(Translated by https://www.hiragana.jp/)
宮内省 - Wikipedia コンテンツにスキップ

みや内省ないせい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の旗 日本にっぽん行政ぎょうせい機関きかん
みや内省ないせい
明治期の宮内省
明治めいじみや内省ないせい
役職やくしょく
宮内卿くないきょう
宮内みやうち大臣だいじん
万里小路まりこうじはくぼう初代しょだい
松平まつだいらけいみん最後さいご
概要がいよう
所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう東京とうきょう麹町こうじまち
設置せっち 1869ねん明治めいじ2ねん
改称かいしょう 1949ねん昭和しょうわ24ねん
後身こうしん 宮内庁くないちょう
テンプレートを表示ひょうじ

みや内省ないせい(くないしょう、きゅう字体じたいみや內省)とは、近代きんだい日本にっぽんにあった皇室こうしつ事務じむつかさど省庁しょうちょう1869ねん明治めいじ2ねん)に古代こだいみや内省ないせいならって太政官だじょうかんせいのもとで発足ほっそくした組織そしきで、当初とうしょ長官ちょうかん宮内卿くないきょうだったが、1885ねん明示めいじ18ねん以降いこう内閣ないかく制度せいどにおいては宮中きゅうちゅう行政ぎょうせいかく官庁かんちょう区別くべつされ、みや内省ないせい所管しょかんする宮内みやうち大臣だいじん内閣ないかくかくいんとはされず独立どくりつしていた[1]GHQ占領せんりょう1946ねん昭和しょうわ21ねん)に縮小しゅくしょう再編さいへんされ、1947ねん昭和しょうわ22ねん)に宮内くない1949ねん昭和しょうわ24ねん)に現在げんざい宮内庁くないちょうとなった[2][3]

沿革えんかく[編集へんしゅう]

みや内省ないせい前身ぜんしんは、1869ねん5月19にち旧暦きゅうれき明治めいじ2ねん4がつ8にち)に設置せっちされたうちべんごとで、5月25にち旧暦きゅうれき4がつ14にち)に内廷ないてい知事ちじ改称かいしょうされた[4]。さらに8がつ15にち旧暦きゅうれき7がつ8にち)の職員しょくいんれいみや内省ないせいとなり、本部ほんぶのほか、皇太后こうたいごうみやしょく皇后こうごうみやしょく東宮とうぐうぼう部署ぶしょ設置せっちされた[4]。このさい改正かいせいされた「官位かんい相当そうとうひょう」よると、宮内卿くないきょうせいさん宮内みやうち大輔だいすけしたがえさん宮内みやうちしょう輔はせいよんとされた。

一方いっぽう1872ねん4月(旧暦きゅうれき明治めいじ5ねん3がつ)の神祇じんぎしょう廃止はいしにより祭事さいじまつてん太政官だじょうかん直属ちょくぞく式部しきぶりょう移管いかんされたが、新暦しんれき1875ねん明治めいじ8ねん)4がつ式部しきぶりょう太政官だじょうかんからみや内省ないせい移管いかんされた(太政官だじょうかん布告ふこくだい59ごう[4]。その事由じゆう不明ふめいながら、同年どうねん12がつ正院しょういんもどされ(太政官だじょうかん布告ふこくだい182ごう)、1877ねん明治めいじ10ねん)9がつにはふたた式部しきぶりょうみや内省ないせい所管しょかんとなった(太政官だじょうかんたちだい63ごう[4]

なお、1877ねん明治めいじ10ねん8がつ29にちから1879ねん明治めいじ12ねん10月13にちまでのあいださむらいかれていた。

歴代れきだい宮内卿くないきょう[編集へんしゅう]

歴代れきだい宮内みやうち大輔だいすけ[編集へんしゅう]

内閣ないかく制度せいどみや内省ないせい[編集へんしゅう]

1885ねん明治めいじ18ねん)12月22にちされた太政官だじょうかんたちだい69ごうは、内閣ないかく制度せいど創設そうせつする布告ふこくだったが、1.太政大臣だじょうだいじん左右さゆう大臣だいじん参議さんぎおよ各省かくしょうきょう職制しょくせいはいし、あらたに内閣ないかく総理そうり大臣だいじんならびに宮内くない外務がいむ内務ないむ大蔵おおくら陸軍りくぐん海軍かいぐん司法しほう文部もんぶのう商務しょうむおよ逓信ていしんかく大臣だいじんくこととしつつ、2.宮内くない大臣だいじんのぞ内閣ないかく総理そうり大臣だいじんおよかく大臣だいじんをもって内閣ないかく組織そしきすることとされた[3]宮内くない大臣だいじん国家こっか官吏かんりとしてかかげられたが、宮内みやうち大臣だいじん内閣ないかくからは除外じょがいされ、みや内省ないせい内閣ないかくからはずれて国務こくむにはかかわらない官庁かんちょう位置いちづけられた[4]

同日どうじつをもって宮中きゅうちゅう内大臣ないだいじんおよ宮中きゅうちゅう顧問こもんかん設置せっちされ、宮内みやうち大臣だいじん設置せっちにより宮内卿くないきょう廃止はいしされた[5]宮内くない大臣だいじんには最後さいご宮内卿くないきょう伊藤いとう博文ひろぶみ初代しょだい総理そうり大臣だいじん兼職けんしょくした。

