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競走 きょうそう 馬 ば (きょうそうば)は、競馬 けいば などの競走 きょうそう に用 もち いられる馬 うま の総称 そうしょう 。競走 きょうそう 用 よう に改良 かいりょう されていることが多 おお い。以下 いか 、競走 きょうそう 馬 ば に関 かん する様々 さまざま な事柄 ことがら に関 かん して記述 きじゅつ する。
なお、競走 きょうそう 馬 ば の血統 けっとう や配合 はいごう に関 かん する事柄 ことがら については「競走 きょうそう 馬 ば の血統 けっとう 」を参照 さんしょう 。
競馬 けいば の黎明 れいめい 期 き においては競走 きょうそう 馬 ば という専門 せんもん 的 てき な品種 ひんしゅ は存在 そんざい せず、日常 にちじょう 的 てき に乗用 じょうよう 馬 ば や農耕 のうこう 馬 ば として用 もち いられていた馬 うま が競馬 けいば に出走 しゅっそう していた。やがて競馬 けいば が専門 せんもん 化 か すると競走 きょうそう 用 よう の馬 うま 種 しゅ が模索 もさく されることとなった。イギリス ではアラブ種 しゅ を改良 かいりょう したサラブレッド を普及 ふきゅう させ、現在 げんざい は世界 せかい 各国 かっこく の平地 ひらち 競走 きょうそう や障害 しょうがい 競走 きょうそう ではサラブレッドが主流 しゅりゅう となっている。また平地 ひらち 競走 きょうそう でも1/4マイル 程度 ていど の短距離 たんきょり で行 おこな われるクォーターホース 競馬 けいば もアメリカ を中心 ちゅうしん に人気 にんき が高 たか く、繋駕 けいが 速歩 はやあし 競走 きょうそう ではスタンダードブレッド が用 もち いられている。
この他 ほか 、日本 にっぽん 独自 どくじ のばんえい競走 きょうそう では、ペルシュロン などの大型 おおがた 馬 ば (重 じゅう 種馬 たねうま )を混血 こんけつ 化 か した日本 にっぽん 輓系種 しゅ という独自 どくじ の馬 うま 種 しゅ も存在 そんざい する。
なお、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご の日本 にっぽん の平地 ひらち の競馬 けいば 競走 きょうそう では、地方 ちほう 競馬 けいば を中心 ちゅうしん に、アングロノルマンやアングロアラブ などによるレースも行 おこな われたが、現在 げんざい ではいずれもレースが廃止 はいし され、これらの種 たね は日本 にっぽん では生産 せいさん されていない。また、繋駕 けいが 速歩 はやあし 競走 きょうそう もかつては中央 ちゅうおう ・地方 ちほう で行 おこな われ、そのためのスタンダードブレッドの生産 せいさん も広 ひろ く行 おこな われていたが、これも繋駕 けいが 速歩 はやあし 競走 きょうそう の廃止 はいし により生産 せいさん 規模 きぼ が縮小 しゅくしょう し、現在 げんざい では北海道 ほっかいどう の道東 どうとう 地区 ちく で細々 こまごま とアマチュアレースが行 おこな われるのみになっている。
競走 きょうそう 馬 ば として用 もち いられる馬 うま の品種 ひんしゅ [ 編集 へんしゅう ]
なお、かつて(明治 めいじ 以降 いこう 、おおむね1950年代 ねんだい 前半 ぜんはん まで)の日本 にっぽん においては、馬 うま 資源 しげん の不足 ふそく などの理由 りゆう から品種 ひんしゅ を問 と わず平地 ひらち 競走 きょうそう にも用 もち いられていた。
競走 きょうそう 馬 ば の生産 せいさん ・育成 いくせい の過程 かてい [ 編集 へんしゅう ]
ここでは、主 おも に日本 にっぽん での競走 きょうそう 馬 ば の生産 せいさん ・育成 いくせい の過程 かてい を記載 きさい する。馬齢 ばれい については2001年 ねん 以降 いこう の新 しん 表記 ひょうき で記 しる す。
日本 にっぽん はアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 、オーストラリア 、アルゼンチン 、アイルランド に次 つ ぐ世界 せかい 第 だい 5位 い のサラブレッド 競走 きょうそう 馬 ば 生産 せいさん 国 こく で、北海道 ほっかいどう の日高 ひだか 地方 ちほう 、青森 あおもり 県 けん 、岩手 いわて 県 けん に競走 きょうそう 馬 ば を生産 せいさん する牧場 ぼくじょう が多 おお い。ばんえい競走 きょうそう の重 じゅう 種馬 たねうま では北海道 ほっかいどう の各地 かくち で生産 せいさん されている(日高 ひだか 地方 ちほう における馬 うま 産 さん の詳細 しょうさい については「日高 ひだか 支庁 しちょう における競走 きょうそう 馬 ば の生産 せいさん 」参照 さんしょう )。九州 きゅうしゅう でも主 おも に南 みなみ 九州 きゅうしゅう 地方 ちほう (熊本 くまもと 県 けん ・宮崎 みやざき 県 けん ・鹿児島 かごしま 県 けん )での生産 せいさん が盛 さか んではあったが、年々 ねんねん 北海道 ほっかいどう にとって代 か わられたため生産 せいさん 馬 ば は減少 げんしょう 傾向 けいこう であり、生産 せいさん 奨励 しょうれい の観点 かんてん から中央 ちゅうおう 競馬 けいば のうち小倉 おぐら 競馬 けいば 場 じょう の夏季 かき の開催 かいさい においては「九州 きゅうしゅう 産 さん 馬 ば 限定 げんてい 」の競走 きょうそう が数 すう 競走 きょうそう (新 しん 馬 うま 戦 せん ・未 み 勝利 しょうり 戦 せん ・ひまわり賞 しょう )が編成 へんせい されており、同様 どうよう にかつて中央 ちゅうおう 競馬 けいば で実施 じっし されていた九州 きゅうしゅう 産 さん 馬 ば 限定 げんてい 競走 きょうそう の「霧島 きりしま 賞 しょう 」「たんぽぽ賞 しょう 」が地方 ちほう 競馬 けいば の佐賀 さが 競馬 けいば 場 じょう に移管 いかん されて実施 じっし されている。
種付 たねつ け とは種 たね 牡馬 ぼば と繁殖 はんしょく 牝馬 ひんば を交配 こうはい させ、繁殖 はんしょく 牝馬 ひんば を妊娠 にんしん させること。一般 いっぱん に、毎年 まいとし 春 はる に起 お こる牝馬 ひんば の発情 はつじょう にあわせて行 おこな われる。なお、サラブレッド及 およ びアラブ種 しゅ では、他 た の家畜 かちく では一般 いっぱん 的 てき な、人工 じんこう 授精 じゅせい によって競走 きょうそう 馬 ば を生産 せいさん することは国際 こくさい 血統 けっとう 書 しょ 委員 いいん 会 かい (ISBC)によって禁止 きんし されている。スタンダードブレッド やクォーターホース は人工 じんこう 授精 じゅせい が許可 きょか されているが、日本 にっぽん で競馬 けいば 目的 もくてき に生産 せいさん されることはない。
出産 しゅっさん ・離乳 りにゅう [ 編集 へんしゅう ]
ウマの妊娠 にんしん 期間 きかん は約 やく 330日 にち で、それ以上 いじょう の例 れい もある。出産 しゅっさん 時期 じき は2 - 6月 がつ 頃 ごろ である。生 う まれた仔馬 こうま は出産 しゅっさん から約 やく 6か月 げつ で母 はは 馬 ば から強制 きょうせい 的 てき に引 ひ き離 はな される(これを「離乳 りにゅう 」もしくは「子別 こわか れ(仔 こ 別 わか れ)」と呼 よ ぶ)。
母 はは 馬 ば から仔馬 こうま を引 ひ き離 はな す方法 ほうほう は牧場 ぼくじょう によって様々 さまざま だが、一時 いちじ 的 てき なものとはいえ離乳 りにゅう により母 はは 馬 ば ・仔馬 こうま の双方 そうほう が受 う けるストレスは少 すく なくない。そのため最近 さいきん ではストレスを軽減 けいげん する目的 もくてき で、社台 やしろだい グループ などでは放牧 ほうぼく 地 ち で仔馬 こうま が母 はは 馬 ば から離 はな れて仔馬 こうま だけのグループを形成 けいせい するようになるのを待 ま って母 はは 馬 ば を引 ひ き離 はな す方法 ほうほう を採用 さいよう しつつある。
日本 にっぽん では、その年 とし 生 う まれた馬 うま 「当歳 とうさい (0歳 さい [1] )」のことを、北海道 ほっかいどう の方言 ほうげん で「とねっこ 」[2] という。
競走 きょうそう 馬 ば として扱 あつか われることにウマを慣 な れさせることを馴致 じゅんち またはブレーキング という。最 もっと も初歩 しょほ 的 てき な馴致 じゅんち は人間 にんげん の存在 そんざい に慣 な れさせることであり、これは一般 いっぱん に牧場 ぼくじょう で行 おこな われる。1歳 さい になると馬具 ばぐ の装着 そうちゃく に慣 な れさせることに始 はじ まり、最終 さいしゅう 的 てき には人間 にんげん が騎乗 きじょう することに慣 な れさせる(騎乗 きじょう 馴致 じゅんち )。繋駕 けいが 速歩 はやあし 競走 きょうそう では側 がわ 対 たい 歩 ふ あるいは斜 はす 対 たい 歩 ふ で人 ひと を乗 の せた繋駕 けいが 車 しゃ を引 ひ っ張 ぱ れるように馴致 じゅんち する。
厩舎 きゅうしゃ に入 はい る前 まえ の仔馬 こうま に対 たい し、競走 きょうそう 馬 ば としての基礎 きそ 的 てき なトレーニングを積 つ ませることを育成 いくせい という。狭義 きょうぎ の育成 いくせい は1歳 さい 後半 こうはん から2歳 さい の前半 ぜんはん にかけて育成 いくせい 牧場 ぼくじょう で行 おこな われる騎乗 きじょう 馴致 じゅんち 、騎乗 きじょう 訓練 くんれん 、調教 ちょうきょう (後期 こうき 育成 いくせい )を指 さ す。広義 こうぎ の育成 いくせい は誕生 たんじょう から離乳 りにゅう までの間 あいだ にある仔馬 こうま に対 たい して人 ひと とのスキンシップに慣 な れさせるプロセス(初期 しょき 育成 いくせい )と、当歳 とうさい の終 お わりから1歳 さい の後半 こうはん にかけて行 おこな われる人 ひと とのスキンシップに慣 な れさせつつ行 おこな われる初期 しょき の騎乗 きじょう 馴致 じゅんち (中期 ちゅうき 育成 いくせい )を含 ふく む。中期 ちゅうき 育成 いくせい の段階 だんかい で昼夜 ちゅうや 放牧 ほうぼく やセリ馴致 じゅんち (駐 ちゅう 立 だて や挙 きょ 肢 し などセリ市 し での望 のぞ ましい振 ふ る舞 ま いを仔馬 こうま に覚 おぼ えさせる)をおこなう。
1960年代 ねんだい 以前 いぜん は一部 いちぶ の大 だい 規模 きぼ な生産 せいさん 牧場 ぼくじょう を除 のぞ き、生産 せいさん 牧場 ぼくじょう は文字通 もじどお り生産 せいさん のみを行 おこな い、競走 きょうそう 馬 ば は厩舎 きゅうしゃ で馴致 じゅんち ・育成 いくせい ・調教 ちょうきょう が施 ほどこ されていた。1970年代 ねんだい 入 はい ると馬 うま 産地 さんち や中央 ちゅうおう 競馬 けいば トレーニングセンター 周辺 しゅうへん にある育成 いくせい 牧場 ぼくじょう で馴致 じゅんち ・育成 いくせい が行 おこな われた後 のち で厩舎 きゅうしゃ へ送 おく られる競走 きょうそう 馬 ば が増加 ぞうか していった。1980年代 ねんだい に入 はい ると生産 せいさん 牧場 ぼくじょう から直接 ちょくせつ 厩舎 きゅうしゃ へ競走 きょうそう 馬 ば が送 おく られることはなくなり、全 すべ ての競走 きょうそう 馬 ば が育成 いくせい 牧場 ぼくじょう を経由 けいゆ するようになった。また、中央 ちゅうおう 競馬 けいば 所属 しょぞく の一部 いちぶ の競走 きょうそう 馬 ば については馬 うま 産地 さんち の育成 いくせい 牧場 ぼくじょう とトレーニングセンター周辺 しゅうへん の育成 いくせい 牧場 ぼくじょう との間 あいだ での役割 やくわり 分担 ぶんたん が成立 せいりつ し、生産 せいさん 牧場 ぼくじょう →馬 うま 産地 さんち の育成 いくせい 牧場 ぼくじょう →トレーニングセンター周辺 しゅうへん の育成 いくせい 牧場 ぼくじょう →厩舎 きゅうしゃ というプロセスで馴致 じゅんち ・育成 いくせい ・調教 ちょうきょう が行 おこな われるようになった。このプロセスは1990年代 ねんだい 以降 いこう 、日本 にっぽん の競馬 けいば 界 かい における一般 いっぱん 的 てき な馴致 じゅんち ・育成 いくせい ・調教 ちょうきょう のプロセスとなった。
馬主 ばしゅ による購入 こうにゅう [ 編集 へんしゅう ]
競走 きょうそう 馬 ば 用 よう のウマは当初 とうしょ は生産 せいさん 者 しゃ が所有 しょゆう するが、やがて馬主 ばしゅ によって購入 こうにゅう される。一般 いっぱん 的 てき な時期 じき は生 う まれた直後 ちょくご から2歳 さい にかけてである。購入 こうにゅう 方法 ほうほう はセリ市 し (セール)による場合 ばあい と、生産 せいさん 者 しゃ と馬主 ばしゅ の直接 ちょくせつ 取引 とりひき (庭先 にわさき 取引 とりひき という)による場合 ばあい とがある。欧米 おうべい ではセリ市 し での取引 とりひき が主流 しゅりゅう である。馬 うま によっては引 ひ き続 つづ き生産 せいさん 者 しゃ 自身 じしん が馬主 ばしゅ となり、競走 きょうそう に出走 しゅっそう させる場合 ばあい もある。購入 こうにゅう に関 かん しては馬主 ばしゅ や生産 せいさん 者 しゃ と関係 かんけい が深 ふか い調教 ちょうきょう 師 し や家畜 かちく 商 しょう が仲介 ちゅうかい したり斡旋 あっせん したりする場合 ばあい も多 おお い。
また、日本 にっぽん においてはあまり一般 いっぱん 的 てき ではないが、ピンフッカー(Pinhooker)やコンサイナー(Consigner)と呼 よ ばれる業者 ぎょうしゃ が介在 かいざい する場合 ばあい もある。ピンフッカーは0歳 さい ないし1歳 さい 馬 ば を購入 こうにゅう して育成 いくせい や調教 ちょうきょう を加 くわ えて市場 いちば 価値 かち を高 たか め、2歳 さい 時 じ に高値 たかね で転売 てんばい することを目的 もくてき とする。コンサイナーは生産 せいさん 牧場 ぼくじょう から馬 うま を預 あず かり、セリ市 し での見栄 みば えをよくするために育成 いくせい ・調教 ちょうきょう 、さらには宣伝 せんでん を行 おこな って高値 たかね で売却 ばいきゃく されるよう活動 かつどう する。日本 にっぽん では、育成 いくせい 牧場 ぼくじょう の経営 けいえい 者 しゃ がコンサイナーを営 いとな む場合 ばあい も多 おお い。
日本中央競馬会 にっぽんちゅうおうけいばかい (JRA)には、かつては生産 せいさん 者 しゃ から自 みずか らが購入 こうにゅう し、育成 いくせい した後 のち に抽選 ちゅうせん で馬主 ばしゅ に販売 はんばい する、という抽 ちゅう せん馬 ば の制度 せいど もあった。現在 げんざい は法 ほう 改正 かいせい に基 もと づきこれを改 あらた める形 かたち で、購入 こうにゅう して自 みずか ら育成 いくせい した後 のち に競 せ り市 いち で販売 はんばい するという制度 せいど を行 おこな っており、ピンフッカー的 てき なものに移行 いこう しているといえる。
競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく ・入 にゅう 厩 うまや [ 編集 へんしゅう ]
競走 きょうそう 馬 ば として登録 とうろく され、デビューに備 そな えて管理 かんり にあたる調教 ちょうきょう 師 し の厩舎 きゅうしゃ (トレーニングセンター)に預 あづ けられる。入 にゅう 厩 うまや の時期 じき は一般 いっぱん に2歳 さい の春 はる から夏 なつ にかけてである。なお、競走 きょうそう に出走 しゅっそう するまでに競走 きょうそう 馬 ば 名 めい が決定 けってい する(それ以前 いぜん は幼名 ようみょう を用 もち いたりする)。
競走 きょうそう 馬 ば 名 めい に関 かん するルールの詳細 しょうさい については、「競走 きょうそう 馬 ば 名 めい 」を参照 さんしょう 。
競走 きょうそう 生活 せいかつ [ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん においては2歳 さい の春 はる (4月 がつ -7月 がつ 頃 ごろ )以降 いこう 、競走 きょうそう に出走 しゅっそう することとなる。なお、出走 しゅっそう に際 さい してはゲート発走 はっそう 検査 けんさ など、競走 きょうそう 馬 ば としての基本 きほん 的 てき な能力 のうりょく を確認 かくにん する検査 けんさ があり、事前 じぜん にこれに合格 ごうかく した馬 うま のみが出走 しゅっそう 可能 かのう となる。逆 ぎゃく に、驚異 きょうい 的 てき な潜在 せんざい 能力 のうりょく の高 たか さで話題 わだい になるほどの馬 うま であっても、ゲートを嫌 いや がるなどして発走 はっそう 検査 けんさ を何 なん 度 ど 繰 く り返 かえ しても受 う からず、ついに競走 きょうそう 馬 ば としてデビューできなかった例 れい も存在 そんざい する。また、中央 ちゅうおう 競馬 けいば において失明 しつめい 馬 うま については、JRAの競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく を受 う ける前 まえ の場合 ばあい は一眼 いちがん ・両 りょう 眼 め 問 と わずいずれの競走 きょうそう にも出走 しゅっそう できないが、競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく 以降 いこう に関 かん しては一眼 いちがん 失明 しつめい の場合 ばあい のみ、平地 ひらち 競走 きょうそう に限 かぎ って出走 しゅっそう できる[4] 。
