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歌枕うたまくら

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歌枕うたまくら(うたまくら)とは、ふるくは和歌わかにおいて使つかわれた言葉ことばまれた題材だいざい、またはそれらをあつめてしるした書籍しょせきのことを意味いみしたが、現在げんざいはもっぱらそれらのなかの、和歌わか題材だいざいとされた日本にっぽん名所旧跡めいしょきゅうせきのことをさしていう。

解説かいせつ

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和歌わかふるくは、漢語かんご当時とうじ日常にちじょう会話かいわ使つかわれる表現ひょうげん、また俗語ぞくごるいなどを出来できるだけけるようにしてまれていた。その姿勢しせいはすでに奈良なら時代じだいの『うたけいしるべしき』において「じきを以ってす、(すべ)古事ふるごとし」とあり[1]、「じき」というのは当時とうじ日常にちじょう会話かいわちか表現ひょうげんという意味いみで、和歌わかにおいてそのような表現ひょうげんふるくからもちいられないものだということである。そうして和歌わか表現ひょうげん洗練せんれんされてゆくうちに、和歌わかむのにふさわしいとされる言葉ことば次第しだいさだまっていった。それらの言葉ことば歌枕うたまくらであり、そのなかには「あふさかやま」(逢坂山おうさかやま)や「ふじのやま」(富士山ふじさん)、「しほがま」(塩竈しおがま)などといった地名ちめいふくまれる。歌枕うたまくらの「まくら」とは、つねあつかわれる物事ものごとまた座右ざゆうそなえるものといった意味いみだとされるが[2]、そのまくらというのが寝具しんぐまくらるのか、またはちがうものからその語源ごげんがきているのかは不明ふめいである。

古今ここん和歌集わかしゅう』の仮名かめいじょには文章ぶんしょうおわちかくに、「それまくらことば、はるのはな にほひすくなくして、むなしきなのみ あきのよのながきをかこてれば…」とある。これは紀貫之きのつらゆき自分じぶんたち撰者せんじゃのことについてべたもので、自分じぶんたちが和歌わかもちいる言葉ことばは、いつもはるはなのようなうつくしさにとぼしく、歌詠うたよみと世間せけんからばれながらもその実力じつりょくともなわない有様ありさまに、ながあきよるねむれずになやんでいるということであるが、この「まくらことば」というのはいまでいう枕詞まくらことばのことではなく、和歌わかにおいて通常つうじょう使つかわれる言葉ことばすなわち歌枕うたまくらのことである。

ただしこのふる時代じだい歌枕うたまくらには、現在げんざいでいうところの枕詞まくらことばふくまれた。平安へいあん時代じだい僧侶そうりょ中古ちゅうこさんじゅう六歌仙ろっかせん一人ひとりでもある歌人かじん能因のういん法師ほうしは、『能因のういん歌枕うたまくら』というしょのこしている。これは当時とうじ歌枕うたまくらとされる言葉ことばあつめたものであるがそこには、

みち たまほこといふ、(以下いかりゃく)」
よる ぬばたまといふ、またくらし、ぬまたまといふ、むばたまといふ」
やま あしびきといふ、しなてるやともいふ、(以下いかりゃく)」[3]

など、現在げんざいでいう枕詞まくらことばれいられる。当時とうじはこれらも歌枕うたまくらしょうしていたのである。なお能因のういんさくにはほかにも『諸国しょこく歌枕うたまくら』(別名べつめいひつじさるもと』)という地名ちめい歌枕うたまくらあつめたものがあったらしいが現存げんそんしない。こういった歌枕うたまくらあつめたものは貫之つらゆきせんしていたといわれ、藤原公任ふじわらのきんとうにもいまつたわらないが『諸国しょこく歌枕うたまくら』なる著作ちょさくがあったという[4]

地名ちめい歌枕うたまくら

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しかし歌枕うたまくら時代じだいつにつれて、次第しだい和歌わかまれる諸国しょこく名所旧跡めいしょきゅうせきのみについてわれるようになった。平安へいあん時代じだい後期こうき歌人かじん源俊頼みなもとのしゅんらい著書ちょしょしゅんよりゆきずいのう』には、「歌枕うたまくらといひてところかきたるものあり」とあり[5]、すでにこのころには歌枕うたまくらについて、名所めいしょ由緒ゆいしょある場所ばしょかぎることがあったとられる。『能因のういん歌枕うたまくら』によればその地名ちめいには、平城京へいじょうきょうかれていたころからしたしまれてきた大和やまとこく地名ちめいをはじめ、ひがし陸奥みちのくこくから西にし対馬つしままでろくじゅういちヶ国かこくおよび、それらはさんがわうらといった自然しぜん景物けいぶつ、またはしせきさと(さと)などの場所ばしょげられている[6]

