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木津川きつかわ (京都きょうと)

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木津川きづがわ
木津川
京都きょうと木津川きづがわきょうじん大橋おおはしより(下流かりゅう方向ほうこう
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 淀川よどがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 99 km
平均へいきん流量りゅうりょう -- m³/s
流域りゅういき面積めんせき 1,663 km²
水源すいげん 青山あおやま高原こうげん
三重みえけん伊賀いが
水源すいげん標高ひょうこう -- m
河口かこう合流ごうりゅうさき 淀川よどがわ京都きょうと八幡やはた
流域りゅういき 日本の旗 日本にっぽん
三重みえけん京都きょうと
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木津川きづがわ(きづがわ)は、三重みえけんおよび京都きょうとながれる淀川よどがわ水系すいけい支流しりゅう一級いっきゅう河川かせん三重みえけん伊賀いが柘植川つげがわ服部川はっとりがわを、京都きょうと相楽さがらぐん南山城みなみやましろむら名張川なばりがわあつめる。名張川なばりがわ合流ごうりゅうてんよりも上流じょうりゅう伊賀いががわしょうすることもある。

木津川きづがわ名前なまえ沿岸えんがん地名ちめい木津きづ」に由来ゆらいし、「木津きづ」とは奈良なら時代じだい平城京へいじょうきょうなどの都城みやこのじょう建設けんせつ木材もくざい陸揚りくあようつくられたみなとのことである[1]江戸えど時代じだいには、公認こうにん木津川きづがわろっはま笠置かさぎびんばら(みかのはら)、加茂かも木津きづ吐師はぜ(はぜ)、一口ひとくち(いもあらい))がかれ、淀川よどがわ合流ごうりゅうてんまでのうえ荷船にぶねによる舟運しゅううんにぎわっていた[2]。なお、中納言ちゅうなごんけん輔のうた「みかのはら わきてながれるる いづみがわ / いつみきとてか こいしかるらむ」(百人一首ひゃくにんいっしゅだい27ばん)のいずみ(いづみ)かわとは木津川きづがわのことである。

地理ちり[編集へんしゅう]

青山あおやま高原こうげんみなもとはっし、三重みえけん伊賀いが東部とうぶきたりゅう鈴鹿山脈すずかさんみゃく油日岳あぶらひだけ標高ひょうこう694メートル)からの柘植川つげがわと、布引山地ぬのびきさんち笠取山かさとりやま標高ひょうこう845メートル)からの服部川はっとりがわ伊賀いが北部ほくぶわせ、西にしりゅうてんじる。

京都きょうとはいあたりから河谷こうだにし、相楽さがらぐん南山城みなみやましろむらゆめ絃峡で高見山地たかみさんち三峰山みうねやま標高ひょうこう1,235メートル)が水源すいげん名張川なばりがわくわえる。沈下ちんかきょうのある南山城みなみやましろむら笠置かさぎまち木津川きづがわいたり、ふたたきたかう。京田辺きょうたなべ東部とうぶから徐々じょじょ北西ほくせいへとながれをえ、八幡やはた西端にしはた京都きょうと大阪おおさかさかい付近ふきん北東ほくとうからの宇治川うじがわ淀川よどがわ水系すいけい本流ほんりゅう)、きたからの桂川かつらがわ合流ごうりゅうし、淀川よどがわとなる。合流ごうりゅうてんの5キロメートルほど上流じょうりゅうには、増水ぞうすいするといた橋脚きょうきゃくからはずれる「ながきょう」として有名ゆうめい上津屋こうづやきょうかっている。さらに上流じょうりゅうくと、日本にっぽんひゃくめいきょうえらばれたいずみ大橋おおはしがある。

伊賀いがから木津川きづがわにかけて、JR関西本線かんさいほんせん国道こくどう163ごう笠置かさぎ街道かいどう)が並行へいこうする。木津川きづがわ以北いほくなかしも流域りゅういきでは、東岸とうがんをJR奈良ならせん国道こくどう24ごう奈良なら街道かいどう)が、西岸せいがんをJR学研都市線がっけんとしせん近鉄きんてつ京都きょうとせんとが沿う。

かわ周囲しゅういには茶畑ちゃばたおお存在そんざいする。

流域りゅういき自治体じちたい[編集へんしゅう]

洪水こうずい水害すいがい歴史れきし[編集へんしゅう]