地方 ちほう 競馬 けいば の場合 ばあい 、新 しん 馬 うま は「能力 のうりょく 試験 しけん 」、転入 てんにゅう 馬 ば 、休 やす み明 あ けの馬 うま は「調教 ちょうきょう 試験 しけん 」として実際 じっさい にレースと同様 どうよう に走行 そうこう して、問題 もんだい なく発走 はっそう ・走行 そうこう ができるか、一定 いってい の距離 きょり を定 さだ められた時間 じかん 設定 せってい の範囲 はんい 内 ない で走 はし る能力 のうりょく があるかも確認 かくにん される。
一定 いってい の期間 きかん は出走 しゅっそう 経験 けいけん のない競走 きょうそう 馬 ば のみが出走 しゅっそう することのできる競走 きょうそう (新 しん 馬 うま 戦 せん )が主催 しゅさい 者 しゃ によって用意 ようい されるが、日本 にっぽん 以外 いがい では新 しん 馬 うま 戦 せん という競走 きょうそう ではなく未 み 勝利 しょうり 戦 せん と呼 よ ばれる未 み 勝利 しょうり 馬 ば による競走 きょうそう が一般 いっぱん 的 てき である。競走 きょうそう 生活 せいかつ は一般 いっぱん 的 てき に5歳 さい 前後 ぜんこう まで続 つづ く。なお、競走 きょうそう を重 かさ ねるにつれて、個々 ここ の競走 きょうそう 馬 ば の能力 のうりょく や適性 てきせい が次第 しだい に明 あき らかになる。
当然 とうぜん ながら、成長 せいちょう (馬 うま 体重 たいじゅう )には個体 こたい 差 さ がある。中央 ちゅうおう 競馬 けいば における最少 さいしょう 体重 たいじゅう 優勝 ゆうしょう (2019年 ねん 12月時点 じてん )は、2019年 ねん 9月 がつ 28日 にち のメロディーレーン の338kg[5] [6] [7] 。逆 ぎゃく に3歳 さい で600kgを超 こ える競走 きょうそう 馬 ば もいる[8] [9] 。
競走 きょうそう 馬 ば の故障 こしょう ・疾病 しっぺい に関 かん する詳細 しょうさい については「故障 こしょう #概要 がいよう 」を参照 さんしょう 。
競走 きょうそう 馬 ば (牡馬 ぼば )の去勢 きょせい [ 編集 へんしゅう ]
オス の競走 きょうそう 馬 ば (牡馬 ぼば )について、競走 きょうそう 時 じ に興奮 こうふん しやすい難点 なんてん を抱 かか え、これが競走 きょうそう 能力 のうりょく を妨 さまた げていると判断 はんだん された場合 ばあい 、気性 きしょう を穏 おだ やかにし、能力 のうりょく を発揮 はっき しやすくするために去勢 きょせい がなされることがある。この去勢 きょせい された牡馬 ぼば は騸馬 として区別 くべつ される。
去勢 きょせい によって能力 のうりょく が開花 かいか する馬 うま も多 おお く見 み られるが、一方 いっぽう で去勢 きょせい によって繁殖 はんしょく 能力 のうりょく を喪失 そうしつ するため、競走 きょうそう の主 しゅ 目的 もくてき として優秀 ゆうしゅう な繁殖 はんしょく 馬 ば の選定 せんてい を謳 うた っているクラシック などの一部 いちぶ の重要 じゅうよう な競走 きょうそう について、出走 しゅっそう 権 けん が無 な いという制限 せいげん がある。
また、特 とく に障害 しょうがい 競走 きょうそう においては、牡馬 ぼば は去勢 きょせい しないと危険 きけん である(事故 じこ の危険 きけん が高 たか まる)とされる。英 えい 仏 ふつ やオーストラリア 、ニュージーランド など障害 しょうがい 競走 きょうそう を有 ゆう する多 おお くの国 くに では、障害 しょうがい 馬 ば はほとんどが騸馬である。しかし日本 にっぽん においては障害 しょうがい 馬 ば でも去勢 きょせい されないことが圧倒的 あっとうてき に多 おお い。
香港 ほんこん のように競馬 けいば は存在 そんざい するが馬 うま 産 さん がない地域 ちいき では、気性 きしょう が荒 あら くなくても去勢 きょせい されることが多 おお い。アメリカやイギリスなど馬 うま 産 さん のある国 くに でも、繁殖 はんしょく 能力 のうりょく 選定 せんてい 競走 きょうそう であるクラシックレースで活躍 かつやく できなかったり、一定 いってい の年齢 ねんれい を過 す ぎても能力 のうりょく が開花 かいか しなかったりすると多 おお くの場合 ばあい は去勢 きょせい される。
日本 にっぽん では、騸馬の活躍 かつやく 馬 ば にレガシーワールド (1993年 ねん ・ジャパンカップ 優勝 ゆうしょう )、マーベラスクラウン (1994年 ねん ・ジャパンカップ優勝 ゆうしょう )などがいる。なお、騸馬の騸 を騙 かた と書 か くのは誤 あやま 表記 ひょうき である。
競走 きょうそう 生活 せいかつ からの引退 いんたい [ 編集 へんしゅう ]
園田 そのだ 競馬 けいば 場 じょう の誘導 ゆうどう 馬 ば マコーリー
競走 きょうそう 馬 ば が引退 いんたい する時期 じき については、種 たね 牡馬 ぼば や繁殖 はんしょく 牝馬 ひんば としての期待 きたい の大 おお きさや健康 けんこう 状態 じょうたい 、馬主 ばしゅ の意向 いこう など様々 さまざま な要因 よういん が作用 さよう する。なお、現在 げんざい の日本 にっぽん においては、競走 きょうそう 生活 せいかつ を引退 いんたい した後 のち に種 たね 牡馬 ぼば または繁殖 はんしょく 牝馬 ひんば として産 さん 駒 こま を生 う み出 だ した馬 うま が、再 ふたた び競走 きょうそう 馬 ば となることはできない(過去 かこ には、かなり昔 むかし の例 れい ではあるがヒサトモ や、オンワードゼア の様 よう な例 れい がある)。
競走 きょうそう 生活 せいかつ を引退 いんたい した馬 うま のその後 ご の用途 ようと ・生活 せいかつ としては、
などの選択肢 せんたくし がある。この他 ほか に馬主 ばしゅ の飼 か い馬 ば になったり、生産 せいさん 牧場 ぼくじょう や観光 かんこう 施設 しせつ などで功労 こうろう 馬 ば などとして飼 か われたりする場合 ばあい もある。
また、乗馬 じょうば の一部 いちぶ であるが、相馬 そうま 野 の 馬追 うまおい (相馬 そうま 市 し )の様 よう な伝統 でんとう 的 てき な馬 うま 事 ごと 文化 ぶんか が存在 そんざい する地域 ちいき や草競馬 くさけいば が盛 さか んな地域 ちいき では、これに参加 さんか することを目的 もくてき とした個人 こじん に繋 つなぎ 養 よう される馬 うま も少 すく なからず見 み られ、その多 おお くは元 もと 競走 きょうそう 馬 ば である(ごくまれに元 もと 競走 きょうそう 馬 ば が再度 さいど 競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく して復帰 ふっき する例 れい もある。2010年 ねん のばんえい競走 きょうそう では、11歳 さい で草 くさ ばん馬 ば に転向 てんこう し一旦 いったん 競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく を抹消 まっしょう されたものの、各種 かくしゅ の事情 じじょう が重 かさ なり2年 ねん 後 ご に再度 さいど 競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく し勝利 しょうり を挙 あ げたゴールデンバージ [11] や、2013年 ねん のホッカイドウ競馬 けいば では当初 とうしょ は競走 きょうそう 馬 ば を目指 めざ そうとしたが諸 しょ 事情 じじょう で未 み 出走 しゅっそう で登録 とうろく 抹消 まっしょう しエンデュランス馬術 ばじゅつ 競技 きょうぎ 用 よう の乗馬 じょうば に転向 てんこう したものの、13歳 さい で再度 さいど 競走 きょうそう 馬 ば に転向 てんこう 、能力 のうりょく 検査 けんさ に合格 ごうかく し競走 きょうそう 馬 ば になったマーチャンダイズの例 れい [12] が存在 そんざい する)。
日本 にっぽん における競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく 抹消 まっしょう の主 おも な理由 りゆう は以下 いか の通 とお りである(2001年 ねん の統計 とうけい )。
1位 い 時効 じこう - 3991頭 とう
2位 い 乗馬 じょうば 等 とう - 2886頭 とう
3位 い 繁殖 はんしょく - 1319頭 とう
1位 い の時効 じこう は地方 ちほう 競馬 けいば のみに存在 そんざい するシステムであるが、これは長期間 ちょうきかん の不 ふ 出走 しゅっそう による競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく の自動 じどう 抹消 まっしょう がその理由 りゆう である。1年 ねん 以上 いじょう 出走 しゅっそう していない競走 きょうそう 馬 ば については、NARが毎年 まいとし 4月 がつ と10月 がつ の年 とし 2回 かい 、馬主 ばしゅ などの関係 かんけい 者 しゃ に出走 しゅっそう 継続 けいぞく の意思 いし の有無 うむ について確認 かくにん を行 おこな い、出走 しゅっそう 意思 いし がある場合 ばあい は関係 かんけい 者 しゃ が所定 しょてい の手続 てつづ きを行 おこな うことになるが、この手続 てつづ きによる意思 いし 表示 ひょうじ が確認 かくにん できなかった馬 うま は時効 じこう による自動 じどう 抹消 まっしょう の対象 たいしょう となる[† 1] 。
後 こう 2者 しゃ はいわば再 さい 利用 りよう という形 かたち で第 だい 二 に の人生 じんせい (馬 うま 生 せい )を歩 あゆ むことになるが、時効 じこう を迎 むか え、もしくは充分 じゅうぶん な競走 きょうそう 能力 のうりょく がないことが判明 はんめい し、かつ引 ひ き取 と り手 て のいない馬 うま の場合 ばあい には、日本 にっぽん やフランスなど馬食 ばしょく 文化 ぶんか が存在 そんざい し、馬 うま を飼 か っておく場所 ばしょ が限 かぎ られる国 くに ・地域 ちいき においては、かなりの割合 わりあい が食肉 しょくにく (動物 どうぶつ 飼料 しりょう ・加工 かこう 用 よう 、一部 いちぶ 人間 にんげん 用 よう )として処分 しょぶん されることになる。乗馬 じょうば などの場合 ばあい においても、皐月 さつき 賞 しょう 馬 ば ハードバージ のように使役 しえき 馬 ば として酷使 こくし された結果 けっか 、斃死 へいし した例 れい もある。また、競走 きょうそう 馬 ば を乗馬 じょうば に調教 ちょうきょう するためには少 すく なからぬ手間 てま と費用 ひよう を必要 ひつよう とし、調教 ちょうきょう が成功 せいこう したとしても初心者 しょしんしゃ に乗 の りこなすのは難 むずか しい。日本 にっぽん においては、名目 めいもく 上 じょう 乗馬 じょうば に用途 ようと 変更 へんこう された馬 うま であっても実際 じっさい には消息 しょうそく 不明 ふめい になることが多 おお く、その大 だい 部分 ぶぶん はやはり屠殺 とさつ されていると言 い われる。
軽 けい 種馬 たねうま の統計 とうけい 上 じょう 、用途 ようと 変更 へんこう に関 かん する統計 とうけい は存在 そんざい するため競走 きょうそう 用 よう から乗用 じょうよう 、使役 しえき 用 よう などに転用 てんよう となる数 かず は明 あき らかだが、食肉 しょくにく 用 よう という分類 ぶんるい が存在 そんざい しない。肥育 ひいく 用 よう という分類 ぶんるい は存在 そんざい するが、肥育 ひいく 用 よう 馬 ば の統計 とうけい には馬 うま の種類 しゅるい の区別 くべつ がないため、競走 きょうそう 馬 ば が最終 さいしゅう 的 てき にどれだけ食用 しょくよう になったかを示 しめ す統計 とうけい は存在 そんざい しない。なお、JRA が、海外 かいがい に居住 きょじゅう しながら JRA の馬主 ばしゅ 登録 とうろく を行 おこな う本邦 ほんぽう 外 がい 居住 きょじゅう 者 しゃ 馬主 ばしゅ 申請 しんせい 者 しゃ 向 む けの資料 しりょう によると、「日本 にっぽん には、フランス等 とう と同 おな じく馬肉 ばにく 食 しょく の文化 ぶんか があり、引退 いんたい した競走 きょうそう 馬 ば についても一部 いちぶ 加工 かこう 食品 しょくひん の原料 げんりょう として利用 りよう される場合 ばあい もあります。 」と明記 めいき しており[15] 、これまで公然 こうぜん の秘密 ひみつ であった引退 いんたい 後 ご の競走 きょうそう 馬 ば の食肉 しょくにく 用途 ようと への転用 てんよう が間接 かんせつ 的 てき ではあるがJRAも認知 にんち していることが裏付 うらづ けられる。
朝日新聞 あさひしんぶん によると、日本 にっぽん では年間 ねんかん 約 やく 5000頭 とう の競走 きょうそう 馬 ば が引退 いんたい し、このうち繁殖 はんしょく 用 よう などで余生 よせい を送 おく るのは1200頭 とう ほどで、多 おお くの引退 いんたい 馬 ば は命 いのち を絶 た たれている[16] 。
欧米 おうべい においては馬 うま に余生 よせい を安楽 あんらく に過 す ごさせるための牧場 ぼくじょう が設置 せっち されているが、経済 けいざい 的 てき 問題 もんだい や用地 ようち ・人材 じんざい 確保 かくほ の問題 もんだい があるため、こういう場所 ばしょ で余生 よせい を送 おく ることができる馬 うま はごく一部 いちぶ に過 す ぎない。岡山 おかやま 県 けん 吉備 きび 中央 ちゅうおう 町 まち はふるさと納税 のうぜい による寄付 きふ も活用 かつよう して、地元 じもと の岡山 おかやま 乗馬 じょうば 倶楽部 くらぶ と連携 れんけい し、気性 きしょう の荒 あら い競走 きょうそう 馬 ば をアニマルセラピー や神事 しんじ 向 む けに再 さい 調教 ちょうきょう している[16] 。引退 いんたい 競走 きょうそう 馬 ば のファンが集 あつ まる日本 にっぽん サラブレッドコミュニティクラブ(TCCJAPAN)がJRAの栗東 りっとう トレーニングセンター (滋賀 しが 県 けん 栗東 りっとう 市 し )近 ちか くで、アニマルセラピー など引退 いんたい 競走 きょうそう 馬 ば との交流 こうりゅう を行 おこな う施設 しせつ 「TCC PARK RITTO」の開設 かいせつ を計画 けいかく している[17] 。NPO法人 ほうじん 引退 いんたい 馬 ば 協会 きょうかい のように、再 さい 調教 ちょうきょう と譲渡 じょうと により処分 しょぶん される馬 うま を減 へ らそうという活動 かつどう もあり、競馬 けいば ファンなどから活動 かつどう 資金 しきん の寄付 きふ もあるという[18] 。
日本 にっぽん でも競馬 けいば に関 かん する関係 かんけい 諸 しょ 機関 きかん により、引退 いんたい 競走 きょうそう 馬 ば の養老 ようろう ・余生 よせい などの諸 しょ 問題 もんだい や馬 うま の福祉 ふくし (アニマル・ウェルフェア )充実 じゅうじつ を図 はか るため、2017年 ねん から農林水産省 のうりんすいさんしょう ・JRA・地方競馬全国協会 ちほうけいばぜんこくきょうかい ・生産 せいさん 者 しゃ の代表 だいひょう などにより構成 こうせい された「引退 いんたい 競走 きょうそう 馬 ば に関 かん する検討 けんとう 委員 いいん 会 かい 」が設置 せっち されて、競馬 けいば サークル全体 ぜんたい で問題 もんだい 意識 いしき を共有 きょうゆう しその状況 じょうきょう の改善 かいぜん 等 とう に向 む けて継続 けいぞく 的 てき ・安定 あんてい 的 てき な取 と り組 く みを行 おこな ってきた。2024年 ねん から中央 ちゅうおう 競馬 けいば ・地方 ちほう 競馬 けいば 、馬主 ばしゅ 、生産 せいさん 者 しゃ や厩舎 きゅうしゃ 関係 かんけい 者 しゃ など競馬 けいば 関係 かんけい 者 しゃ が協力 きょうりょく して「一般 いっぱん 財団 ざいだん 法人 ほうじん Thoroughbred Aftercare and Welfare(略称 りゃくしょう :TAW)」が設立 せつりつ された[19] 。今後 こんご はTAWが「引退 いんたい 競走 きょうそう 馬 ば の養老 ようろう ・余生 よせい 等 とう を支援 しえん する事業 じぎょう 」の窓口 まどぐち となり、引退 いんたい 競走 きょうそう 馬 ば の養老 ようろう ・余生 よせい 等 とう に関 かか わる活動 かつどう をしている団体 だんたい (養老 ようろう 牧場 ぼくじょう ・NPO法人 ほうじん ・乗馬 じょうば クラブ)等 とう に対 たい し、活動 かつどう 奨励 しょうれい 金 きん を交付 こうふ する助成 じょせい 事業 じぎょう を行 おこな っている[20] 。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく は国内 こくない での屠殺 とさつ は馬 うま の頭数 とうすう を考 かんが えれば比較的 ひかくてき 少 すく ないが(馬食 ばしょく 文化 ぶんか がないことや、馬肉 ばにく の供給 きょうきゅう がしばしば違法 いほう であるため)、実際 じっさい にはアメリカ国外 こくがい に移送 いそう してから屠殺 とさつ されているという。近年 きんねん 、アメリカでは屠殺 とさつ 及 およ び屠殺 とさつ 目的 もくてき の輸出 ゆしゅつ を全面 ぜんめん 的 てき に禁 きん じようとする動 うご きも見 み られる。
