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源氏物語げんじものがたり写本しゃほん

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源氏物語げんじものがたり > 源氏物語げんじものがたり写本しゃほん

ほん記事きじでは、源氏物語げんじものがたり写本しゃほん(げんじものがたりのしゃほん)について説明せつめいする。

概要がいよう[編集へんしゅう]

日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく代表だいひょうする作品さくひんである源氏物語げんじものがたりにはすうおおくの写本しゃほんのこされている。日本にっぽんでも木版もくはんによる印刷いんさつ技術ぎじゅつ飛鳥あすか時代ときよから存在そんざいしたものの、それによって印刷いんさつされたのは仏典ぶってん漢籍かんせきかぎられており源氏物語げんじものがたりのような文学ぶんがく作品さくひんながく「印刷いんさつ」されることかった。そのために、源氏物語げんじものがたり平安へいあん時代じだい中期ちゅうきあらわされてから江戸えど時代じだい初期しょきまでは写本しゃほんでのみむことが出来できた。それ以降いこう活字かつじほんはじめとするしるし刷本すりほん流布るふすることになってく。

どれくらいのかず源氏物語げんじものがたり写本しゃほん存在そんざいする・したのかはあきらかではない。校異こうい源氏物語げんじものがたりおよ源氏物語げんじものがたり大成たいせいやく60ほん写本しゃほん校合きょうごう対象たいしょうにしており、これらとかさなるものもおおいが源氏物語げんじものがたりべつほん集成しゅうせいやく40ほん河内かわうちほん源氏物語げんじものがたり校異こうい集成しゅうせいやく30ほん写本しゃほん校合きょうごう対象たいしょうにしており、主要しゅよう校本こうほん校合きょうごう対象たいしょうとしてげられている写本しゃほんはのべ100ほん程度ていどである。1932ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文学部ぶんがくぶ国文学こくぶんがく研究けんきゅうしつにおいて開催かいさいされた展観てんかんかいにおける目録もくろく[1]ではあお表紙ひょうし系統けいとう62しゅ河内かわうちほん系統けいとう34しゅべつほん系統けいとう24しゅけい122写本しゃほんげられており、1960ねん大津おおつ有一ゆういちしょほん解題かいだい池田いけだ亀鑑きかんへん源氏物語げんじものがたり事典じてん 下巻げかん』(東京とうきょうどう出版しゅっぱん)ではけい125写本しゃほんげられているが、これらの文献ぶんけんげられているのはあくまで全体ぜんたいからるとほんの一部いちぶ写本しゃほんであり、これらにふくまれない写本しゃほん多数たすう存在そんざいする。また、#写本しゃほん状況じょうきょう詳述しょうじゅつするとおり、全巻ぜんかんそろった写本しゃほんすくない。

21世紀せいきはいっても写本しゃほん時折ときおり発見はっけんされ、ニュースになることがある[2]

源氏物語げんじものがたり写本しゃほん名称めいしょう[編集へんしゅう]

源氏物語げんじものがたり写本しゃほんは、おおくの場合ばあい

  • その写本しゃほん書写しょしゃしゃとされる人物じんぶつ名称めいしょう(○○ぴつほん
  • その写本しゃほん現在げんざいまた過去かこ所有しょゆうしゃまたは管理かんりしゃ名称めいしょう(○○蔵本ぞうほんまたは○○きゅう蔵本ぞうほん

のいずれかに由来ゆらいする名称めいしょうばれる。実際じっさいには、おなひとつの写本しゃほん書写しょしゃしゃ由来ゆらいする名称めいしょう所有しょゆうしゃ由来ゆらいする名称めいしょうともつこともおおく、ぎゃくひとつの写本しゃほん複数ふくすう書写しょしゃしゃとされる人物じんぶつっているため書写しょしゃしゃとされる人物じんぶつ名称めいしょう由来ゆらいする写本しゃほん名称めいしょう複数ふくすうっていたり、所有しょゆうしゃ次々つぎつぎうつるのにおうじて所有しょゆうしゃ由来ゆらいするいくつもの名称めいしょうつことがしばしばあり、ぎゃくに、一人ひとり人物じんぶつがいくつもの写本しゃほんのこした場合ばあい一人ひとり人物じんぶつまたは組織そしき複数ふくすう写本しゃほん所有しょゆうしたような場合ばあいにはおなひとつの名称めいしょうまったことなるべつ写本しゃほんしめすことがある。

たとえば、コレクション「あお谿書」でられる三井みつい合名ごうめい会社かいしゃ理事りじであった大島おおしま雅太郎まさたろうは、一時期いちじき豊富ほうふ財力ざいりょく背景はいけいにさまざまな書物しょもつ写本しゃほん収集しゅうしゅうしたため、「大島本おおじまほん」のばれる写本しゃほんは(源氏物語げんじものがたりのものにかぎらず)数多かずおお存在そんざいするが、通常つうじょうたんに「大島本おおじまほん」というとき飛鳥井あすかい雅康まさやすふでとされる、あお表紙ひょうしほんけい最良さいりょうとされる写本しゃほんす。同時どうじに、河内かわうちほん本文ほんぶんち、現在げんざい天理てんり図書館としょかん所蔵しょぞうされる写本しゃほんたんに「大島本おおじまほん」とばれることもあるが、前述ぜんじゅつのものと区別くべつするために「大島おおしま河内かわうちほん」などとばれることのほうおおい。さらにそれ以外いがいにも大島おおしま雅太郎まさたろうは1じょうのみつたえられている写本しゃほんをいくつか所有しょゆうしており、それらは「大島おおしま雅太郎まさたろうぞうでんこうくも花山院かさんのいん長親ながちかひつはなえんまき」、「大島おおしま雅太郎まさたろうぞうでん二条為氏筆松風巻」、「大島おおしま雅太郎まさたろうぞうでん二条為氏筆鈴虫巻」、「大島おおしま雅太郎まさたろうぞうでん冷泉れいせん為相ためすけひつ鈴虫すずむしまき」、「大島おおしま雅太郎まさたろうぞうでん藤原為家ふじわらのためいえひつふじうら葉巻はまき」、「大島おおしま雅太郎まさたろうぞうでん二条にじょう為氏ためうじひつ柏木かしわぎまき」、「大島おおしま雅太郎まさたろうぞうでん二条為氏筆紅葉賀巻」、「大島おおしま雅太郎まさたろうぞうでん西行さいぎょうひつちくかわまき」のように伝承でんしょう筆者ひっしゃ現存げんそんしているまき名称めいしょうして区別くべつしている。このようにすうおおくの写本しゃほん所有しょゆうしていたため、同人どうじん所有しょゆうしていた写本しゃほん写本しゃほん記号きごうには伝承でんしょう筆者ひっしゃ名前なまえ使用しようしたものの大島おおしま雅太郎まさたろう名前なまえから「だい」・「しま」・「みやび」が使用しようされており、コレクション「あお谿書」の名称めいしょうから「あお」・「谿」が使用しようされている。

