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源氏物語げんじものがたり和歌わか

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源氏物語げんじものがたり > 源氏物語げんじものがたり和歌わか
源氏物語げんじものがたり歌合うたあわせ絵巻えまき』(室町むろまち時代じだい
源氏物語げんじものがたり』の36にん登場とうじょう人物じんぶつさんじゅう六歌仙ろっかせんになぞらえ、その作中さくちゅうを54ばん歌合うたあわせにつがえた作品さくひん絵巻えまき

源氏物語げんじものがたり和歌わか(げんじものがたりのわか)では、『源氏物語げんじものがたり』の作中さくちゅうについて解説かいせつする。

源氏物語げんじものがたりぜん54じょうなかまれた作中さくちゅうは795しゅかぞえる[1][注釈ちゅうしゃく 1]王朝おうちょう物語ものがたりではかなら作中さくちゅう和歌わかまれるが、なかでも『源氏物語げんじものがたり』の作中さくちゅう評価ひょうかたかく、後世こうせい歌人かじん表現ひょうげん発想はっそう源泉げんせんでありつづけた[3][4]

平安へいあん末期まっきに『源氏物語げんじものがたり』が古典こてんしてからは歌人かじん必読ひつどくしょとされ、12世紀せいき歌人かじん藤原ふじわら俊成としなりは「みなもとざる歌詠うたよみは遺恨いこんことなり」とひょうした[5]。そうした評価ひょうか背景はいけいに『源氏げんじしゃく』を嚆矢こうしとして中世ちゅうせいには引歌ひきうた[注釈ちゅうしゃく 2]出典しゅってんなどをしるした注釈ちゅうしゃくしょ数多かずおおされたほか、『風葉ふうよう和歌集わかしゅう』(作中さくちゅうから180しゅ収録しゅうろく)や『物語ものがたりひゃくばん歌合うたあわせ』(どう200しゅ)などにおおくの作中さくちゅうられた[7][8]近世きんせいでも主要しゅよううたあらすじをまとめた『みなもとしょうきょう』などが連歌れんがたしな町人ちょうにんそう参考さんこうしょとなった[5]山田やまだ俊博としひろは、そうした評価ひょうかけた理由りゆうを「うた下手へた登場とうじょう人物じんぶつうたはきちんと下手へたつくってあるというてんふくめてすべてがめいうたであり、なおかつそのうたまれた状況じょうきょう説明せつめいされている」としている[1][5]

作中さくちゅう役割やくわり

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源氏物語げんじものがたり』は、散文さんぶんかれたぶん会話かいわぶんうちはなしぶんくわえ、和歌わか消息しょうそくぶん構成こうせいされている[9]。このうち作中さくちゅうは、当時とうじ貴族きぞく日常にちじょうてきいとな和歌わか文化ぶんか表出ひょうしゅつであると同時どうじに、物語ものがたり表現ひょうげん技法ぎほうのひとつとなっている。たとえばふじつぼ思考しこう散文さんぶんかれるいっぽうで、光源氏ひかるげんじへの心情しんじょう和歌わかまれるのはその典型てんけいである[10]。ただし、そうした役割やくわり和歌わか単独たんどくおこなわれることすくなく、その前後ぜんごぶんなどと協同きょうどうして表現ひょうげんされていることが『源氏物語げんじものがたり』の特徴とくちょうである[11]