オーストラリアでは、競馬 けいば 統括 とうかつ 団体 だんたい が馬主 ばしゅ に対 たい して競走 きょうそう 馬 ば が引退 いんたい した後 のち の計画 けいかく を報告 ほうこく する義務 ぎむ を課 か しているほか、ニューサウスウェールズ州 しゅう などでは全 すべ ての競走 きょうそう 馬 ば に引退 いんたい 後 ご の引 ひ き取 と り先 さき を用意 ようい するよう定 さだ めている。しかしながら、引退 いんたい 後 ご の引 ひ き取 と り先 さき から行方 ゆくえ 不明 ふめい となる馬 うま が半数 はんすう 近 ちか く存在 そんざい すること、多数 たすう の元 もと 競走 きょうそう 馬 ば を食肉 しょくにく として処理 しょり する施設 しせつ が存在 そんざい し、国外 こくがい へ馬肉 ばにく が輸出 ゆしゅつ される実態 じったい がある[21] 。
競走 きょうそう 馬 ば は競馬 けいば に出走 しゅっそう するにあたり馬 うま 名 めい 登録 とうろく を済 す ませることが義務付 ぎむづ けられている(馬 うま 名 めい 登録 とうろく 義務 ぎむ )。相撲 すもう で言 い うところの四股 しこ 名 めい に相当 そうとう する。
日本 にっぽん において馬 うま 名 めい 登録 とうろく をするには、ばんえい競馬 けいば を除 のぞ いて公益 こうえき 財団 ざいだん 法人 ほうじん ジャパン・スタッドブック・インターナショナル (2010年 ねん 11月30日 にち までは財団 ざいだん 法人 ほうじん 日本 にっぽん 軽 けい 種馬 たねうま 登録 とうろく 協会 きょうかい )による馬 うま 名 めい 審査 しんさ を通過 つうか しなければならず、馬主 ばしゅ の申請 しんせい に対 たい して「馬 うま 名 めい 登録 とうろく 実施 じっし 基準 きじゅん 」に基 もと づいた審査 しんさ が行 おこな われる[22] [† 2] 。不適 ふてき とされた馬 うま 名 めい は登録 とうろく できず、変更 へんこう を求 もと められる。日本 にっぽん における馬 うま 名 めい 登録 とうろく の時期 じき ・方法 ほうほう については、以前 いぜん はトレーニングセンター (中央 ちゅうおう 競馬 けいば の場合 ばあい 美浦 みほ ・栗東 りっとう )に入 にゅう 厩 うまや するか、産地 さんち 馬 ば 体 からだ 登録 とうろく 検査 けんさ をするときにJRAに申請 しんせい して正式 せいしき 登録 とうろく となったが、2002年 ねん からJRA、NAR(地方 ちほう 競馬 けいば )の全 すべ ての競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく を日本 にっぽん 軽 けい 種馬 たねうま 登録 とうろく 協会 きょうかい が一括 いっかつ して行 おこな うようになり、血統 けっとう 登録 とうろく 証明 しょうめい 書 しょ が発行 はっこう され次第 しだい (概 おおむ ね1歳 さい 7月 がつ 以降 いこう )馬 うま 名 めい 登録 とうろく ができるようになった。
馬 うま 名 めい 登録 とうろく のルール[ 編集 へんしゅう ]
競馬 けいば と生産 せいさん に関 かん する国際 こくさい 協約 きょうやく (通称 つうしょう :パリ協約 きょうやく )により、アルファベット 18文字 もじ (空白 くうはく 、記号 きごう を含 ふく む)までと決 き められている。ドイツ では、その競走 きょうそう 馬 ば の競走 きょうそう 馬 ば 名 めい の1文字 もじ 目 め は、母親 ははおや と同 おな じ文字 もじ でなければならない。香港 ほんこん ではアルファベットの馬 うま 名 めい の他 ほか に漢字 かんじ 表記 ひょうき (4文字 もじ 以下 いか )の馬 うま 名 めい も登録 とうろく する。なお、香港 ほんこん ジョッキークラブでは、ジャパンカップ や凱旋 がいせん 門 もん 賞 しょう といった香港 ほんこん 域外 いきがい の主要 しゅよう 競走 きょうそう の馬券 ばけん を独自 どくじ に販売 はんばい しているため、香港 ほんこん で出走 しゅっそう したことがない競走 きょうそう 馬 ば に対 たい しても漢字 かんじ 表記 ひょうき が設定 せってい される場合 ばあい がある[† 3] 。
なお、馬 うま 名 めい 登録 とうろく は各 かく 競馬 けいば 管轄 かんかつ 区 く で行 おこな われるため、異 こと なる国 くに で同 どう 世代 せだい に同 どう 名馬 めいば が誕生 たんじょう するケースがある[24] 。近年 きんねん では2022年 ねん 6月 がつ 12日 にち にアイルランド のゴーランパーク競馬 けいば 場 じょう で同 おな じレースに同 どう 一 いち 名 めい の馬 うま (ともにSierra Nevada)が出走 しゅっそう した[24] 。一方 いっぽう はアメリカで馬 うま 名 めい 登録 とうろく された3歳 さい 牝馬 ひんば で、もう一方 いっぽう はアイルランドで馬 うま 名 めい 登録 とうろく された4歳 さい 牝馬 ひんば であった。このような場合 ばあい には混乱 こんらん を避 さ けるために出馬 しゅつば 表 ひょう の馬 うま 名 めい の後 うし ろに出生 しゅっしょう 国 こく が付 ふ される。1835年 ねん にはイギリスのダービーステークスで同 どう 名馬 めいば (ともにIbrahim)が出走 しゅっそう したケースもあった[24] 。
日本 にっぽん におけるルール[ 編集 へんしゅう ]
アルファベット18文字 もじ (空白 くうはく を含 ふく む)以内 いない 、かつカタカナ9文字 もじ 以内 いない [22] 。アルファベットの馬 うま 名 めい とカタカナの馬 うま 名 めい を併 あわ せて登録 とうろく する。
パリ協約 きょうやく 調印 ちょういん 以前 いぜん に付 つ けられた馬 うま 名 めい の場合 ばあい 、アルファベットの馬 うま 名 めい は18文字 もじ 以内 いない とは限 かぎ らない(「ニホンピロムーテー 」Nihon Pillow Moutiers…21文字 もじ 、「ニホンピロウイナー 」Nihon Pillow Winner…19文字 もじ など)。
馬 うま 名 めい に使用 しよう できる文字 もじ [ 編集 へんしゅう ]
カタカナ のみ。1928年 ねん 以降 いこう カタカナに統一 とういつ される。
それ以前 いぜん の20世紀 せいき 初頭 しょとう までは漢字 かんじ の馬 うま 名 めい があり、その後 ご も「第 だい 一 いち 」、「第 だい 三 さん 」などのついた馬 うま 名 めい は認 みと められていた。またかつて、「ザ・キング」[26] 、「ザ・ビクター」[27] 、「ラ・フウドル」[28] など、約 やく 物 もの の中黒 なかぐろ を含 ふく む馬 うま 名 めい が認 みと められていた時期 じき もあった[29] 。
歴史 れきし 的 てき 仮名遣 かなづか い の「ヰ 」・「ヱ 」については、過去 かこ に使用 しよう 例 れい (「スウヰイスー 」「ダイヱレク」など)があったが、現在 げんざい では「昭和 しょうわ 61年 ねん 7月 がつ 1日 にち 付 づけ 内 ない 閣 かく 告示 こくじ 第 だい 1号 ごう による現代 げんだい 仮名遣 かなづか い に限 かぎ る」と定 さだ められているため使用 しよう できない。
「ヲ 」についても戦前 せんぜん に使用 しよう 例 れい (「ヤマトマスラヲ」「イサヲ」など)があり、戦後 せんご に「ヰ」・「ヱ」と同様 どうよう の理由 りゆう により使用 しよう 禁止 きんし となったが[要 よう 出典 しゅってん ] 、1997年 ねん より再 ふたた び使用 しよう が認 みと められた。同年 どうねん にデビューしたエガオヲミセテ が解禁 かいきん 後 ご 最初 さいしょ の「ヲ」馬 うま 名 めい の馬 うま となった[30] 。登録 とうろく 基準 きじゅん 上 じょう は助詞 じょし として正 ただ しい用法 ようほう でなければ使用 しよう できないとされているが[31] 、実際 じっさい はそれ以外 いがい の「ヲ」も稀 まれ に使用 しよう されている(「ゼンノスサノヲ」など)。
「ハ」については「は」と「わ」、「ヘ」については「え」と「へ」、各 かく カナ共 ども に両方 りょうほう の読 よ みが可能 かのう である(「オレハマッテルゼ 」、「ミライヘノツバサ 」など)。
「ヴ」については、1960年 ねん の東京 とうきょう 牝馬 ひんば 特別 とくべつ を制 せい したヴァイオレット など広 ひろ く用 もち いられていた[32] 。しかし、「ブ」と紛 まぎ らわしいとして1962年 ねん 6月 がつ に馬 うま 名 めい への使用 しよう が禁止 きんし となった[32] 。1990年 ねん 1月 がつ より「外来 がいらい 語 ご として原音 げんおん の意識 いしき がなお残 のこ っているもの(元 もと の単語 たんご がアルファベット表記 ひょうき で「V」を使用 しよう しているものなど)」に限 かぎ り使用 しよう が認 みと められ、1月 がつ 11日 にち にヒルゼンヴァリー、ミリオンスタイヴァの2頭 とう が解禁 かいきん 後 ご 第 だい 一 いち 号 ごう の登録 とうろく となった[32] 。「ヴ」馬 うま 名 めい の初 はつ 出走 しゅっそう は同年 どうねん 2月 がつ 4日 にち にデビューしたヒルゼンヴァリー[33] 。ただし血統 けっとう 馬 ば 名 めい 、繁殖 はんしょく 牝馬 ひんば ではそれ以前 いぜん からも認 みと められていた例 れい がある(「ネヴァービート 」など)[32] 。
促音 そくおん ・拗音 ようおん については、中央 ちゅうおう 競馬 けいば では1968年 ねん 9月 がつ 21日 にち より使用 しよう を認 みと めた[34] (「カツトップエース 」など)。リュウズキ のように使用 しよう 可能 かのう になるまでリユウズキ と大文字 おおもじ で代用 だいよう していた例 れい もある。しかし地方 ちほう 競馬 けいば では1990年 ねん まで使用 しよう が認 みと められておらず、例 たと えばオグリキャップ も笠松 かさまつ 所属 しょぞく 時 じ は「オグリキヤツ プ」と称 しょう していた。血統 けっとう 登録 とうろく でも同年 どうねん より使用 しよう を認 みと められるようになったため、それ以前 いぜん に繁殖 はんしょく 登録 とうろく された促音 そくおん ・拗音 ようおん の付 つ いた競走 きょうそう 馬 ば は全 すべ て大文字 おおもじ で登録 とうろく されている(サツカーボーイ 、マツクスビユーテイ 、メジロデユレン など。読 よ みは競走 きょうそう 馬 ば 時代 じだい と同 おな じ)。
戦前 せんぜん までは馬 うま の徴発 ちょうはつ を目的 もくてき とした馬 うま 籍 せき 法 ほう の関係 かんけい で生後 せいご 30日 にち 以内 いない に馬 うま 名 めい を登録 とうろく する必要 ひつよう があった。この「血統 けっとう 名 めい 」と競馬 けいば 会 かい に登録 とうろく する「競走 きょうそう 名 めい 」は生産 せいさん 者 しゃ が馬 うま 名 めい 登録 とうろく しない限 かぎ り通常 つうじょう 異 こと なる名前 なまえ となる。そして特 とく に牝馬 ひんば の場合 ばあい は繁殖 はんしょく 入 い りした際 さい に血統 けっとう 名 めい を使用 しよう することが一般 いっぱん 的 てき のため、競走 きょうそう 名 めい と血統 けっとう 表 ひょう に残 のこ る名 な はその多 おお くが関連 かんれん しなかった。血統 けっとう 名 めい については漢字 かんじ を使用 しよう することも可能 かのう である。例 れい を挙 あ げると下総 しもうさ 御料 ごりょう 牧場 ぼくじょう では毎年 まいとし 勅題 ちょくだい の中 なか の一 いち 字 じ と母 はは 馬 ば の最後 さいご の一 いち 字 じ をあてる。1932年 ねん (勅題 ちょくだい は月 つき )産 う まれの星 ほし 友 とも の仔 こ →月 つき 友 とも 、1940年 ねん (勅題 ちょくだい は年 とし )産 う まれの賢 けん 藤 ふじ の仔 こ →年 とし 藤 ふじ (クリフジ )となる。一方 いっぽう で父 ちち の名 な の頭 あたま に第 だい 一 いち 、第 だい 二 に 、第 だい 三 さん …と連 れん 番 ばん を打 う つだけの血統 けっとう 名 めい もあり、シアンモア 産 さん 駒 こま では第 だい 二 に シアンモア(ヨネカツ)、第 だい 六 ろく シアンモア(オオツカヤマ)、第 だい 七 なな シアンモア(ワコー)、第 だい 十 じゅう シアンモア(エーシアンモア)などが血統 けっとう 名 めい で種 たね 牡馬 ぼば 入 い りするなど混乱 こんらん をきたしたため、1941年 ねん 以降 いこう は種 たね 牡馬 ぼば については競走 きょうそう 馬 ば 名 めい を使用 しよう することになった[要 よう 出典 しゅってん ] 。
同名 どうめい の繁殖 はんしょく 馬 ば が同 どう 時期 じき に複数 ふくすう いた場合 ばあい 、「○○II(2)」(読 よ み方 かた は「○○ツー」「○○セカンド」)[35] と、ローマ数字 すうじ を付加 ふか して区別 くべつ して紹介 しょうかい される事例 じれい がある。過去 かこ に「エンタープライズII(2)」、「ロイヤルアカデミーII(2)」、「シアトルダンサーII(2) 」「クリエイターII(2) 」や、「アルデバランII(2) 」などがある。
馬 うま 名 めい に使用 しよう できる字数 じすう [ 編集 へんしゅう ]
2文字 もじ 以上 いじょう 9文字 もじ 以内 いない 。1937年 ねん に「7文字 もじ 以内 いない 」の字数 じすう 制限 せいげん が設 もう けられ、戦後 せんご に「9文字 もじ 以内 いない 」に変更 へんこう された[要 よう 出典 しゅってん ] [† 4] 。10文字 もじ 馬 ば 名 めい の競走 きょうそう 馬 ば は、1936年 ねん の第 だい 4回 かい 農林省 のうりんしょう 賞 しょう 典 てん 障害 しょうがい (春 はる )優勝 ゆうしょう 馬 ば ・「ジユピターユートピア 」などが存在 そんざい する。戦前 せんぜん で最 もっと も長 なが い馬 うま 名 めい は「ナンバートウエンチーシキス」と「ゼスカーレツトピンパーネル 」でいずれも13文字 もじ である[要 よう 出典 しゅってん ] 。また、2002年 ねん より10文字 もじ 以上 いじょう の馬 うま 名 めい のほかに1文字 もじ の馬 うま 名 めい も正式 せいしき に禁止 きんし となった[要 よう 出典 しゅってん ] 。1文字 もじ 馬 ば 名 めい の競走 きょうそう 馬 ば は、1934年 ねん 春 はる デビューの「ヤ」(青毛 あおげ 牝 めす 4歳 さい 、血 ち 量 りょう 69.5%のアングロアラブ、「矢 や 」が語源 ごげん )[36] が唯一 ゆいいつ 。正式 せいしき に禁止 きんし されるまでは、発音 はつおん などに難点 なんてん があるため使用 しよう しないように指導 しどう していた。
9文字 もじ 以内 いない という字数 じすう 制限 せいげん のため、「カツラノハイセイコ (ー) 」「メイショウビ (ク)トリア 」「マチカネタンホイザ (ー) 」「ファビ (ュ)ラスラフイン 」「ハートランドヒリュ (ウ) 」「カルストンライトオ (ー) 」「オウケンブルースリ (ー) 」「リバティ(ー)アイランド」など単語 たんご の一部 いちぶ の字 じ を割愛 かつあい して登録 とうろく した馬 うま 名 めい も存在 そんざい する。
日本 にっぽん 以外 いがい で登録 とうろく された競走 きょうそう 馬 ば を日本 にっぽん に輸入 ゆにゅう した場合 ばあい 、カナ転記 てんき の際 さい には文字数 もじすう による制約 せいやく を受 う けない。しかしジャパンカップ などの国際 こくさい 招待 しょうたい 競走 きょうそう に出走 しゅっそう する輸入 ゆにゅう 馬 ば がカナ馬 ば 名 めい にで9文字 もじ を超 こ える場合 ばあい に、日本 にっぽん 国内 こくない のシステムが対応 たいおう できずに10文字 もじ 目 め 以降 いこう が省 はぶ かれてしまう場合 ばあい がある(例 れい :サイレントウィットネス (Silent Witness) - 9文字 もじ 目 め までの「サイレントウィット」しか表示 ひょうじ されなかった)。
使用 しよう できない馬 うま 名 めい [ 編集 へんしゅう ]
サラブレッド造成 ぞうせい から今日 きょう まで、功績 こうせき を残 のこ した著名 ちょめい な馬 うま の馬 うま 名 めい
国際 こくさい 保護 ほご 馬 ば 名 めい (後述 こうじゅつ )
日本 にっぽん 国外 こくがい の重要 じゅうよう な競走 きょうそう の勝馬 かつま の馬 うま 名 めい
カタカナ表記 ひょうき では異 こと なっても、英 えい 表記 ひょうき にした際 さい にこの項 こう に抵触 ていしょく するという理由 りゆう で許可 きょか されない例 れい もある。
日本 にっぽん 国内 こくない に「バルバロ」という、ケンタッキーダービー 優勝 ゆうしょう 馬 ば 「バーバロ (Barbaro )」と英 えい 表記 ひょうき で同一 どういつ になる競走 きょうそう 馬 ば がいる。「バルバロ」は「バーバロ」と同 おな じ2003年 ねん 生 う まれで、「バーバロ」が活躍 かつやく する以前 いぜん に馬 うま 名 めい を登録 とうろく されたことから問題 もんだい はなかった。ただし、「バーバロ」が活躍 かつやく した現在 げんざい では、「バルバロ」の登録 とうろく 抹消 まっしょう 後 ご 5年 ねん を経過 けいか しても「バルバロ」という競走 きょうそう 馬 ば 名 めい は英 えい 表記 ひょうき で「Barbaro」となることから認 みと められない。
