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総理府そうりふ

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総理府そうりふ(そうりふ)とは、内閣ないかく総理そうり大臣だいじんみずからが分担ぶんたん管理かんりする事務じむおよかく行政ぎょうせい機関きかん総合そうごう調整ちょうせいにかかる事務じむ所掌しょしょうした日本にっぽん行政ぎょうせい機関きかんである。

明治めいじ憲法けんぽうしたにおける内閣ないかく所属しょぞく部局ぶきょく基礎きそとして過渡かとにおける総理そうりちょうて、1949ねん昭和しょうわ24ねん)に新設しんせつされ、2001ねん平成へいせい13ねん)に中央ちゅうおう省庁しょうちょう再編さいへんにより内閣ないかく統合とうごうされた。

沿革えんかく

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  • 1948ねん昭和しょうわ23ねん)2がつ26にち - バラックだった庁舎ちょうしゃ全焼ぜんしょう
  • 1949ねん昭和しょうわ24ねん)6がつ1にち - 国家こっか行政ぎょうせい組織そしきほうおよび総理府そうりふ設置せっちほう[1]施行しこうともない、総理そうりちょう廃止はいしして、総理府そうりふ発足ほっそく
    内部ないぶ部局ぶきょく当初とうしょ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん官房かんぼう恩給おんきゅうきょく統計とうけいきょく新聞しんぶん出版しゅっぱん用紙ようし割当わりあてきょくからなった。とく大臣だいじん官房かんぼうは、規定きていされた事務じむのほか、「内閣ないかくほう昭和しょうわ22ねん法律ほうりつだい5ごうだい12じょうさだめる内閣ないかく官房かんぼう所掌しょしょうぞくする事務じむをつかさどる」(総理府そうりふ設置せっちほうだい6じょうだい2こう)とされた。
    総理府そうりふちょう内閣ないかく総理そうり大臣だいじんであり、内閣ないかくほうにいう主任しゅにん大臣だいじんであるが、実際じっさい所管しょかん事項じこう事務じむ監督かんとくするのは内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかんおよびそれを補佐ほさする内閣ないかく官房かんぼうふく長官ちょうかんとされた。
  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん)8がつ10日とおか - 警察けいさつ予備よびたいれい公布こうふ総理府そうりふ機関きかんとして、警察けいさつ予備よびたいかれる。
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん)1がつ1にち - 原子力げんしりょくきょく設置せっち同年どうねん5がつ科学技術庁かがくぎじゅつちょう発足ほっそくにより移管いかん)。
  • 1957ねん昭和しょうわ32ねん)8がつ1にち - 内閣ないかく総理そうり大臣だいじん官房かんぼう処理しょりしてきた内閣ないかく官房かんぼう事務じむを、内閣ないかく官房かんぼう専任せんにん職員しょくいんいて担当たんとうさせることとし、総理府そうりふ内閣ないかく官房かんぼう事務じむ分離ぶんり実施じっし
    これにともない、総理府そうりふ総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかんおよび総理府そうりふ総務そうむふく長官ちょうかん新設しんせつし、内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかんおよび内閣ないかく官房かんぼうふく長官ちょうかん総理府そうりふ担当たんとうからはずれた。総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかんには国務大臣こくむだいじんをもっててることができるとはされたが、実際じっさいそのような任用にんようはなされなかった。
    総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかん閣議かくぎ陪席ばいせきしゃとし、総理府そうりふ総務そうむふく長官ちょうかん事務次官じむじかん会議かいぎ構成こうせいいんとされた。これにより事務次官じむじかん会議かいぎは「事務次官じむじかんとう会議かいぎ」と改称かいしょうされた。
  • 1958ねん昭和しょうわ33ねん)5がつ15にち - 沖縄おきなわ北方ほっぽう問題もんだいとう所管しょかんする特別とくべつ地域ちいき連絡れんらくきょく設置せっち(1970ねん5がつ沖縄おきなわ北方ほっぽう対策たいさくちょう移行いこう)。
  • 1963ねん昭和しょうわ38ねん)6がつ11にち - 総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかん内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかんとともにあらたに認証官にんしょうかんとして処遇しょぐう
  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん)7がつ1にち - 生存せいぞんしゃ叙勲じょくん再開さいかいともない、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん官房かんぼうしょうくん格上かくあげ、しょうくんきょくとする。