和歌わかによる人物じんぶつ描写びょうしゃ

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作中さくちゅう大半たいはん登場とうじょう人物じんぶつによってまれた和歌わかである。びとについて見解けんかいかれるうたもあるが、光源氏ひかるげんじの221しゅ際立きわだっておおく、2番目ばんめが57しゅかおるで、ゆうきり浮舟うきふねにおいみやじゅんつづ[12][13]。それらの作中さくちゅう登場とうじょう人物じんぶつ心理しんり描写びょうしゃであるにまらず[14]登場とうじょう人物じんぶつごとにけることで個性こせい表現ひょうげんされている[15]。また和歌わか便宜べんぎてきまれた場面ばめんおうじてどく詠歌えいか手習てならいをふくむ)・贈答ぞうとう唱和しょうわの3しゅ分類ぶんるいされるが[16][注釈ちゅうしゃく 3]まれた場面ばめんややりりによって人間にんげん関係かんけい描写びょうしゃされることもある[15]尾崎おざきひだり永子えいこは、そのようなこまやかな心理しんり描写びょうしゃが『源氏物語げんじものがたり』の評価ひょうかたかめているとしている[18]以下いかすうれいげる。

むらさきじょう

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むらさきじょううたについては「類型るいけいてき恋歌こいうた発想はっそうい、無難ぶなん穏当おんとう」とひょうされることおおいが、そのような特徴とくちょうについて鈴木すずき宏子ひろこは、むらさきうえ力量りきりょうではなく物語ものがたりにおける彼女かのじょ位置いちづけをあらわすとひょうしている[19]。また、若菜わかな上巻じょうかんむらさきうえんだどく詠歌えいかがめざとく光源こうげんつけられて返歌へんかけられてしまうこともふくめて、光源氏ひかるげんじへのおもいをうたかたわらにはつね光源氏ひかるげんじるとしたうえで、むらさきうえ光源氏ひかるげんじもと生涯しょうがいおくったしあわせと不幸ふこう印象いんしょうけているとしている[20]

ろくじょう御息所みやすんどころ

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いっぽうで光源こうげん執着しゅうちゃくのけとなるのがろくじょう御息所みやすんどころである。彼女かのじょが11しゅんだうたのうち7しゅおくうたである。一般いっぱん贈答ぞうとうはまず男性だんせいからおくられ、それに女性じょせいこたえるかたちわされるが、これにはんするかたちわされる贈答ぞうとうにん恋愛れんあい関係かんけい主導しゅどうけんることが出来でき[21]うた内容ないよう光源こうげんにすがる心情しんじょううたったものがおお[22]とく葵祭あおいまつりでのあおいじょう車争くるまあらそいの後日ごじつまれた絶唱ぜっしょう

そでぬるるこひぢとかつはりながら田子たつこのみづからぞうき(あおいまき

は、注釈ちゅうしゃくしょ細流さいりゅうしょう』で「此物だいいちうた」としょうされている[21]

その生霊いきりょうから死霊しりょうへとなったろくじょう御息所みやすんどころうたすごみをしていき、最期さいごひょういたおんなさんみや出家しゅっけ場面ばめんではうたことすらせず悪態あくたいをついてえていく[21]

あおいじょう

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むらさきうわろくじょう御息所みやすんどころ対照たいしょうてき意味いみ注目ちゅうもくされるのが、1しゅ作中さくちゅうまれていないあおいじょうである。和歌わかまない登場とうじょう人物じんぶつは16にんかぞえるが、それらの人物じんぶつ光源こうげん敵対てきたいてきあるいは心理しんりてき距離きょりがあることが指摘してきされている。主人公しゅじんこう正妻せいさいであるあおいうえうたまないことは夫婦ふうふ関係かんけいっており、不満ふまんふくめて感情かんじょう表現ひょうげんする気持きもちさえうしなわれていたことを示唆しさしている[23][24]

末摘花すえつむはな

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下手へた歌詠うたよみとしてえがかれるのが末摘花すえつむはなである。末摘花すえつむはなむ6しゅのうち3しゅ枕詞まくらことばの「唐衣からごろも」がもちいられている[22]。たとえば

きてみればうらみられけり唐衣からぎぬかえしてやりてむそでらして(玉鬘たまかずらまき

は「うら」と「うらみ」の掛詞かけことばや、「ちゃく」「うら」「かえす」など「ころも」の縁語えんごもちいられており、和歌わかとしての体裁ていさいととのっている。しかも唐衣からぎぬ作中さくちゅう光源氏ひかるげんじが「まり文句もんく」とひょうするように『万葉集まんようしゅう』からみえる枕詞まくらことばであり、いかにも古風こふうつくりは末摘花すえつむはな宮家みやけ出身しゅっしんただしい人物じんぶつとして印象いんしょうけている[22][15][25]

