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淀川よどがわ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
淀川よどがわ
淀川 2002年12月撮影
淀川よどがわ大阪おおさか都島みやこじま上空じょうくう
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 淀川よどがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 75.1 km
平均へいきん流量りゅうりょう 163 m³/s
枚方ひらかた観測かんそくしょ1952ねん - 2002ねん
流域りゅういき面積めんせき 8,240 km²
水源すいげん 琵琶湖びわこ滋賀しがけん
水源すいげん標高ひょうこう -- m
河口かこう合流ごうりゅうさき 瀬戸内海せとないかい大阪おおさかわん
流域りゅういき 日本の旗 日本にっぽん
滋賀しがけん京都きょうと大阪おおさか
兵庫ひょうごけん奈良ならけん三重みえけん

地図

地図
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JAL機上きじょうから2022/07/24撮影さつえい

淀川よどがわ(よどがわ)は、大阪おおさかわんそそ日本にっぽん一級いっきゅう河川かせん滋賀しがけん京都きょうとおよび大阪おおさかながれる淀川よどがわ水系すいけい本流ほんりゅうである。琵琶湖びわこからなが唯一ゆいいつ河川かせんである瀬田川せたがわ(せたがわ)が宇治川うじがわ(うじがわ)、淀川よどがわ名前なまええる。りゅう延長えんちょう75.1 km、流域りゅういき面積めんせき8,240km2。なお、先述せんじゅつりゅう延長えんちょう琵琶湖びわこ南端なんたんよりの延長えんちょうであり、河口かこうからもっととお地点ちてん滋賀しがけん福井ふくいけん分水嶺ぶんすいれいである栃ノ木峠とちのきとうげであり、淀川よどがわみなもと石碑せきひ設置せっちされている[1]敦賀つるがえきよりきた位置いちするこの場所ばしょ琵琶湖びわこ流入りゅうにゅうする河川かせん高時川たかときがわ水源すいげんであり、そこからの河口かこうまでの直線ちょくせん距離きょりやく130km、りゅう延長えんちょう換算かんさんするとやく170kmとなる。

瀬戸内海せとないかい流入りゅうにゅうする河川かせんなか流域りゅういき面積めんせきもっとひろく、流域りゅういき人口じんこう西日本にしにほんもっとおおい。また琵琶湖びわこ流入りゅうにゅうする河川かせん木津川きづがわなどをふくめた淀川よどがわ水系すいけい全体ぜんたいささえかわかずは965ほん日本一にっぽんいちおおい。だい2信濃川しなのがわ(880ほん)、だい3利根川とねがわ(819ほん)となっている。

地理ちり

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大阪おおさか大阪おおさか淀川よどがわ、またその周辺しゅうへん都市とし衛星えいせい写真しゃしん

大津おおつ琵琶湖びわこからながる。ここでは瀬田川せたがわばれる。京都きょうとはいあたりで宇治川うじがわえ、さらに京都きょうと大阪おおさか境界きょうかい付近ふきん大山崎おおやまざきまち桂川かつらがわ木津川きづがわ合流ごうりゅうする。この合流ごうりゅう地点ちてんより下流かりゅう狭義きょうぎでの淀川よどがわとなる。その大阪平野おおさかへいやをおおむね南西なんせいながれ、大阪おおさか大阪おおさかわんそそぐ。都島みやこじま付近ふきんきゅう淀川よどがわ分流ぶんりゅうし、以降いこう本流ほんりゅう新淀川しんよどがわしょうする場合ばあいもある。きゅう淀川よどがわ大川おおかわ堂島どうじまがわ安治川あじがわ名前なまええて大阪おおさかわんそそぐ。

なお、河川かせんほううえでは琵琶湖びわこ淀川よどがわ水源すいげんとしている。したがって、琵琶湖びわこより流出りゅうしゅつする瀬田川せたがわ宇治川うじがわ法律ほうりつじょうでは淀川よどがわ本流ほんりゅうである[2][注釈ちゅうしゃく 1]。また、琵琶湖びわこそそすべての河川かせんも、水系すいけいでは淀川よどがわ水系すいけいとしてあつかわれる。さらに、かわ分流ぶんりゅう)である神崎川かんざきがわ合流ごうりゅうする安威あいがわ猪名川いながわなどの河川かせん淀川よどがわ水系すいけいとして包括ほうかつされる。

江戸えど時代じだいまでは大和やまとがわ淀川よどがわ合流ごうりゅうしていたが[注釈ちゅうしゃく 2]によって本流ほんりゅう分離ぶんりされ、現在げんざい独立どくりつした水系すいけいとしてあつかわれている。ただし、大和やまとがわきゅう本流ほんりゅうである長瀬川ながせがわ、および平野川ひらのかわ現在げんざいでも大和やまとがわから分流ぶんりゅうし、だい寝屋川ねやがわ寝屋川ねやがわきゅう淀川よどがわ合流ごうりゅうしている。

大阪おおさか市域しいきうみちかいため地下水ちかすいには塩気しおけがあり、江戸えど時代じだいには淀川よどがわみず飲料いんりょうすいとして使つかわれた[3]。2001ねん時点じてんでは、みず環境かんきょう研究けんきゅうしゃ目線めせんえば大阪おおさかみず京都きょうとみずおなじくまずいみず最右翼さいうよくはいるとされているが、天明てんめい年間ねんかんなど江戸えど時代じだいにはみずきょう大坂おおさかかともてはやされていた[4]

名前なまえ由来ゆらい

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瀬田川せたがわ」は瀬田せた[注釈ちゅうしゃく 3]、「宇治川うじがわ」は宇治うじ、「淀川よどがわ」はきょむく出口でぐちにあるよどみかわゆるんでできたよどみを意味いみ[5]など、沿岸えんがん地名ちめい由来ゆらいする。

淀川よどがわ開発かいはつ

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為政者いせいしゃ治水ちすい利水りすい

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淀川よどがわ流域りゅういき古来こらい日本にっぽん政治せいじ文化ぶんか経済けいざい中心ちゅうしんとしてきわめて重要じゅうよう位置いちめていた。それ仁徳天皇にんとくてんのう時代じだいいばらつつみ建設けんせつはじまり河川かせん整備せいびかえされたが、洪水こうずい度々たびたびきた。

奈良なら時代じだいから戦国せんごく時代じだいにかけて

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奈良なら時代じだい僧侶そうりょ行基ぎょうきは、琵琶湖びわこ周辺しゅうへん浸水しんすい被害ひがいふせぐためにはよりおおくの湖水こすい唯一ゆいいつ流出りゅうしゅつ河川かせんである瀬田川せたがわなが必要ひつようがあるとかんがえ、瀬田川せたがわ沿いにあるちいさなやま掘削くっさくすることをこころみた。このやまかわおおきくしているために瀬田川せたがわ川幅かわはばきゅうせまくなる箇所かしょがあり、上流じょうりゅう豪雨ごうう見舞みまわれるとみずめて上流じょうりゅう洪水こうずいをもたらすことが頻繁ひんぱんこっていたためである。結局けっきょく行基ぎょうきやま掘削くっさくすることで下流かりゅう氾濫はんらんすることをおそれて計画けいかく断念だんねん。さらにやまけずることを諫めるために大日如来だいにちにょらいまつり、「やまをつけるとたたりがこる」とのいいつたえをのこした。2017ねん現在げんざい大日だいにちさん」とばれているこのやまは、1901ねんに「明治めいじ29ねん琵琶湖びわこ洪水こうずい水害すいがい」を契機けいきとする淀川よどがわ水系すいけい治水ちすい工事こうじられ、瀬田川せたがわながれは増大ぞうだいした[6][7][8]

平安へいあん時代じだい末期まっき白河しらかわ法皇ほうおうは、のままにならぬ「天下てんかさん不如意ふにょい」として比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ僧兵そうへい双六すごろく博打ばくちさいならんで、淀川よどがわ上流じょうりゅうである鴨川かもがわ治水ちすいげた。

戦国せんごく時代じだい全国ぜんこく統一とういつした豊臣とよとみ秀吉ひでよし晩年ばんねん伏見ふしみきょうつすにたり、宇治川うじがわきょむく)の改修かいしゅうおこなった。そのおもなものは、槇島まきしまつつみきずくことで京都きょうと盆地ぼんち南部なんぶなが宇治川うじがわながれをきょむく直接ちょくせつながかたちから、現在げんざいのような伏見ふしみへのながれにえたことである。このことにより宇治川うじがわ桃山ももやま丘陵きゅうりょうきずかれた伏見ふしみじょうそとほり役目やくめになうことになるとともに、水位すいいがったことにより伏見ふしみ城下じょうかみなとひらくことを可能かのうにした。またよどみつつみ伏見ふしみよどみあいだ宇治川うじがわ右岸うがんきずき、伏見ふしみよどみつな街道かいどうとするとともにながれを安定あんていさせた(太閤たいこうつつみ)。下流かりゅう左岸さがんにはやはりぶんろくつつみきずかれ、よどみつつみむすぶことにより京都きょうと大坂おおさかむす街道かいどうとなった。これにより、伏見ふしみ交通こうつう要衝ようしょうとしてさかえることになった。

江戸えど時代じだい

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京都きょうと名所めいしょうち 淀川よどがわ
長柄ながえさんとう浪花なみはなひゃくけい
1800年代ねんだい歌川うたがわこくいん/

江戸えど時代じだい徳川とくがわ家康いえやすいのちにより方広寺ほうこうじ大仏殿だいぶつでんきょう大仏だいぶつ造営ぞうえいのための資材しざい運搬うんぱん鴨川かもがわもちいてったすみくらりょう与一よいち親子おやこは、恒久こうきゅうてき運河うんがとして高瀬川たかせがわ開削かいさく京都きょうとへの水運すいうん整備せいびおこない、物流ぶつりゅう発展はってんさせた。大坂おおさかにおいては道頓堀どうとんぼり開削かいさくされ、大坂おおさかなつじん荒廃こうはいした市中しちゅう再建さいけんすすめられるなかで、水運すいうん橋梁きょうりょう整備せいびすすんだ。大坂おおさか江戸えどの「はちひゃくはちまち」にたいし「はちひゃくはちきょう」とうたわれた。さらに農業のうぎょう技術ぎじゅつ進歩しんぽ江戸えど幕府ばくふによる新田にった開発かいはつ奨励しょうれいなかで、宇治うじにあるきょむく干拓かんたくはじまった。経済けいざい活発かっぱつになると、薪炭しんたん採取さいしゅ新田にった開発かいはつすす流域りゅういき伐採ばっさいすすんだ。森林しんりん喪失そうしつは、山間さんかんからの土砂どしゃ流入りゅうにゅうまねき、氾濫はんらんなどの原因げんいんとなる河床かしょう上昇じょうしょうすすんだ。このため幕府ばくふ1660ねん山城やましろこく大和やまとこく伊賀いがこく樹木じゅもく根株ねかぶ採掘さいくつきんずるれいした。くわえて1666ねんには、全国ぜんこくばんというべき諸国しょこく山川やまかわおきてはっしているが、それでも土砂どしゃ流入りゅうにゅうおさまらなかった。

江戸えど時代じだい瀬田川せたがわ浚渫しゅんせつは、まず1670ねん琵琶湖びわこ沿岸えんがんむら々の嘆願たんがんけて、国益こくえきとしておこなわれている。1683ねんには稲葉いなばただしきゅう河村かわむらみずほけんによる現地げんち視察しさつおこなわれ、稲葉いなば失脚しっきゃくした[よう出典しゅってん]よく1684ねん河村かわむらによる河川かせん改修かいしゅう工事こうじおこなわれた[9]。さらに、1699ねんには「河村かわむらみずほけんだい普請ふしん」とばれるだい工事こうじおこなわれている[10]

