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椎本しいのもと

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源氏物語げんじものがたりじゅうよんじょう
かくじょうのあらすじ
 じょう          じょう        
1 きりつぼ 28 野分のわけ
2 帚木 29 行幸ぎょうこう
3 空蝉うつせみ 30 藤袴ふじばかま
4 夕顔ゆうがお 31 真木まきはしら
5 若紫わかむらさき 32 梅枝ばいし
6 末摘花すえつむはな 33 ふじうら
7 紅葉こうよう 34 若菜わかな
8 はなえん 35 柏木かしわぎ
9 あおい 36 横笛よこぶえ
10 けん 37 鈴虫すずむし
11 はなさと 38 ゆうきり
12 須磨すま 39 御法みのり
13 明石あかし 40 まぼろし
14 澪標みおつくし 41 くもかくれ
15 蓬生よもぎう 42 においみや
16 関屋せきや 43 紅梅こうばい
17 絵合えあわせ 44 たけかわ
18 松風まつかぜ 45 はしひめ
19 うすくも 46 椎本しいのもと
20 朝顔あさがお 47 総角あげまき
21 少女しょうじょ 48 早蕨さわらび
22 玉鬘たまかずら 49 宿木やどりぎ
23 初音はつね 50 東屋あずまや
24 胡蝶こちょう 51 浮舟うきふね
25 ぼたる 52 蜻蛉とんぼ
26 常夏とこなつ 53
27 篝火かがりび 54 ゆめ浮橋うきはし

椎本しいのもと」(しいがもと)は、『源氏物語げんじものがたりじゅうよんじょうまきめいのひとつ。だい46じょうだいさん一部いちぶ宇治うじじゅうじょう」のだい2じょうにあたる。まきめいは、かおるゆえはちみやしのんでんだ和歌わからむかげとたのみししいほんむなしきゆかになりにけるかな」にちなむ。

このじょう登場とうじょうするゆうきり所有しょゆう別荘べっそうは、宇治川うじがわ岸辺きしべきょうこうぎしにあることから平等院びょうどういんがモデルというのが通説つうせつとなっている。

あらすじ[編集へんしゅう]

かおる23さいはるがつから24さいなつはなし

がつじゅうにちごろ、においみや初瀬はつせもうで(長谷寺はせでら参詣さんけい)のかえりに宇治うじゆうきり別荘べっそうった。宇治うじ姫君ひめぎみたちに関心かんしんがあったからである。においみやかおるゆうきり子息しそくたちと双六すごろくをしたりきんいたりしてたのしんでいる。宇治川うじがわはさんだ対岸たいがんにあるはちみやていにもそのにぎやかな管弦かんげんおとひびき、はちみやむかし宮中きゅうちゅうでの栄華えいが日々ひびおもさずにはいられない。

翌日よくじつはちみやからかおるおくうたがあり、それをにおいみやわりに返歌へんかをする。においみや帰京ききょうもしばしば宇治うじうたおくるようになり、はちみやはその返歌へんかつねなかくんかせるようになる。

今年ことしおも厄年やくどしにあたるはちみやは、かおる姫君ひめぎみたちの後見こうけんたくすが、一方いっぽう姫君ひめぎみたちに、軽々かるがるしく結婚けっこんして宇治うじはな俗世ぞくせはじをさらすな、この山里やまざと一生いっしょうごすのがよいといましめ、宇治うじ山寺やまでら参籠さんろうしにかけ、そこでくなった。はちがつじゅうにちのころである。訃報ふほうった姫君ひめぎみたちは、ちち亡骸なきがらとの対面たいめんのぞむが、阿闍梨あじゃりきびしくことわられる。かおるにおいみや弔問ちょうもんはちみやていおとずれるが、かなしみにしず姫君ひめぎみたちはなかなかしんひらかなかった。

としれのゆき宇治うじおとずれたかおる大君おおきみ対面たいめんし、においみやなかくん縁談えんだんげつつ、おのが恋心こいごころをもうったえ、きょうむかえたいともうるが、大君おおきみわなかった。

翌年よくねんはるにおいみやなかくんへのおもいはますますつのるようになり、ゆうきりろくきみとの縁談えんだんにもすすまない。また、自邸じてい三条さんじょうみや焼失しょうしつした後始末あとしまつなどで、かおるひさしく宇治うじたずねていない。

なつ宇治うじおとずれたかおるは、喪服もふく姿すがた姫君ひめぎみたちを垣間見かいまみて、大君おおきみうつくしさにますますかれてゆくのであった。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]