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霞ヶ浦かすみがうら

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
霞ヶ浦かすみがうら
衛星写真
衛星えいせい写真しゃしん
地図
青色あおいろ強調きょうちょうした範囲はんい西浦にしうら
霞ヶ浦の位置(関東地方内)
霞ヶ浦
霞ヶ浦の位置(茨城県内)
霞ヶ浦
所在地しょざいち 茨城いばらきけん101まち1むら千葉ちばけん1[1]
位置いち 北緯ほくい360ふん0びょう 東経とうけい14025ふん0びょう / 北緯ほくい36.00000 東経とうけい140.41667 / 36.00000; 140.41667座標ざひょう: 北緯ほくい360ふん0びょう 東経とうけい14025ふん0びょう / 北緯ほくい36.00000 東経とうけい140.41667 / 36.00000; 140.41667
面積めんせき 220 km2
周囲しゅういちょう 249.5 km
最大さいだい水深すいしん 7.1 m
平均へいきん水深すいしん 4 m
貯水ちょすいりょう 0.85 km3
水面すいめん標高ひょうこう 0 m
成因せいいん うみあと
淡水たんすい・汽水 淡水たんすい
湖沼こしょうがた 栄養えいようみずうみ
透明とうめい 0.6 m
プロジェクト 地形ちけい
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霞ヶ浦かすみがうら霞ケ浦かすみがうら(かすみがうら、えい: Lake Kasumigaura[2])は、茨城いばらきけん南東なんとうひろがるみずうみ面積めんせきやく220平方へいほうキロメートル[3]で、日本にっぽん湖沼こしょうでは琵琶湖びわこについで番目ばんめおおきい。西浦にしうら北浦きたうら外浪逆浦そとなさかうら(そとなさかうら)、北利根きたとねがわ鰐川わにがわ常陸ひたちがわかく水域すいいき総体そうたいであり、一部いちぶ水域すいいき千葉ちばけん北東ほくとうにもまたががる[1]河川かせんほうではこの範囲はんいを「常陸利根川ひたちとねがわ」という利根川とねがわささえかわとしている。湖沼こしょう水質すいしつ保全ほぜん特別とくべつ措置そちほう指定してい湖沼こしょう

名称めいしょう

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国土こくど地理ちりいん発行はっこうの『標準ひょうじゅん地名ちめいしゅう自然しぜん地名ちめい)』では「ケ(大文字おおもじ)」をもちいており、地名ちめいとしては「霞ケ浦かすみがうら」が正式せいしき表記ひょうきである。くにが「ヶ(小文字こもじ)」を、茨城いばらきけんが「ケ(大文字おおもじ)」をもちいる傾向けいこうにある。「霞ヶ浦かすみがうら北浦きたうら」という表現ひょうげんのように事実じじつじょう西浦にしうらのみをして使つかわれる場合ばあいおおい。

霞ヶ浦かすみがうら古代こだいに「ながれかい」(ながれうみ)か「なみぎゃくうみ」(なさかのうみ)とばれ、中世ちゅうせいはいって「かすみうら」と和歌わかまれていたが、鹿島灘かしまなだの「そとうみ」にたいして「うちうみ」ともいわれた。「霞ヶ浦かすみがうら」とばれるようになったのは江戸えど時代じだいになってからのことである[4]

語源ごげん

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常陸ひたちこく風土記ふどき』の行方ゆくえぐんじょうにある「香澄かすみ(かすみ)のさと」に由来ゆらいするとわれる。大足おおあし日子にっしけいぎょう天皇てんのう)がしたが臣下しんかに「うみには、すなわちあおなみただよっており、りくには、これまた、赤色あかいろかすみがたなびいている。くにがそのなかにあるとわたしにはみえる。」とったことは語源ごげんの1つだとされるが[4]明確めいかくにいつ、だれ名付なづけたかにかんしては不明ふめいである[5]

地理ちり

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霞ヶ浦かすみがうらかく水域すいいき
稲敷いなしき境島さかいじまからのぞ霞ケ浦かすみがうら筑波山つくばさん
外浪逆浦そとなさかうら周辺しゅうへん空中くうちゅう写真しゃしん
2012ねん2がつ21にち撮影さつえいの21まい合成ごうせい作成さくせい国土こくど交通省こうつうしょう 国土こくど地理ちりいん 地図ちず空中くうちゅう写真しゃしん閲覧えつらんサービス空中くうちゅう写真しゃしんもと作成さくせい

みずうみ面積めんせき220.0平方へいほうキロメートルは日本にっぽんだい2[ちゅう 1]茨城いばらき県内けんないでは最大さいだいである。おも水域すいいきべつ面積めんせきつぎのとおり。

  • 西浦にしうら:172平方へいほうキロメートル[3]
  • 北浦きたうら:36平方へいほうキロメートル[3]
  • 外浪逆浦そとなさかうら:6平方へいほうキロメートル
  • 常陸利根川ひたちとねがわ:6平方へいほうキロメートル[3]

なお、平野へいや関東平野かんとうへいや東部とうぶ)に位置いちするため流域りゅういき面積めんせきは2156.7平方へいほうキロメートルとひろく、茨城いばらきけん面積めんせきやく35%をめる。水際みずぎわせん延長えんちょうは249.5キロメートルで、これは日本にっぽん最大さいだい面積めんせきみずうみである琵琶湖びわこ(235.0キロメートル)の水際みずぎわせん延長えんちょうえる。平均へいきん水深すいしんやく4メートル[6]最大さいだい水深すいしんやく7メートル、年間ねんかん流下りゅうかりょうやく14おく立方りっぽうメートル貯留ちょりゅうりょうやく8.5おく立方りっぽうメートル。流入りゅうにゅう河川かせんは56あり[6]桜川さくらがわ恋瀬川こいせがわ巴川ともえがわ小野川おのがわなどが有名ゆうめいである。

太平洋たいへいようがん気候きこうにあるため、梅雨つゆ台風たいふうによる降水こうすいおおく、ふゆ晴天せいてんおお降水こうすいりょうすくない。とく周辺しゅうへんではふゆに「筑波つくばおろし(つくばおろし)」とばれるつよ北西ほくせい季節風きせつふうく。流域りゅういき年間ねんかん平均へいきん降水こうすいりょうやく1,300ミリメートルで全国ぜんこく平均へいきんやく1,780ミリメートル)にくらべるとすくなめである。

きたには涸沼ひぬまがあり、みなみには利根川とねがわながれ、北西ほくせいには八溝山地やみぞさんち南端なんたんにあたる筑波山つくばさん標高ひょうこう877メートル)をようしている。周辺しゅうへんは、台地だいち低地ていちんだ場所ばしょおおく、筑波つくばさん周辺しゅうへん最高さいこうてんであるため、潮来いたこなど比較的ひかくてきとおはなれた場所ばしょでもよくのぞむことができる。西浦にしうら北浦きたうらあいだだい部分ぶぶん海抜かいばつ30メートル程度ていど行方ゆくえ台地だいちとなっており、広大こうだい農業のうぎょう地帯ちたいである。

元々もともとは「うら」という名前なまえしめすようにうみ太平洋たいへいよう)の由来ゆらいし、砂州さす河川かせん堆積たいせきぶつによって出口でぐちざされたラグーンである。そのため、時期じき場所ばしょによって塩分えんぶん濃度のうどちがいはあるものの、かつての湖水こすい塩分えんぶんこんじる汽水であった。とく1950年代ねんだいから1960年代ねんだいには、下流かりゅう河川かせん改修かいしゅう浚渫しゅんせつ)の影響えいきょう海水かいすい遡上そじょうし、近年きんねんではもっとも汽水すすんだ時期じきだった。当時とうじ人々ひとびとにとって「汽水」という印象いんしょうつよいのはそのためである。