1886ねん明治めいじ19ねん)2がつ4にちさだめられたみや内省ないせい官制かんせいみや内省ないせいたち)では、侍従じじゅうしょく式部しきぶしょく皇太后こうたいごうみやしょく皇后こうごうみやしょく大膳だいぜんしょく内蔵ないぞうりょうしゅ殿しんがりりょう図書としょりょう内匠たくみりょうしゅうまりょうしょりょうりょうなどが設置せっちされた[5]

1889ねん明治めいじ22ねん)2がつ大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう発布はっぷとともに皇室こうしつ典範てんぱん制定せいていされると、同年どうねん7がつみや内省ないせい官制かんせい改定かいていされた[5]国務こくむかん宮内くないかん区別くべつされ、宮内みやうち大臣だいじん憲法けんぽう責任せきにんわず天皇てんのう直接ちょくせつ責任せきにん大臣だいじんとして位置いちづけられた[4]宮内くない省令しょうれい天皇てんのう親裁しんさい場合ばあいもあれば宮内くない大臣だいじんのほかしん僚(国務大臣こくむだいじん地方ちほう長官ちょうかんぐんちょうしまつかさ)に権限けんげん付与ふよされはっされることもあった[4]宮中きゅうちゅうしょかん官制かんせい詔勅しょうちょくみや内省ないせい官制かんせい内大臣ないだいじん官制かんせい宮中きゅうちゅう顧問こもん官制かんせいとう)は、国務大臣こくむだいじん奏請そうせいをまって裁可さいかされるものではないが、ひろ周知しゅうち義務ぎむわせるため国務大臣こくむだいじん副署ふくしょおこなわれた[4]

その皇室こうしつ自律じりつ原則げんそくしたがって独立どくりつ官庁かんちょうとして次第しだい拡充かくじゅう1908ねん明治めいじ41ねん)1がつにはあらたに皇室こうしつれいとしてみや内省ないせい官制かんせい施行しこうされた[5]

天皇てんのうおよび皇族こうぞく朝鮮ちょうせん王公おうこうぞくもと大韓たいかん帝国ていこく皇帝こうてい王家おうけ)の日常にちじょう生活せいかつ教育きょういく財産ざいさん管理かんりなどあらゆる側面そくめんささえる官庁かんちょうへと拡大かくだいしていたが、戦後せんご連合れんごう国軍こくぐん占領せんりょう連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)の要求ようきゅうにより縮小しゅくしょうされた。これにともないだい部分ぶぶん業務ぎょうむ部局ぶきょく移管いかんされた。たとえば皇室こうしつ財産ざいさんだい部分ぶぶんめた御料林ごりょうりん国有こくゆうりんとなり林野庁りんやちょう管轄かんかつとなり、あるいはみや内省ないせい管轄かんかつであった学習がくしゅういん私立しりつ学校がっこうとなった。

1947ねん昭和しょうわ22ねん)、日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうとともに内閣ないかく総理そうり大臣だいじん所管しょかん機関きかんとして宮内くないあらためられ、だい世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせんに6,200にんあまりいた職員しょくいんは1,500にんじゃく削減さくげんされた[6]。さらに宮内くない1949ねん昭和しょうわ24ねん)に総理府そうりふ設置せっちにともなってその管轄かんかつ外局がいきょくとなり、宮内庁くないちょうあらためられた。以降いこう歴史れきしについては宮内庁くないちょう参照さんしょう

歴代れきだい宮内くない大臣だいじん[編集へんしゅう]

歴代れきだい大臣だいじん
だい 氏名しめい 就任しゅうにん 兼任けんにん
伊藤いとう博文ひろぶみ 1885ねん明治めいじ18ねん)12月22にち 首相しゅしょう兼任けんにん
土方ひじかた久元ひさもと 1887ねん明治めいじ20ねん)9がつ16にち
田中たなかひかりあきら 1898ねん明治めいじ31ねん)2がつ9にち
岩倉いわくら具定ぐじょう 1909ねん明治めいじ42ねん)6がつ16にち
渡辺わたなべ千秋ちあき 1910ねん明治めいじ43ねん)4がつ1にち
波多野はたのたかしただし 1914ねん大正たいしょう3ねん)4がつ9にち
中村なかむら雄次郎ゆうじろう 1920ねん大正たいしょう9ねん)6がつ18にち
牧野まきのしんあきら 1921ねん大正たいしょう10ねん)2がつ19にち
一木いちき喜徳郎きとくろう 1925ねん大正たいしょう14ねん)3がつ30にち
10 湯浅ゆあさくらひらた 1933ねん昭和しょうわ8ねん)2がつ14にち
11 松平まつだいら恒雄つねお 1936ねん昭和しょうわ11ねん)3がつ6にち
12 石渡いしわた荘太そうたろう 1945ねん昭和しょうわ20ねん)6がつ4にち
13 松平まつだいらけいみん 1946ねん昭和しょうわ21ねん)1がつ16にち
  1. 宮内みやうち大臣だいじんおや任官にんかん
  2. 宮内みやうち次官じかんみことのり任官にんかん