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねん)5がつ19にち - ILO87ごう条約じょうやく批准ひじゅんにより、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん人事院じんじいんとともに国家こっか公務員こうむいんほうもとづく中央ちゅうおう人事じんじ行政ぎょうせい機関きかんとなる。これにともない、使用しようしゃがわ労務ろうむ管理かんり担当たんとうする人事じんじきょく新設しんせつ
    人事院じんじいんから国家こっか公務員こうむいん能率のうりつ厚生こうせい服務ふくむかんする事務じむ大蔵省おおくらしょうから退職たいしょく手当てあてかんする事務じむなどの移管いかんけ、あわせて各省かくしょう人事じんじ管理かんり総合そうごう調整ちょうせいをも所管しょかんする。
    これにともない、総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかんには国務大臣こくむだいじんをもっててることを法定ほうていし、またあらたに政務せいむ担当たんとう総理府そうりふ総務そうむふく長官ちょうかん増員ぞういんした。これにより、総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかん閣議かくぎ陪席ばいせきしゃから構成こうせいいんとなり、総理府そうりふ総務そうむふく長官ちょうかん政務せいむ)は閣議かくぎ陪席ばいせきしゃとなるとともに政務次官せいむじかん会議かいぎ構成こうせいいんとなった。
  • 1966ねん昭和しょうわ41ねん)4がつ1にち - 青少年せいしょうねん行政ぎょうせい調整ちょうせいたる青少年せいしょうねんきょく設置せっち(1968ねん6がつ佐藤さとう栄作えいさく首相しゅしょうしたかく省庁しょうちょう一律いちりついちきょく削減さくげん対象たいしょうとなり、青少年せいしょうねん対策たいさく本部ほんぶ移行いこう)。
  • 1982ねん昭和しょうわ57ねん)7がつ30にち - だい臨時りんじ行政ぎょうせい調査ちょうさかいだい2臨調りんちょう)は総合そうごう管理庁かんりちょう仮称かしょう)の設置せっち構想こうそう提言ていげん
    総理府そうりふ人事じんじきょく行政管理庁ぎょうせいかんりちょう移管いかんし、行政ぎょうせい機関きかん人事じんじ組織そしき定員ていいん管理かんり一元化いちげんかする構想こうそう
  • 1983ねん昭和しょうわ58ねん)7がつ15にち - 自由民主党じゆうみんしゅとう行財政ぎょうざいせい調査ちょうさかい橋本はしもと龍太郎りゅうたろう会長かいちょう総務庁そうむちょう設置せっち内容ないようとする「橋本はしもと試案しあん」を政府せいふ提示ていじ
    総理府そうりふ人事じんじきょくのほか恩給おんきゅうきょく広義こうぎ人事じんじ担当たんとう部局ぶきょくとして移管いかん対象たいしょうとし、しょうくんきょく内閣ないかく移管いかん総理府そうりふ統計とうけいきょく主体しゅたいとする。
  • 1983ねん昭和しょうわ58ねん)9がつ2にち - 総務庁そうむちょう設置せっち閣議かくぎ了解りょうかい
    臨調りんちょう提言ていげん橋本はしもとあんことなり、人事じんじきょく恩給おんきゅうきょくだけでなく、統計とうけいきょく青少年せいしょうねん対策たいさく本部ほんぶ北方ほっぽう対策たいさく本部ほんぶなど大半たいはん機能きのう新設しんせつちょう合流ごうりゅうさせる内容ないよう新設しんせつちょうでの総理府そうりふ出身しゅっしんしゃ発言はつげんりょく低下ていか不安ふあんした総理府そうりふサイドがかえし、だい部隊ぶたい統計とうけいきょくなども移管いかん対象たいしょうふくめた。
  • 1984ねん昭和しょうわ59ねん)7がつ1にち - 総務庁そうむちょう発足ほっそく総理府そうりふ主要しゅよう部局ぶきょく外局がいきょくした結果けっか総理そうり府本ふもと大臣だいじん官房かんぼうしょうくんきょくのみにスリム
    これにより、総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかんおよび総理府そうりふ総務そうむふく長官ちょうかん廃止はいし総理そうり府本ふもとその機関きかん大臣だいじんちょうのぞく)の所管しょかん事項じこう事務じむは、内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかんおよび内閣ないかく官房かんぼうふく長官ちょうかん監督かんとくもどされる。また所管しょかん事項じこう統括とうかつするしょくとして、総理府そうりふ次長じちょう事務次官じむじかんきゅう)が新設しんせつされる。
  • 1999ねん平成へいせい11ねん)9がつ20日はつか - 中央ちゅうおう省庁しょうちょう再編さいへんへの移行いこうにおいて、総理府そうりふ総理府そうりふ政務次官せいむじかん設置せっち
  • 2000ねん平成へいせい12ねん)4がつ1にち - 中央ちゅうおう省庁しょうちょう再編さいへん先駆さきがけて原子力げんしりょく安全あんぜん委員いいんかい事務じむきょく機能きのう科学技術庁かがくぎじゅつちょうから分離ぶんりされ移管いかん
  • 2001ねん平成へいせい13ねん)1がつ6にち - 中央ちゅうおう省庁しょうちょう再編さいへんともな総理府そうりふ内閣ないかく改組かいそ