しかしまり文句もんくかえしてもちいる末摘花すえつむはなたいし、あきれた光源氏ひかるげんじ

唐衣からぎぬまたからころもからころもかへすがへすもからころもなる(行幸ぎょうこうまき

という皮肉ひにくにみちた返歌へんかうたい、末摘花すえつむはなたいわる歌詠うたよみであるという評価ひょうか決定けっていづけている[22][15]

近江おうみきみ

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また教養きょうようのない人物じんぶつとしてえがかれるのが近江おうみきみである。ちちあたま中将ちゅうじょう近江おうみきみしなさをなげき、近江おうみきみ異母いぼあねひろ徽殿女御にょうごのところに行儀ぎょうぎ見習みならいにそうとする。そのさい近江おうみきみひろ徽殿女御にょうごたいしててた手紙てがみしるしたうた

くさわかみ常陸ひたちうらのいかがさきいかであひけん田子たごうら常夏とこなつまき

で、1しゅのうちに「常陸ひたちうら」「いかがさき」「田子たごうら」という3かしょ歌枕うたまくら脈絡みゃくらくもなくれたうたとなっている。このうた困惑こんわくしたひろし徽殿女御にょうご側近そっきん返歌へんか代筆だいひつたのんだ。そうしてまれた返歌へんか

常陸ひたちなる駿河するがうみ須磨すまうら波立なみだでよ筥崎のまつ常夏とこなつまき

では「常陸ひたち」「駿河するがうみ」「須磨すまうら」「筥崎」とおくうた上回うわまわる4つの歌枕うたまくられ、からかいの意味いみふくまれていた。しかしそれにづかない近江おうみきみひろ徽殿女御にょうごえることをよろこび、これまたしな化粧けしょうをするというオチがいて教養きょうようのなさがえがされている[22][15]

源氏物語げんじものがたりにみられる特徴とくちょうてき和歌わか

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また土方ひじかた洋一よういち(2000ねん)は登場とうじょう人物じんぶつんだうたとはがたうたがあると指摘してきし、これを「画賛がさんてき和歌わか」としょうした[9][26]土方どかた画賛がさんてき和歌わかを「登場とうじょう人物じんぶつんだうたではなく、物語ものがたりかたなか作中さくちゅう人物じんぶつするなかで詠嘆えいたん感嘆かんたん表現ひょうげんする内省ないせいてきうた」としたうえで、「物語ものがたり叙情じょじょうてき場面ばめん高揚こうようする役割やくわりい、なおかつ『源氏物語げんじものがたり』と和歌わか世界せかい親和しんわてきにする効果こうかっている」としている[9][注釈ちゅうしゃく 4]

作中さくちゅう先行せんこう表現ひょうげん

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源氏物語げんじものがたり引歌ひきうた特徴とくちょう

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源氏物語げんじものがたり』では執筆しっぴつ当時とうじ読者どくしゃである貴族きぞくそうにおいて基本きほんてき教養きょうようであった『古今ここん和歌集わかしゅう』のうたことばがあらゆる場所ばしょりばめられており、それゆえ『古今ここん和歌集わかしゅう』の知識ちしきがないと『源氏物語げんじものがたり』の原文げんぶん理解りかいすることは出来できないとされている[28]。このような技巧ぎこう引歌ひきうたばれ、よくられたうた引用いんようすることでうたのもつ表現ひょうげん内容ないようかさわせ、文章ぶんしょう奥行おくゆきをあたえる効果こうかをもつ[10]