1733ねんにも瀬田川せたがわ流域りゅういき住民じゅうみん浚渫しゅんせつねがているが、京都きょうと大阪おおさか住民じゅうみんだい洪水こうずいこうむると反発はんぱつし、幕府ばくふ下流かりゅう地域ちいき治水ちすい舟運しゅううんへの影響えいきょうやまた浅瀬あさせ軍事ぐんじてき重要じゅうようかわであることを考慮こうりょし、普請ふしんであってもこれを許可きょかしなかった。根強ねづよ陳情ちんじょうにもかかわらず幕府ばくふ反応はんのうしなかったため、住民じゅうみんしじみりとしょうして川底かわぞこるなど幕府ばくふ翻弄ほんろうし、結果けっか住民じゅうみん不満ふまんおさえるため、このしじみりはかわさらえとおな効果こうかがあるとして元禄げんろく年間ねんかんから明治めいじ元年がんねんまで免税めんぜいけることになった。また、1737ねんには小規模しょうきぼ浚渫しゅんせつみとめられたが、一時いちじてき疎通そつう能力のうりょく改善かいぜんする程度ていど効果こうかしかなかった[10]

その高島たかしまぐん深溝ふかみぞむら庄屋しょうや藤本ふじもと太郎たろう兵衛ひょうえが177むら意見いけんまとめ、ぐん役所やくしょ陳情ちんじょうし、また下流かりゅう宇治川うじがわ淀川よどがわ沿岸えんがんむら々ともはないをかさね、その結果けっか1785ねん普請ふしんでの浚渫しゅんせつ許可きょかることができた。しかしこの浚渫しゅんせつは1737ねんのものと同様どうよう小規模しょうきぼなものであり、しばらくつとふたた土砂どしゃ堆積たいせきすることとなった。そのため藤本ふじもと太郎たろう兵衛ひょうえよんだいわた努力どりょくかさね、下流かりゅうやく300むら同意どういけるなどし、結果けっか河村かわむらみずほけんだい普請ふしん以来いらいとなるだい規模きぼ浚渫しゅんせつ工事こうじが、大津おおつ代官だいかんしょ管理かんりした1831ねん開始かいしされた。この工事こうじ琵琶湖びわこ沿岸えんがん300むらによる普請ふしんであったため、農民のうみんおも経済けいざい負担ふたんせられた[11]。なおこのあいだ1807ねん5がつには、大雨おおあめにより琵琶湖びわこみずあふれ、京都きょうと大坂おおさか洪水こうずいをもたらしたと、大坂おおさか画家がか暁鐘ぎょうしょうなりは『くもにしき随筆ずいひつ』にしるしている[12]

近代きんだい淀川よどがわ改修かいしゅう事業じぎょう

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明治めいじ時代じだい東京とうきょう奠都てんとおこなわれたのちさびれてしまった京都きょうと産業さんぎょう復興ふっこう上水道じょうすいどう灌漑かんがい水運すいうん水車みずぐるま動力どうりょく確保かくほはかるべく、京都きょうと府知事ふちじ北垣きたがき国道こくどうは1885ねん明治めいじ18ねん)、こうだい学校がっこうげん東京大学とうきょうだいがく工学部こうがくぶそつわか技師ぎし田辺たなべさくろうとも琵琶湖びわこからの取水しゅすい計画けいかく推進すいしん日本にっぽんはじめての竪坑たてこうもちいたトンネル開削かいさくなどのなん工事こうじ1890ねん明治めいじ23ねん)に琵琶湖びわこ疏水そすい完成かんせいさせ、日本にっぽんはつ水力すいりょく発電はつでんところであるうわ発電はつでんしょ運用うんよう開始かいし京都きょうと日本にっぽんはつ路面ろめん電車でんしゃ開業かいぎょうもたらした。1908ねん明治めいじ41ねん)には琵琶湖びわこだい2疏水そすい建設けんせつはじまり1912ねん明治めいじ45ねん完成かんせいした。水力すいりょく発電はつでんしょはこののち淀川よどがわ本川ほんがわ宇治川うじがわ〕に志津川しづがわダム建設けんせつされた。

治水ちすい事業じぎょうかんしては、きゅう内務省ないむしょうにより招聘しょうへいされたG.A.エッセルヨハニス・デ・レーケのち内務省ないむしょうみことのり任官にんかん技術ぎじゅつ顧問こもん)により砂防さぼう工事こうじはじめとする事業じぎょう着手ちゃくしゅされた。とく砂防さぼう事業じぎょう日本にっぽんにおける近代きんだい砂防さぼう工事こうじ原点げんてんともなっている。現在げんざいでも滋賀しがけん中心ちゅうしん砂防さぼう堰堤えんてい遺構いこうのこされている。その淀川よどがわ内務省ないむしょうによる直轄ちょっかつ改修かいしゅう河川かせん指定していされ、以後いごすうにわたるだい規模きぼ河川かせん改修かいしゅう実施じっしされた。

1890ねん明治めいじ23ねん)には、同年どうねん完成かんせいした瀬田川せたがわ鉄橋てっきょう橋脚きょうきゃく水流すいりゅう阻害そがいしているとかんがえた滋賀しが県内けんない有志ゆうしにより琵琶湖びわこ水利すいり委員いいん同盟どうめい結成けっせいされ、橋脚きょうきゃく撤去てっきょ請願せいがん退しりぞけられたのち瀬田川せたがわ浚渫しゅんせつ請願せいがんおこなうようになる[13]。これにたいし、1885ねん明治めいじ18ねん)の淀川よどがわ洪水こうずいおおきな被害ひがいけており、工事こうじによって洪水こうずい危険きけんせいがよりたかまるとかんがえた下流かりゅう摂津せっつ河内かわうち11ぐん有志ゆうしは「淀川よどがわ改修かいしゅう期成きせい同盟どうめい」を組織そしきして浚渫しゅんせつ工事こうじもう反発はんぱつした[14]。1891ねん明治めいじ24ねん)から翌年よくねんにかけ、滋賀しがけん大越おおこしとおる知事ちじ内務ないむ大臣だいじん瀬田川せたがわ浚渫しゅんせつすうにわたり陳情ちんじょう、1893ねん明治めいじ26ねん)には部分ぶぶんてき浚渫しゅんせつ実施じっしされた[注釈ちゅうしゃく 4][13]

1885ねん淀川よどがわ洪水こうずいのちには、大阪おおさかによる度重たびかさなる淀川よどがわ改修かいしゅう要請ようせいおこなわれている。これらをけての1889ねん明治めいじ22ねん)から1897ねん明治めいじ30ねん)の淀川よどがわ改良かいりょう工事こうじでは、瀬田川せたがわあらいせき南郷なんごうあらいせき)の建設けんせつによる琵琶湖びわこ水位すいい調節ちょうせつ中流ちゅうりゅうでは伏見ふしみ-よどみあいだ宇治川うじがわかわどうづけかえ桂川かつらがわ木津川きづがわかわどうえて合流ごうりゅう地点ちてんよどみ付近ふきんから下流かりゅうよりの現在地げんざいちへの移設いせつ新淀川しんよどがわ開鑿かいさく工事こうじだい規模きぼ事業じぎょうとして名高なだかい。瀬田川せたがわあらいせき1904ねん明治めいじ37ねん)、瀬田川せたがわ流下りゅうか能力のうりょく増大ぞうだいによる琵琶湖びわこほとりおよび瀬田川せたがわ下流かりゅう洪水こうずい調節ちょうせつ目的もくてき建設けんせつされた。一方いっぽうしん淀川よどがわ開鑿かいさくであるが、従来じゅうらい淀川よどがわ河口かこう大川おおかわ中津なかつがわ神崎川かんざきがわの3河川かせん分流ぶんりゅうして大阪おおさかわんそそいでいた。中津川なかつがわりゅう利用りようして1つの放水ほうすいにまとめ、毛馬けまあらいせき建設けんせつして大川おおかわせきから分流ぶんりゅう神崎川かんざきがわ一津屋ひとつやといもんより分流ぶんりゅうさせて現在げんざいかたちとした[15]。また、舟運しゅううん発達はったつしていること考慮こうりょ毛馬けま伝法でんぼう閘門を建設けんせつして舟運しゅううん円滑えんかつさせた。この新淀川しんよどがわ開削かいさく工事こうじ1910ねん明治めいじ43ねん)に完成かんせい多数たすう住民じゅうみん移転いてん余儀無よぎなくされたが古来こらいよりつづけられた淀川よどがわ河口かこう治水ちすい事業じぎょうがこれにて完結かんけつした。この修築しゅうちく工事こうじ指揮しきした内務省ないむしょう技官ぎかん沖野おきの忠雄ただおのちにその手腕しゅわんわれて石狩川いしかりがわ治水ちすい事務所じむしょちょうとなり、石狩川いしかりがわ本川ほんがわささえかわとし水路すいろ事業じぎょう展開てんかい蛇行だこうした石狩川いしかりがわ直線ちょくせんしているがそのノウハウは淀川よどがわつちかわれている。

淀川よどがわ改良かいりょうともな中津なかつがわはいがわとなったため、1897ねん明治めいじ30ねん大道だいどうむらほか13カ村かそんにより普通ふつう水利すいり組合くみあい設置せっちされ、かわ右岸うがんたる大道だいどうむら大字だいじきた大道だいどうさんせんげん東淀川ひがしよどがわ南江口みなみえぐち3丁目ちょうめ)にといもうけられ農業のうぎょう用水ようすい取水しゅすいされた(さんせんとい[16][17]

さんせんとい

1917ねん大正たいしょう6ねん)9がつまつから10がつにかけての「大正大たいしょうだい水害すいがい」をけ1918-1932ねんにかけて背割せわつつみ築造ちくぞう宇治川うじがわ右岸うがん観月橋かんげつきょう-三栖みす築堤ちくてい建設けんせつ伏見ふしみこうへのさん栖閘もん建設けんせつされた。 しかし1930ねん昭和しょうわ5ねん)7がつ台風たいふう災害さいがい[18]、1934ねん昭和しょうわ9ねん)9がつ室戸むろと台風たいふう、1935ねん昭和しょうわ10ねん)6がつと8がつ京都大きょうとだい水害すいがいつづけに水害すいがい見舞みまわれ再度さいど堤防ていぼうかさげが計画けいかくされ、戦争せんそうによる中断ちゅうだんもあったが1954ねん昭和しょうわ29ねん)に完工かんこうした。

また中流ちゅうりゅうではきょむく干拓かんたく主要しゅよう事業じぎょうとなった。前記ぜんき伏見ふしみよどみあいだ宇治川うじがわかわどうづけかえかやとうつつみとう新堤しんづつみ築造ちくぞう大池おおいけ排水はいすいといもん新築しんちくなどによる河川かせん改良かいりょう工事こうじおこなわれ、宇治川うじがわきょむく分離ぶんりされた。流水りゅうすい途絶とぜつによってきょむく水質すいしつ悪化あっか漁獲ぎょかくだか減少げんしょう伝染でんせんびょう流行りゅうこうなどがこったこともあり、1933ねん昭和しょうわ8ねん)から1941ねん昭和しょうわ16ねん)におこなわれた国営こくえい干拓かんたく事業じぎょうによって完全かんぜん農地のうちされ、太古たいこから京都きょうと盆地ぼんち存在そんざいしたきょむく姿すがたした。さらに流域りゅういき急速きゅうそく人口じんこう増加ぞうか産業さんぎょう地域ちいき拡充かくじゅう対応たいおうすべく1935ねん昭和しょうわ10ねん)より内務省ないむしょうによる河水こうすい統制とうせい事業じぎょうとして『淀川よどがわだいいち河水こうすい統制とうせい事業じぎょう』が手掛てがけられた。この事業じぎょうでは従来じゅうらい治水ちすい目的もくてきとして瀬田川せたがわ浚渫しゅんせつ大戸川おおどかわ工事こうじ瀬田川せたがわ狭窄きょうさくであるせき地点ちてん岩盤がんばん掘削くっさくほか利水りすい目的もくてきとして琵琶湖びわこ疏水そすい取水しゅすいこう揚水ようすいじょうと閘門を建設けんせつして疏水そすい流入りゅうにゅうりょう強化きょうかし、水力すいりょく発電はつでん上水道じょうすいどう供給きょうきゅう確保かくほした。だが、戦時せんじでもあるため河水こうすい統制とうせい事業じぎょうのようにダムによる河川かせん開発かいはつおこなわれず、既存きそん施設しせつ利用りようしたゆるやかな事業じぎょうであった。