内部ないぶ部局ぶきょく[編集へんしゅう]

1908ねん明治めいじ41ねん)1がつ1にち施行しこうされた皇室こうしつれいによるみや内省ないせい官制かんせいでは、大臣だいじん官房かんぼう侍従じじゅうしょく式部しきぶしょく内蔵ないぞうりょう図書としょりょう爵位しゃくいりょう侍医じいりょう大膳だいぜんりょうしょりょうりょうしゅ殿しんがりりょう内匠たくみりょう内苑ないえんりょうしゅうまりょうしゅりょうりょう調度ちょうどりょう設置せっちされた[5]

内部ないぶ部局ぶきょくとしては、通常つうじょう官衙かんがとはことなり、「しょくりょう」といった律令制りつりょうせい部局ぶきょくめい承継しょうけいしたものがもちいられた。ちょう名称めいしょう各部かくぶきょくによりことなり、侍従じじゅうしょくは「侍従じじゅうちょう」、式部しきぶしょくは「式部しきぶ長官ちょうかん」、そう秩寮は「総裁そうさい」、総務そうむきょく警衛けいえいきょくは「局長きょくちょう」、そのりょうは「○○とう」( - のかみ)であった。

終戦しゅうせん当時とうじ内部ないぶ部局ぶきょく以下いかとお[6]

外局がいきょく[編集へんしゅう]

内部ないぶ組織そしき変遷へんせん[編集へんしゅう]

  • 1883ねん明治めいじ16ねん)9がつ京都きょうと支庁しちょう設置せっちされた[7]
  • 1884ねん明治めいじ17ねん)4がつ学習がくしゅういんみや内省ないせい所轄しょかつ官立かんりつ学校がっこうとした。
  • 1886ねん明治めいじ19ねん)2がつ京都きょうと支庁しちょうはいされ、しゅ殿しんがりりょう京都きょうと出張所しゅっちょうしょ設置せっちされた。
  • 1900ねん明治めいじ33ねん)6がつ帝国ていこく京都きょうと博物館はくぶつかん京都きょうと帝室ていしつ博物館はくぶつかん改称かいしょうした。1924ねん大正たいしょう13ねん)2がつ京都きょうと帝室ていしつ博物館はくぶつかん京都きょうと下賜かしした(現在げんざい京都きょうと国立こくりつ博物館はくぶつかん)。
  • 1886ねん明治めいじ19ねん)に「博物館はくぶつかん」がのう商務省しょうむしょうからみや内省ないせい図書としょりょう移管いかんされ、のち帝国ていこく博物館はくぶつかん東京とうきょう帝室ていしつ博物館はくぶつかん改称かいしょうされ、1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ文部省もんぶしょう移管いかんされた(現在げんざい東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん)。
  • 1908ねん明治めいじ41ねん)1がつ支庁しちょうはいされ、しょりょうりょう出張所しゅっちょうしょしゅ殿しんがりりょう出張所しゅっちょうしょ京都きょうと設置せっちされた[8]
  • 1914ねん大正たいしょう3ねん)7がつしょりょうりょう出張所しゅっちょうしょ廃止はいしされた[9]
  • 1921ねん大正たいしょう10ねん)10がつしゅ殿しんがりりょう出張所しゅっちょうしょはいされ、内匠たくみりょう出張所しゅっちょうしょ京都きょうと設置せっちされた[10]
  • 1936ねん昭和しょうわ11ねん)11月に内匠たくみりょう出張所しゅっちょうしょはいされ、京都きょうと地方ちほう事務所じむしょ設置せっちされた[11]


参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)「みや内省ないせい
  2. ^ 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてんみや内省ないせい
  3. ^ a b 内閣ないかく制度せいど概要がいよう”. 首相しゅしょう官邸かんてい. 2022ねん7がつ19にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g h 石倉いしくら幸雄ゆきお明治めいじ憲政けんせいにおける宮中きゅうちゅう府中ふちゅう関係かんけい」『国際こくさい経営けいえい文化ぶんか研究けんきゅうだい21かん国際こくさいコミュニケーション学会がっかい、2016ねん12月、17-36ぺーじNAID 1200064062432022ねん7がつ19にち閲覧えつらん 
  5. ^ a b c d e f g h 宮内庁くないちょう関係かんけい年表ねんぴょう慶応けいおう3ねん以後いご”. 宮内庁くないちょう. 2022ねん7がつ19にち閲覧えつらん
  6. ^ a b 沿革えんかく”. 宮内庁くないちょう. 2022ねん7がつ19にち閲覧えつらん
  7. ^ 明治めいじ16ねん太政官だじょうかんたちだい40ごう
  8. ^ 明治めいじ40ねん省令しょうれいだい8ごう
  9. ^ 大正たいしょう3ねん省令しょうれいだい14ごう
  10. ^ 大正たいしょう10ねん省令しょうれいだい13ごうだい15ごう
  11. ^ 昭和しょうわ11ねん省令しょうれいだい6ごう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]