また、鎌倉かまくら時代ときよ末期まっき住吉すみよし大社たいしゃ神主かんぬし歌人かじんとしてもられる津守つもりこくふゆ1270ねんぶんなが7ねん)-1320ねんもとおう2ねん))による書写しょしゃとされる源氏物語げんじものがたり写本しゃほんは、断片だんぺんてきにのみのこるものやわせほんなかふくまれるものをふくめるといくつかられているが、通常つうじょう津守つもりこくふゆ書写しょしゃしたほんという意味いみたんに「くにふゆほん源氏物語げんじものがたり)」とのみいうときには、校異こうい源氏物語げんじものがたりおよ源氏物語げんじものがたり大成たいせい校異こういへん採用さいようされた、現在げんざい天理大学てんりだいがく天理てんり図書館としょかん所蔵しょぞうされている津守つもりこくふゆ書写しょしゃによるまきふくわせほんをいう。

本文ほんぶん系統けいとう[編集へんしゅう]

源氏物語げんじものがたり写本しゃほんはしばしば本文ほんぶん系統けいとうによって「あお表紙ひょうしほん本文ほんぶん写本しゃほん」・「河内かわうちほん本文ほんぶん写本しゃほん」・「べつほん本文ほんぶん写本しゃほん」に分類ぶんるいされる。校異こうい源氏物語げんじものがたりおよ源氏物語げんじものがたり大成たいせい校異こういへんにおいては源氏物語げんじものがたり写本しゃほん上記じょうきみっつの区分くぶんけて列挙れっきょしており、源氏物語げんじものがたりべつほん集成しゅうせいでは「べつほん本文ほんぶん写本しゃほん」のみを対象たいしょうとし、河内かわうちほん源氏物語げんじものがたり校異こうい集成しゅうせいでは「河内かわうちほん本文ほんぶん写本しゃほん」のみを対象たいしょうにしている。このような3区分くぶんは、注釈ちゅうしゃく時代じだいから存在そんざいした「あお表紙ひょうしほん」・「河内かわうちほん」というふたつの系統けいとうもと池田いけだ亀鑑きかんがこのふたつにふくまれないしょ写本しゃほんを「べつほん」としてくわえて成立せいりつさせたものである[3]。この3区分くぶんほう自体じたいはこれ以後いご主流しゅりゅうかんがかたになっていったが写本しゃほんをこのような区分くぶんしたがってけることについてはさまざまな問題もんだい指摘してきされている。

阿部あべ秋生あきおにより、「外形がいけいてき特徴とくちょうおもきをいて伝承でんしょうにある「あお表紙ひょうしほん」や「河内かわうちほん」が存在そんざいしているという前提ぜんていでそれに該当がいとうするつてほんさがもとめるという池田いけだ方法ほうほう異例いれいであり、奇異きい方法ほうほうである」[4]つてほん分類ぶんるい本文ほんぶんそのものの比較ひかく中心ちゅうしんえるのが本来ほんらい姿すがたであろう」[5]「さらにもしせい表紙ひょうしほん古伝こでんほんけいべつほんひとつであるはずの藤原ふじわら定家さだいえまえにあったある写本しゃほんなかひとつを忠実ちゅうじつうつったものであるならば、あお表紙ひょうしほんとはじつ古伝こでんほんけいべつほんひとつであるということになる。」[6]との批判ひはんくわえられた。阿部あべ主張しゅちょうのもとになっている「定家さだいえ書写しょしゃしたあお表紙ひょうしほん本文ほんぶん本当ほんとうもと写本しゃほん本文ほんぶんくわえず忠実ちゅうじつうつった」というてんについては、石田いしだみのるによる「意図いとしない単純たんじゅん誤写ごしゃはわずかに確認かくにんできるものの、意図いとてき改変かいへん存在そんざいしない」とする見方みかた存在そんざいするものの[7]藤原ふじわら定家さだいえにより紀貫之きのつらゆき自筆じひつほんから書写しょしゃされた『土佐とさ日記にっき』の写本しゃほんじょう息子むすこである藤原為家ふじわらのためいえによる紀貫之きのつらゆき自筆じひつほんから書写しょしゃされた写本しゃほん比較ひかくすると、仮名遣かなづかいいなどを中心ちゅうしん本文ほんぶん意識いしきてきととのえたとられる部分ぶぶん存在そんざいすることなどから定家さだいえによるある程度ていど意識いしきてき本文ほんぶんせいじょうなんらかのかたち存在そんざいするとの見方みかた有力ゆうりょくになっている。