特色とくしょく

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総理そうり府本ふもと外局がいきょくのぞいたものをいう。)は、総理府そうりふ各種かくしゅ機能きのうのうち、総理そうり直轄ちょっかつ機能きのう総合そうごう調整ちょうせい機能きのうゆうし、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん直属ちょくぞく機関きかんとして、事務じむ性格せいかくじょう総理そうりみずからが直轄ちょっかつすべきくに基本きほんかか事務じむ、その時々ときどき政治せいじ判断はんだんとうにより総理そうりみずからが直轄ちょっかつすべきと判断はんだんした事務じむ所掌しょしょうするなど総理そうり直轄ちょっかつ機能きのう中心ちゅうしんてき役割やくわりになうとともに、内閣ないかく官房かんぼう一体いったいとなって総合そうごう調整ちょうせい機能きのう発揮はっきするてんに、しょうとうくら特徴とくちょうゆうしていた。

総理そうり直轄ちょっかつ機能きのうとしては、

  1. 事務じむ性格せいかくじょう総理そうりみずからが直轄ちょっかつすべきくに基本きほんかか事務じむ元号げんごう栄典えいてん
  2. その時々ときどき政治せいじ判断はんだんとうにより総理そうりみずからが直轄ちょっかつすべきと判断はんだんした事務じむ行政ぎょうせい改革かいかく会議かいぎ国際こくさい平和へいわ協力きょうりょく本部ほんぶ阪神はんしん淡路あわじ復興ふっこう対策たいさく本部ほんぶ
  3. 総理そうり分担ぶんたん管理かんりじょう最終さいしゅう責任せきにんうものとして所掌しょしょうすることとした事務じむ特定とくてい戦後せんご処理しょり

ひとしがある。

総合そうごう調整ちょうせい機能きのうとしては、れいとして男女だんじょ共同きょうどう参画さんかく社会しゃかい形成けいせい促進そくしん公益こうえき法人ほうじん行政ぎょうせい推進すいしんとうがある。

中央ちゅうおう省庁しょうちょう再編さいへんおこなわれるまで、総理そうり府本ふもと沖縄開発庁おきなわかいはつちょう総務庁そうむちょう一体いったいてき人事じんじおこなってきた。いずれも総理府そうりふ内部ないぶ部局ぶきょくから派生はせいした外局がいきょくであることに由来ゆらいしている。

