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JAL 機上 きじょう から2022/07/24撮影 さつえい
淀川 よどがわ (よどがわ)は、大阪 おおさか 湾 わん に注 そそ ぐ日本 にっぽん の一級 いっきゅう 河川 かせん 。滋賀 しが 県 けん 、京都 きょうと 府 ふ および大阪 おおさか 府 ふ を流 なが れる淀川 よどがわ 水系 すいけい の本流 ほんりゅう である。琵琶湖 びわこ から流 なが れ出 で る唯一 ゆいいつ の河川 かせん である瀬田川 せたがわ (せたがわ)が宇治川 うじがわ (うじがわ)、淀川 よどがわ と名前 なまえ を変 か える。流 りゅう 路 ろ 延長 えんちょう 75.1 km、流域 りゅういき 面積 めんせき 8,240km2 。なお、先述 せんじゅつ の流 りゅう 路 ろ 延長 えんちょう は琵琶湖 びわこ 南端 なんたん よりの延長 えんちょう であり、河口 かこう から最 もっと も遠 とお い地点 ちてん は滋賀 しが 県 けん ・福井 ふくい 県 けん の分水嶺 ぶんすいれい である栃ノ木峠 とちのきとうげ であり、淀川 よどがわ の源 みなもと の石碑 せきひ が設置 せっち されている[1] 。敦賀 つるが 駅 えき より北 きた に位置 いち するこの場所 ばしょ は琵琶湖 びわこ へ流入 りゅうにゅう する河川 かせん ・高時川 たかときがわ の水源 すいげん 地 ち であり、そこからの河口 かこう までの直線 ちょくせん 距離 きょり は約 やく 130km、流 りゅう 路 ろ 延長 えんちょう に換算 かんさん すると約 やく 170kmとなる。
瀬戸内海 せとないかい に流入 りゅうにゅう する河川 かせん の中 なか で流域 りゅういき 面積 めんせき が最 もっと も広 ひろ く、流域 りゅういき 人口 じんこう は西日本 にしにほん で最 もっと も多 おお い。また琵琶湖 びわこ に流入 りゅうにゅう する河川 かせん や木津川 きづがわ などを含 ふく めた淀川 よどがわ 水系 すいけい 全体 ぜんたい の支 ささえ 川 かわ 数 かず は965本 ほん で日本一 にっぽんいち 多 おお い。第 だい 2位 い は信濃川 しなのがわ (880本 ほん )、第 だい 3位 い は利根川 とねがわ (819本 ほん )となっている。
大阪 おおさか 府 ふ 大阪 おおさか 市 し と淀川 よどがわ 、またその周辺 しゅうへん 都市 とし の衛星 えいせい 写真 しゃしん
大津 おおつ 市 し で琵琶湖 びわこ から流 なが れ出 で る。ここでは瀬田川 せたがわ と呼 よ ばれる。京都 きょうと 府 ふ に入 はい る辺 あた りで宇治川 うじがわ と名 な を変 か え、さらに京都 きょうと 府 ふ と大阪 おおさか 府 ふ の境界 きょうかい 付近 ふきん 、大山崎 おおやまざき 町 まち で桂川 かつらがわ ・木津川 きづがわ と合流 ごうりゅう する。この合流 ごうりゅう 地点 ちてん より下流 かりゅう が狭義 きょうぎ での淀川 よどがわ となる。その後 ご も大阪平野 おおさかへいや をおおむね南西 なんせい に流 なが れ、大阪 おおさか 市 し で大阪 おおさか 湾 わん に注 そそ ぐ。都島 みやこじま 区 く 付近 ふきん で旧 きゅう 淀川 よどがわ と分流 ぶんりゅう し、以降 いこう の本流 ほんりゅう を新淀川 しんよどがわ と称 しょう する場合 ばあい もある。旧 きゅう 淀川 よどがわ は大川 おおかわ ・堂島 どうじま 川 がわ ・安治川 あじがわ と名前 なまえ を変 か えて大阪 おおさか 湾 わん に注 そそ ぐ。
なお、河川 かせん 法 ほう 上 うえ では琵琶湖 びわこ が淀川 よどがわ の水源 すいげん としている。したがって、琵琶湖 びわこ より流出 りゅうしゅつ する瀬田川 せたがわ ・宇治川 うじがわ は法律 ほうりつ 上 じょう では淀川 よどがわ 本流 ほんりゅう である[2] [注釈 ちゅうしゃく 1] 。また、琵琶湖 びわこ に注 そそ ぐ全 すべ ての河川 かせん も、水系 すいけい では淀川 よどがわ 水系 すいけい として扱 あつか われる。さらに、派 は 川 かわ (分流 ぶんりゅう )である神崎川 かんざきがわ に合流 ごうりゅう する安威 あい 川 がわ ・猪名川 いながわ などの河川 かせん も淀川 よどがわ 水系 すいけい として包括 ほうかつ される。
江戸 えど 時代 じだい までは大和 やまと 川 がわ も淀川 よどがわ に合流 ごうりゅう していたが[注釈 ちゅうしゃく 2] 、付 つ け替 か え によって本流 ほんりゅう が分離 ぶんり され、現在 げんざい は独立 どくりつ した水系 すいけい として扱 あつか われている。ただし、大和 やまと 川 がわ の旧 きゅう 本流 ほんりゅう である長瀬川 ながせがわ 、および平野川 ひらのかわ が現在 げんざい でも大和 やまと 川 がわ から分流 ぶんりゅう し、第 だい 二 に 寝屋川 ねやがわ ・寝屋川 ねやがわ を経 へ て旧 きゅう 淀川 よどがわ に合流 ごうりゅう している。
大阪 おおさか 市域 しいき は海 うみ が近 ちか いため地下水 ちかすい には塩気 しおけ があり、江戸 えど 時代 じだい には淀川 よどがわ の水 みず が飲料 いんりょう 水 すい として使 つか われた[3] 。2001年 ねん 時点 じてん では、水 みず 環境 かんきょう の研究 けんきゅう 者 しゃ の目線 めせん で言 い えば大阪 おおさか の水 みず は京都 きょうと の水 みず と同 おな じくまずい水 みず の最右翼 さいうよく に入 はい るとされているが、天明 てんめい 年間 ねんかん など江戸 えど 時代 じだい には水 みず は京 きょう か大坂 おおさか かともてはやされていた[4] 。
「瀬田川 せたがわ 」は瀬田 せた [注釈 ちゅうしゃく 3] 、「宇治川 うじがわ 」は宇治 うじ 、「淀川 よどがわ 」は巨 きょ 椋 むく 池 ち の出口 でぐち にある淀 よどみ (川 かわ が緩 ゆる んでできた淀 よど みを意味 いみ )[5] など、沿岸 えんがん の地名 ちめい に由来 ゆらい する。
淀川 よどがわ 流域 りゅういき は古来 こらい 、日本 にっぽん の政治 せいじ ・文化 ぶんか ・経済 けいざい の中心 ちゅうしん 地 ち として極 きわ めて重要 じゅうよう な位置 いち を占 し めていた。それ故 こ 、仁徳天皇 にんとくてんのう 時代 じだい 茨 いばら 田 た 堤 つつみ の建設 けんせつ に始 はじ まり河川 かせん 整備 せいび が繰 く り返 かえ されたが、洪水 こうずい も度々 たびたび 起 お きた。
奈良 なら 時代 じだい から戦国 せんごく 時代 じだい にかけて[ 編集 へんしゅう ]
奈良 なら 時代 じだい の僧侶 そうりょ 行基 ぎょうき は、琵琶湖 びわこ 周辺 しゅうへん の浸水 しんすい 被害 ひがい を防 ふせ ぐためにはより多 おお くの湖水 こすい を唯一 ゆいいつ の流出 りゅうしゅつ 河川 かせん である瀬田川 せたがわ に流 なが す必要 ひつよう があると考 かんが え、瀬田川 せたがわ 沿 ぞ いにある小 ちい さな山 やま を掘削 くっさく することを試 こころ みた。この山 やま が川 かわ に大 おお きく張 は り出 だ しているために瀬田川 せたがわ の川幅 かわはば が急 きゅう に狭 せま くなる箇所 かしょ があり、上流 じょうりゅう が豪雨 ごうう に見舞 みま われると水 みず を堰 せ き止 と めて上流 じょうりゅう に洪水 こうずい をもたらすことが頻繁 ひんぱん に起 お こっていたためである。結局 けっきょく 、行基 ぎょうき は山 やま を掘削 くっさく することで下流 かりゅう が氾濫 はんらん することを恐 おそ れて計画 けいかく を断念 だんねん 。さらに山 やま を削 けず ることを諫めるために大日如来 だいにちにょらい を祀 まつ り、「山 やま に手 て をつけると祟 たた りが起 お こる」とのい伝 いつた えを残 のこ した。2017年 ねん 現在 げんざい 「大日 だいにち 山 さん 」と呼 よ ばれているこの山 やま は、1901年 ねん に「明治 めいじ 29年 ねん 琵琶湖 びわこ 洪水 こうずい 水害 すいがい 」を契機 けいき とする淀川 よどがわ 水系 すいけい 治水 ちすい 工事 こうじ で切 き り取 と られ、瀬田川 せたがわ の流 なが れは増大 ぞうだい した[7] [8] 。
平安 へいあん 時代 じだい 末期 まっき の白河 しらかわ 法皇 ほうおう は、意 い のままにならぬ「天下 てんか 三 さん 不如意 ふにょい 」として比叡山 ひえいざん 延暦寺 えんりゃくじ の僧兵 そうへい 、双六 すごろく 博打 ばくち の賽 さい の目 め と並 なら んで、淀川 よどがわ 上流 じょうりゅう である鴨川 かもがわ の治水 ちすい を挙 あ げた。
戦国 せんごく 時代 じだい に全国 ぜんこく を統一 とういつ した豊臣 とよとみ 秀吉 ひでよし が晩年 ばんねん 、伏見 ふしみ に居 きょ を移 うつ すに当 あ たり、宇治川 うじがわ (巨 きょ 椋 むく 池 ち )の改修 かいしゅう を行 おこな った。その主 おも なものは、槇島 まきしま 堤 つつみ を築 きず くことで京都 きょうと 盆地 ぼんち 南部 なんぶ に流 なが れ込 こ む宇治川 うじがわ の流 なが れを巨 きょ 椋 むく 池 ち に直接 ちょくせつ 流 なが れ込 こ む形 かたち から、現在 げんざい のような伏見 ふしみ への流 なが れに変 か えたことである。このことにより宇治川 うじがわ は桃山 ももやま 丘陵 きゅうりょう に築 きず かれた伏見 ふしみ 城 じょう の外 そと 濠 ほり の役目 やくめ を担 にな うことになるとともに、水位 すいい が上 あ がったことにより伏見 ふしみ 城下 じょうか に港 みなと を開 ひら くことを可能 かのう にした。また淀 よどみ 堤 つつみ を伏見 ふしみ ・淀 よどみ 間 あいだ の宇治川 うじがわ 右岸 うがん に築 きず き、伏見 ふしみ と淀 よどみ を繋 つな ぐ街道 かいどう とするとともに流 なが れを安定 あんてい させた(太閤 たいこう 堤 つつみ )。下流 かりゅう 部 ぶ 左岸 さがん にはやはり文 ぶん 禄 ろく 堤 つつみ が築 きず かれ、淀 よどみ 堤 つつみ と結 むす ぶことにより京都 きょうと と大坂 おおさか を結 むす ぶ街道 かいどう となった。これにより、伏見 ふしみ は交通 こうつう の要衝 ようしょう として栄 さか えることになった。
京都 きょうと 名所 めいしょ 之 の 内 うち 淀川 よどがわ
長柄 ながえ 三 さん 頭 とう (浪花 なみはな 百 ひゃく 景 けい ) 1800年代 ねんだい 。歌川 うたがわ 國 こく 員 いん /画 が
江戸 えど 時代 じだい 、徳川 とくがわ 家康 いえやす の命 いのち により方広寺 ほうこうじ 大仏殿 だいぶつでん (京 きょう の大仏 だいぶつ )造営 ぞうえい のための資材 しざい 運搬 うんぱん を鴨川 かもがわ を用 もち いて行 い った角 すみ 倉 くら 了 りょう 以 ・与一 よいち 親子 おやこ は、恒久 こうきゅう 的 てき な運河 うんが として高瀬川 たかせがわ を開削 かいさく 。京都 きょうと への水運 すいうん 整備 せいび を行 おこな い、物流 ぶつりゅう を発展 はってん させた。大坂 おおさか においては道頓堀 どうとんぼり が開削 かいさく され、大坂 おおさか 夏 なつ の陣 じん で荒廃 こうはい した市中 しちゅう の再建 さいけん が進 すす められる中 なか で、水運 すいうん と橋梁 きょうりょう の整備 せいび も進 すす んだ。大坂 おおさか は江戸 えど の「八 はち 百 ひゃく 八 はち 町 まち 」に対 たい し「八 はち 百 ひゃく 八 はち 橋 きょう 」と謳 うた われた。さらに農業 のうぎょう 技術 ぎじゅつ の進歩 しんぽ と江戸 えど 幕府 ばくふ による新田 にった 開発 かいはつ 奨励 しょうれい の中 なか で、宇治 うじ にある巨 きょ 椋 むく 池 ち の干拓 かんたく も始 はじ まった。経済 けいざい が活発 かっぱつ になると、薪炭 しんたん の採取 さいしゅ や新田 にった 開発 かいはつ が進 すす み流域 りゅういき の伐採 ばっさい が進 すす んだ。森林 しんりん の喪失 そうしつ は、山間 さんかん 部 ぶ からの土砂 どしゃ 流入 りゅうにゅう を招 まね き、氾濫 はんらん などの原因 げんいん となる河床 かしょう の上昇 じょうしょう が進 すす んだ。このため幕府 ばくふ は1660年 ねん に山城 やましろ 国 こく 、大和 やまと 国 こく 、伊賀 いが 国 こく で樹木 じゅもく の根株 ねかぶ の採掘 さいくつ を禁 きん ずる令 れい を出 だ した。加 くわ えて1666年 ねん には、全国 ぜんこく 版 ばん というべき諸国 しょこく 山川 やまかわ 掟 おきて を発 はっ しているが、それでも土砂 どしゃ 流入 りゅうにゅう は収 おさ まらなかった。
江戸 えど 時代 じだい の瀬田川 せたがわ の浚渫 しゅんせつ は、まず1670年 ねん に琵琶湖 びわこ 沿岸 えんがん の村 むら 々の嘆願 たんがん を受 う けて、国益 こくえき として行 おこな われている。1683年 ねん には稲葉 いなば 正 ただし 休 きゅう と河村 かわむら 瑞 みずほ 賢 けん による現地 げんち 視察 しさつ が行 おこな われ、稲葉 いなば が失脚 しっきゃく した[要 よう 出典 しゅってん ] 翌 よく 1684年 ねん に河村 かわむら による河川 かせん 改修 かいしゅう 工事 こうじ が行 おこな われた。さらに、1699年 ねん には「河村 かわむら 瑞 みずほ 賢 けん の大 だい 普請 ふしん 」と呼 よ ばれる大 だい 工事 こうじ が行 おこな われている。