源氏物語げんじものがたりは54じょうからなる長大ちょうだい作品さくひんであるために最初さいしょからひとくみ写本しゃほん複数ふくすうじん書写しょしゃしたり、なんらかの理由りゆうけた写本しゃほんについてもともと別々べつべつ写本しゃほんであったものをわせてひとつの写本しゃほんにしたり、けた部分ぶぶんのある写本しゃほんけた部分ぶぶんあらたに書写しょしゃしておぎなうといった部分ぶぶんつ「わせほん」が数多かずおお存在そんざいし、このような「わせほん」では本文ほんぶん系統けいとうについてもまきごとにことなった本文ほんぶん系統けいとうぞくするといったことがすくなくなく、またこのようにしてできあがった「わせほん」をもとに書写しょしゃおこなった場合ばあいにはその写本しゃほんはたとえ一筆いっぴつ写本しゃほんであっても最初さいしょから複数ふくすう本文ほんぶん系統けいとう混在こんざいしていることになる。また程度ていどはあるものの、おおくの写本しゃほんでは本文ほんぶん一度いちどかれてそれがそのままつたえられるのではなく、なんらかの「校合きょうごう」がおこなわれ、本文ほんぶん訂正ていせいおこなわれている。このような本文ほんぶん訂正ていせいは、最初さいしょ書写しょしゃされたとき(またはその直後ちょくご)に、書写しょしゃもとになった写本しゃほん照合しょうごうしたうえ誤写ごしゃ訂正ていせいしたような場合ばあいのぞいて複雑ふくざつ本文ほんぶんじょう問題もんだいしょうじさせることになる。大島本おおじまほんしゅう河内かわちほんなど代表だいひょうてき写本しゃほんおおくに当初とうしょかれたものとはことなる系統けいとう本文ほんぶん写本しゃほん照合しょうごうしての校合きょうごうみとめられる。

また「あお表紙ひょうしほん」や「河内かわうちほん」といっても、実際じっさい写本しゃほん本文ほんぶんでは、「純度じゅんどたかあお表紙ひょうしほん」から「河内かわうちほんちかいものをふくあお表紙ひょうしほん」・「河内かわうちほんちかいというわけではないが独自どくじぶんふくあお表紙ひょうしほん」といったものや「あお表紙ひょうしほんちかべつほん」・「河内かわうちほんちかべつほん」といったものまで存在そんざいし、その性質せいしつ一様いちようではない。またそのような判断はんだんひとによって、また研究けんきゅう進展しんてんによって変化へんかすることもすくなくない。たとえば大島本おおじまほん初音はつねまき当初とうしょ池田いけだ亀鑑きかんによって「べつほん本文ほんぶんまきである」として『校異こうい源氏物語げんじものがたり』(1942ねん昭和しょうわ17ねん))では底本ていほん採用さいようされず、『源氏物語げんじものがたり大成たいせい 校異こういへん』(1953ねん昭和しょうわ28ねん))にもそのままがれたが、『源氏物語げんじものがたり大成たいせい 研究けんきゅう資料しりょうへん』(1956ねん昭和しょうわ31ねん))ではかつての自身じしん見解けんかいを「さらに慎重しんちょう検討けんとうがなされなければならない」としてさい検討けんとう必要ひつようせいみとめるような論述ろんじゅつおこなうようになった[8]。そのもさまざまな研究けんきゅうしゃによってこの大島本おおじまほん初音はつねじょう本文ほんぶん性質せいしつについては検討けんとうつづけられたが、

  • 玉上たまがみ琢弥たくや源氏物語げんじものがたり評釈ひょうしゃく だい5かん角川書店かどかわしょてん、1978ねん昭和しょうわ53ねん
  • 阿部あべ秋生あきお秋山あきやまけん今井いまいみなもとまもるこうちゅうやく源氏物語げんじものがたり 3 日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう 14』小学館しょうがくかん、1972ねん昭和しょうわ47ねん)11月 ISBN 4-09-657014-1
  • 石田いしだみのる清水しみず好子よしここうちゅう源氏物語げんじものがたり新潮しんちょう日本にっぽん古典こてん集成しゅうせいぜん8かん)(新潮社しんちょうしゃ、1976ねん昭和しょうわ51ねん) - 1980ねん昭和しょうわ55ねん))
  • 阿部あべ秋生あきお源氏物語げんじものがたり完訳かんやく日本にっぽん古典こてんぜん10かん)(小学館しょうがくかん、1983ねん昭和しょうわ58ねん) - 1988ねん昭和しょうわ63ねん))
  • 阿部あべ秋生あきお源氏物語げんじものがたり新編しんぺん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅうぜん6かん)(小学館しょうがくかん、1994ねん平成へいせい6ねん) - 1998ねん平成へいせい10ねん))

といった大島本おおじまほん底本ていほん採用さいようしたおおくの校本こうほん源氏物語げんじものがたり大成たいせい方針ほうしんいでこの初音はつねじょうについては大島本おおじまほん採用さいようがされなかった一方いっぽうで、池田いけだ亀鑑きかん当初とうしょ見解けんかいである「大島本おおじまほん初音はつねじょう本文ほんぶんべつほんである。」とする見方みかたあやまりであるとする見方みかたすくなからず存在そんざいする[9]

また近年きんねんでは個々ここ写本しゃほん位置いちづけについての妥当だとうせいにとどまらず、阿部あべ秋生あきおとうによって「あお表紙ひょうしほん藤原ふじわら定家さだいえまえにあったひとつの写本しゃほん(それは当然とうぜん古伝こでんほんけいべつほんである)を忠実ちゅうじつうつしとったのならば、その結果けっかまれたあお表紙ひょうしほんじつべつほんであるとかんがえざるをないのではないか」といった問題もんだい提起ていきがなされ[10]源氏物語げんじものがたり本文ほんぶんを「あお表紙ひょうしほん」・「河内かわうちほん」・「べつほん」のさん系統けいとう分類ぶんるいすること自体じたい妥当だとうせい問題もんだいにされるようになってきており、「源氏物語げんじものがたりべつほん集成しゅうせい つづけ」では、あお表紙ひょうしほんべつほんふくめて「河内かわうちほんとしてあつかわれるべき写本しゃほん以外いがいすべての写本しゃほんすべべつほんとしてあつかう」といった方針ほうしんがとられるようになっている。またこのような二分にぶんほうをとる立場たちばなかには「あお表紙ひょうしほん」を「いわゆるあお表紙ひょうしほん」とんでみたり[11]、さらには「あお表紙ひょうしほん」・「河内かわうちほん」というかたけて、

  • これまで「河内かわうちほん」とっていたものを中心ちゅうしんとするグループを「かぶとるい
  • これまで「あお表紙ひょうしほん」や「べつほん」とんでいたものを「おつるい

といったかたをすることもある[12]