しかし、1963ねん治水ちすい塩害えんがい防止ぼうし目的もくてきにして竣工しゅんこうした常陸ひたちがわ水門すいもんぎゃく水門すいもん)を利用りようすることで淡水たんすい進行しんこうしたくわしくは「霞ヶ浦かすみがうら歴史れきし」を参照さんしょう。そのため、現在げんざいはほぼ淡水たんすいみずうみわらない状況じょうきょうにある[ちゅう 2]

西浦にしうら

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面積めんせきやく172平方へいほうキロメートル、海抜かいばつ高度こうど0.2メートル、最大さいだい水深すいしん7メートル。
狭義きょうぎ霞ヶ浦かすみがうらである。土浦つちうら方面ほうめんびる水域すいいきを「土浦つちうらいれ(つちうらいり)」、石岡いしおか方面ほうめんびる水域すいいきを「高浜たかはまいれ(たかはまいり)」[ちゅう 3]、この両者りょうしゃまじわる出島でじまおきひろ水域すいいきを「三叉みつまたおき(みつまたおき)」とぶ。に「江戸崎えどさきいれ稲波いなみ干拓かんたく)」、「甘田かんだいれ」、「大山おおやまいれきょういれ)」などがあったが、昭和しょうわ干拓かんたく事業じぎょうにより消滅しょうめつした。羽賀はがぬま野田のだ奈、西にししゅう本新ほんしん八木はちぼくなどの干拓かんたくおこなわれ、みずうみ水域すいいき減少げんしょうした。

稲敷いなしき浮島うきしま和田わだみさき稲敷いなしきぐん美浦みほむら稲荷ノ鼻いなりのはな稲敷いなしき古渡こわたり堂崎ノ鼻どうざきのはなは、霞ヶ浦かすみがうら西浦にしうら)にびてできた砂嘴さしである[7]

北浦きたうら

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面積めんせきやく36平方へいほうキロメートル、海抜かいばつ高度こうど0メートル、最大さいだい水深すいしん7メートル。

潮来いたこ水原みずはらしゅうほえさき鹿嶋かしま爪木ノ鼻つまぎのはな北浦きたうらびて出来でき砂嘴さしである[7]

外浪逆浦そとなさかうら

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面積めんせきやく6平方へいほうキロメートル、最大さいだい水深すいしん9メートル。1893ねんなみぎゃくうら堤防ていぼう南北なんぼく仕切しきり、そのみなみ外浪逆浦そとなさかうらである。

  • うちなみぎゃくうら(うちなさかうら)は外浪逆浦そとなさかうらきたにあったが、昭和しょうわ初期しょき干拓かんたく事業じぎょう農地のうちとなり消滅しょうめつ現在げんざい住宅じゅうたく潮来いたこ地区ちく)となっている。

利用りよう

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漁業ぎょぎょう

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現在げんざい霞ヶ浦かすみがうらおも漁獲ぎょかくされるのはワカサギシラウオコイこい)、フナウナギアユボラレンギョハクレンなど)、イサザアミなど。エビ、イサザアミ、ゴロ、コイなどのりょうおおく、またワカサギやシラウオなどは付加ふか価値かちおおきいため、重要じゅうようさかなしゅとなっている。アユは最近さいきんになって漁獲ぎょかくされるようになっている。少量しょうりょうではあるが、タナゴクルメサヨリウグイドジョウスズキ(セイゴ)、ヒガイソウギョブラックバスアメリカナマズ(チャネルキャットフィッシュ)、ペヘレイなども漁獲ぎょかくされている。

ただ、とくにブラックバスやペヘレイなどのさかなしゅ現在げんざいのところほとんど商品しょうひん価値かちがなく、あまり利用りようされていない。また、水揚みずあげされたアメリカナマズ、ブルーギル、ブラックバス、ハクレンなどをもちい、管理かんりされた原料げんりょう環境かんきょう魚粉ぎょふん製造せいぞうされ養鶏ようけい飼料しりょうからはじまり魚類ぎょるい養殖ようしょく飼料しりょう有機ゆうき肥料ひりょうとして利用りようされて地産ちさんけししなとして有効ゆうこう利用りようされている。こうした食用しょくようとして人気にんきひく外来がいらいぎょ肥料ひりょう飼料しりょう茨城いばらき県庁けんちょう後押あとおししており、在来ざいらいしゅ魚介ぎょかいるいへの食害しょくがいらして、漁業ぎょぎょう資源しげん生態せいたいけい保全ほぜんする目的もくてきもある[6]

全般ぜんぱんてき漁獲ぎょかくりょう1978ねん漁獲ぎょかくりょう(17,487トン)をピークにして減少げんしょう傾向けいこうつづいていて、1998ねんには2,000トンだい突入とつにゅう2000ねん漁獲ぎょかくりょうは2,416トンであった。さかな種別しゅべつても減少げんしょう傾向けいこうわらず、たとえばワカサギは1980年代ねんだいには1,000えることもあったが、90年代ねんだい初頭しょとうには400 - 500トン前後ぜんこうとなり、2000ねん漁獲ぎょかくは51トンでしかない。シラウオも一時いちじ300トン前後ぜんこう回復かいふく傾向けいこうにあったが1998ねんごろから100トン前後ぜんこうになり、2000ねん漁獲ぎょかくりょうは95トンだった。また、漁獲ぎょかくりょうやく半分はんぶんめるエビ・アミるいについても減少げんしょう傾向けいこうにある。

漁業ぎょぎょう種別しゅべつ漁獲ぎょかくりょうると、わかさぎ・しらうおひきもうトロールもう)が36.6%、いさざ・ごろひきもうが32.0%、定置網ていちあみが16.3%、かけもうが13.6%となっている。定置網ていちあみちょうもうともいわれ、湖岸こがん沿いからもかなりなかずることができる。

生産せいさんがくは2000ねん総額そうがくが8おく6,100まんえんで、その内訳うちわけはエビが半分はんぶん以上いじょうの4おく6600まんえん、シラウオが1おく600まんえん、ハゼが5,500まんえん、コイが5,000まんえん、ワカサギが4,200まんえんとなっており、シラウオやワカサギが漁獲ぎょかくりょうくら生産せいさんがくたかい。

農林水産省のうりんすいさんしょう漁業ぎょぎょうセンサス』によると、霞ヶ浦かすみがうら一帯いったい漁業ぎょぎょう従事じゅうじしゃは2018ねんで326にんと、2008ねん(725にん)にくら半数はんすう以下いかった[6]

養殖ようしょく漁業ぎょぎょうにおいては、とくにコイの養殖ようしょく有名ゆうめいで、かつては全国ぜんこくいち生産せいさんりょうほこっており、佐久さくなどのほかのコイ産地さんちにも出荷しゅっかしていた。しかし、2003ねんコイヘルペスウイルス (KHV) の流行りゅうこうにより壊滅かいめつてき打撃だげきけ、翌年よくねんにはぜん業者ぎょうしゃ廃業はいぎょうした。2009ねん4がつ養殖ようしょく自粛じしゅく要請ようせい解除かいじょされ養殖ようしょく再開さいかいされることとなった[8]養殖ようしょくこい出荷しゅっか直前ちょくぜんすう日間にちかん湖水こすいちゅうから、地下水ちかすいげたシメ生簀いけす[9]うつして、消化しょうか内容ないようぶつ余分よぶん脂肪しぼうとしてくさみを[10]

このほか浮島うきしま付近ふきん江戸崎えどさきなどでは淡水たんすい真珠しんじゅ養殖ようしょくおこなわれている。2000ねん淡水たんすい真珠しんじゅはまようりょうは135キログラムで、これは全国ぜんこく(181キログラム)のやく75%になる。なお、生産せいさんがくは7おく100まんえんだった。