淀川よどがわ水系すいけい改修かいしゅう基本きほん計画けいかく

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終戦しゅうせん各地かくち台風たいふう集中しゅうちゅう豪雨ごううによる記録きろくてき災害さいがいこったが、淀川よどがわ水系すいけいでも例外れいがいではなかった。とく1953ねん昭和しょうわ28ねん)の台風たいふう13ごうによる水害すいがい淀川よどがわ過去かこ最大さいだい洪水こうずいこし、琵琶湖びわこ沿岸えんがん宇治川うじがわ流域りゅういき中心ちゅうしん甚大じんだい被害ひがいしょうじた。敗戦はいせん経済けいざい状況じょうきょうをさらに悪化あっかさせるこれら水害すいがい根本こんぽんてき対策たいさく不可欠ふかけつ経済けいざい安定あんてい本部ほんぶは、諮問しもん機関きかんである河川かせん審議しんぎかい1949ねん昭和しょうわ24ねん)、利根川とねがわ北上川きたかみがわ筑後川ちくごがわなど全国ぜんこく主要しゅよう10水系すいけい対象たいしょうに『河川かせん改訂かいてい改修かいしゅう計画けいかく』を策定さくていした。この10水系すいけいなか淀川よどがわ水系すいけい当然とうぜんはいっており、1954ねん昭和しょうわ29ねん)に『淀川よどがわだいいち河水こうすい統制とうせい事業じぎょう』を大幅おおはば改定かいていした『淀川よどがわ水系すいけい改修かいしゅう基本きほん計画けいかく』がまとめられた。

建設省けんせつしょう近畿きんき地方ちほう建設けんせつきょくげん国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょく)は琵琶湖びわこふくめた淀川よどがわ流域りゅういき河川かせん総合そうごう開発かいはつ事業じぎょうを、台風たいふう13ごう水害すいがい基準きじゅんにした洪水こうずい調節ちょうせつ計画けいかくとした。このなか淀川よどがわ水系すいけいにおいてもはじめて多目的たもくてきダムによる洪水こうずい調節ちょうせつ計画けいかくされた。淀川よどがわ本川ほんがわ宇治川うじがわ)では瀬田川せたがわあらいせき改修かいしゅうくわ志津川しづがわダム下流かりゅう天ヶ瀬あまがせダム建設けんせつ計画けいかく木津川きづがわ流域りゅういきでは支流しりゅう名張川なばりがわ月ヶ瀬つきがせダム(高山たかやまダム)を建設けんせつ淀川よどがわ木津川きづがわ洪水こうずい調節ちょうせつ目論もくろんだ。天ヶ瀬あまがせダムは上流じょうりゅう滋賀しがけん琵琶湖びわこ開発かいはつとのがらみで県議会けんぎかい建設けんせつ反対はんたい決議けつぎ採択さいたくなどをおこな反対はんたいし、下流かりゅう京都きょうとなどとの事業じぎょう調整ちょうせい難航なんこうしたが1964ねん昭和しょうわ39ねん)に完成かんせいした。のちちかくに建設けんせつされた喜撰山きせんやまダム関西電力かんさいでんりょく株式会社かぶしきがいしゃ)と揚水ようすい発電はつでんおこない、近畿きんき有数ゆうすう水力すいりょく発電はつでんしょ喜撰山きせんやま発電はつでんしょ誕生たんじょうしている。なお、天ヶ瀬あまがせダム建設けんせつともな志津川しづがわダムは水没すいぼつした。

天ヶ瀬あまがせダム完成かんせいもって『淀川よどがわ水系すいけい改修かいしゅう基本きほん計画けいかく』にもとづく河川かせん総合そうごう開発かいはつ一応いちおう完成かんせいたが、流域りゅういき急激きゅうげき宅地たくち従来じゅうらい洪水こうずいつねかさね地帯ちたいであった場所ばしょにも宅地たくち進出しんしゅつし、治水ちすい安全あんぜん低下ていかまねいた。このためあらたな治水ちすい対策たいさく要望ようぼうされ1971ねん昭和しょうわ46ねん)に建設省けんせつしょうは『淀川よどがわ水系すいけい工事こうじ実施じっし基本きほん計画けいかく』を策定さくてい。このなかスーパー堤防ていぼう導入どうにゅう長柄ながら可動かどうせき改築かいちく計画けいかく木津川きづがわ流域りゅういき桂川かつらがわ流域りゅういき神崎川かんざきがわ流域りゅういきにおける多目的たもくてきダムの新規しんき計画けいかくはしらとした治水ちすい対策たいさくをまとめた。こうして計画けいかくされたのが淀川よどがわ大堰おおせぎ淀川よどがわ)・一庫ひとくらダム一庫ひとくらだい路次ろじがわ)・日吉ひよしダム桂川かつらがわ)・比奈ひなダム名張川なばりがわ)などである。

一方いっぽう地方自治体ちほうじちたいにおいても独自どくじ補助ほじょ多目的たもくてきダム建設けんせつ実施じっしされ、従来じゅうらい灌漑かんがい専用せんようダムの建設けんせつおこなっていた滋賀しがけんでは余呉湖よごこ洪水こうずい調節ちょうせつはか余呉湖よごこダム(余呉川よごがわ)の建設けんせつ皮切かわきりに日野川ひのかわ野洲川やすがわ石田川いしだがわとう多目的たもくてきダムを建設けんせつ大阪おおさか1967ねん昭和しょうわ42ねん)の北摂ほくせつ豪雨ごうう神崎川かんざきがわ流域りゅういき総合そうごう開発かいはつ計画けいかく安威あいがわダム安威あいがわ)・箕面みのおがわダム(箕面みのおがわ)の建設けんせつ計画けいかく実施じっしした。

灌漑かんがいみず資源しげん開発かいはつ

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敗戦はいせん食糧しょくりょう危機きき早急そうきゅう解消かいしょうするために農林省のうりんしょうげん農林水産省のうりんすいさんしょう)は1947ねん昭和しょうわ22ねん)から『国営こくえい農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう』を策定さくてい全国ぜんこく4水系すいけいにおいてダム・頭首とうしゅこう用水路ようすいろ総合そうごうてき運用うんようによるみず供給きょうきゅう促進そくしんによって、新規しんき農地のうち開墾かいこんおこなおうとした。この4水系すいけいなか野洲川やすがわくわえられた。近江盆地おうみぼんちふるくから穀倉こくそう地帯ちたいとしてられていたが、天井川てんじょうがわ流域りゅういきおおくをめておりみずあらそいのえない地域ちいきでもあった。すで1939ねん昭和しょうわ14ねん)より滋賀しがけんで『野洲川やすがわ農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう』にもとづき野洲川やすがわダム計画けいかくすすめられていたが、戦後せんご事業じぎょうくに直轄ちょっかつ事業じぎょうとなり『国営こくえい野洲川やすがわ農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう』として野洲川やすがわダムが建設けんせつされた。その愛知あいちがわ永源寺えいげんじダムひとし灌漑かんがい専用せんようとして建設けんせつされ、近江盆地おうみぼんち灌漑かんがい事業じぎょう飛躍ひやくてき改善かいぜんした。

一方いっぽう高度こうど経済けいざい成長せいちょうともな大阪おおさか京都きょうとひとし関西かんさいけん急激きゅうげき人口じんこう増加ぞうかくわえ、阪神はんしん工業こうぎょう地帯ちたい膨張ぼうちょうもあってみず需要じゅよう必要ひつようせいさけばれた。これにたい政府せいふは1962ねん昭和しょうわ37ねん)にみず資源しげん開発かいはつ促進そくしんほう水資源開発公団みずしげんかいはつこうだんほう制定せいてい水資源開発公団みずしげんかいはつこうだんげん独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじんみず資源しげん機構きこう)によるみず資源しげん総合そうごう開発かいはつ計画けいかく策定さくていした。淀川よどがわ水系すいけい利根川とねがわ水系すいけいともほう制定せいてい同年どうねんみず資源しげん開発かいはつ水系すいけい指定していされ、『淀川よどがわ水系すいけいすい資源しげん開発かいはつ基本きほん計画けいかく』にのっと琵琶湖びわこふくめた淀川よどがわ水系すいけい全般ぜんぱんみず資源しげん開発かいはつした。

これにもとづき建設省けんせつしょうより高山たかやまダム名張川なばりがわ)の事業じぎょう承継しょうけいけたのをはじめ、『木津川きづがわ上流じょうりゅう総合そうごう開発かいはつ事業じぎょう』として青蓮寺しょうれんじダム青蓮寺川しょうれんじがわ)・室生むろうダム宇陀川うだがわ計画けいかく当時とうじ宇陀川うだがわダム)・布目ぬのめダム布目ぬのめがわ)・比奈ひなダム(名張川なばりがわ)の「木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん」を木津川きづがわ流域りゅういき建設けんせつ日吉ひよしダム(桂川かつらがわ)を桂川かつらがわ流域りゅういきに、一庫ひとくらダム(一庫ひとくらだい路次ろじがわ)を猪名川いながわ流域りゅういき建設けんせつし、長柄ながら可動かどうせきのち淀川よどがわ大堰おおせぎとして改築かいちく)を大阪おおさか建設けんせつした。これによって関西かんさい地方ちほうみず需要じゅよう大幅おおはば好転こうてん現在げんざい丹生たんじょうダム高時川たかときがわ)・川上かわかみダム前深瀬川まえふかせがわ)が建設けんせつちゅうである。

河川かせん開発かいはつ見直みなお

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淀川よどがわ水系すいけい流域りゅういき委員いいんかい提言ていげん

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1990年代ねんだい以降いこう公共こうきょう事業じぎょう見直みなおしの機運きうんたかまり利根川とねがわ水系すいけいはじおおくの河川かせんでダム建設けんせつ休止きゅうし中止ちゅうし相次あいついだ。淀川よどがわ水系すいけいにおいては、国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょく諮問しもん機関きかんである「淀川よどがわ水系すいけい流域りゅういき委員いいんかい」がダムをはじめとする治水ちすい利水りすい事業じぎょう可否かひについて検討けんとうおこなった。このあいだ和束わづかダム(和束わづかがわ)を中心ちゅうしんとした宇治山うじやまじょう土地とち改良かいりょう事業じぎょう中止ちゅうし鴨川かもがわ建設けんせつ予定よていだった京都きょうと府営ふえい鴨川かもがわダムも反対はんたい運動うんどうつよ中止ちゅうしとなった。これとはべつに、関西電力かんさいでんりょく国内こくない最大さいだいきゅう揚水ようすいしき水力すいりょく発電はつでんしょとして建設けんせつ予定よていされていた金居原かねいはら発電はつでんしょ下部かぶダム(またかわ)が、電力でんりょく需要じゅようなやみから建設けんせつ中止ちゅうしとなっている。

2005ねん平成へいせい17ねん淀川よどがわ水系すいけい流域りゅういき委員いいんかい提言ていげんまとめ、ダム事業じぎょうについては計画けいかくちゅうのダムはすべ中止ちゅうしするのが妥当だとうという見解けんかい答申とうしんした。これを国土こくど交通省こうつうしょう余野よのがわダム余野よのがわ)・大戸川おおとがわダム大戸川おおどかわ)の建設けんせつ中止ちゅうし川上かわかみダム前深瀬川まえふかせがわ)と丹生たんじょうダム高時川たかときがわ)の規模きぼ縮小しゅくしょう発表はっぴょう大阪おおさか安威あいがわダム安威あいがわ)の規模きぼ縮小しゅくしょうした。これにたい滋賀しがけんとう流域りゅういき自治体じちたいが「流域りゅういき安全あんぜん軽視けいしするもの」としてもう反発はんぱつし、流域りゅういき住民じゅうみん賛否さんぴかれた。このため最終さいしゅう結論けつろんちゅういた状態じょうたいとなっている。これとはべつに、農林水産省のうりんすいさんしょう愛知あいちがわ計画けいかくしている永源寺えいげんじだいダム愛知あいちがわ)が、「ダムのボーリング調査ちょうさ実施じっし承知しょうちしながら建設けんせつすすめるのは不当ふとう」として大阪おおさか高等こうとう裁判所さいばんしょより「ダム建設けんせつ違法いほう」の判決はんけつくだされるなど、淀川よどがわ水系すいけい開発かいはつおおきくらいでいる。