作中さくちゅう例外れいがいではなく『古今ここん和歌集わかしゅう』を中心ちゅうしんうた伝統でんとうてき和歌わか表現ひょうげん基本きほんとし、そこに和泉式部いずみしきぶどう時代じだい歌人かじんもちいた流行りゅうこう用語ようごなどを積極せっきょくてきむことであらたな表現ひょうげん可能かのうせい模索もさくしている[29]

たとえばきりつぼみかどきりつぼ更衣ころもがえ母親ははおやおくった弔問ちょうもん

宮城野みやぎの霧吹きりふきむすぶかぜおとしょうはぎがもとをおもいこそやれ(きりつぼまき

は、『古今ここん和歌集わかしゅう』にられた

宮木みやぎのもとあらのこはぎつゆをおもみふうをまつごときみをこそまで(こいよん・694)

いて「宮城野みやぎの」「小萩こはぎ」「」「ふう」をんでいる。しかし『古今ここん和歌集わかしゅう』の時代じだいでは「」は「く」ものであって「きむすぶ」という表現ひょうげんどう時代じだいにはられない。西山にしやま秀人ひでとは、この表現ひょうげんについててんろく3ねん(972ねん)に開催かいさいされ、いちじょうあさうたまゆみおおきな影響えいきょうあたえた規子のりこ内親王ないしんのう前栽せんざい歌合うたあわせ詠進えいしんされた1しゅ

浅茅生あさじゅうふきむすぶこがらしにみだれてもむしのこゑかな(10ばんひだり

注目ちゅうもくされた表現ひょうげん指摘してきしたうえで、紫式部むらさきしきぶ作風さくふうを「当世風とうせいふう表現ひょうげん積極せっきょくてきんでいる」とひょうしている[29]

引歌ひきうたまえた登場とうじょう人物じんぶつ

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前述ぜんじゅつのように引歌ひきうたうたのイメージを想起そうきさせる手法しゅほうだが、その対象たいしょうとなるのは物語ものがたり読者どくしゃである[10]。しかし『源氏物語げんじものがたり』には登場とうじょう人物じんぶつ引歌ひきうためられたイメージを了解りょうかいしたような表現ひょうげんえる。たとえば光源氏ひかるげんじ養女ようじょ玉鬘たまかずらおもいをげる場面ばめんまれたうた

うちとけてねもみぬものを若草わかくさのことありがおにむすぼほるらむ(胡蝶こちょうまき

は、以下いかの『伊勢物語いせものがたり』をまえたうたである。

うらわかげに若草わかくさひとむすばむことをしぞおもふ(49だん

伊勢物語いせものがたり』のうたあにいもうとたいして「ひとつまになるのはしい」とおもいをげるうたであり、これにたいするいもうと返歌へんかつづいている。光源氏ひかるげんじうたが『伊勢物語いせものがたり』49だんまえていることをかんった玉鬘たまかずらは、気分きぶんわるいとこたえてうたかえすことを拒否きょひし、光源氏ひかるげんじおもいを拒絶きょぜつしている[30]

登場とうじょう人物じんぶつかさわせ

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また『源氏物語げんじものがたり』の作中さくちゅうがのちのじょう引歌ひきうたとしてもちいられることもある。きりつぼみかどきりつぼ更衣ころもがえおもうたんだ。

たづねゆくまぼろしもがなつてにもたましいのありかをそことしるべく(きりつぼまき

まぼろしとは幻術げんじゅつのことで「更衣ころもがえたましいがどこにいるのかさがしてくれる幻術げんじゅつがいてしい」といううたである。このうたまえたうた光源氏ひかるげんじ生涯しょうがい最終さいしゅうばんまれる。

大空おおぞらをかよふまぼろしゆめにだにたましいのゆくほうたづねよ(まぼろしまき

まぼろしまき光源氏ひかるげんじ最愛さいあいひとであるむらさきじょうくなった翌年よくねん物語ものがたりで、光源氏ひかるげんじも「幻術げんじゅつむらさきうえたましいさがしてほしい」とんでいる。池田いけだ彌三郎やさぶろうは、しくも父子ふしともおな心境しんきょうんだことで『源氏物語げんじものがたり』は光源氏ひかるげんじちちきりつぼみかどおな境遇きょうぐういた物語ものがたりであったことを印象いんしょうけているとしている[31][32]