そして、霞ヶ浦かすみがうら魚介ぎょかいるいは、煮干にぼし甘露煮かんろに佃煮つくだにものなどに加工かこうされている。煮干にぼしふるくから保存ほぞんしょくとして定着ていちゃくしていたが、佃煮つくだに明治めいじ以降いこう普及ふきゅうしたものである。煮干にぼしになるおもなものはワカサギ、シラウオ、イサザアミ、エビ。佃煮つくだにはワカサギ、ハゼ、イサザアミ、フナ。ものはフナ(すずめき)、ワカサギなどである。きワカサギなどは独特どくとく風味ふうみであるということで霞ヶ浦かすみがうら特産とくさんひんとしてとく珍重ちんちょうされた。しかし、近年きんねん漁獲ぎょかくりょう減少げんしょうとともに霞ヶ浦かすみがうらさん原料げんりょう確保かくほむずかしくなっている。また、行方ゆくえ商工会しょうこうかい北米ほくべい原産げんさんのチャネルキャットフィッシュ(アメリカンキャットフィッシュ)を使つかった行方なみかたバーガー(なめパックン)という当地とうちグルメまちおこしをしている。

なお、霞ヶ浦かすみがうら範囲はんいには独立どくりつした「うみ」が設定せっていされており[ちゅう 4]漁業ぎょぎょうほうじょう内水うすいめんではなくうみおなあつかいをけるほか、独自どくじうみ漁業ぎょぎょう調整ちょうせい委員いいんかい茨城いばらきけん霞ヶ浦かすみがうら北浦きたうらかい漁業ぎょぎょう調整ちょうせい委員いいんかい)と漁業ぎょぎょう調整ちょうせい規則きそく茨城いばらきけん霞ヶ浦かすみがうら漁業ぎょぎょう調整ちょうせい規則きそく)をっている[11]近年きんねん常陸ひたちがわ水門すいもん部分ぶぶんてき開門かいもんするなどの措置そちおこなうことにより、近隣きんりん水域すいいき湖水こすいが汽水と撹拌かくはん浄化じょうかされ、シジミやスズキなど日本にっぽん固有こゆうしゅでかつ漁業ぎょぎょう価値かちたか生息せいそくぎょ貝類かいるいゆたか可能かのうせいかんがえられている。これはすなわち関連かんれん漁業ぎょぎょう資源しげん回復かいふく意味いみするものである。状況じょうきょうてきには汽水みずうみである浜名湖はまなこ静岡しずおかけん西部せいぶ)のように、漁業ぎょぎょうゆう漁業ぎょぎょうがかなり活性かっせいされる可能かのうせいめている。霞ヶ浦かすみがうら以前いぜんは汽水みずうみだったので原点げんてん回帰かいきさくともえる。汽水されれば先述せんじゅつのブラックバスやアメリカナマズなどの迷惑めいわく外来がいらいしゅめなくなり、わってスズキやクロダイ、ウナギなどの付加ふか価値かちたかさかなしゅわる。

利水りすい

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霞ヶ浦かすみがうら上水道じょうすいどう農業のうぎょう用水ようすい工業こうぎょう用水ようすい水源すいげんとして使つかわれている。水利すいりけん茨城いばらきけん毎秒まいびょう37.23立方りっぽうメートル)、千葉ちばけん毎秒まいびょう4.19立方りっぽうメートル)、東京とうきょう毎秒まいびょう1.50立方りっぽうメートル)におよび、合計ごうけい毎秒まいびょう42.92立方りっぽうメートルとなっている。しかし、その水質すいしつ化学かがくてき酸素さんそ要求ようきゅうりょう』(COD)やそう窒素ちっそそうリンなどの化学かがくてき指標しひょうによると良好りょうこうとはえない状況じょうきょうつづいている。また、湖水こすい茶色ちゃいろがかり、透明とうめいいちじるしくひく状態じょうたいとなっており、場所ばしょによっては浮遊ふゆうぶつ(ゴミなど)がげられている場所ばしょすくなくなく、心象しんしょうけっして清浄せいじょうとはいえない。1978ねん日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい(JRA)によって開設かいせつされた美浦みほトレーニングセンターでの飲料いんりょうようにも使用しようされているが、競馬けいばじょうやトレーニングセンターとの比較ひかくで「みずわるい」とわれ、競走きょうそうみずませるのに苦労くろうするケースがこれまでも多々たたられている。

1970年代ねんだいから夏季かき中心ちゅうしんアオコだい発生はっせい水道すいどうすい異臭いしゅう、シジミや養殖ようしょくゴイの大量たいりょうなどが顕著けんちょ発生はっせいするようになり、1979ねんにはCOD年間ねんかん平均へいきん過去かこ最悪さいあくの11.3mg/lにいたる。これにたいし、合成ごうせい洗剤せんざいえて石鹸せっけん使つかおうとびかける市民しみん運動うんどうおこなわれたり、1981ねんとみ栄養えいよう防止ぼうし条例じょうれい公布こうふされたりたりしたものの、この時期じき強烈きょうれつなイメージから「よごれたみずうみ」「みずうみ」というイメージが定着ていちゃくするようになってしまう。1990年代ねんだいなか以降いこう、かつてのようなアオコのだい発生はっせい観測かんそくされていない。しかし、それは水質すいしつ改善かいぜんされてきたというよりも発生はっせいする植物しょくぶつプランクトン変化へんかした結果けっかかんがえられている。なお、2000年代ねんだいには(アオコの)おおきな発生はっせいはなかったが,2011ねんだい発生はっせいがあった[12]

こうした霞ヶ浦かすみがうら水質すいしつ汚濁おだく特徴とくちょうとしては、流域りゅういき平地ひらち面積めんせきひろ水深すいしんあさいので、そもそも自然しぜんてきとみ栄養えいよう進行しんこうするうえに流域りゅういきでの生産せいさん生活せいかつ活動かつどう増大ぞうだいによって人為じんいてきとみ栄養えいようかさなっているてん平均へいきん水深すいしんが4メートルとあさいためにそこどろがりやすいてん夏季かき酸素さんそ状態じょうたいによる窒素ちっそ・リンのそこどろからの溶出ようしゅつ流入りゅうにゅう河川かせんそう窒素ちっそそうリンの濃度のうどたかてん湖岸こがん植生しょくせいたい流域りゅういき森林しんりん水路すいろ変化へんかなどによっていわゆる「自然しぜん浄化じょうかりょく」が低下ていかしているてんなどがげられている。

汚濁おだく要因よういんをみてみると、外部がいぶ要因よういんでは生活せいかつ廃水はいすいよりも、山林さんりん田畑たはた道路どうろなどからの流出りゅうしゅつによるめんげんけいのものがおおい。具体ぐたいてきには流域りゅういきやく40まんとうおよ養豚ようとん沿岸えんがん地帯ちたいやく1,700ヘクタールひろがるレンコン栽培さいばいよう蓮田はすだによるものが特徴とくちょうてきとされている。内部ないぶ要因よういんとしてはそこどろからの溶出ようしゅつなどがあり、CODやリンで全体ぜんたい負荷ふか半分はんぶんちかく、窒素ちっそで3わりめるという。