総理府そうりふ官僚かんりょうは、坂東ばんどう眞理子まりこのように「総理府そうりふ入府にゅうふ」としるれいと、「総理府そうりふ採用さいよう」としるれいがあった。

全国ぜんこく職域しょくいき学生がくせいかるた大会たいかいでは1963ねんから1971ねん大会たいかい初期しょきにかけて統計とうけいきょくのチームが活躍かつやくしていた。

内閣ないかく官房かんぼうとの関係かんけい

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総理府そうりふ前身ぜんしんたる総理そうりちょうは、それまで内閣ないかく直属ちょくぞくしていた統計とうけいきょく恩給おんきゅうきょく所管しょかんするためにもうけられた。これは日本国にっぽんこく憲法けんぽう個別こべつ行政ぎょうせい事務じむについて、内閣ないかく統轄とうかつした主任しゅにん大臣だいじん分担ぶんたん管理かんりすることを前提ぜんていとしている(72・74じょう)とかんがえられるためである。つまり内閣ないかく総理そうり大臣だいじん主任しゅにん大臣だいじんとする行政ぎょうせい機関きかんが、各省かくしょう並列へいれつして設置せっちされたことになる。

内閣ないかく総理そうり大臣だいじん補佐ほさする機関きかんとしては、閣僚かくりょうふく内閣ないかく自体じたい補助ほじょ機関きかんたる内閣ないかく官房かんぼうがある。総理そうり府本ふもととは法令ほうれいじょう性質せいしつじょうことなる組織そしきであったが、ともに内閣ないかく総理そうり大臣だいじん主任しゅにん大臣だいじんとし、その管轄かんかつであったことから、りょう機関きかん密接みっせつ関係かんけいにあった。実際じっさい、ほぼ同一どういつ所掌しょしょう事項じこうかんするしつりょう機関きかん設置せっちし、当該とうがいかん併任へいにんれい内閣ないかく官房かんぼうないかく内政ないせい審議しんぎ室長しつちょうが、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん官房かんぼう内政ないせい審議しんぎ室長しつちょう兼務けんむ)することで、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん補佐ほさかく省庁しょうちょうあいだ総合そうごう調整ちょうせい一体いったいてき処理しょりできた。

中央ちゅうおう省庁しょうちょう再編さいへんとき内閣ないかく総理そうり大臣だいじんのリーダーシップ強化きょうかねて、内閣ないかく官房かんぼう総理府そうりふ統合とうごう模索もさくされた。これについて総理府そうりふがわは、「内閣ないかく組織そしきである内閣ないかく補助ほじょ部局ぶきょくと、行政ぎょうせい事務じむ分担ぶんたん管理かんりする『およしょう』のひとつである総理そうり直属ちょくぞく機関きかんは、本来ほんらいべつのもの」「両者りょうしゃ一体化いったいかした『内閣ないかく』をもうける場合ばあいは、これを内閣ないかく補助ほじょ部局ぶきょくとしてとらえると、総理府そうりふおこなわれている個別こべつ行政ぎょうせい事務じむのようなものまで内閣ないかく所掌しょしょうとすることとなり、憲法けんぽう予想よそうするところではないのではないか」と疑義ぎぎていした[1]。しかし結局けっきょく内閣ないかく官房かんぼうとの本格ほんかく統合とうごうはならず、総理府そうりふ国家こっか行政ぎょうせい組織そしきほう枠外わくがい内閣ないかく補助ほじょ事務じむ所管しょかんする内閣ないかく移行いこうした。

歴代れきだい総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかん

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日本の旗 日本にっぽん
総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかん
現職げんしょくしゃ
役職やくしょく廃止はいし
組織そしき行政府ぎょうせいふ
総理そうり府本ふもと
地位ちい総理府そうりふ長官ちょうかん
種類しゅるい認証官にんしょうかん
国務大臣こくむだいじん
所属しょぞく機関きかん総理そうり府本ふもと
任命にんめい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん
初代しょだい就任しゅうにんいま松治郎まつじろう
臼井うすい荘一しょういち国務大臣こくむだいじん
創設そうせつ1957ねん昭和しょうわ32ねん8がつ1にち
1965ねん昭和しょうわ40ねん5月19にち国務大臣こくむだいじん
最後さいご中西なかにし一郎いちろう
廃止はいし1984ねん昭和しょうわ58ねん6月30にち
通称つうしょう総務そうむ長官ちょうかん
職務しょくむ代行だいこうしゃ総理府そうりふ総務そうむふく長官ちょうかん政務せいむ担当たんとう
概要がいよう