木津川きづがわ洪水こうずいだけでなく、京都きょうと山地さんち風化ふうかしやすい花崗岩かこうがんおお天井川てんじょうがわつくられやすい。これにたいし、鈴木すずき一久かずひさ木津川きづがわ天井川てんじょうがわしたのは、「流域りゅういきひろさや地質ちしつには関係かんけいしていない」とし、「木津川きづがわ本流ほんりゅうたか堤防ていぼう建設けんせつされた結果けっか土砂どしゃ堆積たいせき河床かしょう上昇じょうしょうした」ためとしている[3]。また江戸えど時代じだいやまからの土砂どしゃとめ理由りゆうとしては、花崗岩かこうがん地質ちしつであることにくわえ、「当時とうじ農業のうぎょうが、草山くさやまった下草したくさ刈敷かりしき(かりしき)をしゅたる肥料ひりょうとしていたため、やま伐採ばっさい草山くさやまとして維持いじしていたことにある」とされる[4]。(諸国しょこく山川やまかわおきて参照さんしょう。)とく京都きょうと府下ふか木津川きづがわ支流しりゅうには14の天井川てんじょうがわがあり、ひとたび堤防ていぼう決壊けっかいすると高所こうしょから濁流だくりゅうながちてだい惨事さんじとなる。南山城みなみやましろ水害すいがいでは木津川きづがわ山城やましろまちながれる4つの天井川てんじょうがわがすべて決壊けっかいしておおきな被害ひがいした[5][6]

河川かせん施設しせつ[編集へんしゅう]

ダム可動かどうせき一覧いちらん[編集へんしゅう]

いち
ささえ川名かわな
本川ほんがわ

ささえ川名かわな
さん
ささえ川名かわな
ダムめい つつみだか
(メートル)
そう貯水ちょすい
容量ようりょう
せんm3
型式けいしき 事業じぎょうしゃ 備考びこう
木津川きづがわ 大河原おおかわらダム 重力じゅうりょくしき 関西電力かんさいでんりょく しょう堰堤えんてい
木津川きづがわ 上野うえの遊水地ゆうすいち 9,000 遊水地ゆうすいち 国土こくど交通省こうつうしょう 遊水地ゆうすいち
木津川きづがわ 前深瀬川まえふかせがわ 川上かわかみダム 91.0 33,000 重力じゅうりょくしき みず資源しげん機構きこう 木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん
木津川きづがわ 岐川 滝川たきがわ 滝川たきがわダム 31.4 282 重力じゅうりょくしき 三重みえけん
木津川きづがわ 名張川なばりがわ 比奈ひなダム 73.5 45,000 重力じゅうりょくしき みず資源しげん機構きこう 木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん
木津川きづがわ 名張川なばりがわ 高山たかやまダム 67.0 56,800 重力じゅうりょくしきアーチ みず資源しげん機構きこう 木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん
木津川きづがわ 名張川なばりがわ 青蓮寺川しょうれんじがわ 青蓮寺しょうれんじダム 82.0 27,200 アーチしき みず資源しげん機構きこう 木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん
木津川きづがわ 名張川なばりがわ 宇陀川うだがわ 宮奥みやのおくダム 39.5 580 重力じゅうりょくしき 奈良ならけん
木津川きづがわ 名張川なばりがわ 宇陀川うだがわ 室生むろうダム 63.5 16,900 重力じゅうりょくしき みず資源しげん機構きこう 木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん
木津川きづがわ 遅瀬おそせがわ 上津かみづダム 63.5 6,100 重力じゅうりょくしき 農林水産省のうりんすいさんしょう
木津川きづがわ 布目ぬのめがわ 布目ぬのめダム 72.0 17,300 重力じゅうりょくしき みず資源しげん機構きこう 木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん
木津川きづがわ 白砂川しらすなかわ 須川すがわ 須川すがわダム 31.5 797 アーチしき 奈良なら水道局すいどうきょく
  • ちゅう1:黄色おうしょくらん建設けんせつちゅうさい開発かいはつちゅうもしくは計画けいかくちゅうのダム(2011ねん現在げんざい)。
  • ちゅう2:あからん国土こくど交通省こうつうしょう、または嘉田かだ滋賀しが県知事けんちじ建設けんせつ凍結とうけつ表明ひょうめいしたダム。
  • ちゅう3:あおらん木津川きづがわ上流じょうりゅうダムぐん

橋梁きょうりょう[編集へんしゅう]

流域りゅういき上下水道じょうげすいどう施設しせつ[編集へんしゅう]

