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中村なかむらとらふとし

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中村なかむら とらふとし
なかむら とらた
生年月日せいねんがっぴ (1902-08-03) 1902ねん8がつ3にち
出生しゅっしょう 福岡ふくおかけん糸島いとしま志摩しま
ぼつ年月日ねんがっぴ (1978-02-14) 1978ねん2がつ14にち(75さいぼつ
出身しゅっしんこう 糸島いとしまみのり学校がっこう
所属しょぞく政党せいとう福岡ふくおかけん農民のうみん青年せいねん連盟れんめい→)
農民のうみん協同きょうどうとう→)
あらためしんとう→)
日本にっぽん民主党みんしゅとう→)
自由民主党じゆうみんしゅとう

内閣ないかく だい3佐藤さとう改造かいぞうないかく
在任ざいにん期間きかん 1971ねん7がつ5にち - 1972ねん7がつ7にち

日本の旗 だい33だい 運輸うんゆ大臣だいじん
内閣ないかく だい1佐藤さとうだい1改造かいぞうないかく
在任ざいにん期間きかん 1965ねん6月3にち - 1966ねん8がつ1にち

選挙せんきょ きゅう福岡ふくおか1
当選とうせん回数かいすう 10かい
在任ざいにん期間きかん 1947ねん4がつ25にち - 1976ねん12月9にち
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中村なかむら とらふとし

中村なかむら とらふとし(なかむら とらた、1902ねん8がつ3にち1978ねん2がつ14にち)は、日本にっぽん政治せいじ

運輸うんゆ大臣だいじん国家こっか公安こうあん委員いいんかい委員いいんちょう行政管理庁ぎょうせいかんりちょう長官ちょうかん歴任れきにん

来歴らいれき人物じんぶつ

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現在げんざい福岡ふくおかけん糸島いとしま志摩しま農家のうかまれる。農業のうぎょうかたわら、中野なかのただしつよし門下生もんかせいとなり、同志どうしあつめて「糸島いとしま又新またしんかい」を結成けっせいせん運動うんどう挺身ていしんする。1933ねん糸島いとしまみのり学校がっこう卒業そつぎょう福岡ふくおかけん産業さんぎょう組合くみあい現在げんざい農協のうきょう前身ぜんしん)にはいり、1938ねん主事しゅじとなる。1942ねんけん農業のうぎょうかい主事しゅじ終戦しゅうせんこう農業のうぎょうかい辞職じしょくし、「農民のうみん青年せいねん連盟れんめい」を結成けっせい書記しょきちょうとなる。

1947ねんだい23かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょどう連盟れんめいからきゅう福岡ふくおか1にて立候補りっこうほし、45,889ひょうあつめて2当選とうせんする(当選とうせん同期どうき田中たなか角栄かくえい鈴木すずき善幸ぜんこう中曽根なかそね康弘やすひろなど)。当時とうじ新聞しんぶん紙上しじょうで「だい番狂ばんくるわせ」などとさわがれた。以後いご当選とうせん10かい

1949ねん農民のうみん協同きょうどうとう結成けっせい参加さんかし、書記しょきちょうとなる。1952ねんにはあらためしんとう合流ごうりゅうとうふく幹事かんじちょう保守ほしゅ合同ごうどうこう三木みき武夫たけお所属しょぞくし、法務ほうむ政務次官せいむじかん衆院しゅういん懲罰ちょうばつ委員いいん長等ながらて、1965ねんだい1佐藤さとうだい1改造かいぞうないかくにて運輸うんゆ大臣だいじんとしてはつ入閣にゅうかくしん東京とうきょう国際こくさい空港くうこうげん成田なりた国際こくさい空港くうこう)の建設けんせつ予定よてい決定けっていたずさわる(→成田空港なりたくうこう問題もんだい)。1971ねんにはだい3佐藤さとう改造かいぞうないかく行政管理庁ぎょうせいかんりちょう長官ちょうかんけん国家こっか公安こうあん委員いいんかい委員いいんちょうとしてさい入閣にゅうかくする。

