経済企画庁けいざいきかくちょう

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経済企画庁けいざいきかくちょう(けいざいきかくちょう、英語えいご: Economic Planning Agency略称りゃくしょうEPA)は、2001ねん平成へいせい13ねん1がつ5にちまで存在そんざいした日本にっぽん中央ちゅうおう省庁しょうちょうひとつであり大臣だいじんちょうで、略称りゃくしょう経企庁けいきちょう(けいきちょう)だった。総理府そうりふ外局がいきょくとして設置せっちされ、長期ちょうき経済けいざい計画けいかく策定さくていかく省庁しょうちょうあいだ経済けいざい政策せいさく調整ちょうせい内外ないがい経済けいざい動向どうこうかんする調査ちょうさ分析ぶんせき国民こくみん所得しょとく調査ちょうさとう所掌しょしょうした。なが国務大臣こくむだいじんである経済企画庁けいざいきかくちょう長官ちょうかん

沿革えんかく[編集へんしゅう]

組織そしき[編集へんしゅう]

特性とくせい[編集へんしゅう]

経済企画庁けいざいきかくちょう長官ちょうかん通常つうじょう国会こっかいにおいて政府せいふよん演説えんぜつかぞえられる経済けいざい演説えんぜつおこない、安全あんぜん保障ほしょう会議かいぎ参加さんかし、経済企画庁けいざいきかくちょう官僚かんりょう日本銀行にっぽんぎんこう政策せいさく委員いいんかい出席しゅっせきするとう重要じゅうよう権限けんげんゆうしていたが、経済企画庁けいざいきかくちょう自体じたい権限けんげんはそれほどたなかったため、業界ぎょうかい団体だんたいたいしてつよ影響えいきょうりょくおよぼすことができなかったとされる。またかく省庁しょうちょうからがってくる資料しりょう合冊がっさつしているだけの「ホチキス官庁かんちょう」と揶揄やゆするこえもあった。筑紫哲也ちくしてつや小渕おぶち内閣ないかく長官ちょうかん就任しゅうにんした堺屋さかいや太一たいちへのテレビインタビューで、経済企画庁けいざいきかくちょうではなく経済けいざい分析ぶんせきちょうではないか、とその存在そんざい意義いぎ疑問ぎもんていした。

一方いっぽうでは、経済企画庁けいざいきかくちょうでは日本にっぽん経済けいざい問題もんだいについて積極せっきょくてき研究けんきゅう分析ぶんせきし、政策せいさく提言ていげんおこなっていくという役割やくわりせられていた。また、「そとみとめられていち人前にんまえ」という文化ぶんかがあり、個人こじんレベルで経済けいざい問題もんだいについて上司じょうし許可きょかなく寄稿きこう執筆しっぴつおこなうことがゆるされているなど、日本にっぽん官庁かんちょうなかでは異例いれいなほど自由じゆう環境かんきょうにあった。これらのことがだいらい佐武郎さぶろう宮崎みやざきいさむ金森かなもり久雄ひさお香西こうざいやすし小峰こみね隆夫たかおら「官庁かんちょうエコノミスト」の輩出はいしゅつ寄与きよしてきたとされる[1]

また、戦前せんぜん企画きかくいんながれをんで経済けいざい白書はくしょ編纂へんさん発行はっこうおこなっており、省庁しょうちょうより比較的ひかくてき中立ちゅうりつ政治せいじ姿勢しせい国民こくみん経済けいざいマクロ経済けいざいミクロ経済けいざい両面りょうめんから分析ぶんせきするなど大蔵省おおくらしょう通商産業省つうしょうさんぎょうしょうひとしとは一線いっせんかくし、その分析ぶんせき成果せいか経済けいざい政策せいさくへの影響えいきょうけっして無視むしできない「かげエリート官庁かんちょう」とわれた。経済企画庁けいざいきかくちょうになってきた中期ちゅうきてき経済けいざい計画けいかく策定さくてい社会しゃかい主義しゅぎこくにおける経済けいざい計画けいかく計画けいかく経済けいざい)とはまったことなったものではあるが、計画けいかく策定さくてい段階だんかい政府せいふ内部ないぶだけでなく経済けいざいかい労働ろうどう組合くみあい消費しょうひしゃ団体だんたい学者がくしゃなどをふく国民こくみん各層かくそう合意ごうい形成けいせい寄与きよしてきたとかんがえられている。

経済企画庁けいざいきかくちょう機能きのう内閣ないかく吸収きゅうしゅうされると、かつての自由じゆう雰囲気ふんいきうしなわれ、官庁かんちょうエコノミストの輩出はいしゅつサイクルはまってしまったともわれている[1]

歴代れきだい長官ちょうかん[編集へんしゅう]

政務次官せいむじかん[編集へんしゅう]

経済けいざい企画きかく事務次官じむじかん経済けいざい審議庁しんぎちょう次長じちょう経済企画庁けいざいきかくちょう次長じちょうふくむ)[編集へんしゅう]