2001年 ねん にニュージーランド で生 う まれた香港 ほんこん 所属 しょぞく の「アルマダ 」(Armada。以下 いか 、香港 ほんこん のアルマダ)が2008年 ねん の安田 やすだ 記念 きねん に出走 しゅっそう して2着 ちゃく となった直後 ちょくご 、日本 にっぽん で2006年 ねん に生 う まれた牡馬 ぼば に同 おな じ名 めい が付 つ けられ競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく された。「アルマダ」が国際 こくさい 保護 ほご 馬 ば 名 めい に該当 がいとう しないために起 お こったもので、2009年 ねん に香港 ほんこん のアルマダが安田 やすだ 記念 きねん への出走 しゅっそう を決 き めた際 さい に、2頭 とう をどう区別 くべつ するかが問題 もんだい となった。対応 たいおう 策 さく として、2009年 ねん の安田 やすだ 記念 きねん にて発券 はっけん された香港 ほんこん のアルマダの単勝 たんしょう ・複 ふく 勝 しょう ・応援 おうえん 馬券 ばけん には、「アルマダ(NZ) 」と生産 せいさん 国 こく の略号 りゃくごう が加 くわ えられた[37] [38] 。
2008年 ねん 以前 いぜん の中央 ちゅうおう 競馬 けいば GI競走 きょうそう 及 およ びJpnI競走 きょうそう (2歳 さい 時 じ の競走 きょうそう は、1991年 ねん 以降 いこう )、中山 なかやま グランドジャンプ並 なら びにダート競走 きょうそう 格付 かくづ け委員 いいん 会 かい により格付 かくづ けされた地方 ちほう 競馬 けいば のGI競走 きょうそう 及 およ びJpnI競走 きょうそう の勝 か ち馬 ば の馬 うま 名 めい [39] 。
以上 いじょう 4項 こう の例外 れいがい - 冠 かんむり 名 めい など別 べつ の単語 たんご を付 つ け足 た した馬 うま 名 めい は認 みと められることがある(シンザン →ミホシンザン 、ベガ →アドマイヤベガ といった例 れい がある)。
1989年 ねん 生 う まれのヒシマサル は、1955年 ねん に生 う まれたヒシマサル が安田 やすだ 記念 きねん などに勝利 しょうり して種 たね 牡馬 ぼば にもなっていたため馬 うま 名 めい 登録 とうろく できなかったが、アメリカで「Hishi Masaru」として血統 けっとう 登録 とうろく を行 おこな った上 うえ で輸入 ゆにゅう することにより、これらの問題 もんだい を回避 かいひ したいきさつがある。
ゴールドシチー は1986年 ねん のGI競走 きょうそう 阪神 はんしん 3歳 さい ステークス の勝 か ち馬 ば であるが、1991年 ねん 以前 いぜん の2歳 さい (施行 しこう 当時 とうじ の馬齢 ばれい では3歳 さい と表記 ひょうき )GI競走 きょうそう であったこと、更 さら に種 たね 牡馬 ぼば にならず乗馬 じょうば としての訓練 くんれん 中 ちゅう に1990年 ねん に死亡 しぼう したため、2016年 ねん に全 まった く同 おな じ名前 なまえ の「ゴールドシチー」がデビューしている。
日本 にっぽん の競走 きょうそう 馬 ば の系統 けいとう 上 じょう 、特 とく に有名 ゆうめい な種 たね 牡馬 ぼば または繁殖 はんしょく 牝馬 ひんば の馬 うま 名 めい
父 ちち もしくは母 はは の馬 うま 名 めい と同 おな じ馬 ば 名 めい
特定 とくてい の個人 こじん ・団体 だんたい 名 めい など宣伝 せんでん (営利 えいり )目的 もくてき のような馬 うま 名 めい
例外 れいがい - 馬主 ばしゅ 自身 じしん の名称 めいしょう や商標 しょうひょう については冠 かんむり 名 めい として認 みと められる(「オンワード 」・「サクラ 」・「ニホンピロ(ー) 」など)。
ブランド名 めい 、商品 しょうひん 名 めい 、曲名 きょくめい 、映画 えいが 名 めい 、著名 ちょめい 人 じん などが含 ふく まれる馬 うま 名 めい 。
過去 かこ には「トヨタクラウン 」[40] のように既存 きそん の商品 しょうひん 名 めい をそのまま馬 うま 名 めい にしたもの[29] や、「ヒヤキオーガン 」(2頭 とう 存在 そんざい [41] [42] )・「タチカワボールペン 」[43] [44] ・「マルマン ガスライタ 」[45] のように、馬 うま 名 めい を商品 しょうひん の広告 こうこく 宣伝 せんでん に利用 りよう する事例 じれい が存在 そんざい した[29] が、このような馬 うま 名 めい は1964年 ねん から原則 げんそく として禁止 きんし になった[29] 。
特許 とっきょ は存在 そんざい するが商標 しょうひょう 登録 とうろく されていない物 もの や、商標 しょうひょう 登録 とうろく されていたのが期限 きげん が切 き れて更新 こうしん しなかった商標 しょうひょう の普通 ふつう 名称 めいしょう 化 か された物 もの (普通 ふつう 名詞 めいし になったもの[† 5] )は、認 みと められることがある。
著名 ちょめい 人 じん では「リンカーン 」「シャラポワ」「ペリー」「シンゲン 」「オオタニサーン」[46] などフルネームでない場合 ばあい や、キングカメハメハ のように若干 じゃっかん 捩 もじ りをいれたり、著作 ちょさく 権 けん に触 ふ れないフルタイトルでない作品 さくひん 名 めい (あるいは、その作品 さくひん の登場 とうじょう キャラクター)、冠 かんむり 名 めい を伴 ともな う馬 うま 名 めい は公式 こうしき には別 べつ の由来 ゆらい として登録 とうろく するなどの手段 しゅだん で認 みと められることがある。1980年代 ねんだい 半 なか ばに「プリンセスナウシカ」、1990年代 ねんだい には「サザンシルフィード」(漫画 まんが 『風 ふう のシルフィード 』の「サザンウィンド」と「シルフィード」から引用 いんよう された)、2000年代 ねんだい には阪神 はんしん ジュベナイルフィリーズ勝 か ち馬 ば 「テイエムプリキュア 」、2010年代 ねんだい は「ジャスタウェイ 」(脚本 きゃくほん 家 か の馬主 ばしゅ である大和屋 やまとや 暁 あきら が脚本 きゃくほん を担当 たんとう したアニメ「銀 ぎん 魂 たましい 」に登場 とうじょう する物体 ぶったい から引用 いんよう 。公式 こうしき には「その道 みち 」(Just a way)として登録 とうろく )など、その時代 じだい の漫画 まんが やアニメのヒット作 さく を感 かん じさせる馬 うま 名 めい も存在 そんざい した。また世界 せかい 的 てき に有名 ゆうめい な企業 きぎょう と同名 どうめい であっても、一般 いっぱん の英単語 えいたんご であれば認 みと められることも多 おお い(「トランセンド 」(Transcend )=「卓越 たくえつ する」という動詞 どうし )。
1976年 ねん に輸入 ゆにゅう されたRaise a Lady というアメリカ産 さん 種 しゅ 牡馬 ぼば が日本 にっぽん ではレイズアボーイ という名前 なまえ に改名 かいめい された例 れい がある。
例外 れいがい - 「ウズシオタロー 」「オンナウルトラマン」のように牝馬 ひんば でありながら認 みと められた例 れい もある。「トムボーイキャット」(tomboy=おてんば娘 むすめ )や「オトコマサリ」など、単語 たんご の一部 いちぶ に異性 いせい を表 あらわ す言葉 ことば を含 ふく んでいても単語 たんご 全体 ぜんたい が性別 せいべつ と一致 いっち する場合 ばあい は使用 しよう 可能 かのう 。また「アドマイヤベガ」は母 はは 「ベガ」の馬 うま 名 めい を含 ふく んでおり、由来 ゆらい である恒星 こうせい ベガ には日本語 にほんご では「織女 しょくじょ 星 ぼし 」の別名 べつめい があるが、原語 げんご では性別 せいべつ を表 あらわ す語 かたり を含 ふく まないため認 みと められた。
公序良俗 こうじょりょうぞく に反 はん する馬 うま 名 めい
いわゆる放送 ほうそう 禁止 きんし 用語 ようご に該当 がいとう するような言葉 ことば を含 ふく む馬 うま 名 めい 。ただし一見 いっけん そのように見 み える言葉 ことば を含 ふく む馬 うま 名 めい でも「チェリーコウマン 」(馬主 ばしゅ が有限 ゆうげん 会社 かいしゃ 弘 ひろ 馬 ば 〈こうまん〉であることに由来 ゆらい )や「キンタマーニ」(インドネシアの地名 ちめい ・キンタマーニ に由来 ゆらい )のように、冠 かんむり 名 めい としての利用 りよう や正当 せいとう な馬 うま 名 めい 意味 いみ として証明 しょうめい できる場合 ばあい には認 みと められる場合 ばあい がある。
再 さい 使用 しよう 禁止 きんし 馬 ば 名 めい 以外 いがい で、現役 げんえき 馬 ば ・登録 とうろく 抹消 まっしょう 馬 ば ・種 たね 牡馬 ぼば ・繁殖 はんしょく 牝馬 ひんば に類似 るいじ する馬 うま 名 めい (特 とく に1文字 もじ 違 ちが いや発音 はつおん )
却下 きゃっか 例 れい - 「チョウカイテイオー」(「トウカイテイオー 」に発音 はつおん が似 に ている。チョウカイ は冠 かんむり 名 めい )
却下 きゃっか 例 れい - 「モルフェーヴル」(「オルフェーヴル 」に発音 はつおん が似 に ている。オルフェーヴル産 さん 駒 こま 、モルフェは冠 かんむり 名 めい )
採用 さいよう 例 れい - 「ナイキシャトル」(「タイキシャトル 」に発音 はつおん が似 に ている。本馬 ほんま の馬主 ばしゅ は97〜98年産 ねんさん はナイキを冠 かんむり 名 めい にしている)
採用 さいよう 例 れい - 「クラローレル」(「サクラローレル 」から頭 あたま の1文字 もじ を削 けず った。クラ は冠 かんむり 名 めい )
競馬 けいば 用語 ようご ・競走 きょうそう 名 めい などと同一 どういつ もしくはそれらが含 ふく まれる馬 うま 名 めい
実況 じっきょう 放送 ほうそう で紛 まぎ らわしく混乱 こんらん が起 お きる懸念 けねん があることから認 みと められない。小田切 おだぎり 有一 ゆういち が「ニバンテ」という馬 うま 名 めい を申請 しんせい したことがあるが、この理由 りゆう で却下 きゃっか された[47] 。同様 どうよう に地方競馬全国協会 ちほうけいばぜんこくきょうかい においては馬 うま 名 めい の末尾 まつび にゴオ、ゴウ、ゴー、を用 もち いないという制約 せいやく もあった(2002年 ねん よりこの規定 きてい は削除 さくじょ された)。すなわち場内 じょうない 放送 ほうそう などで「○○号 ごう の進路 しんろ が…」などという場合 ばあい に不都合 ふつごう で紛 まぎ らわしいからである[48] 。
競馬 けいば 関係 かんけい 者 しゃ の名前 なまえ や通称 つうしょう として用 もち いられているものも同様 どうよう に認 みと められない(例 れい :「アンカツ 」など)。過去 かこ には1971年 ねん 生 う まれの競走 きょうそう 馬 ば に「タケユタカ」が実在 じつざい した例 れい はあるが[49] [† 6] 、これも武 たけ 豊 ゆたか という騎手 きしゅ がいる現在 げんざい では馬 うま 名 めい として登録 とうろく できない。
カタカナ表記 ひょうき では異 こと なる馬 うま 名 めい でも、アルファベット表記 ひょうき では同一 どういつ もしくは類似 るいじ となる馬 うま 名 めい
以下 いか の条件 じょうけん については、次 つぎ の一定 いってい 基準 きじゅん 期間 きかん を満 み たさないと馬 うま 名 めい の再 さい 使用 しよう ができないものであるが、その基準 きじゅん 年数 ねんすう を超 こ えた場合 ばあい であっても、上記 じょうき GI級 きゅう 競走 きょうそう や主要 しゅよう 国際 こくさい 競走 きょうそう 優勝 ゆうしょう 馬 ば 、及 およ び国際 こくさい 保護 ほご 協定 きょうてい 馬 ば と同 おな じ馬 ば 名 めい の再 さい 使用 しよう は認 みと められない。
GII優勝 ゆうしょう 馬 ば ・GIII優勝 ゆうしょう 馬 ば の馬 うま 名 めい (登録 とうろく 抹消 まっしょう 後 ご 10年 ねん を経過 けいか しないと再 さい 使用 しよう できない)
1968年 ねん の金 きむ 鯱 しゃち 賞 しょう を制 せい したローエングリン(1965年 ねん 生 う まれ、父 ちち ・タリヤートス 、母 はは ・トサモアー )の馬 うま 名 めい を再 さい 使用 しよう した1999年 ねん 生 う まれのローエングリン は、中山 なかやま 記念 きねん やマイラーズカップ などに勝利 しょうり した。なお、厩舎 きゅうしゃ 、馬主 ばしゅ とも両 りょう 馬 うま との関係 かんけい はなかった。このほか「コンチネンタル」「スズホープ」「ホワイトアロー」などの馬 うま 名 めい が再 さい 使用 しよう されている[50] 。
過去 かこ に登録 とうろく された馬 うま 名 めい (登録 とうろく 抹消 まっしょう 、あるいは死亡 しぼう 後 ご 5年 ねん を経過 けいか しないと再 さい 使用 しよう できない)
1971年 ねん 年度 ねんど 代表 だいひょう 馬 ば 「トウメイ 」のように、元々 もともと は「メイトウ」にしたかったがこの規定 きてい のために使 つか えず、急遽 きゅうきょ メイとトウをひっくり返 かえ して馬 うま 名 めい にした例 れい がある。
登録 とうろく 抹消 まっしょう 後 ご 5年 ねん を過 よ ぎれば、他 た の制限 せいげん に掛 か からない限 かぎ りは自由 じゆう に使用 しよう できる。このことから、同 おな じ馬主 ばしゅ が再度 さいど 使用 しよう したために、近親 きんしん に同 どう 名馬 めいば が存在 そんざい する例 れい もある。実際 じっさい の例 れい としては「トウカイスバル」があり、1987年 ねん 生 う まれの「トウカイスバル」の母 はは トウカイナチュラルと、2003年 ねん 生 う まれの「トウカイスバル」の母 はは トウカイローマン は姉妹 しまい (ローマンが姉 あね )で、2頭 とう の「トウカイスバル」は従兄弟 いとこ の関係 かんけい にある。
馬 うま 名 めい 変更 へんこう 前 まえ の旧 きゅう 馬 うま 名 めい (変更 へんこう 後 ご 2年 ねん を経過 けいか しないと再 さい 使用 しよう できない)
繁殖 はんしょく 登録 とうろく された馬 うま の馬 うま 名 めい は、以下 いか のいずれかの条件 じょうけん を満 み たさないと再 さい 使用 しよう できない。
種 たね 牡馬 ぼば の場合 ばあい - 死亡 しぼう 後 ご 15年 ねん が経過 けいか する、最後 さいご にその馬 うま を父 ちち とする産 さん 駒 こま が産 う まれてから15年 ねん が経過 けいか する、満 まん 35歳 さい になる
1989年 ねん 生 う まれのヒシマサルは2002年 ねん が最後 さいご の産 さん 駒生 こまおい 産 さん となった(2018年 ねん 死亡 しぼう )。使用 しよう 可能 かのう となった2016年 ねん に、2014年 ねん 生 う まれのヒシマサルが登録 とうろく された[51] 。
繁殖 はんしょく 牝馬 ひんば の場合 ばあい - 死亡 しぼう 後 ご 10年 ねん が経過 けいか する、最後 さいご に産 さん 駒 こま を産 う んでから10年 ねん が経過 けいか する、満 まん 25歳 さい になる
馬 うま 名 めい の変更 へんこう [ 編集 へんしゅう ]
競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく 前 まえ であれば、何 なん 度 ど でも可能 かのう である。競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく 後 ご は年齢 ねんれい にかかわらず、初 はつ 出走 しゅっそう 前 まえ に1回 かい に限 かぎ り変更 へんこう できる。初 はつ 出走 しゅっそう 後 ご はいかなる理由 りゆう があっても、変更 へんこう することはできない。
なお、1982年 ねん までは2歳 さい 時 じ であれば1回 かい に限 かぎ り、初 はつ 出走 しゅっそう 後 ご も馬 うま 名 めい を変更 へんこう することができた。主 おも な例 れい としてトキノミノル (旧名 きゅうめい :パーフェクト)、ダイナナホウシュウ (旧名 きゅうめい :タマサン)などが挙 あ げられる。また、戦前 せんぜん であるが1942年 ねん 横浜 よこはま 農林省 のうりんしょう 賞 しょう 典 てん 四 よん 歳 さい 呼 よび 馬 ば 優勝 ゆうしょう 馬 ば ・アルバイトが、トレードの際 さい に馬 うま 名 めい をクリヒカリ に変 か え、翌年 よくねん (1943年 ねん )の帝室 ていしつ 御 ご 賞 しょう 典 てん (秋 あき ) を制 せい した例 れい がある。さらには初 はつ 出走 しゅっそう 後 ご に中央 ちゅうおう 競馬 けいば から地方 ちほう 競馬 けいば 、または地方 ちほう 競馬 けいば から中央 ちゅうおう 競馬 けいば に移籍 いせき した際 さい にも馬 うま 名 めい の変更 へんこう が認 みと められていたが、中央 ちゅうおう 競馬 けいば では1982年 ねん 8月 がつ 以降 いこう [52] は同 どう 名馬 めいば がいた場合 ばあい などの例外 れいがい を除 のぞ いてできなくなり、地方 ちほう 競馬 けいば においても2010年 ねん 現在 げんざい は認 みと められていない。
1986年 ねん の富士 ふじ ステークス とジャパンカップに出走 しゅっそう した「ウェイバリースター」(Waverley Star)は、翌 よく 1987年 ねん にニュージーランドからオーストラリアに移籍 いせき したが、オーストラリアでは同 どう 名馬 めいば がいたことから「アワウェイバリースター」(Our Waverley Star)の名 な で出走 しゅっそう した[53] 。日本 にっぽん には同 どう 名馬 めいば はいなかったが、1987年 ねん の富士 ふじ ステークスとジャパンカップにおいても「アワウェイバリースター」として出走 しゅっそう した。
近年 きんねん においては日本 にっぽん 出身 しゅっしん 馬 ば のオーストラリアへの移籍 いせき が活発 かっぱつ になっているが、2017年 ねん の函館 はこだて 2歳 さい ステークス の勝馬 かつま 「カシアス 」の豪州 ごうしゅう 移籍 いせき 時 じ は移籍 いせき 時 じ に既 すで に同 どう 名馬 めいば が居 い たことから日本語 にほんご 由来 ゆらい の「ケモノ」(Kemono)の名前 なまえ に変更 へんこう されている。