1972ねん自民党じみんとう総裁そうさいせんにおいては福田ふくだ赳夫たけお支持しじし、早川はやかわたかし菅野かんの和太郎わたろうらとともに三木みき離脱りだつした。1976ねん政界せいかい引退いんたい。1972ねん勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう受章じゅしょう。1978ねん2がつ14にち死去しきょ享年きょうねん75。

エピソード

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  • 運輸うんゆ大臣だいじん着任ちゃくにん早々そうそうの1965ねん6がつ16にち中村なかむらしん東京とうきょう国際こくさい空港くうこう候補こうほそらから視察しさつした[1]しん空港くうこう建設けんせつ問題もんだいにおいて富里とみさと霞ヶ浦かすみがうら再度さいどにわたり視察しさつし、反対はんたい農民のうみんともはなった大臣だいじん中村なかむらのみであり、ともおさめ武人ぶじん千葉ちば県知事けんちじからは「誠実せいじつひとだった」と評価ひょうかされている[1]。「ボクのだいしん空港くうこう問題もんだい解決かいけつしたい。あとのひと迷惑めいわくけたくない」[2]かたった中村なかむら建設けんせつ閣議かくぎ決定けっていまでぎつけたが、結果けっかとして急転直下きゅうてんちょっか決定けっていだい規模きぼ反対はんたい運動うんどうまねき、空港くうこう問題もんだい長年ながねん懸案けんあんとして歴代れきだい政権せいけんされた。
  • 運輸うんゆ大臣だいじん在任ざいにんちゅう1966ねん昭和しょうわ41ねん)2がつおよび3がつつづけにこった全日空ぜんにっくう羽田はたおき墜落ついらく事故じこカナダ太平洋たいへいよう航空こうくう402便びん着陸ちゃくりく失敗しっぱい事故じこ英国えいこく海外かいがい航空機こうくうき空中くうちゅう分解ぶんかい事故じこでは、穴守稲荷あなもりいなり神社じんじゃきゅういち鳥居とりい」が羽田空港はねだくうこうのこされ放置ほうちされていることをげ、そのたたりであるかのようなうわさ流布るふした[3]。そのようななか品川しながわにある穴守稲荷あなもりいなり神社じんじゃ講社こうしゃこうもとが「穴守稲荷あなもりいなり神社じんじゃ空港くうこうなかまつらないと、事故じこがこれからも多発たはつする」と世間せけんうったえ、神社じんじゃ復興ふっこう国会こっかい議員ぎいん陳情ちんじょうした。この陳情ちんじょうに「たたりはともかく、神社じんじゃ復興ふっこう必要ひつようだ。」と、当時とうじ瀬戸山せとやま三男みつお建設けんせつ大臣だいじんなどとともに中村なかむら賛同さんどうし、大臣だいじんとう会長かいちょう顧問こもんとした「穴守稲荷あなもりいなり復元ふくげん奉賛ほうさんかい」が設立せつりつされたが[4]最終さいしゅうてきには社殿しゃでん再建さいけんであることやターミナルビルの屋上おくじょう分社ぶんしゃまつられていることなどから、空港くうこうない穴守稲荷あなもりいなり神社じんじゃ復興ふっこうする計画けいかく頓挫とんざした[3][5]
  • 1971ねんだい3佐藤さとう内閣ないかく改造かいぞうさい入閣にゅうかくするが、当時とうじ佐藤さとう栄作えいさく首相しゅしょう内閣ないかく改造かいぞう三木みき冷遇れいぐう人事じんじおこなう。また、中村なかむら三木みきなかおや佐藤さとうおや福田ふくだだったことから、佐藤さとう福田ふくだ赳夫たけおに「このなかきみが(三木みきなかで)したしいのはだれかね」とうと「中村なかむらとらふとしさんでしょう」と返事へんじかえり、三木みきから一本釣いっぽんづりで中村なかむらくだりかんちょう長官ちょうかん国家こっか公安こうあん委員いいんかい起用きようされた。
  • 国家こっか公安こうあん委員いいんちょう在任ざいにんちゅうあさま山荘さんそう事件じけん発生はっせいし、警察庁けいさつちょう長官ちょうかん後藤田ごとうだ正晴まさはるのバックアップをおこなった。記者きしゃ会見かいけん2人ふたり警官けいかん殉職じゅんしょくしていることをげ、なみだながした[6]一方いっぽう、「銃器じゅうき使つかうと人質ひとじちたるといけないというなら短刀たんとうをもっていって(犯人はんにんを)グサッとやってしまえ」と強硬きょうこうろん主張しゅちょうしていたという[7]
  • 1976ねん新自由しんじゆうクラブ結成けっせいほうじられたとき中村なかむら政治せいじ評論ひょうろん浅川あさがわひろしただし歓談かんだんしていたが、報道ほうどうみみにするやいなや「苦労くろうらずでわがままな世襲せしゅうのおぼうちゃまたちではいずれケンカわかれしてしまうさ。もってせいぜい2〜3ねんぶんとう解党かいとうだろう。長続ながつづきするものではないさ」と、即座そくざ予言よげんした[8]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 東京とうきょう新聞しんぶん千葉ちば支局しきょく/大坪おおつぼけいあきら へん『ドキュメント成田空港なりたくうこう東京とうきょう新聞しんぶん出版しゅっぱんきょく、1978ねん、27ぺーじ
  2. ^ 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ朝日あさひジャーナル編集へんしゅう三里塚さんりづかはん権力けんりょく最後さいごとりでさんいち新書しんしょ(1970ねん)、26ぺーじ
  3. ^ a b 穴守稲荷あなもりいなり神社じんじゃ穴守稲荷あなもりいなり神社じんじゃ、2008ねん3がつ31にち、124ぺーじ 
  4. ^ 日刊にっかん観光かんこう日本にっぽん観光新聞社かんこうしんぶんしゃ、1966ねん3がつ25にち 
  5. ^ 大田おおた区史くし編纂へんさん委員いいんかい大田おおた史話しわ東京とうきょう大田おおた、1981ねん3がつ、330ぺーじ 
  6. ^ 保阪ほさかただしかん後藤田ごとうだ正晴まさはる 異色いしょく官僚かんりょう政治せいじ軌跡きせき文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2009ねん
  7. ^ 佐々淳行さっさあつゆき連合赤軍れんごうせきぐん「あさま山荘さんそう事件じけん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1996ねん
  8. ^ 浅川あさがわひろしちゅう『「新党しんとう盛衰せいすい 新自由しんじゆうクラブから国民こくみん新党しんとうまで』講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ)、2005ねん、58ぺーじ