経済けいざい審議庁しんぎちょう次長じちょう
氏名しめい 就任しゅうにん 退任たいにん 出身しゅっしん 備考びこう
平井ひらい富三郎とみさぶろう 1952ねん8がつ1にち 1953ねん11月17にち 商工しょうこう通産つうさん 通産つうさん事務次官じむじかん
長村おさむら貞一さだいち 1953ねん11月17にち 1954ねん7がつ2にち 商工しょうこう通産つうさん 通産省つうさんしょう通商つうしょう化学かがく局長きょくちょう特許庁とっきょちょう長官ちょうかん
石原いしはら武夫たけお 1954ねん7がつ2にち 1955ねん7がつ20日はつか 商工しょうこう通産つうさん 通産つうさん事務次官じむじかん
経済企画庁けいざいきかくちょう次長じちょう
氏名しめい 就任しゅうにん 退任たいにん 出身しゅっしん 備考びこう
石原いしはら武夫たけお 1955ねん7がつ20日はつか 1955ねん11月17にち 商工しょうこう通産つうさん 通産つうさん事務次官じむじかん
上野うえのみゆきなな 1955ねん11月25にち 1957ねん6がつ15にち 商工しょうこう通産つうさん 通産つうさん事務次官じむじかん
徳永とくなが久次きゅうじ 1957ねん6がつ15にち 1957ねん8がつ1にち 商工しょうこう通産つうさん 通産つうさん事務次官じむじかん
経済けいざい企画きかく事務次官じむじかん
氏名しめい 就任しゅうにん 退任たいにん 出身しゅっしん 備考びこう
徳永とくなが久次きゅうじ 1957ねん8がつ1にち 1960ねん5がつ13にち 商工しょうこう通産つうさん 通産つうさん事務次官じむじかん
小出こいで栄一えいいち 1960ねん5がつ13にち 1962ねん7がつ10日とおか 商工しょうこう通産つうさん
大堀おおほりひろし 1962ねん7がつ10日とおか 1963ねん10がつ25にち 商工しょうこう通産つうさん
松村まつむら敬一けいいち 1963ねん10がつ25にち 1965ねん6がつ10日とおか 商工しょうこう通産つうさん
中野なかの正一しょういち 1965ねん6がつ10日とおか 1967ねん7がつ18にち 商工しょうこう通産つうさん
川出かわでせんそく 1967ねん7がつ18にち 1968ねん9がつ20日はつか 商工しょうこう通産つうさん
高島たかしま節男せつお 1968ねん9がつ20日はつか 1969ねん12月5にち 商工しょうこう通産つうさん
鹿野かの義夫よしお 1969ねん12月5にち 1972ねん6がつ20日はつか 大蔵おおくら技官ぎかん 東工大とうこうだいそつ
矢野やの智雄ともお 1972ねん6がつ20日はつか 1973ねん7がつ1にち 商工しょうこう通産つうさん
新田にったかのえいち 1973ねん7がつ1にち 1974ねん6がつ26にち 商工しょうこう通産つうさん 東商とうしょうだいそつ
宮崎みやざきひとし 1974ねん6がつ29にち 1976ねん1がつ20日はつか 大蔵おおくら技官ぎかん
小島こじま英敏ひでとし 1976ねん1がつ20日はつか 1977ねん1がつ21にち 商工しょうこう通産つうさん
青木あおきまことさん 1977ねん1がつ21にち 1979ねん7がつ20日はつか 商工しょうこう通産つうさん
宮崎みやざきいさむ 1979ねん7がつ20日はつか 1981ねん6がつ10日とおか けい安本やすもとからけいしんけいくわだて転身てんしん 東大とうだいけいそつ
藤井ふじい直樹なおき 1981ねん6がつ10日とおか 1982ねん7がつ2にち 大蔵おおくら
井川いかわひろし 1982ねん7がつ2にち 1983ねん7がつ12にち 通産つうさん
田中たなか誠一郎せいいちろう 1983ねん7がつ12にち 1984ねん7がつ10日とおか 通産つうさん
谷村たにむら昭一しょういち 1984ねん7がつ10日とおか 1986ねん6がつ3にち 通産つうさん 慶大けいだいけいそつ
大竹おおたけひろししげる 1986ねん6がつ3にち 1987ねん6がつ23にち 大蔵おおくら
赤羽あかはね隆夫たかお 1987ねん6がつ23にち 1989ねん6がつ16にち 建設けんせつからけいくわだて転出てんしゅつ 東大とうだいけいそつ
星野ほしのすすむ 1989ねん6がつ16にち 1991ねん5がつ15にち けいくわだてぐみ 東大とうだいけいそつ総合そうごう研究けんきゅう開発かいはつ機構きこう(NIRA)理事りじちょう
勝村かつむらひろしろう 1991ねん5がつ15にち 1992ねん1がつ21にち けいくわだてぐみ 東大とうだいいんのうけいせんそつ
とみ金原かなはら俊二しゅんじ 1992ねん1がつ21にち 1993ねん6がつ25にち 大蔵おおくら 京大きょうだいけいそつ
田中たなかつとむ 1993ねん6がつ25にち 1995ねん6がつ21にち けいくわだてぐみ 都立とりつだいけいそつ中大ちゅうだい教授きょうじゅ
小林こばやしあつし 1995ねん6がつ21にち 1996ねん6がつ21にち 通産つうさん
糠谷ぬかや真平まっぴら 1996ねん6がつ21にち 1998ねん6がつ23にち けいくわだてぐみ 東大とうだいようそつ
塩谷しおや隆英たかひで 1998ねん6がつ23にち 1999ねん8がつ31にち けいくわだてぐみ
中名生なかのみょうたかし 1998ねん8がつ31にち 2001ねん1がつ6にち けいくわだてぐみ 東大とうだいけいそつ

経済けいざい企画きかく審議しんぎかん[編集へんしゅう]

審議しんぎかん

経済企画庁けいざいきかくちょう出身しゅっしん著名ちょめいじん上記じょうき以外いがい[編集へんしゅう]

関係かんけいしゃ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 官庁かんちょうエコノミストは復活ふっかつするか(2022ねん7がつ21にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]