみてんのう)に献上けんじょうされた「中書ちゅうしょほん」とさらにそれを整理せいりしてとりまとめた「だいほん」とが存在そんざいするとされるが、現存げんそんするのはすべて「だいほん」の系統けいとうである。寛文ひろふみ元年がんねんばん寛文ひろふみはち年版ねんばん版本はんぽんはあるが、ぐんしょ類従るいじゅう所収しょしゅう版本はんぽん流布るふほんといえる。このほかふる時期じき写本しゃほんもいくつかあり、きゅうじょうほんつて九条くじょう稙通ふで)が『源氏物語げんじものがたり大成たいせい資料しりょうへん』で翻刻ほんこくされている。

翻刻ほんこくほん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ みずうみがつしょう』など。
  2. ^ 論議ろんぎ」とはサンスクリット漢語かんご意訳いやくした場合ばあい表現ひょうげんで、おとうつしした場合ばあいにはゆうばばひさげしゃ表記ひょうきされる。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 大津おおつ有一ゆういち注釈ちゅうしゃくしょ解題かいだい 弘安ひろやす源氏げんじ論議ろんぎ池田いけだ亀鑑きかんへん源氏物語げんじものがたり事典じてん 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ昭和しょうわ35ねん(1960ねん)5がつ3にち、p. 98。
  • 弘安ひろやす源氏げんじ論議ろんぎ伊井いい春樹はるきへん源氏物語げんじものがたり 注釈ちゅうしゃくしょ享受きょうじゅ事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん2001ねん平成へいせい13ねん)9がつ15にち、pp. 348-353。 ISBN 4-490-10591-6

関連かんれん項目こうもく

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