滋賀しがけんのダム凍結とうけつ宣言せんげん

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こうした淀川よどがわ水系すいけい河川かせん開発かいはつおおきくらぐなか2006ねん平成へいせい18ねん)の滋賀しがけん知事ちじ選挙せんきょにおいて当時とうじ現職げんしょくだった国松くにまつ善次よしつぐやぶ当選とうせんした嘉田かだ由紀子ゆきこ知事ちじは、就任しゅうにん直後ちょくごから新幹線しんかんせん新駅しんえき産廃さんぱい処分しょぶんじょうならんでダム計画けいかくを、『もったいない』のスローガンにもとづき不要ふよう公共こうきょう事業じぎょうとしてすべてを凍結とうけつさせると発表はっぴょうした。長野ながのけん自治体じちたい単位たんいでのだつダム施策しさくである。

対象たいしょうとなったのは北川きたがわだいいちダム(北川きたがわ)・北川きたがわだいダム(麻生あそうがわ)・芹谷せりだにダム(芹川せりかわ)の県営けんえいダムとくに直轄ちょっかつ事業じぎょうである大戸川おおとがわダム・丹生たんじょうダム・永源寺えいげんじだいダムのけい6事業じぎょうである。長野ながのけんだつダム宣言せんげんおおきくことなるのは、県営けんえいダムのみならず国土こくど交通省こうつうしょう農林水産省のうりんすいさんしょう直轄ちょっかつダム事業じぎょう中止ちゅうし対象たいしょうげていることで、就任しゅうにん当初とうしょから財政ざいせいてき問題もんだい環境かんきょう問題もんだい両面りょうめんよりダム事業じぎょう中止ちゅうしすべきとの持論じろん展開てんかいダムの代替だいたいあんとして堤防ていぼう建設けんせつ森林しんりん整備せいび中心ちゅうしんとした自然しぜんやさしい治水ちすい事業じぎょう整備せいびはかりることで、ダム依存いぞんからの脱却だっきゃくはかろうとした。

これにたい下流かりゅう受益じゅえきである京都きょうと京都きょうと事業じぎょう増大ぞうだい対策たいさくあたまなやませていたこともあり、知事ちじのダム凍結とうけつ宣言せんげん歓迎かんげい支持しじする態度たいど表明ひょうめい一方いっぽう上流じょうりゅう受益じゅえきである大津おおつ彦根ひこね多賀たがまちなどは「堤防ていぼう建設けんせつかえって莫大ばくだい支出ししゅつをもたらす」としてダム建設けんせつ促進そくしん要望ようぼうした。水没すいぼつ予定よてい住民じゅうみん早急そうきゅう建設けんせつ促進そくしんうったえ、知事ちじ反発はんぱつした。知事ちじ当初とうしょ凍結とうけつ態度たいどくずさなかったが、平成へいせい18ねん7がつ豪雨ごうう直後ちょくご長野ながの県知事けんちじ選挙せんきょ田中たなか康夫やすお落選らくせん)の影響えいきょうからか、態度たいどをやや軟化なんか。「有効ゆうこう方法ほうほう場合ばあいはダム建設けんせつもありえる」と地元じもととの対話たいわ重視じゅうしする姿勢しせい転換てんかんした。ただし知事ちじ治水ちすい政策せいさくについて「治水ちすい瑕疵かし(かし)により1にんでも死者ししゃ場合ばあい知事ちじ辞任じにんする」ともはなしており、退路たいろって滋賀しがけん治水ちすい対策たいさくもうとしている。

2006ねん12月には凍結とうけつ宣言せんげんしていた6ダムのうち、芹川せりかわ支流しりゅう水谷みずたにがわ建設けんせつ計画けいかくされている「芹谷せりだにダム」について、ダム以外いがい治水ちすい整備せいびについての比較ひかく検討けんとうおこなった結果けっかコストパフォーマンスてきにダムあんほうまさるという結論けつろんたっし、知事ちじ芹谷せりだにダム計画けいかくについては前向まえむきな検討けんとう開始かいしした。さらに2007ねん平成へいせい19ねん)にはいると北川きたがわだいいちダムについても事業じぎょう推進すいしん表明ひょうめいいずれも既存きそん河川かせん整備せいび比較ひかくしコストパフォーマンスにすぐれるという理由りゆう事業じぎょう再開さいかいめている。この大戸川おおとがわダムについても事業じぎょう容認ようにん姿勢しせいせている。田中たなか康夫やすおことなり地元じもととの意見いけん調整ちょうせい代替だいたいあんとの比較ひかくすすめながら、財政ざいせいてき観点かんてんとのバランスでかならずしも「だつダム」に固執こしつしない柔軟じゅうなん姿勢しせいでダム依存いぞんがた治水ちすい脱却だっきゃくすすめているが、支持しじそうのうち自然しぜん保護ほご団体だんたい田中たなかのような急進きゅうしんてきなダム撤去てっきょ中止ちゅうしとしていたことから嘉田かだ知事ちじ方針ほうしんを「公約こうやく違反いはん」として反発はんぱつするきもある。

河川かせん管理かんりしゃである国土こくど交通省こうつうしょうはこうした一連いちれんうごきを静観せいかんしていた。2007ねん嘉田かだ知事ちじは「ダム凍結とうけつ宣言せんげん」を撤回てっかいし、大戸川おおとがわ丹生たんじょうりょうダムについてあなあきダムとしての建設けんせつ容認ようにん国土こくど交通省こうつうしょう建設けんせつ再開さいかいうながしたことから事態じたいうごした。2007ねん8がつ28にち国交こっこうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょくが「淀川よどがわ水系すいけい河川かせん整備せいび計画けいかく原案げんあん」を策定さくていし、凍結とうけつダムの建設けんせつ再開さいかい方針ほうしんした。これをけて大戸川おおどかわダムは治水ちすいダムとして川上かわかみダムや天ヶ瀬あまがせダムさい開発かいはつとともに建設けんせつ再開さいかいされた。ただし余野よのがわダムは2008ねん平成へいせい20ねん)に中止ちゅうし決定けってい丹生たんじょうダムについては貯水ちょすいするかあなあきかでけん当時とうじ余呉よごまちげん長浜ながはま)の対立たいりつ激化げきかした。また「流域りゅういき委員いいんかい」のありかためぐ委員いいん選定せんていなどで国土こくど交通省こうつうしょうがわ強引ごういん介入かいにゅうがあったと指摘してき批判ひはんするこえおおきい。

国土こくど交通省こうつうしょうは「淀川よどがわ流域りゅういき過去かこ最悪さいあくだい規模きぼ洪水こうずい発生はっせいし、淀川よどがわ大阪おおさか市内しないやぶつつみした場合ばあいには大阪おおさか中心ちゅうしん水没すいぼつする」というシミュレーションをまとめている。全国ぜんこくてき毎年まいとしのように記録きろくてき集中しゅうちゅう豪雨ごううこっている現状げんじょうにおいて、淀川よどがわ治水ちすい流域りゅういき住民じゅうみん安全あんぜんと、自然しぜん保護ほご財政ざいせい負担ふたん軽減けいげんなどによる板挟いたばさちゅうで、むずかしい舵取かじとりをせまられている。

観光かんこう目的もくてきでの舟運しゅううん復活ふっかつうご

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はちけんはま船着場ふなつきば
枚方ひらかた船着場ふなつきば

近代きんだい以降いこう京阪けいはんあいだむす交通こうつう物流ぶつりゅう中心ちゅうしん道路どうろ鉄道てつどう東海道本線とうかいどうほんせん阪急はんきゅう京都きょうと本線ほんせん京阪本線けいはんほんせん)へうつり、淀川よどがわ舟運しゅううん衰退すいたいした。近年きんねん体験たいけんがた観光かんこう一環いっかんとして、船上せんじょうから川面かわも陸上りくじょう景色けしきたのしめるとして、河川かせん舟運しゅううん見直みなおうごきがている。京阪けいはんホールディングスは2017ねん9がつ大阪おおさか天満橋てんまばしはちけんはま船着場ふなつきば淀川よどがわ河川かせん公園こうえん枚方ひらかた)の枚方ひらかた船着場ふなつきばむす定期ていき観光かんこうせん運航うんこう開始かいしすると発表はっぴょうした。淀川よどがわでの定期ていきせんだい世界せかい大戦たいせんこうはつで、京阪けいはんあいだ航路こうろ開設かいせつ検討けんとうするとしている[19]

淀川よどがわ琵琶湖びわこ環境かんきょう問題もんだい

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琵琶湖びわこ汚濁おだく対策たいさく

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淀川よどがわ水源すいげんである琵琶湖びわこ1960年代ねんだい以降いこう周辺しゅうへん宅地たくちすすんでいったが、下水道げすいどう整備せいびがそれにいつかず、生活せいかつ排水はいすいはそのまま琵琶湖びわこ流入りゅうにゅうする状況じょうきょうとなっていた。これによりとく大津おおつ草津くさつ沿岸えんがん中心ちゅうしんとした琵琶湖びわこ南部なんぶ南湖みなみこ)の水質すいしつ汚濁おだく激化げきか赤潮あかしお発生はっせい悪臭あくしゅうなどがこり漁業ぎょぎょうへの影響えいきょう深刻しんこくとなっていた。

滋賀しがけん下水道げすいどう整備せいびなどで対応たいおうしていたが、近畿きんき最大さいだい水源すいげんでもある琵琶湖びわこ汚染おせん関西かんさい全体ぜんたい影響えいきょうおよぼしかねず、根本こんぽんてき対策たいさくもとめられていた。このなか合成ごうせい洗剤せんざいふくまれる有機ゆうきリンぶん水質すいしつ汚濁おだくおおきくかかわっているのではないかという指摘してきおおくなされるようになり、合成ごうせい洗剤せんざいたいする規制きせいさけばれるようになった。1980ねん昭和しょうわ55ねん)、滋賀しが県議会けんぎかいは『滋賀しがけん琵琶湖びわことみ栄養えいよう防止ぼうしかんする条例じょうれい』(通称つうしょう琵琶湖びわこ条例じょうれい)を制定せいてい有機ゆうきリンぶんふく合成ごうせい洗剤せんざい追放ついほうなどをさだめ、琵琶湖びわこのこれ以上いじょうとみ栄養えいようけようとした。合成ごうせい洗剤せんざいメーカーからははげしい反発はんぱつがあったが、湖沼こしょう水質すいしつ汚濁おだくなや地域ちいきからはおおきな注目ちゅうもくたれ、水質すいしつ汚濁おだく対策たいさくひとつの分岐ぶんきてんとなった。

1984ねん昭和しょうわ59ねん)、水質すいしつ汚濁おだく防止ぼうしほう特例とくれい措置そちとして特定とくてい湖沼こしょうたいする水質すいしつ汚濁おだく防止ぼうしするためのしょ対策たいさく法制ほうせいされた。これが『湖沼こしょう水質すいしつ保全ほぜん特別とくべつ措置そちほう』(略称りゃくしょう湖沼こしょうほう)である。霞ヶ浦かすみがうらなど全国ぜんこく10湖沼こしょう現在げんざい指定していされているが、琵琶湖びわこ1985ねん昭和しょうわ60ねん)12月にほう指定していけ、これ以降いこう水質すいしつ保全ほぜんかんするきびしい対策たいさくほどこされるようになり、あわせて琵琶湖びわこ流域りゅういき下水道げすいどう整備せいび下水げすい処理しょりじょうでの窒素ちっそリンを除去じょきょする高度こうど処理しょりおこなわれ、これらにより水質すいしつ次第しだい改善かいぜんされるにいたった。