1733年 ねん にも瀬田川 せたがわ 流域 りゅういき の住民 じゅうみん が浚渫 しゅんせつ を願 ねが い出 で ているが、京都 きょうと ・大阪 おおさか の住民 じゅうみん が大 だい 洪水 こうずい を被 こうむ ると反発 はんぱつ し、幕府 ばくふ も下流 かりゅう 地域 ちいき の治水 ちすい ・舟運 しゅううん への影響 えいきょう やまた浅瀬 あさせ が軍事 ぐんじ 的 てき に重要 じゅうよう な徒 と 河 かわ 地 ち であることを考慮 こうりょ し、自 じ 普請 ふしん であってもこれを許可 きょか しなかった。根強 ねづよ い陳情 ちんじょう にもかかわらず幕府 ばくふ が反応 はんのう しなかったため、住民 じゅうみん はしじみ 取 と りと称 しょう して川底 かわぞこ を掘 ほ るなど幕府 ばくふ を翻弄 ほんろう し、結果 けっか 住民 じゅうみん の不満 ふまん を抑 おさ えるため、このしじみ取 と りは川 かわ 浚 さら えと同 おな じ効果 こうか があるとして元禄 げんろく 年間 ねんかん から明治 めいじ 元年 がんねん まで免税 めんぜい を受 う けることになった。また、1737年 ねん には小規模 しょうきぼ な浚渫 しゅんせつ が認 みと められたが、一時 いちじ 的 てき に疎通 そつう 能力 のうりょく を改善 かいぜん する程度 ていど の効果 こうか しかなかった。
その後 ご 、高島 たかしま 郡 ぐん 深溝 ふかみぞ 村 むら の庄屋 しょうや 藤本 ふじもと 太郎 たろう 兵衛 ひょうえ が177村 むら の意見 いけん を取 と り纏 まと め、郡 ぐん 役所 やくしょ に陳情 ちんじょう し、また下流 かりゅう の宇治川 うじがわ ・淀川 よどがわ 沿岸 えんがん の村 むら 々とも話 はな し合 あ いを重 かさ ね、その結果 けっか 1785年 ねん に自 じ 普請 ふしん での浚渫 しゅんせつ の許可 きょか を得 え ることができた。しかしこの浚渫 しゅんせつ は1737年 ねん のものと同様 どうよう 小規模 しょうきぼ なものであり、しばらく経 た つと再 ふたた び土砂 どしゃ が堆積 たいせき することとなった。そのため藤本 ふじもと 太郎 たろう 兵衛 ひょうえ は四 よん 代 だい に渡 わた り努力 どりょく を重 かさ ね、下流 かりゅう の約 やく 300村 むら の同意 どうい を取 と り付 つ けるなどし、結果 けっか 「河村 かわむら 瑞 みずほ 賢 けん の大 だい 普請 ふしん 」以来 いらい となる大 だい 規模 きぼ な浚渫 しゅんせつ 工事 こうじ が、大津 おおつ 代官 だいかん 所 しょ の管理 かんり の下 した 1831年 ねん に開始 かいし された。この工事 こうじ は琵琶湖 びわこ 沿岸 えんがん 300村 むら による自 じ 普請 ふしん であったため、農民 のうみん は重 おも い経済 けいざい 負担 ふたん を課 か せられた。なおこの間 あいだ 1807年 ねん 5月 がつ には、大雨 おおあめ により琵琶湖 びわこ の水 みず が溢 あふ れ、京都 きょうと ・大坂 おおさか に洪水 こうずい をもたらしたと、大坂 おおさか の画家 がか ・暁鐘 ぎょうしょう 成 なり は『雲 くも 錦 にしき 随筆 ずいひつ 』に記 しる している[12] 。
近代 きんだい の淀川 よどがわ 改修 かいしゅう 事業 じぎょう [ 編集 へんしゅう ]
明治 めいじ 時代 じだい 、東京 とうきょう 奠都 てんと が行 おこな われた後 のち 、寂 さび れてしまった京都 きょうと の産業 さんぎょう 復興 ふっこう と上水道 じょうすいどう ・灌漑 かんがい ・水運 すいうん ・水車 みずぐるま の動力 どうりょく 確保 かくほ を図 はか るべく、京都 きょうと 府知事 ふちじ ・北垣 きたがき 国道 こくどう は1885年 ねん (明治 めいじ 18年 ねん )、工 こう 部 ぶ 大 だい 学校 がっこう (現 げん :東京大学 とうきょうだいがく 工学部 こうがくぶ )卒 そつ の若 わか い技師 ぎし ・田辺 たなべ 朔 さく 郎 ろう と共 とも に琵琶湖 びわこ からの取水 しゅすい 計画 けいかく を推進 すいしん 。日本 にっぽん で初 はじ めての竪坑 たてこう を用 もち いたトンネル 開削 かいさく などの難 なん 工事 こうじ を経 へ て1890年 ねん (明治 めいじ 23年 ねん )に琵琶湖 びわこ 疏水 そすい を完成 かんせい させ、日本 にっぽん 初 はつ の水力 すいりょく 発電 はつでん 所 ところ である蹴 け 上 うわ 発電 はつでん 所 しょ の運用 うんよう を開始 かいし 。京都 きょうと に日本 にっぽん 初 はつ の路面 ろめん 電車 でんしゃ 開業 かいぎょう を齎 もたら した。1908年 ねん (明治 めいじ 41年 ねん )には琵琶湖 びわこ 第 だい 2疏水 そすい の建設 けんせつ が始 はじ まり1912年 ねん (明治 めいじ 45年 ねん )完成 かんせい した。水力 すいりょく 発電 はつでん 所 しょ はこの後 のち 淀川 よどがわ 本川 ほんがわ 〔宇治川 うじがわ 〕に志津川 しづがわ ダム が建設 けんせつ された。
治水 ちすい 事業 じぎょう に関 かん しては、旧 きゅう 内務省 ないむしょう により招聘 しょうへい されたG.A.エッセル やヨハニス・デ・レーケ (後 のち に内務省 ないむしょう 勅 みことのり 任官 にんかん 技術 ぎじゅつ 顧問 こもん )により砂防 さぼう 工事 こうじ を始 はじ めとする事業 じぎょう が着手 ちゃくしゅ された。特 とく に砂防 さぼう 事業 じぎょう は日本 にっぽん における近代 きんだい 砂防 さぼう 工事 こうじ の原点 げんてん ともなっている。現在 げんざい でも滋賀 しが 県 けん を中心 ちゅうしん に砂防 さぼう 堰堤 えんてい の遺構 いこう が残 のこ されている。その後 ご 淀川 よどがわ は内務省 ないむしょう による直轄 ちょっかつ 改修 かいしゅう 河川 かせん に指定 してい され、以後 いご 数 すう 度 ど にわたる大 だい 規模 きぼ な河川 かせん 改修 かいしゅう が実施 じっし された。
1890年 ねん (明治 めいじ 23年 ねん )には、同年 どうねん に完成 かんせい した瀬田川 せたがわ 鉄橋 てっきょう の橋脚 きょうきゃく が水流 すいりゅう を阻害 そがい していると考 かんが えた滋賀 しが 県内 けんない の有志 ゆうし により琵琶湖 びわこ 水利 すいり 委員 いいん 同盟 どうめい が結成 けっせい され、橋脚 きょうきゃく 撤去 てっきょ の請願 せいがん が退 しりぞ けられた後 のち 、瀬田川 せたがわ 浚渫 しゅんせつ の請願 せいがん を行 おこな うようになる。これに対 たい し、1885年 ねん (明治 めいじ 18年 ねん )の淀川 よどがわ 洪水 こうずい で大 おお きな被害 ひがい を受 う けており、工事 こうじ によって洪水 こうずい の危険 きけん 性 せい がより高 たか まると考 かんが えた下流 かりゅう 摂津 せっつ ・河内 かわうち 11郡 ぐん の有志 ゆうし は「淀川 よどがわ 改修 かいしゅう 期成 きせい 同盟 どうめい 」を組織 そしき して浚渫 しゅんせつ 工事 こうじ に猛 もう 反発 はんぱつ した[14] 。1891年 ねん (明治 めいじ 24年 ねん )から翌年 よくねん にかけ、滋賀 しが 県 けん の大越 おおこし 亨 とおる 知事 ちじ が内務 ないむ 大臣 だいじん に瀬田川 せたがわ 浚渫 しゅんせつ を数 すう 度 ど にわたり陳情 ちんじょう 、1893年 ねん (明治 めいじ 26年 ねん )には部分 ぶぶん 的 てき な浚渫 しゅんせつ が実施 じっし された[注釈 ちゅうしゃく 4] 。
1885年 ねん の淀川 よどがわ 洪水 こうずい の後 のち には、大阪 おおさか 府 ふ による度重 たびかさ なる淀川 よどがわ 改修 かいしゅう 要請 ようせい も行 おこな われている。これらを受 う けての1889年 ねん (明治 めいじ 22年 ねん )から1897年 ねん (明治 めいじ 30年 ねん )の淀川 よどがわ 改良 かいりょう 工事 こうじ では、瀬田川 せたがわ 洗 あらい 堰 せき (南郷 なんごう 洗 あらい 堰 せき )の建設 けんせつ による琵琶湖 びわこ の水位 すいい 調節 ちょうせつ ・中流 ちゅうりゅう 部 ぶ では伏見 ふしみ -淀 よどみ 間 あいだ の宇治川 うじがわ 河 かわ 道 どう 付 づけ 替 かえ 、桂川 かつらがわ ・木津川 きづがわ の河 かわ 道 どう を付 つ け替 か えて合流 ごうりゅう 地点 ちてん を淀 よどみ 付近 ふきん から下流 かりゅう よりの現在地 げんざいち への移設 いせつ 、新淀川 しんよどがわ 開鑿 かいさく 工事 こうじ が大 だい 規模 きぼ な事業 じぎょう として名高 なだか い。瀬田川 せたがわ 洗 あらい 堰 せき は1904年 ねん (明治 めいじ 37年 ねん )、瀬田川 せたがわ の流下 りゅうか 能力 のうりょく 増大 ぞうだい による琵琶湖 びわこ 畔 ほとり および瀬田川 せたがわ 下流 かりゅう の洪水 こうずい 調節 ちょうせつ を目的 もくてき に建設 けんせつ された。一方 いっぽう 新 しん 淀川 よどがわ 開鑿 かいさく であるが、従来 じゅうらい の淀川 よどがわ 河口 かこう 部 ぶ は大川 おおかわ ・中津 なかつ 川 がわ ・神崎川 かんざきがわ の3河川 かせん に分流 ぶんりゅう して大阪 おおさか 湾 わん に注 そそ いでいた。中津川 なかつがわ 流 りゅう 路 ろ を利用 りよう して1つの放水 ほうすい 路 ろ にまとめ、毛馬 けま 洗 あらい 堰 せき を建設 けんせつ して大川 おおかわ を堰 せき から分流 ぶんりゅう 、神崎川 かんざきがわ は一津屋 ひとつや 樋 とい 門 もん より分流 ぶんりゅう させて現在 げんざい の形 かたち とした[15] 。また、舟運 しゅううん が発達 はったつ している事 こと も考慮 こうりょ し毛馬 けま ・伝法 でんぼう 閘門を建設 けんせつ して舟運 しゅううん を円滑 えんかつ 化 か させた。この新淀川 しんよどがわ 開削 かいさく 工事 こうじ は1910年 ねん (明治 めいじ 43年 ねん )に完成 かんせい 。多数 たすう の住民 じゅうみん が移転 いてん を余儀無 よぎな くされたが古来 こらい より続 つづ けられた淀川 よどがわ 河口 かこう 部 ぶ の治水 ちすい 事業 じぎょう がこれにて完結 かんけつ した。この修築 しゅうちく 工事 こうじ を指揮 しき した内務省 ないむしょう 技官 ぎかん ・沖野 おきの 忠雄 ただお は後 のち にその手腕 しゅわん を買 か われて石狩川 いしかりがわ 治水 ちすい 事務所 じむしょ 長 ちょう となり、石狩川 いしかりがわ 本川 ほんがわ ・支 ささえ 川 かわ の捷 とし 水路 すいろ 事業 じぎょう を展開 てんかい 、蛇行 だこう した石狩川 いしかりがわ を直線 ちょくせん 化 か しているがそのノウハウは淀川 よどがわ で培 つちか われている。
淀川 よどがわ 改良 かいりょう に伴 ともな い中津 なかつ 川 がわ が廃 はい 川 がわ となったため、1897年 ねん (明治 めいじ 30年 ねん )大道 だいどう 村 むら ほか13カ村 かそん により普通 ふつう 水利 すいり 組合 くみあい が設置 せっち され、川 かわ 右岸 うがん に当 あ たる大道 だいどう 村 むら 大字 だいじ 北 きた 大道 だいどう 字 じ 三 さん 千 せん の地 ち (現 げん :東淀川 ひがしよどがわ 区 く 南江口 みなみえぐち 3丁目 ちょうめ )に樋 とい が設 もう けられ農業 のうぎょう 用水 ようすい が取水 しゅすい された(三 さん 千 せん 樋 とい )[16] [17] 。
三 さん 千 せん 樋 とい
1917年 ねん (大正 たいしょう 6年 ねん )9月 がつ 末 まつ から10月 がつ にかけての「大正大 たいしょうだい 水害 すいがい 」を受 う け1918-1932年 ねん にかけて背割 せわ り堤 つつみ の築造 ちくぞう 、宇治川 うじがわ 右岸 うがん 観月橋 かんげつきょう -三栖 みす に築堤 ちくてい 建設 けんせつ と伏見 ふしみ 港 こう への三 さん 栖閘門 もん の建設 けんせつ された。
しかし1930年 ねん (昭和 しょうわ 5年 ねん )7月 がつ の台風 たいふう 災害 さいがい [18] 、1934年 ねん (昭和 しょうわ 9年 ねん )9月 がつ の室戸 むろと 台風 たいふう 、1935年 ねん (昭和 しょうわ 10年 ねん )6月 がつ と8月 がつ の京都大 きょうとだい 水害 すいがい と立 た て続 つづ けに水害 すいがい に見舞 みま われ再度 さいど の堤防 ていぼう かさ上 あ げが計画 けいかく され、戦争 せんそう による中断 ちゅうだん もあったが1954年 ねん (昭和 しょうわ 29年 ねん )に完工 かんこう した。