作中さくちゅう影響えいきょう評価ひょうか

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源氏物語げんじものがたり』と和歌わか関係かんけいってもれない関係かんけいにあり、とくに『源氏物語げんじものがたり』の登場とうじょう以降いこうはその内容ないよう歌人かじんにとって不可欠ふかけつ共通きょうつう教養きょうようとなった[33]山田やまだは、こうした評価ひょうかを『源氏物語げんじものがたり』が受容じゅようされた理由りゆうのひとつとしている[1]

源氏物語げんじものがたり』の作中さくちゅう和泉式部いずみしきぶなどどう時代じだい歌人かじんんだ和歌わかあいだ共通きょうつうてん見出みいだ指摘してきおおい。ただし『源氏物語げんじものがたり』の成立せいりつ時期じき明確めいかくではなく、その先後せんご関係かんけい決定けっていできない[34]。しかし中西なかにし智子さとこは、『源氏物語げんじものがたり』の執筆しっぴつ当時とうじからだい一読いちどくしゃである藤原ふじわら彰子あきこ周辺しゅうへんで『源氏物語げんじものがたり』を摂取せっしゅしたうたまれただけでなく、物語ものがたりてき解釈かいしゃくまえたうたまれたと指摘してきしている。またかわら裕子ゆうこは『源氏物語げんじものがたり成立せいりつから1世代せだいて、おおくの歌人かじんが『源氏物語げんじものがたり』を摂取せっしゅしていたとしている[35]

たとえば寛弘かんこう8ねん(1011ねん)に崩御ほうぎょした一条天皇いちじょうてんのう辞世じせいうた

くさ宿やどりにきみをおきてちりでぬることをこそおもへ(『御堂みどう関白かんぱく寛弘かんこう8ねん6がつ21にちじょう

は、光源氏ひかるげんじからむらさきじょうへのおくうたである

浅茅生あさじゅうやどりにきみをおきて四方しほうあらし静心しずごころなき(けんまき

まえたものとされている[36]

しかししばらくのあいだは、作中さくちゅう影響えいきょう私的してきうたまるもので、歌合うたあわせなど公的こうてきまれるうたにはおよばなかった[35]公的こうてき作中さくちゅう影響えいきょう見出みだせるようになるのは11世紀せいき中頃なかごろで、かわらちょうこよみ2ねん(1038ねん)の歌合うたあわせみなもとよりゆきんだれいもっとはやいとしている[37]。またながうけたまわ5ねん(1050ねん)におこなわれた祐子ゆうこ内親王ないしんのう歌合うたあわせ紫式部むらさきしきぶむすめである大弐三位だいにのさんみ浮舟うきふねうたまえたうたんだ。なか周子かねこは「大弐だいにさん周囲しゅういからの期待きたいこたえるかたちで『源氏物語げんじものがたり』のもちいてんだ」と推測すいそくしている[34]

後鳥羽ごとばいん口伝くでん』によれば、公的こうてきうたについて

源氏物語げんじものがたりうたしんをばらず、るはしからず」ともうしき。(中略ちゅうりゃく近代きんだいはその沙汰さたもなし。

しるされ、作中さくちゅう影響えいきょう当初とうしょみだけに限定げんていされていたが、堀河ほりかわちょうには心象しんしょう風景ふうけいまえたものがまれるようになった[35]

作中さくちゅう評価ひょうか著名ちょめいなのは藤原ふじわら俊成としなり言説げんせつである。たてひさ4ねん(1193ねん)におこなわれたろくひゃくばん歌合うたあわせの13ばん(テーマは枯野)で、ひだりかたうたるあきをなににのこさむくさのはらひとへにかはる野辺のべ気色けしきに」について、みぎかたは「くさはら」は墓所はかしょ連想れんそうさせるのでくないと批判ひはんしたが、これにたいはんしゃつとめた藤原ふじわら俊成としなりつぎのようにひょうした[5]