1990年代ねんだい以降いこうには、おおくの漢字かんじふく文学ぶんがく作品さくひんコンピュータによるデータ処理しょり容易よういになり、本文ほんぶん性格せいかくあらわすときに、個別こべつ本文ほんぶん比較ひかくしたうえ文節ぶんせつレベルでの一致いっちすうりつ)や不一致ふいっちすうりつ)を計算けいさんし、そのような数字すうじもとにして定量ていりょうてき表現ひょうげんによって写本しゃほん本文ほんぶん相互そうごの「ちかさ」や「とおさ」をしめすことが以下いかのようにしばしばおこなわれるようになってきており、これまでのような「あお表紙ひょうしほんである(またはない)」・「河内かわうちほんである(またはない)」などといった定性的ていせいてき表記ひょうきわって使用しようされることもえつつある。


だい11じょう はなさとにおける分析ぶんせき結果けっか[13]

写本しゃほん名称めいしょう 大島本おおじまほん
一致いっちりつ
しゅうほん
一致いっちりつ
伝統でんとうてき区分くぶん
よる本文ほんぶん系統けいとう
おおしまほん大島本おおじまほん 100% 064% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
ようめいぶんこほん陽明ようめい文庫本ぶんこぼん 079% 064% べつほんべつほん
ほさかほん保坂ほさかほん 091% 067% べつほんべつほん
びしゅうけほんしゅうほん 064% 100% かわちぼん河内かわうちほん
ありまほんおもねさと莫本 061% 083% べつほんべつほん
ぎょぶつほん御物ぎょもつほん 078% 063% べつほんべつほん
むにゅうほん麦生むぎうほん 062% 084% べつほんべつほん
つるみだいがくほん鶴見大学つるみだいがくほん 081% 070%
くにふゆほんくにふゆほん 085% 063% べつほんべつほん
えいりげんじものがたりにゅう源氏物語げんじものがたり 085% 064% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
かしらがきげんじものがたりくびしょ源氏物語げんじものがたり 088% 064% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
こげつしょうみずうみがつしょう 082% 062% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
にちだいさんじょうにしほん日大にちだいほん 094% 064% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
しょりょうぶさんじょうにしほんしょりょう蔵本ぞうほん 082% 063% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
ていかほん藤原ふじわら定家さだいえ自筆じひつほん 096% 065% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
きゅうしゅうだいがくほん九州大学きゅうしゅうだいがくほん 093% 064% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
ほくにぶんこほん久邇くに文庫本ぶんこぼん 090% 063%
でんためあきひつほんつてためあかりひつほん 092% 063% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
ふしみてんのうほん伏見天皇ふしみてんのうほん 093% 063%
きょうだいちゅういんほんきょう大中でじゅん院本いんぽん 094% 064% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
たいしょうだいがくほん大正大学たいしょうだいがくほん 079% 073% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
しょうはくほん肖柏しょうはくほん 080% 074% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
こくぶんけんせいてつほん国文こくぶんけん正徹しょうてつほん 091% 063% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
たかまつみやけほん高松宮たかまつのみやほん 063% 098% かわちぼん河内かわうちほん
こうのびじゅつかんほん河野こうの美術館びじゅつかんほん 082% 069%

だい14じょう 澪標みおつくしにおける分析ぶんせき結果けっか[14]

写本しゃほん名称めいしょう 大島本おおじまほん
一致いっちりつ
しゅうほん
一致いっちりつ
伝統でんとうてき区分くぶん
よる本文ほんぶん系統けいとう
おおしまほん大島本おおじまほん 100% 074% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
しょりょうぶさんじょうにしほんしょりょう蔵本ぞうほん 096% 074% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
ほさかほん保坂ほさかほん 096% 074% べつほんべつほん
くにふゆほんくにふゆほん 095% 074% べつほんべつほん
にちだいさんじょうにしほん日大にちだいほん 095% 074% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
ふしみてんのうほん伏見天皇ふしみてんのうほん 094% 072%
ようめいぶんこほん陽明ようめい文庫本ぶんこぼん 093% 073%
まえだほん前田まえだほん 091% 071%
とうきょうだいがくほん東京大学とうきょうだいがくほん 091% 072%
ほくにぶんこほん久邇くに文庫本ぶんこぼん 091% 070%
ありまほんおもねさと莫本 087% 071% べつほんべつほん
むにゅうほん麦生むぎうほん 086% 070% べつほんべつほん
びしゅうけほんしゅうほん 074% 100% かわちぼん河内かわうちほん
たかまつみやけほん高松宮たかまつのみやほん 073% 098% かわちぼん河内かわうちほん
かくひつげんじかくふで源氏げんじ 069% 086% かわちぼん河内かわうちほん
つるみだいがくほん鶴見大学つるみだいがくほん 064% 067%

だい38じょう 鈴虫すずむしにおける分析ぶんせき結果けっか[15]

写本しゃほん名称めいしょう 大島本おおじまほん
一致いっちりつ
しゅうほん
一致いっちりつ
伝統でんとうてき区分くぶん
よる本文ほんぶん系統けいとう
びしゅうけほんしゅうほん 094% 100% かわちぼん河内かわうちほん
ためいえほんためほん 094% 098% かわちぼん河内かわうちほん
しゅんぜいほん俊成しゅんぜいほん 094% 098% かわちぼん河内かわうちほん
ほうらいじほん鳳来ほうらい寺本てらもと 093% 098% かわちぼん河内かわうちほん
写本しゃほん記号きごうみやび 093% 097% かわちぼん河内かわうちほん
げんじものがたりたいせいていほん源氏物語げんじものがたり大成たいせい底本ていほん 099% 096% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
いけだほん池田本いけだほん 096% 096% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
にちだいさんじょうにしほん日大にちだいほん 094% 096% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
ためうじほん為氏ためうじほん 096% 095% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
しょうはくほん肖柏しょうはくほん 096% 095% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
にししたほん西下さいかけいいちきゅう蔵本ぞうほん 095% 095% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
しょりょうぶさんじょうにしほんしょりょう蔵本ぞうほん 094% 095% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
たかまつみやほん高松宮たかまつのみやほん 092% 095% かわちぼん河内かわうちほん
おおしまほん大島本おおじまほん 100% 094% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
よこやまほん横山よこやまほん 094% 094% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
ふしみてんのうほん伏見天皇ふしみてんのうほん 092% 093%
ぎょぶつほん御物ぎょもつほん 089% 092% かわちぼん河内かわうちほん
かしらがきげんじものがたりくびしょ源氏物語げんじものがたり 089% 091% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
えいりげんじものがたりにゅう源氏物語げんじものがたり 089% 090% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
こげつしょうみずうみがつしょう 089% 089% あおひょうしほんあお表紙ひょうしほん
とうきょうだいがくほん東京大学とうきょうだいがくほん 085% 086%
ようめいぶんこほん陽明ようめい文庫本ぶんこぼん 085% 085% べつほんべつほん
ほさかほん保坂ほさかほん 080% 081% べつほんべつほん
ときつねほんげんけいほん 080% 080% べつほんべつほん
ほくにぶんこほん久邇くに文庫本ぶんこぼん 075% 077%
なかやまほん中山本なかやまもと 073% 075%
ありまほんおもねさと莫本 072% 073% べつほんべつほん
むにゅうほん麦生むぎうほん 072% 073% べつほんべつほん
えまきことばがき絵巻えまき詞書ことばがき 066% 069%
くにふゆほんくにふゆほん 050% 050%