また中流 ちゅうりゅう 部 ぶ では巨 きょ 椋 むく 池 ち の干拓 かんたく が主要 しゅよう な事業 じぎょう となった。前記 ぜんき の伏見 ふしみ ・淀 よどみ 間 あいだ の宇治川 うじがわ 河 かわ 道 どう 付 づけ 替 かえ 、葭 かや 島 とう 堤 つつみ 等 とう 新堤 しんづつみ の築造 ちくぞう 、大池 おおいけ 排水 はいすい 路 ろ ・樋 とい 門 もん 新築 しんちく などによる河川 かせん 改良 かいりょう 工事 こうじ が行 おこな われ、宇治川 うじがわ と巨 きょ 椋 むく 池 ち が分離 ぶんり された。流水 りゅうすい の途絶 とぜつ によって巨 きょ 椋 むく 池 ち の水質 すいしつ が悪化 あっか 。漁獲 ぎょかく 高 だか の減少 げんしょう や伝染 でんせん 病 びょう の流行 りゅうこう などが起 お こったこともあり、1933年 ねん (昭和 しょうわ 8年 ねん )から1941年 ねん (昭和 しょうわ 16年 ねん )に行 おこな われた国営 こくえい 干拓 かんたく 事業 じぎょう によって完全 かんぜん に農地 のうち 化 か され、太古 たいこ から京都 きょうと 盆地 ぼんち に存在 そんざい した巨 きょ 椋 むく 池 ち は姿 すがた を消 け した。さらに流域 りゅういき の急速 きゅうそく な人口 じんこう 増加 ぞうか ・産業 さんぎょう 地域 ちいき 拡充 かくじゅう に対応 たいおう すべく1935年 ねん (昭和 しょうわ 10年 ねん )より内務省 ないむしょう による河水 こうすい 統制 とうせい 事業 じぎょう として『淀川 よどがわ 第 だい 一 いち 期 き 河水 こうすい 統制 とうせい 事業 じぎょう 』が手掛 てが けられた。この事業 じぎょう では従来 じゅうらい の治水 ちすい 目的 もくてき として瀬田川 せたがわ 浚渫 しゅんせつ ・大戸川 おおどかわ 付 つ け替 か え工事 こうじ ・瀬田川 せたがわ 狭窄 きょうさく 部 ぶ である関 せき の津 つ 地点 ちてん の岩盤 がんばん 掘削 くっさく の他 ほか 、利水 りすい 目的 もくてき として琵琶湖 びわこ 疏水 そすい 取水 しゅすい 口 こう に揚水 ようすい 機 き 場 じょう と閘門を建設 けんせつ して疏水 そすい の流入 りゅうにゅう 量 りょう を強化 きょうか し、水力 すいりょく 発電 はつでん ・上水道 じょうすいどう 供給 きょうきゅう を確保 かくほ した。だが、戦時 せんじ 下 か でもあるため他 た の河水 こうすい 統制 とうせい 事業 じぎょう のようにダム による河川 かせん 開発 かいはつ は行 おこな われず、既存 きそん の施設 しせつ を利用 りよう した緩 ゆる やかな事業 じぎょう であった。
淀川 よどがわ 水系 すいけい 改修 かいしゅう 基本 きほん 計画 けいかく [ 編集 へんしゅう ]
終戦 しゅうせん 後 ご 各地 かくち で台風 たいふう や集中 しゅうちゅう 豪雨 ごうう による記録 きろく 的 てき 災害 さいがい が起 お こったが、淀川 よどがわ 水系 すいけい でも例外 れいがい ではなかった。特 とく に1953年 ねん (昭和 しょうわ 28年 ねん )の台風 たいふう 13号 ごう による水害 すいがい は淀川 よどがわ に過去 かこ 最大 さいだい の洪水 こうずい を惹 ひ き起 お こし、琵琶湖 びわこ 沿岸 えんがん や宇治川 うじがわ 流域 りゅういき を中心 ちゅうしん に甚大 じんだい な被害 ひがい を生 しょう じた。敗戦 はいせん 後 ご の経済 けいざい 状況 じょうきょう をさらに悪化 あっか させるこれら水害 すいがい の根本 こんぽん 的 てき な対策 たいさく が不可欠 ふかけつ と見 み た経済 けいざい 安定 あんてい 本部 ほんぶ は、諮問 しもん 機関 きかん である河川 かせん 審議 しんぎ 会 かい の議 ぎ を経 へ て1949年 ねん (昭和 しょうわ 24年 ねん )、利根川 とねがわ ・北上川 きたかみがわ ・筑後川 ちくごがわ など全国 ぜんこく 主要 しゅよう 10水系 すいけい を対象 たいしょう に『河川 かせん 改訂 かいてい 改修 かいしゅう 計画 けいかく 』を策定 さくてい した。この10水系 すいけい の中 なか に淀川 よどがわ 水系 すいけい は当然 とうぜん 入 はい っており、1954年 ねん (昭和 しょうわ 29年 ねん )に『淀川 よどがわ 第 だい 一 いち 期 き 河水 こうすい 統制 とうせい 事業 じぎょう 』を大幅 おおはば に改定 かいてい した『淀川 よどがわ 水系 すいけい 改修 かいしゅう 基本 きほん 計画 けいかく 』がまとめられた。
建設省 けんせつしょう 近畿 きんき 地方 ちほう 建設 けんせつ 局 きょく (現 げん :国土 こくど 交通省 こうつうしょう 近畿 きんき 地方 ちほう 整備 せいび 局 きょく )は琵琶湖 びわこ を含 ふく めた淀川 よどがわ 流域 りゅういき の河川 かせん 総合 そうごう 開発 かいはつ 事業 じぎょう を、台風 たいふう 13号 ごう 水害 すいがい を基準 きじゅん にした洪水 こうずい 調節 ちょうせつ 計画 けいかく とした。この中 なか で淀川 よどがわ 水系 すいけい においても初 はじ めて多目的 たもくてき ダム による洪水 こうずい 調節 ちょうせつ が計画 けいかく された。淀川 よどがわ 本川 ほんがわ (宇治川 うじがわ )では瀬田川 せたがわ 洗 あらい 堰 せき の改修 かいしゅう に加 くわ え志津川 しづがわ ダム下流 かりゅう に天ヶ瀬 あまがせ ダム の建設 けんせつ を計画 けいかく 。木津川 きづがわ 流域 りゅういき では支流 しりゅう の名張川 なばりがわ に月ヶ瀬 つきがせ ダム(後 ご の高山 たかやま ダム )を建設 けんせつ し淀川 よどがわ ・木津川 きづがわ の洪水 こうずい 調節 ちょうせつ を目論 もくろ んだ。天ヶ瀬 あまがせ ダムは上流 じょうりゅう の滋賀 しが 県 けん が琵琶湖 びわこ 開発 かいはつ との絡 がら みで県議会 けんぎかい の建設 けんせつ 反対 はんたい 決議 けつぎ 採択 さいたく などを行 おこな い反対 はんたい し、下流 かりゅう の京都 きょうと 府 ふ などとの事業 じぎょう 調整 ちょうせい が難航 なんこう したが1964年 ねん (昭和 しょうわ 39年 ねん )に完成 かんせい した。後 のち に近 ちか くに建設 けんせつ された喜撰山 きせんやま ダム (関西電力 かんさいでんりょく 株式会社 かぶしきがいしゃ )と揚水 ようすい 発電 はつでん も行 おこな い、近畿 きんき 有数 ゆうすう の水力 すいりょく 発電 はつでん 所 しょ ・喜撰山 きせんやま 発電 はつでん 所 しょ が誕生 たんじょう している。なお、天ヶ瀬 あまがせ ダム建設 けんせつ に伴 ともな い志津川 しづがわ ダムは水没 すいぼつ した。
天ヶ瀬 あまがせ ダム完成 かんせい を以 もっ て『淀川 よどがわ 水系 すいけい 改修 かいしゅう 基本 きほん 計画 けいかく 』に基 もと づく河川 かせん 総合 そうごう 開発 かいはつ は一応 いちおう の完成 かんせい を見 み たが、流域 りゅういき の急激 きゅうげき な宅地 たくち 化 か は従来 じゅうらい 洪水 こうずい 常 つね 襲 かさね 地帯 ちたい であった場所 ばしょ にも宅地 たくち 化 か が進出 しんしゅつ し、治水 ちすい 安全 あんぜん 度 ど の低下 ていか を招 まね いた。このため新 あら たな治水 ちすい 対策 たいさく が要望 ようぼう され1971年 ねん (昭和 しょうわ 46年 ねん )に建設省 けんせつしょう は『淀川 よどがわ 水系 すいけい 工事 こうじ 実施 じっし 基本 きほん 計画 けいかく 』を策定 さくてい 。この中 なか でスーパー堤防 ていぼう の導入 どうにゅう や長柄 ながら 可動 かどう 堰 せき の改築 かいちく 計画 けいかく 、木津川 きづがわ 流域 りゅういき ・桂川 かつらがわ 流域 りゅういき ・神崎川 かんざきがわ 流域 りゅういき における多目的 たもくてき ダムの新規 しんき 計画 けいかく を柱 はしら とした治水 ちすい 対策 たいさく をまとめた。こうして計画 けいかく されたのが淀川 よどがわ 大堰 おおせぎ (淀川 よどがわ )・一庫 ひとくら ダム (一庫 ひとくら 大 だい 路次 ろじ 川 がわ )・日吉 ひよし ダム (桂川 かつらがわ )・比奈 ひな 知 ち ダム (名張川 なばりがわ )などである。
一方 いっぽう 、地方自治体 ちほうじちたい においても独自 どくじ に補助 ほじょ 多目的 たもくてき ダム の建設 けんせつ が実施 じっし され、従来 じゅうらい 灌漑 かんがい 専用 せんよう ダムの建設 けんせつ を行 おこな っていた滋賀 しが 県 けん では余呉湖 よごこ の洪水 こうずい 調節 ちょうせつ を図 はか る余呉湖 よごこ ダム(余呉川 よごがわ )の建設 けんせつ を皮切 かわき りに日野川 ひのかわ ・野洲川 やすがわ ・石田川 いしだがわ 等 とう で多目的 たもくてき ダムを建設 けんせつ 。大阪 おおさか 府 ふ は1967年 ねん (昭和 しょうわ 42年 ねん )の北摂 ほくせつ 豪雨 ごうう を期 き に神崎川 かんざきがわ 流域 りゅういき の総合 そうごう 開発 かいはつ を計画 けいかく 、安威 あい 川 がわ ダム (安威 あい 川 がわ )・箕面 みのお 川 がわ ダム(箕面 みのお 川 がわ )の建設 けんせつ を計画 けいかく ・実施 じっし した。
敗戦 はいせん 後 ご の食糧 しょくりょう 危機 きき を早急 そうきゅう に解消 かいしょう するために農林省 のうりんしょう (現 げん :農林水産省 のうりんすいさんしょう )は1947年 ねん (昭和 しょうわ 22年 ねん )から『国営 こくえい 農業 のうぎょう 水利 すいり 事業 じぎょう 』を策定 さくてい 、全国 ぜんこく 4水系 すいけい においてダム・頭首 とうしゅ 工 こう ・用水路 ようすいろ の総合 そうごう 的 てき 運用 うんよう による水 みず 供給 きょうきゅう 促進 そくしん によって、新規 しんき 農地 のうち 開墾 かいこん を行 おこな おうとした。この4水系 すいけい の中 なか に野洲川 やすがわ が加 くわ えられた。近江盆地 おうみぼんち は古 ふる くから穀倉 こくそう 地帯 ちたい として知 し られていたが、天井川 てんじょうがわ が流域 りゅういき の多 おお くを占 し めており水 みず 争 あらそ いの絶 た えない地域 ちいき でもあった。既 すで に1939年 ねん (昭和 しょうわ 14年 ねん )より滋賀 しが 県 けん の手 て で『野洲川 やすがわ 農業 のうぎょう 水利 すいり 事業 じぎょう 』に基 もと づき野洲川 やすがわ ダム の計画 けいかく が進 すす められていたが、戦後 せんご 事業 じぎょう は国 くに 直轄 ちょっかつ 事業 じぎょう となり『国営 こくえい 野洲川 やすがわ 農業 のうぎょう 水利 すいり 事業 じぎょう 』として野洲川 やすがわ ダムが建設 けんせつ された。その後 ご 愛知 あいち 川 がわ の永源寺 えいげんじ ダム等 ひとし が灌漑 かんがい 専用 せんよう として建設 けんせつ され、近江盆地 おうみぼんち の灌漑 かんがい 事業 じぎょう は飛躍 ひやく 的 てき に改善 かいぜん した。
一方 いっぽう 高度 こうど 経済 けいざい 成長 せいちょう に伴 ともな い大阪 おおさか 市 し ・京都 きょうと 市 し 等 ひとし の関西 かんさい 圏 けん は急激 きゅうげき な人口 じんこう の増加 ぞうか に加 くわ え、阪神 はんしん 工業 こうぎょう 地帯 ちたい の膨張 ぼうちょう もあって水 みず 需要 じゅよう の必要 ひつよう 性 せい も叫 さけ ばれた。これに対 たい し政府 せいふ は1962年 ねん (昭和 しょうわ 37年 ねん )に水 みず 資源 しげん 開発 かいはつ 促進 そくしん 法 ほう ・水資源開発公団 みずしげんかいはつこうだん 法 ほう を制定 せいてい 。水資源開発公団 みずしげんかいはつこうだん (現 げん :独立 どくりつ 行政 ぎょうせい 法人 ほうじん 水 みず 資源 しげん 機構 きこう )による水 みず 資源 しげん 総合 そうごう 開発 かいはつ 計画 けいかく を策定 さくてい した。淀川 よどがわ 水系 すいけい は利根川 とねがわ 水系 すいけい と共 とも に法 ほう 制定 せいてい の同年 どうねん 、水 みず 資源 しげん 開発 かいはつ 水系 すいけい に指定 してい され、『淀川 よどがわ 水系 すいけい 水 すい 資源 しげん 開発 かいはつ 基本 きほん 計画 けいかく 』に則 のっと り琵琶湖 びわこ を含 ふく めた淀川 よどがわ 水系 すいけい 全般 ぜんぱん の水 みず 資源 しげん 開発 かいはつ に乗 の り出 だ した。
これに基 もと づき建設省 けんせつしょう より高山 たかやま ダム (名張川 なばりがわ )の事業 じぎょう 承継 しょうけい を受 う けたのをはじめ、『木津川 きづがわ 上流 じょうりゅう 総合 そうごう 開発 かいはつ 事業 じぎょう 』として青蓮寺 しょうれんじ ダム (青蓮寺川 しょうれんじがわ )・室生 むろう ダム (宇陀川 うだがわ 。計画 けいかく 当時 とうじ は宇陀川 うだがわ ダム)・布目 ぬのめ ダム (布目 ぬのめ 川 がわ )・比奈 ひな 知 ち ダム(名張川 なばりがわ )の「木津川 きづがわ 上流 じょうりゅう ダム群 ぐん 」を木津川 きづがわ 流域 りゅういき に建設 けんせつ 。日吉 ひよし ダム(桂川 かつらがわ )を桂川 かつらがわ 流域 りゅういき に、一庫 ひとくら ダム(一庫 ひとくら 大 だい 路次 ろじ 川 がわ )を猪名川 いながわ 流域 りゅういき に建設 けんせつ し、長柄 ながら 可動 かどう 堰 せき (後 のち に淀川 よどがわ 大堰 おおせぎ として改築 かいちく )を大阪 おおさか 市 し に建設 けんせつ した。これによって関西 かんさい 地方 ちほう の水 みず 需要 じゅよう は大幅 おおはば に好転 こうてん 。現在 げんざい は丹生 たんじょう ダム (高時川 たかときがわ )・川上 かわかみ ダム (前深瀬川 まえふかせがわ )が建設 けんせつ 中 ちゅう である。