アルファベット表記 ひょうき [ 編集 へんしゅう ]
アルファベット 表記 ひょうき についてはかつてはロ ろ ーマ字 まじ のみを採用 さいよう しており、また促音 そくおん の「ッ」が「ツ」(TSU)として扱 あつか われるなどしていたが、1982年 ねん に出 だ された「馬 うま 名 めい 登録 とうろく 改善 かいぜん 案 あん 」[52] の実施 じっし 後 ご は外国 がいこく 語 ご に由来 ゆらい する単語 たんご については原則 げんそく として原語 げんご を用 もち い、ロ ろ ーマ字 まじ についても一部 いちぶ の長音 ちょうおん を表記 ひょうき しないなどの対応 たいおう がなされた。雑誌 ざっし 『優 ゆう 駿 しゅん 』では改善 かいぜん の例 れい としてホウヨウボーイ のアルファベット表記 ひょうき (HOUYOU BOH-I→HOYO BOY)が紹介 しょうかい されている[52] 。
ロ ろ ーマ字 まじ のつづり方 かた は外来 がいらい 語 ご を除 のぞ いてヘボン式 しき に従 したが うが、前述 ぜんじゅつ のように18文字 もじ 以内 いない の規制 きせい があるため、シ・チ・ツについては字数 じすう オーバーとなる場合 ばあい に限 かぎ りSHI・CHI・TSUではなくSI・TI・TUと表記 ひょうき することが認 みと められている。例 れい としてマチカネフクキタル (MATI KANEFUKUKITARU)がある。
従来 じゅうらい 、馬 うま の名前 なまえ には、主 おも にスピードや強 つよ さを表 あらわ す語 かたり (パワー、スピード、ハヤテ、ハヤト、ストロング、サンダーなど)が良 よ く使 つか われていたが(ほかには星座 せいざ やギリシャ神話 しんわ の神 かみ 、牝馬 ひんば のレディ、フラワー、ガールなどの英単語 えいたんご はあったが、日本語 にほんご のフレーズはジョオー、ヒメなどを除 のぞ きほとんど使 つか われていなかった)、1990年代 ねんだい 以降 いこう は単 たん なる漢語 かんご や和語 わご 、フレーズ などをそのまま馬 うま の名前 なまえ にした、いわゆる「珍 ちん 名馬 めいば 」が増加 ぞうか している。
代表 だいひょう 例 れい は、2006年 ねん の高松宮 たかまつのみや 記念 きねん を制 せい した「オレハマッテルゼ 」を始 はじ めとする小田切 おだぎり 有一 ゆういち の所有 しょゆう 馬 ば (俗 ぞく にオダギラーと呼 よ ばれる)、「マチカネ」の冠 かんむり を付 つ けた馬 うま を所有 しょゆう する細川 ほそかわ 益男 ますお (マチカネワラウカド 、マチカネフクキタル など この2頭 とう も含 ふく め、一部 いちぶ は一般 いっぱん 公募 こうぼ で命名 めいめい )、同 おな じく「シゲル」の冠 かんむり 名 めい で知 し られた森中 もりなか 蕃 しげる とその関連 かんれん 会社 かいしゃ のブルアンドベア(シゲルピンクダイヤ 、シゲルジュウヤク 、シゲルスダチ など)、鹿児島 かごしま の生産 せいさん 者 しゃ である「テイエム」の冠 かんむり 名 めい の竹園 たけぞの 正 ただし 繼 つぎ (主 おも に九州 きゅうしゅう 産 さん 馬 ば 、テイエムチュラサン 、テイエムトッパズレ など)、実業 じつぎょう 家 か の岡 おか 浩二 こうじ (アカイイト 、ヨカヨカ 、オオバンブルマイ など)。医師 いし の國分 こくぶ 純 じゅん (ウキヨノカゼ 、ドコフクカゼ、オオタニジムチョウなど)、同 おな じく医師 いし の内田 うちだ 玄 げん 祥 さち (イロゴトシ 、アナゴサン、オバケノキンタなど)といった馬主 ばしゅ は特色 とくしょく ある珍 ちん 名馬 めいば を名付 なづ ける名物 めいぶつ 馬主 ばしゅ になっている。
地方 ちほう 競馬 けいば でも南関東 みなみかんとう ・浦和 うらわ 競馬 けいば に「スモモモモモモモモ」(李 り も桃 もも も桃 もも )や岩手 いわて 競馬 けいば に「ナナナナナイロ」といった実況 じっきょう 者 しゃ 泣 な かせの競走 きょうそう 馬 ば も散見 さんけん される。
一連 いちれん の「珍 ちん 名馬 めいば 」増加 ぞうか の背景 はいけい には、日本語 にほんご のフレーズを馬 うま の名前 なまえ に最初 さいしょ に採用 さいよう した小田切 おだぎり の影響 えいきょう 、あるいは国際 こくさい レースの増加 ぞうか に伴 ともな う海外 かいがい の馬 うま との名前 なまえ の重複 じゅうふく の可能 かのう 性 せい の回避 かいひ などが強 つよ いと言 い われている。
国際 こくさい 保護 ほご 馬 ば 名 めい [ 編集 へんしゅう ]
国際 こくさい 保護 ほご 馬 ば 名 めい (International list of protected names)は、過去 かこ の優秀 ゆうしゅう な成績 せいせき の競走 きょうそう 馬 ば や主要 しゅよう な種 たね 牡馬 ぼば や繁殖 はんしょく 牝馬 ひんば との馬 うま 名 めい の重複 じゅうふく を防 ふせ ぐために国際 こくさい 競馬 けいば 統括 とうかつ 機関 きかん 連盟 れんめい (IFHA)によりアルファベット で登録 とうろく され管理 かんり されている。
2005年 ねん 以降 いこう の登録 とうろく 基準 きじゅん は以下 いか の通 とお りである。
以下 いか 、日本 にっぽん 調教 ちょうきょう 馬 ば ・日本 にっぽん 国内 こくない の種 たね 牡馬 ぼば (輸入 ゆにゅう 種 しゅ 牡馬 ぼば 含 ふく む)及 およ び繁殖 はんしょく 牝馬 ひんば における選出 せんしゅつ 例 れい を挙 あ げる(対象 たいしょう 競走 きょうそう 優勝 ゆうしょう 馬 ば 除 のぞ く)[56] 。
1973年 ねん (TAKE HOPE )〜1990年 ねん (INES FUJIN )の間 あいだ に開催 かいさい された東京 とうきょう 優 ゆう 駿 しゅん の優勝 ゆうしょう 馬 ば
優秀 ゆうしゅう な成績 せいせき の競走 きょうそう 馬 ば
主要 しゅよう な種 たね 牡馬 ぼば
主要 しゅよう な繁殖 はんしょく 牝馬 ひんば
ロンジンワールドレーシングアワード受賞 じゅしょう 馬 ば 。
EQUINOX (2023年 ねん ジャパンカップのレーティングにおいて、135ポンドを獲得 かくとく )
その他 た (著名 ちょめい 馬 ば など)
一方 いっぽう で、ST.LITE (1941年 ねん の三 さん 冠 かん 馬 ば )、NARITA BRIAN (1994年 ねん の三 さん 冠 かん 馬 ば )やOGURI CAP (顕彰 けんしょう 馬 ば )が未登録 みとうろく など必 かなら ずしも一貫 いっかん して申請 しんせい ・登録 とうろく されてはいない。
主 おも にセリ市 し で用 もち いられる幼名 ようみょう については現在 げんざい は「母 はは の名前 なまえ +誕生 たんじょう 年 ねん 」のパターンがほとんどで、縁起 えんぎ を担 かつ ぐために「ハツラツ」と言 い う名 な を与 あた えられたオグリキャップ のような例 れい はまれとなっているが、血統 けっとう 名 めい でも同様 どうよう の例 れい がある(「松風 まつかぜ 」 など)。メジロ牧場 ぼくじょう では母親 ははおや の名前 なまえ から一 いち 字 じ 取 と り、なおかつ、毎年 まいとし 違 ちが う漢字 かんじ を一 いち 字 じ 付 つ けて幼名 ようみょう にしている(メジロドーベル の子 こ にはすべて「飛 ひ 」の文字 もじ が入 はい っている)。また幼名 ようみょう をそのまま競走 きょうそう 馬 ば 名 めい にする場合 ばあい もまれにある(「クサタロウ」や「オグリワン 」など)。また、幼名 ようみょう と繁殖 はんしょく 名 めい が同 おな じで、競走 きょうそう 馬 ば 名 めい だけ異 こと なる馬 うま も存在 そんざい する(「クリフジ〈年 とし 藤 ふじ 〉」など)。
また、広 ひろ く知 し られるところでは、その誕生 たんじょう から馴致 じゅんち ・育成 いくせい に至 いた るまでの期間 きかん をJRAのイメージCM でドキュメント 形式 けいしき で放映 ほうえい された幼名 ようみょう 「カゼノオー」というサラブレッドが、1996年 ねん にそのままの名前 なまえ で競走 きょうそう 馬 ば 登録 とうろく されたことがある。
なお、前述 ぜんじゅつ したように、繁殖 はんしょく 馬 ば ・種 たね 牡馬 ぼば で過去 かこ に同 どう 名馬 めいば があった場合 ばあい 、「○○II(2)」[35] と区別 くべつ して紹介 しょうかい される事例 じれい がある。
この
節 ふし の
加筆 かひつ が
望 のぞ まれています。
(2023年 ねん 10月 がつ )
近代 きんだい 競馬 けいば 以前 いぜん 、競走 きょうそう 馬 ば はオーナーの名前 なまえ で区別 くべつ することが一般 いっぱん 的 てき だった。[57]
三 さん 代 だい 父祖 ふそ のバイアリーターク は「バイアリー氏 し 所有 しょゆう のトルコ馬 ば 」、ゴドルフィンアラビアン は「ゴドルフィン伯 はく 所有 しょゆう のアラブ馬 あらぶば 」、ダーレーアラビアン は「ダーレー氏 し 所有 しょゆう のアラブ馬 あらぶば 」という具合 ぐあい である。ほかにはカーウェンズベイバルブ (カーウェン氏 し 所有 しょゆう の鹿毛 かげ のバルブ馬 ば )、ダーシーズホワイトターク (ダーシー家 か 所有 しょゆう の白 しろ いトルコ馬 ば )など。馬主 ばしゅ が変 か われば呼称 こしょう もかわるため、同一 どういつ 馬 ば が複数 ふくすう の異 こと なる名称 めいしょう を持 も つこともある。
名前 なまえ がない馬 うま に、後年 こうねん 固有名詞 こゆうめいし が与 あた えられることもある。例 たと えば、英 えい クラシック競走 きょうそう のセントレジャーステークス の第 だい 一 いち 回 かい 勝者 しょうしゃ はアラバクーリアとされることが多 おお いが、かなり後年 こうねん になってからつけられた馬 うま 名 めい であり、当時 とうじ は名前 なまえ がなかった。[57]
競走 きょうそう 馬 ば の適性 てきせい [ 編集 へんしゅう ]
前述 ぜんじゅつ のように競走 きょうそう 馬 ば は両親 りょうしん の血統 けっとう などに基 もと づいて距離 きょり に対 たい する適性 てきせい が推測 すいそく され、実際 じっさい に競走 きょうそう を重 かさ ねるにつれて、競走 きょうそう を行 おこな うにあたっての適性 てきせい が次第 しだい に明 あき らかになる。そうした適性 てきせい について記述 きじゅつ する。
距離 きょり に関 かん する適性 てきせい [ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん においては、競馬 けいば の競走 きょうそう は現在 げんざい では平地 ひらち 競走 きょうそう は最短 さいたん 800m 最長 さいちょう 3600m(過去 かこ は4000mのレースが存在 そんざい した。中山 なかやま 競馬 けいば 場 じょう では4000mのコース設定 せってい が現存 げんそん する)、障害 しょうがい 競走 きょうそう は最長 さいちょう 4250mの距離 きょり で行 おこな われる。競走 きょうそう 馬 ば にはそれぞれ、得意 とくい とする距離 きょり のレースがある。距離 きょり に関 かん する適性 てきせい は競走 きょうそう 馬 ば 自身 じしん の走 はし 法 ほう や体型 たいけい 、気性 きしょう 、体質 たいしつ などのさまざまな要因 よういん の影響 えいきょう を受 う ける。競走 きょうそう 馬 ば 生活 せいかつ を送 おく るうちに走 はし 法 ほう や気性 きしょう が変化 へんか し、それに伴 ともな って距離 きょり 適性 てきせい が変化 へんか する競走 きょうそう 馬 ば もいる。
得意 とくい 距離 きょり による馬 うま の呼称 こしょう [ 編集 へんしゅう ]
一般 いっぱん に、短距離 たんきょり 戦 せん を「スプリント(Sprint)」、長 なが い距離 きょり での持久 じきゅう 力 りょく を「ステイ(Stay,Staying)」能力 のうりょく 等 とう と言 い う。どのぐらいの距離 きょり を短距離 たんきょり ・長距離 ちょうきょり とみなすかは時代 じだい や国 くに によって大 おお きく異 こと なる(詳細 しょうさい は距離 きょり (競馬 けいば )参照 さんしょう )。近年 きんねん では1200メートル前後 ぜんこう の距離 きょり を「スプリント距離 きょり 」、1600メートル前後 ぜんこう の距離 きょり を「マイル」などと定義 ていぎ するのが一般 いっぱん 化 か している。
短距離 たんきょり を得意 とくい とする競走 きょうそう 馬 ば をスプリンター (sprinter)、1マイル(約 やく 1600m)前後 ぜんこう の距離 きょり を最 もっと も得意 とくい とする競走 きょうそう 馬 ば をマイラー (miler)、長距離 ちょうきょり を得意 とくい とする競走 きょうそう 馬 ば をステイヤー (stayer)と呼称 こしょう する。
コースに関 かん する適性 てきせい [ 編集 へんしゅう ]
馬場 ばば の種類 しゅるい に関 かん する適性 てきせい [ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん では芝 しば とダート 、2種類 しゅるい のコースによってレースが行 おこな われる。芝 しば コースを得意 とくい とする競走 きょうそう 馬 ば を芝 しば 馬 ば 、ダートコースを得意 とくい とする競走 きょうそう 馬 ば をダート馬 ば という。どちらのコースも得意 とくい である場合 ばあい は芝 しば ダート兼用 けんよう 、あるいは万能 ばんのう などと表現 ひょうげん される。近年 きんねん の日本 にっぽん では競走 きょうそう 馬 ば を芝 しば あるいはダートの一方 いっぽう に絞 しぼ って出走 しゅっそう させる傾向 けいこう が強 つよ く、芝 しば ・ダート両方 りょうほう でグレードワン競走 きょうそう を勝利 しょうり するような万能 ばんのう 馬 ば は稀 まれ である。万能 ばんのう 馬 ば の例 れい としてはアグネスデジタル (芝 しば で天皇 てんのう 賞 しょう (秋 あき )等 ひとし 、ダートでフェブラリーステークス 等 ひとし を勝利 しょうり )などが挙 あ げられる。また、芝 しば コースでの成績 せいせき が伸 の び悩 なや んでいた馬 うま が、ダート転向 てんこう した結果 けっか 適性 てきせい が見出 みいだ されて大成 たいせい するという例 れい も少 すく なくなく、中 なか にはホクトベガ 、アドマイヤドン 、カネヒキリ のように、ダートのトップホースにまで上 のぼ り詰 つ める事例 じれい もある。
ダートに関 かん しては競馬 けいば 場 じょう によって砂 すな 質 しつ や砂 すな の深 ふか さに違 ちが いがあり、ダート馬 ば であるからといってあらゆる競馬 けいば 場 じょう のダートコースに対応 たいおう できるとは限 かぎ らない。砂 すな 質 しつ は具体 ぐたい 的 てき には海 うみ 砂 すな と川砂 せんさ に大別 たいべつ され、砂 すな の採取 さいしゅ 地 ち によっても走行 そうこう 時 じ の感触 かんしょく などが異 こと なってくる。またアメリカのダートコースは押 お し固 がた めた土 ど で構成 こうせい されているため日本 にっぽん のダートとは要求 ようきゅう される能力 のうりょく が異 こと なり、むしろ日本 にっぽん の芝 しば コースのようなスピードが要求 ようきゅう される。逆 ぎゃく にアメリカのダートで活躍 かつやく した馬 うま の仔 こ は日本 にっぽん の芝 しば で活躍 かつやく しやすい傾向 けいこう にあり、日本 にっぽん で活躍 かつやく する外国 がいこく 産 さん 馬 ば の多 おお くがアメリカ産 さん である。
芝 しば に関 かん しても競馬 けいば 場 じょう によって使用 しよう している芝 しば の種類 しゅるい や産地 さんち が異 こと なっており、また、季 き 節 ぶし によっても異 こと なっている。本州 ほんしゅう 、九州 きゅうしゅう にある競馬 けいば 場 じょう では野 の 芝 しば と呼 よ ばれる日本 にっぽん を原産地 げんさんち とする芝 しば を使 つか っている。これに対 たい して北海道 ほっかいどう にある札幌 さっぽろ 競馬 けいば 場 じょう と函館 はこだて 競馬 けいば 場 じょう は緯度 いど が高 たか く、平均 へいきん 気温 きおん が本州 ほんしゅう 、九州 きゅうしゅう にある競馬 けいば 場 じょう よりも低 ひく いため、洋 よう 芝 しば と呼 よ ばれる海外 かいがい 原産 げんさん の芝 しば を使用 しよう しており、ケンタッキーブルーグラスなどの寒冷 かんれい 地 ち に合 あ うものを使用 しよう している。また野 の 芝 しば を使 つか っている競馬 けいば 場 じょう でも冬期 とうき は芝 しば が休眠 きゅうみん 状態 じょうたい に入 はい り冬枯 ふゆが れを起 お こすため、イタリアンライグラスなどの洋 よう 芝 しば をオーバーシード することで1年 ねん 中 ちゅう 緑色 みどりいろ の馬場 ばば を保 たも つことができるようになった。このように同 おな じ芝 しば でも競馬 けいば 場 じょう によって違 ちが いがある。北海道 ほっかいどう 開催 かいさい では洋 よう 芝 しば 巧者 こうしゃ と呼 よ ばれる馬 うま が活躍 かつやく する例 れい [58] があり、函館 はこだて 記念 きねん を3連覇 れんぱ したエリモハリアー など北海道 ほっかいどう で一変 いっぺん する活躍 かつやく を見 み せる馬 うま も存在 そんざい する。また、欧州 おうしゅう 遠征 えんせい の試金石 しきんせき として北海道 ほっかいどう でのレースで適性 てきせい を判断 はんだん するという例 れい もある。