もともと地名ちめい歌枕うたまくら実際じっさい風景ふうけいをもとにしたしまれてきたというよりは、その言葉ことばつイメージが利用りようされて和歌わかまれていためんがある。たとえばうえれた「あふさかやま」はふるくより逢坂おうさかせきばれる関所せきしょでもあったが、この地名ちめいはたいていが男女だんじょえぬなげきをあらわすこいうたまれた。「さか」・「やま」・「せき」はひとはばむものであり、おも相手あいてしんのままに「あふ」ことができないものの象徴しょうちょうとして、「あふさかやま」(あふさかのせき)がまれているのである。

あふさかの せきにながるる いはしみづ いはでこころに おもひこそすれ(『古今ここん和歌集わかしゅうまきだいじゅういちこいいち

「いはしみづ」とは、当時とうじこの逢坂おうさかせきにあったといういわうえながれる清水しみずのことである。自分じぶんいた相手あいてえないくるしさをひとうったえるようなことはすまい、だがわぬとしんちかっても、そのくるしさになみだのほうはこらえきれずこぼれてしまう…という趣意しゅいうたであるが、ここでは「あふさかのせき」をこい障害しょうがいぶつせきながれる清水しみず「いはしみづ」を自分じぶんがこぼすなみだにたとえている。このように当時とうじうた人々ひとびとにとっては、逢坂おうさかばれる場所ばしょ実際じっさいどういうところであったかはさして重要じゅうようなことではなく、自分じぶん感情かんじょうたとえる材料ざいりょうとして使つかわれたのであった。

また一方いっぽうでは、地名ちめい歌枕うたまくらうた物語ものがたり場面ばめんとしてかえ登場とうじょうするなかで、実際じっさい風景ふうけいからはなれたところでイメージが形成けいせいされてきたものともいえる。たとえば「さくら」なら「吉野山よしのやま」、「龍田川たつたがわ」なら「紅葉こうよう」と、その場所ばしょならこの景物けいぶつむというようにわせがある程度ていどまっていた。そして本歌ほんかおこなわれるようになると、そういったうたにあるわせががれ、歌枕うたまくらつイメージとして使つかわれるようになった。こうしたイメージはのちに和歌わかだけではなく、硯箱すずりばこをはじめとする工芸こうげいひんや、着物きものなどのデザインにももちいられた。いまでは和歌わかむこととはかかわりなく、全国ぜんこく各地かくちにある歌枕うたまくら松島まつしまなど観光かんこう名所めいしょのひとつとされている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 日本にっぽん歌学かがく大系たいけいだいいちまき7ぺーじ
  2. ^ 日本にっぽん歌学かがく大系たいけいだいいちまき42 - 43ぺーじ
  3. ^ 日本にっぽん歌学かがく大系たいけいだいいちまき所収しょしゅう能因のういん歌枕うたまくら』より
  4. ^ 日本にっぽん歌学かがく大系たいけいだいいちまき38 - 41ぺーじ
  5. ^ 日本にっぽん歌学かがく大系たいけいだいいちまき38ぺーじ、152ぺーじ
  6. ^ 日本にっぽん歌学かがく大系たいけいだいいちまき所収しょしゅう能因のういん歌枕うたまくら

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 佐佐木ささき信綱のぶつなへん 『日本にっぽん歌学かがく大系たいけい』(だいいちまき) 風間かざま書房しょぼう、1969ねん
  • 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてんだいはん編集へんしゅう委員いいんかいへん 『日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん』(だいかん) 小学館しょうがくかん、2001ねんだいはん) ※「歌枕うたまくら」のこう

関連かんれん項目こうもく

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その

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歌枕うたまくら(かつらぎ) - 山形やまがたけん東田川ひがしたがわぐん三川さんかわまち大字だいじ押切新田おしきりしんでんにあるめい