みぎかたは「くさはら」を批判ひはんするが、これは『源氏物語げんじものがたり』のはなえん朧月夜おぼろづきよんだ「にやがてえなばたずねてもくさはらをばわじとやおもう」で使つかわれた言葉ことばである。はなえんは『源氏物語げんじものがたり』でもとく優美ゆうびまきであり、これをらずに「くさはら」を批判ひはんするのは歌詠うたよみとしてあるまじきことである[5][注釈ちゅうしゃく 5]

このような評価ひょうかは、後世こうせい歌人かじんおおきな影響えいきょうあたえた。たとえばかわらによれば「一条いちじょうちょう女房にょうぼうのあいだでうたまれることがこのまれた紅葉こうようきくは、『源氏物語げんじものがたり』でも紅葉こうよう六条院ろくじょういん行幸ぎょうこうなどでうたまれたが、その一旦いったん和歌わかから姿すがたす」としたうえで、13世紀せいき初頭しょとう成立せいりつした『しん古今ここん和歌集わかしゅう』でふたた紅葉こうようきくあらわれるのは『源氏物語げんじものがたり』が媒介ばいかいであった可能かのうせいたかいとしている[38]

また作中さくちゅう影響えいきょううたそのものにまらない。長谷川はせがわはんあきらは「後朝きぬぎぬわかれのうた[注釈ちゅうしゃく 6]」について、『源氏物語げんじものがたり』は6れい際立きわだっておおいのにたいし、どう時代じだい日記にっき和歌集わかしゅうにはみられずほか王朝おうちょう物語ものがたりすうれいあるのみとしたうえで、平安へいあん時代じだい貴族きぞく後朝きぬぎぬうたわしわかれをしむイメージは『源氏物語げんじものがたり』がつくしたとしている[40]

歌人かじんとしての紫式部むらさきしきぶ

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源氏物語げんじものがたり』の作中さくちゅうは、当然とうぜんながら著者ちょしゃである紫式部むらさきしきぶしたうたである。紫式部むらさきしきぶわたし撰集せんしゅう紫式部むらさきしきぶしゅう』を編纂へんさん百人一首ひゃくにんいっしゅにもられる歌人かじんでもあるが、藤原ふじわら俊成としなりが「紫式部むらさきしきぶ和歌わかむより散文さんぶんほう上手うま[注釈ちゅうしゃく 5]」と表現ひょうげんしたように、歌人かじんとしての評価ひょうかたかくない[41]渡部わたなべ泰明やすあきは、紫式部むらさきしきぶ屏風びょうぶ[注釈ちゅうしゃく 7]歌合うたあわせなど公的こうてきうたむようなタイプではないと指摘してきしたうえで「んだうたどう時代じだい和泉式部いずみしきぶにはとおおよばず、公的こうてきうた赤染あかぞめ衛門えもん藤原公任ふじわらのきんとうおよばない」とひょうしている[27]。また尾崎おざきも「歌人かじんとしてはいきおいにけ、無難ぶなんさくおおい」としたうえで、作中さくちゅうについては「登場とうじょう人物じんぶつ性格せいかく物語ものがたり雰囲気ふんいき先行さきゆきの暗示あんじなどをうたむことがたくみ」と評価ひょうかしている[15]