淀川よどがわ汚濁おだく対策たいさく

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淀川よどがわ水系すいけい水質すいしつ悪化あっか昭和中しょうわなかには問題もんだいになっており、昭和しょうわ30ねん昭和しょうわ40ねん水質すいしつ調査ちょうさならびに比較ひかく以下いかのようになる[注釈ちゅうしゃく 5]

;淀川よどがわ水質すいしつ汚濁おだく変遷へんせん[20]
地点ちてん 昭和しょうわ30ねん当時とうじ 昭和しょうわ40ねん当時とうじ
瀬田川せたがわから宇治川うじがわ開始かいし付近ふきん本流ほんりゅう まずしくさ水性すいせい まずしくさ水性すいせい
ただし山名やまながわ合流ごうりゅう手前てまえβべーた-ちゅうくさ水性すいせい悪化あっか
山名やまながわ宇治川うじがわ右岸うがん合流ごうりゅう まずしくさ水性すいせい
ただし流入りゅうにゅう直前ちょくぜんαあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせい悪化あっか
αあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせい
琵琶湖びわこ疏水そすい[注釈ちゅうしゃく 6]宇治川うじがわ右岸うがん合流ごうりゅう つよくさ水性すいせい つよくさ水性すいせい
新高にいたか瀬川せかわ宇治川うじがわ右岸うがん合流ごうりゅう つよくさ水性すいせい つよくさ水性すいせい
八幡やはた手前てまえ[注釈ちゅうしゃく 7]までの宇治川うじがわ本流ほんりゅう 右岸うがんαあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせい
左岸さがんひんくさ水性すいせい
八幡やはた山崎やまざき手前てまえ両者りょうしゃざってβべーた-ちゅうくさ水性すいせい
右岸うがんαあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせいからつよくさ水性すいせい
左岸さがんβべーた-ちゅうくさ水性すいせいからαあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせい
木津川きづがわ宇治川うじがわ左岸さがん合流ごうりゅう まずしくさ水性すいせい βべーた-ちゅうくさ水性すいせい
桂川かつらがわ宇治川うじがわ右岸うがん合流ごうりゅう つよくさ水性すいせい つよくさ水性すいせい
八幡やはた山崎やまざき以後いご[注釈ちゅうしゃく 8]以後いご淀川よどがわ本流ほんりゅう 右岸うがんつよくさ水性すいせい(ただし枚方ひらかた手前てまえαあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせい回復かいふく
左岸さがんβべーた-ちゅうくさ水性すいせい
右岸うがんつよくさ水性すいせい以後いご鳥飼とりかい付近ふきんまで回復かいふくはせず)
左岸さがんβべーた-ちゅうくさ水性すいせいだが枚方ひらかた手前てまえαあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせい悪化あっか
芥川あくたがわ淀川よどがわ右岸うがん合流ごうりゅう αあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせい つよくさ水性すいせい
枚方ひらかた付近ふきん[注釈ちゅうしゃく 9]以後いご淀川よどがわ本流ほんりゅう 右岸うがんαあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせい
左岸さがんβべーた-ちゅうくさ水性すいせい
鳥飼とりかい付近ふきんざってαあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせいになり、以後いごかんしおいきまでおなじ。
右岸うがんつよくさ水性すいせい
左岸さがんαあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせい
鳥飼とりかい付近ふきんざってαあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせいになり、以後いごかんしおいきまでおなじ。

昭和しょうわ30ねん時点じてん京都きょうとから下水げすいなが河川かせん桂川かつらがわなど)がきたないことや「(鳥飼とりかいからさきにわくぼ柴島くにじま付近ふきんで)上水道じょうすいどう水源すいげんになっているが、両方りょうほうとも上水道じょうすいどう水源すいげんとしてはこのましくない。」と指摘してきされていたが、昭和しょうわ40ねんになると伏見ふしみ平戸ひらど閘門から排出はいしゅつされる琵琶湖びわこ疏水そすいしん高瀬川たかせがわおなきょうくさ水性すいせいでもきわめてきたなくなり、合流ごうりゅう右岸うがん前述ぜんじゅつ河川かせん合流ごうりゅうがわ)からかなりの距離きょりつよくさ水性すいせいになり、さらに下流かりゅうでも三川みかわ宇治川うじがわ木津川きづがわ桂川かつらがわ合流ごうりゅうてん付近ふきん御幸みゆききょうでは昭和しょうわ30ねんではβべーた-ちゅうくさ水性すいせいだったところが、αあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせい悪化あっかしている。

さらに、三川みかわ合流ごうりゅうてんより下流かりゅうでは元々もともと汚染おせんがひどかった桂川かつらがわ汚水おすいうすめていた宇治川うじがわ木津川きづがわ水質すいしつ悪化あっかしたため回復かいふくすすまず、山崎やまざきから柴島くにじままでの右岸うがんにはあつ汚水おすいきん被覆ひふくられ、比較的ひかくてき状態じょうたいかった左岸さがん汚水おすいきん増加ぞうかしている状況じょうきょうになっていた[21]

こうしたこともあり、淀川よどがわ水系すいけいちゅう流域りゅういき最大さいだい生活せいかつ排水はいすい発生はっせい地域ちいき京都きょうと下水道げすいどう着実ちゃくじつ整備せいびし2019年度ねんどまつには市街化区域しがいかくいきの99.5%にたっした。しかし初期しょきつくられた下水道げすいどう雨水あまみず汚水おすい一緒いっしょなが合流ごうりゅうしきやく40%)のため集中しゅうちゅう豪雨ごうう発生はっせい汚水おすい処理しょりのままかわながされる、このため1980年代ねんだいなかばから貯水ちょすい幹線かんせん順次じゅんじ整備せいびして、堀川ほりかわどおりのした直径ちょっけい6mながさ2.7 km 7まん立方りっぽうメートルを「堀川ほりかわ中央ちゅうおう幹線かんせん」をはじめ、合計ごうけい50まん7せん立方りっぽうメートルの雨水あまみずめる貯水ちょすい設備せつび整備せいび。また4つある市営しえい下水げすい処理しょりじょう窒素ちっそリン除去じょきょする高度こうど処理しょり設備せつび導入どうにゅう、さらに京都きょうと伝統でんとう産業さんぎょう友禅染ゆうぜんぞめ製造せいぞう発生はっせいする色素しきそのこった汚水おすい処理しょりするために2箇所かしょ下水げすい処理しょりじょうではオゾン処理しょり導入どうにゅうしている。この結果けっか処理しょりすいBODくに基準きじゅんすい1リットルたり20ミリグラムにたいして京都きょうとではみず1リットルたり3ミリグラム前後ぜんこう浄化じょうかされる。また西日本にしにほん最大さいだい下水げすい処理しょりじょうとり羽水うすい環境かんきょう保全ほぜんセンター』では平成へいせい25ねんからメガソーラー設置せっちれい3年度ねんどから汚泥おでい燃料ねんりょう加工かこうして火力かりょく発電はつでんすることが予定よていされている[22]

京都きょうと桂川かつらがわみなみ浄化じょうかセンター・らく西にし浄化じょうかセンター建設けんせつ八幡やはた宇治川うじがわ木津川きづがわ合流ごうりゅう付近ふきんらくみなみ浄化じょうかセンターが1986ねん3がつ供用きょうよう開始かいし精華せいかまち木津川きづがわ上流じょうりゅう浄化じょうかセンターが1999ねん11月に供用きょうよう開始かいしするなど下水道げすいどう整備せいびすすめている。

下流かりゅう大阪おおさか府下ふかでは上水道じょうすいどう取水しゅすいこう複数ふくすうあるため、淀川よどがわ左岸さがんの「なぎさすいみらいセンター(枚方ひらかた)」では処理しょりすい寝屋川ねやがわ排水はいすい一部いちぶ京阪けいはん枚方ひらかたえき周辺しゅうへん公共こうきょう施設しせつさい利用りようされている。淀川よどがわ右岸うがんの「高槻たかつきすいみらいセンター(高槻たかつき)」「中央ちゅうおうすいみらいセンター(茨木いばらぎ)」では処理しょりすい安威あいがわから神崎川かんざきがわへとながしている。

漁業ぎょぎょう資源しげん問題もんだい

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湖沼こしょうほう指定してい琵琶湖びわこ条例じょうれいなどの施策しさく琵琶湖びわこ次第しだい水質すいしつ改善かいぜんされた。漁業ぎょぎょう資源しげん豊富ほうふ琵琶湖びわこふるくから「ふな寿司ずし」をはじめ魚介ぎょかいるいにまつわる特産とくさんひんおおく、漁業ぎょぎょう重要じゅうよう産業さんぎょうひとつであった。ところが近年きんねんバスフィッシングひろがりで、琵琶湖びわこにおいても外来がいらいぎょによる漁業ぎょぎょう被害ひがい深刻しんこくになっていった。とくブラックバスブルーギルといった獰猛どうもう魚類ぎょるいは、在来ざいらい生物せいぶつへの影響えいきょうおおきく、琵琶湖びわこ在来ざいらい魚介ぎょかいるいへの生態せいたいけい破壊はかいされるという漁業ぎょぎょう関係かんけいしゃ指摘してき次第しだいおおきくなった。「キャッチアンドリリース」というりのルールが、ブラックバスではぎゃく問題もんだい拡大かくだいするという指摘してきもあって、漁業ぎょぎょう協同きょうどう組合くみあいによる駆除くじょおこなわれていたがいたちごっこであった。

こうした漁業ぎょぎょう資源しげん影響えいきょう危惧きぐした滋賀しがけんは、ブラックバスの放流ほうりゅう禁止きんし罰則ばっそく明記めいきした「琵琶湖びわこのレジャー利用りよう適正てきせい条例じょうれい」を2003ねん平成へいせい15ねん)に制定せいてい。ブラックバスりにたいしてきびしい規制きせいけた。漁業ぎょぎょう関係かんけいしゃだい歓迎かんげいしたがバスフィッシング愛好あいこうもう反発はんぱつ清水しみず国明くにあきひとし愛好あいこうタレントもマスコミなどをつうじて条例じょうれい反対はんたいうったえた。現在げんざい琵琶湖びわこにおいてブラックバスの放流ほうりゅう禁止きんしされ、かえることが義務ぎむされている。一方いっぽう1993ねん平成へいせい5ねん)にラムサール条約じょうやく登録とうろく湿地しっち指定していされた琵琶湖びわこ鳥類ちょうるいおお生息せいそくするが、近年きんねんカワウ異常いじょう繁殖はんしょくあらたな問題もんだいとなっている。大群たいぐん夕刻ゆうこく河川かせん湖沼こしょう魚類ぎょるい捕獲ほかくすることから漁業ぎょぎょう収穫しゅうかくだか減少げんしょうしたり、フンによる森林しんりん建築けんちくぶつへの被害ひがい竹生島ちくぶしま中心ちゅうしん琵琶湖びわこ北部ほくぶ地域ちいき深刻しんこく具体ぐたいてき対策たいさくれていない状態じょうたいである。

淀川よどがわ流域りゅういきではアシなどが繁茂はんもしていることから、絶滅ぜつめつ危惧きぐしゅであるイタセンパラアユモドキなどが生息せいそくする重要じゅうよう地域ちいきとなっていた。だが生活せいかつ排水はいすいによる淀川よどがわ水質すいしつ汚濁おだくによって個体こたいすう激減げきげん。これにくわ1984ねん淀川よどがわ大堰おおせぎ完成かんせいし、たたえすいによるアシぐん生地きじ水没すいぼつなどによりイタセンパラの個体こたいすう絶滅ぜつめつ危惧きぐされるほど激減げきげんした。自然しぜん保護ほご団体だんたい指摘してきけた国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう建設けんせつきょくは、淀川よどがわ大堰おおせぎ上流じょうりゅう人工じんこうワンドもうけてイタセンパラの生息せいそくいき確保かくほし、個体こたいすう回復かいふくはか対策たいさくほどこした。一時期いちじき効果こうかがあったものの、現状げんじょうとしては個体こたいすう回復かいふく絶望ぜつぼうてきとの見方みかたもある。アユモドキも鴨川かもがわ桂川かつらがわみなみ八木やぎまち付近ふきんでは絶滅ぜつめつ亀岡かめおか付近ふきん生息せいそくいきには京都きょうと京都きょうとスタジアム建設けんせつ計画けいかくする、など危機ききてき状況じょうきょうである。