淀川 よどがわ 水系 すいけい 流域 りゅういき 委員 いいん 会 かい の提言 ていげん [ 編集 へんしゅう ]
1990年代 ねんだい 以降 いこう 、公共 こうきょう 事業 じぎょう 見直 みなお しの機運 きうん が高 たか まり利根川 とねがわ 水系 すいけい を始 はじ め多 おお くの河川 かせん でダム建設 けんせつ の休止 きゅうし ・中止 ちゅうし が相次 あいつ いだ。淀川 よどがわ 水系 すいけい においては、国土 こくど 交通省 こうつうしょう 近畿 きんき 地方 ちほう 整備 せいび 局 きょく の諮問 しもん 機関 きかん である「淀川 よどがわ 水系 すいけい 流域 りゅういき 委員 いいん 会 かい 」がダムをはじめとする治水 ちすい ・利水 りすい 事業 じぎょう の可否 かひ について検討 けんとう を行 おこな った。この間 あいだ 、和束 わづか ダム(和束 わづか 川 がわ )を中心 ちゅうしん とした宇治山 うじやま 城 じょう 土地 とち 改良 かいりょう 事業 じぎょう は中止 ちゅうし 。鴨川 かもがわ に建設 けんせつ 予定 よてい だった京都 きょうと 府営 ふえい の鴨川 かもがわ ダムも反対 はんたい 運動 うんどう が強 つよ く中止 ちゅうし となった。これとは別 べつ に、関西電力 かんさいでんりょく が国内 こくない 最大 さいだい 級 きゅう の揚水 ようすい 式 しき 水力 すいりょく 発電 はつでん 所 しょ として建設 けんせつ が予定 よてい されていた金居原 かねいはら 発電 はつでん 所 しょ ・下部 かぶ ダム(巣 す 亦 また 川 かわ )が、電力 でんりょく 需要 じゅよう の伸 の び悩 なや みから建設 けんせつ 中止 ちゅうし となっている。
2005年 ねん (平成 へいせい 17年 ねん )淀川 よどがわ 水系 すいけい 流域 りゅういき 委員 いいん 会 かい は提言 ていげん を纏 まと め、ダム事業 じぎょう については計画 けいかく 中 ちゅう のダムは全 すべ て中止 ちゅうし するのが妥当 だとう という見解 けんかい を答申 とうしん した。これを受 う け国土 こくど 交通省 こうつうしょう は余野 よの 川 がわ ダム (余野 よの 川 がわ )・大戸川 おおとがわ ダム (大戸川 おおどかわ )の建設 けんせつ 中止 ちゅうし 、川上 かわかみ ダム (前深瀬川 まえふかせがわ )と丹生 たんじょう ダム (高時川 たかときがわ )の規模 きぼ 縮小 しゅくしょう を発表 はっぴょう 。大阪 おおさか 府 ふ も安威 あい 川 がわ ダム (安威 あい 川 がわ )の規模 きぼ 縮小 しゅくしょう を打 う ち出 だ した。これに対 たい し滋賀 しが 県 けん 等 とう の流域 りゅういき 自治体 じちたい が「流域 りゅういき の安全 あんぜん を軽視 けいし するもの」として猛 もう 反発 はんぱつ し、流域 りゅういき 住民 じゅうみん も賛否 さんぴ 分 わ かれた。このため最終 さいしゅう 結論 けつろん は宙 ちゅう に浮 う いた状態 じょうたい となっている。これとは別 べつ に、農林水産省 のうりんすいさんしょう が愛知 あいち 川 がわ に計画 けいかく している永源寺 えいげんじ 第 だい 二 に ダム (愛知 あいち 川 がわ )が、「ダムのボーリング調査 ちょうさ 未 み 実施 じっし を承知 しょうち しながら建設 けんせつ を進 すす めるのは不当 ふとう 」として大阪 おおさか 高等 こうとう 裁判所 さいばんしょ より「ダム建設 けんせつ 違法 いほう 」の判決 はんけつ を下 くだ されるなど、淀川 よどがわ 水系 すいけい の開発 かいはつ は大 おお きく揺 ゆ らいでいる。
こうした淀川 よどがわ 水系 すいけい の河川 かせん 開発 かいはつ が大 おお きく揺 ゆ らぐ中 なか 、2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )の滋賀 しが 県 けん 知事 ちじ 選挙 せんきょ において当時 とうじ 現職 げんしょく だった国松 くにまつ 善次 よしつぐ を破 やぶ り当選 とうせん した嘉田 かだ 由紀子 ゆきこ 知事 ちじ は、就任 しゅうにん 直後 ちょくご から新幹線 しんかんせん 新駅 しんえき ・産廃 さんぱい 処分 しょぶん 場 じょう と並 なら んでダム計画 けいかく を、『もったいない』のスローガンに基 もと づき不要 ふよう な公共 こうきょう 事業 じぎょう として全 すべ てを凍結 とうけつ させると発表 はっぴょう した。長野 ながの 県 けん に次 つ ぐ自治体 じちたい 単位 たんい での脱 だつ ダム施策 しさく である。
対象 たいしょう となったのは北川 きたがわ 第 だい 一 いち ダム(北川 きたがわ )・北川 きたがわ 第 だい 二 に ダム(麻生 あそう 川 がわ )・芹谷 せりだに ダム(芹川 せりかわ )の県営 けんえい ダムと国 くに 直轄 ちょっかつ 事業 じぎょう である大戸川 おおとがわ ダム・丹生 たんじょう ダム・永源寺 えいげんじ 第 だい 二 に ダムの計 けい 6事業 じぎょう である。長野 ながの 県 けん の脱 だつ ダム宣言 せんげん と大 おお きく異 こと なるのは、県営 けんえい ダムのみならず国土 こくど 交通省 こうつうしょう ・農林水産省 のうりんすいさんしょう の直轄 ちょっかつ ダム事業 じぎょう も中止 ちゅうし 対象 たいしょう に挙 あ げている事 こと で、就任 しゅうにん 当初 とうしょ から財政 ざいせい 的 てき 問題 もんだい ・環境 かんきょう 問題 もんだい の両面 りょうめん よりダム事業 じぎょう は中止 ちゅうし すべきとの持論 じろん を展開 てんかい 。ダムの代替 だいたい 案 あん として堤防 ていぼう 建設 けんせつ や森林 しんりん 整備 せいび を中心 ちゅうしん とした自然 しぜん に優 やさ しい治水 ちすい 事業 じぎょう の整備 せいび を図 はか りることで、ダム依存 いぞん からの脱却 だっきゃく を図 はか ろうとした。
これに対 たい し下流 かりゅう 受益 じゅえき 地 ち である京都 きょうと 府 ふ や京都 きょうと 市 し は事業 じぎょう 費 ひ 増大 ぞうだい の対策 たいさく に頭 あたま を悩 なや ませていたこともあり、知事 ちじ のダム凍結 とうけつ 宣言 せんげん を歓迎 かんげい ・支持 しじ する態度 たいど を表明 ひょうめい 。一方 いっぽう で上流 じょうりゅう 受益 じゅえき 地 ち である大津 おおつ 市 し ・彦根 ひこね 市 し ・多賀 たが 町 まち などは「堤防 ていぼう 建設 けんせつ は却 かえ って莫大 ばくだい な支出 ししゅつ をもたらす」としてダム建設 けんせつ の促進 そくしん を要望 ようぼう した。水没 すいぼつ 予定 よてい 住民 じゅうみん も早急 そうきゅう な建設 けんせつ 促進 そくしん を訴 うった え、知事 ちじ に反発 はんぱつ した。知事 ちじ は当初 とうしょ は凍結 とうけつ の態度 たいど を崩 くず さなかったが、平成 へいせい 18年 ねん 7月 がつ 豪雨 ごうう と直後 ちょくご の長野 ながの 県知事 けんちじ 選挙 せんきょ (田中 たなか 康夫 やすお が落選 らくせん )の影響 えいきょう からか、態度 たいど をやや軟化 なんか 。「他 た に有効 ゆうこう な方法 ほうほう が無 な い場合 ばあい はダム建設 けんせつ もありえる」と地元 じもと との対話 たいわ を重視 じゅうし する姿勢 しせい へ転換 てんかん した。ただし知事 ちじ は治水 ちすい 政策 せいさく について「治水 ちすい の瑕疵 かし (かし)により1人 にん でも死者 ししゃ が出 で た場合 ばあい は知事 ちじ を辞任 じにん する」とも話 はな しており、退路 たいろ を断 た って滋賀 しが 県 けん の治水 ちすい 対策 たいさく に取 と り組 く もうとしている。
2006年 ねん 12月には凍結 とうけつ を宣言 せんげん していた6ダムのうち、芹川 せりかわ 支流 しりゅう 水谷 みずたに 川 がわ に建設 けんせつ が計画 けいかく されている「芹谷 せりだに ダム 」について、ダム以外 いがい の治水 ちすい 整備 せいび についての比較 ひかく 検討 けんとう を行 おこな った結果 けっか コストパフォーマンス的 てき にダム案 あん の方 ほう が勝 まさ るという結論 けつろん に達 たっ し、知事 ちじ は芹谷 せりだに ダム計画 けいかく については前向 まえむ きな検討 けんとう を開始 かいし した。さらに2007年 ねん (平成 へいせい 19年 ねん )に入 はい ると北川 きたがわ 第 だい 一 いち ダムについても事業 じぎょう の推進 すいしん を表明 ひょうめい 、何 いず れも既存 きそん の河川 かせん 整備 せいび と比較 ひかく しコストパフォーマンスに優 すぐ れるという理由 りゆう で事業 じぎょう 再開 さいかい を決 き めている。この他 た 大戸川 おおとがわ ダムについても事業 じぎょう 容認 ようにん の姿勢 しせい を見 み せている。田中 たなか 康夫 やすお と異 こと なり地元 じもと との意見 いけん 調整 ちょうせい や代替 だいたい 案 あん との比較 ひかく を進 すす めながら、財政 ざいせい 的 てき 観点 かんてん とのバランスで必 かなら ずしも「脱 だつ ダム」に固執 こしつ しない柔軟 じゅうなん な姿勢 しせい でダム依存 いぞん 型 がた の治水 ちすい 脱却 だっきゃく を進 すす めているが、支持 しじ 層 そう のうち自然 しぜん 保護 ほご 団体 だんたい は田中 たなか のような急進 きゅうしん 的 てき なダム撤去 てっきょ ・中止 ちゅうし を是 ぜ としていたことから嘉田 かだ 知事 ちじ の方針 ほうしん を「公約 こうやく 違反 いはん 」として反発 はんぱつ する向 む きもある。
河川 かせん 管理 かんり 者 しゃ である国土 こくど 交通省 こうつうしょう はこうした一連 いちれん の動 うご きを静観 せいかん していた。2007年 ねん に嘉田 かだ 知事 ちじ は「ダム凍結 とうけつ 宣言 せんげん 」を撤回 てっかい し、大戸川 おおとがわ ・丹生 たんじょう の両 りょう ダムについて穴 あな あきダム としての建設 けんせつ を容認 ようにん 、国土 こくど 交通省 こうつうしょう に建設 けんせつ 再開 さいかい を促 うなが したことから事態 じたい は動 うご き出 だ した。2007年 ねん 8月 がつ 28日 にち 、国交 こっこう 省 しょう 近畿 きんき 地方 ちほう 整備 せいび 局 きょく が「淀川 よどがわ 水系 すいけい 河川 かせん 整備 せいび 計画 けいかく 原案 げんあん 」を策定 さくてい し、凍結 とうけつ ダムの建設 けんせつ 再開 さいかい 方針 ほうしん を打 う ち出 だ した。これを受 う けて大戸川 おおどかわ ダムは治水 ちすい ダム として川上 かわかみ ダムや天ヶ瀬 あまがせ ダム再 さい 開発 かいはつ とともに建設 けんせつ が再開 さいかい された。ただし余野 よの 川 がわ ダムは2008年 ねん (平成 へいせい 20年 ねん )に中止 ちゅうし が決定 けってい 、丹生 たんじょう ダムについては貯水 ちょすい するか穴 あな あきかで県 けん と当時 とうじ の余呉 よご 町 まち (現 げん :長浜 ながはま 市 し )の対立 たいりつ が激化 げきか した。また「流域 りゅういき 委員 いいん 会 かい 」のあり方 かた を巡 めぐ り委員 いいん の選定 せんてい などで国土 こくど 交通省 こうつうしょう 側 がわ の強引 ごういん な介入 かいにゅう があったと指摘 してき ・批判 ひはん する声 こえ も大 おお きい。
国土 こくど 交通省 こうつうしょう は「淀川 よどがわ 流域 りゅういき で過去 かこ 最悪 さいあく の大 だい 規模 きぼ な洪水 こうずい が発生 はっせい し、淀川 よどがわ が大阪 おおさか 市内 しない で破 やぶ 堤 つつみ した場合 ばあい には大阪 おおさか 市 し 中心 ちゅうしん 部 ぶ が水没 すいぼつ する」というシミュレーションを纏 まと めている。全国 ぜんこく 的 てき に毎年 まいとし のように記録 きろく 的 てき な集中 しゅうちゅう 豪雨 ごうう が起 お こっている現状 げんじょう において、淀川 よどがわ の治水 ちすい は流域 りゅういき 住民 じゅうみん の安全 あんぜん と、自然 しぜん 保護 ほご や財政 ざいせい 負担 ふたん 軽減 けいげん などによる板挟 いたばさ み中 ちゅう で、難 むずか しい舵取 かじと りを迫 せま られている。
観光 かんこう 目的 もくてき での舟運 しゅううん 復活 ふっかつ の動 うご き[ 編集 へんしゅう ]
八 はち 軒 けん 家 か 浜 はま 船着場 ふなつきば
枚方 ひらかた 船着場 ふなつきば
近代 きんだい 以降 いこう 、京阪 けいはん 間 あいだ を結 むす ぶ交通 こうつう ・物流 ぶつりゅう の中心 ちゅうしん は道路 どうろ や鉄道 てつどう (東海道本線 とうかいどうほんせん 、阪急 はんきゅう 京都 きょうと 本線 ほんせん 、京阪本線 けいはんほんせん )へ移 うつ り、淀川 よどがわ 舟運 しゅううん は衰退 すいたい した。近年 きんねん 、体験 たいけん 型 がた 観光 かんこう の一環 いっかん として、船上 せんじょう から川面 かわも や陸上 りくじょう の景色 けしき を楽 たの しめる場 ば として、河川 かせん 舟運 しゅううん を見直 みなお す動 うご きが出 で ている。京阪 けいはん ホールディングス は2017年 ねん 9月 がつ 、大阪 おおさか ・天満橋 てんまばし の八 はち 軒 けん 家 か 浜 はま 船着場 ふなつきば と淀川 よどがわ 河川 かせん 公園 こうえん (枚方 ひらかた 市 し )の枚方 ひらかた 船着場 ふなつきば を結 むす ぶ定期 ていき 観光 かんこう 船 せん の運航 うんこう を開始 かいし すると発表 はっぴょう した。淀川 よどがわ での定期 ていき 船 せん は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 こう 初 はつ で、京阪 けいはん 間 あいだ 航路 こうろ の開設 かいせつ も検討 けんとう するとしている[19] 。
