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しん千載せんざい和歌集わかしゅう

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しん千載せんざい和歌集わかしゅう』(しんせんざいわかしゅう)は、勅撰ちょくせん和歌集わかしゅう。20かんじょうためじょうせんじゅういちだいしゅうの18番目ばんめにあたる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1356ねんのべぶん元年がんねん)6がつ11にち足利尊氏あしかがたかうじ執奏しっそうもとづき、後光ごこうげん天皇てんのうから綸旨りんじくだ[1]奉行ぶぎょう三条さんじょうみのるつぎ連署れんしょしゅじょうためとおじょうためあきらおもんみそう光之みつゆきらがいた[1]翌年よくねんのべぶんひゃくしゅ』として詠進えいしんされるも[1]、1358ねんのべぶん3ねん)のみことにより、選集せんしゅう中止ちゅうしになりかけた[1]。しかし、頓阿とんあ足利あしかが義詮よしあきら説得せっとくして選集せんしゅうつづけられ、1359ねんのべぶん4ねん)4がつ28にち四季しき奏覧そうらん同年どうねん12がつぜん20かん完成かんせいした[1]

うたすうは2365しゅ序文じょぶんはない[1]部立ぶだては、はる上下じょうげなつあき上下じょうげふゆ離別りべつ羇旅きりょ神祇じんぎこいいちざつ上中かみなか哀傷あいしょう慶賀けいがから[1]ざつ短歌たんかとして長歌ながうた旋頭歌せどうかおりものめい俳諧はいかいなどがおさめられており、『千載せんざい和歌集わかしゅうまき18、『ぞく千載せんざい和歌集わかしゅうまき7の形式けいしきにならったものとされる[1]

収録しゅうろくじょう大覚寺だいかくじみつる人々ひとびといれしゅうおおいが[1]京極きょうごく歌人かじん優遇ゆうぐうされている[1]。このせん姿勢しせいは、選者せんじゃじょうじょうためじょうであるのにたいして、勅命ちょくめい持明院じみょういんみつる後光ごこうげん天皇てんのうからはっせられたためとされる[1]。また、冷泉れいせん南朝なんちょう人々ひとびと冷遇れいぐうされ、武士ぶしうたおお特徴とくちょうもある[1]収録しゅうろくうたふうは、全体ぜんたいてき伝統でんとうてき穏当おんとう優美ゆうびくせのない平明へいめいうたふうひょうされる[1]

しん千載せんざい和歌集わかしゅう』がこれ以降いこう和歌集わかしゅうおおきな影響えいきょうあたえた痕跡こんせきはない[1]。しかし、勅撰ちょくせん発言はつげんけん選者せんじゃ指名しめいけん朝廷ちょうていから幕府ばくふうつるきっかけをつくった勅撰ちょくせん和歌集わかしゅうであった[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 日本にっぽん古典こてん文学ぶんがくだい辞典じてん編集へんしゅう委員いいんかい日本にっぽん古典こてん文学ぶんがくだい辞典じてんだい3かん岩波書店いわなみしょてん、1984ねん10がつ、482-483ぺーじ