また写本しゃほんぞくするとされる「本文ほんぶん系統けいとう」と個々ここ本文ほんぶん異同いどうとの関係かんけいについても、加藤かとうあきらよしみは、宇治うじじゅうじょうなか最大さいだい本文ほんぶん異同いどうしめ東屋あずまやまき一節いっせつ本文ほんぶん異同いどうれいにとって、ちいさな差異さいのぞいたある発言はつげん有無うむ特定とくてい発言はつげん発話はつわしゃことなりとった筋立すじだてのことなりによって現存げんそんする写本しゃほん版本はんぽんおよ注釈ちゅうしゃくしょ前提ぜんていとしているとられる本文ほんぶん分類ぶんるいすると、以下いかのような5つのグループにかれることをあきらかにし、そのうえで「このような実際じっさい本文ほんぶん異同いどう状況じょうきょう説明せつめい理解りかいするにあたって、これまで基準きじゅんになるとされてきた「あお表紙ひょうしほん」・「河内かわうちほん」・「べつほん」という区分くぶんなんやくにもたない」としている[16]

区分くぶん 写本しゃほん 版本はんぽん 注釈ちゅうしゃくしょ
A しゅうかつらほん

肖柏しょうはくほん
あきらとおるほん
八木はちぼく書店しょてんほん

慶長けいちょう活字かつじばん

でん嵯峨さがほん
にゅう源氏物語げんじものがたり
みずうみがつしょう

B 大島本おおじまほんあお

日本にっぽん大学だいがくぞうさんじょう西家にしいえほんあお
飯島いいじまほん
しゅうほんかわ
なな毫源かわ
高松宮たかまつのみやほんべつ
陽明ようめい文庫本ぶんこぼんべつ
伏見天皇ふしみてんのうほん源氏物語げんじものがたり
国文こくぶんけんぞう正徹しょうてつほん
くにふゆほんべつ
こう柏原かしわばら院本いんぽん
東海大学とうかいだいがくくら紹巴しょうはほん
中院なかのいん文庫本ぶんこぼん

九州大学きゅうしゅうだいがくほん

寛永かんえい活字かつじばん
ばつかんせい版本はんぽん
版本はんぽんまんみずいちつゆ
くびしょ源氏物語げんじものがたり

C しょりょうぞうさんじょう西家にしいえほん

よもぎひだり文庫ぶんこぞうさんじょう西家にしいえほん
よもぎひだり文庫ぶんこくら紹巴しょうはほん

もと和本わほん 弄花ろうかしょう

細流さいりゅうしょう
明星みょうじょうしょう
きゅう聞抄
はじめしょう

D 久邇くに文庫本ぶんこぼん

池田本いけだほんべつ

一葉いちようしょう
E 保坂ほさかほんべつ

御物ぎょもつほんべつ

写本しゃほん状況じょうきょう[編集へんしゅう]

源氏物語げんじものがたり全体ぜんたいで54じょうからなる大部たいぶ作品さくひんであるために、ぜんじょうすべてそろっている写本しゃほんすくない。

さらには

のようにすうじょうだけがのこっているもの、

  • 早蕨さわらび」1じょうのみがのこ保坂ほさかじゅんきゅうぞう藤原ふじわら定家さだいえ自筆じひつほん、「行幸ぎょうこう」1じょうのみがのこ関戸せきと家蔵かぞう藤原ふじわら定家さだいえ自筆じひつほん帚木のみがのこる「東洋大学とうようだいがくくら阿仏あぶつほん」のように1じょうだけのこっているもの
  • 1じょうのさらに一部分いちぶぶんのみがのこっているもの

など、「れいほん」とばれるなんらかのかたちけている写本しゃほんだい部分ぶぶんである。また大部たいぶ作品さくひんであることから一人ひとりふでで54じょうすべてを書写しょしゃしている写本しゃほんはまれであり、一番いちばんはやいものでも室町むろまち時代じだい中期ちゅうきのものである。また完本かんぽんないしそれにちかおおくのまきそろっている写本しゃほんにはいちもともとそろっていたまき一部分いちぶぶんけたのちになってもともとはべつ写本しゃほんであったものからってきてわせていちくみそろった写本しゃほんにしたり、べつ写本しゃほんから書写しょしゃしておぎなっているものもおおい。

またくにふゆほんのように「におい兵部ひょうぶきょう」の表題ひょうだいまき中身なかみは「ゆうきり」の後半こうはん部分ぶぶんであり、「においみや」の内容ないよう部分ぶぶん存在そんざいせず、ぎゃく紅梅こうばいじょう後半こうはん部分ぶぶん通常つうじょうまきじょ場所ばしょにもありながらそれとはべつ玉鬘たまかずらじょう後半こうはん部分ぶぶんにもじられておりじゅう存在そんざいするなどある部分ぶぶんじゅうはいっているといった場合ばあいがしばしばある。さらには平瀬ひらせほんのように形式けいしきてきには54じょうそろってはいるものの「「たけかわ」の外題げだいまきには『せまころも物語ものがたりだいかん本文ほんぶん混入こんにゅうしており源氏物語げんじものがたりたけかわまき本文ほんぶん当該とうがい写本しゃほんのどこにも存在そんざいしない」といった事例じれいもある。