こうした状況じょうきょうなかで、霞ヶ浦かすみがうらではおも霞ヶ浦かすみがうら管理かんりする国土こくど交通省こうつうしょうきゅう建設省けんせつしょう)によって水質すいしつ浄化じょうか対策たいさくおこなわれてきた。その筆頭ひっとうげられるのはそこどろ浚渫しゅんせつ事業じぎょうである。これは1975ねんより西浦にしうら土浦つちうらいれ高浜たかはまいれおこなわれ、1992ねんからはその規模きぼおおきくなって、いち年間ねんかんに50おくえん以上いじょう予算よさん使つかやく50まん立方りっぽうメートルを浚渫しゅんせつしているとされている。この計画けいかく合計ごうけい浚渫しゅんせつりょうは800まん立方りっぽうメートルで、これは湖底こていにあるぜんそこどろやく4,000まん立方りっぽうメートル)の1/5ほどに相当そうとうし、1975ねんから2000ねんまでのあいだに534まん立方りっぽうメートルが浚渫しゅんせつされている。浚渫しゅんせつ窒素ちっそやリンを溶出ようしゅつさせるそこどろ除去じょきょしようというもので、比較的ひかくてきリンなどをおおふく表面ひょうめんから30センチメートルのそこどろ対象たいしょうにしている。国土こくど交通省こうつうしょう説明せつめいによると浚渫しゅんせつおこなうことによって、溶出ようしゅつ速度そくどが1/4になり負荷ふか減少げんしょうさせることができるとされている。しかし、浚渫しゅんせつをしてもあらたな堆積たいせきぶつもるため、10ねんにはふたたび5 - 7センチメートルのそこどろ表面ひょうめんあらたに形成けいせいされてしまう。そのため、広大こうだい霞ヶ浦かすみがうらでは汚濁おだく水質すいしつ浄化じょうか処理しょりをしたとしても、汚濁おだく原因げんいんあわせて改善かいぜんさせないかぎりその効果こうか限定げんていてきであるという指摘してきもある。茨城いばらきけんでは、霞ヶ浦かすみがうら流域りゅういき住民じゅうみん対象たいしょうにした、下水道げすいどう接続せつぞくする工事こうじ浄化槽じょうかそう設置せっちするさい工事こうじ助成じょせいおこなっている。

一方いっぽう常陸ひたちがわ水門すいもん部分ぶぶんてき開門かいもんし、汽水との撹拌かくはん水質すいしつ浄化じょうかするこころみも模索もさくはじめられている。このさい利水りすい必要ひつよう取水しゅすいこう位置いちと汽水拡大かくだい範囲はんい関係かんけい確認かくにんなどが必要ひつようであるが、現在げんざいかんがえられうるもっと現実げんじつてき湖水こすい浄化じょうか手段しゅだんである。

観光かんこう

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曳船えいせん

霞ヶ浦かすみがうらヨット水上みずかみオートバイなどのレジャーに利用りようされているほか、湖上こじょうには遊覧ゆうらんせん観光かんこう曳船えいせん運航うんこうされている。日本にっぽんひゃくけい選定せんていされており、高度こうど成長せいちょう以前いぜんは、独特どくとく水郷すいごう景観けいかん特徴とくちょうとした観光かんこうでもあった。

  • 遊覧ゆうらんせん
    • ラクスマリーナ「ホワイトアイリスごう
      • 定期ていき遊覧ゆうらん】ラクスマリーナ→桜川さくらがわ河口かこうおき霞ヶ浦かすみがうら総合そうごう公園こうえんおき予科練よかれんおき防衛ぼうえい技研ぎけんおき三又みつまたおきおよび筑波山つくばさん展望てんぼう霞ヶ浦かすみがうらまちきゅう出島でじま川尻かわじりおき沖宿おきじくおき→ラクスマリーナ
      • ぶし定期ていき航路こうろ土浦つちうらこう潮来いたここう汽船きせん埠頭ふとう玉造たまつくりふれあいランドぜん桟橋さんばし土浦つちうらこう
    • 常陽じょうよう観光かんこう「ジェットホイルつくばごう
  • 観光かんこう曳船えいせん
    • なつ - 秋期しゅうきかねにち祝日しゅくじつのみ運航うんこう
  • 西浦にしうら湖畔こはん観光かんこうスポット
    • 小美おいたま
      • おみたま花火はなび大会たいかい … 2023ねんより、10がつだい1土曜日どようび湖畔こはん大井戸おおいど湖岸こがん公園こうえん周辺しゅうへん開催かいさいされる(予定よてい)の花火はなび大会たいかいすう5,000はつ[13]
    • 行方ゆくえ
      • サンセットフェスタIN天王崎てんのうざき毎年まいとし8がつ湖畔こはん天王崎てんのうざき公園こうえんで、市内しないがい団体だんたい個人こじんから寄付きふけて開催かいさいされるイベントである。夕方ゆうがたからステージじょうでのイベントが開催かいさいされ、よるには湖上こじょう花火はなび大会たいかい開催かいさいされる。すう毎年まいとしやく5,000はつで、1まんにん前後ぜんこうおとずれる。
      • 霞ヶ浦かすみがうらふれあいランド
    • かすみがうら
      • 観光かんこうせん「7がつ - 11月までの毎週まいしゅう日曜日にちようび
      • きフェスタ「5がつのゴールデンウイーク」
      • さき公園こうえんおも霞ヶ浦かすみがうら棲息せいそくしているさかな展示てんじしているかすみがうら水族館すいぞくかんがある。
      • また、サイクリングで湖畔こはんをぐるりと一周いっしゅうしてたのしめる「つくば霞ヶ浦かすみがうらりんりんロード」も整備せいびされ、ナショナルサイクルルートにも指定していされた。土浦つちうらえきなどで自転車じてんしゃをレンタル出来できる。
    • 土浦つちうら
      • かすみがうらマラソン…4がつ中旬ちゅうじゅん霞ヶ浦かすみがうら湖畔こはん開催かいさいされるマラソン大会たいかい。ランナーすうは2まん6せんにんえ、東京とうきょうマラソンに日本にっぽんだい2規模きぼ市民しみんマラソン大会たいかいである。
      • およげる霞ヶ浦かすみがうら市民しみんフェスティバル…7がつうみ霞ヶ浦かすみがうら湖畔こはん開催かいさいされるおまつり。
      • 観光かんこう曳船えいせん…7がつ中旬ちゅうじゅん - 10がつ中旬ちゅうじゅんかねにち祝日しゅくじつ午後ごご1から午後ごご2時半じはんごろまで運航うんこう
    • 稲敷いなしき
      • 和田わだ公園こうえん…チューリップの名所めいしょである。
  • 北浦きたうら湖畔こはんおも観光かんこうスポット

生物せいぶつしょう

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霞ヶ浦かすみがうら周辺しゅうへん筑波山つくばさん隗をのぞくとほとんどが台地だいち低地ていち構成こうせいされる平地ひらちであるため、ふるくから農耕のうこうなどの開発かいはつすすみ、それによっていやられてしまったとされる生物せいぶつおおい。しかし、その反面はんめんクヌギコナラアカマツなどを主体しゅたいとするりん中心ちゅうしん農地のうち小川おがわ湧水わきみずためいけ、そして住居じゅうきょなど生活せいかつ空間くうかんふくめた里山さとやまのような環境かんきょうきるものたち(たとえばオオタカフクロウなどの猛禽もうきんるい食物しょくもつ連鎖れんさにおける最高さいこう消費しょうひしゃとし表徴ひょうちょうとするようなもの)をゆたかにはぐくんできた。また、から汽水、そして淡水たんすいみずうみ姿すがたえてきた遠浅とおあさひろうみあとである霞ヶ浦かすみがうら存在そんざいもその周辺しゅうへんもの特徴付とくちょうづける要因よういんとなっている。

