馬 政局
概説
[1906
1910
沿革
[- 1895
年 -馬匹 調査 会 が設 けられる(勅 令 第 77号 )[9]。 - 1904
年 -日 露 戦争 勃発 - 1905
年 -馬 政 第 一 次 計画 立案 - 1906
年 -馬 政局 官制 公布 (勅 令 第 121号 )[4]。 - 1910
年 -馬 政局 が陸軍 省 外局 となる(勅 令 第 290号 )[5]。 - 1919
年 8月 15日 -庁舎 が麹町 区 元衛 町 1番地 に移転 し事務 を開始 [12]。 - 1923
年 -馬 政局 が廃止 され(勅 令 第 114号 )[6]、業務 が農 商務省 畜産 局 へ移管 された[7]。 - 1936
年 -日 中 関係 悪化 に伴 い、馬 政局 官制 公布 (勅 令 第 160号 )[13]。馬 政 第 二 次 計画 スタート。
- 1938
年 -日 中 戦争 激化 に伴 う計画 の変更 - 1945
年 -農林省 畜産 局 の設置 に伴 い、馬 政局 が廃止 された(勅 令 第 607号 )[14][15]。
組織
[(1906
官員
[馬 政 長官 (勅 任 一等 官 )馬 政次 長 (勅 任 二 等 官 )馬 政官 (奏 任官 10名 )
種馬 牧場 長 (奏 任官 3名 )種馬 育成 所長 (同 1名 )種馬 所長 (同 15名 )馬 政 技師 (同 8名 )馬 政 技手 (判任官 133名 )
馬 政 書記官 (奏 任官 1名 )馬 政 書記 (判 任 待遇 21名 )馬 政 属 (同 26名 )
部署
[監督 課 牧 馬 課
馬 政 課 去勢 課
庶務 課 会計 課
歴代 長官
[馬 政 長官
- (
兼 )曾禰荒 助 :1906年 6月 1日 [16] - 1908年 10月 8日 [17] - (
兼 )寺内 正毅 :1908年 10月 8日 [17] - 1910年 6月 22日 浅川 敏靖 :1910年 6月 22日 - 1920年 8月 10日 石光 真 臣 :1920年 8月 10日 - 1922年 10月 20日 渡辺 為 太郎 :1922年 10月 20日 - 1923年 3月 31日
馬 政局 長官
- (
兼 )長瀬 貞一 :1936年 7月 6日 - 1937年 5月 14日 - (
兼 )戸田 保 忠 :1937年 5月 14日 - 1937年 7月 6日 村上 龍太郎 :1937年 7月 6日 - 1938年 1月 7日 荷 見 安 :1938年 1月 7日 - 1939年 5月 5日 村上 富士太 郎 :1939年 5月 5日 - 1941年 1月 21日 粟屋 仙吉 :1941年 1月 21日 - 1942年 3月 9日 岸 良一 :1942年 3月 9日 - 1944年 9月 30日 - (扱)
重政 誠之 :1944年 9月 30日 - 1944年 11月29日 梶原 茂嘉 :1944年 11月29日 - 1945年 4月 28日 西村 彰一 :1945年 4月 28日 - 1945年 10月 26日
馬 政 計画
[馬 政 第 一 次 計画
[計画 スタート当初 :馬匹 数 146万 5千 頭 (種類 :和 種 87%、雑種 12%、洋種 1%)[11]第 一 期 終了 時点 :馬匹 数 159万 1千 頭 (種類 :和 種 18%、雑種 80%、洋種 2%)[11]第 二 期 終了 時点 :馬匹 数 144万 8千 頭 (種類 :和 種 3%、雑種 94%、洋種 3%)[11]
馬 政 第 二 次 計画
[期間 昭和 11年度 から昭和 40年度 までの30箇年 保有 馬 数 内地 は少 なくとも150万 頭 、その役 種 区分 は別 に定 める馬 の改良 方針 役 種 区分 に基 づいて地域 的 に役 種 生産 方針 を確立 し、馬 の登録 に関 する制度 を設 け、種類 別 体型 標準 に拠 り配合 の統制 を図 り体型 を整理 し、種類 の固定 に努 め各 役 種 に適応 する性能 を具 える馬 の造成 を期 する種 牡馬 の要 数 6000頭 とし、うち政府 繋 養 は少 なくとも3000頭 、民間 のものに相応 の保護 を加 え充実 を図 る種 牡馬 の充実 特 に乗 輓馬 生産 用 優良 種 牡馬 の維持 涵養 に重 きを置 き、有能 馬 生産 資源 を確保 する馬 の育成 調教 改善 向上 を図 り、その性能 の発揮 を全 からしめ有能 馬 の造成 を期 する馬 の利用 範囲 の拡張 と利用 方法 の改善 ならびに乗馬 の普及 を図 り、これの需要 の増進 を期 する牧野 および飼料 牧野 の改良 整備 と飼料 の増産 を図 り、馬 産 経済 の改善 に資 するとともに馬 の資質 の向上 を期 する馬 の衛生 疾病 の防遏 、健康 の増進 を図 るとともに蕃殖 能率 の向上 に努 め馬 産 の安定 に資 する競馬 改善 刷新 を図 りその施行 を適正 にし馬 の改良 増殖 の目的 達成 に努 める朝鮮 、台湾 、樺太 の馬 産 との連絡 内地 馬 政 の遂行 にはこれと連絡 を図 りこれの助長 に努 める
との
出典
[- ^ a b
堀内 孝 軍馬 改良 と名馬 の産地 -明治 期 の戦争 がもたらした矛盾 駿台 史 学会 - ^ a b c d e
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