ただ近年きんねん淀川よどがわ水質すいしつ改善かいぜんにより新淀川しんよどがわ天然てんねんウナギれブランドはかられたり、天然てんねんアユ淀川よどがわから桂川かつらがわ鴨川かもがわへと遡上そじょうするのが確認かくにんされる、など水質すいしつ改善かいぜん効果こうかている部分ぶぶんもある。

淀川よどがわ水系すいけい主要しゅよう河川かせん

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本川ほんがわ 河川かせん ながれ
延長えんちょう
(km)
流域りゅういき
面積めんせき
(km2)
主要しゅよう

ささえかわ
主要しゅよう
湖沼こしょう
流域りゅういき
都県とけん
流域りゅういき
ぐん
琵琶湖びわこ 姉川あねがわ 39.0 680.0 高時川たかときがわ 白龍湖はくりゅうこ 滋賀しがけん 米原まいばら長浜ながはま
余呉川よごがわ 32.0 79.0 余呉湖よごこ 滋賀しがけん 長浜ながはま
芹川せりかわ 21.0 61.0 滋賀しがけん 彦根ひこね犬上いぬかみぐん
犬上川いぬかみがわ 25.0 110.0 滋賀しがけん 彦根ひこね犬上いぬかみぐん
石田川いしだがわ 26.8 51.9 処女しょじょみずうみ 滋賀しがけん 高島たかしま
宇曽川うそがわ 22.0 64.5 滋賀しがけん 彦根ひこねひがし近江おうみ犬上いぬかみぐん愛知あいちぐん
安曇川あどがわ 52.0 311.0 麻生あそうがわ
北川きたがわ
滋賀しがけん 高島たかしま大津おおつ
京都きょうと 京都きょうと
愛知あいちがわ 48.0 223.0 永源寺えいげんじ 滋賀しがけん ひがし近江おうみ愛知あいちぐん彦根ひこね
日野川ひのかわ 46.0 223.0 滋賀しがけん 野洲やすひがし近江おうみ近江八幡おうみはちまん
蒲生がもうぐん
野洲川やすがわ 64.0 366.0 滋賀しがけん 栗東りっとう野洲やす守山もりやま甲賀こうが
湖南こなみ
瀬田川せたがわ 大戸川おおどかわ 38.0 190.0 滋賀しがけん 甲賀こうが栗東りっとう大津おおつ
宇治川うじがわ 高瀬川たかせがわ 9.7 京都きょうと 京都きょうと
淀川よどがわ
新淀川しんよどがわ
木津川きづがわ
伊賀いががわ
89.0 1,663.0 柘植川つげがわ
服部川はっとりがわ
前深瀬川まえふかせがわ
岐川
名張川なばりがわ
遅瀬おそせがわ
布目ぬのめがわ
和束わづかがわ
白砂川しらすなかわ
月ヶ瀬つきがせ
青蓮寺しょうれんじ
室生湖むろうこ
ひなちみずうみ
布目ぬのめ
滋賀しがけん 甲賀こうが
三重みえけん 名張なばり伊賀いが
奈良ならけん 奈良なら宇陀うだ宇陀うだぐん山辺やまべぐん
京都きょうと 京都きょうと八幡やはた城陽じょうよう京田辺きょうたなべ木津川きづがわ
相楽さがらぐん綴喜つづきぐん久世くせぐん
桂川かつらがわ
大堰川おおいがわ
保津川ほづがわ
107.0 1,159.0 鴨川かもがわ
園部川そのべがわ
天神川てんじんかわ
天若あまわか 京都きょうと 京都きょうとみなみ亀岡かめおか向日むこう
長岡京ながおかきょう乙訓おとくにぐん
芥川あくたがわ 25.0 52.0 京都きょうと 京都きょうと
大阪おおさか 高槻たかつき
天野川あまのがわ 14.9 51.3 奈良ならけん 生駒いこま
大阪おおさか 四条畷しじょうなわて交野かたの枚方ひらかた
きゅう淀川よどがわ
大川おおかわ
13.83 安治川あじがわ
木津川きづがわ
道頓堀どうとんぼりがわ
堂島どうじまがわ
天満てんまがわ
土佐堀とさぼりがわ
寝屋川ねやがわ
大阪おおさか 大阪おおさか交野かたの門真かどま東大阪ひがしおおさか
大東だいとう寝屋川ねやがわ守口もりぐち八尾やお
神崎川かんざきがわ 21.0 627.0 猪名川いながわ
安威あいがわ
知明ともあき 京都きょうと 亀岡かめおか
大阪おおさか 大阪おおさか吹田すいた豊中とよなか摂津せっつ
池田いけだ箕面みのお茨木いばらぎ豊能とよのぐん
兵庫ひょうごけん 尼崎あまがさき川西かわにし伊丹いたみ宝塚たからづか
川辺かわべぐん

ちゅう)カッコない湖沼こしょう人造湖じんぞうこ(ダム)。

淀川よどがわ水系すいけい河川かせん施設しせつ

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淀川よどがわ水系すいけいでは、古来こらいより人口じんこう密集みっしゅうであったことから治水ちすい利水りすい重点じゅうてんかれた。新淀川しんよどがわ開削かいさく天ヶ瀬あまがせダム建設けんせつはその施策しさくである。さらに戦後せんご高度こうど経済けいざい成長せいちょう琵琶湖びわこ有効ゆうこう活用かつよう京阪神けいはんしんへのみず需要じゅようこたえるべく淀川よどがわ水系すいけいは「みず資源しげん開発かいはつ促進そくしんほう」にもとづく開発かいはつ指定してい水系すいけいとなり、水資源開発公団みずしげんかいはつこうだんげん独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじんみず資源しげん機構きこう)による総合そうごうてきダムせき建設けんせつおこなわれた。現在げんざい統合とうごう管理かんりされている。一方いっぽう滋賀しがけんには農林水産省のうりんすいさんしょう直轄ちょっかつ灌漑かんがいようダムがおおい。これは天井川てんじょうがわによる用水ようすい取水しゅすい困難こんなん背景はいけいにあり、みずあらそいの頻発ひんぱつしていた近江盆地おうみぼんちうるおすためである。

関西電力かんさいでんりょく水力すいりょく発電はつでん施設しせつは、日本にっぽん最初さいしょ商業しょうぎょう発電はつでんをした琵琶湖びわこ疏水そすいうわ発電はつでんしょ出力しゅつりょく4400kW)があるが、淀川よどがわ水系すいけいにある水力すいりょく発電はつでんしょのほとんどは出力しゅつりょく1まんkW以下いかなか小規模しょうきぼなもので、本流ほんりゅうにある発電はつでんしょ天ヶ瀬あまがせダムの天ヶ瀬あまがせ発電はつでんしょ認可にんか出力しゅつりょく92000kW・常時じょうじ出力しゅつりょく6600kW)、その天ヶ瀬あまがせダム鳳凰ほうおう)のみず揚水ようすい発電はつでんしている喜撰山きせんやまダム喜撰山きせんやま発電はつでんしょ出力しゅつりょく466000kW)、宇治うじ発電はつでんしょ認可にんか出力しゅつりょく32500kW・常時じょうじ出力しゅつりょく29000kW)の3かしょで、流域りゅういき最小さいしょう発電はつでんしょ木津川きづがわ支流しりゅうにある室生むろう発電はつでんしょ出力しゅつりょく200kW)がある(これ以外いがいにも近江八幡おうみはちまんにある関西電力かんさいでんりょく神崎川かんざきがわ発電はつでんしょ認可にんか出力しゅつりょく1100kWだが常時じょうじ発電はつでんしているのは52kWとしょう水力すいりょく発電はつでんしょなみなのがある)。これは関西かんさいけんへの電力でんりょく供給きょうきゅうおこなうための水力すいりょく発電はつでん木曽川きそがわ水系すいけい熊野川くまのがわ水系すいけいといった包蔵ほうぞう水力すいりょくおおきい河川かせんふるくから開発かいはつされていること、火力かりょく発電はつでんしょ原子力げんしりょく発電はつでんしょ近隣きんりんおおくそれらからの需要じゅようおおきいこととうげられる。

ぎゃくに、電力でんりょく会社かいしゃではなく自分じぶんたちで小規模しょうきぼ水力すいりょく発電はつでん施設しせつつく利用りよう、またはうれでんするしょう水力すいりょく発電はつでん京都きょうと嵐山あらしやま京都きょうと府営ふえい水道すいどう宇治うじ浄水じょうすいじょう久御山くみやま広域こういきポンプじょう大阪おおさか広域こういき水道すいどう企業きぎょうだん村野むらの浄水じょうすいじょう桃山台ももやまだい配水はいすいじょう大阪おおさか水道局すいどうきょく長居ながい配水はいすいじょうおこなわれている。

また河川かせん施設しせつとはいえないかもしれないが、京阪電気鉄道けいはんでんきてつどう中之島なかのしません地下ちかえきでは大川おおかわきゅう淀川よどがわ)・堂島どうじまがわみずをポンプでねつ交換こうかんしてえき空調くうちょう使用しようしている。