紫式部むらさきしきぶみずからの力量りきりょう自認じにんしていたようで、作中さくちゅう前後ぜんごに「記憶きおく自信じしんく、だいたいこのようなるいうた」などとかたつうじてうた出来栄できばえについて弁明べんめい場面ばめんがみられる[36]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ このほかに『風葉ふうよう和歌集わかしゅう』には散逸さんいつしたとおもわれるまき作中さくちゅう4しゅ掲載けいさいされている[2]散逸さんいつしたまきについては源氏物語げんじものがたり#巻数かんすうはいくつか参照さんしょう
  2. ^ ひきうた。うたやその一部いちぶ引用いんようする和歌わか文章ぶんしょう技法ぎほう[6]
  3. ^ どく詠歌えいか一人ひとり人物じんぶつひとごとのように和歌わか[16]手習てならい:いわゆる習字しゅうじのことで、つづきの練習れんしゅうをするさい自作じさく和歌わかくことがある[12]贈答ぞうとう二人ふたりのあいだでたがいのおもいをわす和歌わか[17][16]唱和しょうわ:3にん以上いじょう宴席えんせきなどのわす和歌わか[16]
  4. ^ 画賛がさんてき和歌わかのひとつとされるはしひめまきの「やまおろしにこたえぬよりもあやなくもろきわがなみだかな」は、従来じゅうらいかおるどく詠歌えいかとされてきた[9]土方どかたは「画賛がさんてき和歌わかとそれ以外いがいうた境界きょうかいはあいまいであり、画賛がさんてき和歌わかなんしゅあるとかぞえることは出来できない」としている[27]
  5. ^ a b 原文げんぶんみぎかたじんくさはらなんさるこれじょうゆううたたあることにや、紫式部むらさきしきぶうたよみのほどよりもものかくひつ殊勝しゅしょうなり、そのうへはなえんまきはことにえんなるものなり、みなもとざるうたよみは遺恨いこんことなり」[5]
  6. ^ 後朝きぬぎぬ(きぬぎぬ・逢瀬おうせ翌朝よくあさのこと)のわかぎわ離別りべつしむ男女だんじょわした和歌わか藤岡ふじおか忠美ただみによれば、一般いっぱん後朝きぬぎぬうたふくまれるが、わかれたのちおくぶんうた後朝きぬぎぬぶんうた)は婚姻こんいん儀礼ぎれい一種いっしゅであるのにたいし、後朝きぬぎぬわかわかぎわ名残なごりじょうわすうたである[39]
  7. ^ 屏風びょうぶ主題しゅだいとしてまれる和歌わか。ハレの行事ぎょうじなどでまれる和歌わかで、紀貫之きのつらゆきなど専門せんもん歌人かじん嘱託しょくたくされた[42]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 山田やまだ利博としひろ 2017, pp. 5–6.
  2. ^ 志方しかた澄子すみこ 1984, pp. 33–35.
  3. ^ 山田やまだ利博としひろ 2017, pp. 15–22.
  4. ^ 小嶋こじまさい温子あつこ,渡部わたなべ泰明やすあき 2008, pp. i–ii.
  5. ^ a b c d e f 山田やまだ利博としひろ 2017, pp. 7–14.
  6. ^ コトバンク: 引歌ひきうた.
  7. ^ 志方しかた澄子すみこ 1984, pp. 32–33.
  8. ^ 田渕たぶち美子よしこ 2008, pp. 310–319.
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  11. ^ 山田やまだ利博としひろ 2017, pp. 103–110.
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  13. ^ 山田やまだ利博としひろ 2017, pp. 153–160.
  14. ^ 松井まつい健児けんじ 2007, pp. 56–61.
  15. ^ a b c d e f 尾崎おざきひだり永子えいこ 2011, pp. 139–142.
  16. ^ a b c d 土方ひじかた洋一よういち 2006, pp. 13–19.
  17. ^ コトバンク: 贈答ぞうとう.
  18. ^ 尾崎おざきひだり永子えいこ 2011, pp. 121–126.
  19. ^ 鈴木すずき宏子ひろこ 2009, pp. 26–31.
  20. ^ 鈴木すずき宏子ひろこ 2009, pp. 36–41.
  21. ^ a b c 山田やまだ利博としひろ 2017, pp. 39–46.
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  42. ^ コトバンク: 屏風びょうぶ.