淀川 よどがわ ・琵琶湖 びわこ の環境 かんきょう 問題 もんだい [ 編集 へんしゅう ]
淀川 よどがわ の水源 すいげん である琵琶湖 びわこ は1960年代 ねんだい 以降 いこう 周辺 しゅうへん の宅地 たくち 化 か が進 すす んでいったが、下水道 げすいどう の整備 せいび がそれに追 お いつかず、生活 せいかつ 排水 はいすい はそのまま琵琶湖 びわこ に流入 りゅうにゅう する状況 じょうきょう となっていた。これにより特 とく に大津 おおつ 市 し や草津 くさつ 市 し 沿岸 えんがん を中心 ちゅうしん とした琵琶湖 びわこ 南部 なんぶ (南湖 みなみこ )の水質 すいしつ 汚濁 おだく が激化 げきか 、赤潮 あかしお の発生 はっせい や悪臭 あくしゅう などが起 お こり漁業 ぎょぎょう への影響 えいきょう が深刻 しんこく となっていた。
滋賀 しが 県 けん は下水道 げすいどう 整備 せいび などで対応 たいおう していたが、近畿 きんき 最大 さいだい の水源 すいげん 地 ち でもある琵琶湖 びわこ の汚染 おせん は関西 かんさい 全体 ぜんたい に影響 えいきょう を及 およ ぼしかねず、根本 こんぽん 的 てき な対策 たいさく が求 もと められていた。この中 なか で合成 ごうせい 洗剤 せんざい に含 ふく まれる有機 ゆうき リン 分 ぶん が水質 すいしつ 汚濁 おだく に大 おお きく関 かか わっているのではないかという指摘 してき が多 おお くなされるようになり、合成 ごうせい 洗剤 せんざい に対 たい する規制 きせい も叫 さけ ばれるようになった。1980年 ねん (昭和 しょうわ 55年 ねん )、滋賀 しが 県議会 けんぎかい は『滋賀 しが 県 けん 琵琶湖 びわこ の富 とみ 栄養 えいよう 化 か の防止 ぼうし に関 かん する条例 じょうれい 』(通称 つうしょう :琵琶湖 びわこ 条例 じょうれい )を制定 せいてい 。有機 ゆうき リン分 ぶん を含 ふく む合成 ごうせい 洗剤 せんざい の追放 ついほう などを定 さだ め、琵琶湖 びわこ のこれ以上 いじょう の富 とみ 栄養 えいよう 化 か を避 さ けようとした。合成 ごうせい 洗剤 せんざい メーカーからは激 はげ しい反発 はんぱつ があったが、湖沼 こしょう の水質 すいしつ 汚濁 おだく に悩 なや む他 た 地域 ちいき からは大 おお きな注目 ちゅうもく を持 も たれ、水質 すいしつ 汚濁 おだく 対策 たいさく の一 ひと つの分岐 ぶんき 点 てん となった。
1984年 ねん (昭和 しょうわ 59年 ねん )、水質 すいしつ 汚濁 おだく 防止 ぼうし 法 ほう の特例 とくれい 措置 そち として特定 とくてい の湖沼 こしょう に対 たい する水質 すいしつ 汚濁 おだく を防止 ぼうし するための諸 しょ 対策 たいさく が法制 ほうせい 化 か された。これが『湖沼 こしょう 水質 すいしつ 保全 ほぜん 特別 とくべつ 措置 そち 法 ほう 』(略称 りゃくしょう :湖沼 こしょう 法 ほう )である。霞ヶ浦 かすみがうら など全国 ぜんこく 10湖沼 こしょう が現在 げんざい 指定 してい されているが、琵琶湖 びわこ は1985年 ねん (昭和 しょうわ 60年 ねん )12月に法 ほう の指定 してい を受 う け、これ以降 いこう 水質 すいしつ 保全 ほぜん に関 かん する厳 きび しい対策 たいさく が施 ほどこ されるようになり、併 あわ せて琵琶湖 びわこ 流域 りゅういき の下水道 げすいどう の整備 せいび と下水 げすい 処理 しょり 場 じょう での窒素 ちっそ リンを除去 じょきょ する高度 こうど 処理 しょり が行 おこな われ、これらにより水質 すいしつ は次第 しだい に改善 かいぜん されるに至 いた った。
淀川 よどがわ 水系 すいけい の水質 すいしつ の悪化 あっか は昭和中 しょうわなか 期 き には問題 もんだい になっており、昭和 しょうわ 30年 ねん と昭和 しょうわ 40年 ねん の水質 すいしつ 調査 ちょうさ ならびに比較 ひかく が以下 いか のようになる[注釈 ちゅうしゃく 5] 。
;淀川 よどがわ の水質 すいしつ 汚濁 おだく の変遷 へんせん [20]
地点 ちてん
昭和 しょうわ 30年 ねん 当時 とうじ
昭和 しょうわ 40年 ねん 当時 とうじ
瀬田川 せたがわ から宇治川 うじがわ 開始 かいし 付近 ふきん の本流 ほんりゅう
貧 まずし 腐 くさ 水性 すいせい
貧 まずし 腐 くさ 水性 すいせい ただし山名 やまな 川 がわ 合流 ごうりゅう の手前 てまえ でβ べーた -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい に悪化 あっか 。
山名 やまな 川 がわ (宇治川 うじがわ 右岸 うがん 合流 ごうりゅう )
貧 まずし 腐 くさ 水性 すいせい ただし流入 りゅうにゅう 直前 ちょくぜん にα あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい に悪化 あっか
α あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい
琵琶湖 びわこ 疏水 そすい [注釈 ちゅうしゃく 6] (宇治川 うじがわ 右岸 うがん 合流 ごうりゅう )
強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい
強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい
新高 にいたか 瀬川 せかわ (宇治川 うじがわ 右岸 うがん 合流 ごうりゅう )
強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい
強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい
八幡 やはた 手前 てまえ [注釈 ちゅうしゃく 7] までの宇治川 うじがわ 本流 ほんりゅう
右岸 うがん ・α あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい 左岸 さがん ・貧 ひん 腐 くさ 水性 すいせい 八幡 やはた ・山崎 やまざき 手前 てまえ で両者 りょうしゃ 混 ま ざってβ べーた -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい
右岸 うがん ・α あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい から強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい 左岸 さがん ・β べーた -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい からα あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい
木津川 きづがわ (宇治川 うじがわ 左岸 さがん 合流 ごうりゅう )
貧 まずし 腐 くさ 水性 すいせい
β べーた -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい
桂川 かつらがわ (宇治川 うじがわ 右岸 うがん 合流 ごうりゅう )
強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい
強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい
八幡 やはた ・山崎 やまざき 以後 いご [注釈 ちゅうしゃく 8] 以後 いご の淀川 よどがわ 本流 ほんりゅう
右岸 うがん ・強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい (ただし枚方 ひらかた 手前 てまえ でα あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい に回復 かいふく )左岸 さがん ・β べーた -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい
右岸 うがん ・強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい (以後 いご 鳥飼 とりかい 付近 ふきん まで回復 かいふく はせず) 左岸 さがん ・β べーた -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい だが枚方 ひらかた 手前 てまえ でα あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい に悪化 あっか
芥川 あくたがわ (淀川 よどがわ 右岸 うがん 合流 ごうりゅう )
α あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい
強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい
枚方 ひらかた 付近 ふきん [注釈 ちゅうしゃく 9] 以後 いご の淀川 よどがわ 本流 ほんりゅう
右岸 うがん :α あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい 左岸 さがん ・β べーた -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい 鳥飼 とりかい 付近 ふきん で混 ま ざってα あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい になり、以後 いご は感 かん 潮 しお 域 いき まで同 おな じ。
右岸 うがん ・強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい 左岸 さがん ・α あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい 鳥飼 とりかい 付近 ふきん で混 ま ざってα あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい になり、以後 いご は感 かん 潮 しお 域 いき まで同 おな じ。
昭和 しょうわ 30年 ねん 時点 じてん で京都 きょうと 市 し から下水 げすい の流 なが れ込 こ む河川 かせん (桂川 かつらがわ など)が汚 きたな いことや「(鳥飼 とりかい から先 さき の庭 にわ 窪 くぼ ・柴島 くにじま 付近 ふきん で)上水道 じょうすいどう の水源 すいげん になっているが、両方 りょうほう とも上水道 じょうすいどう の水源 すいげん としては好 この ましくない。」と指摘 してき されていたが、昭和 しょうわ 40年 ねん になると伏見 ふしみ 平戸 ひらど 閘門から排出 はいしゅつ される琵琶湖 びわこ 疏水 そすい や新 しん 高瀬川 たかせがわ が同 おな じ強 きょう 腐 くさ 水性 すいせい でも極 きわ めて汚 きたな くなり、合流 ごうりゅう 後 ご の右岸 うがん (前述 ぜんじゅつ の二 に 河川 かせん の合流 ごうりゅう 側 がわ )からかなりの距離 きょり が強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい になり、さらに下流 かりゅう でも三川 みかわ (宇治川 うじがわ ・木津川 きづがわ ・桂川 かつらがわ )合流 ごうりゅう 点 てん 付近 ふきん や御幸 みゆき 橋 きょう では昭和 しょうわ 30年 ねん ではβ べーた -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい だったところが、α あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい に悪化 あっか している。
さらに、三川 みかわ 合流 ごうりゅう 点 てん より下流 かりゅう では元々 もともと 汚染 おせん がひどかった桂川 かつらがわ の汚水 おすい を薄 うす めていた宇治川 うじがわ と木津川 きづがわ の水質 すいしつ が悪化 あっか したため回復 かいふく が進 すす まず、山崎 やまざき から柴島 くにじま までの右岸 うがん には厚 あつ い汚水 おすい 菌 きん の被覆 ひふく が見 み られ、比較的 ひかくてき 状態 じょうたい が良 よ かった左岸 さがん も汚水 おすい 菌 きん が増加 ぞうか している状況 じょうきょう になっていた[21] 。