2019ねんれい元年がんねん)10がつ、「定家さだいえほん」のうち「若紫わかむらさき」1じょうきゅう大名だいみょう子孫しそんたく発見はっけんされたと発表はっぴょうした[17]

写本しゃほん作成さくせい[編集へんしゅう]

紫式部むらさきしきぶ時代じだい[編集へんしゅう]

紫式部むらさきしきぶ日記にっき記述きじゅつによれば、紫式部むらさきしきぶによる自筆じひつほん自体じたいが「よろしうえしほん」や「藤原ふじわら道長みちながにとって勝手かってされたほん」などといったかたち複数ふくすう存在そんざいしたとされており、そのほか当時とうじ能書のうがきなどを動員どういんしての源氏物語げんじものがたり写本しゃほんがいくつか作成さくせいされていたとされているが、この時代じだい写本しゃほん現在げんざいではひとつものこっておらず、注釈ちゅうしゃくしょなか当時とうじ能書のうがきのひとりである「くだりなり」のほんについて、「みなもとちかしぎょうたことがある」むね記述きじゅつむらさきあきらしょう存在そんざいするものの、室町むろまち時代ときよになると四辻よつつじ善成よしなりかわうみしょうにおいて「いまはつたわらず」とされている程度ていどである。当時とうじすうおおくの物語ものがたり(の写本しゃほん)は数多かずおおつくられ、されると同時どうじわればてられ、えていく運命うんめいにあるものであり、ながのこされることはあまりかったとかんがえられる。

源氏物語げんじものがたりまれてからひゃくねんほどたつと、現在げんざいのこる「源氏物語げんじものがたり絵巻えまき」のような源氏物語げんじものがたり題材だいざいにしたおおがかりな創作そうさくおこなわれるようになるが、源氏物語げんじものがたりそのものの写本しゃほんについてもみなもと麗子れいこが「わがすえ(=子孫しそん)」にのこすことを目的もくてきとした写本しゃほんしたがえいち麗子れいこほん源氏物語げんじものがたり」を作成さくせいするという源氏物語げんじものがたり伝播でんぱ様態ようたいなか画期的かっきてきこときる。この写本しゃほんみなもと麗子れいこ目的もくてきどお同人どうじん直系ちょっけい子孫しそんである摂関せっかん筆頭ひっとう一条いちじょう」の相伝そうでんほんになったとされ、かわうみしょうなど室町むろまち時代じだい初期しょきまでの注釈ちゅうしゃくしょにしばしば言及げんきゅうされており、またかわ内方ないほう河内かわうちほんととのえたときにおもんじた7つの写本しゃほんひとつにげられているが、この「したがえいち麗子れいこほん」もまた現存げんそんせず、おそらくは応仁おうにんらん前後ぜんごにはうしなわれたとかんがえられる。

証本しょうほん時代じだい[編集へんしゅう]

清少納言せいしょうなごん枕草子まくらのそうしなか物語ものがたりがしばしば劣悪れつあくかたち改作かいさくされていることなげいており、源氏物語げんじものがたりされた平安へいあん時代じだいには、物語ものがたりというものはひとりの作者さくしゃつくげた当初とうしょかたちがそのまま後世こうせいつたえられるというのはむしろ例外れいがいであり、ほとんどの場合ばあい増補ぞうほ改作かいさくなど別人べつじんくわわったかたちのものがつたえられているとかんがえられている[18]

そのような状況じょうきょうなかすうおおくの写本しゃほんつくられていった結果けっか、「みなもとざる歌詠うたよ遺恨いこんことなり」とうたさく世界せかい古典こてん聖典せいてんされていった平安へいあん時代じだい末期まっきから鎌倉かまくら時代じだい初期しょきには、源氏物語げんじものがたりおおくの写本しゃほん存在そんざいするものの、「家々いえいえ写本しゃほんはそれぞれことなっておりどれがただしいのかからない」という状況じょうきょうになっていた。そのような状況じょうきょうもとで、藤原ふじわら定家さだいえによる「あお表紙ひょうしほん」、かわ内方ないほうによる「河内かわうちほん」といったなんらかのかたちで「ただしい本文ほんぶんつ」とされる証本しょうほんつくられ、それ以後いごおおくの写本しゃほん証本しょうほんをもとに注意深ちゅういぶか書写しょしゃしていつだれがどのようなほんをもとに書写しょしゃしたのかを奥書おくがきしるし、うつしたのちもきちんと校合きょうごうするということがおこなわれるようになる。

室町むろまち時代じだい中期ちゅうき以降いこうには地方ちほう権力けんりょくしゃ源氏物語げんじものがたり写本しゃほんつことをほっし、没落ぼつらくしたり財政ざいせいてき困窮こんきゅうした京都きょうと公家くげから貴重きちょう写本しゃほんゆずけたり、地方ちほう権力けんりょくしゃ注文ちゅうもんおうじて写本しゃほん作成さくせいされるといった事例じれいしょうじるようになる。たとえば周防すおうこく守護しゅご大名だいみょう大内おおうち定家さだいえ自筆じひつほんなんさつれたり、そのまもなく飛鳥井あすかい雅康まさやすもとめて源氏物語げんじものがたり大成たいせい以来いらい学術がくじゅつてき校本こうほん底本ていほんとしてひろ使用しようされている「大島本おおじまほん」とばれている写本しゃほん作成さくせいしたりしている。また「む」ことを目的もくてきとした写本しゃほんほかに「嫁入よめいほん」とばれる豪華ごうか装丁そうていった写本しゃほんつくられている。

む」ことを目的もくてきとした54じょうそろっている写本しゃほんほかにも天皇てんのう上皇じょうこうといった身分みぶんたか人物じんぶつによるとされた写本しゃほん源頼政みなもとのよりまさ西行さいぎょう藤原ふじわら俊成としなり藤原ふじわら定家さだいえ藤原為家ふじわらのためいえ二条にじょう為氏ためうじ阿仏あぶつ冷泉れいせん為相ためすけといったふる時代じだい書道しょどううたさく分野ぶんや名高なだか人物じんぶつによるとされた写本しゃほんは1じょうだけのこった状態じょうたいでも、さらにいちようだけの状態じょうたいでも尊重そんちょうされた。そのため「古筆切こひつぎれ」のようなかたち一部いちぶられてしまったとられる痕跡こんせき写本しゃほんおおい。ただしこれらの「○○ぴつ」については学術がくじゅつてき根拠こんきょ存在そんざいするとはえない場合ばあいがほとんどであり、おな人物じんぶつによるとされている別々べつべつのところに伝来でんらいしている写本しゃほん同士どうし筆跡ひっせき比較ひかくするとどう一人物いちじんぶつによるものとはかんがえられないほどにことなっていることもおおい。