総理府そうりふは、「内閣ないかくした行政ぎょうせい事務じむをつかさどる機関きかん」として各省かくしょう並置へいちされている行政ぎょうせい機関きかんであるため、内閣ないかくそのものの補助ほじょ部局ぶきょくとされる内閣ないかく官房かんぼうとは組織そしきじょう位置いちづけが明確めいかくことなる[2]総理府そうりふ職員しょくいん内閣ないかく官房かんぼう事務じむ兼務けんむ処理しょりしていたことなどから、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん官房かんぼう内閣ないかく官房かんぼう事務じむおこなっていた体制たいせいあらため、内閣ないかく官房かんぼう独立どくりつさせ[3]さら次官じかんきゅうしょく総理府そうりふもうけることが行財政ぎょうざいせい改革かいかくとしてかかげられていた。そのため総理府そうりふ事務じむをマネジメントするしょくとして総務そうむ長官ちょうかんかれた。1963ねん6月11にちから総務そうむ長官ちょうかん認証官にんしょうかんとなり、1965ねん5月19にちには国務大臣こくむだいじんとなった。

一覧いちらん
だい 氏名しめい 内閣ないかく 在任ざいにん期間きかん 兼務けんむとう
総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかん
1 いま松治郎まつじろう だい1きし内閣ないかく 改造かいぞう 1957ねん8がつ1にち - 1958ねん6がつ12にち
2 松野まつのよりゆきさん だい2きし内閣ないかく 1958ねん6がつ12にち - 1959ねん6がつ18にち
3 福田ふくだあつしやすし   改造かいぞう 1959ねん6がつ18にち - 1960ねん7がつ19にち
4 藤枝ふじえだいずみかい だい1池田いけだ内閣ないかく 1960ねん7がつ19にち - 1960ねん12月8にち
5 だい2池田いけだ内閣ないかく 1960ねん12月8にち - 1961ねん7がつ18にち
6 小平こだいら久雄ひさお   だい1改造かいぞう 1961ねん7がつ18にち - 1962ねん7がつ18にち
7 とくやすじつぞう   だい2改造かいぞう 1962ねん7がつ18にち - 1963ねん6がつ11にち
総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかん認証官にんしょうかん
7 とくやすじつぞう だい2池田いけだ内閣ないかく だい2改造かいぞう 1963ねん6がつ11にち - 1963ねん7がつ18にち
8 野田のだ武夫たけお だい3改造かいぞう 1963ねん7がつ18にち - 1963ねん12月9にち
9 だい3池田いけだ内閣ないかく 1963ねん12月9にち - 1964ねん7がつ18にち
10 臼井うすい荘一しょういち   改造かいぞう 1964ねん7がつ18にち - 1964ねん11月9にち
11 だい1佐藤さとう内閣ないかく 1964ねん11月9にち - 1965ねん5がつ18にち
総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかん国務大臣こくむだいじん
11 臼井うすい莊一しょういち だい1佐藤さとう内閣ないかく 1965ねん5がつ19にち - 1965ねん6がつ3にち
12 安井やすいけん   だい1改造かいぞう 1965ねん6がつ3にち - 1966ねん8がつ1にち
13 もりきよし   だい2改造かいぞう 1966ねん8がつ1にち - 1966ねん12月3にち
14 塚原つかはら俊郎としお   だい3改造かいぞう 1966ねん12月3にち - 1967ねん2がつ17にち
15 だい2佐藤さとう内閣ないかく 1967ねん2がつ17にち - 1967ねん11月25にち
16 田中たなか龍夫たつお   だい1改造かいぞう 1967ねん11月25にち - 1968ねん11月30にち
17 床次とこなみ徳二とくじ   だい2改造かいぞう 1968ねん11月30にち - 1970ねん1がつ14にち
18 山中やまなかさだのり だい3佐藤さとう内閣ないかく 1970ねん1がつ14にち - 1972ねん7がつ7にち 環境庁かんきょうちょう長官ちょうかん(1971ねん7がつ1にちから同月どうげつ5にちまで)
沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん(1972ねん5がつ15にち以降いこう
  改造かいぞう
19 本名ほんなたけし だい1田中たなか角榮かくえい内閣ないかく 1972ねん7がつ7にち - 1972ねん12月22にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
20 坪川つぼかわ信三しんぞう だい2田中たなか角榮かくえい内閣ないかく 1972ねん12月22にち - 1973ねん11月25にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
21 小坂こさか徳三郎とくさぶろう   だい1改造かいぞう 1973ねん11月25にち - 1974ねん12月9にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
  だい2改造かいぞう
22 植木うえきひかりきょう 三木みき内閣ないかく 1974ねん12月9にち - 1976ねん9がつ15にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
23 西村にしむら尚治なおはる   改造かいぞう 1976ねん9がつ15にち - 1976ねん12月24にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
24 藤田ふじた正明まさあき 福田ふくだ赳夫たけお内閣ないかく 1976ねん12月24にち - 1977ねん11月28にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
25 稲村いなむら佐近さこん四郎しろう   改造かいぞう 1977ねん11月28にち - 1978ねん12月7にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
26 三原みはら朝雄あさお だい1大平おおひら内閣ないかく 1978ねん12月7にち - 1979ねん11月9にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
27 小渕おぶち恵三けいぞう だい2大平おおひら内閣ないかく 1979ねん11月9にち - 1980ねん7がつ17にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
28 中山なかやま太郎たろう 鈴木すずき善幸ぜんこう内閣ないかく 1980ねん7がつ17にち - 1981ねん11月30にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
29 田邊たなべ圀男   改造かいぞう 1981ねん11月30にち - 1982ねん11月27にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
30 丹羽にわ兵助へいすけ だい1中曽根なかそね内閣ないかく 1982ねん11月27にち - 1983ねん12月27にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
31 中西なかにし一郎いちろう だい2中曽根なかそね内閣ないかく 1983ねん12月27にち - 1984ねん6がつ30にち 沖縄開発庁おきなわかいはつちょう長官ちょうかん
  • 辞令じれいのある再任さいにん個別こべつだいとして記載きさいし、辞令じれいのない留任りゅうにん記載きさいしない。
  • 海外かいがい出張しゅっちょうとう一時いちじ不在ふざいによる臨時りんじ代理だいり記載きさいしない。
  • あらたに認証官にんしょうかんとされたときおよび国務大臣こくむだいじんをもっててることとされたときは、それぞれどう一人ひとりつづ就任しゅうにんしたが、しん制度せいど移行いこう前日ぜんじつをもっていったん本官ほんかんめんぜられ移行いこう当日とうじつあらためて任命にんめいする措置そちがとられた。