馬場 ばば 状態 じょうたい に関 かん する適性 てきせい [ 編集 へんしゅう ]
競走 きょうそう 馬 ば の中 なか には降雨 こうう や降雪 こうせつ によって悪化 あっか した馬場 ばば 状態 じょうたい (不良 ふりょう 馬場 ばば と呼 よ ばれる)での競走 きょうそう を得意 とくい とするものがいる。そのような競走 きょうそう 馬 ば を道 みち 悪 あく 巧者 こうしゃ 、重 じゅう 巧者 こうしゃ 、不良 ふりょう 巧者 こうしゃ などと表現 ひょうげん する。また、馬場 ばば 状態 じょうたい がよくとも芝 しば が踏 ふ み荒 あ らされているなど、悪条件 あくじょうけん での競走 きょうそう を得意 とくい とする競走 きょうそう 馬 ば もいる。逆 ぎゃく にこのような不良 ふりょう 馬場 ばば や荒 あ れた馬場 ばば を苦手 にがて とする馬 うま も多 おお く存在 そんざい し、グレードワン競走 きょうそう を多数 たすう 勝利 しょうり するような超 ちょう 一流 いちりゅう 馬 ば でも、不良 ふりょう 馬場 ばば では力 ちから を発揮 はっき 出来 でき ずに格下 かくした 相手 あいて に惨敗 ざんぱい することも珍 めずら しくない。このような馬場 ばば 状態 じょうたい に関 かん する適性 てきせい については、蹄の形状 けいじょう ・馬 うま 自身 じしん の性格 せいかく (泥 どろ などが顔 かお に掛 か かるのを嫌 きら うなど)・走 はし 法 ほう 等 とう が影響 えいきょう していると言 い われ、不良 ふりょう 馬場 ばば を得意 とくい ・苦手 にがて とする血統 けっとう も存在 そんざい する。一般 いっぱん に芝 しば の場合 ばあい 、馬場 ばば が悪化 あっか すると"脚 あし 抜 ぬ け"が悪 わる くなってより多 おお くのパワーが必要 ひつよう とされ、走破 そうは 時計 とけい が遅 おそ くなる。逆 ぎゃく にダートの場合 ばあい は馬場 ばば が悪化 あっか すると"脚 あし 抜 ぬ け"が良 よ くなり、より多 おお くのスピード・瞬発 しゅんぱつ 力 りょく が必要 ひつよう とされ、走破 そうは 時計 とけい が速 はや くなる。
コースの勾配 こうばい に関 かん する適性 てきせい [ 編集 へんしゅう ]
競馬 けいば 場 じょう の中 なか にはコースの一部 いちぶ (主 おも にゴール前 ぜん 直線 ちょくせん 区間 くかん )に急 きゅう な勾配 こうばい をもつものがあるが、そのようなコースを苦手 にがて とする競走 きょうそう 馬 ば もいる。そのような競走 きょうそう 馬 ば は勾配 こうばい のない平坦 へいたん なコースでよりよい成績 せいせき を挙 あ げるため、平坦 へいたん 巧者 こうしゃ と呼 よ ばれることがある。
左 ひだり 回 まわ り・右 みぎ 回 まわ りに関 かん する適性 てきせい [ 編集 へんしゅう ]
競馬 けいば の競走 きょうそう は、競馬 けいば 場 じょう によってコースを右 みぎ 回 まわ りに周回 しゅうかい する場合 ばあい と左 ひだり 回 まわ りに周回 しゅうかい する場合 ばあい とがあるが、いずれかを苦手 にがて とする競走 きょうそう 馬 ば がいる。逆 ぎゃく に、左 ひだり 回 まわ りが得意 とくい な馬 うま もおり、左 ひだり 巧者 こうしゃ などと言 い われる。なお、一般 いっぱん に競走 きょうそう 馬 ば は左 ひだり 回 まわ りに周回 しゅうかい する場合 ばあい のほうが右 みぎ 回 まわ りに周回 しゅうかい する場合 ばあい よりも早 はや く走 はし ることができるとされる。ちなみにヒト も多 おお くの人 ひと は左 ひだり 回 まわ りの方 ほう が周回 しゅうかい しやすいと言 い われている。ディープインパクト の場合 ばあい 、敗戦 はいせん 経験 けいけん のあるレース(有馬 ありま 記念 きねん と凱旋 がいせん 門 もん 賞 しょう )はどちらも右 みぎ 回 まわ りのコースだった。
持 も ち回 まわ りで開催 かいさい される南関東 みなみかんとう 公営 こうえい 競馬 けいば の4場 じょう では大井 おおい 競馬 けいば 場 じょう だけが右 みぎ 回 まわ りレースを開催 かいさい しているため、大井 おおい 巧者 こうしゃ や逆 ぎゃく に大井 おおい 下手 へた と呼 よ ばれる馬 うま が存在 そんざい する。
コースの大 おお きさに関 かん する適性 てきせい [ 編集 へんしゅう ]
競馬 けいば 場 じょう のコースの大 おお きさは様々 さまざま であるが、普通 ふつう はコース用地 ようち が広 ひろ ければコーナーの曲線 きょくせん はより緩 ゆる やかになり、小 ちい さければより急 きゅう になる、周回 しゅうかい 距離 きょり も同様 どうよう である。このカーブが緩 ゆる やかで周回 しゅうかい 距離 きょり の長 なが いコースを一般 いっぱん に大回 おおまわ り 、コーナーが急 きゅう で周回 しゅうかい 距離 きょり の短 みじか いコースを小回 こまわ り と評 ひょう するが、どちらかを得意 とくい にしたり、苦手 にがて とする馬 うま がいる。
上記 じょうき のコースの形状 けいじょう に関 かん する様々 さまざま な適性 てきせい が組 く み合 あ わされることにより、特定 とくてい の競馬 けいば 場 じょう を得意 とくい (あるいは苦手 にがて )とする競走 きょうそう 馬 ば も存在 そんざい する。
例 たと えばシーイズトウショウ などは「平坦 へいたん 」「左 ひだり 回 まわ り」「小回 こまわ り」の3拍子 ひょうし が揃 そろ った2012年 ねん 改装 かいそう 前 まえ の中京 ちゅうきょう 競馬 けいば 場 じょう で良 よ 績を挙 あ げていたことから中京 ちゅうきょう 巧者 こうしゃ と呼 よ ばれたり[† 13] 、「小回 こまわ り」「短 たん 直線 ちょくせん 」「急 きゅう 勾配 こうばい 」が揃 そろ った中山 なかやま 競馬 けいば 場 じょう を、有馬 ありま 記念 きねん を含 ふく む重 じゅう 賞 しょう 6勝 しょう (13戦 せん 8勝 しょう )と極 きわ めて得意 とくい にしていたマツリダゴッホ は中山 なかやま の鬼 おに などと呼 よ ばれていた。
また、川崎 かわさき 競馬 けいば 場 じょう や姫路 ひめじ 競馬 けいば 場 じょう のように、小回 こまわ りながら急 きゅう なコーナーと長 なが い直線 ちょくせん という組 く み合 あ わせの競馬 けいば 場 じょう では、小回 こまわ り適性 てきせい ・急 きゅう コーナーに対 たい する適性 てきせい と直線 ちょくせん の末 すえ 脚 あし の両方 りょうほう が要求 ようきゅう される。
障害 しょうがい 競走 きょうそう の適性 てきせい [ 編集 へんしゅう ]
一般 いっぱん に、障害 しょうがい を飛越 とびこし する能力 のうりょく の高 たか い馬 うま は障害 しょうがい 競走 きょうそう の適性 てきせい を持 も つといえる。[要 よう 出典 しゅってん ]
日本 にっぽん では多 おお くの場合 ばあい 、平地 ひらち 競走 きょうそう で成績 せいせき が振 ふ るわない競走 きょうそう 馬 ば が障害 しょうがい 競走 きょうそう に転向 てんこう するが、平地 ひらち 競走 きょうそう の能力 のうりょく が著 いちじる しく劣 おと る競走 きょうそう 馬 ば であっても、飛越 とびこし 能力 のうりょく が優 すぐ れているために障害 しょうがい 競走 きょうそう で優 すぐ れた成績 せいせき を収 おさ める例 れい は多 おお い。[要 よう 出典 しゅってん ]
競走 きょうそう 馬 ば の性質 せいしつ ・癖 くせ [ 編集 へんしゅう ]
競走 きょうそう 馬 ば の持 も つ性質 せいしつ や癖 くせ について記述 きじゅつ する。
競走 きょうそう 馬 ば に限 かぎ らず、馬 うま は動物 どうぶつ の中 なか でも比較的 ひかくてき 知能 ちのう が高 たか い。
生物 せいぶつ の知性 ちせい は一般 いっぱん 的 てき に脳 のう と全体 ぜんたい の比率 ひりつ によって知性 ちせい の高 たか さが予測 よそく できる。そのためただ単 たん に脳 のう の総 そう 重量 じゅうりょう が大 おお きいからといって人間 にんげん より知性 ちせい が高 たか いとは限 かぎ らない。たとえば、知能 ちのう が高 たか い動物 どうぶつ として知 し られるイルカの脳 のう は人間 にんげん のそれよりも重量 じゅうりょう が大 おお きいが、全体 ぜんたい の比率 ひりつ が人間 にんげん よりも小 ちい さい。全体 ぜんたい の総 そう 重量 じゅうりょう と比較 ひかく して、脳 のう の比率 ひりつ が馬 うま よりも高 たか い生物 せいぶつ には、ヒト 、イヌ 、サル 、ネコ などがいる。
ただし、他 た の生物 せいぶつ と比較 ひかく して、記憶 きおく 力 りょく は非常 ひじょう に良 よ いという結果 けっか がでている。実際 じっさい に牧場 ぼくじょう で飼育 しいく されている馬 うま などにもそのような姿 すがた を見 み られることがある。
例 たと えば引退 いんたい 後 ご に社台 やしろだい スタリオンステーション にて繋 つなぎ 養 よう されていたエルコンドルパサー は、冬 ふゆ に道 みち が凍結 とうけつ していた時 とき にその道 みち で足 あし を滑 すべ らせ、怪我 けが は無 な かったものの転倒 てんとう してしまった。それからというもの彼 かれ は、冬場 ふゆば にその道 みち を通行 つうこう する際 さい には非常 ひじょう に注意深 ちゅういぶか く歩 ある くようになったという。さらに夏場 なつば でも、撒 ま いた水 みず で道路 どうろ がキラキラと光 ひか っているのを見 み て非常 ひじょう におびえ、ひどいときは恐怖 きょうふ のあまりひざをついてしまうこともあったらしい。
またアメリカの研究 けんきゅう 者 しゃ が20セットの図形 ずけい を用 もち いて馬 うま の学習 がくしゅう 能力 のうりょく の検討 けんとう を行 おこな った。図形 ずけい を1セットずつ用意 ようい し、そのうちの一方 いっぽう を正解 せいかい と決 き め、どれか1セットを馬 うま の前 まえ に差 さ し出 だ したときに正 ただ しい方 ほう を鼻 はな で指 さ し示 しめ せば餌 えさ を与 あた えるということを繰 く り返 かえ した。これを完璧 かんぺき に覚 おぼ えるまでの期間 きかん は、毎日 まいにち 20分 ふん を93日 にち だった。これはイヌやネコと比較 ひかく しても遅 おそ かったが、それ以降 いこう 同 おな じ訓練 くんれん を半年 はんとし 間 あいだ まったく行 おこな わなかったにもかかわらず、半年 はんとし 後 ご に同様 どうよう のテストを行 おこな ったところ、正解 せいかい 率 りつ は73%という非常 ひじょう に優秀 ゆうしゅう な結果 けっか が出 で た。
さらに、競走 きょうそう 馬 ば がレース中 ちゅう にゴール板 ばん の位置 いち を意識 いしき してレースをするという例 れい は有名 ゆうめい である。無敗 むはい で日本 にっぽん の中央 ちゅうおう 競馬 けいば クラシック三 さん 冠 かん を達成 たっせい したディープインパクトが、菊花賞 きっかしょう のレース中 ちゅう に突然 とつぜん ペースを上 あ げるシーンがあった。これは、馬 うま がゴール板 ばん の位置 いち を覚 おぼ えていたため、コースを1周 しゅう 半 はん するレースの1周 しゅう 目 め のゴール板 ばん 通過 つうか を正規 せいき のゴールと勘違 かんちが いし、そこにたどり着 つ くまでに先頭 せんとう に立 た たなければならないと思 おも い込 こ んで馬 うま が勝手 かって にスパートをかけたと、騎乗 きじょう していた武 たけ 豊 ゆたか が語 かた っている。ディープインパクトは1周 しゅう 目 め のゴール板 ばん を通過 つうか した後 のち に落 お ち着 つ きを取 と り戻 もど しており、レースがまだ終 お わっていないことを理解 りかい したと想像 そうぞう されている。
また、同 おな じく無敗 むはい の中央 ちゅうおう 競馬 けいば クラシック三 さん 冠 かん を達成 たっせい したシンボリルドルフ は、東京 とうきょう 優 ゆう 駿 しゅん において鞍 くら 上 じょう の岡部 おかべ 幸雄 ゆきお がレース終盤 しゅうばん の大 だい 欅 けやき 向 む こうの3コーナーに馬 うま の位置 いち 取 と りが後方 こうほう で反応 はんのう があまりにも悪 わる かったために焦 あせ って早 はや めにしかけたものの反応 はんのう せず、鞭 むち を入 い れてもそ知 し らぬ顔 かお をしていたという。ところが直線 ちょくせん に入 はい ったとたん突然 とつぜん の猛 もう スパートをかけて優勝 ゆうしょう した。後日 ごじつ 岡部 おかべ は、ルドルフがスパートをかけた時 とき に「しっかり捕 つか まっていろ」とルドルフが言 い った気 き がした、と語 かた っている。この経験 けいけん から、岡部 おかべ は「ルドルフに競馬 けいば を教 おし えてもらった」と語 かた っている。
当然 とうぜん 馬 ば が人語 じんご を解 げ するわけは無 な いが、高度 こうど な状況 じょうきょう 判断 はんだん の能力 のうりょく があり、状況 じょうきょう によっては自 みずか ら判断 はんだん を下 くだ すということは競馬 けいば 界 かい では良 よ くあるらしい。
重要 じゅうよう なレースが近 ちか くなるにつれて、周囲 しゅうい の関係 かんけい 者 しゃ の様子 ようす やカイバの内容 ないよう によって重要 じゅうよう なレースが近 ちか いと感 かん じることは良 よ くあることのようで、更 さら に名馬 めいば の多 おお くにはレースにあわせて自 みずか らの体重 たいじゅう を走 はし りやすい程度 ていど に調整 ちょうせい するといったこともある。
馬 うま は、一般 いっぱん 的 てき に臆病 おくびょう でデリケートな性格 せいかく の動物 どうぶつ である。競走 きょうそう 馬 ば もこの例外 れいがい ではなく、突然 とつぜん の大 おお きな音 おと などにおびえたり(上記 じょうき エルコンドルパサーの例 れい も参照 さんしょう )、驚 おどろ いて立 た ち上 あ がったり走 はし り出 だ したりすることもある。過去 かこ には競馬 けいば 場 じょう から逃走 とうそう した例 れい もある(スーパーオトメ )。競馬 けいば 場 じょう のパドック でカメラのフラッシュ撮影 さつえい や大 おお きな音 おと を出 だ すことが禁 きん じられているのはこのためである。
知能 ちのう の高 たか さや警戒 けいかい 心 しん の強 つよ さなどから、極端 きょくたん に気難 きむずか しい性格 せいかく を示 しめ す個体 こたい も少 すく なくない。育成 いくせい 過程 かてい の中 なか で受 う けたストレスなどが原因 げんいん の場合 ばあい もあるが、気性 きしょう は親 おや 馬 ば から先天的 せんてんてき に遺伝 いでん すると考 かんが えられている。例 れい として19世紀 せいき 末 まつ から20世紀 せいき 初頭 しょとう にかけて世界 せかい 的 てき な一大 いちだい 血脈 けちみゃく をき上 ずきあ げた大 だい 種 たね 牡馬 ぼば 、セントサイモン は現役 げんえき 時代 じだい から激 はげ しい気性 きしょう を持 も つ馬 うま として知 し られ、産 さん 駒 こま の多 おお くにも気性 きしょう 難 なん を伝 つた えた。
競走 きょうそう 馬 ば は基本 きほん 的 てき に臆病 おくびょう な性格 せいかく で警戒 けいかい 心 しん が強 つよ い。特 とく に初 はじ めて足 あし を踏 ふ み入 い れた場所 ばしょ や初 はじ めて見 み る対象 たいしょう に対 たい して強 つよ い警戒 けいかい 感 かん を示 しめ す。これを物見 ものみ といい、レースや調教 ちょうきょう において走 はし りに集中 しゅうちゅう できない要因 よういん となることがある。これらは調教 ちょうきょう によって克服 こくふく することが望 のぞ ましいが、馬 うま の視界 しかい の一部 いちぶ を遮 さえぎ ることで改善 かいぜん を図 はか る馬具 ばぐ (ブリンカー 、シャドーロール など)の装着 そうちゃく が認 みと められている。
咬癖 - 人 ひと に噛 か み付 つ く癖 くせ 。咬癖がある競走 きょうそう 馬 ば の頭部 とうぶ に、赤 あか いリボンや丸 まる い飾 かざ り玉 だま をつける場合 ばあい がある。
蹴 け 癖 くせ - 人 ひと を蹴 け る癖 くせ 。蹴 け 癖 くせ がある競走 きょうそう 馬 ば の尻尾 しっぽ に、赤 あか いリボンをつける場合 ばあい がある。なお、馬 うま の蹴 け りは非常 ひじょう に威力 いりょく が強 つよ く、馬 うま に蹴 け られたことによって人 ひと が死亡 しぼう したという例 れい も存在 そんざい している。
齰癖 (グイッポ) - 空気 くうき を飲 の み込 こ む癖 くせ のこと。齰癖をもつ競走 きょうそう 馬 ば は疝痛 せんつう (腹痛 はらいた )を起 お こしやすい。
熊 くま 癖 へき - 身体 しんたい を左右 さゆう に揺 ゆ らす癖 くせ 。船 ふね ゆすりともいう。
身 み っ食 く い - 自 みずか らの胸部 きょうぶ や前 ぜん 脚 あし を噛 か む癖 くせ 。
前 まえ 掻 か き - 前 ぜん 脚 あし で地面 じめん を削 けず るような仕草 しぐさ をすること。欲求 よっきゅう 不満 ふまん やストレスなどを示 しめ す、感情 かんじょう 表現 ひょうげん の一 ひと つと考 かんが えられている。
競走 きょうそう 馬 ば の疾病 しっぺい ・負傷 ふしょう [ 編集 へんしゅう ]
競走 きょうそう 馬 ば は馬 うま が罹患 りかん する疾病 しっぺい のほか、競走 きょうそう 馬 ば に特有 とくゆう または多 おお く見 み られる疾病 しっぺい や負傷 ふしょう に見舞 みま われることがある。以下 いか 、それらについて詳述 しょうじゅつ する。なお、脚 あし 部 ぶ に関 かん する疾病 しっぺい や負傷 ふしょう をとくに故障 こしょう ということがある。