版本はんぽん時代じだい[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだいはいると版本はんぽん時代じだいはいり、それまでとはくらべものにならないほどに「源氏物語げんじものがたりほん」が普及ふきゅうすることになり写本しゃほんでなければ源氏物語げんじものがたりむことは出来できない時代じだいわるが、そのもさまざまな理由りゆうで「写本しゃほん」も作成さくせいされつづけている。

写本しゃほんおも所蔵しょぞうしゃ[編集へんしゅう]

近代きんだい以前いぜんには源氏物語げんじものがたり写本しゃほんはほとんどは天皇てんのうをはじめとする公家くげ大名だいみょうなどの武家ぶけ神社じんじゃ寺院じいんなどのものであり、わずかに一部いちぶ写本しゃほんがそれらより身分みぶんひく裕福ゆうふく町人ちょうにん農民のうみんのものであったとられる。ほんきょ宣長のりなが当時とうじ流布るふほんであるあお表紙ひょうしほん系統けいとうみずうみがつしょう本文ほんぶんかわうみしょう花鳥かちょう余情よじょうかれたおおくは河内かわうちほん系統けいとう本文ほんぶんとがことなっていることなどから本文ほんぶん問題もんだい関心かんしんいだき、自身じしん注釈ちゅうしゃくしょ源氏物語げんじものがたりだましょうくし』ではだい4かん1かんぶんをまるまるいて本文ほんぶん問題もんだいろんじているが、現代げんだいから本文ほんぶん性格せいかくのはっきりしないあまり良質りょうしつ本文ほんぶんつとはかんがえられない写本しゃほんを2ほんしかることが出来できなかったとされている[26]室町むろまち時代じだい末期まっきから江戸えど時代じだい初期しょきにかけては豊臣とよとみ秀次しゅうじから徳川とくがわ家康いえやすへ、家康いえやすから尾張おわり徳川とくがわへといったかたちつたえられた「しゅうほん」のように豊臣とよとみ徳川とくがわといった新興しんこう権力けんりょくしゃ貴重きちょう写本しゃほんあつめる、あるいは公家くげなどからみずか献上けんじょうされたり、また「大沢おおさわほん」のように功臣こうしんたいして貴重きちょう写本しゃほん下賜かしするといった事例じれいられる。