歴代れきだい総理府そうりふ総務そうむふく長官ちょうかん

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政務せいむ担当たんとう
だい 氏名しめい 内閣ないかく 在任ざいにん期間きかん 備考びこう
総理府そうりふ総務そうむふく長官ちょうかん政務せいむ担当たんとう
1 細田ほそだ吉蔵よしぞう だい1佐藤さとう内閣ないかく 1965ねん6がつ3にち - 1966ねん8がつ2にち
2 上村うえむらせん一郎いちろう 1966ねん8がつ2にち - 1966ねん12月3にち
3 1966ねん12月3にち - 1967ねん2がつ17にち
4 だい2佐藤さとう内閣ないかく 1967ねん2がつ17にち - 1967ねん11月28にち
5 八木やぎ徹雄てつお 1967ねん11月28にち - 1968ねん12月3にち
6 鯨岡くじらおか兵輔ひょうすけ 1968ねん12月3にち - 1970ねん1がつ14にち
7 みなと徹郎てつお だい3佐藤さとう内閣ないかく 1970ねん1がつ20日はつか - 1971ねん7がつ9にち
8 砂田すなだしげるみん 1971ねん7がつ9にち - 1972ねん7がつ7にち
9 小宮山こみやましげる四郎しろう だい1田中たなか角榮かくえい内閣ないかく 1972ねん7がつ7にち - 1972ねん12月22にち
10 だい2田中たなか角榮かくえい内閣ないかく 1972ねん12月22にち - 1973ねん11月25にち
11 小渕おぶち恵三けいぞう 1973ねん11月25にち - 1974ねん11月15にち
12 高鳥たかとりおさむ 1974ねん11月15にち - 1974ねん12月9にち
13 松本まつもと十郎じゅうろう 三木みき内閣ないかく 1974ねん12月12にち - 1975ねん12月26にち
14 もり喜朗よしろう 1975ねん12月26にち - 1976ねん9がつ20日はつか
15 橋口はしぐちたかし 1976ねん9がつ20日はつか - 1976ねん12月24にち
16 村田むらた敬次郎けいじろう 福田ふくだ赳夫たけお内閣ないかく 1976ねん12月24にち - 1977ねん11月28にち
17 越智おち通雄みちお 1977ねん11月28にち - 1978ねん12月7にち
18 じゅう栄作えいさく だい1大平おおひら内閣ないかく 1978ねん12月8にち - 1979ねん11月9にち
19 愛野あいの興一こういちろう だい2大平おおひら内閣ないかく 1979ねん11月9にち - 1980ねん7がつ17にち
20 佐藤さとう信二しんじ 鈴木すずき善幸ぜんこう内閣ないかく 1980ねん7がつ17にち - 1981ねん11月30にち
21 福島ふくしま譲二じょうじ 1981ねん11月30にち - 1982ねん11月27にち
22 深谷ふかや隆司たかし だい1中曽根なかそね内閣ないかく 1982ねん11月27にち - 1983ねん12月27にち
23 堀内ほりうち光雄みつお だい2中曽根なかそね内閣ないかく 1983ねん12月27にち - 1984ねん7がつ1にち
事務じむ担当たんとう

歴代れきだい総理府そうりふ政務次官せいむじかん

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だい 氏名しめい 内閣ないかく 在任ざいにん期間きかん 備考びこう
総理府そうりふ政務次官せいむじかん
1 長峯ながみねはじめ 小渕おぶち内閣ないかく 1999ねん9がつ20日はつか - 2000ねん4がつ5にち
2 だい1森内もりうちかく 2000ねん4がつ5にち - 2000ねん7がつ4にち
3 中原なかはら だい2森内もりうちかく 2000ねん7がつ4にち - 2000ねん12月5にち
4 坂井さかい隆憲たかのり 2000ねん12月5にち - 2001ねん1がつ6にち 経済けいざい企画きかく政務次官せいむじかん

廃止はいし内閣ないかく移行いこう直前ちょくぜん)の組織そしき概要がいよう

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幹部かんぶ

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内部ないぶ部局ぶきょく

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  • 内閣ないかく総理そうり大臣だいじん官房かんぼう
  • しょうくんきょく

外局がいきょく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 総理府そうりふ設置せっちほう昭和しょうわ24ねん法律ほうりつだい127ごう1949ねん5がつ31にち公布こうふ衆議院しゅうぎいんホームページ制定せいてい法律ほうりつ一覧いちらん
  2. ^ 『ジュリスト増刊ぞうかん 最高裁さいこうさい 判例はんれいⅣ』有斐閣ゆうひかく、2004ねん3がつ発行はっこう、123ぺーじ
  3. ^ 佐藤さとういさお行政ぎょうせいほう有斐閣ゆうひかく、1958ねん12月25にち発行はっこう、329ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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