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ゆめ浮橋うきはし

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源氏物語げんじものがたりじゅうよんじょう
かくじょうのあらすじ
 じょう          じょう        
1 きりつぼ 28 野分のわけ
2 帚木 29 行幸ぎょうこう
3 空蝉うつせみ 30 藤袴ふじばかま
4 夕顔ゆうがお 31 真木まきはしら
5 若紫わかむらさき 32 梅枝ばいし
6 末摘花すえつむはな 33 ふじうら
7 紅葉こうよう 34 若菜わかな
8 はなえん 35 柏木かしわぎ
9 あおい 36 横笛よこぶえ
10 けん 37 鈴虫すずむし
11 はなさと 38 ゆうきり
12 須磨すま 39 御法みのり
13 明石あかし 40 まぼろし
14 澪標みおつくし 41 くもかくれ
15 蓬生よもぎう 42 においみや
16 関屋せきや 43 紅梅こうばい
17 絵合えあわせ 44 たけかわ
18 松風まつかぜ 45 はしひめ
19 うすくも 46 椎本しいのもと
20 朝顔あさがお 47 総角あげまき
21 少女しょうじょ 48 早蕨さわらび
22 玉鬘たまかずら 49 宿木やどりぎ
23 初音はつね 50 東屋あずまや
24 胡蝶こちょう 51 浮舟うきふね
25 ぼたる 52 蜻蛉とんぼ
26 常夏とこなつ 53
27 篝火かがりび 54 ゆめ浮橋うきはし

ゆめ浮橋うきはし」(ゆめのうきはし)は、『源氏物語げんじものがたりじゅうよんじょうだい54じょう最後さいごまき)。だいさん一部いちぶ宇治うじじゅうじょう」の最後さいご(だい10じょう)。

まきめいについて

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源氏物語げんじものがたり』のおおくのまきめい本文ほんぶんちゅうにある言葉ことばとくうたなかにある言葉ことば)からられているが、この「ゆめ浮橋うきはし」という言葉ことば本文ほんぶんちゅうられない[1]藤原ふじわら定家さだいえ注釈ちゅうしゃく源氏物語げんじものがたりおくいれ』では、出典しゅってんしょううたなかゆめわたりの浮橋うきはしかうちわたりつつものをこそそうへ」に関連かんれんするとしている[2]。なお、ほんじょうは「ほう」(のりのし)という異名いみょうばれることがあるが、この「ほう」というまきめいほんじょうちゅうかおるうたほうひろぬるみちをしるべにておもはぬやまみ惑ふかな」によっている。

あらすじ

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かおる28さいなつはなし

かおる比叡山ひえいざんおく横川よこかわ(よかわ)をたずね、小野おの出家しゅっけしたおんなについて僧都そうずくわしくたずねた。「そのおんな浮舟うきふねちがいない」と確信かくしんしたかおるゆめのようながしてなみだとした。その様子ようすて、僧都そうず浮舟うきふね出家しゅっけさせたことを後悔こうかいした。かおる僧都そうず浮舟うきふねのいる小野おのへの案内あんないたのむが僧都そうずは「いまむずかしいが来月らいげつなら案内あんないしましょう」とべる。かおる浮舟うきふねへの口添くちぞぶん僧都そうず懇願こんがんしていてもらう。

そのよる横川よこがわから下山げざんするかおる一行いっこう松明たいまつが、浮舟うきふねがいる小野おのあんからもえた。 いもうとあまたちがかおるうわさをするなか浮舟うきふねかおるとのおもはらうように念仏ねんぶつとなえる。

翌日よくじつかおる使者ししゃとして浮舟うきふね異父いふおとうとしょうきみ小野おのおとずれた。あさはやくに僧都そうずから前日ぜんじつ事情じじょうらせるぶんとどいており、いもうとあまたちが浮舟うきふね素性すじょうおどろいていたところだった。しょうくん持参じさんした僧都そうずぶんには、かおるとの復縁ふくえん還俗げんぞくすすめをほのめかしてあった。すだれしに異父いふおとうと姿すがた浮舟うきふね動揺どうようするが、結局けっきょくしんくずさず、いもうとあまのとりなしにもおうぜず、しょうくんとの対面たいめんこばみ、かおるぶんにも「(宛先あてさきが)人違ひとちがいだったらいけない」とってろうとしなかった。むなしく帰京ききょうしたしょうくんから「対面たいめんできず、お返事へんじいただけなかった」といたかおるは(自分じぶん浮舟うきふね宇治うじかくしていたように)「だれかが浮舟うきふね小野おのかくしているのではないか」とおもうのだった。

最終巻さいしゅうかんとしてのゆめ浮橋うきはし

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例外れいがいはあるにせよ、『源氏物語げんじものがたり』のおおくのまきがストーリーじょうのそれなりの区切くぎりとられるところでわっているのにたいして、このまきは『源氏物語げんじものがたり』の最終巻さいしゅうかんわり、つまり全体ぜんたいわりであるにもかかわらず、とくにストーリーじょう区切くぎりでもなんでもないところでいきなりわっているようにえるので「わることなくわりをげる」などとひょうされており、作者さくしゃ構想こうそうどおりここで完結かんけつするようにすすめてきて予定よていどお完結かんけつさせたのか、それとももっとさきまですすめる構想こうそうをしていたがなんらかの事情じじょうでここで中断ちゅうだんしてしまったのか、議論ぎろんになることがある。また、これに関連かんれんして、このまきが「とぞほんにはべめる」(とほんいてある)という独特どくとくわりかたをしているてん注目ちゅうもくされることがある。

現代げんだいじんからてこのようなわりかた不自然ふしぜんおもえたとしても、それがかならずしもこの物語ものがたりつくられた時代じだいにおいても不自然ふしぜんであったとはいえないものの、鎌倉かまくら時代ときよから室町むろまち時代ときよにかけて「山路やまじ」や「くもかくれろくじょう」といったほんじょう続編ぞくへんがいくつかかれたことは、当時とうじ人々ひとびとがこのようなわりかた不満足ふまんぞくかんじたかもれないから、といわれている。

大団円だいだんえんのような明確めいかくわりかた(「ざされた終結しゅうけつ」)ではなく、こののちにどのようなことがこるのかを明確めいかくにはしめさず、読者どくしゃ想像そうぞうにゆだねるかたちわりかたを「けたままの終結しゅうけつ」とび、「ゆめ浮橋うきはし」のわりかた作者さくしゃ明確めいかく意図いとしてえがいた「けたままの終結しゅうけつ」とする見解けんかいもある[3]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ほんまき本文ほんぶんちゅうに「ゆめ」のかたりは4れいあらわれるが、「ゆめ浮橋うきはし」とつづくものはない。
  2. ^ このうたは、「うすくも」でも「ゆめのわたりの浮橋うきはしか」とかれている。
  3. ^ 井野いの葉子ようこ物語ものがたり完結かんけつ未完みかん神田かんだりゅう西沢にしざわ正史せいしへん中世ちゅうせい王朝おうちょう物語ものがたり御伽草子おとぎぞうし事典じてんつとむまこと出版しゅっぱん、2002ねん5がつ、pp.. 82-85。 ISBN 4-585-06038-3

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 源氏物語げんじものがたり鑑賞かんしょう基礎きそ知識ちしき 43 ゆめ浮橋うきはし国文学こくぶんがく解釈かいしゃく鑑賞かんしょう 別冊べっさつ2005ねん平成へいせい17ねん)12月、至文しぶんどう
  • 図説ずせつ源氏物語げんじものがたり』ふくろうのほん2004ねん平成へいせい16ねん)10がつ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ

外部がいぶリンク

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