明治めいじ時代じだい以降いこうこのような伝統でんとうてき所有しょゆうしゃから大量たいりょう放出ほうしゅつされ、おおくは明治めいじ時代じだい以降いこう勃興ぼっこうした財閥ざいばつなどの個人こじんてき資産しさんのものになっていき、一部いちぶ海外かいがい流出りゅうしゅつしていった。だい大戦たいせんには財閥ざいばつ解体かいたい財産ざいさんぜいなどによって個人こじん高額こうがく資産しさん維持いじしていくことが困難こんなんになり公家くげ大名だいみょうながれを資産しさん財閥ざいばつ関係かんけいしゃなどとして資産しさんもの保有ほゆうしていたおおくの写本しゃほん再度さいど大量たいりょう流出りゅうしゅつした。それらの写本しゃほん大学だいがく公的こうてき研究けんきゅう機関きかんのものになっていった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文学部ぶんがくぶ国文学こくぶんがく研究けんきゅうしつへん源氏物語げんじものがたりかんする展観てんかんしょ目録もくろく岩波書店いわなみしょてん、1932ねん
  2. ^ たとえば鎌倉かまくら後期こうき写本しゃほん発見はっけん”. 2011ねん12月17にち閲覧えつらん
  3. ^ 池田いけだ亀鑑きかん源氏物語げんじものがたりしょほん系統けいとう」『源氏物語げんじものがたり大成たいせい まき7 研究けんきゅう資料しりょうへん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1956ねん
  4. ^ 阿部あべ秋生あきお源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん岩波書店いわなみしょてん、1986ねん6がつ、p. 72。
  5. ^ 阿部あべ秋生あきお源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん岩波書店いわなみしょてん、1986ねん6がつ、p. 98。
  6. ^ 阿部あべ秋生あきお源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん岩波書店いわなみしょてん、1986ねん6がつ、p. 108。
  7. ^ 石田いしだみのるあきらとおるほん帚木の本文ほんぶんについて」東洋大学とうようだいがく国語こくご国文こくぶん学会がっかい文学ぶんがくろんだい11ごう、1958ねん5がつ。のち『源氏物語げんじものがたり論集ろんしゅうさくらかえでしゃ、1971ねん
  8. ^ 池田いけだ亀鑑きかん資料しりょうとしてのだいおくにゅう残存ざんそん本文ほんぶん ろく初音はつね」『源氏物語げんじものがたり大成たいせい 研究けんきゅう資料しりょうへん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1956ねん昭和しょうわ31ねん)、pp. 106-107。
  9. ^ 室伏むろふし信助しんすけ源氏物語げんじものがたり本文ほんぶんとはなにか -大島本おおじまほん初音はつねまきをめぐって-」『源氏物語げんじものがたり鑑賞かんしょう基礎きそ知識ちしき 18 初音はつね国文学こくぶんがく解釈かいしゃく鑑賞かんしょう 別冊べっさつ2001ねん平成へいせい13ねん)10がつ至文しぶんどう、pp. 241-247。
  10. ^ 阿部あべ秋生あきお源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん岩波書店いわなみしょてん、1986ねん昭和しょうわ61ねん)6がつ ISBN 4-0000-0583-9
  11. ^ 伊藤いとう鉃也『源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん研究けんきゅう』おうふう、2002ねん平成へいせい14ねん)11月。ISBN 4-273-03262-7
  12. ^ 鷺水ろすいてい より. ─折々おりおりのよもやまばなし─(きゅう 賀茂かも街道かいどうから2) 国語こくごけんでの研究けんきゅうかい報告ほうこく
  13. ^ 伊藤いとう鉃也「源氏物語げんじものがたりしょほん べつほんについて」『国文学こくぶんがく解釈かいしゃく鑑賞かんしょう 別冊べっさつ 源氏物語げんじものがたり鑑賞かんしょう基礎きそ知識ちしき 29 はなさと』(至文しぶんどう、2003ねん平成へいせい15ねん)7がつ8にち) pp.. 213-222とくにp. 222。
  14. ^ 伊藤いとう鉃也「べつほん本文ほんぶん意義いぎ -「澪標みおつくし」におけるべつほんぐん河内かわうちほんぐん-」増田ますだ繁夫しげおへん源氏物語げんじものがたり研究けんきゅう集成しゅうせい だい13かん 源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん風間かざま書房しょぼう、2000ねん平成へいせい12ねん)5がつISBN 978-4-7599-1209-8 のち『源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん』おうふう、2002ねん平成へいせい14ねん)11月、pp. 217-266 とくにp. 239。 ISBN 978-4-2730-3262-3
  15. ^ 伊藤いとう鉃也「しょほん位相いそう解明かいめい目指めざして」国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかんへん『『源氏物語げんじものがたり』の異本いほんむ「鈴虫すずむし」の場合ばあい原典げんてん講読こうどくセミナー 7、2001ねん平成へいせい13ねん)7がつ、pp. 110-126。とくにpp. 123-125。 ISBN 4-653-03724-8
  16. ^ 加藤かとうあきらよしみ源氏物語げんじものがたり本文ほんぶんゆらどう東京大学とうきょうだいがく国語こくご国文こくぶん学会がっかいへん国語こくご国文学こくぶんがくだい82かんだい3ごうつうごうだい976ごう)、2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ、pp. 27-39。 のち「『東屋あずまやまき本文ほんぶんゆらどう」として加藤かとうあきらよしみうご源氏物語げんじものがたり』、つとむまこと出版しゅっぱん、2011ねん平成へいせい23ねん)9がつ、pp. 3-25。 ISBN 978-4-5852-9020-9
  17. ^ 源氏物語げんじものがたり最古さいこ写本しゃほん発見はっけん 定家さだいえほんの1じょう教科書きょうかしょわる可能かのうせい”. 京都きょうと新聞しんぶん (2019ねん10がつ8にち). 2019ねん11月19にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん11月19にち閲覧えつらん
  18. ^ 阿部あべ秋生あきお物語ものがたり増補ぞうほ改訂かいてい」『岩波いわなみセミナーブックス41 源氏物語げんじものがたり入門にゅうもん岩波書店いわなみしょてん1992ねん平成へいせい4ねん9月7にち、pp.. 137-140。 ISBN 4-00-004211-4
  19. ^ おかしま えら久子ひさこ松平まつだいら定信さだのぶ自筆じひつこんなみこい』(1) 源氏物語げんじものがたり書写しょしゃ日記にっき天理大学てんりだいがく天理てんり図書館としょかん『ビブリア 天理てんり図書館としょかんほう天理大学てんりだいがく出版しゅっぱんだい107ごう1997ねん平成へいせい9ねん)5がつ、pp.. 100-133。
  20. ^ おかしま えら久子ひさこ松平まつだいら定信さだのぶ自筆じひつこんなみこい』(2) 源氏物語げんじものがたり書写しょしゃ日記にっき天理大学てんりだいがく天理てんり図書館としょかん『ビブリア 天理てんり図書館としょかんほう天理大学てんりだいがく出版しゅっぱんだい108ごう1998ねん平成へいせい10ねん)11月、pp.. 340-373。
  21. ^ 池田いけだ亀鑑きかん現存げんそん重要じゅうようしょほん解説かいせつ 山口やまぐち図書館としょかんぞう源氏物語げんじものがたり」『源氏物語げんじものがたり大成たいせい研究けんきゅうへん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、p. 262。
  22. ^ 大津おおつ有一ゆういちしょほん解題かいだい 山口やまぐち図書館としょかんぞう源氏物語げんじものがたり」『源氏物語げんじものがたり事典じてん 下巻げかん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、p. 146。
  23. ^ 桃園ももぞの文庫ぶんこ目録もくろく上巻じょうかん東海大学とうかいだいがく附属ふぞく図書館としょかん1985ねん昭和しょうわ61ねん)3がつ
  24. ^ 鷺水ろすいてい より. ─折々おりおりのよもやまばなし─(きゅう 賀茂かも街道かいどうから2) しん写本しゃほん源氏物語げんじものがたり』を平等院びょうどういん奉納ほうのうする愚行ぐこう
  25. ^ 鷺水ろすいてい より. ─折々おりおりのよもやまばなし─(きゅう 賀茂かも街道かいどうから2) 学問がくもんとは無縁むえん茶番ちゃばんふたた新聞しんぶん
  26. ^ 杉田すぎた源氏物語げんじものがたりだましょうくしほんきょ宣長のりなが記念きねんかんへんほんきょ宣長のりなが事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2001ねん12月、pp.. 23-24。 ISBN 978-4-490-10571-1

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 池田いけだ亀鑑きかん現存げんそん主要しゅようしょほん解説かいせつ」『源氏物語げんじものがたり大成たいせい まきなな 研究けんきゅう資料しりょうへん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、p. 259。
  • 大津おおつ有一ゆういちしょほん解題かいだい池田いけだ亀鑑きかんへん源氏物語げんじものがたり事典じてん 下巻げかん東京とうきょうどう、p. 142
  • 増田ますだ繁夫しげお源氏物語げんじものがたり研究けんきゅう集成しゅうせい だい13かん源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん風間かざま書房しょぼう、2000ねん5がつISBN 978-4-7599-1209-8
  • 阿部あべ秋生あきお源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん岩波書店いわなみしょてん、1986ねん6がつ ISBN 4-0000-0583-9
  • 伊藤いとう鉃也源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん研究けんきゅうおうふう、2002ねん11月。ISBN 4-273-03262-7