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紀貫之きのつらゆき

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きの 貫之つらゆき
紀貫之きのつらゆき菊池きくち容斎ようさい前賢ぜんけん故実こじつ』)
時代じだい 平安へいあん時代じだい前期ぜんき - 中期ちゅうき
生誕せいたん さだかん8ねん866ねん)またはさだかん14ねん872ねんごろ?
死没しぼつ てんけい8ねん5月18にち945ねん6月30にち)?
改名かいめい 阿古あこひさ幼名ようみょう)→貫之つらゆき
墓所はかしょ 滋賀しがけん大津おおつ比叡山ひえいざん中腹ちゅうふく立山たてやま
官位かんい したがえじょう木工もっこうけんあたまおくしたがえ
主君しゅくん 醍醐天皇だいごてんのう朱雀すざく天皇てんのう
氏族しぞく きの
父母ちちはは ちちきののぞむぎょう
時文じぶんきの内侍ないし女子じょし
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紀貫之きのつらゆき狩野かのさがせかそけさんじゅう六歌仙ろっかせんがく』)

きの 貫之つらゆき(き の つらゆき)は、平安へいあん時代じだい前期ぜんきから中期ちゅうきにかけての貴族きぞく歌人かじん下野しものまもるきの本道ほんどうまごきののぞむぎょう官位かんいしたがえじょう木工もっこうけんあたま贈位ぞういしたがえ。『古今ここん和歌集わかしゅう』の選者せんじゃ一人ひとりで、さんじゅう六歌仙ろっかせん一人ひとり

概略がいりゃく[編集へんしゅう]

幼名ようみょうを「うちきょうぼう阿古あこひさ(あこくそ)」としょうしたという[注釈ちゅうしゃく 1]貫之つらゆきははうちきょうぼう出身しゅっしんおんなだったので、貫之つらゆきもこのようにしょうしたのではないかとわれている。

延喜えんぎ5ねん905ねん醍醐天皇だいごてんのういのちによりはつ勅撰ちょくせん和歌集わかしゅうである『古今ここん和歌集わかしゅう』を紀友則きのとものり壬生忠岑みぶのただみね凡河内躬恒おおしこうちのみつねともせんじょう。また、仮名かめいによる序文じょぶんである仮名かめいじょ執筆しっぴつしている(真名まなじょ執筆しっぴつしたのはきのよしもち)。「やまとうたはひとしんたねとして、よろづのこととぞなれりける」ではじまるこの仮名かめいじょは、後代こうだい文学ぶんがくおおきな影響えいきょうあたえた。また『小倉おぐらひゃくにんいちしゅ』にも和歌わか収録しゅうろくされている。理知的りちてき分析ぶんせきてきうたふう特徴とくちょうとし、家集かしゅう貫之つらゆきしゅう』を自撰じせんした。

日本にっぽん文学ぶんがく史上しじょうにおいて、すくなくとも歌人かじんとして最大さいだい敬意けいいはらわれてきた人物じんぶつである。種々しゅじゅてんでその実例じつれいげられるが、勅撰ちょくせん歌人かじんとして『古今ここん和歌集わかしゅう』(101しゅ以下いか勅撰ちょくせん和歌集わかしゅうに435しゅ和歌わか作品さくひんいれしゅう[2]しているのは歌人かじんなか最高さいこうすうであり、さんだいしゅう時代じだい絶対ぜったいてき権威けんいしゃであったとえる。

散文さんぶん作品さくひんとしては『土佐とさ日記にっき』がある。日本にっぽん日記にっき文学ぶんがく完本かんぽんとしてつてそんするものとしては最古さいこのものであり、その仮名かめい日記にっき文学ぶんがく随筆ずいひつ女流じょりゅう文学ぶんがく発達はったつおおきな影響えいきょうあたえた。

貫之つらゆき邸宅ていたくは、平安京へいあんきょう左京さきょう一条いちじょう四坊しぼうじゅうまち相当そうとうする。その前庭ぜんていにはおおくの桜樹さくらぎうえされており、「さくらまち」としょうされたという。そののこ現在げんざい京都きょうと御所ごしょ富小路とみこうじ広場ひろばたる。