植物しょくぶつ

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霞ヶ浦かすみがうらのように勾配こうばいゆるやかなあさ水域すいいきのあるみずうみでは、りくから水面すいめんへとかう「水辺みずべ」に環境かんきょう条件じょうけん勾配こうばいがあり、それに呼応こおうするように抽水(ていすい植物しょくぶつヨシマコモなど)、浮葉植物しょくぶつヒシアサザなど)、沈水植物しょくぶつクロモなど)などの多様たよう植生しょくせいたい発達はったつしていた。こうした水生すいせい植物しょくぶつ群落ぐんらく動物どうぶつにとっても産卵さんらん場所ばしょ生息せいそく場所ばしょとなり、霞ヶ浦かすみがうら周辺しゅうへん特徴付とくちょうづける重要じゅうよう要素ようそとなっている。一方いっぽう人間にんげんもこれらの水生すいせい植物しょくぶつ利用りようしてきた。

しかし、とみ栄養えいよう進行しんこう透明とうめいわるくなると沈水植物しょくぶつ光合成こうごうせい出来できなくなり生育せいいくできなくなる。また、湖岸こがんをコンクリート護岸ごがんにしたことで、物理ぶつりてき植生しょくせいたいうしなわれ、また、とき堤防ていぼうえるようなはげしい風浪ふうろうによるあらい侵食しんしょく発生はっせいするようになった。このほかみず資源しげん開発かいはつによる水位すいい操作そうさなどによって霞ヶ浦かすみがうら植生しょくせいたいおおきくうしなわれている(ぎゃく妙岐ノ鼻みょうぎのはな浮島うきしま湿原しつげん)のように一部いちぶでもヨシはら比較的ひかくてきおおのこっている場所ばしょ鳥類ちょうるい筆頭ひっとうもの貴重きちょう住処すみかとなっていることで有名ゆうめいであり、こうした植物しょくぶつ群落ぐんらくものにとって重要じゅうよう存在そんざいであることがわかる)。

そのほか、植物しょくぶつプランクトンも霞ヶ浦かすみがうらにとって重大じゅうだい影響えいきょうあたえる。アオコのような植物しょくぶつプランクトンのだい発生はっせいはその遺骸いがい分解ぶんかいによって湖水こすいさんかけをもたらし、生物せいぶつ大量たいりょうまねくほか、植物しょくぶつプランクトンの種類しゅるい発生はっせいじょうきょう動物どうぶつプランクトンやそれをべる甲殻こうかくるい魚類ぎょるいなどの動向どうこうをも決定けっていけている。

鳥類ちょうるい

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鳥類ちょうるい特徴付とくちょうづけるおおきな要素ようそとして霞ヶ浦かすみがうら自体じたいなが湖岸こがん延長えんちょうによりおおくの「水辺みずべ」を提供ていきょうし、葦原よしわらなどの湖岸こがん植生しょくせいたい発達はったつしていることがげられる。サギガンカモクイナシギチドリなどのおおくの鳥類ちょうるいがそれぞれ生息せいそくしたり、わたりの途中とちゅう飛来ひらいしたり、繁殖はんしょくしたりしている。

現在げんざい湖岸こがんでは、葦原よしわらなどがだいぶうしなわれてしまってはいるが、それでもなつになるとオオヨシキリがさえずり、ツバメなどのねぐらりがることが出来できる。そして妙岐ノ鼻みょうぎのはなのようにひろ葦原よしわらのこっているところではサンカノゴイなどの希少きしょうなサギるいオオセッカなどのほかにあまり繁殖はんしょくとりチュウヒといった猛禽もうきんるいなどの数少かずすくない生息せいそくになっている。また、オオヒシクイ飛来ひらいする江戸崎えどさき関東かんとう地方ちほうのこされたガンの定期ていき飛来ひらいとして貴重きちょう存在そんざいといえる。

魚類ぎょるい甲殻こうかくるい

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もともと霞ヶ浦かすみがうら遠浅とおあさでプランクトンがえやすく、うみとの交流こうりゅうもあり、生育せいいく環境かんきょうかてとなる湖岸こがん植生しょくせいたい発達はったつしていたことなどから、生産せいさんせいたか魚類ぎょるい甲殻こうかくるい豊富ほうふみずうみであった。こうした背景はいけいから、ワカサギやシラウオ、コイなどのさかな名産めいさんひんとしてもてはやされ、人間にんげんらしや文化ぶんかふかむすびついてきた。

しかし、いちじるしく水質すいしつ汚染おせんされ、そして近年きんねん外来がいらいしゅ侵入しんにゅうしたことにより、ワカサギやシラウオ、ハゼるい(ゴロ)やテナガエビなどの漁獲ぎょかく近年きんねんそうじてしりすぼみになっている。かつては普通ふつうられ、食卓しょくたくにぎわしていたはずのキンブナ姿すがたすのではないかと懸念けねんされている。また、スズキやウナギのようにうみとの交流こうりゅう産物さんぶつだったさかな往年おうねん面影おもかげはなく、現状げんじょうけっして良好りょうこうとはいえない。

タナゴるいは、産卵さんらんははかいとなる二枚貝にまいがいるい減少げんしょうなどにより、タナゴアカヒレタビラヤリタナゴはいずれも減少げんしょういちじるしく、かつて多産たさんしたゼニタナゴは、ついにほん水系すいけいでは絶滅ぜつめつしたものとかんがえられている。霞ヶ浦かすみがうら淡水魚たんすいぎょるいしょう風物詩ふうぶつしでもあるタナゴるいは、いま外来がいらいしゅであるタイリクバラタナゴオオタナゴ席巻せっけんされたかんつよい。とくに2000ねんごろから姿すがた目立めだはじめたオオタナゴは近年きんねんタナゴるいゆううらないしゅともいえる状況じょうきょうにまで異常いじょう繁殖はんしょくし、北浦きたうら西浦にしうらぜん水域すいいき定着ていちゃくしている。琵琶湖びわこからの国内こくない移入いにゅうしゅおもわれるカネヒラ近年きんねん減少げんしょう傾向けいこうである。

昆虫こんちゅうるい

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霞ヶ浦かすみがうら周辺しゅうへんはためいけ水田すいでんなどの水辺みずべ豊富ほうふにあったために、かつては無数むすうトンボそらくしていたという。このほかにも、周辺しゅうへん水辺みずべゲンゴロウマツモムシといった水棲すいせい昆虫こんちゅうおお生息せいそくしていたとかんがえられている。現在げんざいでは、こうした昆虫こんちゅうるいはだいぶかずらしているが、小野川おのがわ周辺しゅうへんのヨシげんや、妙岐ノ鼻みょうぎのはな潮来いたこ水郷すいごうトンボ公園こうえんなどではトンボや小型こがた水棲すいせい昆虫こんちゅうがまだおお生息せいそくしている。

貝類かいるい

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江戸えど時代じだい初期しょきごろまでは海産かいさん貝類かいるい生息せいそくしていたといわれる。しかし、その淡水たんすいながれによって貝類かいるい淡水たんすいさんのものへと移行いこうしてきた。1963ねん常陸ひたちがわ水門すいもん竣工しゅんこう淡水たんすい決定的けっていてきにしたために汽水さんヤマトシジミ重要じゅうよう漁獲ぎょかくしゅでもあったが姿すがたしている。また周辺しゅうへん水田すいでんにはオオタニシ、ヒメタニシ、マルタニシなどが生息せいそく比較的ひかくてきよごれた水域すいいきにはモノアラガイサカマキガイ、きれいな流入りゅうにゅう河川かせんにはカワニナなどが生息せいそくしている。マシジミなどは貴重きちょう自然しぜんめぐみとして用水路ようすいろなどでも採取さいしゅされていた。

