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まちけんもんいん堀河ほりかわ

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小倉おぐらひゃくにんいちしゅ80ばん まちけんもんいん堀河ほりかわ

まちけんもんいん堀河ほりかわ(たいけんもんいんのほりかわ、なま没年ぼつねんしょう)は、平安へいあん時代じだい後期こうき歌人かじん。この女房にょうぼうめいまえぜん斎院さいいんろくじょう(さきのさいいんのろくじょう)とばれていた一時期いちじきもある。女房にょうぼうさんじゅう六歌仙ろっかせん中古ちゅうこ六歌仙ろっかせん一人ひとりちち神祇じんぎはく みなもとあらわなか姉妹しまいに、あらわなかきょうおんな重通しげみちわらわ[* 1]大夫たいふ典侍てんじ[* 2]上西かみにしもんいん兵衛ひょうえがいる。

経歴けいれき

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白河しらかわいん皇女おうじょ斎院さいいん退しりぞいたじょう大宮おおみや令子れいこ内親王ないしんのう出仕しゅっしろくじょうばれた。のち鳥羽天皇とばてんのう中宮なかみやまちけんもんいん藤原ふじわら璋子あきこ出仕しゅっしし、堀川ほりかわ[* 3]ばれるようになった。康治こうじ元年がんねん1142ねん)、主人しゅじん璋子あきこ落飾らくしょくしたがい、同僚どうりょうまちけんもんいん中納言ちゅうなごんとも出家しゅっけしている。すくなくともいち結婚けっこんしたらしいが、おっととは死別しべつ[1]。『きむよう和歌集わかしゅう以降いこう勅撰ちょくせんしゅう歌合うたあわせひとしほか家集かしゅうまちけんもんいん堀河ほりかわしゅう』にも作品さくひんのこしている。

逸話いつわ

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  • 兵衛ひょうえとの姉妹しまい連歌れんが[2]記録きろくされている。

  あぶら綿めんをさしあぶらにしたりけるがいとかぐわしくにおいひければ
ともしは たきものにこそ たりけれ 上西かみにしもんいん兵衛ひょうえ
丁子ちょうじかしらの こうにおいふらん      まちけんもんいん堀河ほりかわ

— 『うさぎ玖波くばしゅうした
  • 主人しゅじんだったまちけんもんいんなきのち女房にょうぼうたち高倉たかくら三条さんじょうだい翌年よくねんまで服喪ふくもしていた。西行さいぎょうが、

  まちけんもんいんかくれさせおはしましけるあとに 人々ひとびとまたのとしのはてまでこうはれけるに
  みなみおもてのはなちりけるころ堀河ほりかわきょくのもとへもうしおくりける
ひろぬともふうのつてにもきかじかし はなりにしきみ行方ゆくえ
  かへし
ふう行方ゆくえしらするものならば はなとちるにもおくれざらまし

— 『山家やまがしゅうまきちゅう ざつ
「あのほうはどこにってしまったのでしょう」といかけたのにたいし「それがわかるならわたしもついてったのに」とおうじている[3]
あるじのいないほう金剛こんごういんたずね、ヒグラシこえ[4]

  まちけんもんいんかくれさせきゅうのちろくがつじゅうにち ほう金剛こんごういんにまいりたるに
  にわこずえもしけりあひてかすかに人影ひとかげもせさりけれは
  これにじゅうそめさせきゅうなとたゝいまここちしてあいつきせぬに
  にちくらしのこえたえすきこえけれは                   堀川ほりかわ
きみこふるなけきのしけきさんさとは たゝにちくらしそともにける

— 『だま和歌集わかしゅうまきだいじゅうなな 雑歌ぞうかよん
おもえばほう金剛こんごういんもっとはなやかだったのは、崇徳天皇すとくてんのう行幸ぎょうこう[5]ころだった。

  崇徳院すとくいんどき ほう金剛こんごういん行幸ぎょうこうありて きくちぎり千秋せんしゅうといふことをこうせられさむらいけるに まちけんもんいん堀川ほりかわ
くものうへのほしかとみゆるきくなれは そらにそちよのあきはしらるゝ

— 『ぞく古今ここん和歌集わかしゅうまきだいじゅう
  • おさな子供こどものこしておっとんだ[1]

  したるひとくなりたるをなげくに おさなきひと物語ものがたりするに
げんふかたもなくこそものかなしけれ こは何事なにごとかたるなるらむ

— 『まちけんもんいん堀河ほりかわしゅう
子供こどもちちのもとにあづけて養育よういくした[6]

  子日ねのひにあたりたりける 神祇じんぎはくあらわなかもとにやしなひたりけるのもとへさるつかはしける まちけんもんいん堀川ほりかわ
いさけふは子日ねのひまつひきつれて 老木ろうぼく千代ちよともにいのらん