故障 こしょう の疾病 しっぺい ・負傷 ふしょう が重度 じゅうど のものである場合 ばあい 、競走 きょうそう 馬 ば が生命 せいめい を失 うしな うこともある。重度 じゅうど の骨折 こっせつ など回復 かいふく が困難 こんなん な故障 こしょう を発症 はっしょう した場合 ばあい 、当該 とうがい 競走 きょうそう 馬 ば に対 たい して予 よ 後 ご 不良 ふりょう と診断 しんだん され、薬物 やくぶつ を用 もち いた安楽 あんらく 死 し 措置 そち がとられる(予 よ 後 ご 不良 ふりょう を参照 さんしょう )。また、筋 すじ 腱 けん の損傷 そんしょう 等 とう 、治療 ちりょう は可能 かのう であるものの、競走 きょうそう による強度 きょうど の負荷 ふか に耐 た えうる程度 ていど まで回復 かいふく することが見込 みこ めないような場合 ばあい には競走 きょうそう 能力 のうりょく 喪失 そうしつ と診断 しんだん され、引退 いんたい ・繁殖 はんしょく 馬 ば 転向 てんこう 等 とう を余儀 よぎ なくされる場合 ばあい もある。
脚 あし 部 ぶ の疾病 しっぺい ・負傷 ふしょう (故障 こしょう )[ 編集 へんしゅう ]
競走 きょうそう 馬 ば の故障 こしょう は、レース中 ちゅう や調教 ちょうきょう 中 なか に発症 はっしょう することが多 おお い。脚 あし 部 ぶ に故障 こしょう を発症 はっしょう した競走 きょうそう 馬 ば は、脚 あし を引 ひ きずるなどの歩行 ほこう 異常 いじょう (跛行 はこう )を見 み せることがある。故障 こしょう は競走 きょうそう 馬 ば の競走 きょうそう 能力 のうりょく に影響 えいきょう を及 およ ぼすことが多 おお い。
跛行 はこう - 脚 あし に故障 こしょう ・異常 いじょう を発生 はっせい させ歩 あゆみ 様 さま がおかしくなったことを指 さ す。前肢 ぜんし に起 お きたものを肩 かた 跛行 はこう 、後肢 あとあし に起 お きたものを寛 ひろし 跛行 はこう という。肩 かた の筋肉 きんにく 痛 つう 、前 ぜん 脚 あし の骨 ほね ・筋肉 きんにく ・関節 かんせつ 部 ぶ の異常 いじょう によって走 はし 法 ほう が乱 みだ れた時 とき も跛行 はこう とされる。後肢 あとあし に起 お きた跛行 はこう の場合 ばあい 、骨折 こっせつ ・関節 かんせつ の異常 いじょう ・股関節 こかんせつ 周 まわ りの異常 いじょう が疑 うたが われる。
骨折 こっせつ - 完全 かんぜん な破断 はだん もしくは粉砕 ふんさい 骨折 こっせつ などの重 じゅう 症例 しょうれい では整復 せいふく ・治療 ちりょう が困難 こんなん なことから大半 たいはん が安楽 あんらく 死 し の対象 たいしょう となる。亀裂 きれつ 程度 ていど の骨折 こっせつ であれば長期 ちょうき の保存 ほぞん 療法 りょうほう を経 へ て復帰 ふっき できる場合 ばあい もあるが、そのまま競走 きょうそう 馬 ば 引退 いんたい となる例 れい も少 すく なくない。
屈 こごめ 腱 けん 炎 えん (エビ、エビハラ)
骨膜 こつまく 炎 えん (ソエ) - 前肢 ぜんし の第 だい 3中手 なかて 骨 こつ (管 かん 骨 こつ )に起 お きる骨膜 こつまく 炎 えん が主 おも 。成長 せいちょう 途上 とじょう にある若 わか 馬 うま が発症 はっしょう し、患部 かんぶ である骨 ほね の表面 ひょうめん が炎症 えんしょう を起 お こし強 つよ い痛 いた みを伴 ともな う。患部 かんぶ を冷 ひ やして強 つよ い運動 うんどう を避 さ けること、年齢 ねんれい を経 へ て骨 ほね の成長 せいちょう が進 すす むことで徐々 じょじょ に解消 かいしょう される。レーザーによって患部 かんぶ を焼 や いて固 かた める治療 ちりょう 法 ほう も存在 そんざい する。この場合 ばあい 、若 わか 馬 うま の前 ぜん 脚 あし 部分 ぶぶん に黒 くろ い斑点 はんてん が現 あらわ れるが、月日 つきひ を経 へ ることで徐々 じょじょ に消滅 しょうめつ する。
繋 つなぎ 靭帯 じんたい 炎 えん
球 たま 節 ぶし 炎 えん
股関節 こかんせつ 炎 えん
捻挫 ねんざ
クモズレ - 後肢 あとあし の球 たま 節 ぶし 下部 かぶ にできる円形 えんけい の傷 きず のこと。馬場 ばば の砂 すな などによって発症 はっしょう する。
裂 きれ 蹄 - 蹄壁の一部 いちぶ が裂 さ けた状態 じょうたい の総称 そうしょう で蹄の乾燥 かんそう や強 つよ い衝撃 しょうげき によりおきる。部位 ぶい によって蹄尖裂 きれ 、蹄側裂 きれ 、蹄踵裂 きれ 、蹄支裂 きれ 、蹄底裂 きれ 、蹄叉裂 きれ に分 わ けられ、蹄冠部 ぶ から分裂 ぶんれつ したものを蹄冠裂 きれ 、蹄負縁 えん から分裂 ぶんれつ したものを負 ふ 縁 えん 裂 きれ 、蹄冠から蹄負縁 えん まで達 たっ するものを前 ぜん 裂 きれ という。亀裂 きれつ の浅 あさ いものは表層 ひょうそう 裂 きれ 、知覚 ちかく 部 ぶ に達 たっ するものは深層 しんそう 裂 きれ とに分類 ぶんるい される。
挫 くじけ 跖 - 蹄底部 ていぶ (まれに蹄叉 )に発症 はっしょう する挫傷 ざしょう 。人 ひと で言 い う血豆 ちまめ 。不 ふ 整地 せいち や硬 かた い異物 いぶつ を踏 ふ むことで起 お きるが、装 そう 蹄が原因 げんいん となることがある。通常 つうじょう 、軽度 けいど の場合 ばあい は冷却 れいきゃく 治療 ちりょう を施 ほどこ すが、感染 かんせん 症 しょう などを起 お こした場合 ばあい は抗生 こうせい 物質 ぶっしつ の投与 とうよ などを行 おこな う。
蹄葉炎 えん - 蹄内部 ぶ の葉状 ようじょう 層 そう が炎症 えんしょう を起 お こして壊死 えし し、蹄骨 が蹄壁から分離 ぶんり してしまう疾患 しっかん 。葉状 ようじょう 層 そう の炎症 えんしょう は血液 けつえき 循環 じゅんかん の阻害 そがい により起 お きる。急性 きゅうせい のものと慢性 まんせい のものがあり、急性 きゅうせい 疾患 しっかん で機能 きのう 障害 しょうがい が残 のこ った場合 ばあい には安楽 あんらく 死 し の要因 よういん となる。
蟻 あり 洞 ほら - 蹄に蟻 あり の巣 す のような穴 あな が開 ひら くのでこう呼 よ ばれる。蹄葉炎 えん から来 く ることも多 おお い。
その他 た の疾病 しっぺい ・負傷 ふしょう [ 編集 へんしゅう ]
筋肉 きんにく 痛 つう 、筋炎 きんえん - 馬 うま の筋肉 きんにく 痛 つう ・筋炎 きんえん のことをコズミという。重度 じゅうど になると跛行 はこう の症状 しょうじょう を示 しめ したり、筋肉 きんにく が痙攣 けいれん するような感覚 かんかく に襲 おそ われ、動 うご けなくなってしまう(スクミ)。
疝痛 せんつう - 俗 ぞく に腹痛 はらいた とよばれるものである。原因 げんいん は様々 さまざま であり、主 しゅ として胃 い や腸 ちょう など消化 しょうか 器 き 系 けい の内臓 ないぞう 異常 いじょう ・疾病 しっぺい で発生 はっせい する。代表 だいひょう 的 てき な疾患 しっかん としては過食 かしょく 疝、便秘 べんぴ 疝、風気 かざけ 疝、寄生 きせい 疝、痙攣 けいれん 疝、血栓 けっせん 疝、変位 へんい 疝などがある。馬 うま は一度 いちど 食 た べたものを嘔吐 おうと できない身体 しんたい 的 てき 構造 こうぞう を伴 ともな うので、胃腸 いちょう に食物 しょくもつ ・消化 しょうか 物 ぶつ がつまりやすい。その結果 けっか 、胃 い 破裂 はれつ などを引 ひ き起 お こす(ナリタブライアン がこの例 れい )。また腸捻転 ちょうねんてん の場合 ばあい 、非常 ひじょう に危険 きけん であるので開腹 かいふく 手術 しゅじゅつ など早急 そうきゅう な措置 そち が求 もと められる。また、馬 うま がくっさく・グイッポ(馬 うま 房 ぼう にある馬 うま 栓 せん 棒 ぼう などを噛 か んでしまうクセ。空気 くうき を飲 の み込 こ んでしまうので止 と めるよう調教 ちょうきょう される)などをしてしまって空気 くうき を飲 の むことでも発生 はっせい する。馬 うま はデリケートであるため、緊張 きんちょう のあまりひきおこすこともあるようである(ダイワメジャー )。
心房 しんぼう 細 ほそ 動 どう - 不整脈 ふせいみゃく の一種 いっしゅ だが、健康 けんこう な馬 うま でも予兆 よちょう なく競走 きょうそう 中 ちゅう に発症 はっしょう し、自然 しぜん 治癒 ちゆ するケースが多 おお い。稀 まれ に心不全 しんふぜん に至 いた るケースについては、ほぼその場 ば で死亡 しぼう する。
鼻 はな 出血 しゅっけつ - 鼻血 はなぢ 。主 おも に1.運動 うんどう 誘発 ゆうはつ 性 せい 出血 しゅっけつ 、2.鼻 はな 粘膜 ねんまく からの出血 しゅっけつ 、3.喉 のど 嚢からの出血 しゅっけつ に分 わ けられる。1であれば両側 りょうがわ の鼻孔 びこう より出血 しゅっけつ する。強度 きょうど の運動 うんどう による血圧 けつあつ の上昇 じょうしょう が原因 げんいん 。2は通常 つうじょう 片方 かたがた からの出血 しゅっけつ 。顔面 がんめん 打撲 だぼく や鼻腔 びこう への異物 いぶつ の混入 こんにゅう 、鼻炎 びえん などによる鼻 はな 粘膜 ねんまく の脆弱 ぜいじゃく 化 か による出血 しゅっけつ 。3は喉 のど 嚢で増殖 ぞうしょく した真 ま 菌 きん により動脈 どうみゃく が傷 きず つけられて出血 しゅっけつ する。大量 たいりょう 出血 しゅっけつ になりやすく、致死 ちし 性 せい の高 たか い疾患 しっかん である。
熱発 ねっぱつ - 馬 うま の平熱 へいねつ は38度 ど ほどだが、発熱 はつねつ をした状態 じょうたい をいう。疲労 ひろう や輸送 ゆそう などによって引 ひ き起 お こされる。まれに逆 ぎゃく 体温 たいおん と呼 よ ばれ朝 あさ 昼 ひる の体温 たいおん が逆 ぎゃく になり(昼 ひる の体温 たいおん が下 さ がる)調整 ちょうせい 困難 こんなん となる馬 うま が存在 そんざい する。競走 きょうそう 生活 せいかつ 時代 じだい のフサイチコンコルド がこの症例 しょうれい であった。
熱中 ねっちゅう 症 しょう - 近年 きんねん の温暖 おんだん 化 か により、夏季 かき の気候 きこう の高温 こうおん 多湿 たしつ が顕著 けんちょ となり発汗 はっかん などで体力 たいりょく が消耗 しょうもう し、呼吸 こきゅう が不安定 ふあんてい になったり痙攣 けいれん などの運動 うんどう 症状 しょうじょう が起 お き、最悪 さいあく の場合 ばあい は多 た 臓器 ぞうき 不全 ふぜん に至 いた るケースがある(北海道 ほっかいどう で放牧 ほうぼく 中 ちゅう だったアスクビクターモア がこの症例 しょうれい で死亡 しぼう している)。中央 ちゅうおう 競馬 けいば では競馬 けいば 場 じょう のパドック・待機 たいき 所 しょ などにミストシャワー設置 せっち など進 すす めているが、熱中 ねっちゅう 症 しょう を発症 はっしょう する馬 うま が増加 ぞうか 傾向 けいこう であり、2024年 ねん の競馬 けいば からは、夏季 かき の一部 いちぶ 競馬 けいば 場 じょう で昼間 ひるま の時間 じかん 帯 たい の競走 きょうそう を休止 きゅうし するなどのさらなる対策 たいさく が進 すす められる[60] [61] 。
喘鳴 ぜんめい 症 しょう (ノド鳴 な り) - 運動 うんどう 中 ちゅう の異常 いじょう 呼吸 こきゅう 音 おん を発 はっ する症状 しょうじょう 。気管 きかん 入 い り口 くち の軟骨 なんこつ を開 ひら く筋肉 きんにく の神経 しんけい 麻痺 まひ や呼吸 こきゅう 器 き の感染 かんせん 症 しょう などにより気道 きどう が狭 せま くなることによる。主 おも に左側 ひだりがわ 軟骨 なんこつ で発症 はっしょう する。
フレグモーネ - 小 ちい さな傷口 きずぐち や毛根 もうこん 部 ぶ から細菌 さいきん が侵入 しんにゅう し発症 はっしょう する化膿 かのう 症 しょう をいう。皮下 ひか 組織 そしき が化膿 かのう して腫 は れあがり発熱 はつねつ して痛 いた みを伴 ともな うので薬物 やくぶつ 投与 とうよ の上 うえ 、安静 あんせい にしなければならない。寝藁 ねわら の交換 こうかん を怠 おこた る、もしくは調教 ちょうきょう 運動 うんどう 後 ご の馬 うま 体 たい を洗 あら った後 のち よく乾燥 かんそう させないことで感染 かんせん の危険 きけん 性 せい が増 ま すと言 い われている。
腰 こし 痿(腰 こし フラ、ウォブラー症候群 しょうこうぐん ) - 後 こう 躯 むくろ の運動 うんどう 失調 しっちょう や感覚 かんかく 麻痺 まひ を主 おも 症状 しょうじょう とする。生後 せいご 12~24ヶ月 かげつ 齢 よわい の牡 おす の若 わか 馬 うま に多 おお く発症 はっしょう し、急激 きゅうげき な成長 せいちょう によって生 しょう じた頸椎の配列 はいれつ の不整 ふせい 、頸椎関節 かんせつ 部 ぶ の肥厚 ひこう や骨 ほね 棘 とげ 、離 はなれ 断 だん 骨 こつ 片 へん などによる狭窄 きょうさく であり、脊髄 せきずい が圧迫 あっぱく されることで生 しょう じる神経 しんけい の損傷 そんしょう である。予 よ 後 ご は悪 わる く安楽 あんらく 死 し 処分 しょぶん となるケースもあれば、温存 おんぞん 療法 りょうほう で約 やく 30%の馬 うま がレースに出走 しゅっそう できるケースもある[62] 。
輸送 ゆそう 熱 ねつ - 長時間 ちょうじかん の輸送 ゆそう や疲労 ひろう 時 じ の輸送 ゆそう により発症 はっしょう する病気 びょうき 。症状 しょうじょう は感冒 かんぼう と同様 どうよう で疲労 ひろう ・体温 たいおん の上昇 じょうしょう が起 お き、重 じゅう 症例 しょうれい では肺炎 はいえん に移行 いこう することもある。
馬 うま パラチフス
馬 うま 鼻 はな 肺炎 はいえん
馬 うま 伝染 でんせん 性 せい 貧血 ひんけつ - ウイルス 感染 かんせん によって発症 はっしょう する貧血 ひんけつ 症 しょう 。ウイルスの特性 とくせい 上 じょう ワクチン が作 つく れないため治療 ちりょう 法 ほう が存在 そんざい せず、陽性 ようせい 馬 ば は感染 かんせん 拡大 かくだい 防止 ぼうし という防疫 ぼうえき 上 うえ の観点 かんてん から摘発 てきはつ 淘汰 とうた (殺 ころせ 処分 しょぶん )する規定 きてい になっていることから、馬 うま にとっては致命 ちめい 的 てき な疾病 しっぺい の一 ひと つ。現在 げんざい の日本 にっぽん は清浄 せいじょう 国 こく で、この病気 びょうき は存在 そんざい しないが、過去 かこ には競馬 けいば 場 じょう 厩舎 きゅうしゃ 地区 ちく での集団 しゅうだん 感染 かんせん により競走 きょうそう 馬 ば の大量 たいりょう 殺 ころせ 処分 しょぶん などの事態 じたい が発生 はっせい したことがある。
馬 うま インフルエンザ
競走 きょうそう 馬 ば のドーピング[ 編集 へんしゅう ]
ドーピング 、すなわち競走 きょうそう 成績 せいせき を向上 こうじょう させる目的 もくてき で薬物 やくぶつ を競走 きょうそう 馬 ば に投与 とうよ する行為 こうい は近代 きんだい 競馬 けいば が行 おこな われるようになった当初 とうしょ から行 おこな われていたとされる。古典 こてん 的 てき なドーピングの手法 しゅほう としてはアルコール やカフェイン 、覚醒剤 かくせいざい などの投与 とうよ が挙 あ げられる。
日本 にっぽん の競馬 けいば においては競馬 けいば 法 ほう 第 だい 31条 じょう で「競走 きょうそう 馬 ば の競走 きょうそう 能力 のうりょく を一時 いちじ 的 てき に高 たか める薬品 やくひん 又 また は薬剤 やくざい を使用 しよう した者 もの 」への刑事 けいじ 罰 ばつ を規定 きてい し、中央 ちゅうおう 競馬 けいば では日本中央競馬会 にっぽんちゅうおうけいばかい の競馬 けいば の施行 しこう 等 とう に関 かん する規約 きやく 第 だい 56条 じょう ・第 だい 59条 じょう ・別表 べっぴょう 2で禁止 きんし 薬物 やくぶつ が規定 きてい されている。
主 おも なドーピング事例 じれい [ 編集 へんしゅう ]
薬品 やくひん によってはドーピングの対象 たいしょう となるかどうかについて、主催 しゅさい 者 しゃ によって異 こと なる判断 はんだん がなされる場合 ばあい もある(たとえば欧州 おうしゅう では自然 しぜん 界 かい に存在 そんざい しない化学 かがく 物質 ぶっしつ 全般 ぜんぱん が対象 たいしょう となるのに対 たい し、日本 にっぽん やアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく では対象 たいしょう とされない化学 かがく 物質 ぶっしつ もある)。そのため競走 きょうそう 馬 ば が外国 がいこく に遠征 えんせい をした際 さい に、遠征 えんせい 元 もと の国 くに では禁止 きんし されていない化学 かがく 物質 ぶっしつ が遠征 えんせい 先 さき の国 くに で禁止 きんし 薬物 やくぶつ として検出 けんしゅつ され、処分 しょぶん が下 くだ される例 れい もある(治療 ちりょう 薬 やく としての投与 とうよ であるが、例 れい として2006年 ねん ドバイワールドカップにおけるブラスハット、同年 どうねん 凱旋 がいせん 門 もん 賞 しょう におけるディープインパクト)。なお主催 しゅさい 者 しゃ によって禁止 きんし 指定 してい 薬物 やくぶつ が異 こと なることはスポーツ界 かい においては一般 いっぱん 的 てき であり、禁止 きんし 指定 してい 薬物 やくぶつ リストを出場 しゅつじょう 予定 よてい の主催 しゅさい 者 しゃ に照会 しょうかい し入手 にゅうしゅ するのが通例 つうれい である。 [要 よう 出典 しゅってん ]