現在げんざい霞ヶ浦かすみがうらでは、タンカイとばれるカラスガイやイケチョウガイなどの二枚貝にまいがいるい減少げんしょういちじるしく、しょ調査ちょうさによっても生息せいそくきわめて希薄きはくとなった地点ちてんおおい。イシガイマツカサガイなどイシガイるいかろうじて流入りゅうにゅう河川かせんみずどおしのよい場所ばしょ中心ちゅうしんられる程度ていどである。原因げんいんとみ栄養えいようによって生息せいそくするプランクトンが変化へんかし、貝類かいるいえさがなくなってしまったことや微生物びせいぶつによる大量たいりょう有機物ゆうきぶつ分解ぶんかいによって酸素さんそ消費しょうひされ、湖底こてい付近ふきんさんかけになったことなどがかんがえられている。

シジミについては、マシジミにわり、タイワンシジミとおぼしきもの、中国ちゅうごくさんのシジミに酷似こくじした淡水たんすいシジミなどが増加ぞうかしている(水産すいさん会社かいしゃによって積極せっきょくてき移入いにゅうされているという見方みかたがある)。また、一部いちぶでは通称つうしょう「ジャンボタニシ」といわれるスクミリンゴガイ発見はっけんされている。

歴史れきし

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近代きんだい以前いぜん

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香取かとり神宮じんぐう拝殿はいでん
鹿島かしま神宮じんぐう拝殿はいでん
利根川とねがわ東遷とうせん事業じぎょうすすめさせた徳川とくがわ家康いえやす

やく12まんねんまえ下末しもずえ吉海よしうみすすむばれた時代じだい霞ヶ浦かすみがうら周辺しゅうへん関東平野かんとうへいやおおくとおなじく東京とうきょうわん海底かいていであり、7まん2せんねんまえごろの最終さいしゅうこおりはじまりとともに徐々じょじょ陸地りくちしたとかんがえられている。3まんねんまえまで鬼怒川きぬがわ現在げんざい桜川さくらがわかわどうながれ、その幅広はばひろたに西浦にしうら主要しゅよう形作かたちづくった。2まんねんまえには陸地りくちとともに出来でき川筋かわすじによって現在げんざい霞ヶ浦かすみがうら地形ちけい基礎きそ形作かたちづくられた。1まんすうせんねんまえ縄文じょうもんうみすすむでは、低地ていち鬼怒きぬわんとよばれるうみとなったとされる。現在げんざい霞ヶ浦かすみがうら周辺しゅうへんおおられる貝塚かいづかはこの時期じき形成けいせいされたとかんがえられている。

4世紀せいきから7世紀せいきにかけて霞ヶ浦かすみがうら周辺しゅうへんでも古墳こふん築造ちくぞうされるようになり、当時とうじヤマト王権おうけんむすぶような勢力せいりょく豪族ごうぞくがあらわれるようになる。720年代ねんだいかれたという『常陸ひたちこく風土記ふどき』によれば、霞ヶ浦かすみがうら製塩せいえんおこなわれ、おおくの海水かいすいぎょ生息せいそくするような内海うちうみであった。現在げんざい霞ヶ浦かすみがうら湖畔こはん浮島うかしまむらは、当時とうじしまであり周囲しゅうい海水かいすいであった[14]

その鬼怒川きぬがわ小貝川こかいがわによる堆積たいせき影響えいきょうから、うみからの海水かいすい流入りゅうにゅうさまたげられるようになり、汽水となっていったとかんがえられている。

平安へいあん時代じだい末期まっきから室町むろまち時代ときよにかけての香取かとり神宮じんぐう文書ぶんしょ鹿島かしま神宮じんぐう文書ぶんしょには「うみおっと」とよばれた人々ひとびとしるされている。うみおっと神祭しんさいぶつおさめる代替だいたいとして漁業ぎょぎょう水運すいうんなどの特権とっけんみとめられていた。一方いっぽう中世ちゅうせいには常陸ひたちだいじょう(だいじょう)常陸ひたち国府こくふだいじょうしょく世襲せしゅう職名しょくめい名字みょうじとして勢力せいりょく拡大かくだいしていき、戦国せんごく時代じだいまでかく分家ぶんけ霞ヶ浦かすみがうら周辺しゅうへん勢力せいりょくにおいている。その北方ほっぽう佐竹さたけ勢力せいりょく南下なんかさせ、1591ねん佐竹さたけ義宣よしのぶ霞ケ浦かすみがうら周辺しゅうへん地元じもと領主りょうしゅ南方なんぽうさんじゅうさんかん)を一斉いっせいさそえころし、佐竹さたけ周辺しゅうへんいき掌握しょうあくしている。

江戸えど時代じだいはいり、利根川とねがわ東遷とうせん事業じぎょうばれる一連いちれん事業じぎょうによって、利根川とねがわみず霞ヶ浦かすみがうら方面ほうめんにもながすことになった。このことで、利根川とねがわさかのぼり、江戸川えどがわ経由けいゆして江戸えどいたるという関東かんとう水運すいうん大動脈だいどうみゃく開通かいつうする。霞ヶ浦かすみがうら周辺しゅうへん産物さんぶつ江戸えどへとおく流通りゅうつう幹線かんせんとなり、霞ヶ浦かすみがうら利根川とねがわ東北とうほく地方ちほうからの物産ぶっさんはこぶルートにもなっていたため河岸かわぎし(かし)とばれるみなとおおいに繁栄はんえいした。

一方いっぽう霞ヶ浦かすみがうら利根川とねがわ沿いの低湿ていしつ開発かいはつ近世きんせいはいってからといわれる。利根川とねがわ東遷とうせん事業じぎょうとともに鬼怒川きぬがわ小貝おがい川下かわしも流域りゅういき新利根川しんとねがわ開削かいさくとその周辺しゅうへん新田にった開発かいはつなどがだい規模きぼおこなわれるようになっている。

しかし、1783ねん浅間山あさまやまだい噴火ふんかひとつの転機てんきをもたらす。この噴火ふんか利根川とねがわ河床かしょう堆積たいせきによって急激きゅうげき上昇じょうしょうさせ、利根川とねがわ水害すいがい激化げきかすることにもつながった。これにたいし、江戸えど幕府ばくふかわ拡幅かくふくなどによって銚子ちょうし方面ほうめんながれるみずりょうやす工事こうじおこなう。これが結果けっかとして利根川とねがわ霞ヶ浦かすみがうらふく利根りこん川下かわしも流域りゅういき洪水こうずいいやり、水害すいがい深刻しんこくさせる原因げんいんとなる。また、堆積たいせきのほか、当時とうじしょうこおりともばれる冷涼れいりょう時代じだいで、海水かいすいめん低下ていかしていたことも一層いっそう淡水たんすいうながすものだった。これらの結果けっか生息せいそくする魚介ぎょかいるい海水かいすいから汽水・淡水たんすい生息せいそくするものへと変化へんかし、漁業ぎょぎょう現在げんざいのものにちかいワカサギやコイ、フナなどを対象たいしょうとするものが定着ていちゃくしていったとかんがえられている。

近代きんだい

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足尾あしお鉱毒こうどく事件じけん解決かいけつ奔走ほんそうした田中たなか正造しょうぞう
飛行船ひこうせんツェッペリンはくごう(LZ 127)

明治めいじ時代じだいまで、利根川とねがわの「主流しゅりゅう」は確定かくていしていなかった。しかし、足尾あしお鉱毒こうどく事件じけん発生はっせいによって霞ヶ浦かすみがうら銚子ちょうし方面ほうめん利根川とねがわ主流しゅりゅうとする方針ほうしん明確めいかくになる。この方針ほうしん結果けっかとして霞ヶ浦かすみがうら治水ちすい対策たいさく強化きょうかしていく事情じじょうにつながる。しかし、1938ねん6がつに「昭和しょうわ13ねん洪水こうずい」といわれる霞ヶ浦かすみがうら近代きんだい治水ちすい史上しじょう最大さいだいだい洪水こうずい発生はっせいする。さらに1941ねんには「昭和しょうわ16ねん洪水こうずい」といわれだい規模きぼ洪水こうずいふたた発生はっせいする。これらのにわたるだい洪水こうずい1939ねん起工きこうされた利根川とねがわ増補ぞうほ計画けいかく教訓きょうくんとなり、のちの治水ちすい事業じぎょうにもがれていく。