— 『しん千載せんざい和歌集わかしゅうまきだいじゅうろく 雑歌ぞうかじょう
(ね)の小松こまつきは、現代げんだい門松かどまつ起源きげんとなった行事ぎょうじだが、そのにあたって「おじいさんとまご」の健康けんこう長寿ちょうじゅねが様子ようすがうかがえる。
  • 西行さいぎょう無視むしされ素通すどおりされたとおこってみせた堀河ほりかわだが[7]

  西行さいぎょう法師ほうしをよひさむらいけるに まかるへきよしはさるなからまうてこて
  つきのあかかりけるにもんまえをとをるときゝて よみてつかはしける まちけんもんいん堀川ほりかわ
西にしくだりしるへとおも月影つきかげそらたのめこそかひなかりけれ[* 4]

— 『しん古今ここん和歌集わかしゅうまきだいじゅう 釈教しゃっきょう
彼女かのじょ自身じしんが、春日かすが明神みょうじんまえ素通すどおりしてしまったこともある[8]

ひとしれすいまいまやとせんはやふる かみさふるまてきみをこそまて
  このうたは まちけんもんいん堀川ほりかわ やまとのかたよりくまへまうてはへりけるに
  春日しゅんじつへまいるへきよしのゆめたりけれと のちにまいらむとおもひてまかりすきにけるを
  かへりはへりけるにわびせんしたまひけるとなむ

— 『しん古今ここん和歌集わかしゅうまきだいじゅうきゅう かみ祗歌

作品さくひん

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勅撰ちょくせんしゅう
歌集かしゅうめい 作者さくしゃめい表記ひょうき うたすう 歌集かしゅうめい 作者さくしゃめい表記ひょうき うたすう 歌集かしゅうめい 作者さくしゃめい表記ひょうき うたすう
こう拾遺しゅうい和歌集わかしゅう きむよう和歌集わかしゅう ぜん斎院さいいんろくじょう
6
詞花しか和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀川ほりかわ
2
千載せんざい和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀川ほりかわ
まちけんもんいんほりかは
まちけんもんいんのほりかは
11
1
3
しん古今ここん和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀川ほりかわ
2
しん勅撰ちょくせん和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀川ほりかわ
まちけんもんいん堀河ほりかわ
1
2
つづけせん和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀河ほりかわ
7
ぞく古今ここん和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀川ほりかわ
堀川ほりかわ
まちけんもんいん堀河ほりかわ
3
1
2
ぞく拾遺しゅうい和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀河ほりかわ
堀河ほりかわ
3
1
しんせん和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀河ほりかわ
2
たま和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀河ほりかわ
堀川ほりかわ
4
1
ぞく千載せんざい和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀河ほりかわ
2
つづけ拾遺しゅうい和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀河ほりかわ
2
風雅ふうが和歌集わかしゅう しん千載せんざい和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀川ほりかわ
1
しん拾遺しゅうい和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀河ほりかわ
1
しん拾遺しゅうい和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀河ほりかわ
1
しんぞく古今ここん和歌集わかしゅう まちけんもんいん堀河ほりかわ
1
歌碑かひほう金剛こんごういん庭園ていえんない
定数ていすう歌合うたあわせ
名称めいしょう 時期じき 作者さくしゃめい表記ひょうき   備考びこう  
摂政せっしょう左大臣さだいじんちゅうどおり歌合うたあわせ 大治おおはる元年がんねん8がつ1126ねんの8がつか9がつ[* 5] 堀河ほりかわ 堀川ほりかわ
西宮にしのみや歌合うたあわせ 大治おおはる3ねん8がつ29にち1128ねん9月25にち はくきょうおんな はくおんな[* 6]
南宮なんぐう歌合うたあわせ 大治おおはる3ねん9月21にち(1128ねん10月16にち はくおんな
住吉すみよし歌合うたあわせ 大治おおはる3ねん9月28にち(1128ねん10月23にち はくおんな
久安ひさやすひゃくしゅ 久安ひさやす6ねん1150ねん まちけんもんいん 堀川ほりかわ
私家集しかしゅう
  • まちけんもんいん堀河ほりかわしゅう』(『堀河ほりかわしゅう』) ふくめ165しゅ[9]
    • 最初さいしょにあった小規模しょうきぼ自撰じせん家集かしゅうに、久安ひさやすひゃくしゅのための詠歌えいか追加ついかされたものが原型げんけい

百人一首ひゃくにんいっしゅ

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                       まちけんもんいんのほりかは
なかゝらむしんもしらす黒髪くろかみみだれてけさはものをこそおもへ