こうしたこともあり、淀川 よどがわ 水系 すいけい 中 ちゅう 流域 りゅういき で最大 さいだい の生活 せいかつ 排水 はいすい の発生 はっせい 地域 ちいき 、京都 きょうと 市 し は下水道 げすいどう を着実 ちゃくじつ に整備 せいび し2019年度 ねんど 末 まつ には市街化区域 しがいかくいき の99.5%に達 たっ した。しかし初期 しょき に作 つく られた下水道 げすいどう は雨水 あまみず と汚水 おすい を一緒 いっしょ に流 なが す合流 ごうりゅう 式 しき (約 やく 40%)のため集中 しゅうちゅう 豪雨 ごうう 発生 はっせい 時 じ に汚水 おすい が未 み 処理 しょり のまま川 かわ に流 なが される、このため1980年代 ねんだい 半 なか ばから貯水 ちょすい 幹線 かんせん を順次 じゅんじ 整備 せいび して、堀川 ほりかわ 通 どお りの下 した の直径 ちょっけい 6m長 なが さ2.7 km 7万 まん 立方 りっぽう メートルを「堀川 ほりかわ 中央 ちゅうおう 幹線 かんせん 」をはじめ、合計 ごうけい 50万 まん 7千 せん 立方 りっぽう メートルの雨水 あまみず を溜 た める貯水 ちょすい 設備 せつび を整備 せいび 。また4つある市営 しえい 下水 げすい 処理 しょり 場 じょう に窒素 ちっそ ・リン を除去 じょきょ する高度 こうど 処理 しょり 設備 せつび を導入 どうにゅう 、さらに京都 きょうと の伝統 でんとう 産業 さんぎょう 「友禅染 ゆうぜんぞめ 」製造 せいぞう 時 じ に発生 はっせい する色素 しきそ が残 のこ った汚水 おすい を処理 しょり するために2箇所 かしょ の下水 げすい 処理 しょり 場 じょう ではオゾン処理 しょり を導入 どうにゅう している。この結果 けっか 、処理 しょり 水 すい のBOD は国 くに の基準 きじゅん 水 すい 1リットル当 あ たり20ミリグラムに対 たい して京都 きょうと 市 し では水 みず 1リットル当 あ たり3ミリグラム前後 ぜんこう に浄化 じょうか される。また西日本 にしにほん 最大 さいだい の下水 げすい 処理 しょり 場 じょう 『鳥 とり 羽水 うすい 環境 かんきょう 保全 ほぜん センター』では平成 へいせい 25年 ねん からメガソーラー を設置 せっち 、令 れい 和 わ 3年度 ねんど から汚泥 おでい を燃料 ねんりょう に加工 かこう して火力 かりょく 発電 はつでん することが予定 よてい されている[22] 。
京都 きょうと 府 ふ も桂川 かつらがわ に南 みなみ 丹 に 浄化 じょうか センター・洛 らく 西 にし 浄化 じょうか センター を建設 けんせつ 、八幡 やはた 市 し の宇治川 うじがわ ・木津川 きづがわ の合流 ごうりゅう 部 ぶ 付近 ふきん に洛 らく 南 みなみ 浄化 じょうか センターが1986年 ねん 3月 がつ 供用 きょうよう 開始 かいし 、精華 せいか 町 まち に木津川 きづがわ 上流 じょうりゅう 浄化 じょうか センター が1999年 ねん 11月に供用 きょうよう 開始 かいし するなど下水道 げすいどう の整備 せいび を進 すす めている。
下流 かりゅう の大阪 おおさか 府下 ふか では上水道 じょうすいどう の取水 しゅすい 口 こう が複数 ふくすう あるため、淀川 よどがわ 左岸 さがん の「渚 なぎさ 水 すい みらいセンター(枚方 ひらかた 市 し )」では処理 しょり 水 すい を寝屋川 ねやがわ へ排水 はいすい 、一部 いちぶ は京阪 けいはん 枚方 ひらかた 市 し 駅 えき や周辺 しゅうへん の公共 こうきょう 施設 しせつ で再 さい 利用 りよう されている。淀川 よどがわ 右岸 うがん の「高槻 たかつき 水 すい みらいセンター(高槻 たかつき 市 し )」「中央 ちゅうおう 水 すい みらいセンター(茨木 いばらぎ 市 し )」では処理 しょり 水 すい を安威 あい 川 がわ から神崎川 かんざきがわ へと流 なが している。
湖沼 こしょう 法 ほう 指定 してい や琵琶湖 びわこ 条例 じょうれい などの施策 しさく で琵琶湖 びわこ は次第 しだい に水質 すいしつ が改善 かいぜん された。漁業 ぎょぎょう 資源 しげん の豊富 ほうふ な琵琶湖 びわこ は古 ふる くから「鮒 ふな 寿司 ずし 」をはじめ魚介 ぎょかい 類 るい にまつわる特産 とくさん 品 ひん も多 おお く、漁業 ぎょぎょう も重要 じゅうよう な産業 さんぎょう の一 ひと つであった。ところが近年 きんねん のバスフィッシング の広 ひろ がりで、琵琶湖 びわこ においても外来 がいらい 魚 ぎょ による漁業 ぎょぎょう 被害 ひがい が深刻 しんこく になっていった。特 とく にブラックバス やブルーギル といった獰猛 どうもう な魚類 ぎょるい は、在来 ざいらい 生物 せいぶつ への影響 えいきょう が大 おお きく、琵琶湖 びわこ 在来 ざいらい の魚介 ぎょかい 類 るい への生態 せいたい 系 けい が破壊 はかい されるという漁業 ぎょぎょう 関係 かんけい 者 しゃ の指摘 してき が次第 しだい に大 おお きくなった。「キャッチアンドリリース」という釣 つ りのルールが、ブラックバスでは逆 ぎゃく に問題 もんだい を拡大 かくだい するという指摘 してき もあって、漁業 ぎょぎょう 協同 きょうどう 組合 くみあい による駆除 くじょ が行 おこな われていたがいたちごっこであった。
こうした漁業 ぎょぎょう 資源 しげん の影響 えいきょう を危惧 きぐ した滋賀 しが 県 けん は、ブラックバスの放流 ほうりゅう 禁止 きんし と罰則 ばっそく を明記 めいき した「琵琶湖 びわこ のレジャー利用 りよう 適正 てきせい 化 か 条例 じょうれい 」を2003年 ねん (平成 へいせい 15年 ねん )に制定 せいてい 。ブラックバス釣 づ りに対 たい して厳 きび しい規制 きせい を掛 か けた。漁業 ぎょぎょう 関係 かんけい 者 しゃ は大 だい 歓迎 かんげい したがバスフィッシング愛好 あいこう 家 か は猛 もう 反発 はんぱつ 、清水 しみず 国明 くにあき 等 ひとし の愛好 あいこう 家 か タレントもマスコミなどを通 つう じて条例 じょうれい 反対 はんたい を訴 うった えた。現在 げんざい 琵琶湖 びわこ においてブラックバスの放流 ほうりゅう は禁止 きんし され、持 も ち帰 かえ ることが義務 ぎむ 化 か されている。一方 いっぽう 1993年 ねん (平成 へいせい 5年 ねん )にラムサール条約 じょうやく の登録 とうろく 湿地 しっち に指定 してい された琵琶湖 びわこ は鳥類 ちょうるい も多 おお く生息 せいそく するが、近年 きんねん カワウ の異常 いじょう 繁殖 はんしょく が新 あら たな問題 もんだい となっている。大群 たいぐん が夕刻 ゆうこく 河川 かせん や湖沼 こしょう の魚類 ぎょるい を捕獲 ほかく することから漁業 ぎょぎょう 収穫 しゅうかく 高 だか が減少 げんしょう したり、フンによる森林 しんりん や建築 けんちく 物 ぶつ への被害 ひがい が竹生島 ちくぶしま を中心 ちゅうしん に琵琶湖 びわこ 北部 ほくぶ 地域 ちいき で深刻 しんこく 化 か 。具体 ぐたい 的 てき な対策 たいさく が取 と れていない状態 じょうたい である。
淀川 よどがわ 下 か 流域 りゅういき ではアシ などが繁茂 はんも していることから、絶滅 ぜつめつ 危惧 きぐ 種 しゅ であるイタセンパラ やアユモドキ などが生息 せいそく する重要 じゅうよう な地域 ちいき となっていた。だが生活 せいかつ 排水 はいすい による淀川 よどがわ の水質 すいしつ 汚濁 おだく によって個体 こたい 数 すう は激減 げきげん 。これに加 くわ え1984年 ねん に淀川 よどがわ 大堰 おおせぎ が完成 かんせい し、湛 たたえ 水 すい によるアシ群 ぐん 生地 きじ の水没 すいぼつ などによりイタセンパラの個体 こたい 数 すう は絶滅 ぜつめつ が危惧 きぐ されるほど激減 げきげん した。自然 しぜん 保護 ほご 団体 だんたい の指摘 してき を受 う けた国土 こくど 交通省 こうつうしょう 近畿 きんき 地方 ちほう 建設 けんせつ 局 きょく は、淀川 よどがわ 大堰 おおせぎ 上流 じょうりゅう 部 ぶ に人工 じんこう のワンド を設 もう けてイタセンパラの生息 せいそく 域 いき を確保 かくほ し、個体 こたい 数 すう の回復 かいふく を図 はか る対策 たいさく を施 ほどこ した。一時期 いちじき は効果 こうか があったものの、現状 げんじょう としては個体 こたい 数 すう の回復 かいふく は絶望 ぜつぼう 的 てき との見方 みかた もある。アユモドキも鴨川 かもがわ ・桂川 かつらがわ の南 みなみ 丹 に 市 し 八木 やぎ 町 まち 付近 ふきん では絶滅 ぜつめつ 、亀岡 かめおか 市 し 付近 ふきん の生息 せいそく 域 いき には京都 きょうと 府 ふ が京都 きょうと スタジアム の建設 けんせつ を計画 けいかく する、など危機 きき 的 てき 状況 じょうきょう である。
ただ近年 きんねん ・淀川 よどがわ の水質 すいしつ 改善 かいぜん により新淀川 しんよどがわ で天然 てんねん ウナギ が採 と れブランド化 か が図 はか られたり、天然 てんねん アユ が淀川 よどがわ から桂川 かつらがわ ・鴨川 かもがわ へと遡上 そじょう するのが確認 かくにん される、など水質 すいしつ 改善 かいぜん の効果 こうか の出 で ている部分 ぶぶん もある。
(注 ちゅう )カッコ内 ない の湖沼 こしょう は人造湖 じんぞうこ (ダム湖 こ )。
淀川 よどがわ 水系 すいけい では、古来 こらい より人口 じんこう 密集 みっしゅう 地 ち であったことから治水 ちすい ・利水 りすい に重点 じゅうてん が置 お かれた。新淀川 しんよどがわ 開削 かいさく や天ヶ瀬 あまがせ ダム建設 けんせつ はその施策 しさく である。さらに戦後 せんご の高度 こうど 経済 けいざい 成長 せいちょう 期 き 、琵琶湖 びわこ を有効 ゆうこう 活用 かつよう し京阪神 けいはんしん への水 みず 需要 じゅよう に応 こた えるべく淀川 よどがわ 水系 すいけい は「水 みず 資源 しげん 開発 かいはつ 促進 そくしん 法 ほう 」に基 もと づく開発 かいはつ 指定 してい 水系 すいけい となり、水資源開発公団 みずしげんかいはつこうだん (現 げん :独立 どくりつ 行政 ぎょうせい 法人 ほうじん 水 みず 資源 しげん 機構 きこう )による総合 そうごう 的 てき なダム ・堰 せき の建設 けんせつ が行 おこな われた。現在 げんざい は統合 とうごう 管理 かんり されている。一方 いっぽう 滋賀 しが 県 けん には農林水産省 のうりんすいさんしょう 直轄 ちょっかつ の灌漑 かんがい 用 よう ダムが多 おお い。これは天井川 てんじょうがわ による用水 ようすい の取水 しゅすい 困難 こんなん が背景 はいけい にあり、水 みず 争 あらそ いの頻発 ひんぱつ していた近江盆地 おうみぼんち を潤 うるお すためである。
関西電力 かんさいでんりょく の水力 すいりょく 発電 はつでん 施設 しせつ は、日本 にっぽん で最初 さいしょ に商業 しょうぎょう 発電 はつでん をした琵琶湖 びわこ 疏水 そすい の蹴 け 上 うわ 発電 はつでん 所 しょ (出力 しゅつりょく 4400kW)があるが、淀川 よどがわ 水系 すいけい にある水力 すいりょく 発電 はつでん 所 しょ のほとんどは出力 しゅつりょく 1万 まん kW以下 いか の中 なか 小規模 しょうきぼ なもので、本流 ほんりゅう にある発電 はつでん 所 しょ は天ヶ瀬 あまがせ ダムの天ヶ瀬 あまがせ 発電 はつでん 所 しょ (認可 にんか 出力 しゅつりょく 92000kW・常時 じょうじ 出力 しゅつりょく 6600kW)、その天ヶ瀬 あまがせ ダム湖 こ (鳳凰 ほうおう 湖 こ )の水 みず で揚水 ようすい 発電 はつでん している喜撰山 きせんやま ダム と喜撰山 きせんやま 発電 はつでん 所 しょ (出力 しゅつりょく 466000kW)、宇治 うじ 発電 はつでん 所 しょ (認可 にんか 出力 しゅつりょく 32500kW・常時 じょうじ 出力 しゅつりょく 29000kW)の3か所 しょ で、流域 りゅういき の最小 さいしょう の発電 はつでん 所 しょ は木津川 きづがわ の支流 しりゅう にある室生 むろう 発電 はつでん 所 しょ (出力 しゅつりょく 200kW)がある(これ以外 いがい にも近江八幡 おうみはちまん 市 し にある関西電力 かんさいでんりょく 神崎川 かんざきがわ 発電 はつでん 所 しょ は認可 にんか 出力 しゅつりょく 1100kWだが常時 じょうじ 発電 はつでん しているのは52kWと小 しょう 水力 すいりょく 発電 はつでん 所 しょ 並 なみ なのがある)。これは関西 かんさい 圏 けん への電力 でんりょく 供給 きょうきゅう を行 おこな うための水力 すいりょく 発電 はつでん が木曽川 きそがわ 水系 すいけい ・熊野川 くまのがわ 水系 すいけい といった包蔵 ほうぞう 水力 すいりょく の大 おお きい河川 かせん で古 ふる くから開発 かいはつ されていること、火力 かりょく 発電 はつでん 所 しょ や原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ が近隣 きんりん に多 おお くそれらからの需要 じゅよう が大 おお きいこと等 とう が挙 あ げられる。
逆 ぎゃく に、電力 でんりょく 会社 かいしゃ ではなく自分 じぶん たちで小規模 しょうきぼ な水力 すいりょく 発電 はつでん 施設 しせつ を造 つく り利用 りよう 、または売 うれ 電 でん する小 しょう 水力 すいりょく 発電 はつでん が京都 きょうと 嵐山 あらしやま と京都 きょうと 府営 ふえい 水道 すいどう の宇治 うじ 浄水 じょうすい 場 じょう と久御山 くみやま 広域 こういき ポンプ場 じょう ・大阪 おおさか 広域 こういき 水道 すいどう 企業 きぎょう 団 だん の村野 むらの 浄水 じょうすい 場 じょう と桃山台 ももやまだい 配水 はいすい 場 じょう ・大阪 おおさか 市 し 水道局 すいどうきょく 長居 ながい 配水 はいすい 場 じょう で行 おこな われている。