競走 きょうそう 馬 ば に対 たい して第三者 だいさんしゃ が故意 こい に禁止 きんし 薬物 やくぶつ を摂取 せっしゅ させ、ドーピング検査 けんさ によって失格 しっかく に追 お い込 こ もうとする企 くわだ てがなされた事例 じれい も過去 かこ に存在 そんざい する。日本 にっぽん におけるこの種 たね の代表 だいひょう 的 てき な事例 じれい としてはバスター事件 じけん がある。またステートジャガー事件 じけん について、この種 たね の事例 じれい だったのではないかという見解 けんかい がある。2018年 ねん に発生 はっせい した岩手 いわて 県 けん 競馬 けいば 組合 くみあい の事例 じれい でもこの可能 かのう 性 せい が疑 うたが われたため、容疑 ようぎ 者 しゃ 不 ふ 詳 しょう のまま刑事 けいじ 告発 こくはつ に至 いた っている[63] 。
ドーピング検査 けんさ の実際 じっさい [ 編集 へんしゅう ]
競走 きょうそう 後 ご ただちに競馬 けいば 場 じょう 内 ない にある検体 けんたい 所 しょ に移動 いどう し尿 にょう を採取 さいしゅ する(上位 じょうい 入線 にゅうせん 馬 ば のみ)。その検体 けんたい は即日 そくじつ で競走 きょうそう 馬 ば 理化学研究所 りかがくけんきゅうしょ に送 おく られ、検査 けんさ を行 おこな う仕組 しく みである。禁止 きんし 薬物 やくぶつ が検出 けんしゅつ された場合 ばあい は直 ただ ちに関係 かんけい 者 しゃ に事情 じじょう 聴取 ちょうしゅ を行 おこな い処分 しょぶん を決定 けってい する。場合 ばあい によっては刑事 けいじ 告発 こくはつ もなされる。
競走 きょうそう 馬 ば 生産 せいさん の歴史 れきし (日本 にっぽん )[ 編集 へんしゅう ]
江戸 えど 時代 じだい 、欧州 おうしゅう ではいわゆるサラブレッド 生産 せいさん と現代 げんだい 式 しき の競馬 けいば が体系 たいけい 化 か ・整備 せいび された時期 じき を迎 むか え、鎖国 さこく 下 した の日本 にっぽん にも僅 わず かに欧州 おうしゅう 産 さん の血統 けっとう 管理 かんり された馬 うま が輸入 ゆにゅう された。著名 ちょめい な例 れい としては、1863年 ねん に、フランス皇帝 こうてい ナポレオン3世 せい から徳川 とくがわ 家茂 いえもち に贈呈 ぞうてい された26頭 とう の駿馬 しゅんめ がいる。このときの1頭 とう である牝馬 ひんば の高砂 たかさご は孕仔 の吾妻 あづま を産 う む。吾妻 あづま の子孫 しそん は明治 めいじ 全期 ぜんき を通 つう じて大 おお いに繁栄 はんえい し、13頭 とう の帝室 ていしつ 御 ご 賞 しょう 典 てん 競走 きょうそう の勝 か ち馬 ば を出 だ したほか、1955年 ねん の最良 さいりょう アラブ に選出 せんしゅつ されたタツトモや1999年 ねん NARアラブ系 けい 最優秀 さいゆうしゅう 3歳 さい 馬 ば ハッコーディオスをはじめ昭和 しょうわ 、平成 へいせい の時代 じだい も活躍 かつやく 馬 ば を輩出 はいしゅつ し、現在 げんざい でも地方 ちほう 競馬 けいば の重 じゅう 賞 しょう 勝馬 かつま を出 だ している。しかしながら26頭 とう のうちのほとんどは、間 ま もなく戊辰戦争 ぼしんせんそう になり、その後 ご は明治 めいじ 政府 せいふ 関係 かんけい 者 しゃ が私物 しぶつ 化 か してしまい(「アンドレ・カズヌーヴ 」参照 さんしょう )、国産 こくさん 馬 ば の改良 かいりょう には寄与 きよ しなかった[† 14] 。この時代 じだい には、このような名 めい 駿 しゅん が日本 にっぽん に持 も ち込 こ まれたにもかかわらず、欧州 おうしゅう 式 しき の馬 うま 産 さん ・品種 ひんしゅ 改良 かいりょう の方法 ほうほう 論 ろん は導入 どうにゅう されなかった。近代 きんだい 的 てき な馬 うま 産 さん が行 おこな われるには、その後 ご を待 ま たねばならない。
横濱 よこはま 競馬 けいば 場 じょう では、設立 せつりつ 当初 とうしょ は日本 にっぽん 馬 ば と中国 ちゅうごく 産 さん 馬 ば によって競走 きょうそう が行 おこな われていたが、後 のち に競走 きょうそう 馬 ば の質 しつ と量 りょう を確保 かくほ する目的 もくてき で、主 おも にオーストラリアからサラブレッド競走 きょうそう 馬 ば が輸入 ゆにゅう された。当時 とうじ の日本 にっぽん には血統 けっとう 登録 とうろく 制度 せいど が確立 かくりつ されておらず、こうした濠 ほり 州 しゅう 産 さん サラブレッド(濠 ほり サラ )は後 のち に公式 こうしき な記録 きろく がはじまると「血統 けっとう 不 ふ 詳 しょう 馬 ば 」となった。これらの濠 ほり サラ は競走 きょうそう 引退 いんたい 後 ご に払 はら い下 さ げられ日本 にっぽん 各地 かくち で繁殖 はんしょく に供 きょう されたが、ミラ などの大 おお いに活躍 かつやく したごく一部 いちぶ の競走 きょうそう 馬 ば を除 のぞ いて血統 けっとう や競走 きょうそう の記録 きろく は失 うしな われ、単 たん に「洋種 ようしゅ 」馬 うま として供用 きょうよう された。高砂 たかさご や吾妻 あづま も同様 どうよう の扱 あつか いを受 う けており、血統 けっとう 管理 かんり と淘汰 とうた に立脚 りっきゃく した品種 ひんしゅ 改良 かいりょう を目的 もくてき とする近代 きんだい 的 てき な馬 うま 産 さん は、まだ確立 かくりつ されていない。
明治 めいじ 時代 じだい 、政府 せいふ による近代 きんだい 的 てき な産業 さんぎょう 振興 しんこう 策 さく に基 もと づいて、日本 にっぽん 国内 こくない では官民 かんみん による洋式 ようしき の牧場 ぼくじょう が各地 かくち に開設 かいせつ された。これらの牧場 ぼくじょう のうち著名 ちょめい なものとしては、内務 ないむ 大臣 だいじん 大久保 おおくぼ 利通 としみち が旧 きゅう 江戸 えど 幕府 ばくふ の佐倉 さくら 牧 まき の取香 とっこう 牧 まき を改良 かいりょう して岩山 いわやま 敬義 たかよし に監督 かんとく させた下総 しもうさ 御料 ごりょう 牧場 ぼくじょう 、北海道 ほっかいどう 開拓 かいたく 使 し 黒田 くろだ 清隆 きよたか がエドウィン・ダン を顧問 こもん に日 にち 高 だか に拓 ひら いた新冠 にいかっぷ 牧場 ぼくじょう (後 ご の新冠 にいかっぷ 御料 ごりょう 牧場 ぼくじょう )、三菱 みつびし 財閥 ざいばつ が岩手 いわて に開設 かいせつ した小岩井 こいわい 農場 のうじょう 、八戸 はちのへ に追放 ついほう された会津 あいづ 藩 はん 士 し ・廣澤 ひろさわ 安 あん 任 つとむ が1872年 ねん に興 おこ した青森 あおもり 県 けん の広沢 ひろさわ 牧場 ぼくじょう などが挙 あ げられる。
これらの牧場 ぼくじょう では、乳牛 にゅうぎゅう ・肉牛 にくぎゅう ・綿羊 めんよう ・肉 にく 豚 ぶた などと並 なら び、乗用 じょうよう 馬 ば 、貨車 かしゃ 用 よう 馬 ば 、農耕 のうこう 馬 ば など様々 さまざま な目的 もくてき で様々 さまざま な品種 ひんしゅ の馬 うま が輸入 ゆにゅう され、血統 けっとう のはっきりしない在来 ざいらい 種 しゅ 、洋種 ようしゅ (前述 ぜんじゅつ の濠 ほり サラ など)、血統 けっとう のはっきりしているアラブ 、アングロノルマン 、アングロアラブ 、ギドラン 、ハクニー 、トロッター らに混 ま じってサラブレッド が繋 つなぎ 養 よう されているといった状態 じょうたい で、これらの交配 こうはい によって雑種 ざっしゅ も生産 せいさん された。この時代 じだい にはサラブレッド 種 たね 牡馬 ぼば ・種 たね 牝馬 ひんば の数 かず が絶対 ぜったい 的 てき に不足 ふそく していたこともあり、競走 きょうそう 用 よう のサラブレッドの生産 せいさん が本格 ほんかく 化 か するのはもう少 すこ し先 さき のことで、様々 さまざま な種 たね の雑種 ざっしゅ の生産 せいさん や育成 いくせい を通 つう じて西洋 せいよう 式 しき の馬 うま 産 さん の方法 ほうほう 技術 ぎじゅつ を模索 もさく していた時期 じき と言 い える。
明治 めいじ 初期 しょき には広沢 ひろさわ 牧場 ぼくじょう をはじめ各地 かくち に西洋 せいよう 風 ふう の方式 ほうしき を取 と り入 い れた牧場 ぼくじょう が創設 そうせつ されたが、これはもっぱら特権 とっけん を失 うしな った士族 しぞく への授産 じゅさん という性格 せいかく が濃 こ く、計画 けいかく 的 てき な馬 うま の品種 ひんしゅ 改良 かいりょう には至 いた っていない。体系 たいけい 的 てき な馬 うま 産 さん が開始 かいし されるのは明治 めいじ 中期 ちゅうき のことである。1894年 ねん の日 にち 清 しん 戦争 せんそう 、1899年 ねん の義和 よしかず 団 だん の乱 らん 、1904年 ねん の日 にち 露 ろ 戦争 せんそう に際 さい し、大日本帝国 だいにっぽんていこく 陸軍 りくぐん は軍馬 ぐんば として在来 ざいらい 種 しゅ を中心 ちゅうしん とした日本 にっぽん 産 さん 馬 ば を大陸 たいりく に連 つ れて行 い き、西洋 せいよう の馬 うま との差 さ を痛感 つうかん することになる。
義和 よしかず 団 だん の乱 らん 後 ご の北京 ぺきん では、駐屯 ちゅうとん する西洋 せいよう 列強 れっきょう の軍馬 ぐんば に比 くら べ、日本 にっぽん 産 さん 馬 ば は馬力 ばりき 、速度 そくど 、持久 じきゅう 力 りょく 、悍性と全 すべ てにおいて著 いちじる しく劣 おと っていることが明 あき らかになる。列強 れっきょう の馬 うま に比 くら べると日本 にっぽん 産 さん 馬 ば は20センチほど体高 たいこう が低 ひく く、走 はし らせると1分 ふん で180メートルも引 ひ き離 はな された。性質 せいしつ も悪 わる く、日本 にっぽん 産 さん 馬 ば は集 あつ めて繋 つな ぐと暴 あば れ、物資 ぶっし を運 はこ ばせれば転倒 てんとう し、大砲 たいほう を運 はこ ばせれば動 うご きが鈍 にぶ く、騎手 きしゅ の指示 しじ に従 したが わず、牝馬 ひんば を見 み れば発情 はつじょう し、銃声 じゅうせい に驚 おどろ いて逃 に げ出 だ す有様 ありさま で、西洋 せいよう 列強 れっきょう の軍隊 ぐんたい との共同 きょうどう 作戦 さくせん において隊列 たいれつ を乱 みだ したり行軍 こうぐん を遅 おく らせたりと列国 れっこく に多大 ただい な迷惑 めいわく を与 あた え、西洋 せいよう からは「日本 にっぽん の馬 うま は猛獣 もうじゅう か」とか「日本 にっぽん の騎兵 きへい は馬 うま の一種 いっしゅ に乗 の っている」と嘲笑 ちょうしょう された。あわてた軍部 ぐんぶ は日 にち 英 えい 同盟 どうめい を頼 たよ って濠 ほり 州 しゅう からサラブレッド牝馬 ひんば を大量 たいりょう 輸入 ゆにゅう するが、これらの馬 うま は結局 けっきょく 、戦場 せんじょう には連 つ れて行 い かれず、民間 みんかん に払 はら い下 さ げられた。
特 とく に日 にち 露 ろ 戦争 せんそう の陸戦 りくせん では日本 にっぽん 側 がわ の人的 じんてき 損失 そんしつ は甚 はなは だしく、戦後 せんご の国内 こくない 世論 せろん は西洋 せいよう 並 な みの優秀 ゆうしゅう な軍馬 ぐんば を育成 いくせい することが急務 きゅうむ であると説 と き、やがてそれは明治天皇 めいじてんのう の知 し るところとなる。1904年 ねん に政府 せいふ 内 ない に馬 うま 政 せい 調査 ちょうさ 会 かい が設置 せっち されて国内 こくない 各地 かくち に官営 かんえい の種畜 しゅちく 場 じょう が開設 かいせつ されていたが、馬術 ばじゅつ への関心 かんしん が元々 もともと 強 つよ かった明治天皇 めいじてんのう は元老 げんろう ・伊藤 いとう 博文 ひろぶみ に馬匹 ばひつ 改良 かいりょう を命 めい じた。1906年 ねん には第 だい 一 いち 次 じ 桂 かつら 太郎 たろう 内閣 ないかく 直属 ちょくぞく の馬匹 ばひつ 改良 かいりょう を目的 もくてき とした馬 うま 政局 せいきょく が設立 せつりつ 、農 のう 商務 しょうむ ・外務 がいむ ・大蔵 おおくら ・逓信 ていしん 大臣 だいじん を歴任 れきにん した曽根 そね 荒 あら 助 すけ 男爵 だんしゃく が馬 うま 政局 せいきょく 長官 ちょうかん に任命 にんめい され、軍馬 ぐんば 改良 かいりょう を柱 はしら とする馬 うま 政 せい 30年 ねん 計画 けいかく が上奏 じょうそう された。馬 うま 政局 せいきょく は奨励 しょうれい する種馬 たねうま の種類 しゅるい として、軽 けい 種 たね にサラブレッド、中 ちゅう 間 あいだ 種 しゅ にハクニー、重 じゅう 種 たね にペルシュロン を指定 してい し、これを補 おぎな うものとしてギドラン、アングロアラブとアングロノルマンを選定 せんてい した。
これを受 う けて国営 こくえい の奥羽 おうう 種畜 しゅちく 牧場 ぼくじょう では1906年 ねん に濠 ほり 州 しゅう 産 さん 馬 ば 128頭 とう を輸入 ゆにゅう 、翌年 よくねん にはインフォーメーションなどの種 たね 牡馬 ぼば を導入 どうにゅう した。宮 みや 内省 ないせい 管轄 かんかつ の下総 しもうさ 御料 ごりょう 牧場 ぼくじょう は(1907年 ねん にブラマンテー、サッパーダンスなどサラブレッド種 しゅ 牡馬 ぼば 4頭 とう をイギリスより輸入 ゆにゅう すると共 とも に、雑種 ざっしゅ の繋 つなぎ 養 やしなえ 馬 ば を売却 ばいきゃく 処分 しょぶん した。民間 みんかん では三菱 みつびし 財閥 ざいばつ の小岩井 こいわい 農場 のうじょう が1907年 ねん 、種 たね 牡馬 ぼば インタグリオー と種 たね 牝馬 ひんば 20頭 とう をイギリスより輸入 ゆにゅう し、本格 ほんかく 的 てき なサラブレッド生産 せいさん に着手 ちゃくしゅ した。このとき小岩井 こいわい 農場 のうじょう に輸入 ゆにゅう された種 たね 牝馬 ひんば のうち、ビューチフルドリーマー 、フロリースカップ、アストニシメント、プロポンチスなどの子 こ は特 とく に優秀 ゆうしゅう で、これらの小岩井 こいわい 農場 のうじょう の基礎 きそ 輸入 ゆにゅう 牝馬 ひんば の子孫 しそん は現在 げんざい にまで連 つら なる繁栄 はんえい を示 しめ している。
^ 地方競馬全国協会 ちほうけいばぜんこくきょうかい 業務 ぎょうむ 方法 ほうほう 書 しょ 第 だい 18条 じょう の2
^ 旧 きゅう 法人 ほうじん による馬 うま 名 めい 登録 とうろく 実施 じっし 基準 きじゅん は「日本 にっぽん 軽 けい 種馬 たねうま 登録 とうろく 協会 きょうかい 馬 ば 名 めい 登録 とうろく 実施 じっし 基準 きじゅん [23] 」にある。
^ ディープインパクト =「大 だい 震撼 しんかん 」など。
^ 戦後 せんご ではゴールデンユートピアが唯一 ゆいいつ の10文字 もじ 馬 ば 名 めい である。[要 よう 出典 しゅってん ]
^ 2019年 ねん 11月17日 にち デビューの「ラガービール 」、2022年 ねん にデビューした「ジャスコ 」など。
^ 子孫 しそん に2018年 ねん のNARグランプリ 年度 ねんど 代表 だいひょう 馬 ば のキタサンミカヅキ 等 ひとし がいる。
^ 2004年 ねん 以前 いぜん は対象 たいしょう となる競走 きょうそう が一部 いちぶ 異 こと なっていた。
^ 2005年 ねん のみコックスプレート 。
^ 2020年 ねん は新型 しんがた コロナウイルス の影響 えいきょう により開催 かいさい 中止 ちゅうし 。
^ a b G1レースはパートI国 こく のみ。
^ 本来 ほんらい の意味 いみ は血統 けっとう 表 ひょう で太字 ふとじ で表記 ひょうき される馬 うま のことであり、ここでは特定 とくてい のレースを勝利 しょうり した馬 うま のことを指 さ す。日本 にっぽん の対象 たいしょう レースはJRAの重 じゅう 賞 しょう 、リステッド競走 きょうそう 及 およ び地方 ちほう の交流 こうりゅう 重 じゅう 賞 しょう である。
^ 同 どう 馬 うま は2021年 ねん のジャパンカップ 優勝 ゆうしょう 馬 ば であるが、2020年 ねん 時点 じてん で国際 こくさい 保護 ほご 馬 ば 名 めい として登録 とうろく された。
^ 中京 ちゅうきょう 競馬 けいば 場 じょう は2012年 ねん 再開 さいかい のリニューアルオープンに際 さい して、周回 しゅうかい 距離 きょり が延長 えんちょう され最後 さいご の直線 ちょくせん に坂 さか が設 もう けられたため、中央 ちゅうおう 競馬 けいば からは「平坦 へいたん 」「左 ひだり 回 まわ り」「小回 こまわ り」の3条件 じょうけん を満 み たす競馬 けいば 場 じょう がなくなった。
^ 日本 にっぽん 軽 けい 種馬 たねうま 協会 きょうかい 『JBBA NEWS』2006年 ねん 9月 がつ 号 ごう の武市 たけいち 銀 ぎん 治郎 じろう の記事 きじ によると、高砂 たかさご 、四ツ谷 よつや 、老松 おいまつ 、巴 ともえ 黎 はじむ 、吾妻 あづま 、第 だい 二 に 四ツ谷 よつや などが歴史 れきし に名 な を残 のこ した。高砂 たかさご も参照 さんしょう 。