— 『千載せんざい和歌集わかしゅうまきだいじゅうさん 恋歌こいうたさん
百人一首ひゃくにんいっしゅ屈指くっし官能かんのうてき恋歌こいうたとしてられるが、久安ひさやすひゃくしゅのための題詠だいえいとしてまれたものなので、リアルな恋愛れんあい体験たいけんそのままのうたではなく、様々さまざま人生じんせい経験けいけんよわいかさあまになった作者さくしゃ技巧ぎこうてきえがいてせた恋愛れんあいシーンということになる。このうた後朝きぬぎぬうただが、そのまえのシーンを題材だいざいとしたうた[11]にも、「黒髪くろかみ」「みだれ」をあかつきわかれにむすびつける着想ちゃくそうられる。

くろかみのわかれををしみきりきりす まくらのしたにみたれなくかな

— 『まちけんもんいん堀河ほりかわしゅう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 錦織にしきおり周一しゅういちまちけんもんいん堀河ほりかわしゅうぜん注釈ちゅうしゃく和泉いずみ選書せんしょ 平成へいせい元年がんねん1989ねん)6がつ 和泉いずみ書院しょいん ISBN 978-4870883666
  • 加藤かとうあつし松本まつもと真奈美まなみ 「『まちけんもんいん堀河ほりかわしゅう注釈ちゅうしゃく(1)」 『立教大学りっきょうだいがく日本にっぽん文学ぶんがく』 101 平成へいせい20ねん2008ねん12月25にち
  • 加藤かとうあつし松本まつもと真奈美まなみ 「『まちけんもんいん堀河ほりかわしゅう注釈ちゅうしゃく(2)」 『立教大学りっきょうだいがく日本にっぽん文学ぶんがく』 103 平成へいせい21ねん2009ねん)12月25にち
  • 加藤かとうあつし松本まつもと真奈美まなみ 「『まちけんもんいん堀河ほりかわしゅう注釈ちゅうしゃく(3)」 『立教大学りっきょうだいがく大学院だいがくいん日本にっぽん文学ぶんがく論叢ろんそう』 11 平成へいせい23ねん2011ねん)8がつ
  • つじ邦生くにお西行さいぎょうはなでん平成へいせい7ねん1995ねん)4がつ 新潮社しんちょうしゃ ISBN 978-4103142164 歴史れきし小説しょうせつのちにラジオドラマ・CDもされた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ きむよう和歌集わかしゅう3しゅ詞花しか和歌集わかしゅう1しゅ
  2. ^ きむよう和歌集わかしゅう2しゅ
  3. ^ 表記ひょうきじょう堀河ほりかわ」も「堀川ほりかわ」もあまり区別くべつされないが、どう時代じだいには「堀川ほりかわ」の表記ひょうきおおく、後代こうだいには「堀河ほりかわ」の表記ひょうき定着ていちゃくしたようである。
  4. ^ ほぼおなは『山家やまがしゅう』にもあり、「堀河ほりかわきょく仁和寺にわじはべりけるに まゐるべきよしもうしたりけれども まぎるることありてほどへにけり」と詞書ことばがきがある。仁和寺にわじない女房にょうぼうむことはないが、みなみにあるほう金剛こんごういん仁和寺にわじてらいき認識にんしきしていたものとおもわれる。
  5. ^ れき大治おおはる元年がんねん8がつ1にちと8がつ30にち同月どうげつ最終さいしゅう)は、西暦せいれきユリウスれき)では1126ねん8がつ20日はつかと9がつ18にち
  6. ^ ちちである神祇じんぎはくあらわなかきょう中心ちゅうしんとした歌合うたあわせなのでそのむすめとしての表記ひょうきもちいられている。『南宮なんぐう歌合うたあわせ』『住吉すみよし歌合うたあわせ』も同様どうよう

出典しゅってん

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  1. ^ a b まちけんもんいん堀河ほりかわしゅう』00121
  2. ^ うさぎ玖波くばしゅうした 1895
  3. ^ 山家やまがしゅうまきちゅう ざつ 00779-00780
  4. ^ たま和歌集わかしゅうまきだいじゅうなな 雑歌ぞうかよん 02410
  5. ^ ぞく古今ここん和歌集わかしゅうまきまきだいじゅう 01890
  6. ^ しん千載せんざい和歌集わかしゅうまきだいじゅうろく 雑歌ぞうかじょう 01665
  7. ^ しん古今ここん和歌集わかしゅうまきまきだいじゅう 釈教しゃっきょう 01978
  8. ^ しん古今ここん和歌集わかしゅうまきまきだいじゅうきゅう かみ祗歌 01860
  9. ^ 和歌わかデータベース”. まちけんもんいん堀河ほりかわしゅう. 国際こくさい日本にっぽん文化ぶんか研究けんきゅうセンター. 2011ねん12月21にち閲覧えつらん
  10. ^ 千載せんざい和歌集わかしゅうまきだいじゅうさん 恋歌こいうたさん 00801
  11. ^ まちけんもんいん堀河ほりかわしゅう』00094

関連かんれん作品さくひん

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関連かんれん項目こうもく

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