明治めいじはいると利根川とねがわ水系すいけい蒸気じょうきせん就航しゅうこうし、霞ヶ浦かすみがうらにもあいだもなく航路こうろ開設かいせつされるようになる。当時とうじ銚子ちょうし経由けいゆ東京とうきょうふねくルートなどがあったが、常磐線じょうばんせん総武本線そうぶほんせんなどの鉄道てつどう開通かいつうすると長距離ちょうきょり航路こうろ急速きゅうそく減衰げんすいしていき、水運すいうん霞ヶ浦かすみがうら利根川とねがわ流域りゅういきむすたん中距離ちゅうきょり航路こうろへと性格せいかくえていった。

また、漁業ぎょぎょうでは、有名ゆうめいりょう考案こうあんされ隆盛りゅうせいきわめた。農業のうぎょうにおいては、干拓かんたく事業じぎょう推進すいしんされ、1920年代ねんだい-1930年代ねんだい中心ちゅうしんおおくの干拓かんたく事業じぎょう起工きこうされている。

一方いっぽう1916ねんには現在げんざい茨城いばらきけん土浦つちうらおよび阿見あみまち湖畔こはん一帯いったいに、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん航空こうくう施設しせつ建設けんせつされる。規模きぼ次第しだい拡張かくちょうされ霞ヶ浦かすみがうら航空こうくうたい設置せっちされた。1929ねん8がつ19にちには、当時とうじ世界せかい最大さいだい飛行船ひこうせんだったドイツツェッペリンはくごう世界せかい一周いっしゅうちゅう霞ヶ浦かすみがうら航空こうくうたい寄港きこう。このときは、見物けんぶつきゃくせ、観衆かんしゅうは30まんにんおよんだ。また、1931ねん8がつには、大西おおにしひろし単独たんどく着陸ちゃくりく飛行ひこうはじめてげたチャールズ・リンドバーグ夫妻ふさいきた太平洋たいへいよう航路こうろ調査ちょうさのため来日らいにち26にち霞ヶ浦かすみがうらおとずれた。

現代げんだい

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常陸ひたちがわ水門すいもん
鹿島かしま臨海りんかい工業こうぎょう地帯ちたい

戦前せんぜん洪水こうずい教訓きょうくんから1948ねんから浚渫しゅんせつ工事こうじ着手ちゃくしゅされる。工事こうじ着手ちゃくしゅにも1950ねん8がつ8にちには、利根川とねがわ増水ぞうすい影響えいきょう北浦きたうら沿岸えんがん鉾田ほこたまちで550潮来いたこまちで66浸水しんすい被害ひがいけている[15]対策たいさく工事こうじ進展しんてんによって海水かいすい遡上そじょうしやすくなると、「昭和しょうわ33ねん塩害えんがい」など霞ヶ浦かすみがうら周辺しゅうへんいきでは農作物のうさくもつ被害ひがいなどの塩害えんがい顕著けんちょ発生はっせいするようになり、常陸ひたちがわ水門すいもん通称つうしょうぎゃく水門すいもん)の建設けんせつつよ促進そくしんした。常陸ひたちがわ水門すいもんは、当初とうしょから汽水せいヤマトシジミ生息せいそくできなくなることなどからとく漁民ぎょみんつよ反対はんたいまねいてきたが、水門すいもん完成かんせいによって霞ヶ浦かすみがうら淡水たんすい決定的けっていてきになった。

一方いっぽう当時とうじ日本にっぽん高度こうど経済けいざい成長せいちょう最中さいちゅうにあり、それにともな霞ヶ浦かすみがうらへの利水りすいじょう要請ようせい霞ヶ浦かすみがうら開発かいはつ事業じぎょうへと発展はってんすることとなる。霞ヶ浦かすみがうら開発かいはつ事業じぎょう広域こういき地域ちいき開発かいはつ首都しゅとけん長期ちょうきてきみず需要じゅようのための利水りすい治水ちすい目的もくてきおこなわれ、1968ねん建設省けんせつしょうによって着工ちゃっこうされ、1971ねん水資源開発公団みずしげんかいはつこうだん事業じぎょう継承けいしょう以来いらい25ねん歳月さいげつをかけて1996ねんそう事業じぎょうやく2864おくえん完成かんせいした。これら一連いちれん開発かいはつ事業じぎょうは、鹿島かしま臨海りんかい工業こうぎょう地帯ちたい開発かいはつ筑波つくば研究けんきゅう学園がくえん都市としなどの開発かいはつ事業じぎょうや、首都しゅとけん都市としいき拡大かくだい人口じんこう増加ぞうか背景はいけいにしたみず資源しげん開発かいはつ要請ようせい連動れんどうしつつおこなわれてきた。

戦後せんご市民しみん生活せいかついてくると水運すいうんたんなる住民じゅうみん移動いどう手段しゅだんから、水泳すいえい水郷すいごうなどの観光かんこう航路こうろとしての性格せいかくつようになる。しかし、1960年代ねんだいから霞ヶ浦かすみがうら水質すいしつ汚濁おだくすすむことで水泳すいえいじょう閉鎖へいさされていき、さらに自動車じどうしゃ道路どうろ普及ふきゅうともなって水運すいうん衰退すいたいし、いまでは消滅しょうめつしている。

これらの中距離ちゅうきょり航路こうろのほかに霞ヶ浦かすみがうら各地かくちでは渡船とせん存在そんざいし、人々ひとびとあしになってきた。また、道路どうろなどが整備せいびだった時代じだいには、霞ヶ浦かすみがうら周辺しゅうへんでは個人こじんふね所有しょゆうし、ものひとはこぶのにかせない存在そんざいであった。とく香取かとり北部ほくぶにある「じゅうろくとう」とばれる地域ちいきにおいては顕著けんちょで、江間えま(エンマ)やミイコとよばれるこまかい水路すいろ縦横無尽じゅうおうむじんみ、「水郷すいごう」とばれる独特どくとく景観けいかんをかたちづくっていた。

漁業ぎょぎょうでは、1960ねんごろまではゆたかな淡水たんすいせい魚介ぎょかいるいはもとより、スズキなどの汽水域すいいき生息せいそくするさかなもよく漁獲ぎょかくされていたが、これ以降いこう霞ヶ浦かすみがうら漁業ぎょぎょうおおきく変化へんかしていく。まず、常陸ひたちがわ水門すいもん設置せっちされたことによって、霞ヶ浦かすみがうらうみとのつながりを遮断しゃだんされ、淡水たんすいへのみちあゆむことになる。その結果けっか、スズキなどの汽水ぎょやウナギなどの生活せいかつなかうみから遡上そじょうするさかな減少げんしょうし、それらの漁獲ぎょかくっていく。

また、1960年代ねんだい後半こうはんにはそれまでのりょうにかわり、効率こうりつのよいトロール漁業ぎょぎょうへの転換てんかんすすむが、これがぎゃく資源しげん枯渇こかつまね漁獲ぎょかくりょう減少げんしょうしていくことになる。また、淡水たんすいせい貝類かいるいも1970ねん前後ぜんこう漁獲ぎょかく激減げきげん。1975ねんには汽水でしか生息せいそくできないヤマトシジミの漁業ぎょぎょうけん補償ほしょうがなされた。このころは経済けいざい成長せいちょうすすむのとときおなじくして霞ヶ浦かすみがうらとみ栄養えいよう進行しんこうし、アオコの発生はっせい養殖ようしょくコイの大量たいりょうなどが発生はっせいするようになってくる時期じきである。1990年代ねんだい後半こうはんには漁獲ぎょかく総計そうけいが70年代ねんだいの1/5程度ていどにまで減少げんしょうするにいたった。

