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素性すじょう

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素性すじょう法師ほうし狩野かのさがせかそけさんじゅう六歌仙ろっかせんがく』)
素性すじょう法師ほうし百人一首ひゃくにんいっしゅより)

素性すじょう(そせい、なま没年ぼつねんしょう)は、平安へいあん時代じだい前期ぜんきから中期ちゅうきにかけての歌人かじん僧侶そうりょ桓武かんむ天皇てんのう曾孫そうそん遍昭へんじょうりょう岑宗さだ)の俗名ぞくみょう諸説しょせつあるが、一説いっせつりょう岑玄(よしみねのはるとし)。 さんじゅう六歌仙ろっかせん一人ひとり

経歴けいれき

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素性すじょう遍昭へんじょう在俗ざいぞくさい子供こどもで、あによしせいとも出家しゅっけさせられたようである。素性すじょうちち遍昭へんじょうとも宮廷きゅうていちか僧侶そうりょとして和歌わかみち活躍かつやくした。はじめ宮廷きゅうてい出仕しゅっしし、殿上人てんじょうびとすすんだが、はやくに出家しゅっけした。仁明天皇にんみょうてんのう皇子おうじつねやすし親王しんのう出家しゅっけして雲林院うじい御所ごしょとしたさい遍昭へんじょう素性すじょう親子おやこ出入でいりを許可きょかされていた。親王しんのう薨去こうきょは、遍昭へんじょう雲林院うじい管理かんりまかされ、遍昭へんじょう入寂にゅうじゃく素性すじょう雲林院うじいまい、同院どういん和歌わか漢詩かんしかいもよおしのとしてられた。のちに、大和やまとりょういんいんうつった。宇多天皇うだてんのう歌合うたあわせにしばしばまねかれうたんでいる。

没年ぼつねん不明ふめいだが、延喜えんぎ9ねん909ねん)10がつ2にち醍醐天皇だいごてんのうまえ屏風びょうぶうたしるしており、このときまでは生存せいぞん確認かくにんされる[1]

古今ここん和歌集わかしゅう(36しゅ以下いか勅撰ちょくせん和歌集わかしゅうに61しゅいれしゅう[2]定家さだいえ小倉おぐらひゃくにんいちしゅにもられる。家集かしゅうに『素性すじょうしゅう』(せん)がある。

系譜けいふ

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和歌わか

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  • 今来こんらいむと いひしばかりに 長月ながつきの 有明ありあけつきを でつるかな(百人一首ひゃくにんいっしゅ
    • 解釈かいしゃく =(まちぼうけした女性じょせい立場たちばで)「こんどすぐにあなたの寝所ねどこまいる」とあなたがったので、あきよるちぼうけして、とうとうがたまでえるというけのつきてくる時間じかんになってしまった、この気持きもちをどうしてくれるのか
  • そこひなき ふちやはさわぐ 山川やまかわの あさにこそ あだて(古今ここん和歌集わかしゅう まきじゅうよん 恋歌こいうたよん
    • 恋歌こいうたとしての解釈かいしゃく =(べつ女性じょせいとの浮名うきなとがめられてんだ)あなたへのふか愛情あいじょうどうじることがい うわついた一時いちじ気持きもちであればうわさつであろうが
    • 人事じんじ一般いっぱん解釈かいしゃく = 立派りっぱ人物じんぶつ物事ものごとどうじることがいが、軽薄けいはく人物じんぶつこそわめてるものだ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ とくはら茂実しげみ宇多うた醍醐だいごあさうた召をめぐって」『中古ちゅうこ文学ぶんがくだい26かんちゅう古文こぶん学会がっかい、1980ねん10がつ、25-32ぺーじdoi:10.32152/chukobungaku.26.0_25ISSN 02874636CRID 1390564238080020992 
  2. ^ 勅撰ちょくせん作者さくしゃ部類ぶるい

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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