逸話いつわ説話せつわ[編集へんしゅう]

だいかがみ』によると、その和歌わか腕前うでまえ非常ひじょう尊重そんちょうされていたらしく、てんけい6ねん943ねん正月しょうがつ大納言だいなごん藤原ふじわらが、正月しょうがつようさかなぶくろちち太政大臣だじょうだいじん藤原ふじわら忠平ちゅうへいかえさいえる和歌わか代作だいさく依頼いらいするために、わざわざ貫之つらゆきいえおとずれたという。

ふくろ草紙ぞうし』などでは、貫之つらゆきんだうたちからによって幸運こううんがもたらされたという「うたとく説話せつわ」も数多かずおおつたわっている。

かんれき[編集へんしゅう]

さんじゅうろくにん歌仙かせんでん』などによる(明治めいじ5ねん12月2にちまでは旧暦きゅうれき)。

系譜けいふ[編集へんしゅう]

  • ちちきののぞむぎょう
  • ははしょう
  • つましょう
  • 生母せいぼ不明ふめい子女しじょ

作品さくひん[編集へんしゅう]

紀貫之きのつらゆき百人一首ひゃくにんいっしゅより)

代表だいひょう[編集へんしゅう]

  • そでひちてむすびしみずのこほれるを春立はるたちつけふのふうやとくらん(古今ここん2)
  • かすみたちこのめもはるゆきふればはななきさともはなぞちりける(古今ここん9)
  • さくらはなちりぬるふうのなごりにはみずなきそらなみぞたちける(古今ここん89)
  • ひとはいさしんらずふるさとははなむかしこうににほひける(百人一首ひゃくにんいっしゅ35)
  • 吉野川よしのがわいはなみたかくみずのはやくぞひとおもひそめてし(古今ここん471)

旧跡きゅうせき[編集へんしゅう]

墓所はかしょ[編集へんしゅう]

立山たてやま紀貫之きのつらゆきはか

滋賀しがけん大津おおつ比叡山ひえいざん中腹ちゅうふく立山たてやまにある。比叡山ひえいざん鉄道てつどう坂本さかもとケーブルもたてやまえきから徒歩とほ10ふんほどあり、道標どうひょう完備かんびされている。

三重みえけん白山はくさんまち佐田さたにも貫之つらゆきはかつたわる墓碑ぼひがある。

神社じんじゃ[編集へんしゅう]

紀貫之きのつらゆき主祭しゅさいしんとしてまつ神社じんじゃ各地かくち存在そんざいする。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 荒俣あらまたひろし日本にっぽん仰天ぎょうてん起源きげん集英社しゅうえいしゃ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ>、1994ねん9がつISBN 4-08-748219-7 
  • 神田かんだりゅう日本にっぽん評伝ひょうでんせん:紀貫之きのつらゆき あるかなきかのにこそありけれ』ミネルみねるァ書房ぁしょぼう、2009ねん 

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 荒俣あらまたひろしは、くそ不浄ふじょうであり、悪鬼あっきるいですらこれをきらうものであるため、おにがいける方法ほうほうとして幼児ようじに「マル」(不浄ふじょうをいれる容器ようき)や「クソ」(不浄ふじょうそのもの)のをつけるおやあらわれたとろんじている[1]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 荒俣あらまた(1994)
  2. ^ 勅撰ちょくせん作者さくしゃ部類ぶるい
  3. ^ 官報かんぽうだい6237ごう叙任じょにん及辞れい」1904ねん4がつ19にち
  4. ^ ぶく王子おうじ神社じんじゃ - 滋賀しがけん神社じんじゃちょう2018ねん10がつ14にち 閲覧えつらん
  5. ^ 紀貫之きのつらゆきしゃ - 愛媛えひめけん神社じんじゃちょう2018ねん10がつ14にち 閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]