  • 宇陀川うだがわ浄化じょうかセンター
室生むろうダム(奈良ならけん宇陀うだ)の上流じょうりゅうにある宇陀川うだがわ流域りゅういき下水道げすいどう下水げすい処理しょりじょう窒素ちっそリン除去じょきょする高度こうど処理しょり設備せつびち、支流しりゅう宇陀川うだがわ排水はいすいしている。
  • 青山あおやま清水しみずえん
奈良なら青山あおやまにある奈良なら下水げすい処理しょりじょう窒素ちっそ・リンを除去じょきょする高度こうど処理しょり設備せつびち、支流しりゅう鹿川かのかわ排水はいすいしている。
  • 佐保台さほだい浄化じょうかセンター
奈良なら佐保台さほだいにある奈良なら下水げすい処理しょりじょう窒素ちっそ・リンを除去じょきょする高度こうど処理しょり設備せつびち、支流しりゅう鹿川かのかわ排水はいすいしている。
  • 京都きょうと府営ふえい水道すいどう木津きづ浄水じょうすいじょう
木津川きづがわ木津きづまちにある浄水じょうすいじょう京田辺きょうたなべ木津川きづがわ精華せいかまち供給きょうきゅうしているほか、緊急きんきゅうには宇治うじ浄水じょうすいじょう宇治川うじがわ)や乙訓おとくに浄水じょうすいじょう桂川かつらがわ)との相互そうご供給きょうきゅう可能かのうである(水道すいどう本管ほんかんでつながれている)。
  • 加茂かもまち浄化じょうかセンター
支流しりゅう土堀つちぼりがわにある下水げすい処理しょりじょう木津川きづがわ加茂かもまち大字だいじさと小字こあざきた古田ふるた位置いちする。
  • 木津川きづがわ上流じょうりゅう浄化じょうかセンター
京都きょうと木津川きづがわ相楽さがらぐん精華せいかまち汚水おすい処理しょりする木津川きづがわ上流じょうりゅう流域りゅういき下水道げすいどう終末しゅうまつ処理しょりじょう窒素ちっそ・リンを除去じょきょする高度こうど処理しょり設備せつびゆうする。相楽さがらぐん精華せいかまち大字だいじ下狛しもこま小字こあざむく位置いちし、1999ねん11月に供用きょうよう開始かいしした。
  • らくみなみ浄化じょうかセンター
京都きょうと八幡やはた京田辺きょうたなべ京都きょうと伏見ふしみ久世くせぐん久御山くみやままち宇治うじ城陽じょうよう綴喜つづきぐん井手いでまち木津川きづがわ山城やましろまち汚水おすい処理しょりする木津川きづがわ流域りゅういき下水道げすいどう終末しゅうまつ処理しょりじょう窒素ちっそ・リンを除去じょきょする高度こうど処理しょり設備せつびがある。宇治川うじがわ木津川きづがわはさまれた八幡やはた八幡焼木やわたやけぎ位置いちし、1986ねん3がつ供用きょうよう開始かいしした。

行事ぎょうじ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 木津川きづがわ. “のプロフィール”. 木津川きづがわ. 2019ねん9がつ6にち閲覧えつらん
  2. ^ 南山城みなみやましろ歴史れきし文化ぶんか京都きょうと府立ふりつ山城やましろ郷土きょうど資料しりょうかん京都きょうと府立ふりつ山城やましろ郷土きょうど資料しりょうかんともかい、2016ねん3がつ
  3. ^ 鈴木すずき一久かずひさ京都きょうと南部なんぶ木津川きづがわ不動川ふどうがわ自然しぜん環境かんきょう災害さいがいる1にち見学けんがくコース」(『近畿大学きんきだいがく教育きょういく論叢ろんそう』23かん1ごう、2011ねん9がつ
  4. ^ みずとのたたかいー南山城みなみやましろ水害すいがいから50ねん京都きょうと府立ふりつ山城やましろ郷土きょうど資料しりょうかん、2003ねん10がつ
  5. ^ そなえる いのちまもるために「天井川てんじょうがわ」」(『京都きょうと新聞しんぶん朝刊ちょうかん、2013ねん7がつ23にち14めん
  6. ^ 明治めいじにはオランダじん技師ぎしデ・レーケの指導しどうなどにより近代きんだい砂防さぼう工事こうじおこなわれていたが、「だい世界せかい大戦たいせんちゅう山林さんりん乱伐らんばつされ、山野やまのらされ」、それが昭和しょうわ28ねん(1953)の南山城みなみやましろ水害すいがい遠因えんいんとなったとされる。『加茂かもまち だいさんかん』(1994ねん3がつ
  7. ^ 植村うえむら義博よしひろ京都きょうと治水ちすい昭和大しょうわだい水害すいがい』(文理ぶんりかく、2011ねん4がつ1にち)
  8. ^ 三川みかわ合流ごうりゅう付近ふきん八幡やはた京都きょうとについて 」(京都きょうと新聞しんぶん夕刊ゆうかん、2011ねん11月5にちづけ
  9. ^ 南山城みなみやましろむら編纂へんさん委員いいんかい南山城みなみやましろむら 本文ほんぶんへん』(南山城みなみやましろむら、2005ねん3がつ31にち
  10. ^ 井手いでまち編集へんしゅう委員いいんかい南山城みなみやましろ水害すいがい30周年しゅうねん記念きねん編集へんしゅう委員いいんかい井手いでまち シリーズ特別とくべつへん 南山城みなみやましろ水害すいがい』(1983ねん3がつ
  11. ^ 日本にっぽん多目的たもくてきダム 直轄ちょっかつへん1990年版ねんばん
  12. ^ 京都きょうと新聞しんぶん』(1959ねん9がつ27にち・28にちづけ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]