歌合
概要
[用語
[方 人 (かたうど)
歌合 の歌 を提出 する者 。作者 。平安 期 には身分 の低 い者 に詠 ませることがあり、その場合 には歌合 には方 人 は出席 しないが今日 では念 人 と同一 である場合 がほとんどである。
念 人 (おもいびと)
自陣 の歌 を褒 め、敵陣 の歌 の欠点 を指摘 して議論 を有利 に導 く。方 人 と同一 視 されることも多 い。複数 が左右 に分 かれて評定 (ひょうじょう;ディベート)を行 う。
判 者 (はんざ)
左右 の歌 の優劣 を判定 して勝敗 を決 める。持 (じ;引 き分 け)とする場合 もある。主 に歌壇 の重鎮 が務 める。新 古今 時代 以降 、衆議 判 と言 って、参加 者 によって優劣 が判定 されることも多 くなった。
講師 (こうじ)
歌合 の場 で歌 を読 み上 げる役 。読 み上 げることを披講 (ひこう)という。披講 は左 方 を先 に行 う。平安 時代 は左右 それぞれにいたが、のちに一人 となった。現代 では特 に置 かないことが多 い。
判 詞 (はんし)
判 者 が述 べる判定 の理由 。
題 (だい)
優劣 の判断 がつくように歌合 の歌 は現代 においても題詠 である。
左 方 (ひだりかた)・右 方 (みぎかた)
高 舞台 の上 に左右 各 5人 に分 かれて着座 し、左 方 は青 の装束 、右 方 は赤 の装束 を着用 して、歌合 を行 う。
主 な歌合
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在民 部 卿 家 歌合 :仁和 元年 (885年 )頃 (記録 に残 る最古 の歌合 )<在原行平 >寛平 御 時 后 宮 歌合 :寛平 元年 (889年 )亭 子 院 歌合 :延喜 13年 (913年 )天徳 内裏 歌合 :天徳 4年 (960年 )<村上 天皇 >寛和 二 年 内裏 歌合 :寛和 2年 (986年 )<花山 天皇 >六 百 番 歌合 :建 久 3年 (1192年 )<九条 良 経 >千 五 百 番 歌合 :建 仁 元年 (1201年 )頃 <後鳥羽 院 >水無瀬 恋 十 五 首 歌合 :建 仁 2年 (1202年 )<後鳥羽 院 >