議会ぎかい
先代せんだい
床次とこなみ徳二とくじ
日本の旗 衆議院しゅうぎいん沖縄おきなわおよ北方ほっぽう問題もんだいかんする特別とくべつ委員いいんちょう
1968ねん - 1969ねん
次代じだい
池田いけだ清志きよし
先代せんだい
たけ知勇ちゆう
日本の旗 衆議院しゅうぎいん懲罰ちょうばつ委員いいんちょう
1960ねん - 1961ねん
次代じだい
大村おおむら清一せいいち
先代せんだい
小枝さえ一雄かずお
日本の旗 衆議院しゅうぎいん農林のうりん水産すいさん委員いいんちょう
1957ねん - 1958ねん
次代じだい
松浦まつうら周太郎しゅうたろう
先代せんだい
山本やまもと猛夫たけお
日本の旗 衆議院しゅうぎいん石炭せきたん対策たいさく特別とくべつ委員いいんちょう 次代じだい
加藤かとう高蔵たかぞう
公職こうしょく
先代せんだい
荒木あらき万寿まんすおっと
日本の旗 国家こっか公安こうあん委員いいんかい委員いいんちょう
1971ねん - 1972ねん
次代じだい
木村きむら武雄たけお
先代せんだい
荒木あらき万寿まんすおっと
日本の旗 行政管理庁ぎょうせいかんりちょう長官ちょうかん
1971ねん - 1972ねん
次代じだい
浜野はまの清吾せいご
先代せんだい
松浦まつうら周太郎しゅうたろう
日本の旗 運輸うんゆ大臣だいじん
1965ねん - 1966ねん
次代じだい
あら舩清じゅうろう