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曽禰好忠 - Wikipedia コンテンツにスキップ

禰好ただし

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禰好ただし

好忠よしただ(そね の よしただ、なま没年ぼつねんしょう)は、平安へいあん時代じだい中期ちゅうき歌人かじん出自しゅつじについてはしょう[1]中古ちゅうこさんじゅう六歌仙ろっかせん一人ひとり官位かんいろく丹後たんごじょう[2]なが丹後たんごじょうつとめたことから曾丹(そたんご)とも曾丹(そたん)ともしょうされた。

経歴けいれき

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当時とうじとしては和歌わかあたらしい形式けいしきである「ひゃくしゅ」を創始そうしし、さらに1ねんを360しゅうたいこめた「毎月まいつきしゅう」をつくった。当時とうじ有力ゆうりょく歌人かじんであった源順みなもとのしたごう大中おおなかしんのうせんみなもと重之しげゆきらと交流こうりゅうがあったが、偏狭へんきょう性格せいかく自尊心じそんしんたかかったことから、社交しゃこうかいれられず孤立こりつした存在そんざいであった。新奇しんき題材だいざいや『万葉集まんようしゅう』の古語こごもちいて斬新ざんしん和歌わかみ、平安へいあん時代じだい後期こうき革新かくしん歌人かじんからさい評価ひょうかされた。

拾遺しゅうい和歌集わかしゅう』(9しゅ以下いか勅撰ちょくせん和歌集わかしゅうに94しゅいれしゅう[2]家集かしゅうに『曾丹しゅう』がある。小倉おぐらひゃくにんいちしゅ 46ばんおよび『しん古今ここん和歌集わかしゅうこいいち1071)より。

由良ゆらもんを わた舟人ふなびと かじえ 行方ゆくえらぬ こいつうかな

逸話いつわ

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寛和ひろかず元年がんねん2がつ13にち985ねん3月7にち)、円融えんゆう上皇じょうこう紫野むらさきのでのゆうにおいて、官位かんい関係かんけいなく歌人かじん和歌わか鑑賞かんしょうする趣向しゅこうもよおしがひらかれたさいもよおしにばれていないにもかかわらず、好忠よしただ中原なかはらしげるふしたちが強引ごういん歌人かじん着席ちゃくせきしたところ、藤原ふじわらみのる藤原ふじわら朝光ともみつ指図さしずによりされた。しかし、みなもとどおりによれば、「好忠よしただすで召人うちった」らしい[3]。また、上皇じょうこう御前ごぜんからとおざけられたのちはらてた殿上人てんじょうびとたちから、おおくの見物人けんぶつにんたちのまえ暴行ぼうこうくわえられた[4]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 古代こだい氏族しぞくとしての曾禰(曾禰れん、曾禰づくり、曾禰宿禰すくね)は物部ものべ一族いちぞくとされ、『新撰しんせん姓氏せいしろく』でも石上いしがみどう左京さきょうかみべつ)、にょうそくいのちろくせいまご伊香いかしょくゆういのち後裔こうえい右京うきょうかみべつ)、あるいは采女うねめしんどう和泉いずみかみべつ)との記述きじゅつがある。ただし、好忠よしただ物部ものべぞくの曾禰れんつらなるのかどうかははっきりしない。
  2. ^ a b 勅撰ちょくせん作者さくしゃ部類ぶるい
  3. ^ しょう右記うき』、『だいかがみだい6かん25だん、『今昔こんじゃく物語ものがたり』28かん3
  4. ^ なぐ貴族きぞくたち 平安朝へいあんちょううら源氏物語げんじものがたり』、2005ねん9がつ発行はっこう繁田しげた信一しんいち柏書房かしわしょぼう、24-25ぺーじ

関連かんれん項目こうもく

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