参考さんこう文献ぶんけん

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書籍しょせき
  • 池田いけだ彌三郎やさぶろう光源氏ひかるげんじ一生いっしょう講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ〉、1979ねん 
  • 尾崎おざきひだり永子えいこ王朝おうちょう文学ぶんがくたのしみ』岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ〉、2011ねんISBN 9784004312949 
  • かわら裕子ゆうこ王朝おうちょう和歌わかなか源氏物語げんじものがたり和泉いずみ書院しょいん、2020ねんISBN 9784757609655 
  • 山田やまだ利博としひろ『よく和歌わか源氏物語げんじものがたり武蔵野むさしの書院しょいん、2017ねんISBN 9784838604753 
  • 青山学院大学あおやまがくいんだいがく文学部ぶんがくぶ日本にっぽん文学ぶんがく へん源氏物語げんじものがたり和歌わか世界せかい-国際こくさい学術がくじゅつシンポジウム』しんてんしゃしんてんしゃ選書せんしょ〉、2006ねんISBN 4-7879-6769-X 
  • 加藤かとうあつし小嶋こじまさい温子あつこ へん源氏物語げんじものがたり和歌わかまなひとのために』世界せかい思想しそうしゃ、2007ねんISBN 9784790712879 
    • 鈴木すずき宏子ひろこさんだいしゅう源氏物語げんじものがたり-引歌ひきうた中心ちゅうしんとして』。 
    • 高田たかだゆうこいうた-胡蝶こちょうまきれいに』。 
    • 松井まつい健児けんじ四季しきうた-和歌わか生活せいかつとしての自然しぜん』。 
  • 小嶋こじまさい温子あつこ渡部わたなべ泰明やすあき へん源氏物語げんじものがたり和歌わかあお簡舎、2008ねんISBN 9784903996134 
    • 小嶋こじまさい温子あつこ渡部わたなべ泰明やすあきついで』。 
    • 土方ひじかた洋一よういち渡部わたなべ泰明やすあき小嶋こじまさい温子あつこ『『源氏物語げんじものがたり』と和歌わか-「画賛がさんてき和歌わか」からの展開てんかい』。 
    • 長谷川はせがわはんあきら源氏物語げんじものがたりと「後朝きぬぎぬわかれのうた序説じょせつ』。 
    • 田渕たぶち美子よしこ『『風葉ふうよう和歌集わかしゅう』の編纂へんさん特質とくしつ』。 
    • 西山にしやま秀人ひでと源氏物語げんじものがたり和歌わか-重出じゅうしゅつ表現ひょうげんをめぐって』。 
  • 池田いけだ節子せつこ久富ひさとみ木原きはられい小嶋こじまさい温子あつこ へん源氏物語げんじものがたりうた人物じんぶつ翰林かんりん書房しょぼう、2009ねんISBN 978-4-87737-284-2 
    • 高田たかだゆう彦『光源氏ひかるげんじうた』。 
    • 鈴木すずき宏子ひろこむらさきうえ和歌わか-はぐくまれ、そしてひらかれていくうた』。 
    • じん英則ひでのり『『源氏物語げんじものがたり』におけるうたわない人々ひとびと-ふたつの観点かんてんから』。 
論文ろんぶんなど
  • 志方しかた澄子すみこ源氏物語げんじものがたり作中さくちゅう詠歌えいかについて-風葉ふうようしゅうにおけるうた状況じょうきょう中心ちゅうしんに」『中古ちゅうこ文学ぶんがくだい33かんちゅう古文こぶん学会がっかい、1984ねんdoi:10.32152/chukobungaku.33.0_32 
  • 植田うえだ恭代やすよ「『源氏物語げんじものがたり』と「からころも」-うたからみる末摘花すえつむはな詠歌えいか」『跡見学園女子大学あとみがくえんじょしだいがく文学部ぶんがくぶ紀要きようだい48かんちゅう古文こぶん学会がっかい、1984ねんNAID 110009605381 
辞書じしょなど

関連かんれん項目こうもく

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