また河川 かせん 施設 しせつ とはいえないかもしれないが、京阪電気鉄道 けいはんでんきてつどう 中之島 なかのしま 線 せん の地下 ちか 駅 えき では大川 おおかわ (旧 きゅう 淀川 よどがわ )・堂島 どうじま 川 がわ の水 みず をポンプで汲 く み上 あ げ熱 ねつ 交換 こうかん して駅 えき の空調 くうちょう に使用 しよう している。
一 いち 次 じ 支 ささえ 川名 かわな (本川 ほんがわ )
二 に 次 じ 支 ささえ 川名 かわな
三 さん 次 じ 支 ささえ 川名 かわな
ダム名 めい
堤 つつみ 高 だか (m)
総 そう 貯水 ちょすい 容量 ようりょう (千 せん m3 )
型式 けいしき
事業 じぎょう 者 しゃ
備考 びこう
淀川 よどがわ
-
-
瀬田川 せたがわ 洗 あらい 堰 せき
-
-
可動 かどう 堰 せき
国土 こくど 交通省 こうつうしょう
淀川 よどがわ
-
-
天ヶ瀬 あまがせ ダム
72.0
26,280
アーチ式 しき
国土 こくど 交通省 こうつうしょう
淀川 よどがわ
-
-
淀川 よどがわ 大堰 おおせぎ
-
-
可動 かどう 堰 せき
国土 こくど 交通省 こうつうしょう
(琵琶湖 びわこ )
余呉川 よごがわ
(余呉湖 よごこ )
余呉湖 よごこ ダム
-
14,700
可動 かどう 堰 せき
滋賀 しが 県 けん
小 しょう 堰堤 えんてい
(琵琶湖 びわこ )
姉川 あねがわ
-
姉川 あねがわ ダム
80.8
6,500
重力 じゅうりょく 式 しき
滋賀 しが 県 けん
(琵琶湖 びわこ )
姉川 あねがわ
高時川 たかときがわ
丹生 たんじょう ダム
145.0
150,000
ロックフィル
水 みず 資源 しげん 機構 きこう
建設 けんせつ 中 ちゅう
(琵琶湖 びわこ )
芹川 せりかわ
水谷 みずたに 川 がわ
芹谷 せりだに ダム
58.0
12,600
重力 じゅうりょく 式 しき
滋賀 しが 県 けん
建設 けんせつ 中 ちゅう
(琵琶湖 びわこ )
犬上川 いぬかみがわ
-
犬上 いぬかみ ダム
45.0
4,500
重力 じゅうりょく 式 しき
土地 とち 改良 かいりょう 区 く
農林省 のうりんしょう 施工 しこう
(琵琶湖 びわこ )
宇曽川 うそがわ
-
宇曽川 うそがわ ダム
56.0
2,900
ロックフィル
滋賀 しが 県 けん
(琵琶湖 びわこ )
愛知 あいち 川 がわ
-
永源寺 えいげんじ ダム
68.0
22,741
複 ふく 合 ごう 式 しき
滋賀 しが 県 けん
農林省 のうりんしょう 施工 しこう
(琵琶湖 びわこ )
愛知 あいち 川 がわ
-
永源寺 えいげんじ 第 だい 二 に ダム
90.0
25,700
重力 じゅうりょく 式 しき
農林水産省 のうりんすいさんしょう
凍結 とうけつ 中 ちゅう
(琵琶湖 びわこ )
日野川 ひのかわ
-
蔵王 ざおう ダム
56.0
4,600
ロックフィル
農林水産省 のうりんすいさんしょう
(琵琶湖 びわこ )
日野川 ひのかわ
-
日野川 ひのかわ ダム
25.0
1,388
ロックフィル
滋賀 しが 県 けん
(琵琶湖 びわこ )
野洲川 やすがわ
-
野洲川 やすがわ ダム
58.7
8,500
重力 じゅうりょく 式 しき
農林水産省 のうりんすいさんしょう
再 さい 開発 かいはつ 中 ちゅう
(琵琶湖 びわこ )
野洲川 やすがわ
-
青土 おうづち ダム
43.5
7,300
ロックフィル
滋賀 しが 県 けん
(琵琶湖 びわこ )
野洲川 やすがわ
-
石部 いしべ 頭首 とうしゅ 工 こう
-
-
可動 かどう 堰 せき
農林水産省 のうりんすいさんしょう
(琵琶湖 びわこ )
石田川 いしだがわ
-
石田川 いしだがわ ダム
43.5
2,710
ロックフィル
滋賀 しが 県 けん
(琵琶湖 びわこ )
安曇川 あどがわ
北川 きたがわ
北川 きたがわ 第 だい 一 いち ダム
51.2
9,400
台形 だいけい CSG
滋賀 しが 県 けん
建設 けんせつ 中 ちゅう
(琵琶湖 びわこ )
安曇川 あどがわ
麻生 あそう 川 がわ
北川 きたがわ 第 だい 二 に ダム
62.3
9,200
台形 だいけい CSG
滋賀 しが 県 けん
凍結 とうけつ 検討 けんとう 中 ちゅう
大戸川 おおどかわ
-
-
大戸川 おおとがわ ダム
92.5
33,300
重力 じゅうりょく 式 しき
国土 こくど 交通省 こうつうしょう
建設 けんせつ 中 ちゅう
寒 さむ 谷川 たにがわ
-
-
喜撰山 きせんやま ダム
91.0
7,227
ロックフィル
関西電力 かんさいでんりょく
揚水 ようすい 発電 はつでん 用 よう ダム
桂川 かつらがわ
-
-
世 よ 木 き ダム
35.5
5,595
重力 じゅうりょく 式 しき
関西電力 かんさいでんりょく
桂川 かつらがわ
-
-
日吉 ひよし ダム
70.4
66,000
重力 じゅうりょく 式 しき
水 みず 資源 しげん 機構 きこう
木津川 きづがわ
-
-
大河原 おおかわら ダム
-
-
重力 じゅうりょく 式 しき
関西電力 かんさいでんりょく
小 しょう 堰堤 えんてい
木津川 きづがわ
前深瀬川 まえふかせがわ
-
川上 かわかみ ダム
91.0
33,000
重力 じゅうりょく 式 しき
水 みず 資源 しげん 機構 きこう
建設 けんせつ 中 ちゅう
木津川 きづがわ
伊 い 自 じ 岐川
滝川 たきがわ
滝川 たきがわ ダム
31.4
282
重力 じゅうりょく 式 しき
三重 みえ 県 けん
木津川 きづがわ
名張川 なばりがわ
-
比奈 ひな 知 ち ダム
73.5
45,000
重力 じゅうりょく 式 しき
水 みず 資源 しげん 機構 きこう
木津川 きづがわ 上流 じょうりゅう ダム群 ぐん
木津川 きづがわ
名張川 なばりがわ
-
高山 たかやま ダム
67.0
56,800
重力 じゅうりょく 式 しき アーチ
水 みず 資源 しげん 機構 きこう
木津川 きづがわ 上流 じょうりゅう ダム群 ぐん
木津川 きづがわ
名張川 なばりがわ
青蓮寺川 しょうれんじがわ
青蓮寺 しょうれんじ ダム
82.0
27,200
アーチ式 しき
水 みず 資源 しげん 機構 きこう
木津川 きづがわ 上流 じょうりゅう ダム群 ぐん
木津川 きづがわ
名張川 なばりがわ
宇陀川 うだがわ
宮奥 みやのおく ダム
39.5
580
重力 じゅうりょく 式 しき
奈良 なら 県 けん
木津川 きづがわ
名張川 なばりがわ
宇陀川 うだがわ
室生 むろう ダム
63.5
16,900
重力 じゅうりょく 式 しき
水 みず 資源 しげん 機構 きこう
木津川 きづがわ 上流 じょうりゅう ダム群 ぐん
木津川 きづがわ
遅瀬 おそせ 川 がわ
-
上津 かみづ ダム
63.5
6,100
重力 じゅうりょく 式 しき
農林水産省 のうりんすいさんしょう
木津川 きづがわ
布目 ぬのめ 川 がわ
-
布目 ぬのめ ダム
72.0
17,300
重力 じゅうりょく 式 しき
水 みず 資源 しげん 機構 きこう
木津川 きづがわ 上流 じょうりゅう ダム群 ぐん
木津川 きづがわ
白砂川 しらすなかわ
須川 すがわ
須川 すがわ ダム
31.5
797
アーチ式 しき
奈良 なら 市 し 水道局 すいどうきょく
神崎川 かんざきがわ
猪名川 いながわ
一庫 ひとくら 大路 おおじ 次 じ 川 かわ
一庫 ひとくら ダム
75.0
33,300
重力 じゅうりょく 式 しき
水 みず 資源 しげん 機構 きこう
神崎川 かんざきがわ
猪名川 いながわ
箕面 みのお 川 がわ
箕面 みのお 川 がわ ダム
47.0
2,000
ロックフィル
大阪 おおさか 府 ふ
神崎川 かんざきがわ
安威 あい 川 がわ
-
安威 あい 川 がわ ダム
82.5
22,900
ロックフィル
大阪 おおさか 府 ふ
建設 けんせつ 中 ちゅう
(注 ちゅう 1):黄色 おうしょく 欄 らん は建設 けんせつ 中 ちゅう ・再 さい 開発 かいはつ 中 ちゅう もしくは計画 けいかく 中 ちゅう のダム(2006年 ねん 現在 げんざい )。
(注 ちゅう 2):赤 あか 欄 らん は国土 こくど 交通省 こうつうしょう 、または嘉田 かだ 滋賀 しが 県知事 けんちじ が建設 けんせつ 凍結 とうけつ を表明 ひょうめい したダム。
(注 ちゅう 3):青 あお 欄 らん は木津川 きづがわ 上流 じょうりゅう ダム群 ぐん 。
宇治 うじ 浄水 じょうすい 場 じょう (京都 きょうと 府 ふ 宇治 うじ 市 し )
京都 きょうと 府営 ふえい 水道 すいどう の浄水 じょうすい 場 じょう 。天ヶ瀬 あまがせ ダム ・鳳凰 ほうおう 湖 こ より取水 しゅすい し水力 すいりょく 発電 はつでん (出力 しゅつりょく 43.83 kW)してから浄水 じょうすい 処理 しょり し、宇治 うじ 市 し ・城陽 じょうよう 市 し ・八幡 やはた 市 し ・久御山 くみやま 町 まち に供給 きょうきゅう している。
宇治田原 うじたわら 浄化 じょうか センター(京都 きょうと 府 ふ 宇治田原 うじたわら 町 まち )
東 ひがし 宇治 うじ 浄化 じょうか センター(京都 きょうと 府 ふ 宇治 うじ 市 し )
宇治 うじ 市 し 木幡 きばた にある下水 げすい 処理 しょり 場 じょう 。宇治 うじ 市 し 宇治川 うじがわ 右岸 うがん 地区 ちく の下水 げすい を処理 しょり して山科 やましな 川 がわ と宇治川 うじがわ へ排水 はいすい 。
石田 いしだ 水 みず 環境 かんきょう 保全 ほぜん センター(京都 きょうと 市 し 伏見 ふしみ 区 く )
京都 きょうと 市 し 伏見 ふしみ 区 く 醍醐 だいご 石田 いしだ にある京都 きょうと 市 し 上下水道 じょうげすいどう 局 きょく の下水 げすい 処理 しょり 場 じょう 。京都 きょうと 市 し 山科 やましな 区 く ・伏見 ふしみ 区 く 醍醐 だいご 地区 ちく のほか、宇治 うじ 市 し 六地蔵 ろくじぞう 地区 ちく の一部 いちぶ ・滋賀 しが 県 けん 大津 おおつ 市 し 藤尾 ふじお 小 しょう 金塚 かなづか 地区 ちく の下水 げすい を処理 しょり している。窒素 ちっそ をステップ流入 りゅうにゅう 式 しき 多段 ただん 硝化 しょうか 脱 だつ 窒法 で高度 こうど 処理 しょり して支流 しりゅう の山科 やましな 川 がわ へ排水 はいすい している。2013年 ねん 3月 がつ まで隣接 りんせつ する東部 とうぶ クリーセンター(石田 いしだ ゴミ焼却 しょうきゃく 処理 しょり 場 じょう )の廃棄 はいき 物 ぶつ 発電 はつでん で得 え た電力 でんりょく の供給 きょうきゅう を受 う けていたが、老朽 ろうきゅう 化 か でゴミ処理 しょり 場 じょう が廃止 はいし [23] され、現在 げんざい は沈殿 ちんでん 池 ち の上 うえ を太陽光 たいようこう 発電 はつでん パネルで覆 おお い太陽光 たいようこう 発電 はつでん をしている。
伏見 ふしみ 水 すい 環境 かんきょう 保全 ほぜん センター(京都 きょうと 市 し 伏見 ふしみ 区 く )
京都 きょうと 市 し 伏見 ふしみ 区 く 横大路 よこおおじ にある京都 きょうと 市 し 上下水道 じょうげすいどう 局 きょく の下水 げすい 処理 しょり 場 じょう 。ガス・コジェネレーション 設備 せつび を持 も ち通常 つうじょう の下水 げすい 処理 しょり の上 うえ にステップ流入 りゅうにゅう 式 しき 多段 ただん 硝化 しょうか 脱 だつ 窒法・嫌気 いやけ -好 こう 気 き 法 ほう ・オゾン処理 しょり の高度 こうど 処理 しょり で窒素 ちっそ リン色素 しきそ を除去 じょきょ してから宇治川 うじがわ に排水 はいすい している。
洛 らく 南 みなみ 浄化 じょうか センター (京都 きょうと 府 ふ 八幡 やはた 市 し )
宇治川 うじがわ と木津川 きづがわ との合流 ごうりゅう 部 ぶ にある京都 きょうと 府 ふ 最大 さいだい の下水 げすい 処理 しょり 場 じょう 。宇治川 うじがわ 以南 いなん の京都 きょうと 市 し 、宇治 うじ 市 し 、城陽 じょうよう 市 し 、八幡 やはた 市 し 、京田辺 きょうたなべ 市 し 、木津川 きづがわ 市 し 、久御山 くみやま 町 まち 、井手 いで 町 まち の下水 げすい をチッソリンを除去 じょきょ する高度 こうど 処理 しょり して木津川 きづがわ へ放流 ほうりゅう している。
樟葉 くずは 取水 しゅすい 場 じょう (大阪 おおさか 府 ふ 枚方 ひらかた 市 し )
淀川 よどがわ 左岸 さがん 流域 りゅういき 下水道 げすいどう 渚 なぎさ 水 すい みらいセンター (大阪 おおさか 府 ふ 枚方 ひらかた 市 し )
枚方 ひらかた 市 し 渚内野 なぎさうちの にある下水 げすい 処理 しょり 場 じょう 。枚方 ひらかた 市 し ・交野 かたの 市 し と京都 きょうと 府 ふ 八幡 やはた 市 し (一部 いちぶ )の下水 げすい を高度 こうど 処理 しょり して寝屋川 ねやがわ 市 し の石津 いしづ ポンプ場 じょう へ送水 そうすい して寝屋川 ねやがわ へ放流 ほうりゅう している。また一部 いちぶ の処理 しょり 水 すい は枚方 ひらかた 市 し 駅 えき や福祉 ふくし 会館 かいかん のトイレの洗浄 せんじょう 水 すい や空調 くうちょう 用 よう 熱源 ねつげん として再 さい 使用 しよう されている。下水 げすい 処理 しょり 場 じょう の上部 じょうぶ は「憩 いこ いの広場 ひろば 」としてせせらぎ散策 さんさく ゾーン・安 やす らぎの池 いけ ゾーンが整備 せいび されている。