ダム 可動かどうせき 一覧いちらん

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いち
ささえ川名かわな
本川ほんがわ

ささえ川名かわな
さん
ささえ川名かわな
ダムめい つつみだか
(m)
そう貯水ちょすい
容量ようりょう
(せんm3)
型式けいしき 事業じぎょうしゃ 備考びこう
淀川よどがわ - - 瀬田川せたがわあらいせき - - 可動かどうせき 国土こくど交通省こうつうしょう
淀川よどがわ - - 天ヶ瀬あまがせダム 72.0 26,280 アーチしき 国土こくど交通省こうつうしょう
淀川よどがわ - - 淀川よどがわ大堰おおせぎ - 可動かどうせき 国土こくど交通省こうつうしょう
琵琶湖びわこ 余呉川よごがわ 余呉湖よごこ 余呉湖よごこダム - 14,700 可動かどうせき 滋賀しがけん しょう堰堤えんてい
琵琶湖びわこ 姉川あねがわ - 姉川あねがわダム 80.8 6,500 重力じゅうりょくしき 滋賀しがけん
琵琶湖びわこ 姉川あねがわ 高時川たかときがわ 丹生たんじょうダム 145.0 150,000 ロックフィル みず資源しげん機構きこう 建設けんせつちゅう
琵琶湖びわこ 芹川せりかわ 水谷みずたにがわ 芹谷せりだにダム 58.0 12,600 重力じゅうりょくしき 滋賀しがけん 建設けんせつちゅう
琵琶湖びわこ 犬上川いぬかみがわ - 犬上いぬかみダム 45.0 4,500 重力じゅうりょくしき 土地とち改良かいりょう 農林省のうりんしょう施工しこう
琵琶湖びわこ 宇曽川うそがわ - 宇曽川うそがわダム 56.0 2,900 ロックフィル 滋賀しがけん
琵琶湖びわこ 愛知あいちがわ - 永源寺えいげんじダム 68.0 22,741 ふくごうしき 滋賀しがけん 農林省のうりんしょう施工しこう
琵琶湖びわこ 愛知あいちがわ - 永源寺えいげんじだいダム 90.0 25,700 重力じゅうりょくしき 農林水産省のうりんすいさんしょう 凍結とうけつちゅう
琵琶湖びわこ 日野川ひのかわ - 蔵王ざおうダム 56.0 4,600 ロックフィル 農林水産省のうりんすいさんしょう
琵琶湖びわこ 日野川ひのかわ - 日野川ひのかわダム 25.0 1,388 ロックフィル 滋賀しがけん
琵琶湖びわこ 野洲川やすがわ - 野洲川やすがわダム 58.7 8,500 重力じゅうりょくしき 農林水産省のうりんすいさんしょう さい開発かいはつちゅう
琵琶湖びわこ 野洲川やすがわ - 青土おうづちダム 43.5 7,300 ロックフィル 滋賀しがけん
琵琶湖びわこ 野洲川やすがわ - 石部いしべ頭首とうしゅこう - - 可動かどうせき 農林水産省のうりんすいさんしょう
琵琶湖びわこ 石田川いしだがわ - 石田川いしだがわダム 43.5 2,710 ロックフィル 滋賀しがけん
琵琶湖びわこ 安曇川あどがわ 北川きたがわ 北川きたがわだいいちダム 51.2 9,400 台形だいけいCSG 滋賀しがけん 建設けんせつちゅう
琵琶湖びわこ 安曇川あどがわ 麻生あそうがわ 北川きたがわだいダム 62.3 9,200 台形だいけいCSG 滋賀しがけん 凍結とうけつ検討けんとうちゅう
大戸川おおどかわ - - 大戸川おおとがわダム 92.5 33,300 重力じゅうりょくしき 国土こくど交通省こうつうしょう 建設けんせつちゅう
さむ谷川たにがわ - - 喜撰山きせんやまダム 91.0 7,227 ロックフィル 関西電力かんさいでんりょく 揚水ようすい発電はつでんようダム
桂川かつらがわ - - ダム 35.5 5,595 重力じゅうりょくしき 関西電力かんさいでんりょく
桂川かつらがわ - - 日吉ひよしダム 70.4 66,000 重力じゅうりょくしき みず資源しげん機構きこう
木津川きづがわ - - 大河原おおかわらダム - - 重力じゅうりょくしき 関西電力かんさいでんりょく しょう堰堤えんてい
木津川きづがわ 前深瀬川まえふかせがわ - 川上かわかみダム 91.0 33,000 重力じゅうりょくしき みず資源しげん機構きこう 建設けんせつちゅう
木津川きづがわ 岐川 滝川たきがわ 滝川たきがわダム 31.4 282 重力じゅうりょくしき 三重みえけん
木津川きづがわ 名張川なばりがわ - 比奈ひなダム 73.5 45,000 重力じゅうりょくしき みず資源しげん機構きこう 木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん
木津川きづがわ 名張川なばりがわ - 高山たかやまダム 67.0 56,800 重力じゅうりょくしきアーチ みず資源しげん機構きこう 木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん
木津川きづがわ 名張川なばりがわ 青蓮寺川しょうれんじがわ 青蓮寺しょうれんじダム 82.0 27,200 アーチしき みず資源しげん機構きこう 木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん
木津川きづがわ 名張川なばりがわ 宇陀川うだがわ 宮奥みやのおくダム 39.5 580 重力じゅうりょくしき 奈良ならけん
木津川きづがわ 名張川なばりがわ 宇陀川うだがわ 室生むろうダム 63.5 16,900 重力じゅうりょくしき みず資源しげん機構きこう 木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん
木津川きづがわ 遅瀬おそせがわ - 上津かみづダム 63.5 6,100 重力じゅうりょくしき 農林水産省のうりんすいさんしょう
木津川きづがわ 布目ぬのめがわ - 布目ぬのめダム 72.0 17,300 重力じゅうりょくしき みず資源しげん機構きこう 木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん
木津川きづがわ 白砂川しらすなかわ 須川すがわ 須川すがわダム 31.5 797 アーチしき 奈良なら水道局すいどうきょく
神崎川かんざきがわ 猪名川いながわ 一庫ひとくら大路おおじかわ 一庫ひとくらダム 75.0 33,300 重力じゅうりょくしき みず資源しげん機構きこう
神崎川かんざきがわ 猪名川いながわ 箕面みのおがわ 箕面みのおがわダム 47.0 2,000 ロックフィル 大阪おおさか
神崎川かんざきがわ 安威あいがわ - 安威あいがわダム 82.5 22,900 ロックフィル 大阪おおさか 建設けんせつちゅう

ちゅう1):黄色おうしょくらん建設けんせつちゅうさい開発かいはつちゅうもしくは計画けいかくちゅうのダム(2006ねん現在げんざい)。

ちゅう2):あからん国土こくど交通省こうつうしょう、または嘉田かだ滋賀しが県知事けんちじ建設けんせつ凍結とうけつ表明ひょうめいしたダム。

ちゅう3):あおらん木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん

流域りゅういき上下水道じょうげすいどう施設しせつ

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  • 宇治うじ浄水じょうすいじょう京都きょうと宇治うじ
    • 京都きょうと府営ふえい水道すいどう浄水じょうすいじょう天ヶ瀬あまがせダム鳳凰ほうおうより取水しゅすい水力すいりょく発電はつでん出力しゅつりょく43.83 kW)してから浄水じょうすい処理しょりし、宇治うじ城陽じょうよう八幡やはた久御山くみやままち供給きょうきゅうしている。
  • 宇治田原うじたわら浄化じょうかセンター(京都きょうと宇治田原うじたわらまち
  • ひがし宇治うじ浄化じょうかセンター(京都きょうと宇治うじ
    • 宇治うじ木幡きばたにある下水げすい処理しょりじょう宇治うじ宇治川うじがわ右岸うがん地区ちく下水げすい処理しょりして山科やましながわ宇治川うじがわ排水はいすい
  • 石田いしだみず環境かんきょう保全ほぜんセンター(京都きょうと伏見ふしみ
    • 京都きょうと伏見ふしみ醍醐だいご石田いしだにある京都きょうと上下水道じょうげすいどうきょく下水げすい処理しょりじょう京都きょうと山科やましな伏見ふしみ醍醐だいご地区ちくのほか、宇治うじ六地蔵ろくじぞう地区ちく一部いちぶ滋賀しがけん大津おおつ藤尾ふじおしょう金塚かなづか地区ちく下水げすい処理しょりしている。窒素ちっそステップ流入りゅうにゅうしき多段ただん硝化しょうかだつ窒法高度こうど処理しょりして支流しりゅう山科やましながわ排水はいすいしている。2013ねん3がつまで隣接りんせつする東部とうぶクリーセンター(石田いしだゴミ焼却しょうきゃく処理しょりじょう)の廃棄はいきぶつ発電はつでん電力でんりょく供給きょうきゅうけていたが、老朽ろうきゅうでゴミ処理しょりじょう廃止はいし[23]され、現在げんざい沈殿ちんでんうえ太陽光たいようこう発電はつでんパネルでおお太陽光たいようこう発電はつでんをしている。
  • 伏見ふしみすい環境かんきょう保全ほぜんセンター(京都きょうと伏見ふしみ
    • 京都きょうと伏見ふしみ横大路よこおおじにある京都きょうと上下水道じょうげすいどうきょく下水げすい処理しょりじょう。ガス・コジェネレーション設備せつび通常つうじょう下水げすい処理しょりうえにステップ流入りゅうにゅうしき多段ただん硝化しょうかだつ窒法・嫌気いやけこうほう・オゾン処理しょり高度こうど処理しょり窒素ちっそリン色素しきそ除去じょきょしてから宇治川うじがわ排水はいすいしている。
  • らくみなみ浄化じょうかセンター京都きょうと八幡やはた
    • 宇治川うじがわ木津川きづがわとの合流ごうりゅうにある京都きょうと最大さいだい下水げすい処理しょりじょう宇治川うじがわ以南いなん京都きょうと宇治うじ城陽じょうよう八幡やはた京田辺きょうたなべ木津川きづがわ久御山くみやままち井手いでまち下水げすいをチッソリンを除去じょきょする高度こうど処理しょりして木津川きづがわ放流ほうりゅうしている。
  • 樟葉くずは取水しゅすいじょう大阪おおさか枚方ひらかた
  • 淀川よどがわ左岸さがん流域りゅういき下水道げすいどう なぎさすいみらいセンター大阪おおさか枚方ひらかた
    • 枚方ひらかた渚内野なぎさうちのにある下水げすい処理しょりじょう枚方ひらかた交野かたの京都きょうと八幡やはた一部いちぶ)の下水げすい高度こうど処理しょりして寝屋川ねやがわ石津いしづポンプじょう送水そうすいして寝屋川ねやがわ放流ほうりゅうしている。また一部いちぶ処理しょりすい枚方ひらかたえき福祉ふくし会館かいかんのトイレの洗浄せんじょうすい空調くうちょうよう熱源ねつげんとしてさい使用しようされている。下水げすい処理しょりじょう上部じょうぶは「いこいの広場ひろば」としてせせらぎ散策さんさくゾーン・やすらぎのいけゾーンが整備せいびされている。
  • 磯島いそじま取水しゅすいじょう大阪おおさか枚方ひらかた
  • 淀川よどがわ右岸うがん流域りゅういき下水道げすいどう 高槻たかつきすいみらいセンター大阪おおさか高槻たかつき
    • 高槻たかつき番田ばんでんにある下水げすい処理しょりじょう島本しまもとまち高槻たかつき茨木いばらぎ下水げすい高度こうど処理しょりして茨木いばらぎの「中央ちゅうおうすいみらいセンター」から安威あいがわ放流ほうりゅうしている、上部じょうぶ汚泥おでい乾燥かんそう余熱よねつ利用りよう温水おんすいプールや隣接りんせつする南大樋みなみおおひ公園こうえん処理しょりすい使つかった噴水ふんすいやせせらぎ緑地りょくちなどが整備せいびされている。
  • 豊野とよの浄水じょうすいじょう大阪おおさか寝屋川ねやがわ
    • 大阪おおさか水道局すいどうきょく浄水じょうすいじょう
  • 安威あいがわ流域りゅういき下水道げすいどう 中央ちゅうおうすいみらいセンター大阪おおさか茨木いばらぎ
    • 茨木いばらぎにある下水げすい処理しょりじょう窒素ちっそリンを除去じょきょする高度こうど処理しょり施設しせつち、高槻たかつき下水げすい処理しょりされた処理しょりすい一緒いっしょ安威あいがわ放流ほうりゅうしている。
  • にわくぼ浄水じょうすいじょう大阪おおさか守口もりぐち
    • 阪神はんしん高速こうそく守口もりぐちせんはさんで北側きたがわ大阪おおさか水道局すいどうきょくにわくぼ浄水じょうすいじょう南側みなみがわ大阪おおさか広域こういき水道すいどう企業きぎょうだんにわくぼ浄水じょうすいじょうの2つの浄水じょうすいじょう並立へいりつしている。大阪おおさか大阪おおさかじゅう行政ぎょうせい無駄むだ象徴しょうちょうとして統廃合とうはいごう計画けいかくがあったが頓挫とんざしている。
  • 一津屋ひとつや取水しゅすいじょう大阪おおさか摂津せっつ
    • 淀川よどがわ神崎川かんざきがわ分岐ぶんきてんにある浄水じょうすいよう取水しゅすいこう大阪おおさか大阪おおさかおよび、神戸こうべ尼崎あまがさき伊丹いたみ西宮にしのみや芦屋あしや阪神はんしん水道すいどう企業きぎょうだん)の共同きょうどう施設しせつで、大阪おおさか広域こういき水道すいどう企業きぎょうだん三島みしま浄水じょうすいじょう大阪おおさか摂津せっつ吹田すいた)・柴島くにじま浄水じょうすいじょう大阪おおさか東淀川ひがしよどがわ大阪おおさか水道局すいどうきょく)、園田そのだ排水はいすいじょう経由けいゆして尼崎あまがさき神埼かんざき浄水じょうすいじょう西宮にしのみや中新田なかにいだ浄水じょうすいじょうへも水道すいどう原水はらみず供給きょうきゅうしているほか、伊丹いたみ工業こうぎょう用水ようすいにも利用りようされている。
  • 海老江えびえ下水げすい処理しょりじょう大阪おおさか福島ふくしま此花このはな
    • 淀川よどがわ河口かこうにある大阪おおさか下水げすい処理しょりじょう下水道げすいどう科学かがくかん併設へいせつされているほか、汚水おすいから発生はっせいするメタンガスを利用りようした発電はつでんおこなわれている。周辺しゅうへんには大野おおの下水げすい処理しょりじょう西淀川にしよどがわ此花このはな下水げすい処理しょりじょう此花このはな)があり、淀川よどがわ支流しりゅう排水はいすいしている。

