小宮山 重 四郎
こみやま じゅうしろう | |
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1927 | |
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1994 | |
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アルフレッド | |
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1976 | |
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11 | |
1963 |
来歴 ・人物
[1958
家族
[乃理子 妻 (旧姓 戸田 。実姉 は女優 の新珠 三千代 )。元 宝塚歌劇団 (宝塚歌劇団 39期生 )では椿 千代 。退団 後 は女優 ・桂 典子 として活動 。重 四 郎 との結婚 を機 に芸能 界 を引退 した。剛 平 長男 。徹 次男 。長男 の辞退 を受 け、小宮山 後援 会 は徹 を重 四 郎 の後継 者 とした。1996年 、第 41回 衆議院 議員 総 選挙 に埼玉 県 第 7区 から自民党 公認 で出馬 したが新進党 公認 の中野 清 に敗 れ落選 。その後 も自民 支部 長 に留 まり、1999年 4月 には妹 の泰子 の県議 再選 に貢献 するが、2000年 、現職 中野 の自民 復 党 が認 められ、徹 は支部 長 を解任 された。小宮山 後援 会 はこれに反発 し、同年 6月 の第 42回 衆議院 議員 総 選挙 に徹 に代 わって、妹 ・泰子 を無所属 で擁立 したが落選 した。以後 政治 活動 はなく、宝 くじ販売 会社 「ニューロッタリーサービス」の経営 などを行 っていたが、2010年 5月24日 、宝 くじ販売 事業 への出資 などの名目 で知人 らから金 をだまし取 ったとして、詐欺 の容疑 で逮捕 された。2013年 3月15日 、東京 地方裁判所 は徹 に対 し「政治 家 一族 であることの社会 的 信用 を悪用 した犯行 」「被害 が多額 で刑事 責任 は重大 」として懲役 7年 の実刑 判決 をい渡 した。泰子 長女 。1995年 4月 、自民党 から埼玉 県議会 議員 に初 当選 、1999年 4月再選 。2000年 6月 、県議 を2期 目 途中 で辞職 し第 42回 衆議院 議員 総 選挙 に埼玉 県 第 7区 から無所属 で立候補 し落選 。同年 自民党 を離党 し、自由党 に入党 。2001年 7月 、第 19回 参議院 議員 通常 選挙 に埼玉 県 選挙 区 から自由党 公認 で立候補 するも落選 。2003年 第 43回 衆議院 議員 総 選挙 に埼玉 県 第 7区 から民主党 公認 で立候補 し初 当選 。兄 ・徹 に代 わって父 の後継 者 となった。
親族
[小宮山 常吉 (つねきち)父 。1882年 10月18日 山梨 県 生 まれ。山梨 県 にて絹 仲介 業 を営 んでいたが、後 に一家 で上京 、商店 勤務 、機械 製造 販売 業 を経 て、1928年 、長男 の英蔵 とともに屑鉄 ・スクラップ業 「小宮山 商店 」を創業 し成功 を収 める。更 に足立 鋼管 、足立 産業 、昭和 鋼管 の社長 を歴任 した。1947年 4月 、英蔵 の後援 を得 て第 1回 参議院 議員 通常 選挙 に山梨 県 地方区 から無所属 で立候補 し当選 。1期 務 める。院内 会派 「緑風 会 」に所属 し、参議院 大蔵 委員 会 委員 などを歴任 した。議員 引退 後 は再 び英蔵 の事業 に参画 し、武蔵野 開発 社長 、武蔵野 ゴルフクラブ社長 。1974年 4月 24日 没 。小宮山 英蔵 長兄 。1912年 9月25日 山梨 県 生 まれ。尋常 小学校 卒業 後 、一家 で上京 。東京 市 役所 第 一 助役 室 給仕 を務 めながら苦学 の末 、旧制 日本 大学 工業 学校 (旧制 日本 大学 が設置 していた夜学 の実業 学校 )卒業 。1928年 、父 とともに屑鉄 ・スクラップ業 「小宮山 商店 」を創業 し、実業 家 として成功 する。戦後 はGHQ嘱託 となり、日本 清掃 作業 組合 を設立 。全国 の旧 軍需 工場 の解体 とスクラップ鉄 回収 を一 手 に請 け負 う。この事業 で得 た資金 を元手 に、1947年 に父 を政界 に進出 させ、1949年 には殖産 会社 東北 林業 を買収 し、日本 殖産 株式会社 に商号 変更 。更 に同年 、同社 を金融 業 に業態 変更 し、平和 貯蓄 殖産 無尽 と改称 、1951年 、相互 銀行 法 施行 に伴 いこれを相互 銀行 に移行 させ、商号 を平和 相互 銀行 と改称 し代表 取締役 社長 、更 に会長 となる。太平洋 クラブをはじめとする子会社 を設立 し、「小宮山 コンツェルン」と称 された企業 グループを形成 。太平洋 クラブ取締役 、クラウンライター会長 など「小宮山 コンツェルン」の総帥 として財界 に重 きをなした。五島 慶太 ・小佐野 賢治 ・瀬島 龍三 らとともに「政商 」の一人 に数 え上 げられることも多 く、竹下 派 ら政界 関係 者 とも深 くかかわりを持 ち、重 四 郎 の政界 進出 を後援 した。1979年 6月26日 急死 。英蔵 の死後 、平和 相銀 グループは後継 を巡 って遺族 ・経営 陣 による内紛 が起 き、「小宮山 コンツェルン」の崩壊 へとつながった。小宮山 美佐子 英蔵 の妻 。小宮山 精一 三 兄 。平和 相互 銀行 代表 取締役 社長 、のち会長 。小宮山 勇 弟 (常吉 の五 男 )。中山 カントリークラブ社長 ・東洋 端子 社長 。藤井 丙午 (元 自民党 参議院 議員 ・新 日本 製鉄 副 社長 ・太平洋 クラブ会長 )とその三男 藤井 孝男 (次世代 の党 前 衆議院 議員 。元 日本 維新 の会 ・元 自民党 衆議院 議員 ・参議院 議員 )は遠縁 の親族 にあたる。新珠 三千代 義姉 。妻 の乃理子 の実姉 。元 宝塚歌劇団 (宝塚歌劇団 33期生 )、女優 。妹 の存在 以外 は私生活 について生涯 明 かすことはなく、重 四 郎 の選挙 応援 等 も一切 しなかった。
関連 人物
[脚注
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第 132回 衆議院 本 会議 第 3号 平成 7年 1月 24日 -国会 会議 録 検索 システム
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1990 |
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1975 |