磯島 いそじま 取水 しゅすい 場 じょう (大阪 おおさか 府 ふ 枚方 ひらかた 市 し )
淀川 よどがわ 右岸 うがん 流域 りゅういき 下水道 げすいどう 高槻 たかつき 水 すい みらいセンター (大阪 おおさか 府 ふ 高槻 たかつき 市 し )
高槻 たかつき 市 し 番田 ばんでん にある下水 げすい 処理 しょり 場 じょう 。島本 しまもと 町 まち ・高槻 たかつき 市 し ・茨木 いばらぎ 市 し の下水 げすい を高度 こうど 処理 しょり して茨木 いばらぎ 市 し の「中央 ちゅうおう 水 すい みらいセンター」から安威 あい 川 がわ へ放流 ほうりゅう している、上部 じょうぶ は汚泥 おでい 乾燥 かんそう の余熱 よねつ 利用 りよう の温水 おんすい プールや隣接 りんせつ する南大樋 みなみおおひ 公園 こうえん に処理 しょり 水 すい を使 つか った噴水 ふんすい やせせらぎ緑地 りょくち などが整備 せいび されている。
豊野 とよの 浄水 じょうすい 場 じょう (大阪 おおさか 府 ふ 寝屋川 ねやがわ 市 し )
大阪 おおさか 市 し 水道局 すいどうきょく の浄水 じょうすい 場 じょう 。
安威 あい 川 がわ 流域 りゅういき 下水道 げすいどう 中央 ちゅうおう 水 すい みらいセンター (大阪 おおさか 府 ふ 茨木 いばらぎ 市 し )
茨木 いばらぎ 市 し にある下水 げすい 処理 しょり 場 じょう 。窒素 ちっそ リンを除去 じょきょ する高度 こうど 処理 しょり 施設 しせつ を持 も ち、高槻 たかつき で下水 げすい 処理 しょり された処理 しょり 水 すい と一緒 いっしょ に安威 あい 川 がわ へ放流 ほうりゅう している。
庭 にわ 窪 くぼ 浄水 じょうすい 場 じょう (大阪 おおさか 府 ふ 守口 もりぐち 市 し )
阪神 はんしん 高速 こうそく 守口 もりぐち 線 せん を挟 はさ んで北側 きたがわ に大阪 おおさか 市 し 水道局 すいどうきょく の庭 にわ 窪 くぼ 浄水 じょうすい 場 じょう 。南側 みなみがわ に大阪 おおさか 広域 こういき 水道 すいどう 企業 きぎょう 団 だん の庭 にわ 窪 くぼ 浄水 じょうすい 場 じょう の2つの浄水 じょうすい 場 じょう が並立 へいりつ している。大阪 おおさか 府 ふ と大阪 おおさか 市 し の二 に 重 じゅう 行政 ぎょうせい の無駄 むだ の象徴 しょうちょう として統廃合 とうはいごう の計画 けいかく があったが頓挫 とんざ している。
一津屋 ひとつや 取水 しゅすい 場 じょう (大阪 おおさか 府 ふ 摂津 せっつ 市 し )
淀川 よどがわ と神崎川 かんざきがわ の分岐 ぶんき 点 てん にある浄水 じょうすい 用 よう 取水 しゅすい 口 こう 。大阪 おおさか 府 ふ ・大阪 おおさか 市 し および、神戸 こうべ 市 し ・尼崎 あまがさき 市 し ・伊丹 いたみ 市 し ・西宮 にしのみや 市 し ・芦屋 あしや 市 し (阪神 はんしん 水道 すいどう 企業 きぎょう 団 だん )の共同 きょうどう 施設 しせつ で、大阪 おおさか 広域 こういき 水道 すいどう 企業 きぎょう 団 だん 三島 みしま 浄水 じょうすい 場 じょう (大阪 おおさか 府 ふ 摂津 せっつ 市 し ・吹田 すいた 市 し )・柴島 くにじま 浄水 じょうすい 場 じょう (大阪 おおさか 市 し 東淀川 ひがしよどがわ 区 く ・大阪 おおさか 市 し 水道局 すいどうきょく )、園田 そのだ 排水 はいすい 場 じょう を経由 けいゆ して尼崎 あまがさき 市 し の神埼 かんざき 浄水 じょうすい 場 じょう ・西宮 にしのみや 市 し 中新田 なかにいだ 浄水 じょうすい 場 じょう へも水道 すいどう 原水 はらみず を供給 きょうきゅう しているほか、伊丹 いたみ 市 し の工業 こうぎょう 用水 ようすい にも利用 りよう されている。
海老江 えびえ 下水 げすい 処理 しょり 場 じょう (大阪 おおさか 市 し 福島 ふくしま 区 く ・此花 このはな 区 く )
淀川 よどがわ 河口 かこう にある大阪 おおさか 市 し の下水 げすい 処理 しょり 場 じょう 。下水道 げすいどう 科学 かがく 館 かん が併設 へいせつ されているほか、汚水 おすい から発生 はっせい するメタンガスを利用 りよう した発電 はつでん も行 おこな われている。周辺 しゅうへん には大野 おおの 下水 げすい 処理 しょり 場 じょう (西淀川 にしよどがわ 区 く )此花 このはな 下水 げすい 処理 しょり 場 じょう (此花 このはな 区 く )があり、淀川 よどがわ 支流 しりゅう に排水 はいすい している。
このほか京都 きょうと 府内 ふない の木津川 きづがわ には浄水 じょうすい 場 じょう 1箇所 かしょ 、下水 げすい 処理 しょり 場 じょう が2箇所 かしょ 。桂川 かつらがわ には浄水 じょうすい 場 じょう 2箇所 かしょ 、下水 げすい 処理 しょり 場 じょう が11箇所 かしょ 。西高 にしこう 瀬川 せかわ に下水 げすい 処理 しょり 場 じょう が1箇所 かしょ ある。
琵琶湖 びわこ からの「瀬田川 せたがわ 」流出 りゅうしゅつ 口 こう 彼方 かなた に見 み える橋 はし は近江 おうみ 大橋 おおはし
瀬田川 せたがわ ・唐橋 からはし
宇治川 うじがわ 、橘 たちばな 島 とう と塔 とう の島 とう
なお、御幸 みゆき 橋 きょう と枚方 ひらかた 大橋 おおはし の間 あいだ に大阪 おおさか 府 ふ 道 どう 17号 ごう 枚方 ひらかた 高槻 たかつき 線 せん の橋 はし として、高槻 たかつき 大橋 おおはし (仮称 かしょう )を穂 ほ 谷川 たにがわ 合流 ごうりゅう 付近 ふきん に架橋 かきょう する予定 よてい があるが、建設 けんせつ の目処 めど は立 た っていない。また御幸 みゆき 橋 きょう の下流 かりゅう には豊臣 とよとみ 政権 せいけん の時代 じだい まで山崎 やまざき 橋 きょう [注釈 ちゅうしゃく 10] が架 か かっていたが失 うしな われ、その後 ご 1962年 ねん まで渡船 とせん が運行 うんこう されていた。
瀬田川 せたがわ 宇治川 うじがわ 淀川 よどがわ 新淀川 しんよどがわ
カテゴリ
淀川 よどがわ の大阪 おおさか 府内 ふない の河川敷 かせんしき では、野球 やきゅう やサッカーなどのチームが、国土 こくど 交通省 こうつうしょう 淀川 よどがわ 河川 かせん 事務所 じむしょ に無断 むだん でバックネット やベンチ などを設置 せっち し、グラウンド として長年 ながねん に亘 わた り使用 しよう していた。河川 かせん 法 ほう に違反 いはん するため、同 どう 事務所 じむしょ は再三 さいさん に亘 わた り撤去 てっきょ を要請 ようせい してきたが、チーム関係 かんけい 者 しゃ の抵抗 ていこう で進 すす んでいなかった。しかし2019年 ねん 以降 いこう に豪雨 ごうう 災害 さいがい が相次 あいつ いだ影響 えいきょう もあって、これらのチームのうち計 けい 33チームが、2021年 ねん 3月 がつ までにバックネットなどを撤去 てっきょ する方針 ほうしん であることが明 あき らかになった[24] 。
^ 観月橋 かんげつきょう の南 みなみ のたもとに淀川 よどがわ 維持 いじ 區域 くいき 標 しるべ の石柱 せきちゅう が、大津 おおつ 市 し 晴嵐 せいらん 1丁目 ちょうめ の琵琶湖 びわこ 岸 がん に琵琶湖 びわこ と瀬田川 せたがわ (淀川 よどがわ )とを区別 くべつ する河川 かせん 管理 かんり 境界 きょうかい 標 しるべ が建 た てられている。
^ 古代 こだい には淀川 よどがわ ・大和川 やまとがわ ともに河内 かわち 湖 こ (草香江 くさがえ 、歴史 れきし をさらにさかのぼると河内 かわち 湾 わん )に流入 りゅうにゅう していた。
^ ただし地名 ちめい としての瀬田 せた は、明治 めいじ 時代 じだい になって瀬田 せた 村 むら が成立 せいりつ した際 さい に初 はじ めて現 あらわ れた。一般 いっぱん 的 てき には瀬田 せた は瀬戸 せと が転化 てんか したものであるとされ(世田谷 せたがや 区 く の瀬田 せた も同様 どうよう )、両側 りょうがわ を山 やま に挟 はさ まれていることから地形 ちけい 由来 ゆらい で瀬田 せた の名前 なまえ が付 つ いたと推測 すいそく される。
^ 大越 おおこし のこの功績 こうせき を讃 たた え、1905年 ねん (明治 めいじ 38年 ねん )、石山寺 いしやまでら 境内 けいだい に記念 きねん 碑 ひ が建立 こんりゅう されている。
^ なお、水質 すいしつ は「(きれい)貧 ひん 腐 くさ 水性 すいせい ・β べーた -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい ・α あるふぁ -中 ちゅう 腐 くさ 水性 すいせい ・強 つよ 腐 くさ 水性 すいせい (汚 きたな い)」となる。
^ 琵琶湖 びわこ 疏水 そすい の行先 ゆくさき は複数 ふくすう あるが、ここでは旧 きゅう 高瀬川 たかせがわ に流入 りゅうにゅう するものを指 さ して言 い っている。
^ 山名 やまな 川 がわ ・琵琶湖 びわこ 疏水 そすい ・新 しん 高瀬川 たかせがわ が合流 ごうりゅう
^ 桂川 かつらがわ ・木津川 きづがわ 合流 ごうりゅう
^ 芥川 あくたがわ 合流 ごうりゅう
^ 山崎 やまざき 太郎 たろう とも呼 よ ばれ、瀬田 せた の唐橋 からはし (勢多 せた 次郎 じろう )、宇治橋 うじばし (宇治 うじ 三郎 さぶろう )とともに日本 にっぽん 三 さん 古橋 ふるはし の一 ひと つに数 かぞ えられる。
ウィキメディア・コモンズには、淀川 よどがわ に関 かん するカテゴリがあります。
淀川 よどがわ - 国土 こくど 交通省 こうつうしょう 水 すい 管理 かんり ・国土 こくど 保全 ほぜん 局 きょく
淀川 よどがわ 水系 すいけい - 国土 こくど 交通省 こうつうしょう 近畿 きんき 地方 ちほう 整備 せいび 局 きょく
淀川 よどがわ 概要 がいよう と歴史 れきし - 国土 こくど 交通省 こうつうしょう 近畿 きんき 地方 ちほう 整備 せいび 局 きょく 淀川 よどがわ 河川 かせん 事務所 じむしょ
淀川 よどがわ を知 し る - 国土 こくど 交通省 こうつうしょう 近畿 きんき 地方 ちほう 整備 せいび 局 きょく 淀川 よどがわ ダム統合 とうごう 管理 かんり 事務所 じむしょ
2001
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう
2002
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう
2003
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 特別 とくべつ 賞 しょう
2004
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう
2005
2006
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう
2007
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう
2008
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう 選考 せんこう 委員 いいん 会 かい 特別 とくべつ 賞 しょう
2009
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2010
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう 特別 とくべつ 賞 しょう
2011
2012
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2013
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2014
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2015
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2016
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2017
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2018
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2019
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2020
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2021
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2022
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう
2023
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 奨励 しょうれい 賞 しょう