このほか京都きょうと府内ふない木津川きづがわには浄水じょうすいじょう1箇所かしょ下水げすい処理しょりじょうが2箇所かしょ桂川かつらがわには浄水じょうすいじょう2箇所かしょ下水げすい処理しょりじょうが11箇所かしょ西高にしこう瀬川せかわ下水げすい処理しょりじょうが1箇所かしょある。

橋梁きょうりょう

[編集へんしゅう]
琵琶湖びわこからの「瀬田川せたがわ流出りゅうしゅつこう
彼方かなたえるはし近江おうみ大橋おおはし
瀬田川せたがわ唐橋からはし
宇治川うじがわたちばなとうとうとう

なお、御幸みゆききょう枚方ひらかた大橋おおはしあいだ大阪おおさかどう17ごう枚方ひらかた高槻たかつきせんはしとして、高槻たかつき大橋おおはし仮称かしょう)を谷川たにがわ合流ごうりゅう付近ふきん架橋かきょうする予定よていがあるが、建設けんせつ目処めどっていない。また御幸みゆききょう下流かりゅうには豊臣とよとみ政権せいけん時代じだいまで山崎やまざききょう[注釈ちゅうしゃく 10]かっていたがうしなわれ、その1962ねんまで渡船とせん運行うんこうされていた。

その

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淀川よどがわ大阪おおさか府内ふない河川敷かせんしきでは、野球やきゅうやサッカーなどのチームが、国土こくど交通省こうつうしょう淀川よどがわ河川かせん事務所じむしょ無断むだんバックネットベンチなどを設置せっちし、グラウンドとして長年ながねんわた使用しようしていた。河川かせんほう違反いはんするため、どう事務所じむしょ再三さいさんわた撤去てっきょ要請ようせいしてきたが、チーム関係かんけいしゃ抵抗ていこうすすんでいなかった。しかし2019ねん以降いこう豪雨ごうう災害さいがい相次あいついだ影響えいきょうもあって、これらのチームのうちけい33チームが、2021ねん3がつまでにバックネットなどを撤去てっきょする方針ほうしんであることがあきらかになった[24]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 観月橋かんげつきょうみなみのたもとに淀川よどがわ維持いじ區域くいきしるべ石柱せきちゅうが、大津おおつ晴嵐せいらん1丁目ちょうめ琵琶湖びわこがん琵琶湖びわこ瀬田川せたがわ淀川よどがわ)とを区別くべつする河川かせん管理かんり境界きょうかいしるべてられている。
  2. ^ 古代こだいには淀川よどがわ大和川やまとがわともに河内かわち草香江くさがえ歴史れきしをさらにさかのぼると河内かわちわん)に流入りゅうにゅうしていた。
  3. ^ ただし地名ちめいとしての瀬田せたは、明治めいじ時代じだいになって瀬田せたむら成立せいりつしたさいはじめてあらわれた。一般いっぱんてきには瀬田せた瀬戸せと転化てんかしたものであるとされ(世田谷せたがや瀬田せた同様どうよう)、両側りょうがわやまはさまれていることから地形ちけい由来ゆらい瀬田せた名前なまえいたと推測すいそくされる。
  4. ^ 大越おおこしのこの功績こうせきたたえ、1905ねん明治めいじ38ねん)、石山寺いしやまでら境内けいだい記念きねん建立こんりゅうされている。
  5. ^ なお、水質すいしつは「(きれい)ひんくさ水性すいせいβべーた-ちゅうくさ水性すいせいαあるふぁ-ちゅうくさ水性すいせいつよくさ水性すいせいきたない)」となる。
  6. ^ 琵琶湖びわこ疏水そすい行先ゆくさき複数ふくすうあるが、ここではきゅう高瀬川たかせがわ流入りゅうにゅうするものをしてっている。
  7. ^ 山名やまながわ琵琶湖びわこ疏水そすいしん高瀬川たかせがわ合流ごうりゅう
  8. ^ 桂川かつらがわ木津川きづがわ合流ごうりゅう
  9. ^ 芥川あくたがわ合流ごうりゅう
  10. ^ 山崎やまざき太郎たろうともばれ、瀬田せた唐橋からはし勢多せた次郎じろう)、宇治橋うじばし宇治うじ三郎さぶろう)とともに日本にっぽんさん古橋ふるはしひとつにかぞえられる。

出典しゅってん

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  1. ^ 高時川たかときがわのようす 淀川よどがわ源流げんりゅうをたずねて|長浜ながはま自然しぜん様子ようす|わたしたちの様子ようす|わたしたちの長浜ながはま”. 長浜ながはま教育きょういくセンター. 2020ねん3がつ24にち閲覧えつらん
  2. ^ 淀川よどがわ 名前なまえ流転るてん(とことんサーチ) - 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん”. www.nikkei.com. 2023ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ 小野おの芳朗よしろうみず環境かんきょうきょう名水めいすい」はなぜうしなわれたか』(PHP新書しんしょ)PHP研究所けんきゅうじょ、2001ねん p.183 ISBN 9784569616186
  4. ^ 小野おの芳朗よしろうみず環境かんきょうきょう名水めいすい」はなぜうしなわれたか』(PHP新書しんしょ)PHP研究所けんきゅうじょ、2001ねん p.184 ISBN 9784569616186
  5. ^ 尾藤びとう徳行のりゆき (2013ねん7がつ27にち). “よどみ城跡じょうせき”. だい247かい 京都きょうと考古こうこ資料しりょうかん文化財ぶんかざい講座こうざ. 京都きょうと埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ. 2019ねん9がつ7にち閲覧えつらん
  6. ^ 竹林ちくりん & 今井いまい 1995, p. 410.
  7. ^ しん近江おうみ名所めいしょ圖會ずえ だい260かい大日だいにちさん」の掘削くっさく -大津おおつ黒津くろづまち- | 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん滋賀しがけん文化財ぶんかざい保護ほご協会きょうかい”. 滋賀しがけん文化財ぶんかざい保護ほご協会きょうかい (2017ねん10がつ4にち). 2021ねん1がつ16にち閲覧えつらん
  8. ^ 治水ちすい歴史れきし”. みずのめぐみかん「アクア琵琶びわ. 2021ねん1がつ16にち閲覧えつらん
  9. ^ 古田ふるた 1965, pp. 41–42.
  10. ^ a b 竹林ちくりん & 今井いまい 1995, pp. 410–411.
  11. ^ 竹林ちくりん & 今井いまい 1995, pp. 411–412.
  12. ^ 暁鐘ぎょうしょうなりくもにしき随筆ずいひつ吉川弘文館よしかわこうぶんかん日本にっぽん随筆ずいひつ大成たいせい まき2)1927ねん昭和しょうわ2ねん)、44ぺーじ
  13. ^ a b 竹林ちくりん & 今井いまい 1995, p. 412.
  14. ^ 国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょく琵琶湖びわこ河川かせん事務所じむしょ独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじんすい資源しげん機構きこう琵琶湖びわこ開発かいはつ総合そうごう管理かんりしょ (2014ねん1がつ). “瀬田川せたがわあらいせき操作そうさ規則きそく制定せいていまでのみちのり”. 国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょく. 2021ねん1がつ16にち閲覧えつらん
  15. ^ 今週こんしゅう今昔こんじゃくかん(155) 長柄ながえさんとう 20190319”. 2019ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  16. ^ 大阪おおさか春秋しゅんじゅうだい19ごう. 大阪おおさか春秋しゅんじゅうしゃ. (1979-01-30) 
  17. ^ 淀川よどがわかわあるき=Guide Maps of Yodogawa:淀川よどがわガイドマップ. 読売よみうり連合れんごう広告こうこくしゃ. (2008-03-10) 
  18. ^ 日外にちがいアソシエーツ編集へんしゅう へん日本にっぽん災害さいがい事典じてん 1868-2009』日外にちがいアソシエーツ、2010ねん9がつ27にち、33ぺーじISBN 9784816922749 
  19. ^ 京阪けいはん大阪おおさか天満橋てんまばし枚方ひらかた定期ていき観光かんこうせん 9がつから運航うんこう日本経済新聞にほんけいざいしんぶん朝刊ちょうかん2017ねん7がつ26にち関西かんさい経済けいざいめん
  20. ^ 津田つだまつなえ「10-汚水おすい生物せいぶつ」『原色げんしょく現代げんだい科学かがくだい事典じてん 4-動物どうぶつ1』久米くめまたさん ちょ代表だいひょう)、学研がっけん、1967ねん、p.231「2 淀川よどがわ水質すいしつ汚濁おだく変遷へんせん」より抜粋ばっすい
  21. ^ 津田つだまつなえ「10-汚水おすい生物せいぶつ」『原色げんしょく現代げんだい科学かがくだい事典じてん 4-動物どうぶつ1』久米くめまたさん ちょ代表だいひょう)、学研がっけん、1967ねん、p.230-231「淀川よどがわ生物せいぶつてき水質すいしつ判定はんてい
  22. ^ 参考さんこう文献ぶんけん京都きょうと新聞しんぶん連載れんさい記事きじうるおいをとどけて・京都きょうと水道すいどう100ねん」2012ねん8がつ21にち掲載けいさい『8)かえしたいうつくしいみず京都きょうと印刷物いんさつぶつ だい026021ごうきょうみずだより Vol.12 京都きょうと下水道げすいどう90周年しゅうねん(2020ねん8がつ)』
  23. ^ 京都きょうと広報こうほう「きょうと市民しみんしんぶん」平成へいせい25ねん1がつ1にちごう3めん掲載けいさいの「東部とうぶクリーンセンターのみゴミの受付うけつけ終了しゅうりょう」より
  24. ^ 淀川よどがわ河川敷かせんしき違法いほうグラウンド撤去てっきょ長年ながねんの「無法むほう状態じょうたいうごかしたきっかけとは 毎日新聞まいにちしんぶん 2020ねん12月18にち

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょく 琵琶湖びわこ河川かせん事務所じむしょ
  • 日本にっぽん多目的たもくてきダム』1963年版ねんばん建設省けんせつしょう河川かせんきょく監修かんしゅう全国ぜんこく河川かせん総合そうごう開発かいはつ促進そくしん期成きせい同盟どうめいかいへん山海さんかいどう1963ねん
  • 古田ふるた良一りょういち治水ちすいとしての河村かわむらみずほけんした)」『水利すいり科学かがくだい44ごう水利すいり科学かがく研究所けんきゅうじょ、1965ねん8がつ、41-46ぺーじISSN 00394858NAID 220000151097 
  • 日本にっぽん多目的たもくてきダム』1972年版ねんばん建設省けんせつしょう河川かせんきょく監修かんしゅう全国ぜんこく河川かせん総合そうごう開発かいはつ促進そくしん期成きせい同盟どうめいかいへん山海さんかいどう1972ねん
  • 水資源開発公団みずしげんかいはつこうだんじゅうねん』:水資源開発公団みずしげんかいはつこうだん1982ねん
  • 竹林ちくりんせいさん今井いまい範雄のりお琵琶湖びわこ歴史れきし洪水こうずい瀬田川せたがわ浚渫しゅんせつについての土木どぼくてき研究けんきゅう」『土木どぼく研究けんきゅうだい15ごう土木どぼく学会がっかい、1995ねん、409-423ぺーじdoi:10.2208/journalhs1990.15.409ISSN 0916-7293NAID 130004038270 
  • 『ダム便覧びんらん 2006』:日本にっぽんダム協会きょうかい 2006ねん
  • 京都きょうと治水ちすい昭和大しょうわだい水害すいがい』:植村うえむら義博よしひろちょ文理ぶんりかく2011ねん4がつ

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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  • 淀川よどがわ - 国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょく淀川よどがわダム統合とうごう管理かんり事務所じむしょ