なお、太平洋戦争たいへいようせんそうまえから霞ヶ浦かすみがうら干拓かんたくすすんできたが、最後さいご干拓かんたくであった高浜たかはまにゅう干拓かんたくべい余剰よじょう自然しぜん保護ほご地元じもと漁民ぎょみんなどのつよ反対はんたい運動うんどうい、漁業ぎょぎょうけん補償ほしょうきん支払しはらわれたまま1978ねん事実じじつじょう中止ちゅうし決定けっていしている。

1987ねんには、西浦にしうらはつはしとなる霞ヶ浦かすみがうら大橋おおはし開通かいつうした。開通かいつうはしばらく有料ゆうりょう道路どうろであったが、2005ねん11月無料むりょう開放かいほうされた。2009ねん現在げんざい唯一ゆいいつはしである。なお、北浦きたうらには鹿しかぎょう大橋おおはし北浦きたうら大橋おおはし神宮橋じんぐうばししん神宮橋じんぐうばし東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん鹿島かしません橋梁きょうりょうの5ほんかっている。

交通こうつう

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地方ちほう港湾こうわんとして土浦つちうらこう潮来いたここうなどが存在そんざいしている(航路こうろについては#観光かんこう参照さんしょう)。みずうみ広大こうだいであるため、湖岸こがんせん到達とうたつする方法ほうほう無数むすうにある。公共こうきょう交通こうつう機関きかん使つか場合ばあい常磐ときわせん鹿島かしません大洗鹿島線おおあらいかしませんなどがその起点きてんとなる[ちゅう 5]

東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん
鹿島かしま臨海りんかい鉄道てつどう

流域りゅういき自治体じちたい

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太字ふとじ沿岸えんがんせっする自治体じちたい

茨城いばらきけん

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霞ヶ浦かすみがうら西浦にしうら
霞ヶ浦かすみがうら北浦きたうら

千葉ちばけん

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栃木とちぎけん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 日本にっぽん湖沼こしょう面積めんせきじゅん一覧いちらん」を参照さんしょう秋田あきたけんにある八郎潟はちろうがた干拓かんたくされて水域すいいき大半たいはんうしなわれ、それまでのだい3からだい2となった。
  2. ^ 利根川とねがわ合流ごうりゅうてんちかい「下流かりゅう」のほうでは、気象きしょう条件じょうけん水門すいもん閘門操作そうさによってまれに海水かいすい遡上そじょうすることがあり、汽水域すいいき形成けいせいするが、一時いちじてき局所きょくしょてきなものにまる。
  3. ^ り」という呼称こしょうは、わんじょう地形ちけいたいしてもちいられる。ここにげたもののほかにもちいさなわんたいして「〜はいり」という名称めいしょうがついている。
  4. ^ 湖沼こしょう独立どくりつした「うみ」が設定せっていされているれいは、霞ヶ浦かすみがうら琵琶湖びわこのみである。
  5. ^ かつては鹿島鉄道線かしまてつどうせん桃浦もものうらえき - 八木蒔やきまきえき - はまえきあいだで、西浦にしうらではもっと湖岸こがんちかところはしっていた。天気てんきがよければ、車窓しゃそうから霞ヶ浦かすみがうら筑波つくばさんまでをのぞむこともできていた。しかし、鹿島鉄道線かしまてつどうせんが2007ねん4がつ1にちはいせんになったため、その場所ばしょくには、石岡いしおかえきからバスを利用りようすることになる。

出典しゅってん

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  1. ^ a b みず資源しげん機構きこう. “霞ヶ浦かすみがうら茨城いばらきけん”. 2018ねん4がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん4がつ26にち閲覧えつらん
  2. ^ 外国がいこくじんにわかりやすい地図ちず表現ひょうげん検討けんとうかい (2016ねん1がつ6にち公表こうひょう) (PDF). 地名ちめい英語えいご表記ひょうきおよ外国がいこくじんにわかりやすい地図ちず記号きごうについて. 国土こくど地理ちりいん. p. 7. https://www.gsi.go.jp/common/000111876.pdf#page=7 
  3. ^ a b c d 霞ヶ浦かすみがうら流域りゅういき 茨城いばらき県庁けんちょう(2023ねん5がつ24にち閲覧えつらん
  4. ^ a b 茨城いばらきけん. “いばらきのかわ紹介しょうかい_かわ名前なまえ由来ゆらいだい3かい”. 茨城いばらきけん. 2019ねん9がつ5にち閲覧えつらん
  5. ^ 茨城いばらきけん. “はみだし013:霞ヶ浦かすみがうら湖水こすいひそ西浦にしうら北浦きたうらべつ名称めいしょう。その由来ゆらいとは?”. 茨城いばらきけん. 2019ねん9がつ5にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c d 霞ケ浦かすみがうら 外来がいらいぎょ捕獲ほかくしエビなど保護ほご の「厄介やっかいしゃ飼料しりょう肥料ひりょうに/茨城いばらきけん事業じぎょう実証じっしょう実験じっけん東京とうきょう新聞しんぶん夕刊ゆうかん2023ねん5がつ24にち社会しゃかいめん同日どうじつ閲覧えつらん
  7. ^ a b 早川はやかわゆいひろし ちょ茨城新聞いばらきしんぶんしゃ へん茨城いばらきけんだい百科ひゃっか事典じてん茨城新聞いばらきしんぶんしゃ、1981ねん、459ぺーじ。「砂州さす 
  8. ^ 「5ねんはんぶりコイ養殖ようしょく再開さいかい 霞ヶ浦かすみがうら北浦きたうら」『茨城新聞いばらきしんぶん』2009ねん4がつ29にち
  9. ^ 【その1】けジメ”. ヤマハ発動機やまははつどうき株式会社かぶしきがいしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  10. ^ 【ご当地とうち しょくたび食用しょくようこい茨城いばらき霞ケ浦かすみがうら凍結とうけつ万能ばんのう食材しょくざいに『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん朝刊ちょうかん2021ねん8がつ14にち別刷べつづりNIKKEIプラス1(9めん
  11. ^ 茨城いばらきけん霞ケ浦かすみがうら北浦きたうらかい漁業ぎょぎょう調整ちょうせい規則きそく”. 茨城いばらきけん. 2015ねん5がつ10日とおか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん3がつ28にち閲覧えつらん
  12. ^ 霞ヶ浦かすみがうらアオコ情報じょうほう -茨城いばらきけん霞ケ浦かすみがうら環境かんきょう科学かがくセンター
  13. ^ みずうみのほとりをつむ花火はなびはなし見上みあげてごらん!》13”. NEWSつくば. 2023ねん5がつ31にち閲覧えつらん
  14. ^ 常陸ひたちこく風土記ふどき』の信太しだぐんに「はまさとひがしに、浮嶋のむらあり。四面しめん絶海ぜっかいにして、やま交錯こうさくれり。いちじゅうけむりななはちまちなり。きょめる百姓ひゃくしょうしおきてぎょうす。しかしてここのつのしゃありて、げんくだりを謹諱めり。」とある。
  15. ^ 北浦きたうら増水ぞうすい」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん昭和しょうわ25ねん8がつ8にち3めん
  16. ^ a b c d e Bus Stop Ibaraki~いばらき路線ろせんバス案内あんないしょ”. 2019ねん3がつ28にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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